京都大学 トレンド
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2025.12.17
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今日好きに出てる時点で受験自体を真面目にやってないだろ
俺は落ちてからずっと「京都大学、好きになりました」略して「京好き」してたんだよ、ずっと勉強してきたんだよ
って言おうと思ったけど年下のイケメン男子にキレてるのが惨めすぎて、ブサメン浪人男子の顔が更に涙で醜くなってきた https://t.co/u6pvEvw3ms December 12, 2025
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今は亡き友と語りし安曇野を如何にせんとぞ想い急かるる
<墳墓の地・安曇野への想い>
私にとって安曇野は、まさに「墳墓の地」、先祖代々の魂が眠る大切な場所です。古くからの一族の墓が三郷にあり、江戸時代には六代前の祖先が播隆上人と共に槍ヶ岳に登った記録も残されています。十余年前、私自身も槍ヶ岳に登頂し、先祖の思いを共有しました。蝶ヶ岳、燕岳、常念岳、有明山にも登り、北アルプスの峰々から眺める安曇野は「約束の地」のように感じられます。光城山、長峰山、城山など東山から望むアルプスの姿は神々しさに満ちています。こここそが、私のふるさとです。
戦時中、父は満州に渡り、敗戦後はシベリアに抑留されました。過酷な状況の中で「必ず故郷に帰るんだ」という思いが父を支えました。その話を幾度となく聞いた私は、故郷に帰ることの意味、安曇野に生きることの重みを強く感じています。父は帰還後、教員となり、母も同じ道を歩みました。私はその長男として生まれ、昭和38年に豊科町に家を建てて以来、62年間この地で暮らしてきました。
<学びと公務員としての歩み>
豊科小学校、豊科中学校、松本深志高校を経て東京大学法学部を卒業。自治省に入り、広島、群馬、茨城、さらにはロンドン事務所勤務まで、29年間にわたり国の内外で研鑽を積みました。その後、神奈川大学教授を経て衆議院議員に当選。4期12年、国政の場で働きました。
安曇野市とのご縁も深く、合併記念式典での挨拶や、日赤建て替えの支援、国道19号線の歩道拡幅、安曇野インターの名称変更、高家体育館の整備、犀川堤防の進捗、松糸道路の促進など、折々に安曇野のために力を尽くしてきました。
<政治活動と立法の実績>
30年以上前、豊科町長選の候補者選びで水谷太一元町長から出馬を打診されたこともありましたが、修行を積みたいと辞退しました。伯父が旧三郷村の村長を務めていた縁もあり、村長選挙の熱気を今も覚えています。
その後、茨城県総務部長、総理府地方分権推進委員会参事官、総務省消防庁防災課長、安全保障会議事務局参事官、自治財政局調整課長、自治体国際化協会ロンドン事務所長などを歴任。2009年の衆議院選挙に挑戦し、落選を経て2012年に初当選。以降、4期12年にわたり地元出身の代議士として活動しました。
その間、内閣府政務官(地方創生・防災担当)、環境副大臣、原子力防災担当副大臣、衆議院環境委員長などを務めました。「山の日」祝日法、消防団基本法、自転車振興基本法、過疎新法など議員立法も実現しました。
<地域への使命と国際的な活動>
昨年の選挙で議席を失った後は、若手に道を譲りつつ「地域を元気にする」「若者を地方に呼び戻す」「災害に強い地域をつくる」という使命を胸に、防災系合同会社や団体活動を通じて具体的な取り組みを進めています。
最近では、ウクライナ復興支援のためのキーウ訪問、シェルター整備を学ぶスイス・イスラエル訪問など、国際的な視点からも活動を続けています。
<太田寛市長との絆と未来への誓い>
そんな折、高校同期である太田寛市長が急逝しました。旧堀金村出身の彼と旧豊科町出身の私は、高校入学以来、毎朝同じ列車で通学した仲。京都大学と東京大学に進み、互いを意識しながら学びました。哲学の道を共に歩いた思い出は今も心に残ります。
彼は「地元を良くしたい」と長野県庁へ進み、長野五輪や県庁で活躍。副知事から市長へと転身し、安曇野愛を胸に市政に尽くしました。友情に厚く、私の応援演説にも立ってくれた彼の姿は忘れられません。
その太田さんを失い、安曇野市の行く末を思うと胸が痛みます。しかし、時間は止まりません。彼の安曇野への思いを受け継ぎ、私自身のネットワークを駆使して未来を描くこと――それが最後のご奉公であり、私の天命だと心に定めました。安曇野市の皆さんと共に、この地をさらに元気にしていく覚悟です。
#太田寛 #安曇野市 #墳墓の地 December 12, 2025
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ああ、これ典型的な<目の前のりんごに「みかんになってほしい」と願う>親の子育てだな。
この本、読んで欲しい。
『カメラマン視点で子育てしたら双子が現役で京大に合格しました』 田部信子・著
https://t.co/99P4YoXuEh https://t.co/sK8enjBrRr December 12, 2025
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@minako_saigo 倭国列島は北は北方領土から南の沖ノ鳥島も含みます
