政治的主張 トレンド
0post
2025.11.25 11:00
:0% :0% (40代/男性)
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
ヘイトスピーチは最初「政治的主張」の格好をしてやってくる。その危険性は国連の専門家からも指摘されている。残念ながらいまの法整備では不十分。まだまだ市民の力が必要。誰かのためではなく、自分たちの社会を壊さないために結集しよう。
#1130千葉県庁カウンター https://t.co/2FOtQIX2Me November 11, 2025
📝 斎藤元彦兵庫県知事の講義実施に関する懸念表明と再考のお願い
【宛先】
関西学院大学 法学部長 殿
【発信日】
2025年11月24日
【発信者】
高橋 智
件名:斎藤元彦兵庫県知事による講義の実施に関する慎重なご判断のお願い
拝啓
時下ますますご清栄のこととお慶び申し上げます。日頃は、教育・研究機関として社会に貢献されている貴大学の活動に対し、心より敬意を表します。
さて、この度、貴大学法学部における講義にて、現職の斎藤元彦兵庫県知事がゲストスピーカーとして登壇される予定があると承知いたしました。
私は、貴大学に対し、現在の社会情勢と大学の公共的使命に鑑み、本講義の実施について再考していただくよう、丁寧にお願い申し上げます。
1. 懸念の背景
貴大学が学問の府として、学生に多様な視点と実践的な知見を提供しようとされているお考えは理解いたします。しかし、現時点で本講義を実施することには、いくつかの真摯な懸念がございます。
大学の政治的利用への懸念: 大学は、特定の政治的主張や個人のイメージアップ戦略のために利用される場所ではないと考えております。知事の登壇が、純粋な学術目的を超えて、政治的パフォーマンスとして受け取られる可能性があり、大学の中立性や独立性が損なわれる事態を深く憂慮いたします。
学修環境への影響: 仮に本講義をめぐり、キャンパス周辺で混乱や抗議活動が生じた場合、それは貴大学の学生の平穏な学修環境や、教職員の業務遂行に悪影響を及ぼしかねません。
社会的な受容性: 現在、知事に対する県民の間に様々な意見や議論がある状況を鑑みると、このタイミングでの公的な招聘は、大学に対する社会的な信頼を維持する観点からも慎重な検討が必要ではないかと拝察いたします。
2. お願いしたいこと
つきましては、上記のような懸念点を踏まえ、学生の皆様の学びの場を守るためにも、以下の点について前向きにご検討いただけますよう、お願い申し上げます。
予定されている斎藤元彦兵庫県知事による講義(講演)の実施を一時見合わせる、あるいは中止するというご判断。
今回のゲスト招聘に至った経緯や目的について、学生や関係者に丁寧にご説明いただくこと。
貴大学が、学問の自由を守りつつ、社会に対する責任を果たされるために、最善の道を選択されることを心より期待しております。
敬具 November 11, 2025
【反論】
フランス人記者・西村カリン氏は「山上事件の刑事裁判で動機を徹底的に究明しないのは再発防止の放棄だ」と主張する。しかし、この論は刑事司法の役割を根本から誤解している。
刑事裁判の目的は、起訴事実の有無と刑罰の相当性を判断することであり、社会問題の全体像を解き明かす場ではない。最高裁も「刑事裁判は社会の真相解明の場ではない」と明言してきた。
動機が扱われるのは「殺意・計画性・情状」に必要な範囲だけ。山上被告の動機は供述と客観証拠で既に確定しており、統一教会と政治の“全貌”を法廷で解明する必要はない。それ以上は裁判の政治利用でしかない。
「再発防止」は国会・行政・警察・研究が担うべき領域であり、2022年以降は被害者救済法まで成立している。刑事裁判にそれを肩代わりさせるのは制度理解を欠く議論だ。
さらに最も危険なのは、政治的テロの主張を法廷で増幅させることである。山上被告は「安倍氏を殺せば主張が広がる」と考えていた。その思想を法廷で語らせれば、模倣犯に“テロは効果的だ”という誤ったインセンティブを与えるだけだ。欧州のテロ事件でも政治的主張の拡散は厳しく制限されている。
加えて指摘すべきは、西村氏自身が事件後初の「宗教二世」小川さゆり(仮名)さんの記者会見で、教団を“悪”と見せる構図づくりに積極的に関わった人物だという点である。中立性を欠く立場のまま「真相究明」を語るのは、ジャーナリストとして極めて問題が大きい。
「動機の深掘り=再発防止」という論理は成立しない。
この事件だけに適用されるのは明白なダブルスタンダードだ。
刑事裁判を、テロリストの主張を拡声する装置にしてはならない。 November 11, 2025
