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真珠湾攻撃
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米国は倭国経済悪化や資源輸出を止めても戦争へ追い進めないまま妥協状況に置かれている。 真珠湾攻撃も完全に暗号解読されていたが黙認して倭国が開戦通告せず開戦のように扱い憎悪を倭国に向けさせたんだ。
【東條由布子】あの東條英機の孫による大東亜戦争開戦の経緯が語られる。まさに歴史の証人 https://t.co/1BSGWQ08J4 November 11, 2025
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なぜ「小倭国」なのか
嘘、奇襲、そして詭弁
真珠湾奇襲の前日(1941年12月6日)、倭国の「和平特使」は、なおアメリカのハル国務長官と日米和平・友好について交渉を続けていた。
写真の中央を歩いているのがアメリカ国務長官のコーデル・ハル、左が倭国駐米大使・野村吉三郎、右が倭国の和平特使・来栖三郎である。
しかしその翌日、ワシントン時間1941年12月7日13時、ハワイ時間12月8日午前8時に、倭国聯合艦隊の第一波・計183機の爆撃機が、ハワイのアメリカ軍基地を激しく空爆した。米軍および民間人の死傷者は3,581人、そのうち死亡者は2,403人に上った。
ハル国務長官が、この二人の倭国外交官から宣戦布告文書を受け取ったのは、ワシントン時間12月7日14時20分(ハワイ時間9時20分)であり、その時にはすでに真珠湾への奇襲が開始されて80分が経過していた。
倭国の外務当局は、本来であれば開戦の2時間前にアメリカ政府へ通告文を手渡す予定だったと言われている。
しかしその時刻は何度も前倒しされ、最終的には開戦の30分前に通告する方針となった。
(奇襲と何も変わらない)
倭国の操作ミスで結果としてこの通告文書は真珠湾攻撃の30分前までにアメリカ政府へ届けられなかった。
宣戦布告文書を受け取ったハル国務長官は、激しい怒りをあらわにし、通告に訪れた2名の倭国外交官に向かってこう言った。
「私はこれほど厚顔無恥で、虚偽と詭弁に満ちた文書を見たことがない。これまで私は、地球上にこれほど牽強付会で、これほど多くの嘘を並べ立てる国が存在するとは、夢にも思わなかった。」 November 11, 2025
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この再稼動は倭国にとって最悪です
こんなことを許すのは、国民が真珠湾攻撃やガザの虐殺、ウイグル虐殺(本当にそんなことがあるなら)などを許すようなものです
柏崎刈羽原発再稼働、新潟県関係の国会議員7割反対 与野党で違い浮き彫り[新潟日報社アンケート
https://t.co/5kUdL60hee November 11, 2025
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🚨結論から言います🇬🇧🇺🇸vs🇯🇵🇨🇳
英国の外交・諜報活動は、倭国を中国へ向けさせることで帝国を守り、両国を弱体化させました。
中国はアヘン戦争で英国に「めちゃめちゃ」にされ、倭国は英米に「はめられて」負ける戦争を強いられた点が、この構造の核心です。
米国がこれを継承し、戦後支配を固めた結果、アジアは米英の経済・軍事ネットワークに依存する形となりました。
日中戦争(1937-1945年)の背景における米英の影響、特に英国の役割は、19世紀末からの帝国主義的戦略に遡ります。英国はアジアでの覇権を維持するため、倭国を中国に対する「代理勢力」として活用しつつ、両国を相互に消耗させる形で関与しました。これにより、日中間の緊張が高まり、戦争の勃発を間接的に促しました。米国は1930年代後半から経済・軍事支援を通じてこれを引き継ぎ、太平洋戦争への拡大を加速させました。
中国は英国によるアヘン戦争(1840-1842年)で強制的に不平等条約を結ばされ、半植民地化の惨状に追い込まれました。
