日蓮 トレンド
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2025.11.30
:0% :0% (40代/男性)
日蓮に関するポスト数は前日に比べ16%減少しました。男性の比率は26%増加し、本日も40代男性の皆さんからのポストが最も多いです。本日話題になっているキーワードは「創価学会」です。
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
創価学会が世界宗教として飛翔する為に、34年前の出来事は今となっては必然だったと確信する。
昨日11/28は、創価学会が日蓮正宗から独立した日。
一宗派の在家団体だった創価学会。
独立当時、日蓮正宗と創価学会の在籍員のバランスがアンバランス過ぎた。
創価学会があまりにも発展し過ぎたから。
先日、九州の皆様が高らかに歌い上げた『第九』。かつて宗門は、それを歌うことを『外道』と切り捨てた。
だからこそ、11/23の大合唱は本当に凄い事だと思う。感涙。
11/28は、世界広宣流布を強く決意する一日にこれからもしていきます。 December 12, 2025
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@sg9Z1DopSc70542 日蓮正宗からの教えを引き継いだ創価学会は悪くないが、それを利用してビジネスにしたトップたちが悪い!
https://t.co/WjXwh8TiRt December 12, 2025
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仏教(特に日蓮系)の寺には「南無妙法蓮華経」と書いたデカい石碑が立ってることが多いけど、あれ「最も清浄で美しい法華経の教えに全身全霊で帰依し、教えに従って生きる」って意味よ。宗教ってそんなもん。 https://t.co/1D1WRW5Liq December 12, 2025
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バイト先の10歳離れた年上の方に1人1人の心の中に仏があるって言っちゃったよ
以前に学会宣言はしていたんだけど、昨日の学生部で「南無妙法蓮華経」の意味がようやく理解できたから、それについても言っちゃったよ
どうしよう
この日蓮のお題目で自分の変わる姿を見届けてほしいと言っちゃった December 12, 2025
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最近祈り方をバージョンアップしたら、相談してくれる人が増えた。
お話伺うと過去の自分と同じ悩みを抱えておられる方々ばかり。「お話できて”祈りたい“と思えました!」と嬉しいお言葉も😭
自分の過去の悩み苦しみが「塵1つ」すら無駄にならないのだと感動の日々。これが日蓮仏法/題目のスゴさだ。 https://t.co/C6E3suN8Qd https://t.co/P4UfflLwUG December 12, 2025
3RP
@AmiHeartGlitter 一部の中国共産党員等は、創♀学会※
のニセ本尊を 拝んでいるようです。
※日蓮正宗から破門された一団
https://t.co/nPMJiL1Hxu
↑ニセ本尊が今 手元に有る場合
は、上記のように行って下さい! December 12, 2025
2RP
@hinayoroOtsuka 仰る通りなんです。だから今まで創価学会がやってきたことを全否定し、身延山日蓮宗他、各宗教法人に謝罪をするのが先でしょうね。その上で合同の上で日蓮真蹟本尊をお借りして拝むか、でなかったら池田大作か最高指導会議を仏に格上げして自分たちで筆をとって本尊を書くしかないかと。 December 12, 2025
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でも、平成22年に発表された山崎斎明氏の「『三大秘法戒壇説の疑問点」という論文の方が余程刺激的で、興味深い。もし、私が偽作説側で論陣を張るならこちらの論文を採用する。建築物としての本門戒壇の建立は日蓮の仏法とは矛盾するという主張は説得力を感じる。何より真蹟の有無や使われる語句の⇨ December 12, 2025
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岡田栄照氏の「三大秘法稟承事について」という論文はネットで検索したら誰でも読める。昭和45年に発表された古い論文。平成3年に国立(当時、現在は民間)の統計数理研究所の村上征勝氏のグループが15年に及ぶ成果をまとめ上げて「三大秘法抄は日蓮の真蹟である」と発表するより前の論文である。この⇨ December 12, 2025
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@AmiHeartGlitter 一部の中国共産党員等は、創♂学会※
のニセ本尊を 拝んでいるようです。
※日蓮正宗から破門された一団
https://t.co/nPMJiL1Hxu
↑ニセ本尊が今 手元に有る場合
は、上記のように行って下さい! December 12, 2025
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下種本門の戒壇
大聖人御一期の御施化は、本門の本尊・本門の戒壇・本門の題目の三大秘法である。そのなかで、本門の題目は、宗旨建立の暁より御入滅の夕に至るまで、常に御自ら題目の五字・七字をお唱えあそばされるとともに、有縁の衆に、また一切衆生に唱題をお勧めになられた。『諫暁八幡抄』の、「今日蓮は去ぬる建長五年四月廿八日より、今年弘安三年十二月にいたるまで二十八年が間又他事なし。只妙法蓮華経の七字五字を倭国国の一切衆生の口に入れんとはげむ計りなり」との御文に明らかである。(御書一五三九ページ) 本尊は、竜口の頚の座における身命に及ぶ大難を、法華経の行者の絶大威力において超克あそばされ、 御内証久遠元初自受用身の証悟を体現あそばされた直後より、南無妙法蓮華経を紙墨に顕され給う。しかして、文永、建治より弘安と、本尊顕示の内容が究竟あそばされ、弘安二(一二七九)年十月十二日、究竟中の究竟、本懐中の本懐として、本門戒壇の本尊を顕し給うたのである。しかして「戒壇」の語はないが、「三大秘法」「三大事」の語をもって、戒壇の義を含むことが推される御文としては、それ以前の文永九(一二七二)年五月二日の『四条金吾殿御返事』に、「今日蓮が弘通する法門はせばきやうなれどもはなはだふかし(中略)本門寿量品の三大事とは是なり」(同五九七ページ)とあり、初めて「三大事」の語を拝する。次に、文永十年五月二十八日の『義浄房御書』に、「『一心に仏を見たてまつらんと欲して自ら身命を惜しまず』云云。日蓮が己心の仏果を此の文に依って顕はすなり。其の故は寿量品の事の一念三千の三大秘法を成就せる事此の経文なり」(同六六九ページ)と仰せられ、これらが「三大事」「三大秘法」の語の初見である。しかるに、佐渡の御化導中には、おおむね直接「戒壇」の語は見られない。文永十一年一月十四日の『法華行者値難事』の追伸の、「天台・伝教は之を宣べて本門の本尊と四菩薩・戒壇・南無妙法蓮華経の五字と、之を残したまふ (中略)今既に時来たれり、四菩薩出現したまはんか」(同七二〇ページ)との文に、初めて三大秘法の名目のなかに「戒壇」の文字を拝見する。しかし、これが本文でなく追伸であることは、身業読誦がいまだ終わらないためであり、したがって弘通の法体を、天台・伝教は「之を残したまふ」という語に止めるとともに、四菩薩の出現を御自身でなく、未来の他の人格のように示されて
