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倭国書紀
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2025.11.23 12:00
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㊗️11月23日新嘗祭(にいなめさい)
おめでとうございます!
倭国書紀にも記述があり、現代にも連綿と続く宮中祭祀。
『新』は新穀を、『嘗』はお召し上がりいただくことを意味し、天照大御神(あまてらすおおみかみ)をはじめとする天津神(あまつかみ)国津神(くにつかみ)=全ての神々と皇祖に、天皇自ら植えたその年の新穀と海の幸山の幸を使った膳をお供えし神々と共に食事をする。
新穀で神々をもてなし、天皇も新穀を食すことによって新たなる力を得る。次の年の豊穣、国家安泰、国民の繁栄をお祈りする非常に重要な祭祀だ。
倭国が『瑞穂の国』と呼ばれる所以は、天照大御神が斎庭(ゆにわ)の稲穂を天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に授けたことで倭国が始まったからである。倭国の国づくりの根幹は稲作にある。
その豊穣を願う新嘗祭は倭国国にとって最も重要なお祭りであることを全国民がしっかりと理解するべきだ。
戦中までは新嘗祭が行われる前に新米を食べるのを控える風習があった。まず神様、そして天皇陛下がいただいてから、という考え方は倭国人らしい。
戦後GHQの政策により、倭国人が倭国人であることを誇れなくするよう、倭国の起源や神道、皇室にまつわる祝祭日はことごとく名前を変えられてしまい、倭国の根幹である五穀豊穣を祝う新嘗祭も1948年に『勤労感謝の日』などという訳の分からない名称になってしまった。(アメリカのサンクスギビングデーを参考に名付けられたという話もある)
しかし名前を変えてでもこの祭日を残したかった当時の政府の心意気も感じる。
今こそ本来の名前を取り戻し、倭国国民としての誇りと健全な愛国心を育てなければ。
今日は倭国人として心底誇らしい一日。
日の丸を掲げてお祝いし、お近くの神社に行きましょう♪ November 11, 2025
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🌾新嘗祭…本日11月23日は新嘗祭でございます。
倭国国の根幹をなす尊い日、倭国という国の根源祭祀であり、最も神聖な日であります。
第1.文献上の最古記録と神話の原点
1.文献上の最古記録
(1) 『倭国書紀』推古天皇21年(613年)11月23日条に「是日、天皇新嘗」と明記されております。
(2) すでに5世紀の雄略天皇の時代には「尝新」の名で宮廷で行われていたことが確認されます。
2.神話的原点…稲霊降臨
ア.『古事記』天孫降臨の段で、天照大神が高天原の稲穂を天忍穂耳尊に授け、「豊葦原の瑞穂の国」を治めさせます。
イ.この稲こそ「稲霊」であり、新嘗祭の本質は「天皇が毎年、天照大神から賜った稲霊を新たに迎え入れ、神人共食によって国家の稲霊を更新する儀式」でございます。
第2.大嘗祭との関係と古代の暦日
1.大嘗祭は「一世一度の新嘗」にすぎません
(1) 『延喜式』にも「新嘗の儀を大に行う」とあり、毎年行われる11月23日の新嘗祭が「常儀」でございます。
(2) 即位のそれだけが特別に「大嘗祭」と呼ばれるにすぎません。
2.古代の「二卯の日」の深い意味
ア.奈良時代までは11月の「二卯の日」(卯が二度めの日)に行われていました。
イ.卯は東方・春・再生を象徴し、「二卯=再生の再生」=稲霊の再誕という呪術的意図が込められております。
ウ.平安以降に11月23日(旧暦)に固定された背景には、「二三=ふみ(踏み継ぐ)」の語呂合わせも指摘されます。
第3.令和の御代でも続く宮中の実儀
1.現在も厳粛に執り行われる一連の儀式
(1) 夕刻より悠紀殿・主基殿で新米・新酒を供える「供饌の儀」
(2) 深夜、天皇陛下が純白の大麻の御衣をお召しになり、新米を「神摺り(かみすり)」=神と共にお召し上がりになります
(3) 未明まで神楽・舞楽が奏でられます
2.2600年以上途切れず続けられる「稲霊再生の核心」でございます。
第4.祭日の喪失とその本質的意味
1.明治4年までは立派な国民の祝日でした
2.昭和23年の祝日法で「勤労感謝の日」と改められ、新嘗祭の名と深い意味が公式から消されてしまいました
