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批判について
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2025.11.24
:0% :0% (40代/女性)
批判についてに関するポスト数は前日に比べ74%減少しました。女性の比率は30%増加し、前日に変わり40代女性の皆さんからのポストが最も多いです。前日は「倭国」に関する評判が話題でしたが、本日話題になっているキーワードは「森功」です。
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
誹謗中傷や悪口は肯定しない。だから悪口は言わない。でも批判はしたい。批判は価値的な営みだからだ。ところが、批判と悪口の違いを理解している人は意外と少ない――こういったテーマに関心のある人に読んでほしい本。批判と悪口がどう違っていて、両者をどう使い分けるべきかが鮮明になっていく。→
以下は、本書に促されてぼくが出した暫定的な結論。
まず、悪口について。たとえば、大抵の悪口には「根拠」がない。嘘やデマや噂を「確からしく」騙ったものが悪口になることも多い。しかも、悪口の場合、仮に根拠があったとしても、その根拠と結論をつなぐ理路が「ひとりよがり」や「でたらめ」「妄想的」になりがちだ。あるいは、発言の目的が「相手の改善」よりも「相手を攻撃すること・傷つけること」に置かれていたりする。だから悪口を言う人は、その材料に使えると思うや否や、根も葉もない噂やデマを活用してしまう。
こういった傾向を、発言の「悪口性」と呼ぶとしよう。
次に、批判について。批判は、ものごとの良し悪しを検討するものだ。批判者は、その検討材料として「論理的にどうか」「倫理的に・道義的にどうか」「根拠はあるか」「根拠から導き出される結論やそこまでの理路は妥当か」といった視点をなるべく活用しようとする。あるいは、そこまでいかなくても、「批判にとって、そういった検討材料は大切だよね」と言われれば、その意見に賛同したいとは思うだろう。そして、批判を旨とする人は「相手を攻撃すること」よりも「相手の改善」や「問題点の指摘」にウェイトを置く。
こういった傾向を、発言の「批判性」と呼ぶとしよう。
実は、あらゆる発言には「悪口性」と「批判性」の両方が内在してしまう可能性がある。同じ発言であっても、それが悪口に聞こえる人もいれば、批判に聞こえる人もいる。そこには解釈の幅もある。この意味で、批判と悪口を明確に線引きすることはできない。
でも、発言からなるべく「悪口性」を減らして「批判性」を保持しようとすれば、その発言が「批判」となる可能性は相当に高まる。
ここを意識して、Twitter界隈、X界隈でも発言していきたい。
さて――ここまでアレコレ述べてきたけれど、上記は『世界最先端の研究が教える すごい哲学』に触発されて考えたことである。そのヒントになった議論を以下に記しておきたい。「そもそも悪口はなぜ『悪い』のか」という哲学的なテーマが、その中身だ。
悪口はなぜ悪いのか。
その悪さを説明するのに「危害説」「悪意説」「劣位化説」の3説が役に立つ。
「危害説」とは、悪口が悪いのは「それが相手に危害を加える行為だからだ」というものである。傷つけるから、よくないのだと。ただ、これだけでは悪口の悪さを円満には説明できない。なぜなら、「残念ながら、あなたは不合格です」という発言には人を傷つける側面があるものの、その告知自体を「悪口だ」と言う人はまずいないからだ。
で、次に出てくるのが「悪意説」である。この説では、悪口が悪いのは「それが『相手を傷つけてやろう』という悪意に基づく行為だからだ」と考える。確かに、これも一理ある。だが、悪意説であっても悪口の悪さを円満に説明することはできない。なぜなら、悪気がなくても発言が悪口になってしまうことがあるからだ。悪気なく相手を「イジる」ことが、結果的にイジメになっていた、なんて場面がその一例になる。
で、最後に出てくるのが「劣位化説」である。この説では、悪口が悪いのは「それが自身の優位性や相手の劣位性を確認したり証明するために行われる行為になっていて、そもそもそのように人間をランク付けする思想自体が悪いものだからだ」と考える。マウントを取るためになされる発言も、これにあたるかもしれない。この発想の肝になるのは、危害の有無や悪意の有無はあくまでも周縁的な話であって、中心的に問題視すべきは「相手の劣位を示す」「優劣関係を示す」という行為自体の悪性のほうだと考える点だ。
――脂っこい話を紹介してしまった。。。
ともあれ、ぼくは丁寧な議論を広めていきたいと思っている。
『世界最先端の研究が教える すごい哲学』
著者:稲岡大志/森功次@conchucame/長門裕介@nagatotagan/朱喜哲@hee_verm編
発行:総合法令出版@horeicom November 11, 2025
