新田義貞 トレンド
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2025.11.29
:0% :0% (30代/男性)
新田義貞に関するポスト数は前日に比べ634%増加しました。女性の比率は7%増加し、前日に変わり30代男性の皆さんからのポストが最も多いです。前日は「時代」に関する評判が話題でしたが、本日話題になっているキーワードは「逃げ上手の若君」です。
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逃げ若で出てきた四条殿
おそらく四条隆資殿のことだと思いますが、どこかで同じようなことを見ましたが逃げ若では顔がイギリスの王ジョンにそっくりと言われています。
で、四条隆資殿の実力はというと割とやりてだったと見え、京都合戦では名和長年や千種忠顕が戦死する中撤退に成功するなど軍事的功績も残しています。
また新田義貞の弟、脇谷義助が北陸から落ち延びてきた時は敗戦を責める公卿が多い中、十分な支援をしなかった公家を責める発言をするなど武士に対して、戦さに対しての目線が普通の公家とは一線を画しているようにも見受けられます。
子供達が次々と戦死する中、自らも最後まで難聴のために戦い戦場の露と消えた公家大将です。
北畠顕家同様、生きていてほしい公家でした。 November 11, 2025
443RP
飲み会における南北朝時代人の対応
・足利直義…節度を守り決まった量以上のお酒は飲まず翌日も涼しい顔で出勤
・高師直…女がいない飲み会、もしくは自分のためにならない飲み会には参加しない
・高師泰…めちゃくちゃ飲むし周りにもイッキを勧める。でも絶対に潰れない
・佐々木道誉…常に酒の上に金箔が散らされている
・斯波家長…お酒は20歳になってから!
・北畠顕家…高級酒しか飲まんと言っておきながら酔うと地方の地酒を褒め倒す
・北畠親房…酔うと講義が始まる
・楠木正成…なんでも飲むが〆は必ずおにぎりと味噌汁と決めている
・新田義貞…酒の種類なんて知らないが全部美味しく飲む
・我…圧倒的カリスマ性により常に会話の輪の中心にいて平和な飲み会をする飲みニケーションマスター
・逃げ上手のあいつ…お酒に激弱。酔うと我をド詰めする
・土岐頼遠…鯨飲し泥酔しところ構わず矢を放つ November 11, 2025
7RP
栗栖野華ノ木町(くりすのはなのきちょう) 京都府京都市山科区
華蔵寺町(けぞうじまち) 群馬県伊勢崎市
嵯峨清滝一華表町(さがきよたきいっかひょうちょう) 京都府京都市右京区
嵯峨鳥居本一華表町(さがとりいもといっかひょうちょう) 京都府京都市右京区
聖護院蓮華蔵町(しょうごいんれんげぞうちょう) 京都府京都市左京区
末武上華陵(すえたけかみかりょう) 山口県下松市
精華台(せいかだい) 京都府相楽郡精華町
精華町(せいかまち) 岐阜県多治見市
大聖寺法華坊町(だいしょうじほっけぼうまち) 石川県加賀市
曇華院前町(どんげいんまえちょう) 京都府京都市中京区
華川町小豆畑(はなかわちょうあずはた) 茨城県北茨城市
華川町臼場(はなかわちょううすば) 茨城県北茨城市
華川町上小津田(はなかわちょうかみこつだ) 茨城県北茨城市
華川町車(はなかわちょうくるま) 茨城県北茨城市
華川町下小津田(はなかわちょうしもこつだ) 茨城県北茨城市
華川町下相田(はなかわちょうしもそうだ) 茨城県北茨城市
華川町中妻(はなかわちょうなかつま) 茨城県北茨城市
華川町花園(はなかわちょうはなぞの) 茨城県北茨城市
華城中央(はなぎちゅうおう) 山口県防府市
華園町(はなぞのちょう) 山口県防府市
弁華別(べんけべつ) 北海道石狩郡当別町
細畑華南(ほそばたかなん) 岐阜県岐阜市
「華」を含む地名— 36 件
「華」を含む町域名
法華(ほっけ) 愛知県名古屋市中川区
法華寺町(ほっけじちょう) 奈良県奈良市
法華西町(ほっけにしまち) 愛知県名古屋市中川区
龍華町(りゅうげちょう) 大阪府八尾市
留辺蘂町金華(るべしべちょうかねはな) 北海道北見市
礼文華(れぶんげ) 北海道虻田郡豊浦町
丹波高地の全ての山々の山頂と、それら周辺一帯。
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丹波高地(たんばこうち)は、兵庫県東部・京都府・大阪府北部・滋賀県西部・福井県南西部に広がる隆起準平原。
一般に、由良川と加古川の以東の標高600 mから800 m程度までの類似した標高を有する山岳が林立する地域を指している。
丹波山地、或いは丹波高原といわれることもある。