いることが拝される。この年の二月十四日の赦免状は三月八日に佐渡に着き、大聖人は三月十三日に一谷を発たれ、同月二十六日に鎌倉へ入御された。その後、三度の諫言が用いられないため、五月十二日、鎌倉を出で、五月十七日より身延波木井郷にお住まいになられた。その直後の文永十一年五月二十四日、『法華取要抄』の御著述に至って、本門弘通の法体として三大秘法の名目を正式に顕示あそばされたのである。「問うて云はく、如来滅後二千余年に竜樹・天親・天台・伝教の残したまへる所の秘法何物ぞや。答へて曰く、本門の本尊と戒壇と題目の五字となり」(同七三六ページ) これが三大秘法の名目を「本門の本尊と戒壇と題目の五字」と、整足した弘通の法体として宣言された最初であり、そのなかに「戒壇」の文字が示されている。次に、建治二(一二七六) 年の『報恩抄』に、三大秘法を末法の弘通の法体として示し給うに当たり、 本尊と題目について詳説の文を拝するが、戒壇については、「二つには本門の戒壇」(同一〇三六ページ)と名称を挙げ給うのみである。これは、実に弘法の上の重大事であり、時が至らないために明示を控えられたのである。次に、建治三年三月二十一日の『教行証御書』には、「抑当世の人々何れの宗々にか本門の本尊・戒壇等を弘通せる。仏滅後二千二百二十余年に一人も候はず(中略)前代未聞の大法此の国に流布して、月氏・漢土・一閻浮提の内の一切衆生仏に成るべき事こそ有り難けれ有り難けれ」(同一一一〇ページ)と説かれ、その弘通の体を「本尊・戒壇」と示し給う。この御文を拝するに、本尊の弘通は、すなわち戒壇の弘通である意が拝される。戒壇の相等について、従来は具体的説明がなかったが、この御文により、 本尊の当体のおわします所、その住処がそのまま戒壇である意を「弘通」の文より拝察するのである。故に、本尊と共に戒壇も、弘通の体として示し給うことが明らかである。次に、弘安二年に至り、『本門戒体抄』を著し給う。この抄は、宗祖御著述の初めの仁治三(一二四二)年、二十一歳の時に顕された『戒体即身成仏義』と、戒体において相呼応する書であり、両書共に法華経の意義においての戒体の教示であるが、この書は特に本門の上にこれを決し給うている。この抄の内容として、戒壇の名目には全く触れられていない。これは、爾前権経や迹門による授戒の実施では、別に授戒のための戒壇堂が造られて執り行われたが、末法の授戒は本尊を中心とする戒壇であり、本尊所住の処が直ちに戒壇、戒場である。故に、この『本門戒体抄』の授戒の文(御書一四四〇ページ) においての教示のほか、さらに戒壇の名目を特に触れる必要がなかったからである。以上のほか、弘安五年四月八日の『三大秘法抄』に至るまで、戒に関し、また戒壇に関する指南は全く拝されない。しかるに、この『三大秘法抄』は、大聖人御一期における三大秘法の終窮究竟の総結であり、三大秘法の全内容を説かれ、広宣流布の大目標を示し給うた書である。まず冒頭に、結要付属の四句の要法を法体として示され、それが釈尊の略開近顕遠を説かれた涌出品まで秘せられた久遠の当初、釈尊が修行あそばされた本門の本尊と戒壇と題目の五字と決し給うている。略開近顕遠は『法華取要抄』の判定により在世衆生一切の得脱であり、それまで秘せられたと同抄に仰せられることは、末法の衆生のために説かれた広開近顕遠の法体が、在世の化導である文上本門寿量まで秘せられたことを指すものであり、それが久遠の当初修行された三大秘法であると示されている。故に 「当初」とは久遠元初であり、「修行」とは文上本果開顕の仏でなく、文底本因妙の釈尊を示されているのであり、その上に建立される三大秘法であることが明らかである。故に、続いて本尊について、五百塵点劫の当初以来の本有無作三身、教主釈尊として、久遠元初以来の凡夫本仏である釈尊を示し給う。この無作三身は『総勘文抄』の五百塵点劫の当初、凡夫即極の釈尊と全く同じ意を説かれたことが明らかである。次に題目は、天台の理行の題目に対し、自行化他の題目として、広布のための題目を指南されている。 戒壇については「王仏冥合」「有德王・覚德比丘」の故事、「勅宣・御教書」による「最勝の地」の戒壇を述べられ、「事の戒法と申すは是なり」と結し給う。さらには「三国並びに一閻浮提の人の懺悔滅罪」と、「大梵天王・帝釈等も来下する戒壇」として、その利益の広大を説き給い、未曽有の戒壇の儀相を表し給うのである。日寛上人は『文底秘沈抄』に、「正しく事の戒壇とは」(六巻抄六一ページ)として、右の戒壇の文を挙げ、しかも、なんらの具体的説明はされていない。これは、下種本仏の一切衆生救済の内証境地を抱懐し給う事相である故に、その以前において、安易にこの文を説明すべきでなく、ただ文を挙げるのみで、その深意は御仏意に委ねられたものと拝察する。この戒壇の指南のあとに、大聖人は、前来の三大秘法の本義は大聖人御自身にましますことを、この抄の結語として説き給うている。「此の三大秘法は二千余年の当初、地涌千界の上首として、日蓮慥かに教主大覚世尊より口決せし相承なり。今日蓮が所行は霊鷲山の稟承に介爾計りの相違なき、色も替はらぬ寿量品の事の三大事なり」(御書一五九五ページ) この文は、宗祖大聖人の当体即本尊であり、そこに題目と戒壇を具する故に「事の三大事」と仰せである。一身一念法界遍満の自受用身の行は題目、位は戒壇であり、ここに広宣流布の題目、下種仏法根本の戒壇の本義がましますのである。そして、下種仏法においての本義の実体は、宗祖大聖人の御仏意をもって奠定あそばされた本門戒壇の大御本尊であり、そのまします所、大日蓮華山大石寺が本門広布の根源の事の戒壇である。
第六十七世日顕上人著
『三大秘法義』より
https://t.co/Fb55dnBO2g December 12, 2025
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@AmiHeartGlitter 一部の中国共産党員等は、創♂学会※
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伊勢講山26京都府宇治市志津川龍ケ壺 神女神社神女神社の背後にそびえる岩壁状の岩山。詳細由来は調査不足につき不明。頂上が岩山
