宮崎駿 トレンド
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2025.11.30
:0% :0% (40代/男性)
宮崎駿に関するポスト数は前日に比べ23%減少しました。男性の比率は5%増加し、本日も40代男性の皆さんからのポストが最も多いです。前日は「高畑勲」に関する評判が話題でしたが、本日話題になっているキーワードは「細田守」です。
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
『もののけ姫』のラストシーンで1匹だけ登場するコダマは、成長するとトトロに変化するという裏設定があります。
アニメーターの二木真希子さんが提案したもので、宮﨑駿監督はその案を採用しました。
https://t.co/wYxhdbEPqg https://t.co/emBGa1ulss December 12, 2025
30RP
細田監督、男の子の描写は艶かしくて色っぽいのに女性キャラには魅力を感じないので、本気で振り切って耽美系BLを作られたら凄い評価されそう
メディアでポスト宮崎駿監督みたいに言われてる立場で難しいだろうけど…… https://t.co/6mEpJVNIUC December 12, 2025
21RP
よくこんな作品を作ったものだ!
細田守監督の新作
『果てしなきスカーレット』を見た
精神科医である私の率直な感想。
賛否両論、
というか圧倒的に酷評されている感が
強い本作です。
しかしながら私は、
大きなチャレンジであり、
「よくこんな作品を作ったものだ!」
と思うのです。
先行きが見えない今の時代に、
ヒット作を連発してきたクリエイターが
取り組むべきテーマは、
この時代を「どう生きるか?」
君たちは「どう生きるか?」
しかないのですから。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
以下、ストーリーも含めて、
ネタバレ的な内容を含みます
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
本作を難解、わからない
という人もいますが、テーマはとても単純。
10文字で説明できます。
>「生きる」とは何か?
スカーレットのように、
もがき、苦しみながら自分で考えよう。
ということです。
だから、本作には「答え」はありません。
自分で考えて、空白を埋めることで、
作品が完成するのです。
本作を、「夢落ち」と思ってしまった人は、
とても残念です。
本作は、「自己洞察」の作品でもあります。
自分の意識に深く潜り、
もがき、苦しみながら、自己洞察し、
「気付き」を得ることで、
自分のトラウマを手放すことに成功する。
自分自身が、自分を救済するのです。
異世界の冒険譚というよりは、
自分の内面世界への冒険です。
生と死、過去と未来が交わる場所。
「あの世」のような異世界。
心理学では、
「集合的無意識」と呼ばれます。
自分の意識に深く潜り、
無意識を超えたその先、
さらに深い部分に人類共通の無意識がある。
という心理学者ユングの説です。
本作の異世界には、
世界中の様々な人種や文化が描かれていました。
そして、復讐心、恨み、憎しみ、怒り、攻撃心、猜疑心。
といったあにゆるネガティブ感情。
愛、救い、助け合い、協力、癒やし、犠牲、赦し。
満面の笑顔。といった、あらゆるポジティブ感情。
あらゆる感情、喜怒哀楽が入り交じって、
描かれていました。
「集合的無意識」的に考えると、
スカーレット、クローディアス、聖(ひじり)らの
個別のキャラクター、エピソードよりも、
そこに全人類の善と悪、喜怒哀楽。
何度も繰り返されてきた戦争の歴史などが
全て「象徴」されるのです。
特に
クローディアスは「絶対悪」
聖は「絶対善」を象徴しているでしょう。
聖のような献身的な人間はいるはずがない、
という批判もありそうですが、いるはずがありません。
聖(ひじり)=セイント=聖人
つまり、「天使」のような存在として
象徴的に描いているのですから。
なので、
毒を飲んで意識不明の昏睡状態で見た夢、
というよりは、自分の意識の中で、
「集合的無意識」まで降りていき、
「ゆるし」の意味を理解し、自らを「ゆるし」
自らのトラウマを自己治癒した。
自己治癒と自己成長の物語ととらえると、
ワクワクせずには見られないわけです。
そして、その「自己治癒」のスキーム(枠組み)は、
スカーレット一人の体験ではなく、
すべてのメンタル疾患の患者さんや、
すべてのネガティブ思考の強い人。
すべての過去やトラウマに囚われている人に
援用可能なわけですから、
精神科医としてワクワクせずには、いられないのです。
メンタルを自分で癒やす方法の
エッセンスが詰め込まれています。
否認→怒り・攻撃→受容→感謝
です。
細田監督が、欧米での公開を意識したかはわかりませんが、
聖書の影響を強く感じました。
天国に続く「ヤコブのハシゴ」。
圧倒的な力を有する巨大な龍は「神」。
鎖で閉ざされた扉の前のシーンは、
「最後の審判」です。
結局のところ、
事実を「プラス」にとらえるか、
「マイナス」 にとらえるのか。
自分の認知、認識次第で現実が変わる!
