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松前町
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2025.12.01〜(49週)
:0% :0% (30代/男性)
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井の中の蛙は幸せなのか不幸せなのかのお話。
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18歳の頃(もう29年も前🥲)大学の先生に『アンタは井の中の蛙。田舎で優等生だったのよね』と言われたことがある。
まぁ1998年とかの話なんで言い方とかそんなこと言う?とかは大らかな時代なのでスルーしてください。
とはいえ、当時の感覚でもドギツイ一言で、それこそ笑ゥせぇるすまんのあのドーン!が背景に見えたくらい。
愛媛県は松前町生まれ。県庁所在地である松山市のいっこ隣の町育ちだ。
町といってものどかで見渡せば田んぼばかり。どこへ行くにも自転車で、中学生になるとまだ謎の丸坊主という校則のある、そんな片田舎だ。
そんな小さな場所で、ぼくはといえば作曲をしたり演劇をしたり詩を書いたり絵を描いたり(笑)、とにかくエンタメに夢中な子どもだった。何ならちょっとした異端児だった。みんなサッカーや野球に夢中だったから。
そんな環境だから白い目で見られることも多かったけど、面白がってくれる友達も大人も多かった。とりわけ母はとても面白がってくれて、率先して舞台や映画やコンサートに連れていってくれた。
18歳のころには何にも成してないのになんだか自分に才能があるような気がして(ホントに穴があったら入りたい)、大阪の演劇の大学に入学。入学後、数ヶ月で先生に言われた言葉が冒頭のあれだ。
もちろん、あんまり良い意味では言われていないと思う笑。ぼくを鼓舞しようとする意味もあったかもしれないけど、ぼくには『あなたは小さな世界で手柄をあげてきたけど、いかに自分が小さいか知らなかったのね?』と聞こえた。
とても恥ずかしかった。
だって納得出来るくらい、同期のみんなは才能に満ち満ちていていつも劣等感を感じていたから。
ぼくはあのときはっきりと、自分は何かを成してきたのではなく、まだスタートにも立ってなかったんだなって、気付いた。
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なんでこんな話をしているかと言うと、先日ある企画の打ち合わせで影響を受けた作曲家の話をしているときにハッと思い出したことがあったの。
ぼくが演劇ハイキュー!!の初演音楽を手がけることになるのが2015年。
そのちょうど5年前に、ぼくは舞台作曲家として大きく挫折していたのだ。
当時ぼくは大阪から上京したてで、大阪でそれなりにキャリアを積んできた自信はあった。
東京でいくつか舞台のオファーもいただけるようになったそのタイミングで、ある舞台作品に、というかある舞台音楽に、出会ってしまったのだ。
(その作品名は前述した『企画』で出てくると思うのでここでは伏せておく!)
その舞台音楽は正真正銘、圧倒的なクオリティーだった。ホンモノ中のホンモノ。当時の演劇業界でここまでの成果物を作れる人が倭国にいたのだろうか。勝ち負けじゃないけど圧倒的に完敗だった。
それからなんだよね。
やっぱりまだ自分は小さな世界にいて小さな成功をおさめてただけで、でも何も知らなくて良い気になってただけなんだって。だからもっともっともっともっと腕を磨かなきゃ。と、取り組む姿勢を変えたのは。
それから5年。
ぼくは、キャリアの1つの転機となる演劇ハイキュー!!の音楽を手がけることになった。
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と、そんなことを思い出して、そういえば大学時代にも同じようなことがあったなぁって、冒頭のエピソードを思い出したの。
