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寺院
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2025.11.23 22:00
:0% :0% (20代/女性)
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筑紫野もみじ祭りで演奏させて頂きました✨
九州最古の寺院として知られている
武蔵寺で演奏させて頂けて
とても有難い経験となりました😊
CATVの取材もあり、
JR九州ウォーキングのイベントもあり
たくさんの方に足を止めて頂けました🎵
主催の柴尾真理さんと📸✨
ありがとうございました😊 https://t.co/aloQ9S5KDT November 11, 2025
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自己肯定感が低い人ほど、なんだか一発逆転を狙いたがるような気がするんですよね。やっぱり今の自分を全て破壊して、まったく別の存在として生まれ変わりたいじゃないですか…え?違う…?そんな…(´・ω・`)
自己肯定感の低い人は「今の自分には価値がない」と思い込んでいるので、今の延長線上ではうまくいかないと感じちゃってるんですよね。その結果「非連続のジャンプ」=「一発逆転」を狙うような気がします。
そもそもこういう人って、自分の努力や小さな成長に気づけないクセがあると思うんですよね。
何か達成しても「大したことない」と思っているので、多分、タイの寺院に一人でいって修行を終えても「こんなものか…(´・ω・`)」と思ってしまうと思うんですね。
そして、努力してもダメだった場合、それは自分の無能さの証明になるじゃないですか…た、耐えられない!!!( ;∀;)
とはいえ人生に一発逆転はないので…(´・ω・`)
「小さく勝ち続けること」が一番大事だと思うんですよ。
いきなり大きな一発逆転を狙うのではなく、まずは自分が圧勝できるところから初めて、肯定感を回復させて、徐々に(←ここがポイント)難しい勝負に出ていくのがいいかと思いました。 November 11, 2025
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安倍晋三元首相銃撃事件の公判では、複数の新宗教研究者(特に欧米の宗教学者)が、被告の母親に関する証言や報道のあり方に注目しています。
彼らが指摘するのは、母親の献金問題が「事件の背景」として語られる際、本来の文脈から切り離され、特定の宗教団体(世界平和統一家庭連合=旧統一教会)を一方的に悪者とする物語に再構成されている可能性がある、という点です。
裁判で明らかになった主な事実として、以下の3点が挙げられます。
1. 母親が2000~2002年頃に約1億円を献金したが、2004~2006年に約5000万円が親族の請求により返金され、残額についても分割返済が履行されていた(2024年11月公判での証言)。
2. 献金行為の大部分は事件の約20年前に終了しており、時系列的に大きく離れている。
3. 2009年、被告の叔父が代理人となり、家族全員が教会と和解合意書を結び、「今後一切の請求をしない」と明記していた(同合意書は裁判で提出済み)。
これらの事実は事件直後の報道ではほとんど触れられず、結果として「献金による家庭崩壊→山上被告の犯行」という単純化された因果関係が広く定着しました。しかし公判が進むにつれ、上記のような返金・和解の経緯が次々と明らかになり、研究者の間では「選択的記憶」「モラル・パニック」の典型例として分析されています。
ここで重要なのは、統一教会に問題がなかったと主張することではなく、以下の2点を冷静に区別することです。