8RP
竹中平蔵に対する批判について
竹中平蔵氏が自身の政策に対する批判を「ほとんど間違っている」と反論しています。しかし、投稿者や多くの応答者からは、竹中氏の政策が倭国社会に悪影響を与えたという意見が強く見られます。以下にその背景と理由を詳しく説明します。
1. 政策の概要と批判
竹中氏の政策は、2000年代初頭の小泉純一郎内閣下で行われたネオリベラル改革の一部であり、主に以下の3つの領域で実施されました:
- 規制緩和: 労働市場の自由化(派遣労働の拡大など)。
- 不良債権処理: 金融セクターの再建。
- 社会保障改革: 社会保険料の引き上げやPB(プライマリーバランス)黒字化の推進。
これらの政策は、経済の活性化を目指していましたが、結果として以下の問題が指摘されています:
- income inequality(格差の拡大): 派遣労働の増加により、賃金が低下し、貧富の格差が広がった。
- 外国資本の流入: 不良債権処理の過程で、倭国の企業や資産が安価に外国資本に買収された。
- 社会保障負担の増大: 社会保険料の引き上げにより、国民の生活負担が増え、住宅購入や結婚、子供を持つことが難しくなった。
#### 2. 世間の反応
Xのスレッドやその他の反応を見ると、竹中氏の政策に対する批判は根強く、以下のような声が挙がっています:
- 「規制緩和により派遣労働者が増え、賃金が下がった結果、格差社会が形成された。」
- 「不良債権処理の過程で、倭国の重要な資産が外国に安価に買収された。」
- 「社会保険料の引き上げは、国民の生活を圧迫し、将来不安を増大させた。」
これらの批判は、単なる感情論ではなく、実際のデータや経済指標からも裏付けられています。例えば、2000年代以降の倭国の income inequality(所得格差)は悪化し、OECDのデータでもその傾向が確認されています。
#### 3. 歴史的文脈
竹中氏の政策は、1990年代のバブル崩壊後の長引く不況から脱却するための手段として導入されました。しかし、改革の短期的な成果(例えば、金融セクターの安定化)に対して、長期的には社会的不平等の増大という副作用が顕在化しました。たとえば、『政策危機と倭国経済』(小川一夫・竹中平蔵編著)でも、90年代の経済低迷の原因を探る中で、改革の限界が議論されています。
#### 4. 現在の世論
2025年11月現在の世論調査やソーシャルメディアの反応を見ると、竹中氏に対する批判は依然として強く、例えば2021年のベーシックインカムに関する発言も大きな波紋を呼びました。多くの国民は、竹中氏の政策が「失われた30年」の一因であると考えており、徹底的な批判を求めています。
#### 5. 結論
竹中平蔵氏の政策に対する批判は、単なる感情論ではなく、実際の社会経済的な影響に基づいています。規制緩和による格差拡大、不良債権処理による外国資本の流入、社会保障負担の増大といった問題は、今日でも多くの国民が感じている現実です。したがって、竹中氏の政策を徹底的に批判することは、過去の過ちを振り返り、未来の政策に活かす上で重要です。 November 11, 2025
4RP
私は特に私に対する批判については気にしていません。正直、全く気になりません。中には脅迫まがいのものもありますが、私ごときがどうなろうと大したことではないわけです。
問題は倭国の民主主義の健全性です。その点を兵庫県知事とその取り巻きは真剣に考えて欲しいと思っています。 November 11, 2025
1RP
おはようございます(11/24)1
先日、我妻渓谷へ行ったら、「熊が出没するのでご注意ください」といった旨の立ち看板があちこちに立っており、若干用心し恐怖も感じました。
変な異常な時代を実感することになりました。
本日も善き一日でありますように。
ーーー
自分が政治批判について若干モチベーションが上がらず、このまま冬眠状態に入ろうかとも思いましたが気を取り直してポストしています。
個人的なバイオリズムの関係(占いの忠告もあり)で、今は動から静の時期であり、充分に休養し内面を充実して次の世の動きに備えるべき時であると思っているからです。
再三再四述べているように、現在は西洋の物質文明(=偽・二元性の世界観)から東洋の精神文化(=実存・二元性の世界観)への過渡期であり、
世の中はカオス状態であり混乱するのは止む負えないと思っています。
ーーー
充分に休養し内面を充実するとは、具体的には「セロトニン的幸福」の追求、「セロトニン体質」にすると言う事です。
従来は個人がしっかりするためには、「悟る」とか、「天の理地の理で考える」「自立&自律のために努力」を行って来ましたが難易度は高いと思います。
今は比較的難易度が低く、無理なく、個人がしっかりするような方策で、精神医学たちが提唱する『「セロトニン的幸福」の追求、「セロトニン体質」にする』を主にしています。
「その人なりの心身の健康の維持・向上」も同様です。