3.これは天皇・稲霊・国民を結ぶ縦のつながりを意図的に断ち切る行為でもありました
第5.私たちがなすべきこと
今日という日を「ただの勤労感謝の日」ではなく、天照大神から賜った稲霊を天皇陛下が更新してくださる「国の誕生日」としていただき、心から祝い直したいと思います。
お茶碗の一粒のお米にも、太陽と水と土と農家さんの汗、そして歴代天皇が守り続けてこられた祈りが宿っております。
今日だけでも、どうか深く感謝しながらいただきましょう。
そして、いつか必ず「新嘗祭」という美しい四文字が、再び国民の祝日として復活する日が来ると信じております。
その日まで、毎年11月23日は、心の中だけでも「新嘗祭」と呼び続けましょう。
新嘗祭、本当に尊い一日でございます。
天皇陛下におかれましては、本日もご健やかに稲霊と対面され、倭国国の豊穣をお祈りくださいませ。
私ども国民は、心より御恵みをいただいております。
ありがとうございます。謹んで感謝申し上げます。
皇紀2685年11月23日 November 11, 2025
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愛媛の皆様、ありがとうございました!私は訴えの中で、「倭国人としての誇りを次の世代へつなぐためにも、義務教育の中で『古事記』や『倭国書紀』に触れる機会を増やしていくことが大切だ」と、訴えております。
大国主命と少彦名命にまつわる神話が残る、道後温泉がある愛媛で、特にその様に感じました。
明日は岡山と広島に伺います。皆様とお会いできるのを楽しみにしております。 November 11, 2025
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@6UhiP9zdH994205 @YupYupan 古来というなら、群臣推挙で天皇に選ばれたのが、初の女性天皇とされている推古天皇ですね。
敬宮さまがお生まれになった時の読書鳴弦の儀では、倭国書紀から推古天皇段が読み上げられました。 https://t.co/GwJ3ng029S November 11, 2025
奇岩「亀岩」の神話と怪異譚
岡山市東区水門町に、文字通り亀のような形をした巨岩が鎮座しています。その場所は亀石神社として祀られています。
この岩には、倭国の古代史と怪異譚が詰まっていてロマンがあります。
・神武東征にまつわる伝承
古事記や倭国書紀によると、初代天皇とされる神武天皇が東征(大和地方を目指した移動)を行っていた際、兄の五瀬命(いつせのみこと)らと共に移動していると、亀に乗った釣り人が現れ、水先案内をしたという記述があります。
この亀が化石となって残ったのが、この亀岩だと伝えられているんです。古代の英雄譚と繋がっている点が非常に興味深いですね。
・後楽園への移動をめぐる怪異
亀岩には、もう一つ有名なエピソードがあります。
江戸時代、岡山藩の殿様がこの亀岩を気に入り、藩主の静養の場であった後楽園(当時はまだ後楽園という名前ではない)へ移設させようとしました。
しかし、岩を移動させている途中、周囲が暗くなると岩が異様な光を発し始めたそうです。藩主はこれを「よくない兆候、祟りだ」と考え、移動を断念。亀岩は現在の位置に戻されたとのこと。
後楽園は、池や築山を巡る回遊式庭園で、景観の石にも非常にこだわって造られています。
それほどまでに殿様が欲しがった岩が、自らの意思で移動を拒否したという、神聖な場所の物語として今に伝わっています。
古代からの神話と、近世の怪異譚が混ざり合う亀岩。リゾート地でも観光地でもない静かな場所ですが、岡山の歴史の深さを感じられるスポットです。
岡山の街角から/亀岩神社
https://t.co/51Gvf7dLMf November 11, 2025
誰でもいられるユーチューブで沖縄の重要性が出ている
動画があるよ。辿れる人は見つけ出して。古事記や倭国書紀、外伝と呼ばれる伝承書など今でも読まれてるものの解説がからいきつくかも。 November 11, 2025
古事記と倭国書紀は実際にあった出来事をまとめている
他の様々な外伝など知られていない古史実の書物も全くの嘘ではなく。支配した者と支配された者双方の立場から書かれているので内容が異なる、当時の支配者に都合の悪い事は伏せて書くのはどの時代でもある事だ。
勝てなかった側は逃れていった。 November 11, 2025
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