これが中国の国家主権を破壊し、後の日中戦争の土壌を形成しました。
一方、倭国は日英同盟(1902年)で英国に利用され、米国の経済封鎖(1941年の石油禁輸など)で追い詰められ、負け戦を強いられた形となりました。
英米の「はめ込み」戦略は、両国を意図的に疲弊させ、アジアの支配を永続化させるものでした。
以下では、歴史的事実に基づき、英国を中心に時系列で説明します。
1. 19世紀末~1910年代:英国の帝国主義基盤と日英同盟の形成
英国はアヘン戦争を通じて中国に香港の割譲や租借地(例: 威海衛、上海租界)を強要し、中国を経済・軍事的に「めちゃめちゃ」にしました。これにより、中国は英国のインド-中国貿易ルートの要衝として機能し、半植民地状態に陥りました。 この構造は、倭国やロシアの東アジア進出を警戒する英国の戦略的基盤となりました。中国の惨状は、後の倭国進出の口実を生み、戦争の遠因となりました。
1902年の日英同盟締結は、英国のロシア封じ込め策の産物です。英国は倭国を「アジアの番人」として位置づけ、日清戦争(1894-1895年)後の台湾割譲や、日露戦争(1904-1905年)での勝利を支援しました。
これにより、倭国は列強入りしましたが、英国の影響下で中国分割への野心を刺激されました。
同盟は当初、中国での両国利益保護を謳いましたが、英国は倭国を中国市場の競争相手として利用し、自らの優位を保ちました。
倭国はここで英国に「はめられ」、中国侵攻の道筋を敷かれる形となりました。
1915年の倭国による「二十一ヵ条要求」(中国への領土・権益要求)では、英国は倭国を黙認し、袁世凱政権を経済的に支援しました。これが中国の反日感情を煽り、五四運動(1919年)などのナショナリズムを呼び起こしました。
米国の関与はここでは限定的で、ウィルソン大統領の「門戸開放」政策が中国の主権を形式的に擁護しましたが、英国の現実主義的アプローチが主導しました。
2. 1920年代:英国の諜報・経済活動を通じた浸透
1920年代、英国の秘密情報局(SIS、後のMI6)は上海や香港を拠点に、アジアでの諜報網を拡大しました。倭国軍の動向や中国国民党の情報を収集し、両国間の緊張を監視・操作する役割を果たしました。 英国は倭国を「潜在的脅威」と見なしつつ、中国の混乱を維持して貿易利益を確保する二重戦略を採りました。
中国の「めちゃめちゃ」な状態を英国が意図的に温存した点が、ここで顕著です。
経済面では、英国のジャーディン・マセソン商会などの商社が倭国企業に融資を提供し、中国資源開発を仲介。これにより、倭国は満州進出の資金を得ましたが、英国の経済的依存を深めました。一方、中国の蒋介石国民党を間接支援し、倭国抵抗を促す一方で、両国を疲弊させる状況を演出しました。 米国はここでクーリッジ政権下の孤立主義を維持し、英国の活動を黙認していました。
3. 1930年代:満州事変から戦争勃発、英国の戦略転換
1931年の満州事変(倭国軍の満州占領)に対し、英国は国際連盟で倭国を非難しましたが、軍事介入を避け、経済制裁も講じませんでした。これは、倭国をソ連に対する緩衝材として活用する意図からです。 結果、倭国は孤立を深め、1937年の盧溝橋事件で日中戦争が本格化しました。
倭国はここで英米の「はめ込み」に嵌まり、資源不足の負け戦へ突入しました。
戦争勃発後、英国は1939年に日英同盟を破棄。これにより、倭国は欧米との対立を強め、資源不足に陥りました。英国の諜報は倭国軍の弱点を分析し、中国への武器供与を増やしました(例: 1937-1939年の上海政策)。
米国の影響は1937年以降顕著で、ルーズベルト政権が中国支援を強化し、1941年の石油・鉄鋼禁輸で倭国を追い詰めました。これが真珠湾攻撃の引き金となりました。 November 11, 2025
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もっとミクロには、この戦時経済で人々の生活はどうなりますか。物不足で物価が高騰し、あるいは飢餓が起こるのではないですか?