龍ケ壺/竜ケ壺26京都府宇治市志津川龍ケ壺 神女神社喜撰法師が行をしたとされる渓谷。BCE
天降石/岩神さん26京都府宇治市宇治又振 宇治上神社由来不詳。名称から推測して磐座と石神の両方の性格が入っていると思われる。岩塊の上に無数の礫石が積まれている。A磐座と石神の性格が混在している事例
京都府BA
神牛石26京都府久世郡久御山町佐山双置 神牛石神社池中から掘り出したといわれる牛の形をした黒石。天下に凶事ある時は必ず汗を流すという。かつて三福寺にあったが明治の神仏分離で神社にまつられた。神牛石は他に上野国・琵琶湖中にあるという。A原位置から移動伝承
京都府BBD岩石から煙・光・火・気などが出る
説法石26京都府向日市日蓮の孫弟子である日像上人が、この岩石の上で人々に教えを広めたという。BCC
京都府C
白石神社26京都府京都市山科区小山社殿に隣接する高さ約4m、幅約9mの岩石。由来不詳だが、境内で最も目立つ自然石のため、神社の前身の祭祀対象だったと考えられる。CA
蛙岩26京都府京都市山科区川の守り役だった蛙が石化したという岩石。C生き物が石化したもの
経岩26京都府京都市山科区修行僧がこの岩石の上で経を読んだという。道路工事を請けて一部損壊したという。BCE岩石が改変されている仏僧が岩石の上で読経する。
陰岩(陰陽岩/岩屋殿/奥之院)26京都府京都市山科区大宅中小路町 岩屋神社岩屋神社信仰の発祥といわれる石座。麓に社殿が建てられるまで栲幡千々姫命をまつっていた。陰岩の窪みにたまる水は霊水として信仰されたが、現在この水は枯れている。BA岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
京都府CA
陽岩(陰陽岩/岩屋殿/奥之院)26京都府京都市山科区大宅中小路町 岩屋神社岩屋神社信仰の発祥といわれる石座。麓に社殿が建てられるまで天忍穂耳命をまつっていた。BA
京都府CA
琵琶石26京都府京都市山科区四ノ宮在地町 諸羽神社人康親王が琵琶を弾きながら座っていた岩石。隣接する岩坐には注連縄と賽銭箱がある一方、琵琶石には全くないため祭祀・神聖視の段階には入っていないと考えられる。EC
岩坐26京都府京都市山科区四ノ宮在地町 諸羽神社立板状の岩石。由来不詳。C
影向石26京都府京都市山科区日ノ岡夷谷町 日向大神宮高さ約1mの立石。由来不詳。
天の岩戸26京都府京都市山科区日ノ岡夷谷町 日向大神宮人工的に穴を掘った洞穴。内部には戸隠神社の祠がまつられており、岩戸くぐりをすれば開運厄除という。CB胎内くぐり
京都府BBD
京都府BAC
かへし石/力石26京都府京都市伏見区深草鳥居崎町 藤森神社3個の岩石。京都所司代の巡検時に、この岩石をひっくり返しながら拝殿から鳥居まで転がした。氏子が持ち上げて力自慢をしたともいう。BBD可動的性質重い岩石を持ち上げたり転がしたりして、その力を誇示する。
京都府力石
京都府岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか
大岩26京都府京都市伏見区深草向ヶ原町 大岩神社男女二人の神がそれぞれが重い病気にかかった際に、互いの献身的な看病によって病を治したことから、土地の者がその徳をたたえて神社を造り、大岩を男の神としてまつったという。A神々が偉業を成し遂げたので、村人が神社を造ってまつる。
小岩26京都府京都市伏見区深草向ヶ原町 小岩神社男女二人の神がそれぞれが重い病気にかかった際に、互いの献身的な看病によって病を治したことから、土地の者がその徳をたたえて神社を造り、小岩を女の神としてまつったという。A神々が偉業を成し遂げたので、村人が神社を造ってまつる。
奥社 立石26京都府京都市伏見区深草 伏見稲荷大社稲荷山を遥拝するための奉拝所とされる立石。BAA
京都府BBA
おもかる石26京都府京都市伏見区深草 伏見稲荷大社2基の石灯籠の頂部に乗る空輪。石灯籠の前で祈願をして、その後におもかる石を持ち上げた時、予想していたより重ければ願いは叶わず、予想よりも軽ければ願いは叶うという。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか岩石を持ち上げて、予想よりも重いか軽いかで占う。
京都府可動的性質
御饌石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山酒を注いだ素焼き土器70枚を御饌石の上に供え、神に生産豊穣を祈るという「山上の儀」が行なわれる。御饌石の前には、祭祀を行なう神職者専用の台座石が設置されている。BCD台座石の上に神職が座り、酒を注いだ素焼き土器70枚を御饌石の上に供える。
京都府BCC
剱石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山人の丈より高いもので、緑がかった剱状の岩石。御剱社の社殿内にあり、剣に似た形状なので、鍛冶・金物関連の霊験を持つ岩石として信仰される。A秘匿されている岩石
雷石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山昔ここで激しい雷が落ち、神が呪文を唱えこの岩石に雷を縛り封じたという。古くからの神跡として神聖視される。BBB聖者が与えた霊石神が雷を岩石に封じ込める。
力お大明神26京都府京都市伏見区深草 稲荷山祠の横に露岩あり。詳細は調査不足につき不明。
大岩大神26京都府京都市伏見区深草 稲荷山岩盤を大岩大神としてまつる社。A
稲荷下社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
稲荷中社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
稲荷上社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
長者社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
荷田社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
田中社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
御膳谷神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
お塚26京都府京都市伏見区深草 稲荷山岩石に神名を刻み山中に立てることで、神と参拝者の交流場としたもので、幕末・明治以降に参拝者個々人が設けた。山中に約1万基存在。BAA山中に、神名を刻した岩石を置き、自分だけの神を迎える場とする。
冠石26京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町鳥羽上皇が鳥羽離宮を整備した時、この岩石の上に冠を置き、これを中心に設備を整えたという。EC
