公共性 トレンド
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2025.12.02 01:00
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白老町のメガソーラー住民説明会。住民がほぼ退席。理由がまた最高だね、報道機関の動画撮影禁止😂透明性が命の公共案件で、目隠ししてから説明しますって? それ説明じゃなくて、ただの儀式だよ。ちゃんと台本も用意してきたのかな?
住民が怒るのは当然よね。メガソーラーってのは、景観と自然と生活を長期で担保に入れる。一方で、儲かる金はどこか遠くの彼方へ流れていく。
ここにあるのは、善悪の議論じゃないよ?
構造だ。
「国の制度」
「補助」「買い取り」
「業者」「自治体」「説明会」
全部が、責任を薄めるために美しく分業されている。誰も悪者にならない仕組み。なのに、最後に矢面に立つのはいつも地元という構造。
そして、撮影禁止🈲🎥
それってつまりこう言ってるのと同じだよ。
「あなたの不安は映すと都合が悪い」
「あなたの怒りは記録されると困る」
「合意形成した体裁だけ欲しい」
ねぇ、なんでそんなに真面目ぶるの?
再エネって言えば免罪符になると思ってる?
地球のためを掲げた瞬間に、隣人の声を消していいのか?
そこが論点じゃないかしら?
TikTokのコメント欄も面白い。
原発止めたからこうなるvsメガソーラーは誰得vs利権だvs買い取りやめろvs開発すべき!!
みんな言いたい放題だね。
で、こういう分断の花火が上がるたびに、勝つのは誰だと思う?
それは、混乱に慣れた者だよ。
住民が揉め、自治体が疲れ、メディアが切り取り、国が難しい問題で逃げる。
その間も事業は進む。
だって、怒号は電気にならないけど、書類は電気になるからね。⚡️
じゃあどうする?
簡単な話だよ。
撮影禁止みたいな小細工をやめて、逆に丸裸にする。
本当に公共性があるなら、これくらいは最低限だろ?
事業者の実質支配者である最終受益者、資金の出どころ、関連会社の開示、環境影響、土砂災害リスク、廃棄、撤去費用(デコミ)を誰が払うかの明文化。
地元への還元を気持ちじゃなく契約にする。
地元雇用、基金、電気料金の優遇、災害時の電源提供とかね。
説明会は「一回やりました」で終わらせず、議事録、資料、質疑応答を全部公開
そして最後に、地元同意の手続き。
同意が取れないなら、場所か規模か方式を変える。屋根上、遊休地、農地共用など、破壊の小さい順にしていく。
これをやって、それでも必要だと言うなら、初めて議論になる。
逆に言えば、これが出来ない案件は、うん、もう答え出てるよね?
説明できない利益だよ。
メガソーラーが悪って単純化も、反対する奴は非科学的ってレッテルも、どっちも楽で気持ちいい。
でも本当の地獄はそこじゃない。
地獄はね、見えないまま決まることなんだよ。
さぁ、もう一回聞こうか。
なぜ撮影を嫌がる?
公共の場で、公共の負担が絡む話なのにね。しかも、笑えないのは、そのツケを払うのが、いつも住んでる人だってことだよ。
関連企業はただ儲かるだけ、もうこういうくだらないことで経済回すのはやめたほうがいいんじゃないかしら? December 12, 2025
1RP
原美術館の建築は渡辺仁が設計した由緒かつ歴史的なもの。東京国立博物館本館や銀座の和光本館も彼の手によるもの。
売却してぶっ壊す以外にも都が買い取る、募金を集める等公共性を重視した対応も可能だった筈なのに金に変えただけ
金を払わないなら土地の所有者が好きにしてよい・なんてのは倭国だけ https://t.co/MtVMt7qoRP December 12, 2025
それは、**プラグマティズム(実用主義)**が社会の根幹にまで浸透した際のリスクを指摘する、非常に重要な視点だと感じます。
プラグマティズムは、一般的に「真理とは、それがもたらす実用的な結果によって測られる」という思想です。つまり、「それが役に立つか」が判断基準となります。
この考え方で社会全体が動くと、「国が壊れる」可能性がある、というご意見は、以下のような社会の土台の浸食を懸念しているものと解釈できます。
🏛️ プラグマティズムが社会を侵食するリスク
1. 倫理観・道徳観の軽視
* 「役に立たない善」の衰退:プラグマティズムが過度になると、短期的に「利益にならないこと」や「役に立たないが正しいこと」(例:弱者への配慮、環境保護、伝統文化の継承)が軽視されがちになります。
