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2025.12.01 21:00
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名門校紹介「豊島岡女子学園中高」
・女子校
・最寄駅は「東池袋駅」
・女子新御三家の一角
・近年劇的に進学実績を伸ばしている
・コーラス部が名門(東京五輪の開会式にも登場)
・朝に裁縫(運針)して集中力を高める(かつて裁縫の専門学校だった名残)
・昨年から私文クラス廃止
・高校募集も廃止
・校舎は8Fまである
・階段がきつい
・今年は東大19名、国公立医42名、早慶185名合格
・本校が高校新入止めたことが女子中受の加速を促した
・OGや保護者の癖が強い
・中受が終わり階段を降りると”次は東大”と書かれたクリアファイルが配布され、そのまま某塾に指定校枠で申し込みに行く December 12, 2025
4RP
今夜8時30分〜 #テレ東
#ニッポン行きたい人応援団 90分拡大SP
東京オリンピックのエンブレムにも採用される
倭国🇯🇵を象徴する青い染料“藍染め”に熱中するイタリア人🇮🇹
100輪摘んで1枚…1キロ4万円の紅餅とは⁉️
藍🟦と紅🟥を重ねて染める激レア染料
#織田信成 #高橋茂雄 #眞鍋かをり https://t.co/cPx2XGuC35 December 12, 2025
3RP
「見られてなんぼ」のアーティストやスポーツ選手にとって、無観客って想像以上にテンションを保つのが難しいらしいね。
東京オリンピックに出てた侍ジャパン🇯🇵(⚾️)選手が、「ファンにヤジられてる方がマシだった」というくらい、無観客のシーンとした空気が異空間だったそうな。 https://t.co/DI8vCPFWwT December 12, 2025
2RP
ドイツに劇的逆転勝利を経験したのも束の間コスタリカ相手に敗北し、最終節の相手がスペインという絶望的状況。
スペイン相手に先制点を取られた時はどうなるかと思いきや後半開始早々の逆転劇は永遠に忘れない。
東京五輪での記憶もあり残りの時間が物凄く長く感じた試合だった。 https://t.co/Vyp6cYYkvz December 12, 2025
@amukakem_domira オペ⭐︎グラさん、九州旅お疲れ様です
俺は最後に行ったのが東京オリンピックの年だから、もうかなりの時間が経ってて…
九州が恋しいです December 12, 2025
11月15日土曜日「令和7年度東葛飾地区少年の日つどい大会」が松戸市の体育館にて開催されました。内容は昨年の東京オリンピックでも話題になった「ブレイキン」というダンス!素早い動きが難しいけど全身を使うダンスは面白く、ここから未来の五輪選手がでるかも!!→②
#柏市 #青少年相談員 https://t.co/RB4JOL4DNs December 12, 2025
片山さつき財務相 倭国版DOGE
ドン深闇補助金ランキング
1位 国立研究開発法人新エネルギー・産業技術総合開発機構(NEDO)
2,671,670,426,000円(12省庁)
問題点:再エネ賦課金・容量市場等で実質的に国民から徴収した資金がほぼそのまま流れ込む構造。失敗プロジェクト続出(メガソーラー破綻、水素ステーション等)でも予算が減らない。
2位 全国健康保険協会(協会けんぽ)
1,278,619,708,000円(14省庁)
問題点:国庫負担分が毎年膨張。中小企業の保険料を国が肩代わりする仕組みだが、実質的な中小企業救済補助金化。
3位 倭国私立学校振興・共済事業団
559,394,050,085円(12省庁)
問題点:私立学校への運営費補助がほぼ自動更新。定員割れ・赤字大学でも補助が打ち切られにくい「ゾンビ大学維持装置」と批判。
4位 博報堂
512,098,065,310円(9省庁)
問題点:電気・ガス料金補助事務局で約319億円受注→7次下請けまで中抜き(実働は末端で1%程度)。2022〜2025年も継続受注。
5位 東京都
363,647,141,864円(379省庁)
問題点:国の補助金を379事業で二重取り・三重取り。オリンピック関連残務でも数百億円が流れ続けている。