雷石26京都府京都市南区東九条札辻町 宇賀神社天から降ってきた岩石。あるいは、神から怒られた雷が、2度と雷を起こさないために石化したという岩石。BBB生き物が石化したもの雷を落とすなと神に怒られたので、石化する。
寛算石26京都府京都市南区西九条蔵王町筑紫国安楽寺の僧・寛算が、死後雷と化して京に禍をもたらした後、この地に落ちて石化したという岩石。後世、歯の治癒に霊験があり「歯神さま」としてまつられる。EA生き物が石化したもの神前に竹箸を供え、その箸で食事をすると歯の病に効果があり、お礼に代わりの竹箸を供える。
京都府BBB祟り伝承
京都府A
仙遊石26京都府京都市東山区 来迎院山仙人が降臨してここで遊んだという。数個の自然石からなり、その前に供物台を置いている。宮内庁陵墓管理地につき立入禁止という。C禁足地
恋占いの石/めくら石26京都府京都市東山区清水 地主神社同じ形状をした2つの岩石が距離を離して置かれている。目をつぶり、片方からもう片方までうまく辿り着いたら恋愛成就するという。岩石表面に銘板を埋め込んでいる。BBD岩石が改変されている目をつぶって、ある岩石から別の岩石へ歩いて占う。
子授け石26京都府京都市東山区 三島神社約150年前に地中から出てきた2つの岩石。陰陽の形状をしており、これを撫でた手でお腹をさすると安産という。BBDなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでた後に、自分の体をさする。
念仏石/鐘代わり石/カンカン石26京都府京都市東山区 青龍寺/伽羅観音本堂前に大小2つの岩石があり、天から降ってきた隕石という。勤行に際して鐘の替わりにこの石を叩いて念仏の調子をとったという。金属音が鳴る。諸願成就の霊石としての信仰もある。BE岩石に損傷を加える行為岩石を念仏の鐘代わりに叩く。
京都府BBD岩石から音声が聞こえる
縁切り・縁結び祈願石26京都府京都市東山区 安井金毘羅宮中央に亀裂が入り、下部に円形の穴を持つ岩石。縁結び・縁切りの願いを書いた形代を岩石に貼り付けて願掛けする。BBD岩穴・窟岩石に願い事を書いた形代を貼り付ける。
瓜生石26京都府京都市東山区林下町 知恩院知恩院が作られる以前から存在していたという岩石。一夜にして瓜生石に瓜のつるが繁り、実がなったという。これは祇園の牛頭天王が瓜生石の上にも降臨したからだとも、感神院新宮の神札が置かれていたのでその神威によるともいう。瓜生石の地中には、二条城への抜け道が隠されているという。BABAどこか遠い場所とつながっている岩石に一夜にして瓜の実がなる。それは岩石の上に牛頭天王が降りたとも、神札が置かれたともいう。9/14の丑の刻に、神列が瓜生石の周りを三回回る「れいけん」という祭祀が行なわれる。
京都府BABB岩石の周囲を回る
影向石26京都府京都市東山区林下町 知恩院勢至堂向かって右側の崖下の岩盤。法然が臨終を迎えた時、加茂明神がこの石の上に降臨したと伝えられる。BABA聖者が亡くなった場所
慈鎮石/慈鎮坐禅石/和尚石26京都府京都市東山区林下町 知恩院慈鎮(慈円)和尚の座禅石。元々は山門の前にあったが天和年間(1681~1684)に現在地へ移され、庭園の一角を彩る庭石となった。BCC原位置から移動伝承和尚の座禅石を庭石に転用する。
京都府C
京都府EC
二十五菩薩の庭26京都府京都市東山区林下町 知恩院知恩院所蔵「阿弥陀如来二十五菩薩来迎の図」をモチーフに作られた石庭で、石が仏菩薩、植え込みが来迎雲を表している。EC
三尊石26京都府京都市東山区林下町 知恩院方丈庭園の奥にある山亭庭園の北西隅に配された庭石。阿弥陀三尊を表現するという。EC
仏足石26京都府京都市東山区林下町 知恩院大理石の仏足石で、直立してある。C
修学院守禅庵遺跡/修学院磐座26京都府京都市左京区修学院守禅庵比叡山の登山口に存在する岩石。岩石の手前から359点の18世紀の土師器皿片を採集。一部には煤が付いていたという。現在、岩石手前には竹に紙垂が付けられた玉串が立てられている。火が絡む祭祀山裾の岩石の手前に、一部煤の付いた土師器皿を置く。
熊谷直実腰掛石26京都府京都市左京区大原勝林院町武士で法然の弟子となった熊谷直実が腰掛けた岩石。EC休み石・腰掛石
紫雲石26京都府京都市左京区黒谷町 黒谷金戒光明寺霊地を求めていた法然がこの岩石の上で念仏を唱えると、紫雲が広がり光が差し込んだことから、この地に寺を開基した。BCC
京都府C
白川子安観世音26京都府京都市左京区北白川鎌倉時代製作の巨大な石仏。白川女が商いを行なう時は、事前にここに花を供えるという。A女商人が商いを行なう前に石仏に花を供える。
弁慶背競石26京都府京都市左京区八瀬秋元町八瀬天満宮の石鳥居南側に立つ高さ2.4mの立石。弁慶が比叡山西塔より持ってきて、下山の度にこの岩石と背比べをしたという。EC原位置から移動伝承
菅公腰掛石26京都府京都市左京区八瀬秋元町 八瀬天満宮祭神である菅原道真が腰掛けた岩石。C休み石・腰掛石
義朝駒飛石26京都府京都市左京区八瀬源義朝が平治の乱に敗れ東国に敗走中、馬に乗ったまま飛び越えたという岩石。EC
真守鉄盤石26京都府京都市左京区大原野村町平安後期の刀工である大原真守が、この岩石と傍にある井泉を使って刀剣鍛冶を行なったという。EC
獅子飛石26京都府京都市左京区来迎院町 来迎院獅子がうずくまったような形状の岩石。聖応大師良忍が文殊の秘法を修していた時、この岩石が獅子となって飛び回ったという。C生き物が石化したもの
袈裟かけ石26京都府京都市左京区来迎院町 勝林院童子が阿闍梨の袈裟を洗濯し、それを乾かすためにこの岩石の上にかけた。BE聖者の装束を洗濯して、岩石の上で乾かす。
京都府EC
法然腰掛石26京都府京都市左京区来迎院町 勝林院法然が腰掛けて休んだ岩石。C
岩上神社26京都府京都市北区松ヶ崎町兵庫県明石の海中で霊光を発していた岩石。当地に持ってきて神社をまつったという。A岩石から煙・光・火・気などが出る
京都府原位置から移動伝承
京都府可動的性質
山住神社/岩倉/北岩倉/石座/石蔵26京都府京都市左京区岩倉西河原町 山住神社石座神社の旧社地で御旅所とされる山裾の露岩。桓武天皇が平安京の東西南北に一切経を埋納したという四岩倉の内の北岩倉と考えられている。BA
京都府BCD
京都府CA
翔雲台 経塚石材26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山本殿金堂裏から発見された平安時代の経塚の蓋石。BCD原位置から移動伝承
京都府経塚関係
背比べ石26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山遮那王尊(源義経)が頼朝に追われ奥州に逃れる時、若き日を過ごした鞍馬に名残を惜しみ、この石と自分の背丈を比べたという岩石。C
魔王殿 岩石群26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山護法魔王尊が降臨した磐座とされる多数の石灰岩の露頭。BCA