決めるのは、自分。
全ては、自分次第!
という展開は、アドラー心理学的でもあり、
私の動画でも良く言う話なので、
非常に強く共感します。
トラウマを作り出すのは自分であり、
トラウマを解消するのも、
自分にしかできないのです。
本作とすごくそっくりな作品があります。
それは、宮崎駿監督の『よくこんな作品を作ったものだ!
細田守監督の新作
『果てしなきスカーレット』を見た
精神科医である私の率直な感想です。
賛否両論、
というか圧倒的に酷評されている感が
強い本作ですが、
大きなチャレンジであり、
「よくこんな作品を作ったものだ!」
と思うのです。
先行きが見えない今の時代に、
ヒット作を連発してきたクリエイターが
取り組むべきテーマは、
この時代を「どう生きるか?」
君たちは「どう生きるか?」
しかないでしょう。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
以下、ストーリーも含めて、
ネタバレ的な内容を含みます
本作を難解、わからない
という人もいますが、テーマはとても単純。
10文字で説明できます。
>「生きる」とは何か?
スカーレットのように、
もがき、苦しみながら自分で考えよう。
ということ。
だから、本作には「答え」はない。
自分で考えて、空白を埋めることで、
作品が完成する。
本作を、「夢落ち」と思ってしまった人は、
とても残念だ、
本作は、「自己洞察」の作品でもある。
自分の意識に深く潜り、
もがき、苦しみながら、自己洞察し、
「気付き」を得ることで、
自分のトラウマを手放すことに成功する。
異世界の冒険譚というよりは、
自分の内面世界への冒険である。
生と死、過去と未来が交わる場所。
「あの世」のような異世界。
心理学では、
「集合的無意識」とも呼ばれます。
自己洞察をしながら、
自分の意識に深く潜り、
無意識を超えたその先さらに深い部分に
人類共通の無意識がある、
という心理学者ユングの仮説である。
本作の異世界には、
世界中の様々な人種や文化が描かれていた。
そして、復讐心、恨み、憎しみ、怒り、攻撃心、猜疑心。
といったネガティブ感情。
愛、救い、助け合い、協力、癒やし、犠牲、赦し。
満面の笑顔。といった、ポジティブ感情。
あらゆる感情、喜怒哀楽が入り交じって、描かれています。
「集合的無意識」的に考えると、
スカーレット、クローディアス、聖らの個別の
キャラクター、エピソードよりも、
そこに全人類の善と悪、喜怒哀楽。
何度も繰り返されてきた戦争の歴史などが
「象徴」される。
クローディアスは「絶対悪」
聖は「絶対善」を象徴している。
聖のような献身的な人間はいるはずがない、
という批判もありそうだが、いるはずはなかろう。
聖(ひじり)=セイント=聖人
つまり、「天使」のような存在として
象徴的に描いているのですから。
なので、毒を飲んで意識不明の昏睡状態で見た夢、
というよりは、自分の意識の中で、
「集合的無意識」まで降りていき、
「ゆるし」の意味を理解し、自らをゆるし、
自らのトラウマを自己治癒します。
自己治癒と自己成長の物語ととらえると、
ワクワクせずには見られない。
細田監督が、欧米での公開を意識したかはわかりませんが、
聖書の影響を強く感じました。
天国に続くヤコブのハシゴ。
巨大な龍は「神」。
鎖で閉ざされた扉の前のシーンは、
「最後の審判」です。
結局のところ、
事実を「プラス」にとらえるか、
「マイナス」 にとらえるのか。
自分の認知、認識次第で現実が変わる!