* 共有価値の喪失:社会をまとめる共通の倫理的な土台や、普遍的な正義といったものが失われ、「自分にとっての利益」のみが追求され、国民が共有する価値観が崩壊する可能性があります。
2. 短期的な利益の追求と将来へのツケ
* 長期的な視点の欠如:政治や行政の判断が、**「次の選挙で有利になるか」「今すぐ国民が喜ぶか」**という短期的な実用性や人気取りに偏りやすくなります。
* 構造問題の先送り:年金、財政赤字、インフラ老朽化など、短期的な痛みを伴うが長期的に不可欠な改革が放置され、結果として国の持続可能性が損なわれることになります。
3. 公正さ(公平性)の崩壊
* 手続きの軽視:実用性が最優先されると、物事を進める際の**「公平な手続き」や「透明性」**が軽視され、「結果が良ければ何をしてもいい」という風潮が生まれるリスクがあります。
* 信用の破壊:公正さが失われると、国民は政府や公的機関への信頼を失い、社会の構成員としての連帯意識が弱まり、公共性が損なわれていきます。
⚖️ まとめ
国が健全に維持されるには、目先の効率や利益だけでなく、**「何が正しいか」「何を大切にすべきか」**という普遍的で哲学的な土台が必要です。
ご指摘の通り、実用性のみを最高の価値とする社会は、その土台を自ら掘り崩し、結果として国全体を不安定にさせる、という警鐘は、現代社会において非常に重要です。
この問題について、例えば「プラグマティズムに対抗できる、国をまとめる共通の規範」について、さらに深く議論してみたいことはありますか? December 12, 2025
「撮影禁止って時点で、もう“説明会”の看板が倒れてるんだよね。
公共性のある事業なら、むしろ全部オープンにして疑念を減らすのが筋なのに、最初の一歩で信頼を自分から捨ててる。
結局いま起きてるのは、善悪の問題じゃなくて“見えないまま決まっていく構造”への拒否反応なんだと思う。
地元だけがリスクと負担を抱えて、利益は遠くへ流れていく――この非対称が放置され続ければ、どの再エネでも同じ摩擦が起きるよね。
説明を開き、公表し、契約に落とし込む。
その最低限さえできないなら、問いはひとつしか残らない。
『なぜ、見られて困るのか?』
そこを曖昧にしたまま進めるなら、住民が退席した光景こそ、一番正確な答えなんだと思う。 December 12, 2025
結局ここって、“誰に税金を投じるのか”という超シンプルな原点に戻る話なんだよね。
無償化も補助金も、魔法じゃなくて全部どこかの誰かが負担している以上、基準づくりを避けた瞬間に議論は感情戦になる。
そして差別かどうかと、公金を入れるかどうかは本来まったく別の話。
住んでいる人の権利を尊重することと、組織や学校にお金を渡すことを同一視し始めると、途端に社会が荒れる。
だから本当に必要なのは“出す・出さない”の結論じゃなくて、最低限のルールをどう作るかなんだと思う。
教育内容の透明性、法令順守、政治的中立性、子どもの福祉としての公共性——ここを示せるかどうかで初めて議論が成立する。
線引きって冷たさじゃなくて、社会を長持ちさせるための前提条件なんだよね。 December 12, 2025
こういう話って、どうしても“好き嫌い”や“印象”で流れがちだけど、本質はそこじゃないんだよね。
税金を入れる以上、どんな団体でも“公共性の条件を満たせるか”が問われるのは当たり前で、その線引きを曖昧にすると結局みんなが損をする。
人の権利と、公金の扱いをごっちゃにしないこと。
この一点さえ共有できれば、感情のぶつけ合いじゃなくて、冷静なルール作りの話に戻せると思うよ。 December 12, 2025
結局ここって、“どこに税金を入れるのか”という超シンプルな話なんだよね。
誰に権利がある/ないという話じゃなくて、公金を投入する以上は、その理由と基準を説明できるかどうか。
朝鮮学校に限らず、どんな団体でも税金が入るなら
教育内容・透明性・監査・公共性
このあたりをクリアにするのが筋でしょ、というだけの話だと思う。
それを言っただけで“差別だ!”と封じようとすれば、議論そのものが壊れる。
逆に、倭国社会の側が『使い道を決めたい』と言うのは、民主主義のど真ん中なんだから、そこを遠慮し始めたらもっとまずい。
出す出さないの前に、まずはルール。
この一点をすっ飛ばした議論が一番混乱を招くんだよね。 December 12, 2025
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