・教会の献金勧誘や対応に批判すべき点があったとしても、それが「全く関係のない第三者である安倍元首相を標的にする理由」として直結するわけではないこと
・殺人という究極の加害行為の責任は、実行した被告本人に帰属するという法の大原則を崩してはならないこと
被告は教会の信者ではなく、むしろ教会を強く憎悪していた人物です。母親の過去の信仰を理由に、無関係の人物を攻撃した行為を「理解できる動機があった」と位置づけることは、暴力の連鎖を招く危険な先例になりかねません。
仮に同じ構図を他の団体に置き換えてみれば、その偏りはより明確になります。
例えば「親が熱心な仏教寺院の檀家だった」「特定の新興キリスト教団体に献金していた」といったケースで、子が第三者を殺害した場合、親が属していた宗教団体がここまで組織的に非難の対象となるでしょうか。
公判はまだ続きますが、今後出てくる証拠や証言に対しても、
「事実と時系列を丁寧に確認する」
という、ごく基本的な姿勢をメディアも市民も保つことが求められています。
それが、感情的な物語に流されず、再び同様の悲劇を繰り返さないための最低限の条件だと考えます。 November 11, 2025
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こんばんは♪
中津城フォーラム町長、松下哲也ジュニアです🏯
きょうは、“響きで刻む城下の時間”――中津藩の鐘守(かねもり)と寺の時鐘(じしょう)文化についてお話しします🤗
⸻
江戸時代、中津城下には複数の寺があり、それぞれの寺で朝と夕方に鐘が打たれました。
人々は時計を持たず、鐘の音こそが一日のリズム。
寺の鐘は「宗教施設のもの」というより、“町の時報塔”の役割を果たしていたのです。
中津藩では、城下の中心に位置する寺院に**鐘守(かねもり)**が置かれ、
藩から「何刻(なんこく)に何回撞く」という細かな指示が出されていました。
特に冬は夜明けが遅く、夏は早い。
鐘守は空の色や湿気の変化を読み、
「藩の時刻」と「自然の時刻」を一致させる技術が必要とされました。
鐘の材質は青銅、表面には梵字や年号が刻まれ、
鐘の内部には“撞き傷”が幾重にも広がっています。
これは毎日欠かさず鐘を打った証であり、
まさに中津城下の“生活の履歴書”と言える存在です。
鐘守の職務は、ただ鐘を鳴らすだけではありません。
湿度が高い日は音が伸びにくく、逆に乾燥すると響きすぎるため、
撞木(しゅもく)の角度、力の入れ方を緻密に調整したと伝えられています。
この調整がうまくいくと、
鐘の音は山国川を越えて城下全体に広がり――
中津の朝は、どこよりも穏やかな音色で始まりました。
また、鐘の音は合図としても使われました。
火事のときは連打、洪水の時は長打、
伝染病の警戒時には特別な間隔で打つなど、
鐘は「防災情報」を伝える重要な役目も担っていました。
現代で言えば“町内放送”に近い存在です。
城下の商家では、鐘の音で店を開け、
農家では鐘で田畑への出発を決め、
寺子屋でも鐘の音で授業が始まりました。
中津の生活は、まさに“鐘の波紋”の上に成り立っていたのです。
明治に入り、近代的な時計塔の普及で鐘守の役目は終わりますが、
中津市内のいくつかの寺には、今も美しく残る古鐘があります。
触れると冷たく、重く、しかし確かに人々の生活を守り続けた重みが伝わってきます。
⸻
次に中津城周辺を歩くときは、
ぜひ近くの寺の鐘楼(しょうろう)を見上げてみてください。
その鐘は、かつて城下の朝を告げ、災いを知らせ、人々の暮らしを整えた“音の守護者”。
静かな響きの奥に、中津の時間が流れていたことを感じられるはずです。
以上、中津城フォーラム町長、松下哲也ジュニアがお送りしました!