まさかこんなレベルの人が京大って、反体制運動にばかりかまをかけているとこうなると言う悪い見本ですね https://t.co/A6vsBAWoaM December 12, 2025
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倭国とドイツの物理学会が11月に出した、物理学の平和利用の推進を誓う共同宣言。中心的な役割を担った1人、橋本幸士・京大教授へのインタビューです。
(科学と平和 量子力学100年:中)自分も発信、オッペンハイマーに背中押され 映画字幕監修、橋本教授:朝日新聞 https://t.co/appKPCLInV December 12, 2025
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山上被告の亡き父親は、京大時代に後にテルアビブ空港乱射事件を起こして死亡する安田安之とマージャン仲間だった
山上被告の母親は社長令嬢。見合い。しかし夫は山上被告4才の時に自死。
母親が教会に行ったのは山上被告11才の時
やがて祖父の会社バブル崩壊
後継ぎがおらず母は建設会社を引継ぐ https://t.co/yrbZuyKmAw December 12, 2025
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【イベント告知】
2026年2月8日に、京都大学奇術研究会KUMAによるマジックショーイベント『マジックバーKUMA』を開催します!
目の前で楽しめる“クロースアップマジック”を楽しんでみませんか?
ご予約は以下のリンクから👇
https://t.co/rPIK1cxQho
(詳細はフライヤーをご覧ください) https://t.co/ZFaFUcxeyl December 12, 2025
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今、ふと気がついたのですが、実は以前から薄々感じてはいたこととして、「知的生産」という言葉の意味が、時代とともにかなり変質してきているのではないか、ということがあります。
おそらく、この言葉が倭国で強く定着した最初の契機は、梅棹忠夫『知的生産の技術』(1969年、岩波新書)だったのだと思います。あの本では、かな文字タイプライターや京大カードといった具体的な道具立てが紹介されていましたよね。
のちに1980年代に入るとワープロが登場し、物理的な執筆環境は大きく変わっていくわけですが、その前段階として、あの本が提示していた「知的生産」のイメージは、かなり明確だったと思います。
さらに言えば、川喜田二郎によるKJ法(方法論としては1960年代に体系化)が、この流れの中に位置づけられます。
ただ、KJ法というのは、もともとは人類学や社会調査におけるフィールドワークの技法なんですよね。梅棹さんもですが。断片的なデータや観察記録をカード化し、そこから構造を浮かび上がらせるという方法は、学術的だけどフィールドワークの現場での実践から生まれたものです。つまり、初期の「知的生産」論というのは、かなり強く現場研究実務に根ざしたものでした。
一方で、もう一つ別の大きな流れとして、渡部昇一『知的生活の方法』(1976年、講談社)があります。これはベストセラーになりましたし、その成功を受けて、外山滋比古(代表作『思考の整理学』1983年、筑摩書房)など、編集者側が「これはいける」と判断して、同種の本を書かせていった側面もあるでしょう。
ある意味で、「知的生産」や「知的生活」というジャンルが、出版ビジネスとして成立した瞬間だったとも言えます。
こちらの系譜で語られる「知的生産」は、最近言われるところの「令和人文主義」とも、どこか通じるところがありますね。教養的でしかし実践的であるかのように語られる。その雰囲気自体が、すでに一つのスタイルになっている。
ここで非常にアイロニカルなのは、渡部昇一という人自身の評価のされ方です。一般向けの文章、いわば一般書・啓蒙書を書きすぎたために、「一般論を書く人」という側面ばかりが強調されてしまっていますが、実際にはカードを用いた知的整理の技法をきちんと体得した、正統派の学者だったわけですよね。学者として、自分の思考や読書のログを書き出し、蓄積し、再利用する方法論を、彼は確実に持っていました。
その方法論は、注意深く読めば、実は著作の中にきちんと書かれています。ただし、それが前面に出てこない。編集的な意図もあって、どうしても「誰でも真似できそうな知的生活術」のほうが目立ってしまう。
結果として、本来は高度に専門的で、訓練を要するはずの知的生産の技法が、やや大衆化され、「知的な傾向を持つ人たちが手軽に真似できるもの」という形で流通してしまった、という面があるように思います。
このあたりが、「知的生産」という言葉の意味が、時代とともに変わってきた核心部分なのではないでしょうかね。研究実務としての知的生産から、ライフスタイルとしての知的生産へ──その移行が、意識されないまま進んできた。その結果として、同じ言葉を使いながら、実際に指している内容は、かなり違ってきているように感じるのです。 December 12, 2025
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@QuanLujun これは88年前の南京です!