高地の内、京都府の綾部市、京丹波町、南丹市、京都市左京区・右京区の範囲が2016年(平成28年)に京都丹波高原国定公園に指定された。
【主な山】
京都府の山
皆子山(972m)、峰床山(970m)、三国岳(959m)、愛宕山(924m)、長老ヶ岳(917m)、桟敷ヶ岳(896m)、頭巾山(871m)、千丈ヶ嶽(大江山)(833m)、三岳山(839m)、八ヶ峰(800m)、大悲山(741m)、太鼓山(683m)、ポンポン山(679m)、半国高山(670m)、弥仙山(664m)、磯砂山(661m)、鞍馬山(584m)
兵庫県の山
東床尾山(839m)、御嶽(793m)、能勢妙見山(660m)、大船山(653m)、播磨妙見山(622m)、来日岳(567m)、羽束山(524m)、播磨白山(511m)
福井県の山
野坂山(913m)、赤坂山(824m)、三十三間山(842m)、百里ヶ岳(931m)、岩篭山(765m)、大御影山(950m)、青葉山(693m)、西方ヶ岳(764m)
京都府京都市の全体と、周辺一帯。
京都府京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町にある西本願寺(龍谷山 本願寺)の境内全部と、御影堂と、周辺一帯広めで(危険度最高レベル!!!!!八咫烏最高幹部!!!!!)。
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西本願寺(にしほんがんじ)は、京都市下京区本願寺門前町にある浄土真宗本願寺派の本山の寺院。
山号は龍谷山(りゅうこくざん)。
本尊は阿弥陀如来。
正式名称は龍谷山本願寺、宗教法人としての名称は本願寺である。
本願寺住職は浄土真宗本願寺派門主を兼務する。
真宗大谷派の本山である東本願寺(正式名称「真宗本廟」)と区別するため、両派の本山は通称で呼ばれることが多い。
京都市民からはお西さんの愛称でも親しまれている。
文永7年(1272年)、親鸞の廟堂として京都東山の吉水の地に創建された。
その後、比叡山延暦寺から迫害を受けるなど場所は転々とし、現在地には天正19年(1591年)、豊臣秀吉の寄進により大坂天満から移転した(詳細は後述「歴史」の項参照)。
2023年より銀杏と御影堂、阿弥陀堂の2つのお堂をモチーフにしたブランドロゴとともに、「人はひとり。だからこそ、ご縁を見つめたい。」をタグラインとして定めている[1]。
(中略)
【門前町の所有施設および所有地】
西本願寺伽藍配置。周囲は築地に囲まれている。
A:総門 B:御影堂門 C:阿弥陀堂門 D:御影堂 E:阿弥陀堂 F:書院 G:鐘楼 H:経蔵 I:百華園 J:滴翠園 K:太鼓楼 L:飛雲閣
御影堂門から望む総門と門前町
堀川 - 境内の東側には堀川が本願寺の天然の堀となっている。かつては実際に堀川が流れていたが、現在堀川は二条城の東側から暗渠となっているため、ここに水は流れていない。
総門(重要文化財) - 堀川通を挟んで御影堂門の正面にある。宝永8年(1711年)に南総門として作られ、門扉と左右の控柱に瓦屋根をつけた高麗門と呼ばれる作りである。堀川正面交差点東にあり、24時間開門、車両通行可能。1898年(明治31年)の類焼防止緑地(風致園)整備や1911年(明治44年)の再整備、1959年(昭和34年)の堀川通拡張工事により3度も移設されている。なお、北総門は太鼓楼付近にあったが、福井県の吉崎別院に移設されている。
伝道第三本部庁舎
龍谷ミュージアム - 本願寺派の宗門校である龍谷大学の博物館。2011年(平成23年)に開館した倭国初の仏教総合博物館である。
本願寺伝道院(重要文化財) - 1912年(明治45年)に伊東忠太の設計により、真宗信徒生命保険株式会社の社屋として建てられたもの。
本願寺国際センター - 本願寺至心教堂内にある。
下間大門 - 龍谷大学大宮学舎内にあり、台所門の南側にある。大宮学舎の一帯は、かつて下間家をはじめ、本願寺に代々勤めていた関係者の住宅街であったことを物語る。
【北境内地】
花屋町通を挟んで北側にある。かつて日蓮宗大本山本圀寺があった所である。
1971年(昭和46年)に本圀寺が山科区に移転した後、1986年(昭和61年)に本願寺の境内となった。
駐車場
聞法会館 - 宿坊。
本願寺門徒会館
伝道第二本部庁舎
【文化財 国宝】
御影堂[9]
阿弥陀堂[10] 附:渡廊下、喚鐘廊下
書院(対面所及び白書院)
北能舞台
黒書院及び伝廊 2棟
飛雲閣
唐門
紙本墨画親鸞聖人像(鏡御影) 附:絹本著色親鸞聖人像(安城御影)・ 絹本著色親鸞聖人像(安城御影副本)