決めるのは、自分。
全ては、自分次第!
という展開は、アドラー心理学的でもあり、
私の動画でも良く言う話なので、
非常に強く共感します。
トラウマを作り出すのは自分であり、
トラウマを解消するのも、自分にしかできないのです。
本作とすごくそっくりな作品があります。
それは、宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』です。
エンタメ性の高い冒険活劇ファンタジーを作ってきた
宮崎監督にしては、抽象度が非常に高く、
「よくわからない」「難解」と思った人も多いはず。
宮崎作品としては、評価は非常に低かった。
『君たちはどう生きるか』のテーマは
本作と同じです。
>「生きる」とは何か?
>自分で考えよう!
というものでした。
「よくわからない」「理解できない」
という理由で、★1つの評価をつける人は、
「自分で考える」ことを完全に放棄しているようで、
非常I"残念"としか、言いようがありません。
わからなくていいのです。
>「生きる」とは何か?
というチョーーー難解な問題に関して、
すぐに答えを出せる人など、
そうそういないのですから。
「自分で考える」ということが重要。
だから、もっと考えて欲しい。
今の時代、自分で考えないから。
考えることを、すぐに放棄してしまう。
だから、本作の評価が低いのは、
しょうがないとも言えます。
私も
『果てしなきスカーレット』
『君たちはどう生きるか』
全く同じテーマの本を、私も書いています。
『19歳までに手に入れる 7つの武器』(幻冬舎)
です。
生きづらさを感じる今の時代、
どう生きるのか?
10代の中高生に自分で考えて欲しい。
そのヒントをまとめた本です。
案の定、あまり売れていません(笑)。
なぜならば、
明確な「答え」が書かれていないから。
そして、自分で考えられない人が、
ほとんどだから。
『果てしなきスカーレット』
『君たちはどう生きるか』
にも「答え」はないのです。
「答え」は、自分自身で見つけて欲しいから。
自分自身で見つけないと意味がないから。
「ヒント」と「手掛かり」はたくさんあります。
でも「答え」=「"自分"の生き方」は、
"自分"で見つけるしかないのです。
それを、映画を見た直後に「わかりません」。
と白旗を上げるのは、あまりも残念です。
今の時代、
「考える力」を失っている人が多すぎる!
そろそろ自分で「考える」ことをしていかないと、
本当にヤバいことになるでしょう。
AIや他人に支配されるだけですから。
「生きるとは何か、自分で考えろ!」
宮崎駿が挑戦して失敗したテーマに、
改めて細田監督が挑戦した。
だから
>よくこんな作品を作ったものだ!
と思ったのです。
ですから私は、
細田監督の挑戦を100%支持します。
いや、1000%支持します。
いや、倭国で一番、支持します!!
「自分で考える」ことを放棄したら、
人生終了です。
もっと、自分の頭を使って、自分で考えて欲しい。
生きるとは、何か?
人間とは、何か?
愛とは、何か?
自分で考えることができさえすれば、
「死にたい」が「生きたい」に変わる!!
生きること。
生きていることの素晴らしさに気付き、
感謝できるはずです。
ということで、
私たちに「生きる力」を与えてくれる
『果てしなきスカーレット』。
本当に素晴らしい作品だと思います!!
#果てしなきスカーレット
#細田守
#映画
#樺沢映画 December 12, 2025
16RP
@kir_imperial 共同体への不信感より、僕は細田作品から「女性による救済の不可能性」を感じます。宮崎駿的女性原理に対する不信感、まあミソジニーですね。ヒロインによる無理矢理な救済は空虚で風刺に見えます。「ミソジニー」や「右翼」の要素は世界的に今アツいので、作品に昇華して欲しいと期待してしまいます December 12, 2025
9RP
果てしなきスカーレットの商業的失敗によって「宮崎駿くらい稼げ」の期待から解かれる事がそのまま「宮崎駿っぽい女主人公のアニメ」からの解放となれば、細田守にとっては救いであろう。期待されない自由の中で思うままBLアニメを作れ。男とケモしか出てこないアニメやっていいぞ予算は安いと思うが。 December 12, 2025
9RP
よくこんな作品を作ったものだ!