6位 国立研究開発法人宇宙航空研究開発機構(JAXA)
359,531,735,000円(40省庁)
問題点:H3ロケット失敗続きでも予算増。40省庁横断で予算を確保する「宇宙マフィア」体質。
7位 企業年金連合会
337,313,853,034円(3省庁)
問題点:厚生年金基金の清算財源として国庫から毎年補填。実質的な企業年金救済。
8位 国立研究開発法人倭国医療研究開発機構(AMED)
333,635,245,400円(23省庁)
問題点:コロナワクチン開発名目で巨額予算が流れ、成果が不明なまま次年度も増額。
9位 北海道
313,896,630,327円(493省庁)
問題点:493事業で補助金を吸い上げる「補助金ハンター自治体」の代表。人口減でも予算は減らない。
10位 国立研究開発法人科学技術振興機構(JST)
304,933,564,000円(14省庁)
問題点:研究費の9割が人件費・運営費に消え、実際の研究者への配分は極めて少ない。
11位 防衛省共済組合
303,422,292,102円(170省庁)
問題点:防衛省職員の福利厚生に170事業で国費投入。実質的な公務員優遇。
12位 財務省共済組合
284,818,493,000円(7省庁)
問題点:財務官僚の厚遇維持のための隠れ補助金。
13位 独立行政法人倭国学生支援機構
275,834,969,335円(11省庁)
問題点:奨学金返済免除制度の拡大で、実質的な給付型奨学金化が進む。
14位 独立行政法人倭国学術振興会
231,125,177,456円(19省庁)
問題点:科研費の配分が「天下り先ポスト」と連動しているとの指摘。
15位 大阪府
203,598,350,574円(248省庁)
問題点:カジノ誘致・万博関連で補助金集中。維新政治の「補助金頼み」体質が顕著。
16位 電通(株式会社電通およびグループ)
約200,000,000,000円(9省庁)
問題点:持続化給付金(749億円再委託)、電気・ガス補助事務局等で中抜き構造継続。ランキング15位以下だが、1件あたりのピンハネ率は博報堂を上回るとの指摘。
17位 パソナグループ
約150,000,000,000円(10省庁)
問題点:外国人労働者受け入れ支援事業や大阪万博スタッフ派遣で多重下請け(再委託率80%以上)。補助金総額数百億円中、末端労働者に届くのは10%未満との指摘。X上で「万博の闇」として移民推進の道具化が批判。
18位 ADK
約120,000,000,000円(9省庁)
問題点:東京五輪談合事件で電通・博報堂と共謀、排除措置命令(課徴金33億円)。補助金委託事業で競争制限と中抜きが常態化、2025年控訴審でも有罪判決。
19位 電通テック
約86,000,000,000円(8省庁)
問題点:コロナ感染医療支援システム構築で8.6億円委託中、1.1億円過大請求・届け出なし再々委託。グループ内循環による税金無駄遣いが会計検査院で指摘。
全体として、広告代理店や人材派遣業者の関与が目立つ構造が浮き彫り。
2025年11月27日時点の公的資料(会計検査院報告、経済産業省公開情報)、報道(朝日新聞、日経新聞、NHK等)、およびX上の関連議論を基に選定しました。
主な基準は、電通の持続化給付金事業(約749億円再委託、過大請求1.1億円指摘)や博報堂のエネルギー補助事務局(319億円中71%再委託)のような悪質性(再委託率高く、透明性欠如、国民負担増大)です。
パソナグループ: 外国人労働者受け入れ支援や大阪万博スタッフ派遣で多重下請けが問題視され、総額数百億円規模の委託費中抜きが指摘。X上で「万博=パソナ闇」との批判が散見。
ADK: 東京五輪談合事件で電通・博報堂と並び排除措置命令(課徴金総額33億円)。補助金関連委託で類似構造。
電通テック: コロナ感染医療支援システムで1.1億円過大請求・再々委託問題。
@satsukikatayama December 12, 2025
アカデミー賞短編ドキュメンタリー部門にノミネートされてことで話題の『小学校 〜それは小さな社会〜』を見てきた。