松前町や大阪を『小さな世界』と言うかどうかは置いておいて、少なくともぼくは当時、その世界に居る自分にどこか満足していたのよね。
その場所から出て、自分はまだまだだと何度も突き付けられて、誇りを失いそうになりながら、倒れそうになりながら、でもなんとかなんとかやってやる...!って踏ん張って、その連続で今がある感じ。
これって幸せなのか不幸せなのかよく分からなくなるときはある。苦しいし、恥ずかしいし、いつまでたっても満たされないしね笑。
あの、のどかな太陽の光を浴びながら、川辺で歌詞を書いてたときの方がずっと幸せだったかもしれない。
それでも、踏ん張ってきたから見える光景や出会う感情もたくさんあった。
何より、ここまで踏ん張らなかったら書けなかった曲がたくさんある。それはもう本当にたくさんある。
それがすごい喜びなのよね。めっちゃ嬉しい。だから、恥ずかしさと劣等感と悔しさとのトレードオフで、大好きな曲をたくさん書ける能力を手に入れてる感じ。やっぱりうまい話ってないのね😂
きっと本当は幸せの渦中にいるのだろうけど、たぶん、この道を歩いている限りゆっくり噛み締められることはないし、この先まだまだ新しい世界(と挫折)があるのだろうなぁ。 December 12, 2025
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井の中の蛙は幸せなのか不幸せなのかのお話。
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18歳の頃(もう29年も前🥲)大学の先生に『アンタは井の中の蛙。田舎で優等生だったのよね』と言われたことがある。
まぁ1998年とかの話なんで言い方とかそんなこと言う?とかは大らかな時代なのでスルーしてください。
とはいえ、当時の感覚でもドギツイ一言で、それこそ笑ゥせぇるすまんのあのドーン!が背景に見えたくらい。
愛媛県は松前町生まれ。県庁所在地である松山市のいっこ隣の町育ちだ。
町といってものどかで見渡せば田んぼばかり。どこへ行くにも自転車で、中学生になるとまだ謎の丸坊主という校則のある、そんな片田舎だ。
そんな小さな場所で、ぼくはといえば作曲をしたり演劇をしたり詩を書いたり絵を描いたり(笑)、とにかくエンタメに夢中な子どもだった。何ならちょっとした異端児だった。みんなサッカーや野球に夢中だったから。
そんな環境だから白い目で見られることも多かったけど、面白がってくれる友達も大人も多かった。とりわけ母はとても面白がってくれて、率先して舞台や映画やコンサートに連れていってくれた。
18歳のころには何にも成してないのになんだか自分に才能があるような気がして(ホントに穴があったら入りたい)、大阪の演劇の大学に入学。入学後、数ヶ月で先生に言われた言葉が冒頭のあれだ。
もちろん、あんまり良い意味では言われていないと思う笑。ぼくを鼓舞しようとする意味もあったかもしれないけど、ぼくには『あなたは小さな世界で手柄をあげてきたけど、いかに自分が小さいか知らなかったのね?』と聞こえた。
とても恥ずかしかった。
だって納得出来るくらい、同期のみんなは才能に満ち満ちていていつも劣等感を感じていたから。
ぼくはあのときはっきりと、自分は何かを成してきたのではなく、まだスタートにも立ってなかったんだなって、気付いた。
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なんでこんな話をしているかと言うと、先日ある企画の打ち合わせで影響を受けた作曲家の話をしているときにハッと思い出したことがあったの。
ぼくが演劇ハイキュー!!の初演音楽を手がけることになるのが2015年。
そのちょうど5年前に、ぼくは舞台作曲家として大きく挫折していたのだ。
当時ぼくは大阪から上京したてで、大阪でそれなりにキャリアを積んできた自信はあった。
東京でいくつか舞台のオファーもいただけるようになったそのタイミングで、ある舞台作品に、というかある舞台音楽に、出会ってしまったのだ。
(その作品名は前述した『企画』で出てくると思うのでここでは伏せておく!)