戦争状態になれば、倭国国内では極端な物不足・物価高騰が起こり、人々の生活は深刻な困難に直面します。特に倭国のような食料・エネルギー輸入依存国の場合、サプライチェーン遮断や経済封鎖が直撃し、日常生活が根底から損なわれるリスクが極めて高いです[1][2][3][4][5]。
### 主要な生活分野の変化と影響
- **食料不足・飢餓リスク**
倭国の食料自給率は約38%程度しかなく、輸入が断たれれば小麦・油・牛肉・大豆などの主食・蛋白源が入ってこなくなります[1][2]。畜産業も壊滅し、米や芋などの限られた作物中心の「代用食」生活になり、都市部を中心に飢餓や栄養失調が急拡大します[1][6]。
- **物価高騰・インフレーション**
生活必需品・食品・エネルギーなど、あらゆる物資の流通が制限され、配給や闇市が横行します。食料や衣料、燃料などは公定価格設定でも実際の価格は急騰し、都市部では闇市価格が公定価格の何十倍にも達する事例が歴史上もありました[3][4][6]。
- **配給制度・国家統制生活**
米・塩・野菜・衣類・石鹸・調味料など、ほとんどの物資が配給対象となり、日常の買い物が難しくなるほか、満足に食事や医療、衣料も得られません[4][7][8]。配給遅延や欠配もしばしば起こり、住民は農村などへ買い出しや物々交換に奔走せざるを得ない状況となります[3][8]。
- **エネルギー・電力・医療の逼迫**
石油やガスなどの輸入が途絶すると、電車・バス・自動車・電気ガス水道などの生活インフラが使えなくなり、停電や断水、暖房・冷房の停止等が日常化します[9][5]。医療物資の不足で病気や怪我の治療も難しくなります。
- **社会不安・治安悪化**
失業や貧困の増加とともに犯罪・闇市・脱法行為も多発し、日常生活はさらに不安定になります[10][11]。
***
まとめると、倭国で戦争や大規模な経済遮断が起きた場合、生活物資の圧倒的な不足と物価・闇市の急騰、飢餓やインフラ崩壊、社会秩序の大混乱が現実化します。これは歴史上の戦時倭国だけでなく、現代の倭国においても十分現実的なリスクであり、最も警戒すべき事態の一つです[1][2][4][9][6]。
引用:
[1] 台湾有事が起きれば倭国国民は半年で餓死する…「輸入途絶 ... https://t.co/0t19FlRwRn
[2] 食料安保の切り札は「減反廃止」、台湾有事勃発で迫る食料危機 https://t.co/KpmDJLdxUf
[3] 戦後の食糧難 - 北九州市平和のまちミュージアム https://t.co/hLXWtg8Mci
[4] 戦時下の暮らし https://t.co/PHT0WuTE1c
[5] 倭国における食料安全保障政策の形成 https://t.co/lFd69Vx394
[6] 6000万人以上の倭国人は餓死する…台湾有事からの「輸入 ... https://t.co/Vkm0LNsGpi
[7] 平成20年度 戦中・戦後の食糧事情と配給制度 - 中央区 https://t.co/izgqhR3Vx9
[8] 第二節 戦時下の社会と生活 - 湖南市教育ネット https://t.co/K9z9e7x7cC
[9] 企画展示 | No.556 戦争とわたしたちのくらし29 - 福岡市博物館 https://t.co/4OX7jlf5B0
[10] 【凶作と戦後の食糧難】 - ADEAC https://t.co/LoUxtbD7YQ
[11] 戦時下よりも食べられない人が増加。誰もが常に空腹だった戦後の ... https://t.co/D6Al3gbv77
[12] 戦後復興までの道のり —配給制度と人々の暮らし— - 昭和館 https://t.co/fcr2JNg9zB
[13] 「米不足」ゆえに至った太平洋戦争への回帰不能点 真珠湾攻撃の半年 ... https://t.co/lFlOH7KPdy
[14] 戦時中にスイーツを食べられたのは軍人だけだったってホント? https://t.co/o4zd3I7XNA
[15] 【特集】終戦76年 “あの日”の食卓 終戦後も厳しかった食糧問題 https://t.co/ACdnTXslli