週末の昼に劇場へ行ったのだけど、小学生ぐらいの子どもを連れた親子がたくさん来ていて、珍しく映画館に活気があふれていた。また、ミニシアターの常連らしきお年寄りとか、わたしみたいな映画が好きそうな30〜40代もけっこういて、満席に近い状態だった。
こういう老若男女が集まる光景を見たのは久々な気がする。なんでかなぁと思ったけど、小学校って、誰もが一度は通うものだし、すべての人が共感できる題材なんだと気がついた。
終演後、エレベーターで子どもたちがお母さんに、
「うちのクラスではああじゃなくてね!」
と、一生懸命に説明している姿が微笑ましかった。スクリーンに映し出されたものを自分事と比較して語れるなんて、素敵な映画体感である。たぶん、お年寄りはお年寄りで令和の小学校に驚く部分が多いはずで、みなさんの感想もお聞きしたかった。さすがにいきなり声をかける勇気はなかったけど、上映後にディスカッション・イベントがあったら相当に盛り上がるような気がした。
かくいうわたしも語りたいことがたくさんある。
平成生まれ、平成育ちとして、ゆとり教育エリートであるわたしにとって学校は退屈な場所でしかなかった。
特に小学校3年生のとき、うちのクラスは「ゆとり教育」の効果を測定する調査対象に選ばれ、過剰なまでにゆとりだったので、ほとんど授業らしい授業が行われなかった。月曜から金曜まで(土曜は休みだったので)、ほとんどのコマが「総合」と呼ばれる授業になった。生徒主体という名の目的不明で、なにをやるかも決まっていないから、とりあえず毎日のように近所の川にフィールドワークに出かけていた。
先生はみなさんが学びたいことを好きに学んでいいんですよ、と言っていた。理科が好きな子たちは水質調査をすると言って、東急ハンズで買ってきたリトマス試験紙を川のあちこちにつけてレポートをまとめていた。虫が好きな子たちはバッタやアメンボを捕まえたり、絵が好きな子たちは風景画を描いていた。
一方、学びたいことなんてなかったわたしはやるべきことが見つからず、草むらに寝そべって流れる雲をぼーっと観察していた。心配した先生から、
「なにをやってもいいんだよ。自由に学んでいいんだから」
と、たびたび声をかけられたが、毎回、どうしたものかと困ってしまった。本音を言えば、ゲームをしたり、漫画を読んだらしたいけど、たぶん、それは禁止されると思う。してみれば、自由なんて見せかけ。なにもできやしないじゃないかと不満でいっぱいだった。
川から学校に帰り、窓越しに他のクラスの子どもたちが勉強している様子を見て不安になった。みんなはああやって割り算ができるようになっているのに、わたしは割り算がなんなのかを知らない。いつか大人になったとき、とんでもない差がつくんじゃないかと怖かった。
で、いつだったか、わたしはいつもの川っぺりで先生に、
「もっと算数がやりたい」
と、言ってみた。普通の勉強がしたい、と。
「うーん。それは算数の授業でやればいいでしょ。いまは総合の時間なんだから、自由に勉強しようね」
いまにして思うと先生も大変だったんだと思う。文部科学省が決めたゆとり教育に意味があるのか、テストしろと言われたって、なにをしていいのかわからなかったのだろう。「総合」という捉えどころのない授業を一年間やりまくらなきゃいけないけど、なにを成果とすべきなのか、ひたすら迷っていたはずで、従来の授業と違うことをしなきゃという強迫観念にかられていたのだろう。
ちなみに、先生は近所の川の水質が悪化しているという仮説に基づき、地球環境を守る大切さをわたしたちが学び、人々にそのことを啓発するための歌をうたうというゴールを最終的に設定した。学年末に駅前のビルでスペースを借りて、『この地球のどこかで』という合唱曲を疲労した。その練習が嫌で嫌で堪らず、わたしは何度もサボり、先生と真面目なクラスメイトから怒られまくった。「みんな頑張っているんだよ」とか「責任を果てしなさい」とか言われて、つい、あれこれ反論したせいで険悪な空気になった。その後、いろいろ話し合う中で、授業としてオチをつけなきゃいけないという先生の本音を聞き、だったら協力しますということで練習に参加するようになったことを覚えている。
さて、数年後、国はゆとり教育の廃止を決めた。わたしたちの結果を見て、意味がないと判断したに違いないのだが、あの一年はいったいなんだったのか? と呆れざるを得なかった。主観的にも、客観的にも、クソな時間だったことが確定してしまった。