私が目にするのは、人々が集まって楽しく写真を撮っている様子で、みんな心からの笑顔と友好的な雰囲気です!
戦争は私が反対するものです
しかし、いわゆる南京大屠殺は嘘です!
これは『朝日新聞』が倭国で入手した証拠です! https://t.co/DA0mWExVG7 December 12, 2025
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https://t.co/RuA4C5KQOv
#独自制度存続 #拡散希望
現在こちらの署名が4,500を超えております。ご賛同くださり誠にありがとうございます。
京大独自の授業料免除制度が廃止される事で、将来学問を諦める学生がでないよう反対の声を広げていきましょう! December 12, 2025
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記事にしていただきました!
ひも&シェルなのも、おもちゃで一緒に遊んだ(ラボで同時期を過ごした)佐野氏と一緒に掲載なのも嬉しいです。
ひもを巻き巻き巻き巻き…京大研究者が法則発見、やわらか物理の深遠:朝日新聞 https://t.co/dMsbZXFIxM December 12, 2025
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【なぜ僕がRVSSにいるのか】
僕は今まで「群れる環境をシビアに選ぶ」と決めていた。
フィギュアスケートで15年、全国2位まで取った。勉強で京大にも入った。
シビアな環境で自身を追い込み、無我夢中で走って来た。
「環境が人を作る」
それをスポーツと勉強で学んだ僕は、自分から無理に群れないと決めていた。
でも、ただ一つだけ例外があった。
2025年10月、REAL VALUEを見ていたとき。
学生コミュニティ構想を知った瞬間、 直感した。
「ここなら、群れる価値がある」
その日の内にESを書いて応募。すぐに面接をして、RVSに参加することになった。
そして今、約2ヶ月。
週40時間近く一緒に走る仲間たち。
弱音を吐かずに前だけ向いて走る仲間たち。
僕は今、心の底から信頼できる人たちと、 本気で走れている。
これが、僕がRVSSにいる理由だ。
#RVSS #REALVALUE December 12, 2025
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【#社会人大学院生日記】
きょうから2月にかけて、
新しい実験を行っています^_^3月には、海外で発表する機会もいただきました☺️
博士論文の改訂と並行しながら、
一日一日を大切に進めていきます。
そして、博士論文の成果を公に発表する
#公聴会 の日程も決まりました。
📅 1月27日(火)14:00から
ご興味のある方がいらっしゃいましたら、
お気軽にお越しください😊
京都大学大学院人間環境学研究科の
ホームページに、詳細なご案内が掲載されています。
https://t.co/GQGomdIQkH December 12, 2025
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倭国時間の明日未明、スウェーデンのストックホルムでノーベル賞授賞式が行われます。
生理学・医学賞で大阪大学の坂口志文先生に、化学賞で京都大学の北川進先生に、それぞれメダルが授与される予定です。
倭国人として、倭国国の総理大臣として、両先生の受賞を大変誇らしく思います。
坂口先生、北川先生、両先生のご家族、ご一緒に研究された方々など関係の皆様に対し、心からお祝い申し上げます。
優れた科学技術力、そしてイノベーションを興す人材は、強い経済の基盤です。
先日、来年度からの「第7期科学技術・イノベーション基本計画」の取りまとめに向け、国立大学法人運営費交付金など基盤的経費や、基礎研究への投資の大幅な拡充を検討するよう関係閣僚に指示しました。
高市内閣は、「新技術立国」の確立に向けた戦略的支援を通じて、坂口先生、北川先生に続く人材の輩出を推進します。 December 12, 2025
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野木さんの京大講演で、世界を変える事は難しいけれど、それでも誰かに届くかもしれないと思って作品を作っているという話を聞いたので、1人1人のちょっとの力で未来が変わるかもというこの展開が、より胸にくる最終回でした😭