観光立国政策を国策にした安倍政権。
観光ビザで入国して居残り、生活保護受給してしまう外国人もいる。外国人に頼る経済活動が脆いものだとコロナ禍で学んだはずなのに懲りないアホシュ。
観光立国からの転換、内需の国に戻せという政治的主張をヘイト、排外主義と呼ぶアホシュ
#観光立国反対 https://t.co/vwG9ANr6E5 November 11, 2025
ジャーナリストのクセーニア・ルチェンコと、聖職者のアレクセイ・ウミンスキーの対談。
ルチェンコの専門分野は、ロシア正教およびロシア政治や社会におけるその影響、またロシアのジャーナリズムやプロパガンダ、イデオロギーについて。
「お金を稼ぐために戦争へ赴くロシア人兵士は共感(同情)に値するのか」というテーマで話されているこの対談は、ロシア国内のプロパガンダや宗教文化の内奥にあるものについて、興味深い問題提起がなされている。
一部のみ抄訳。
☆ ☆ ☆
ルチェンコ
「『‟同情”を道具として用いる』ことに私が恐怖を感じたのは――つまり、『無条件の赦し』や『人道主義』などの理屈の背後に、明らかにキリスト教の何かを下敷きにしたような、さらに言えばトルストイ風の言説のようなものが透けて見えることだ。
これは、またしてもキリスト教の政治化だと思った。
権力側は、愛国主義や伝統的価値観などをセットにして宗教を政治化しており、私たち(反体制側の人間)はそれについて常に批判してきた。
ところが、他方から見れば、いわば私たちの側も、逆方向から同じように宗教を政治化し始めている。
その論理とはこういったものだ。『私たちはロシアにいて、この人たち(参戦したロシア兵)と一緒に生きていくことになるし、政治プロセスの進行に彼らも加わっていくことになる。だから、彼らを怒らせることは危険だ。なぜなら、彼らは基本的に危険で予測不可能な存在だから』と。
そして、政治的な解決策として、罪や責任、個人の選択、犯罪についての議論を避け、『私たちは赦す、私たちは同情する』という‟キリスト教的人道主義”で覆い隠そうとする。
私にはこの、権力側も反体制側もどちらもキリスト教を自分たちの政治的主張に利用してしまっている状態が、まったく望ましくない姿のように思える」
このルチェンコの問いに対するウミンスキーの応答は、デンマークの思想家キルケゴールに多大な影響を受けたウミンスキーらしい返答。
ウミンスキー
「私たちが怒りを感じるのは、キリスト教や正教がイデオロギーの道具となり、軍事的なスローガンとして使われている、という点だ。これは明らかだ。
キリスト教は慈悲についての宗教、赦しについての宗教というイメージがあり、そうなると、すべてが自分の場所に収まり、すべてが正当化されてしまうように思われる。 これは違う。まったくその通りだ。
キリスト教はどちらの側からであっても、イデオロギー目的で利用することはできないし、してはならない。
キリスト教は人間を素通りして、ある種の共通の理念や社会法則、あるいは特定の対人関係の形に変わってしまうことはできない。
キリスト教というのは、本来、社会的な‟集団行為”の形を取ることができないものだ。
もし私が誰かを赦すなら、それは‟私”が赦すのであって、‟社会”が赦すのではない。もし私が赦さないなら、それも‟私”が赦さないのであって、‟社会”が赦さないのではない。社会には、赦すも赦さないも、そんな権利はまったくない。
赦すことは、私個人が他の個人に対して持つ権利だ。私は『まとめて集団を赦す』ことなんてできない。‟皆”を非難することも、‟皆”を赦すこともできない。
福音書は私にそんなことができる可能性を与えてはいない。つまり、集団や特定の社会層の名において、集団が赦すか赦さないかを決めることはできないのだ。
これは福音書ともキリスト教とも何の関係もない。
社会がそれをどのように名づけようと自由だが、それをキリスト教と呼んではいけない。
そして、私たちが話していた‟同情”についても同じだ。同情はあくまて個人的なものであり、『私が誰かに向けるもの』であって、グループ全体に向けられるものではない」
ウミンスキーは、モスクワ総主教キリールが義務化した戦争支持の祈りを朗読するのを拒否したために迫害にさらされ、2024年にロシアを離れた。
ウミンスキーのような聖職者がロシアにもっといたら、、と思わずにはいられない。
https://t.co/FuFu9eCr9r November 11, 2025
<ポストの表示について>
本サイトではXの利用規約に沿ってポストを表示させていただいております。ポストの非表示を希望される方はこちらのお問い合わせフォームまでご連絡下さい。こちらのデータはAPIでも販売しております。