しかし、不思議なもので、30歳を過ぎて小学校の頃を思い出すとき、わたしが多くのことを学んだのは間違いなく小学校3年生のクソみたいに退屈だった「総合」の授業なのである。
不自由な自由を押し付けられる理不尽だったり、先生も一人の人間として仕事に悩んでいる現実だったり、関係者全員がやる必要ないと思っていることをポーズとして頑張らなきゃいけない下らなさだったり。そして、こんなことをしている場合じゃないという焦りから、勉強しなきゃと奮起する気持ちはあのどうしようもない時間の中で身につけた。
30人ちょっとのクラスメイトから、後に国立の医学部や東大早慶MARCH合格といわゆる難関とされる大学に進学するやつが続出したのは偶然じゃないと思う。なんてことない公立小学校だったことを考えるとこれはなかなか凄い。
全員、学校の悪口を言いまくっていた。ゆとり教育はやば過ぎるでしょって。同時に、文句の裏返しとして、自分たちはこういう教育を受けたいと具体的な理想を語ってもいた。そして、その環境に行こうと頑張った。
もし、あのとき、学校に満足していたら、そうはならなかったと思う。もちろん、生存者バイアスが働いていて、ゆとり教育につぶされた同期がたくさんいたことも忘れてはいけない。だが、そうだとしても、学校はゴールではなく、通過点であることを考えれば、そこが完璧である必要なんて少しもないのだ。
映画『小学校 〜それは小さな社会〜』でコロナ禍を過ごす小学生たちを見ていて、そんなことを考えた。きっと、彼らは納得のいかないことだらけだろう、と。
東京オリンピックはあるのに自分たちの修学旅行が延期になるってどういうこと? 同じ空間にずっといるのに給食の時間だけ黙食を徹底させる意味なんてある? などなど。先生も親も納得なんてしていない。でも、学校を再開させるためには意味がないとわかっていても、やれる限りのことをやったという言い訳が必要なのだ。……でも、誰に対して? さあ、わからない。わからないから、君たちは腹を立ててほしい。腹を立てて、そんな倭国の謎な空気を将来ぶっ壊してくれ。
山崎エマ監督のインタビューで他国の反応が語られていた。特にフィンランドは生徒の主体性を尊重しまくった結果、自分のことしか考えられない人が増えてしまって、問題になっているんだとか。してみると、倭国の理不尽だけど社会性を重んじる教育に多くの刺激を受けているとか。
なお、この映画は短縮版がアカデミー賞にノミネートされているのだけど、ニューヨークタイムズが無料公開しているので、YouTubeで簡単に視聴できる。
小学校1年生の女の子が演奏会の練習に励むシーン。うまくできない上に、楽譜も忘れてしまって、先生にこっぴどく怒られてしまう。
先生「あなた一人しかいないんです。その責任があなたにはあります。決まったところで叩いてください。いいですか?」
女の子「楽譜忘れた……」
先生「ちょっと待って。いま楽譜ないとできないって人いますか? 手を挙げてごらん」
(他の生徒たち手を挙げない)
先生「なんで、みんな、楽譜なくてもできるんですか?」
他の生徒たち「練習しているから」
先生「そうだよね。一年生のために一生懸命練習続けてきているんだよね。(女の子の方を向き)それをあなたはやっているんですか?」
女の子「……(泣く)」
先生「オーディションに受かったらそれでおしまいなの? それがゴールなの? 違うよね。泣いたら上手になるの? 学校にいる間だったら先生教えてあげます。でも、ここわからないって聞きに来ないし、お家でも覚えるぐらい練習しなかったらダメだよ。どうしますか? これから。代わってもらいますか? じゃあ、どうしますか?」
女の子「家で頑張って練習する」
先生「先生、その言葉、信じるよ」
あー、あったなぁと懐かしくなった。こういうやりとり、小学校の頃、よくあった。そんな怒らなくてもいいじゃんと腹が立ったけど、幼くて、上手いことなんて言い返せなくて、泣くしかない悔しさが蘇ってきた。
短縮版でここをピックアップしているということは、監督としても議論が盛り上がる場所だとわかっているはずで、厳し過ぎるという意見が出るのは出演者の先生も含めて覚悟の上なのだろう。してみると、そこに教育的信念が感じられてくる。