#ちょっとだけエスパー December 12, 2025
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藤原辰史さん、京大KURAと温めてきた『京大マガジン』。今日はそのキックオフイベント、三宅香帆さん、藤原さんと鼎談です。お二人の最新著を読み返しながら、なぜ今紙の雑誌を出すのか? そこでできることは何か? これからの大学の可能性は? などに迫りたく https://t.co/Hc2fCxucRP https://t.co/LyYgyn4I8K December 12, 2025
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こんにちは、はんだ付け職人です。
昨日は、京都大学 防災研究所(宇治キャンパス)にて、はんだ付けの実技講習を行ってきました。
受講者は16名。研究・実験・保守など、それぞれの研究室で電子機器に関わっておられる方々です。
講習では、
・ハンダゴテのコテ先の状態の重要性
・コテ先の形状と熱の伝え方の違い(実際に体験・体感)
・基板パターンの違いによる熱の逃げと温度上昇の違い
・糸はんだの送りスピードによる、はんだ溶融温度のコントロール
・表面実装部品の部品に安全な実装方法
・表面実装部品実装の際の大原則
・予備はんだの意味と重要性
・はんだの仕上がり状態から見る、適正なはんだ量と適正な熱量の見分け方
・適切な道具選びの重要性
といった、基礎だけれど見落とされがちなポイントを中心に、実習を交えながら進めました。
実習中は質問も多く、
「普段やっている作業の、どこが引っ掛かっていたのか」
「なぜうまくいかなかったのか」
そういった点が、一つひとつ言葉になっていくのが印象的でした。
アンケートでは、次のような声をいただいています。
☆はんだ付けは仕事ですることがあるが、自分のやり方が正しいのか分からず、
これで良いのか悩みながらしていた。それを正しい知識を学ぶことができて、
今後、はんだ付けをするのに少し自信がついた。
☆実習を通して、たくさん質問させて頂き、これまでの困り事が解決できた。
基礎を学ぶとはんだ付け作業がいつもよりかなりスムーズになった。
☆コテ先でうまくハンダがとけないことに悩んでいました。
酸化の仕組みが分かり、今後の作業改善に非常に役立つ内容でした。
☆普段やっているはんだ付けで、間違った知識でやっているところに気づけてよかった。
☆今回の講習を受けて、今後に向けて、ハンダゴテを新しく買い変えるなどしていきたいと思いました。
復習しながら業務に活用していきたいです。
はんだ付けは、派手な技術ではありません。
ですが、基礎を理解しているかどうかで、作業の安定感は大きく変わります。
今回の講習が、日々の業務を少しでも楽に、確実にするきっかけになれば幸いです。
ご参加いただいた皆さま、ありがとうございました。
「はんだ付け」に関してお悩みの方がおられましたら是非、当協会にご相談下さい。
出張講習会のみならず、全国各地ではんだ付け講習・検定を開催しております。
もちろん今回のような出張講習会も行っておりますので最も適した方法をご提案させて頂きます。 December 12, 2025
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20年以上前から定期的に勃発する京大ミスコン騒動もこれなんだな。ルッキズムとか女性差別とか以前に、余所者が京大の名前を使って商売すんなってこと。知らない間に候補者が決められて、知らない間にミスコンが決定されて、それが公式のものとして独り歩きすることを問題視している。 https://t.co/PqtLNCHHnJ December 12, 2025
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【創造の神か?破壊の魔王か? 石丸伸二安芸高田市長の虚像と実像】
▽私は「ひろしまの地域と暮らし」(広島自治体問題研究所)の24年3月号(2月20日発行)に「創造の神か?破壊の魔王か?石丸伸二安芸高田市長の虚像と実像」という論考を発表した。
