1
暴徒
0post
2025.11.24 21:00
:0% :0% (40代/女性)
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
伊勢田法学部長へ
先人達はこのような頭のおかしな暴徒に屈せずに大学の自治と法の支配を守ってきました。暴徒とは戦い勝利してこそ守られる大学の歴史があります。
例えば、大学が暴徒による過激な行為(施設占拠・破壊・暴力)の予告を理由に、デモへの対応を変更したり、要求を受け入れたりすることを「あってはいけない」と考える主な理由は、以下の通りです。
1. 暴力による脅迫に屈する前例を作ってしまう
一度「暴れると脅せば大学は言うことを聞く」という成功体験を与えると、次回以降、同じ手法が繰り返されます。
実際、アメリカの2024年の大学占拠デモでは、最初に折れた大学(コロンビア大学の一部対応、ノースウェスタン大学など)が「暴力に屈したモデルケース」として批判され、その後の他大学での要求がさらにエスカレートしました。
2. 言論の自由と暴力の境界が崩壊する
大学は「言論の自由」が最も守られるべき場所です。しかし
「暴力を行う/行うと脅すことで言論の場を支配する」ことを許せば、
→ 最も声が大きく、暴力的な集団だけが発言権を持つ
→ 穏健な学生・教員・ユダヤ人学生などが発言できなくなる
という本末転倒な状況が生まれます。
3. 大学の自治と法の支配が崩れる
大学は国家でも私人でもない「自治的な学術共同体」です。しかし
「私的な暴力集団が実力で大学の意思決定を変更できる」となると、
それはもはや法治国家ではなく「力の論理」が支配する場所になります。
実際に2024年にアメリカで起きたことは、まさに「大学の自治が暴力によって乗っ取られる」過程でした。
4. 他のマイノリティへの連鎖的な被害
今回ユダヤ人学生が標的になっていますが、次は
・中国人学生(中国政府批判への報復として)
・インド人学生(カシミール問題などで)
・LGBT学生(イスラム系活動家から)
と、どのグループも「暴力をちらつかせれば守られる」ようになります。
結果として、誰も安全ではなくなる。
5. 歴史的に証明されているパターン
1930年代のドイツの大学では、ナチス学生がユダヤ人教授を暴力で追い出し、大学が次々と屈していきました。
「少し妥協すれば収まるだろう」という判断が、最終的に大学の完全ナチス化を招いたことは、歴史の教訓です。
結論
だからこそ、たとえ「人命が心配」「キャンパスが壊されるのが怖い」と思っても、
暴力による脅迫には絶対に屈しない
という一線を、大学は死守しなければなりません。
それは「強硬だから」ではなく、
「大学という場所が、暴力ではなく理性と言論で決まる最後の砦でなければならない」からです。
一度その砦が落ちたら、二度と取り戻せません。
2024-2025年のアメリカの大学で、今まさにそれが試されているのです。 November 11, 2025
兵庫県知事が招待されたと嘘をつき大学をパフォーマンスに利用しようとしているのは本当に下劣ですが、デモ隊が暴徒と化して花草木を踏みにじるという印象操作はやめて頂きたいです。物理的な心配をする前にに無法者が学び舎に立つ方が余っ程大学を穢しているのではないでしょうか。 https://t.co/n4W6hN8t74 November 11, 2025
デモ隊や暴徒がダメなのであってそれを知事のせいにするのはおかしいわ
知事が頼んでるわけでも呼んでるわけでもない
こういうのでデモやら活動家を責めるのではなく知事に擦り付ける思考がもうやばいわ https://t.co/DG7hEFBFO4 November 11, 2025
<ポストの表示について>
本サイトではXの利用規約に沿ってポストを表示させていただいております。ポストの非表示を希望される方はこちらのお問い合わせフォームまでご連絡下さい。こちらのデータはAPIでも販売しております。