また明日のポストもお楽しみに🤗
#中津城 #デジタル城下町プロジェクト
Photo by 松下哲也ジュニア November 11, 2025
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はしってると線路跡みたいのあるなぁとおもったら、釧路からの簡易軌道:鶴居村営軌道は道路整備されたので1968年に廃線。雄別鉄道は15000人いたのに炭鉱がつぶれ1970年に廃線。役所、警察、郵便局、病院、映画館、小・中学校、寺院、神社などの施設は数か月のうちに閉鎖。とからしくてすごい…。 November 11, 2025
#OceanBlue
多度津町の 經納山迦毘羅衛院海岸寺からの瀬戸内海です🌊
さぬき浜街道(香川県道21号)を走っていると見えて来る寺院で本坊からすぐ屏風ヶ浦海岸、瀬戸内海を見渡すことができます😊
海岸寺は本坊と奥之院がありますが分断されている為、400m程離れていますが二重塔等の見所が多いです☺️ https://t.co/pDurChwxLp November 11, 2025
@kakezukuri ただでさえ山奥だと参拝者が減少→維持するのが難しくならないかと心配になります😓
檀家さんがいないような寺院のほうが多いので、訪れた際には御布施代わりに御賽銭は紙幣で置いてきますが... November 11, 2025
@QryBI8h2icBAoF6 @DAIMATSU120 奈良は寺院だらけですからねw
そうなんですよ、びっくりするぐらいの迫力ありました
私も昔から大神さんと橿原神宮でしたが、近年は人混みが凄いので地元の寺院にしてます😅 November 11, 2025
…沖縄戦の遺体、遺骨が今も未回収多く、その中に兵庫から赴任した知事もおいでなのにね
非仏教地域で観光地となってる古い寺院で露座の仏像の肩抱いて記念撮影する観光客を見かけた時よりも不愉快になりました https://t.co/PfdL17VP1K November 11, 2025
昨日はクラスメイトと無事にドイステープ(チェンマイの山の上の寺院)に到達して、今日は夕方まで眠り続けた娘。無限にはしゃいだ体験を共有してもらい、なぜか懐かしい感情を覚える父。これが老後の楽しみ方。 https://t.co/HiE6J07xRp November 11, 2025
第9話この旅もあと少しなのか……
寺院でジイッと仏様に見入っていたくるまさんの横顔が印象深い
そして忍犬たち!
#せかはて
#アベマキャンペーン
#9:くるまVSひろゆき…相部屋でトラブル発生!? @ABEMA で無料配信中 https://t.co/w1E6OHOFb1 November 11, 2025
今日は朝一☀️伏見稲荷⛩️東福寺と
激混みポイントを制覇!
その後醍醐寺方面へ🚗
泉涌寺と随心院はお初でしたが
とっても素敵な寺院でした🥰
〆にハラミちゃんも訪れた🐎⛩️
藤森神社を参拝して本日は終了🙏 https://t.co/DLnIYbiZo8 November 11, 2025
【黄梅院】
織田信長や豊臣秀吉にゆかりがある、苔と紅葉の取り合わせが美しい大徳寺の塔頭寺院。
千利休作庭の苔一面の庭園「直中庭」や、苔と白砂敷の「破頭庭」では紅葉が見頃に🍁
他の場所の色づきもこれから楽しみです😃
今年から特別公開期間中の写真撮影が可能になりました📷
#京都紅葉 #kyoto https://t.co/KRsLZpPq1t November 11, 2025
了解しました。
では これまで一度も扱っていない全く新しいテーマ を選び、
あなたの期待に応える “100%の力” で、今日のポストをお届けします。
今回の新テーマは――
🔔 中津藩の「寺の鐘守(かねもり)」と“時を知らせる鐘”の文化
(寺の鐘・鐘守を中心テーマにした記事は、これまで一度も扱っていません)
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こんばんは♪
中津城フォーラム町長、松下哲也ジュニアです🏯
きょうは、“響きで刻む城下の時間”――中津藩の鐘守(かねもり)と寺の時鐘(じしょう)文化についてお話しします🤗
