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高等教育
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2025.11.28 11:00
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〈🇫🇷フランスで検閲されていた未公開映像〉
👀🛑 この未公開映像(1968年5月の五月革命)はフランスで検閲されていたものです。
そこには、学生たちが急進化する以前に行われていた『警察の激しい弾圧』や『極右の暴力的な小集団によるデモ』が映し出されていました。
今日の時事問題との関連を示唆するようなものは、もちろんまったくの偶然にすぎません……。
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🗣 こちらは、怒りに満ちた群衆に襲われている建物の映像です。そしてここでは、デモ参加者と警察との激しい衝突が起きています。場所はパリ、1968年5月の出来事です。これらの映像は、フランスのニュース映画のカメラマンたちが、戦後の繁栄期の終わりにフランスを揺るがした政治・社会危機のさなかに撮影したものです。しかしこれらの映像は、当時のニュース映画には収録されませんでした。なぜ撮影されたにもかかわらず検閲されたのでしょうか。そして、こうした映像が“公式の語り”とどう矛盾していたのでしょうか。これからIMAのコレクションに保存されているこのアーカイブの秘密を明かしていきます。
1968年5月。パリでは大学キャンパスで抗議運動が勃発します。学生たちは高等教育の抜本的な改革を求めていました。運動は勢いを増し、フランス各地で、労働者、会社員、農民などが自らの労働条件を改善したいと訴え、次々と合流していきました。この大規模な抗議に対し、ド・ゴール将軍が率いる政権はメディアに厳格な検閲を課します。情報省は、テレビや映画でエリゼ宮の政策が批判されないよう見張っていました。政権が流したかったメッセージは、“デモやストライキは経済を破壊し、混乱を広げている”というものでした。
フランス国民が画面で目にしたのは次のような映像でした。
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🎦(フランスニュース映画/1968年5月29日)
「木曜の夜、カルチエ・ラタンは再び激しい混乱の舞台となりました。アラン・ジェスマールの自制の呼びかけにもかかわらず、“暴れ者たち”はデモ隊と治安部隊を隔てる無人地帯を越えようとしました。多くは学生とは関係のない挑発者で、一晩中サン=ミッシェル広場や大通りを破壊して回りました。」
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🗣 ニュース映画は厳しい公共検閲を受けていたため、政権の主張以外を映すことはできませんでした。それでも記者たちの中には、68年5月の抗議運動に共感し、デモ参加者のすぐ近くで撮影しようとする者がいました。自分たちの映像が検閲されることを承知のうえで、それでも“国家のプロパガンダから自由な、68年の別の記憶”を残すという思いを持っていたのです。これはまさにカルチエ・ラタンの学生たちが批判していた国家プロパガンダの束縛を逃れた記録でもありました。
こちらは5月6日に撮影された映像です。警察による激しい弾圧を伝えています。これはカルチエ・ラタンでの、警察と学生の初期の衝突のひとつで、フランスニュース映画の撮影班によって記録されました。ここをご覧ください。至近距離で撃ち込まれる催涙ガス弾。そして、地面に倒れ、警官に殴打されたデモ参加者の姿もあります。こうした場面はニュース映画から除外されました。しかし、こうした警察の対応こそが学生たちを急進化させ、やがて「警察国家を倒せ」というスローガンを叫ぶようになったのです。
他にも検閲された映像があります。特に、反共産主義国民戦線のような極右の小集団による力の誇示です。5月20日の例を見てみましょう。ここでは、極右政党の活動家たちがパリのマドレーヌ寺院前でデモに備えているのが映っています。指導者のジャン=ルイ・ティクシエ=ヴィニャンクールは、かつて反共和主義的民族主義運動“アクシオン・フランセーズ”の一員でもありました。このデモで彼は、共産主義者がフランスの安全を脅かしていると主張し、それに抗議していたのです。
さらに二日後の5月22日、反共産主義国民戦線は“左翼の巣窟”と呼んだ新聞リュマニテの本社を襲撃します。そこに他の極右組織“オクシダン”が加わります。これはネオファシストで公然と人種差別的な団体でした。ニュース映画のカメラマンたちは、彼らの象徴であるケルト十字を逃さず撮影しています。
極右の襲撃を受け、リュマニテの社員たちは防衛のために動きます。放水ホースを使い、上から鉛の活字を投げて対抗しました。オクシダンのメンバーが建物に侵入しようとしましたが撃退されました。緊張した対峙はCRS(機動隊)の増援到着によって終息し、極右デモ隊は建物へ侵入できませんでした。
次は5月27日にパリ南部で撮影された映像です。これは、首都での暴力的衝突とは対照的な光景を映しています。ニュース映画のカメラマンたちは、この日シャルレッティ競技場で開かれた“非共産主義系左派”の集会を撮影しました。参加者は3万人を超えました。政府が流した“暴徒が公共空間を破壊している”という語りとは逆に、記者たちは“非暴力が奨励される祝祭的な時間”を撮ることを選んだのです。
映像を見てみましょう。スタジアムの雰囲気は穏やかで、参加者たちは遊びに興じたり、シットインを行ったりしています。これは“抗議者は暴力的で破壊的”という固定観念を覆すものでした。しかしこうした“逆プロパガンダ”もメディアでは放送されませんでした。ほとんどの映像は情報省によって検閲されたのです。
抗議運動は1968年6月半ばに終息します。6週間以上にわたる動員期間中、政府は視聴覚メディアの情報をほぼ完全に管理しました。ニュース映画も例外ではありませんでしたが、フィルム記者たちは自分たちの掲げた使命を果たしました。それは、“68年5月の出来事を自由な視点で捉え、未来の世代のために記憶として残す”ということでした。
(via Rael Maitreya)
https://t.co/acjsri6VF0 November 11, 2025
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人文主義は古典に基づくので所謂「令和人文主義」なんぞより古典語の学習者向けのポッドキャストとか小説や哲学を原典で読む読書会とかの方が人文主義の本懐だよね。ただ、高等教育が長らく機能不全状態に陥ったままなので山師を利用してみんな好き勝手にやっていこうみたいな話だから仕方ないよね。 November 11, 2025
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