[16] [PDF] 倭国の食の変化の戦後史 - 倭国農業研究所 https://t.co/7GMYB11Z36
[17] 戦時下の農村生活 配給制度を主として - 上富良野町 https://t.co/Lbgd7vSdbZ
[18] 戦争は食料危機を煽る https://t.co/Djr1YeiNig
[19] 貧乏になって戦争になった 第二次大戦前とそっくりな現代 - 長周新聞 https://t.co/8XPxkWSJhr
[20] 我が国の戦争による食糧事情 - 落照亭 - Biglobe https://t.co/w2SFGbze80 November 11, 2025
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戦化粧をしながらもひたすらパンを焼いている製パン中隊のふらいんぐ白パンちゃんことニリエナさんを見て「海軍めしたき物語」を思い出してる。真珠湾攻撃の時は烹炊員も普段の汚れた姿ではなく一種軍服着用で炊事していたらしい。 https://t.co/Va5Du32H6M https://t.co/MSdebJCZrk November 11, 2025
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ドクター・中松の戦後80年所感(その30)
だから第二次陸上攻撃が必要ということを第一次攻撃隊から報告を受け、次の第二次攻撃隊も陸用爆弾を装着して赤城上で待機していた。
一方、連合艦隊は敵艦隊がいると想定して偵察機を出した。
それを扇状に偵察機を飛行させれば、絶対に敵艦隊が見つかるはずである。ところが連戦連勝の倭国軍はたるみが出て、重巡利根の偵察員は行きがけに敵艦を見逃してしまい、帰りがけにようやく敵艦を見つけた。
つまり時すでに遅しである。
赤城の爆撃機は陸上爆弾を急遽、艦船用爆弾と交換する。急いで交換するために陸上用の爆弾が甲板にゴロゴロたくさん並んでいた。その時、敵の雷撃隊は 51機 で赤城に向かっていたのだが、優秀な零戦隊がそのうち 50機を撃墜して、零戦隊は意気揚々と帰ってきたが上空は空っぽだった。
実は不幸なことに真珠湾攻撃を成功させた源田実航空作戦参謀が病気で入院していたので、赤城に乗っていなかった。
だから上空の警戒にぬかりがあったのである。
そして上空からアメリカの急降下爆撃機ドーントレスが急降下して来て、赤城の甲板にゴロゴロ置かれている爆弾に向けて爆弾を投下したので、誘爆してあっという間に大爆発を起こし赤城が沈没した。そして近くにいた加賀も沈没した。そして多くの優秀な搭乗員が失われた。
このミッドウェー海戦を境として、日米の立場が全く逆転した。それまで倭国は一方的に勝っていたのだが、それ以降完全にアメリカが勝つようになった。この致命的な失敗を起こしたのは、まさに重巡利根の偵察員が敵の艦隊を見逃したという重大なミスが原因である。
倭国が勝てる戦争を負けるようになったきっかけとなったのである。
このミッドウェー海戦で倭国の空母群が壊滅しただけではなく、もう一つの大きな損失を生じた。それは何かというと、赤城の零戦が燃料切れでアラスカの氷土に着陸しようとしたのであるが、脚が雪にひっかかり機体がひっくり返り搭乗員が首の骨を折って、零戦がまるまる無傷でアメリカの手に渡ったのである。それまで零戦は世界最強でアメリカのどの戦闘機にも勝っていたのであるが、アメリカはこの零戦を使って模擬空中戦を行い、現在のアメリカ戦闘機では絶対に勝てないという結論を出し、従って零戦一機に対し必ずニ機で戦うことと、一発撃ったらすぐ急降下して逃げることと、零戦に勝つ戦闘機の開発を進め、ようやく終戦間際になってノースアメリカン社がP51という戦闘機を開発した。
終戦後P51と零戦がコンペを行うのだが、その結果については後に述べる。
いずれにしてもこのミッドウェー作戦は空母を失ったのみならず、零戦の秘密も失ったのである。
だから倭国を勝たせなかった人No.7は重巡利根の偵察長である。
さて皆さん倭国を勝たせなかったNo.8は誰でしょうか?