京都府C
船形石26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山玉依姫命が貴船川を上る時に乗っていた船を石積で覆って秘匿したもの。船形石の小石を持って帰れば交通安全の霊験がある。CC祭神の乗っていた船を石を積んで隠す。その石を持って帰れば霊験がある。
鏡岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山貴船山の中腹にあり、貴船神社祭神のタカオカミノカミが降臨したという磐座。BA禁足地
京都府C秘匿されている岩石
つづみが岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山鼓の形状に似ていることから名付けられた名石。EC
天の磐船26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山近くの山奥から採出された船形の自然石を、神社の信奉者が奉献してこの名を付けた。BBC近くで採れた形の良い岩石を奉納する。
石庭「天津磐境」26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山作庭家である重森三玲氏が作った石庭。EC
蛍岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山和泉式部がこの場所で蛍を見て、和歌を詠んだという。EC
烏帽子岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山大宮人が烏帽子を下ろして休息した岩石。参拝者がここで冷水を浴びて身を清めた場所ともいう。EC休み石・腰掛石
京都府BCB
弁慶石26京都府京都市中京区弁慶石町弁慶が生前大切にしていた岩石。弁慶の死後、奥州高館にあったが岩石が「三条京極に行きたい」と発声鳴動し、付近に熱病が蔓延したため、享徳3年(1454年)、この石を三条京極に安置した。EC原位置から移動伝承偉人が大切にしていた岩石が祟りをなすので、希望通り場所を移す。
京都府EA祟り伝承
京都府岩石から音声が聞こえる
京都府岩石が動く
猿田彦大神御神石/御石さん26京都府京都市上京区大倭国最初御降臨旧跡地とされる岩石。霊験のある岩石だが触れると祟りがあるという。平安京の鬼門を鎮める塞神の性格も有すると考えられる。BAA
京都府BBB
京都府CC
岩神さん/禿童石26京都府京都市上京区大黒町菅原道真の死後、道真の乳母がこの岩石を抱いて泣いたといい、その度に落雷が起こったという。元々は二条城の南辺りにあり、別の場所に移したところ岩石が吠えたり子供に化けたりしたので、仏僧が現在地に移して岩神寺の本尊としてまつった。現在は授乳の神として信仰される。EA祟り伝承祟りのある岩石を仏僧がまつる。落雷を落とす→子供に化ける→授乳の神と変遷する。
京都府A岩石から音声が聞こえる
京都府原位置から移動伝承
京都府可動的性質
登天石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮菅原道真の祟りで雷雨・氾濫が起こった時、法性坊尊意僧正が数珠(神剣)をかざすと、氾濫した川水が下がりその中から、岩石の上に立つ道真が現れた。雷雨が止み、道真は昇天していった。岩石は尊意によって供養をされた後、現在地に安置された。BABA原位置から移動伝承岩石の上に霊が立ち、そして昇天する。
京都府C
出世石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮出世した人が寄進した岩石。BBC
玉子石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮妊娠5ヶ月目に拝むと安産になるという岩石。BBD
蛇の枕/雨石26京都府京都市北区上賀茂本山 大田神社蛇が枕としていたという岩石。農具などでこの岩石を叩くと蛇が怒って雨を降らせるという。BBD信仰対象の荒ぶりを恩恵に変える祭祀農具などで岩石を叩くと雨が降る。
岩上26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社葵祭の時、宮司がこの岩の上に座して、賀茂神が宮司の体を通して返祝詞(神の意思)を発する。BABB祭祀執行者であり信仰対象岩石に司祭者が座ると、神が司祭者に憑依して託宣をする。
京都府BCC
岩本社26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社川辺の露岩の上に祠を建て、祓えの神であると同時に海上安全守護の神である住吉三神をまつる。BABC
京都府BCB
八嶋龍神26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社祠内に高さ50cm強の岩石が注連縄をかけられている。A磐座と石神の性格が混在している事例
京都府BA
立砂26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社細殿前にある2体の三角錐の砂山。神山を模したもので、元は神の憑依する依り代として造られたものだったが、これは清めの結界として機能している。この砂を持ち帰れば清めの砂として利用される。BCA砂
京都府BBB可動的性質
御阿礼神事の盛り砂26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社砂を盛り、その上に依り代である阿礼木を立てる。砂は依り代の座としての役割を担っている。BABB砂砂で依り代を造る。
降臨石26京都府京都市北区上賀茂神山 神山禁足地の神山の山頂にあり、賀茂別雷神が降臨したといわれる岩石。BA禁足地
京都府CA秘匿されている岩石
貴布禰26京都府京都市北区上賀茂神山 貴船神社京名石と銘打たれている岩石。詳細は調査不足につき不明。
立砂26京都府京都市北区上賀茂神山 貴船神社清めの結界として盛られた砂山。BCA砂
女夫岩26京都府北区上賀茂女夫岩町昔、鴨川が氾濫を起こした後に現れた2つの岩石。外見が伊勢の夫婦岩に似ていることから名付けられたという。当初は注連縄をして信仰対象にしていたが、今はまつられておらず小学校の校庭内で子供達の遊び場となっている。柊野ダムにある岩石と女夫岩は、地中で1つの岩としてつながっているという。A岩石が地下で広範囲に根を張っている伝承
京都府EC
霊巌26京都府北区西賀茂 船山 霊巌寺寺の門前にあったという巨岩。人が通れるほどの穴を下部に持ち、信仰対象だったという。天皇が行幸する時に邪魔だと思った寺の別当が岩を破壊したが、結局行幸はなく寺も衰滅したという。A今は存在しない岩石岩石を破壊したら廃寺となった。