細田守監督の新作
『果てしなきスカーレット』を見た
精神科医である私の率直な感想。
賛否両論、
というか圧倒的に酷評されている感が
強い本作です。
しかしながら私は、
大きなチャレンジであり、
「よくこんな作品を作ったものだ!」
と思うのです。
先行きが見えない今の時代に、
ヒット作を連発してきたクリエイターが
取り組むべきテーマは、
この時代を「どう生きるか?」
君たちは「どう生きるか?」
しかないのですから。
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
以下、ストーリーも含めて、
ネタバレ的な内容を含みます
▽ ▽ ▽ ▽ ▽ ▽
本作を難解、わからない
という人もいますが、テーマはとても単純。
10文字で説明できます。
>「生きる」とは何か?
スカーレットのように、
もがき、苦しみながら自分で考えよう。
ということ。
だから、本作には「答え」はない。
自分で考えて、空白を埋めることで、
作品が完成する。
本作を、「夢落ち」と思ってしまった人は、
とても残念だ、
本作は、「自己洞察」の作品でもある。
自分の意識に深く潜り、
もがき、苦しみながら、自己洞察し、
「気付き」を得ることで、
自分のトラウマを手放すことに成功する。
異世界の冒険譚というよりは、
自分の内面世界への冒険である。
生と死、過去と未来が交わる場所。
「あの世」のような異世界。
心理学では、
「集合的無意識」とも呼ばれます。
自己洞察をしながら、
自分の意識に深く潜り、
無意識を超えたその先さらに深い部分に
人類共通の無意識がある、
という心理学者ユングの仮説である。
本作の異世界には、
世界中の様々な人種や文化が描かれていた。
そして、復讐心、恨み、憎しみ、怒り、攻撃心、猜疑心。
といったネガティブ感情。
愛、救い、助け合い、協力、癒やし、犠牲、赦し。
満面の笑顔。といった、ポジティブ感情。
あらゆる感情、喜怒哀楽が入り交じって、描かれています。
「集合的無意識」的に考えると、
スカーレット、クローディアス、聖らの個別の
キャラクター、エピソードよりも、
そこに全人類の善と悪、喜怒哀楽。
何度も繰り返されてきた戦争の歴史などが
「象徴」される。
クローディアスは「絶対悪」
聖は「絶対善」を象徴している。
聖のような献身的な人間はいるはずがない、
という批判もありそうだが、いるはずはなかろう。
聖(ひじり)=セイント=聖人
つまり、「天使」のような存在として
象徴的に描いているのですから。
なので、毒を飲んで意識不明の昏睡状態で見た夢、
というよりは、自分の意識の中で、
「集合的無意識」まで降りていき、
「ゆるし」の意味を理解し、自らをゆるし、
自らのトラウマを自己治癒します。
自己治癒と自己成長の物語ととらえると、
ワクワクせずには見られない。
細田監督が、欧米での公開を意識したかはわかりませんが、
聖書の影響を強く感じました。
天国に続くヤコブのハシゴ。
巨大な龍は「神」。
鎖で閉ざされた扉の前のシーンは、
「最後の審判」です。
結局のところ、
事実を「プラス」にとらえるか、
「マイナス」 にとらえるのか。
自分の認知、認識次第で現実が変わる!
決めるのは、自分。
全ては、自分次第!
という展開は、アドラー心理学的でもあり、
私の動画でも良く言う話なので、
非常に強く共感します。
トラウマを作り出すのは自分であり、
トラウマを解消するのも、自分にしかできないのです。
本作とすごくそっくりな作品があります。
それは、宮崎駿監督の『君たちはどう生きるか』です。
エンタメ性の高い冒険活劇ファンタジーを作ってきた
宮崎監督にしては、抽象度が非常に高く、
「よくわからない」「難解」と思った人も多いはず。
宮崎作品としては、評価は非常に低かった。
『君たちはどう生きるか』のテーマは
本作と同じです。
>「生きる」とは何か?
>自分で考えよう!
というものでした。
「よくわからない」「理解できない」
という理由で、★1つの評価をつける人は、
「自分で考える」ことを完全に放棄しているようで、
非常I"残念"としか、言いようがありません。
わからなくていいのです。
>「生きる」とは何か?