その後、女の子はこの先生に怯えてしまって、体育館の練習に参加することができなくなってしまう。だけど、担任の先生が優しくフォローしたり、友だちが声をかけてくれたり、どうにか勇気を振り絞る。そうして、怖かった先生とも普通に話せるようになっていく。この過程を見るに社会性はたしかに育まれている。
ミクロな視点で言えば、先生はあんな態度で子どもに接するべきではないのかもしれない。練習しない自由だってあるのだから、脅すような言い方をするのはおかしい、と。これが現代的な価値観で、わたし自身もこういう考え方で子どもに接してしまう。
一方で、マクロに捉えたとき、世の中は理不尽な大人であふれかえっているわけで、先生が理不尽であるのも普通なこと。むしろ、フォローが可能な環境で理不尽に対処する経験を積めるというのはすばらしいことなのではないか、と思えてもくる。実際、その先に分断を越えたコミュニケーションの実現があるわけで、それはなにより社会で生きていくために必要なことだから。
ただ、難しいのは理不尽とフォローのバランスで、そのつらさに耐え切れず学校に通えなくなってしまう子どもがいるのも現実だ。映画本編では教育学者の先生が倭国の社会性を重んじる教育は「諸刃の剣」なんだと注意していた。仲間に優しいとは敵に厳しいことであり、連帯感の強さは排除される恐怖につながっていく。
そんな大変なことを一人で背負えるはずはなく、個人プレイが求められる小学校の先生という仕事のあり方はすでに無理が生じている。昨今はPTAも弱くなっているし、地域の大人も減っているし、先生はどんどん大変になっている。先生が先生でいるためにはわたしたち含め、学校の外にいる大人の協力が本来は欠かせない。
ある先生は平均台の上を歩くような気持ちで仕事をしていると言っていた。ある先生は「社会に出たことないじゃん」と言われることに悩んでいた。本来、おかしいよね。学校だって社会の一部なのに。どうして社会の外側に追いやって、先生たちに曲芸のようなことをさせてしまっているのか。
修学旅行の夜、先生たちが集まって、怒り方について話し合っていた。なぜ自分たちが怒っているのか、理由を説明しなきゃいけない、と。うるさいから静かにしろというのは簡単だけど、彼らはなぜうるさくしちゃいけないのかわからないから、ストレスだけが溜まっていく。このホテルには一般のお客さんも泊まっていて、その人たちにとっても旅行は特別なことであり、我々がうるさくしたら迷惑をかけてしまうから、静かにしようと説明することで指導になり、子どもたちの次につながっていく、と。そうやって先生たちが価値観のアップデートに努めている姿は素敵だった。
改めて、ドキュメンタリー映画に出演を決めた世田谷区立塚戸小学校のみなさんは本当に凄い! 監督と世田谷区議の神尾りささんが撮影に至るまでの経緯をYouTubeで語っているけれど、奇跡のようなつながりがいくつもあったようで、そうそうできるものではない。
小学校。それは誰にとっても関係のある場所だけど、故に、公開されることの少ない場所でもある。なので、こういう形で現代の小学校を見ることができるのはとても嬉しい。
大人は子どもに嫌われていい。ただし、安心して嫌うことのできる存在でなくてはいけない。邪魔だけど、決して危害を加えてこない壁になることで、子どもたちは乗り越える練習を重ねられる。それができる場所が学校であり、わたしたちは社会として、そういう場所を維持するためにコストを払うべきである。お金はもちろん、時間も捧げる価値がある。
わたしは学校が好きじゃなかったけど、好きじゃないと安心して言える場所があってよかったと心から思うし、これからもあり続けてほしい。 December 12, 2025
@miyaco326 あえて歌詞が無い方がかっこいいですよ。
YMOは海外の知名度高いのでいいアピールになると思います。
昔youtubeに有志の方による東京五輪の仮想開会式動画にYMOのライディーン使われていて、感動して泣きました。 December 12, 2025
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