神降窟/降神岩/香水窟26京都府京都市北区雲ヶ畑 岩屋山志明院延喜式内の天津石門別稚姫神社がまつられていたとされる岩窟。菅原道真が製作したという眼力不動をまつる。岩窟内からは鴨川の水源となる水が湧き出て、これは難病を治す香水と称して神聖視されている。C岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
京都府BAC
護摩洞窟26京都府京都市北区雲ヶ畑 岩屋山志明院弘法大師が護摩を焚いたという岩窟。BCE
船岡山 岩石群26京都府京都市北区紫野北舟岡町 船岡山平安宮の北を守護する玄武の磐座と目される山頂の露岩。それを証明する明確な記録はない。周辺から歴史時代の土師器片が散布。
大平和敬神 神石26京都府京都市北区紫野北舟岡町 船岡山大本教関係の修養団捧誠会という団体が昭和45年に立てた石碑。世界平和の神の神石とされる。A近代以降の命名
力石26京都府京都市北区紫野 今宮神社力比べで持ち上げられた岩石。BBD力石
京都府BBC可動的性質
阿呆賢さん/神占石/重軽石26京都府京都市北区紫野 今宮神社この石を手でなでて、自分の体の悪い部分をさすれば、その悪い部分が治癒されるという。また、この石を3回叩いて持ち上げると重くなり、祈願して優しく石を3度さすって石が軽くなったら成就という。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか石をなでて自分をさすると病気が治る。石を持ち上げて予想より軽くなったら祈願成就。
京都府可動的性質
京都府なでたりさすったり抱きついたりする
鏡石26京都府京都市北区衣笠鏡石町『鹿苑日録』の中で、天文5年(1536年)に鏡石が出現し、貴賎男女が競って参詣したといい、これに該当するとされる岩石。これを鏡にして女性が髪をといたとか、街道を通る牛が、鏡石に映った自分の姿に驚いて角で突いたとか、源義経が自分の姿を映したとか、紀貫之がこれをモチーフに和歌を詠んだという。昭和30年代に道路工事が行われた際に大部分が取り壊された。A岩石が改変されている
京都府EC突如出現した岩石
京都府鏡面を持つ岩石
衣笠山遺跡26京都府京都市北区衣笠衣笠山町山頂に岩盤が露出しており、平安時代の土器片が採集された遺物散布地。相関性は不明。
力石大神/力石大明神26京都府京都市北区等持院町 六請神社祈願した後に持ち上げることができれば成就という岩石。現在は持ち上げられることなく、祈願対象となっている。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか持ち上げられたら祈願成就の霊石。
京都府A力石
京都府可動的性質
六請神社の小石奉納26京都府京都市北区等持院町 六請神社力石大神は重いため、現在は小石に性別・年齢・祈願内容を記して神前に奉納しても成就するという。BBC可動的性質石に祈願内容を書いて神に奉納する。
京都府BBA
京都府BBD
神輿岩26京都府京都市北区小野中ノ町船形の平石で、かつてここに岩戸社が鎮座していたという。
岩戸社・落葉社 岩壁26京都府京都市北区小野中ノ町社殿の背後に大きな岩壁が存在するが、神聖視の有無は不明。
双ヶ岡 岩石群26京都府京都市右京区 双ヶ岡南側の峰の山腹に露出する岩盤群。古墳が近接
足跡石26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社親鸞の足跡が残る岩石。C休み石・腰掛石
座石26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社親鸞が座った岩石。C休み石・腰掛石
男岩(夫婦岩)26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社女岩とセット関係。夫婦和合・子宝安産の霊験を有する岩石。夫婦岩をなでて子宝を祈願し、夫婦岩の周囲を3度左回りして安産を祈願する。初宮詣の際は梅干を供えた後に幼児の鼻を梅干の皮でつまむ。元来は本殿付近にあったものを移設したという。Aなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでて、周囲を3度回る。梅干を供えて幼児の鼻をつまむ。
京都府BBD岩石の周囲を回る
京都府原位置から移動伝承
女岩(夫婦岩)26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社男岩とセット関係。夫婦和合・子宝安産の霊験を有する岩石。夫婦岩をなでて子宝を祈願し、夫婦岩の周囲を3度左回りして安産を祈願する。初宮詣の際は梅干を供えた後に幼児の鼻を梅干の皮でつまむ。梅干の種は女岩の中央の窪みに供えて子孫繁栄を祈願する。元来は本殿付近にあったものを移設したという。Aなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでて、周囲を3度回る。梅干を供えて幼児の鼻をつまむ。梅干の種を女岩の窪みに供える。
京都府BBD岩石の周囲を回る
京都府原位置から移動伝承
京都府置銭・投銭祭祀
京都府岩穴・窟
大酒神社 岩石祭祀事例26京都府京都市右京区太秦蜂岡町 大酒神社大酒神社が元来まつっていたという岩石。現存含め詳細不明。今現在確認がとれていない岩石
祈念神石26京都府京都市右京区嵯峨朝日町 車折神社境内の石を家に持ち帰り日夜祈願し続けると祈願成就。成就の際はお礼の言葉を書いた石をもう1個添えて社頭に供え、その集積が石塚となり神威を示す場所となる。BBD可動的性質岩石を家に持ち帰って祈りの道具にする。石に文字を書く。奉納物の集積が石塚となる。
京都府BBC岩石が満ち欠け・増減・出産する
京都府BBA
京都府CA
またげ石26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社境内の2個の岩石。嵯峨天皇妃の檀林皇后がこの岩石をまたいだところ子を授かったことから、同様のまたぎを行なうと子授け利益があるという。BBD岩石をまたいで子宝祈願。
京都府CC
産砂26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社檀林皇后が出産の際に敷いたとされる神社の白砂。安産のお守りとして授けられる。BCA砂砂を敷いて安産する。
京都府CC可動的性質
影向石/熊野影向石/三石26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社熊野から飛来してきた3羽の鳥が石化したという岩石。C生き物が石化したもの
猿田彦大神27京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社猿田彦大神の石神A
宇壽女命28京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社宇壽女命の石神A
源雅信墓26京都府京都市右京区御室 成就山宇多源氏の始祖である源雅信の墓とされる自然岩。BCA聖者が亡くなった場所自然石を墓標とする。