投稿をお待ちする。
(つづく) November 11, 2025
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真珠湾攻撃は、ちゃんと「直前に告知」をしているんだけど、それが手続きミスで伝わらなかった、とかの類。
そして、部隊展開は迂遠な言い方例えば、
「公海上で演習を行う」
「この海域は演習海域になる。事故が起きないよう危険海域に侵入しないように事前告知するが、事前告知を弁えずに侵入する船舶が【演習】の事故に巻き込まれても我々に責任はない」
こう告知すると、そこは航行不能海域にできる。
ロシアは自国領からウクライナに「ぶっ放した」ものの、アメリカは介入してこなかった(武器供与はしたが、主戦力はウクライナ)。
台湾に中国がぶっぱなしても、アメリカは余力がないから介入してくる可能性は低い、と見做されているし、実際低い。
予め潜伏配置させたドローン群で、流通の要所を破壊したのは、ウクライナがロシアに対して実際に行った長期的な準備を伴うドローン攻撃の成功例で、これについてロシアは反発してドローン、弾道弾による攻撃を行ったが、ドローン群の潜伏配置攻撃ほどの成果には繋がらなかった。
中国は「他国がやったが、座視されたこと、有効だったこと」を学習する。
今、ウクライナの手口も、ロシアが計るアメリカの導火線の長さも、継戦能力維持に必要な物資の量と性能と運用も、世論誘導も学んでいて、二次大戦のルールで戦争しようとなど考えていない。
台湾周辺海域の海底ケーブルを切断し、倭国のEEZを含む海域の海底走査を行っているが、「遺憾の意」以上の反撃がないことを彼らは承知している。
中国政府が背景にいるハッカーによる攻撃、ランサムウェアアタックがあっても、中国政府が賠償を強いられるところまで辿り着けないことも承知している訳で、80年前の常識で戦争を語るのまずいと思う。 November 11, 2025
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これで、中国依存脱する!という倭国人大量にいますが、東南アジアも中国側です。つまり海外との取引は無し。内需の国だ全て自製だ!といっても資源が無い、円安で輸入崩壊、買い負けならマシでモノが無くなります。飢餓と物資不足で本当に死にます。そこでバカが再び真珠湾攻撃を夢想しますね。 https://t.co/hSqBU7VhVM November 11, 2025
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@ChnEmbassy_jp 歴史上、倭国が「存亡の危機」を理由に発動した侵略戦争:
1894 年:甲午中日戦争
1904 年:日露戦争(主戦場は中国東北部)
1931 年:「九一八事変」、中国侵略戦争の序幕を開いた)
1941 年:真珠湾攻撃
あなたがまだこの方法に長けていて、今回は中国が準備ができていて嬉しいです。🙂 November 11, 2025
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🚨結論から言います🇬🇧🇺🇸vs🇯🇵🇨🇳
英国の外交・諜報活動は、倭国を中国へ向けさせることで帝国を守り、両国を弱体化させました。
中国はアヘン戦争で英国に「めちゃめちゃ」にされ、倭国は英米に「はめられて」負ける戦争を強いられた点が、この構造の核心です。
米国がこれを継承し、戦後支配を固めた結果、アジアは米英の経済・軍事ネットワークに依存する形となりました。
日中戦争(1937-1945年)の背景における米英の影響、特に英国の役割は、19世紀末からの帝国主義的戦略に遡ります。英国はアジアでの覇権を維持するため、倭国を中国に対する「代理勢力」として活用しつつ、両国を相互に消耗させる形で関与しました。これにより、日中間の緊張が高まり、戦争の勃発を間接的に促しました。米国は1930年代後半から経済・軍事支援を通じてこれを引き継ぎ、太平洋戦争への拡大を加速させました。
中国は英国によるアヘン戦争(1840-1842年)で強制的に不平等条約を結ばされ、半植民地化の惨状に追い込まれました。
これが中国の国家主権を破壊し、後の日中戦争の土壌を形成しました。
一方、倭国は日英同盟(1902年)で英国に利用され、米国の経済封鎖(1941年の石油禁輸など)で追い詰められ、負け戦を強いられた形となりました。
英米の「はめ込み」戦略は、両国を意図的に疲弊させ、アジアの支配を永続化させるものでした。