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江戸時代、中津城下には複数の寺があり、それぞれの寺で朝と夕方に鐘が打たれました。
人々は時計を持たず、鐘の音こそが一日のリズム。
寺の鐘は「宗教施設のもの」というより、“町の時報塔”の役割を果たしていたのです。
中津藩では、城下の中心に位置する寺院に**鐘守(かねもり)**が置かれ、
藩から「何刻(なんこく)に何回撞く」という細かな指示が出されていました。
特に冬は夜明けが遅く、夏は早い。
鐘守は空の色や湿気の変化を読み、
「藩の時刻」と「自然の時刻」を一致させる技術が必要とされました。
鐘の材質は青銅、表面には梵字や年号が刻まれ、
鐘の内部には“撞き傷”が幾重にも広がっています。
これは毎日欠かさず鐘を打った証であり、
まさに中津城下の“生活の履歴書”と言える存在です。
鐘守の職務は、ただ鐘を鳴らすだけではありません。
湿度が高い日は音が伸びにくく、逆に乾燥すると響きすぎるため、
撞木(しゅもく)の角度、力の入れ方を緻密に調整したと伝えられています。
この調整がうまくいくと、
鐘の音は山国川を越えて城下全体に広がり――
中津の朝は、どこよりも穏やかな音色で始まりました。
また、鐘の音は合図としても使われました。
火事のときは連打、洪水の時は長打、
伝染病の警戒時には特別な間隔で打つなど、
鐘は「防災情報」を伝える重要な役目も担っていました。
現代で言えば“町内放送”に近い存在です。
城下の商家では、鐘の音で店を開け、
農家では鐘で田畑への出発を決め、
寺子屋でも鐘の音で授業が始まりました。
中津の生活は、まさに“鐘の波紋”の上に成り立っていたのです。
明治に入り、近代的な時計塔の普及で鐘守の役目は終わりますが、
中津市内のいくつかの寺には、今も美しく残る古鐘があります。
触れると冷たく、重く、しかし確かに人々の生活を守り続けた重みが伝わってきます。
⸻
次に中津城周辺を歩くときは、
ぜひ近くの寺の鐘楼(しょうろう)を見上げてみてください。
その鐘は、かつて城下の朝を告げ、災いを知らせ、人々の暮らしを整えた“音の守護者”。
静かな響きの奥に、中津の時間が流れていたことを感じられるはずです。
以上、中津城フォーラム町長、松下哲也ジュニアがお送りしました!
また明日のポストもお楽しみに🤗
#中津城 #デジタル城下町プロジェクト
Photo by 松下哲也ジュニア November 11, 2025
布引観音釈尊寺を参拝。
山と谷が入り組んだ傾斜が急な参道を登ると突如現れる寺院と崖にそびえ立つ観音堂。それも相まって観音堂から望む景色から気分は某フロムゲーにでてくる国に行った気分でしたわ。 https://t.co/JjmDR1T89k November 11, 2025
行ったことない国の知らない街に行って、地図もセルも使わないで旅するルマ見たい
有名な観光地に行きつけなくて、地元の小さなお祭りとか市場とか名のない寺院とかに立寄って一緒の写真を撮る
ルスが小さなバーでピアノを弾いて隣でマヴが歌ってる動画がSNSに上ってバズるし関係者は生温く笑う November 11, 2025
三千院
大原の里を望む高台にあり、代々皇子•皇族が住職を勤める天台宗の門跡寺院✨大原は「声明」発祥の地でもあります🎵
彩り豊かな紅葉が美しく、そろそろ散り紅葉が見れそうな感じでした🍂
2025.11.21
#京都 https://t.co/0XsoljmnFt November 11, 2025
🚨🇨🇳 衝撃の火災。
たった“1人の観光客”の不注意で寺院が全焼。
鳳凰山の文昌閣が、
観光客がロウソクや線香を不適切に扱ったことで数分で灰に。
三階建ての建物は炎にのみ込まれ、
2009年に建てられた寺院が跡形もなく消滅。
幸い犠牲者はいなかったものの……
“たった一人の不注意”で、
何千人が平穏を求めて訪れた聖地が消えた。
これってもう
文化遺産を守っているんじゃなくて、
**“時限爆弾の上に立ってる”**ようなものじゃない?
世界中で起きるこの問題、
どこまで許されるの? November 11, 2025
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