梅ヶ畑銅鐸出土地26京都府京都市右京区梅ヶ畑町山腹の「巨巌」裾の地表下から、弥生時代の銅鐸4点が入れ子になって2組状態で埋納されている状態で見つかった。御堂ヶ池群集墳が近接。「巨巌」は都市開発で消滅。古墳が近接巨岩の裾に銅鐸を入れ子にして埋納する。
京都府今は存在しない岩石
梅ヶ畑遺跡 岩塊26京都府京都市右京区梅ヶ畑町丘陵頂部に高さ1.5mの岩塊があり、その南に敷石平坦部が作られ、周囲から8世紀中葉~9世紀後葉の土器群、仏画線刻石製品1点が出土。敷石遺構は修験道の護摩壇と推測され、岩塊を祭祀対象にした平安京守護のための祭祀遺跡と考えられている。御堂ヶ池群集墳が近接。A古墳が近接山頂の自然の岩塊の前で石敷きの護摩壇を設けて都城守護の祭祀を行なう。
京都府BA磐座と石神の性格が混在している事例
梅ヶ畑遺跡 敷石遺構26京都府京都市右京区梅ヶ畑町丘陵頂部に高さ1.5mの岩塊があり、その南に敷石平坦部が作られ、周囲から8世紀中葉~9世紀後葉の土器群、仏画線刻石製品1点が出土。敷石遺構は修験道の護摩壇と推測され、岩塊を祭祀対象にした平安京守護のための祭祀遺跡と考えられている。御堂ヶ池群集墳が近接。BCD古墳が近接山頂の自然の岩塊の前で石敷きの護摩壇を設けて都城守護の祭祀を行なう。
さざれ石26京都府京都市右京区音戸山町 さざれ石山嵯峨天皇が好んで鑑賞したというさざれ石。EC
石椅子26京都府京都市右京区広沢町 児神社寛朝大僧正が広沢池のほとりで座禅をしていた時、傍らにいた子供(児神社祭神)が腰掛けていたという岩石。寿命・安産・縁結びに霊験があるという。CC休み石・腰掛石
児神社 岩石祭祀事例26京都府京都市右京区広沢町 児神社玉垣に囲われ、七福神が供えられている岩石。
広沢古墳 横穴式石室26京都府京都市右京区広沢町古墳時代の土器のほか、平安時代以降の素焼き土器や古銭などが見つかった。古墳石室を聖域空間として後世再利用したことが分かる。BCA遺物・遺構の再利用古墳の石室を中世の祭祀空間に再利用する。
広沢古墳 人面石/石神26京都府京都市右京区広沢町石室の横に建てられた木祠にまつられた石像。人面が彫られており、石室石材の転用ともいわれるが詳細沿革不明。A遺物・遺構の再利用
座禅石26京都府京都市右京区広沢町 遍照寺山寛朝大僧正がいつも座禅していた山腹の巨石。BCC
京都府C December 12, 2025
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@AmiHeartGlitter 一部の自民党幹部等は、創♀学会※
のニセ本尊を 拝んでいるようです。
※日蓮正宗から破門された一団
https://t.co/nPMJiL1Hxu
↑ニセ本尊が今 手元に有る場合
は、上記のように行って下さい! December 12, 2025
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なぜあの「猊下様」たちはフラフラだったのか?日蓮正宗信者が知らない、宗門トップ2人の驚くべき“無節操”な実態を暴露!あなたの信仰、本当に大丈夫ですか? #仏教 #宗教 #裏話
https://t.co/IWbXvavrfJ December 12, 2025
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@AmiHeartGlitter 一部の中国共産党員等は、創♂学会※
のニセ本尊を 拝んでいるようです。
※日蓮正宗から破門された一団
https://t.co/nPMJiL1Hxu
↑ニセ本尊が今 手元に有る場合
は、上記のように行って下さい! December 12, 2025
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@hinadesuyon 創価学会は日蓮宗ではありません。
日蓮宗から遥か昔に分かれた日蓮正宗から創価学会、顕正会、霊友会などが生まれています。
お寺の敷地に稲荷神社がある日蓮宗のお寺。沢山、見てきました。 December 12, 2025
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うちには小学館の50冊規模の児童文学全集が毎月配本されてきていて、かなり早いうち(たぶん小2頃)に日蓮の伝記を読んだのだが倭国史もろくに知らんのに偉人を知る順番としては1桁台で生涯を知ることになってしまった。いやしかしどこが偉いのかようわからん傲岸不遜な坊主としか思えなかったがな。 December 12, 2025
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三大秘法と五綱教判
末法の機縁は本より仏法を聞いたことのない本未有善の衆生である。末法において種々の宗派や経典は残っているが、ことごとくその正しい意義は失われ形骸化している。故に、小乗教・邪教によって世の中は大混乱を極めているのである。さらに、「 本未だ善有らざれば、不軽は大を以て強いて之を毒す」(同ページ)と述べ、過去の不軽菩薩のような聖者が現れて、大乗により衆生の機を激発させると予言した。大聖人は 「教行証御書」に、「今末法に入っては教のみ有って行証無く在世結縁の者一人も無し。権実の二機悉く失せり。此の時は濁悪たる当世の逆謗の二人に、初めて本門の肝心寿量品の南無妙法蓮華経を以て下種と為す」(御書一一〇三ページ) と、大断の決定をされている。まさに、この末法の機縁は「是好良薬今留在此」の大正法によって救済される、本未有善の衆生なのである。続いて「種脱を詳らかにする」ための二は教主、すなわち仏の体相についてである。釈尊仏教一代の諸仏は、すべて色相荘厳の尊形である。これは、熟益・脱益の衆生は本已有善であり、これに対する教主は必ず、その身を厳る必要がある。故に方便品に、「我相を以て身を厳り 光明世間を照す 無量の衆に尊まれて 為に実相の印を説く」(法華経一一一ページ)とあり、これについて天台は『文句』巻四に、「身相炳著にして光色端厳なり(中略)衆の為に尊まれて(中略)則ち信受すべし」(文句会本上七三六ページ)と述べた。すなわち、色相荘厳でなければ熟益・脱益の衆生は心に軽蔑・慢心を生じ、以前に植えられた下種の善根を破る損失がある。故に、その身を荘厳し、衆生をして信頼し信受させる。宿善を熟し度脱させるために、熟説の教主は必ず色相荘厳、金色三十二相の形相なのである。しかるに、下種の教主が本未有善の衆生を利益するのは順縁でなく逆縁を面とする。故に、外相を見て心に軽蔑・慢心を生じるとも、宿善を破する損失がなく、かえって逆縁を結ぶ利益がある。したがって、下種の教主は色相荘厳がなく、ただ凡身の当体当相である。さて、釈尊一代仏教中の化導には、小乗・大乗、権教・実教等の、まことに多種の教えの内容があり、 それぞれの衆生の機において、あるいは小乗、あるいは大乗、あるいは方等の経々、般若の軽々等のいずれかを聞き、悟りを求めて発心することは実に無量である。しかし、その発心は真実の成仏の法でなく、 方便の法や完全でない法によるものであるから、単に個人の道心のみに基づく発心の上の下種、すなわち発心下種なのである。故に、成仏のための法を基準としての聞法下種は、一往の意において法華円教すなわち法華経迹門であり、次に脱益本門である。しかし、これは熟脱仏法の段階においてのことであり、真実の仏種は、脱益本門の文底にましますのである。これを、大難を超克して開導されたのが、下種の教主日蓮大聖人である。『開目抄』に、「一念三千の法門は但法華経の本門寿量品の文の底に秘してしづめたまへり」(御書五二六ページ)とあり、また『秋元御書』に、