▽この度、改めて当時の全文を掲載。ご参考になればと願ってやまない。
なお、数字などは2024年1月下旬のものである。(以下、本文)
「創造の神か、破壊の魔王か。石丸伸二安芸高田市長の虚像と実像」
岡本 幸信 フリーライター(元毎日新聞広島支局三次通信部記者)
〇「リアル半沢直樹」」ともてはやされる石丸市長
安芸高田市の石丸伸二市長が2024年1月22日、同市吉田町の市役所で開いた「定例記者会見」なる場で、動画投稿サイト「YouTube」に発信する市の公式チャンネルの登録数が全国の自治体の中で最も多くなったと発表した。
同市は、「YouTube」に2020年7月から公式チャンネルを開設。主に同市の記者会見を中心に市政の情報を配信し、昨年9月には収益化を図った。同市によれば、記者会見時には、登録数20万人を突破し、登録者数19万人の神戸市を抜いて倭国一となった、としている。収益も昨年9~12月で約612万円になるといい、石丸市長は「全国からの応援に心よりお礼を申し上げたい。今後はチャンネルの発信力を使って市の魅力を発信していきたい」と話した後、登録者数の増加の契機となったのが、昨年7月の定例記者会見なるものだ、と話した。同記者会見なるものの動画再生は、300万回を超えている。
石丸市長は、議会や定例記者会見なる場で歯に衣着せぬ発言で対立する「物怖じしない」姿からテレビドラマの半沢直樹にたとえて「リアル半沢直樹」と評されるなど、動画やSNS、さらにはインターネットニュース番組で、「改革の若手市長」、「時代の寵児」と注目されている。
石丸市長は、果たして地方政治の「創造の神か」それとも「破壊の魔王か」。紙面の制約上、2024年1月までの最近の動向を中心に論じたい。
〇議会との対立を「劇場型エンターテイメント」として演出
石丸市長は1982年、同市吉田町の生まれ。京都大学卒業後、三菱UFJ銀行に入行。2020年7月、同市市長選に出馬するため同銀行を辞職した。河井克行衆院議員(当時)から前年に行われた河井氏の妻・案里氏の参議院選挙広島選挙区に関し、児玉浩市長が現金計60万円を受け取ったとして辞任したことを受けて行われた安芸高田市長選に出馬し、8月9日、初当選を果たした。
市長就任後、議会中に市議の一人がいびきをかいて居眠りをしていた事をSNSのツイッター(現X)で投稿したことで石丸市長と市議会との対立が始まった。その後、副市長の公募、市議定数半数削減といった対応を経て、22年6月議会で「居眠りをする、一般質問をしない、説明責任を果たさない。こんな議員はいらないという声を多く聞く。恥を知れ、恥を」と発言。その発言を記録した動画で発言が有名になり、メディアやネットで繰り返し再生された。
23年4月、道の駅「三矢の里あきたきかた」への「無印良品」出店計画を巡って、市長が改修費など関連予算の450万円を議会の議決を通さず、専決処分で行ったため、議会側は専決処分を承認。さらに、施設改善費3300万円を盛り込んだ一般会計補正予算でも改修予算分を削減した修正案を賛成多数で可決。事実上、市長が進めた無印良品の出店が見通せなくなった。6月には、石丸市長を支持する議員による不信任決議案が提出されたものの反対多数で否決され、その直後、市長への問責決議案が賛成多数で可決される不可解な事態を迎えた。石丸市長は「不信任決議案が可決されれば市民に議会への信を問うことができた。反対した議員は自分の議席を失いたくないからで、権力の私物化だ」と一部議員の対応を批判した。石丸市長と市議会との対立は泥沼と化した状態がその後、4年も続く。
石丸市長は、このような市議会との「対立」を「劇場型のエンターテイメント」と公言。市議との「対立」を演出することで、全国から注目を浴びることを狙っていた、
〇マスコミ、とりわけ地元紙「中国新聞」を標的に
「対立」の演出は、各々の市議の動向を監視し、「市民からの声があった」として、対象市議を呼び出し、「検閲」まがいの手法で、言論に対する圧力をかける一方、市長の意向にそぐわない相手を敵視し、市議会のみならず安芸高田市広報や記者会見で「晒す」ことで、自らの主張を半ば強引に「正当性」を主張する方法を繰り返した。
市議会に続き、標的にしたのがマスコミ、とりわけ地元紙の「中国新聞」だった。(続く) December 12, 2025
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