以下では、歴史的事実に基づき、英国を中心に時系列で説明します。
1. 19世紀末~1910年代:英国の帝国主義基盤と日英同盟の形成
英国はアヘン戦争を通じて中国に香港の割譲や租借地(例: 威海衛、上海租界)を強要し、中国を経済・軍事的に「めちゃめちゃ」にしました。これにより、中国は英国のインド-中国貿易ルートの要衝として機能し、半植民地状態に陥りました。 この構造は、倭国やロシアの東アジア進出を警戒する英国の戦略的基盤となりました。中国の惨状は、後の倭国進出の口実を生み、戦争の遠因となりました。
1902年の日英同盟締結は、英国のロシア封じ込め策の産物です。英国は倭国を「アジアの番人」として位置づけ、日清戦争(1894-1895年)後の台湾割譲や、日露戦争(1904-1905年)での勝利を支援しました。
これにより、倭国は列強入りしましたが、英国の影響下で中国分割への野心を刺激されました。
同盟は当初、中国での両国利益保護を謳いましたが、英国は倭国を中国市場の競争相手として利用し、自らの優位を保ちました。
倭国はここで英国に「はめられ」、中国侵攻の道筋を敷かれる形となりました。
1915年の倭国による「二十一ヵ条要求」(中国への領土・権益要求)では、英国は倭国を黙認し、袁世凱政権を経済的に支援しました。これが中国の反日感情を煽り、五四運動(1919年)などのナショナリズムを呼び起こしました。
米国の関与はここでは限定的で、ウィルソン大統領の「門戸開放」政策が中国の主権を形式的に擁護しましたが、英国の現実主義的アプローチが主導しました。
2. 1920年代:英国の諜報・経済活動を通じた浸透
1920年代、英国の秘密情報局(SIS、後のMI6)は上海や香港を拠点に、アジアでの諜報網を拡大しました。倭国軍の動向や中国国民党の情報を収集し、両国間の緊張を監視・操作する役割を果たしました。 英国は倭国を「潜在的脅威」と見なしつつ、中国の混乱を維持して貿易利益を確保する二重戦略を採りました。
中国の「めちゃめちゃ」な状態を英国が意図的に温存した点が、ここで顕著です。
経済面では、英国のジャーディン・マセソン商会などの商社が倭国企業に融資を提供し、中国資源開発を仲介。これにより、倭国は満州進出の資金を得ましたが、英国の経済的依存を深めました。一方、中国の蒋介石国民党を間接支援し、倭国抵抗を促す一方で、両国を疲弊させる状況を演出しました。 米国はここでクーリッジ政権下の孤立主義を維持し、英国の活動を黙認していました。
3. 1930年代:満州事変から戦争勃発、英国の戦略転換
1931年の満州事変(倭国軍の満州占領)に対し、英国は国際連盟で倭国を非難しましたが、軍事介入を避け、経済制裁も講じませんでした。これは、倭国をソ連に対する緩衝材として活用する意図からです。 結果、倭国は孤立を深め、1937年の盧溝橋事件で日中戦争が本格化しました。
倭国はここで英米の「はめ込み」に嵌まり、資源不足の負け戦へ突入しました。
戦争勃発後、英国は1939年に日英同盟を破棄。これにより、倭国は欧米との対立を強め、資源不足に陥りました。英国の諜報は倭国軍の弱点を分析し、中国への武器供与を増やしました(例: 1937-1939年の上海政策)。
米国の影響は1937年以降顕著で、ルーズベルト政権が中国支援を強化し、1941年の石油・鉄鋼禁輸で倭国を追い詰めました。これが真珠湾攻撃の引き金となりました。 November 11, 2025
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そう、それが怖いんです。太平洋戦争についての総力戦研究所の研究結果「米との戦争は完敗」というのを、時の政治家たち、東條英機さえわかっていたのに、真珠湾攻撃という形で開戦せざるを得なかったのは、国民の不況による不満から来る「不穏な熱狂」をもはや無視出来なかった事も一因だからです。国民は、戦争が始まったらどうなるのか理解しようともしなかった。そして、戦時中、生活が崩れてさえ、根拠のない「勝利」を信じて熱狂した。本当に恐ろしいです。
#戦争反対
@Hiromi19611 @BB45_Colorado
@tim1134 @yasuitoshiki_FM @seki_yo November 11, 2025
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@ray202019 倭国って好戦国?
だからアメリカ軍が見張りの為に進駐しているのか?