「三世十方の仏は必ず妙法蓮華経の五字を種として仏に成り給へり」(同一四四八ページ)
と説かれている。故に、文底下種の大法を基本として判ずるとき、根本の聞法下種は久遠元初名字の妙法であり、釈尊一代、大小、権実、本迹、熟説の化導は、発心下種に一括されるのである。すなわち、熟益・脱益の教主、色相荘厳の化導は発心下種であって真の聞法に至らず、下種の教主名字凡身の化導が真実の聞法下種である。 続いて「種説を詳らかにする」ための三は所説の法体、すなわち種と脱に関する在世と末法の同異である。これについて、種脱体同論者は種脱の法は一体であるとする。在世の脱益は化導の終わり、末法下種は化導の初めで、秋の菓を、翌年春の種となす故に、菓は、すなわち種であって別体ではない。故に、在世化導の終わりの脱益の一品二半の法体をもって末法化導の下種の法体となすのであり、種脱の法体に異なりはないと言うのである。これは、脱益の法相による法体と、下種の法相による法体は、おのずから異なることに迷うものである。脱益は、蔵・通・別・円、頓・漸・秘密・不定等、四十余年の方便の教益を経たあと、法華経の迹門十妙・本門十妙の内容の施化で、衆生に十信乃至、等覚までの利益を与える。これが脱益の化導である。在世の衆生が等覚一転して名字妙覚を悟る内証の寿量品は種子の法体であり、脱益の化導の表に出ていない。これは、種子が果実にくるまれて見えず、籾が食用となる白米とは別個のようなものである。仏は白米の一品二半を、在世衆生に与えて法身の慧命を開かせ、籾の妙法五字を本化の菩薩に付嘱して末法の衆生の種子とされた。また果の実は、よく熱を除き、喉を潤す。仏は果実の一品二半を在世の衆生に与え、無明の熱を除き、法性の喉を潤わせて脱益を成じ、また仏は果実の種子、妙法五字をもって本化の菩薩に付嘱し、末法の衆生の心田に下す。故に「彼は一品二半、此は但題目の五字」と言う。「彼は一品二半」とは釈尊の在世本門脱益の体を示し、「此は但題目の五字」とは末法出現の日蓮大聖人の下種本門の体を顕す。故に、在世末法種脱の法体は明了に異なるのである(次の本同益異については 「種・熟・脱」の項二九四ページ以下を参照)。第三に、この種脱の相違によって末法の正しい「本尊を詳らかにする」とは、すなわち末法において釈尊等の色相荘厳の仏像を造立して本尊となすことの誤りを示すのである。
(一)に、釈尊は久遠に下種し、大通に結縁し、インドにおいて本より垂迹し、爾前迹門を説かれ、 機縁が熟したのち、本門寿量を説いて、久遠よりの衆生を度脱された。その色相荘厳の尊形は在世脱益の教主であり、末法の下種の本尊ではない。
(二) に、機縁について、在世は本已有善の機であるから色相荘厳の仏との縁は、はなはだ深い。今、末法は本未有善の衆生であり、色相荘厳の仏に三徳の縁は浅いのである。故に、末法の本尊とすべきではない。
(三)に、人法の関係において、色相荘厳の仏は所生、法は能生であり、法は勝れ人は劣る。『本尊問答抄』の、「法華経は釈尊の父母、諸仏の眼目なり。釈迦・大日総じて十方の諸仏は法華経より出生し給へり。故に全く能生を以て本尊とするなり」(御書一二七五ページ)
の金言のように、色相荘厳の仏をもって本尊となすべきではない。また、大聖人の御化導は、妙法大漫茶羅御本尊を顕し給うところに、その眼目がある。故に 『経王殿御返事』に、「此の曼荼羅能く能く信じさせ給ふべし(中略) 日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」(同六八五ページ) と示され、『妙法曼陀羅供養事』には、「此の曼陀羅は文字は五字七字にて候へども、三世諸仏の御師、一切の女人の成仏の印文なり(中略) 生死海の船なり。成仏得道の導師なり」(同六八九ページ)と仰せられた。これらの文のなかに、種脱相対して文底下種の妙法を大漫茶羅に顕し給うことが明らかに拝される。また、宗祖一期の御化導の形跡や諸文からも、大漫茶羅を末法下種の御本尊と定め給うことが明らかであり、ここに末法下種の御本尊が厳として存する。次に、日蓮大聖人の御影像を造立して本尊と崇め奉る意義を拝する。
(一)に、大聖人は下種の教主である。末法は本未有善の衆生であり、文底妙法五字をもって下種し「而強毒之」し給う故である。
(二)に、大聖人は末法の衆生に主・師・親三徳の縁が深い故である。『開目抄』に、「日蓮は倭国国の諸人に主師父母なり」(同五七七ページ) とあり『一谷入道女房御書』に、「日蓮は倭国国の人々の父母ぞかし、主君ぞかし、明師ぞかし」(同八三〇ページ) と仰せられ、また、この意義内容を実証する化導が明らかである。故に、大聖人は主・師・親三徳の聖者であり、御本尊と崇め奉るのである。
(三)に、大聖人は久遠元初下種の妙法蓮華経と一体の尊体であり、すなわち人法体一である故に御本尊と崇め奉る。『百六箇抄』に、「名字の本因妙は本種なれば本なり、本果妙は余行に渡る故に本の上の迹なり。久遠の釈尊の口唱を今日蓮直ちに唱ふるなり」(同一六九四ページ) 「我が内証の寿量品とは脱益寿量の文底の本因妙の事なり。其の教主は某なり」(同一六九五ページ)と示され、また『本因妙抄』には、「仏は熟脱の教主、某は下種の法主なり」(同一六八〇ページ)と示し給うのである。
以上、『本尊抄』五重三段、特に文底下種三段の大意を拝述した。さらに、 広くは八宗十宗の教判・教旨を弁え、その正邪の所以を明らめることが「教」を知ることである。大聖人は一切の教法を総合網羅して、その正しい筋道を明らめ給い、これを各御書に教示されているのである。
第六十七世日顕上人著
『三大秘法義』より
https://t.co/QgmNC4IU9a December 12, 2025
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@AmiHeartGlitter 一部の中国共産党員等は、創♀学会※
のニセ本尊を 拝んでいるようです。
※日蓮正宗から破門された一団
https://t.co/nPMJiL1Hxu
↑ニセ本尊が今 手元に有る場合
は、上記のように行って下さい! December 12, 2025
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