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家畜
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2025.11.24 16:00
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30年くらい前ウーマンリブとかいうネーミングが流行ったときに「牛や豚がある日突然私たちは家畜として扱われるのは嫌なんですと云い出しても困惑しかない」って文字列が出現して「うっひょお」って思ったんだけど、令和になっても未だそのレベルのままだとは思わなかったよね。 https://t.co/SlxhNgGW4O November 11, 2025
本当これ。実働は女にさせるくせに、その成果は男達のものにする。
さらに、男のミスを女性部下のせいにしたりしている。女性部下の知らないところでね。昔いた組織ではそれが嫌で辞めて行った若い女性が何人かいた。彼女たちは早く辞めて正解だった。
男にとって、女は男たちのいいように扱える家畜でしかないんだよね。2025年の令和になってすら。いまだに。 November 11, 2025
家畜の豚とか言う他人を見下してばかりの人がお上品()
東明館の人に反応してるってことは佐賀の人かな?佐賀で高級住宅街と言うと城周辺よね?
緑小路とかなら息子さんもしかして成章中?書きぶり的に中受して行く学校じゃなさそうだし https://t.co/WHsz3WoVdd https://t.co/a3Enzucu9v November 11, 2025
(独自の訳)
心の奥の深層の欲望が滅した後のような静寂を求めて、
真剣に求道すること。
家畜のような怠惰な生活を止めること。
よく真理を読む(当時は聞くしか無かった)生活を
心掛けること。
常に、あるがままの今を正視することを意識すること。
コノ世のあらゆることをよく見聞きし、よく理解し、
自分の中に確固たる信じるものを得て、勇敢に自分の
信じる道を行くこと。
以上のようにして、どんな交わり、集団の中に自分が
居ましても、自分一人で歩く覚悟を持ちなさい。
まるで1本角(ツノ)が立つサイのように一人で歩みなさい。
【原始仏典『スッタニパータ』第1章 3節 No.70】
欲望が満たされた直後に、ふっと心が静かになる
瞬間があります。
あの一瞬の“静けさ”は、実は求道の中で日常的に
味わえるものです。
「涅槃」という字を見れば、どこか “快い” という
感覚を連想するかもしれません。
しかし、仏さまのいう快楽とは、身体の刺激ではなく、
心が自由になったとき自然にあふれてくる、深い
安心感・よろこび のことです。
刹那の快楽はすぐ消えてしまいますが、心の学びは、
その何倍も長く続く「満ち足りた感覚」 を与えます。
そして、私たちは気づけば「食べて、寝て、働いて…を
ただ繰り返す家畜のような毎日」になってしまう
ことがあります。
心は死にませんが、からだは時間に限りがあります。
だからこそ、「限られた時間だから、大切に使おう」
という思いが、人生を前向きにしてくれます。
「本当に正しいことは何か?」「真実とは何か?」
そんな問いを持ち続ける心は、老いません。
好奇心こそ若さの源。
それがそのまま “求道” のはじまりです。
そして、悟りの入口はとてもシンプルです。
過ぎた過去にも、まだ来ない未来にも住まないこと。
「いま、ここ」に心を置くこと。
浄土真宗の言葉でいえば、“今の私のまま、大悲心の
阿弥陀さまに抱かれている”と気づいて今を懸命に
生きることです。
ただし、悟りを求めるからといって世間を避ける
必要はありません。
ニュースも現実も、人との関わりも、全部この
“いのちの舞台”。
「見てやろう、聞いてやろう」という開かれた姿勢の上で、
自分の中に一本の軸=信じる道 を持つことが大切です。
ただの「修行バカ」でも「信仰だけの人」でもなく、
現実に立ちながら、仏のまなざしで世界を見て今を生きる。
損か得かではなく、嘘か誠か、計らいか自然か、
結果主義かプロセス主義か、表面的か本質的か、
仏の眼差しは常に自分を真実へと導いてくれています。
今日もより良く生きる智慧を与えて頂いて有難うございます。
皆さんの仕合せを心より念じております。 November 11, 2025
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