居なければ第二次真珠湾攻撃もあったかもと思うと怖い
戦争は奪い合うもの
平和は与え合うもの
皆様どちらが好きですか? November 11, 2025
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『スミス都へ行く』の倭国公開は1941年10月で、新宿武蔵野館では真珠湾攻撃当日まで上映していたという証言がある。大倭国帝国ですら国家間が緊張したくらいでその国の映画の公開を禁じたりはしなかった。 https://t.co/qEuOsjSXcV November 11, 2025
3RP
真珠湾攻撃を正当化し大東亜戦争を肯定する狂気の総理が世界に通用すると思いますか?狂ってると思いませんか?高市早苗は真珠湾攻撃は防衛上やむを得ない攻撃であったと いう意味で靖国参拝の後に次のように述べている。 「当時、倭国が資源封鎖されてもまったく抵抗せずに植民地となる道を選ぶのがベストだったのか」 これはつまりアメリカからハルノートで石油の輸出を止めるという制裁処置が発表された時、倭国がこれを受け入れる事はアメリカの植民地になる事と同じで受け入れられなかったと言ってるわけですね。しかしハルノートを読めばそんなことは書いてません。
Do you think a crazy prime minister who justifies the attack on Pearl Harbor and affirms the Greater East Asia War will be accepted around the world? Don't you think she's crazy? After visiting Yasukuni Shrine, Takaichi Sanae stated that the attack on Pearl Harbor was unavoidable from a defensive standpoint: "At the time, even when Japan was blockaded from accessing resources, would it have been best to choose the path of becoming a colony without any resistance?" This means that when the United States announced the Hull Note, which imposed sanctions by halting oil exports, Japan could not accept this, since accepting it would have been tantamount to becoming a colony of the United States. However, if you read the Hull Note, it says nothing like that.
#高市いらん #Takaichi November 11, 2025
3RP
なお紺碧の艦隊でも、ハワイの真珠湾攻撃とパナマ運河閉鎖で米国太平洋艦隊抑え込もうとしたら普通に新造艦をアリューシャン列島から出してきてどうしようコレってなります。
まあなんとかなったんですが(後世倭国がチートすぎるので) November 11, 2025
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東京裁判(4) A 級戦犯の処刑
※ A級戦犯として起訴された3人の海軍軍人
●嶋田繁太郎 開戦時の海軍大臣
裁判結果は終身禁固刑
裁判での弁明は「自信なし、名案なし、外交交渉見込みなし。リスクを冒して戦争を決意する。やむを得ず」
海軍大臣就任時は、思想的には対米戦争に反対であった。しかし、海軍の伏見宮元帥に一喝されて、戦争賛成派に変心する。しかも、嶋田は軍令部所属であり、軍政面の実績が皆無であった。
裁判結果は、影響力が少なかったと評価され、一票差で死刑判決を免れた。
●永野修身 元帥海軍大将
裁判での聴取で、真珠湾攻撃をナゼ行ったのか? 回答は「戦争戦略で、真珠湾に出ては駄目だ、と言うことは海軍首脳部でも共有されていた。しかし、山本五十六連合艦隊司令長官は真珠湾攻撃を認められなければ、辞任する!との一種脅迫された状況だったので、パールハーバーを攻撃するに至った。」
判決前に肺炎で病死(巣鴨プリズンで肺炎の持病があるにも関わらず、真冬に窓のガラスは割られ、病状悪化) 生存してれば恐らく死刑判決
●岡敬純
開戦時は海軍省軍務局長 海軍中将
強硬な対英米開戦論者であり、開戦準備の立案者 終身禁固刑
※その他、判決を受ける前に死亡した状況の人物
●大角峰生海相
●伏見宮軍令部総長
●山本五十六連合艦隊司令長官
●伊藤整一海軍大将
最後に
A級戦犯が処刑された巣鴨プリズンは、現在のサンシャイン60にあった。 November 11, 2025
3RP
@amatsuuni 私の友達が擁護派で「原爆って昔のことじゃん、てか倭国も真珠湾攻撃してたじゃんだから倭国も言える立場じゃないでしょ?」とか言っててちょっと残念でした。私の友達は小学校の頃修学旅行で原爆資料館に行っていますが、何を学んだんでしょうか? November 11, 2025
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左翼は真珠湾攻撃の話が好きなんやけど
アメリカに石油を止められたから
アメリカを攻撃したというのは
かなり特殊な理由があったからなんよ
その理由も分からないくせに
また真珠湾攻撃するー😡
とか言ってる訳です https://t.co/2Dlot9dcBl November 11, 2025
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@max358japan やっぱり🇨🇳が一度、倭国に対して軍事行動を起こしてくれるのを待つしかないですね😮💨
ミサイル一発でいいから倭国に落として欲しい。いや、倭国の何処かを真珠湾攻撃して貰いたい。
犠牲が出ないと民は目覚めない。
でも🇨🇳は頭がいいからしないだろうな~ November 11, 2025
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