横綱 スポーツ
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2025.12.04 01:00
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ドクター・中松の戦後80年所感(その41)
私が入った海軍機関学校は、海軍の技術将校を教育するための学校であるが、前に言ったように朝6時から夕方6時まで泳いだり、両指いっぱいの太さのオールでカッター訓練したり、10メートルからの飛び込みをしたりなど猛烈な肉体訓練をするが、食事は民間より極めて豪華で、特に5月25日の海軍記念日の食事は一流レストランもかなわないような大変なごちそうが出る。そして、毎回食事の時に音楽の教養がある生徒がレコードをかけて音楽の教養を積む。
私は海軍に入る前に、ショパンやベートーベンなど、いろんな曲を聞いて勉強したのだが、この海軍機関学校の昼食時の音楽は全く聞いたことがなかった。それはチャイコフスキーのスラブ行進曲である。このような非常にユニークな高い教養を海軍は将校として教育していたのである。
通常の夏はそれぞれ故郷のうちに帰るのを楽しみにしていたのだが、この終戦の年の8月は戦時逼迫のため、帰省が中止され、代わりに相撲大会が行われた。そこで私は全員を抜いて海軍横綱になったのは前に言った通りである。カッターとか水泳以外に相撲というものに非常に力を入れ、またラグビーも力を入れた。
中でも海軍はむかしイギリスと提携していて、ラグビーも盛んなのだが、私は足が速いので、ラグビーのウィングになり、通常訓練が終わった後も、このラグビーの訓練をした。
このような物凄い猛訓練は民間に頼んでも絶対出来ない、人生においてかけがいの貴重な体験となった。
(つづく) December 12, 2025
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