というチョーーー難解な問題に関して、
すぐに答えを出せる人など、
そうそういないのですから。
「自分で考える」ということが重要。
だから、もっと考えて欲しい。
今の時代、自分で考えないから。
考えることを、すぐに放棄してしまう。
だから、本作の評価が低いのは、
しょうがないとも言えます。
私も
『果てしなきスカーレット』
『君たちはどう生きるか』
全く同じテーマの本を、私も書いています。
『19歳までに手に入れる 7つの武器』(幻冬舎)
です。
生きづらさを感じる今の時代、
どう生きるのか?
10代の中高生に自分で考えて欲しい。
そのヒントをまとめた本です。
案の定、あまり売れていません(笑)。
なぜならば、
明確な「答え」が書かれていないから。
そして、自分で考えられない人が、
ほとんどだから。
『果てしなきスカーレット』
『君たちはどう生きるか』
にも「答え」はないのです。
「答え」は、自分自身で見つけて欲しいから。
自分自身で見つけないと意味がないから。
「ヒント」と「手掛かり」はたくさんあります。
でも「答え」=「"自分"の生き方」は、
"自分"で見つけるしかないのです。
それを、映画を見た直後に「わかりません」。
と白旗を上げるのは、あまりも残念です。
今の時代、
「考える力」を失っている人が多すぎる!
そろそろ自分で「考える」ことをしていかないと、
本当にヤバいことになるでしょう。
AIや他人に支配されるだけですから。
「生きるとは何か、自分で考えろ!」
宮崎駿が挑戦して失敗したテーマに、
改めて細田監督が挑戦した。
だから
>よくこんな作品を作ったものだ!
と思ったのです。
ですから私は、
#細田守 監督の挑戦を100%支持します。
いや、1000%支持します。
いや、倭国で一番、支持します!!
「自分で考える」ことを放棄したら、
人生終了です。
もっと、自分の頭を使って、自分で考えて欲しい。
生きるとは、何か?
人間とは、何か?
愛とは、何か?
自分で考えることができさえすれば、
「死にたい」が「生きたい」に変わる!!
生きること。
生きていることの素晴らしさに気付き、
感謝できるはずです。
ということで、
私たちに「生きる力」を与えてくれる
#果てしなきスカーレット。
本当に素晴らしい作品だと思います!!
#映画 #樺沢映画 December 12, 2025
8RP
>宮崎駿の女性キャラは孤独が多いと思うけど
凄く良い目の付け所だし、まさに宮崎と細田の違いが明確に出てる所がここだと思う。
宮崎駿の描く女性は確かに孤独と言えるキャラが結構いるんだけど、その女性キャラはほとんどが自立してるんだよね。仕事もきちんとしたり一人で生きていけるだけの精神性を備えていて、だから周囲が「あぁこの人は助けなくても大丈夫だな」って考えるから結果として孤独になってる。孤独に妥当性、説得力がある。
一方で細田の女性キャラは自立してない。何かに依存したり誰かが助けなくちゃいけないキャラなのに何故か他者から放置されて孤独になってる。これが元ツイの「細田の描く女性キャラは不自然に孤独になってる」の元だと思うんだよね。 December 12, 2025
6RP
#果てしなきスカーレット
観ました
ストーリー映画としては20点、アイドル映画としては200点。
30分観てスカーレットを好きになるかどうかが評価のポイントだと判断。
私は彼女を応援していたので観て良かったかなと。
アイドル映画であると解釈することで、なぜシーンごとに絵のクオリティが変わるのか、象徴がゴトっと並べられたようなストーリーになるのか腹落ち。
ストーリーは、スカーレットを最大限に輝かせるためだけのものだと解釈すれば納得できました。
弱いものに味方をしたい、悪辣な相手への復讐は応援したい、恋する姿にキュンキュンしたい、聖と会い変わっていく姿は美しいな、恥ずかしいと照れる姿はややセクシー、など、徹頭徹尾この主役を輝かせるための流れ。
逆に言えば、それ以外のキャラクターに関して言うともうわからないです
なんでここにこの人が、とか、聖が看護師になる動機、とか考え始めるとキリがないです。
ストーリーで語るのではなく、能や狂言のような「見立て」を理解しないとキャラの立ち位置がわからない構造だと解釈しました。
でもそれでOK、スカーレット以外はモブキャラなので。
作画は、CGとアニメのバランスや好みとか以前にぱっと見の印象は #細田守 の初期作である #時をかける少女
よりも古くなっているというのが個人的な印象。なんか昔のアニメみたいな質感だなと。
ただし、スカーレットと彼女が存在するシーンに関しては綺麗。あー確かに、グラビアアイドルの写真集ってきれいなところで撮影してるよな、と思ったり。
#シェイクスピア というモチーフすら、スカーレットを輝かせるための1つのピースであると考えればそこにこだわる必要はないと思うのです
平和でキレイでつるっとした現代と血煙と復讐の怨嗟が舞うスカーレットの世界を対比させ平和の価値を強調するために渋谷でダンス、も私的には必然。だってその方がスカーレットが感じた感動を私が感じられるし、スカーレットの躍動を感じられるから。
作品から離れますが、
国民作家であることを宿命づけられた #細田守 という人への期待が今回の酷評につながっているのかなと思いました。
でもアイドル映画を作ったって別によくないですか?