その舞台音楽は正真正銘、圧倒的なクオリティーだった。ホンモノ中のホンモノ。当時の演劇業界でここまでの成果物を作れる人が倭国にいたのだろうか。勝ち負けじゃないけど圧倒的に完敗だった。
それからなんだよね。
やっぱりまだ自分は小さな世界にいて小さな成功をおさめてただけで、でも何も知らなくて良い気になってただけなんだって。だからもっともっともっともっと腕を磨かなきゃ。と、取り組む姿勢を変えたのは。
それから5年。
ぼくは、キャリアの1つの転機となる演劇ハイキュー!!の音楽を手がけることになった。
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と、そんなことを思い出して、そういえば大学時代にも同じようなことがあったなぁって、冒頭のエピソードを思い出したの。
松前町や大阪を『小さな世界』と言うかどうかは置いておいて、少なくともぼくは当時、その世界に居る自分にどこか満足していたのよね。
その場所から出て、自分はまだまだだと何度も突き付けられて、誇りを失いそうになりながら、倒れそうになりながら、でもなんとかなんとかやってやる...!って踏ん張って、その連続で今がある感じ。
これって幸せなのか不幸せなのかよく分からなくなるときはある。苦しいし、恥ずかしいし、いつまでたっても満たされないしね笑。
あの、のどかな太陽の光を浴びながら、川辺で歌詞を書いてたときの方がずっと幸せだったかもしれない。
それでも、踏ん張ってきたから見える光景や出会う感情もたくさんあった。
何より、ここまで踏ん張らなかったら書けなかった曲がたくさんある。それはもう本当にたくさんある。
正しい努力×時間だけは絶対に裏切らないと思ってる。自分が正しい努力を出来ているかはわからないけど、時間はもうめちゃくちゃかけてきたから笑、だからこそ、書けるようになった曲がたくさんある。
それがすごい喜びなのよね。めっちゃ嬉しい。だから、恥ずかしさと劣等感と悔しさとのトレードオフで、大好きな曲をたくさん書ける能力を手に入れてる感じ。やっぱりうまい話ってないのね😂
きっと本当は幸せの渦中にいるのだろうけど、たぶん、この道を歩いている限りゆっくり噛み締められることはないし、この先まだまだ新しい世界(と挫折)があるのだろうなぁ。 December 12, 2025
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松前町に到着。
まずは「かもめ食堂」さんで生本まぐろ丼🐟
ここ松前はまぐろ漁が盛んで食べておきたかった一品。
脂が適度にのっていて美味かったです😋 https://t.co/IFgGJOBmLp December 12, 2025
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北海道松前郡松前町は道南地方の渡島半島南西部に位置する渡島総合振興局管内にある町
「北の小京都」とも称されていた
かつては松前藩の松前城城下町であり、藩の政治・経済・文化の中心地として栄えた
愛媛県伊予郡にも「松前町」があるが「マサキチョウ」であり読み方は異なるが友好関係はある https://t.co/RaMGBHkgJt December 12, 2025
香川の高松といえばもう数年前
田中樹くんと菊池風磨くんとごめん誰か忘れたけどもう一人の3人がロケ行ってたな〜玉藻公園とか琴電の高松築港のホームに立ってた記憶ある
何故かどこかのプールで愛媛県松前町のはんぎり(大きな桶に乗って競う)乗ってたよね
風磨くん乗ってたかな
謎なロケ番組 December 12, 2025
カードゲームで脱炭素社会実現学ぶ 松前町職員ら:北海道新聞デジタル https://t.co/fB6tFBWwEU
CO2吸収量販売 北斗市がステラーグリーンと協定:北海道新聞デジタル https://t.co/WwtydKQqt0 December 12, 2025
先日は母親連れて知人に教えてもらった松前町のうどん心さんへ初訪問🚗😄
釜揚げうどんが人気ということなので早速釜揚げうどん中を注文😉 コスパも良いのですが、シンプルながらもつけ汁のお出汁がしっかりしていて最後まで美味しくいただきました✨😊リピ確👍
ごちそうさまでした♪😋 https://t.co/1hnWRTtbHp December 12, 2025
@mzhsurfsnoopy 正確には道南の松前町に
北限の竹林があるらしいんだけど
見たことなくって😅
その竹林は🎍🎋自生ではなくて
江戸時代に本州からわざわざ
移植したものらしいよ
落雁にも美味しいものがあるって知った〇〇歳秋🍁🙄 December 12, 2025
@ISHIZUCHIMania ニトリここにできたら松前町まで行かなくてすむのに!
工場みたいのばかりできて買い物するとこないし、買い物するとこが一極集中してるから松山市長考えてほしい。 December 12, 2025
【 #オンデマンドタクシー 】
① #エミフル松前 にランチ行ったら… #松前町 の田中町長がチラシ配ってました
②10月から始まった実証試験による新しい公共交通のPR!
③松前町民ではない私ですが…町あげてのPRには恐縮しました
④是非、町民の方々は一度は乗ってみて欲しい… https://t.co/D6uON9e9Sq December 12, 2025
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2025年12月05日 03:10 https://t.co/bgO7AbVsNg December 12, 2025
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宇和島市学習交流センター
パフィオうわじま
収容人数243人の凄いホールがあるけど稼働は大丈夫なんかね。
建てて使わないのが一番ダメなんよ。よそでは大規模なアリーナ計画の話があるけど無駄になるならやめとかんといけん。
#宇和島市 #松山市 #松前町 https://t.co/7uRvREoSiV December 12, 2025
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