難易度が低いというのは誰でも所定の所作をすれば、「自然治癒力」「免疫力」「誰でも持っている素質の開花」等が得られると言う事ですが、
「継続は力なり」で続けることが大切であり工夫が必要かも知れません。
⇒ 今自分は、セロトニン体質にするための実践に努めている所ですが、「全ての道が開かれる」という感覚を持っています。 November 11, 2025
誹謗中傷や悪口は肯定しない。だから悪口は言わない。でも批判はしたい。批判は価値的な営みだからだ。ところが、批判と悪口の違いを理解している人は意外と少ない――こういったテーマに関心のある人に読んでほしい本。批判と悪口がどう違っていて、両者をどう使い分けるべきかが鮮明になっていく。→
以下は、本書に促されてぼくが出した暫定的な結論。
まず、悪口について。たとえば、大抵の悪口には「根拠」がない。嘘やデマや噂を「確からしく」騙ったものが悪口になることも多い。しかも、悪口の場合、仮に根拠があったとしても、その根拠と結論をつなぐ理路が「ひとりよがり」や「でたらめ」「妄想的」になりがちだ。あるいは、発言の目的が「相手の改善」よりも「相手を攻撃すること・傷つけること」に置かれていたりする。だから悪口を言う人は、その材料に使えると思や否や、根も葉もない噂やデマを活用してしまう。
こういった傾向を、発言の「悪口性」と呼ぶとしよう。
次に、批判について。批判は、ものごとの良し悪しを検討するものだ。批判者は、その検討材料として「論理的にどうか」「倫理的に・道義的にどうか」「根拠はあるか」「根拠から導き出される結論やそこまでの理路は妥当か」といった視点をなるべく活用しようとする。あるいは、そこまでいかなくても、「批判にとって、そういった検討材料は大切だよね」と言われれば、その意見に賛同したいとは思うだろう。そして、批判を旨とする人は「相手を攻撃すること」よりも「相手の改善」や「問題点の指摘」にウェイトを置く。
こういった傾向を、発言の「批判性」と呼ぶとしよう。
実は、あらゆる発言には「悪口性」と「批判性」の両方が内在してしまう可能性がある。同じ発言であっても、それが悪口に聞こえる人もいれば、批判に聞こえる人もいる。そこには解釈の幅もある。この意味で、批判と悪口を明確に線引きすることはできない。
でも、発言からなるべく「悪口性」を減らして「批判性」を保持しようとすれば、その発言が「批判」となる可能性は相当に高まる。
ここを意識して、Twitter界隈、X界隈でも発言していきたい。
さて――ここまでアレコレ述べてきたけれど、上記は『世界最先端の研究が教える すごい哲学』に触発されて考えたことである。そのヒントになった議論を以下に記しておきたい。「そもそも悪口はなぜ『悪い』のか」という哲学的なテーマが、その中身だ。
悪口はなぜ悪いのか。
その悪さを説明するのに「危害説」「悪意説」「劣位化説」の3説が役に立つ。
「危害説」とは、悪口が悪いのは「それが相手に危害を加える行為だからだ」というものである。傷つけるから、よくないのだと。ただ、これだけでは悪口の悪さを円満には説明できない。なぜなら、「残念ながら、あなたは不合格です」という発言には人を傷つける側面があるものの、その告知自体を「悪口だ」と言う人はまずいないからだ。
で、次に出てくるのが「悪意説」である。この説では、悪口が悪いのは「それが『相手を傷つけてやろう』という悪意に基づく行為だからだ」と考える。確かに、これも一理ある。だが、悪意説であっても悪口の悪さを円満に説明することはできない。なぜなら、悪気がなくても発言が悪口になってしまうことがあるからだ。悪気なく相手を「イジる」ことが、結果的にイジメになっていた、なんて場面がその一例になる。
で、最後に出てくるのが「劣位化説」である。この説では、悪口が悪いのは「それが自身の優位性や相手の劣位性を確認したり証明するために行われる行為になっていて、そもそもそのように人間をランク付けする思想自体が悪いものだからだ」と考える。マウントを取るためになされる発言も、これにあたるかもしれない。この発想の肝になるのは、危害の有無や悪意の有無はあくまでも周縁的な話であって、中心的に問題視すべきは「相手の劣位を示す」「優劣関係を示す」という行為自体の悪性のほうだと考える点だ。
――新年から脂っこい話を紹介してしまった。
ともあれ、ぼくは丁寧な議論を広めていきたいと思っている。
『世界最先端の研究が教える すごい哲学』
著者:稲岡大志/森功次@conchucame/長門裕介@nagatotagan/朱喜哲@hee_verm編
発行:総合法令出版@horeicom November 11, 2025
誹謗中傷や悪口は肯定しない。だから悪口は言わない。でも批判はしたい。批判は価値的な営みだからだ。ところが、批判と悪口の違いを理解している人は意外と少ない――こういったテーマに関心のある人に読んでほしい本。批判と悪口がどう違っていて、両者をどう使い分けるべきかが鮮明になっていく。→