平和への希望というテーマが急にカットインしてきて疑問符が頭に浮かんでも別によくないですか?
と思わなくもないです
#山田洋次 とは違う意味で
どこに行くんだ #細田守 と思ってますが
青春、家族、ディスコミュニケーションなどを王道テーマの作品を作ってからアイドル映画を作ってはいけない法律もないですし。
#宮崎駿 も #崖の上のポニョ をぶっこんだりしてますし。
間違いなく次作も観に行く映画監督の一人なので引き続き期待してます! December 12, 2025
6RP
@kir_imperial 細田守はもっと右翼的な作品を作ればいいと思います。サマーウォーズとかおおかみこどもを見れば、彼には伝統回帰と封建主義の再評価という今の参政党に繋がるような先駆性があったとわかる。宮崎駿にはなかった方向性。表面的な現代カルチャー(歌い手やV文化)肯定でなく、政治で駿に復讐してほしい December 12, 2025
4RP
映画、TVともに一人じゃ作れないし、自分で描けないエピとか他の才能を借りるのは恥でもなんでもないけど、周りから宮崎駿の後継者と持ち上げられて、全て俺が自分でやると奥寺佐渡子女史を損切りした時から、今日の凋落は始まっていたんだよなあ… https://t.co/5JcwPdbd4A December 12, 2025
3RP
細田守は社会的に成功し、結婚して子供も授かっても社会や人間に対する不信感を拭えず、それならそれをストレートにテーマとして描けばよかったのに、宮崎駿の後継者として持ち上げられて、自身もその野望があったから、そのテーマを作品に小出しをしてたのもなあ…>RP December 12, 2025
2RP
今敏に限らず押井守は学生時代年間1000本は映画を観て2回留年したというし、宮崎駿もああ見えてオマージュを結構するわけで、最後は引き出しの多さ勝負になるんだな
因みに今敏が好んで観ていた映画はここに載ってる
https://t.co/83DsUHmwt0 December 12, 2025
1RP
細田みてると倭国のアニメーターって宮崎駿のせいで過大評価されてる節あると思う
倭国が真に強いのは漫画文化でまともなストーリーが書けるアニメーターってそもそも希少だと思うんよな December 12, 2025
1RP
SILENT JENNY サイレント・ジェニー
MATHIEU BABLET マチュー・バブレ
孤独な主人公が世界再生のため、アントマン風の極小化技術で絶滅した蜂の遺伝子を追う。世界の矛盾と再生を主人公のそれと同調して描く傑作。宮崎駿作品の影響も感じつつ建築やキャラの個性的アートも良い!
#遠い国から来たマンガ https://t.co/SfhoJawtWc December 12, 2025
1RP
ゴール裏2階から観てる感じだと、トルガイが場違い過ぎるほど上手い。なんであんなに前を向けるの?ドリブル出来るの?
コッシー、魂を感じる!
パヤオナイスゴール!
もう1人の草太、もっとやれるぞ!