以下は、本書に促されてぼくが出した暫定的な結論。
まず、悪口について。たとえば、大抵の悪口には「根拠」がない。嘘やデマや噂を「確からしく」騙ったものが悪口になることも多い。しかも、悪口の場合、仮に根拠があったとしても、その根拠と結論をつなぐ理路が「ひとりよがり」や「でたらめ」「妄想的」になりがちだ。あるいは、発言の目的が「相手の改善」よりも「相手を攻撃すること・傷つけること」に置かれていたりする。だから悪口を言う人は、その材料に使えると思うや否や、根も葉もない噂やデマを活用してしまう。
こういった傾向を、発言の「悪口性」と呼ぶとしよう。
次に、批判について。批判は、ものごとの良し悪しを検討するものだ。批判者は、その検討材料として「論理的にどうか」「倫理的に・道義的にどうか」「根拠はあるか」「根拠から導き出される結論やそこまでの理路は妥当か」といった視点をなるべく活用しようとする。あるいは、そこまでいかなくても、「批判にとって、そういった検討材料は大切だよね」と言われれば、その意見に賛同したいとは思うだろう。そして、批判を旨とする人は「相手を攻撃すること」よりも「相手の改善」や「問題点の指摘」にウェイトを置く。
こういった傾向を、発言の「批判性」と呼ぶとしよう。
実は、あらゆる発言には「悪口性」と「批判性」の両方が内在してしまう可能性がある。同じ発言であっても、それが悪口に聞こえる人もいれば、批判に聞こえる人もいる。そこには解釈の幅もある。この意味で、批判と悪口を明確に線引きすることはできない。
でも、発言からなるべく「悪口性」を減らして「批判性」を保持しようとすれば、その発言が「批判」となる可能性は相当に高まる。
ここを意識して、Twitter界隈、X界隈でも発言していきたい。
さて――ここまでアレコレ述べてきたけれど、上記は『世界最先端の研究が教える すごい哲学』に触発されて考えたことである。そのヒントになった議論を以下に記しておきたい。「そもそも悪口はなぜ『悪い』のか」という哲学的なテーマが、その中身だ。
悪口はなぜ悪いのか。
その悪さを説明するのに「危害説」「悪意説」「劣位化説」の3説が役に立つ。
「危害説」とは、悪口が悪いのは「それが相手に危害を加える行為だからだ」というものである。傷つけるから、よくないのだと。ただ、これだけでは悪口の悪さを円満には説明できない。なぜなら、「残念ながら、あなたは不合格です」という発言には人を傷つける側面があるものの、その告知自体を「悪口だ」と言う人はまずいないからだ。
で、次に出てくるのが「悪意説」である。この説では、悪口が悪いのは「それが『相手を傷つけてやろう』という悪意に基づく行為だからだ」と考える。確かに、これも一理ある。だが、悪意説であっても悪口の悪さを円満に説明することはできない。なぜなら、悪気がなくても発言が悪口になってしまうことがあるからだ。悪気なく相手を「イジる」ことが、結果的にイジメになっていた、なんて場面がその一例になる。
で、最後に出てくるのが「劣位化説」である。この説では、悪口が悪いのは「それが自身の優位性や相手の劣位性を確認したり証明するために行われる行為になっていて、そもそもそのように人間をランク付けする思想自体が悪いものだからだ」と考える。マウントを取るためになされる発言も、これにあたるかもしれない。この発想の肝になるのは、危害の有無や悪意の有無はあくまでも周縁的な話であって、中心的に問題視すべきは「相手の劣位を示す」「優劣関係を示す」という行為自体の悪性のほうだと考える点だ。
――新年から脂っこい話を紹介してしまった。
ともあれ、ぼくは丁寧な議論を広めていきたいと思っている。
『世界最先端の研究が教える すごい哲学』
著者:稲岡大志/森功次@conchucame/長門裕介@nagatotagan/朱喜哲@hee_verm編
発行:総合法令出版@horeicom November 11, 2025
言語化がすごい。全部見ちゃった。
【サカナクションと山口一郎】ファン層の違いによる批判について、今思うhttps://t.co/uBxK61i7Bf @YouTubeより November 11, 2025
作品への批判について…
「そもそも楽しむ気がない人には届かないんだから」ってその通りだと思う
え?そこ?っていう指摘をして来る人に呆気にとられる
そこが引っ掛かるハードルなのか…とびっくりさせられたところだったので、この言葉、刺さりましたッ
https://t.co/JexgD0lufo November 11, 2025
ラジオのニュースでもそうなんですが
高市早苗のやらかしや
それに対する批判について
驚くほど何にも伝えません。
ヤバいですよね。 https://t.co/10WncuKtTE November 11, 2025
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