#sanfrecce
#サンフレッチェ広島
#トルガイアルスラン
#越道草太
#川辺駿
#中村草太 December 12, 2025
1RP
庵野秀明は宮崎駿の悪いところをかなり反面教師にしていると思うのよね
あと宮崎駿が鈴木敏夫に任せきりの仕事も自分でやっている(資金集めや会社経営、広報など)からホントにすごい人だと思う https://t.co/IrMYy5cjBD December 12, 2025
1RP
この作品見てないけど、女性主人公と孤独は相性悪い?そうかな。個人的にはかなり好きなのだが。
宮崎駿の女性キャラは孤独が多いと思うけど。
実写映画でもドラゴンタトゥーとかフュリオサとか大好きなもんでちょっと気になった。 https://t.co/EDjB8pBuIv December 12, 2025
1RP
宮崎駿と細田守について、ChatGPTと会話している。
────────
1. 宮崎駿は「理解されていない」のに、なぜ受け入れられるのか
忍さんの言う通り、これは逆説でも例外でもありません。
宮崎駿作品は、
・論理的にはよくわからない
・主題も一意には掴めない
・それでも圧倒的に“また観たくなる”
ここにあるのは、理解ではなく信頼です。
宮崎駿は観客に対して、
「わからなくても大丈夫だ」
という態度で映画を差し出します。
観客は解釈を要求されない。
試験を受けさせられない。
答えを背負わされない。
この無条件性が、大衆性の核です。
2. 宮崎映画は「思想」を語らない。だが「痕跡」は残す
宮崎駿にも言うまでもなく思想はあります。
技術文明への不信
国家・軍事への嫌悪
自然と人間の不可分性
労働への肯定
しかし彼は、それを
主張しない
説明しない
回収しない
ただイメージとして置く。
忍さんの「絵本的」という表現は、ほとんど決定打です。
絵本とは何か
物語は論理的ではない
因果が飛ぶ
説明がない
しかし忘れがたい“像”が残る
宮崎駿は、
「意味は、後から勝手に考えればいい」
という作家姿勢を徹底しています。
3. なぜそれが「わからなさ」にならないのか
普通なら、わからない作品は拒絶されます。
しかし宮崎映画は違う。
理由は明確です。
身体的に気持ちいいから。
風が吹く
飛ぶ
走る
食べる
これらはすべて、
観客の身体感覚に直接届くイメージです。
つまり宮崎駿は、
思考で観させる前に
身体に納得させる
そして観終わった後に、
「なんだったのだろう?」
という余韻が残る。
人はこの順序を踏むと、
“わからない”を否定ではなく魅力として受け取ります。
4. 細田守との決定的な差──「イメージの主導権」
ここで細田守に戻ります。
細田守は、
感情の筋
成長の方向
帰結すべき倫理
をかなり明示します。
その代わり、
解釈の空白が、観客の内部より
作品の内部に設けられていない。
宮崎駿はこの逆で、
物語は飛躍だらけ
思想は霧の中
だけどイメージは圧倒的に鮮明
5. 宮崎駿は「安全地帯」を用意している
重要なのはここです。
宮崎駿作品では、観客はこういう位置に置かれます。
「あなたはこの世界を“見ていただけ”でいい」
理解しなくても責められない。
賛成もしなくていい。
立場表明を求められない。
一方、細田守は優しいですが、
もっと正面から来る。
「この物語を、あなたはどう受け取りますか?」
この問いは、人を分断します。
6. なぜ宮崎駿はトップで居続けられるのか
ここが最も面白い点です。
宮崎駿は、
「思想のある映画」を
「思想を考えなくて済む形」で提示している。
これは職人的というより、
異常なまでに高度な表現政治です。
子どもには冒険譚
大人には寓話
しかもどれも“正解”にしてしまう
この多層性が、
巨大なファンダムを崩壊させない。
7. まとめ──忍さんの問いへの答え
忍さんの違和感を、はっきり言語化します。
宮崎駿は
わからなさを観客に委ね、責任を引き取る作家
細田守は
整理した価値を提示し、その判断を観客に委ねる作家
どちらも逃げていない。
しかし刺さり方が全く違う。
そして、
大衆が長期的に安心して集まれるのは、
自分の立場を問われない場所
──宮崎作品が“国民的”になる理由です。 December 12, 2025
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