『観無量寿経註』 親鸞筆
『阿弥陀経註』 親鸞筆
熊野懐紙(後鳥羽天皇宸翰以下11通)附:伏見宮貞敦親王御添状1巻、飛鳥井雅章添状1巻
三十六人家集37帖、附:後奈良天皇宸翰女房奉書1幅
三十六人家集のうち「重之集」の帖末
三十六人家集のうち「重之集」の帖末
【文化財 重要文化財】
建造物
玄関、浪之間、虎之間、太鼓之間 1棟
能舞台(南能舞台)附:橋掛
浴室(黄鶴台)附:廻廊
本願寺 7棟[11][注釈 3]
経蔵
鐘楼
手水所
鼓楼
御影堂門
阿弥陀堂門
総門
附:御成門
附:目隠塀
附:築地塀 3棟
旧真宗信徒生命保険株式会社本館(本願寺伝道院) - 下京区油小路通正面下る玉本町所在[12]。
美術工芸品
絹本著色聖徳太子像
紙本著色親鸞・如信・覚如三上人像
紙本著色善信上人絵(琳阿本) 2巻
紙本著色慕帰絵詞 画隆章、隆昌、久信筆 10巻
絹本著色雪中柳鷺図(伝趙仲穆筆)
絹本著色親鸞聖人絵伝 6幅
銅鐘(梵鐘)
『歎異抄』 2巻 蓮如書写奥書
『教行信証』 6冊
『唯信抄』 親鸞筆
『浄土三経往生文類』 自筆本(略本)
尊円親王詩歌書巻 自筆本(鷹手本)
版本『浄土論註』 上下 2帖 建長8年親鸞加点奥書
『伏見天皇宸翰歌集』(99首)
『栄花物語』 15帖
恵信尼自筆書状類 覚信尼宛 10通
証如上人極官関係文書 3幅、2巻
親鸞自筆書状類(4通) 2巻
『天文日記(光教日記)』自筆本 56冊、11巻
本願寺御影堂留守職歴代譲状(18通)12巻 附 本願寺留守職相伝系図3通、光佐以下歴代譲状(6通)4巻2通
※ 典拠:2000年までの指定物件については『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。
国指定史跡
本願寺境内
国指定特別名勝・史跡
本願寺書院庭園
国指定名勝
滴翠園
京都市指定天然記念物
大銀杏
住職
→詳細は「浄土真宗本願寺派 § 歴代宗主」を参照
西本願寺の住職は、浄土真宗本願寺派の門主を代々務めている。
2024年1月時点、第25代門主釋専如(大谷光淳)が本願寺住職である。
なお、宗教法人「本願寺」としての代表役員は本願寺執行長を充てる[13]。
別院
→詳細は「浄土真宗本願寺派 § 別院・教堂」を参照
代表的な別院
吉崎別院 - 吉崎御坊跡地
名古屋別院
山科別院 - 山科本願寺跡地
津村別院(北御堂) - 真宗大谷派の南御堂と並び、門前を通る大阪市のメインストリートが御堂筋と呼ばれる所以である。
鷺森別院(鷺森本願寺) - 文明8年(1467年)に第8代宗主蓮如が建立。
広島別院 - 安芸門徒の中心道場。
四日市別院 ‐ 大分県 宇佐市
鹿児島別院 - 隠れ念仏と解禁後の鹿児島市街の布教拠点。
築地別院(築地本願寺) - 元和3年(1617年)に第12代宗主准如が西本願寺の別院として建立。2012年(平成24年)に西本願寺唯一の「直轄寺院」となり、それまでは通称だった「築地本願寺」が正式名称となったため、現在は「別院」ではなくなっている。
飛地境内
大谷本廟 - 京都市東山区五条橋東六丁目にある。親鸞の墓所で通称は「西大谷」。
日野誕生院 - 京都市伏見区日野西大道町にある。親鸞誕生の地を記念して建てられた。
角坊 - 京都市右京区山ノ内御堂殿町にある。親鸞往生の地を記念して建てられた。
別荘
三夜荘 - 京都市伏見区にあった、かつての門主の別荘。第21代門主の大谷光尊が1876年(明治9年)に建築し、木戸孝允が命名するが、老朽化のため解体された。
【年中行事】
西本願寺ホームページの「恒例法要と行事」による。
1月1日 : 修正会、元旦会
1月9日 - 16日 : 御正忌報恩講(親鸞の祥月命日)
2月7日 : 如月忌(九條武子の遺徳を偲ぶ)
春分の日前後7日間 : 春季彼岸会
4月8日 : 花まつり(灌仏会)
4月13 - 15日 : 春の法要(立教開宗記念法要、本願寺歴代住職の年回法要)
5月20 - 21日 : 宗祖降誕会
8月上旬 : 盆踊り大会
8月14 - 15日 : 盂蘭盆会
8月15日 : 戦没者追悼法要
9月18日 : 千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要(東京、国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑にて)
秋分の日前後7日間 : 秋季彼岸会
10月15 - 16日 : 龍谷会(大谷本廟報恩講法要)
10月中旬 - 11日中旬 : 献菊展
11月下旬 : 秋の法要(全国門徒総追悼法要)
12月20日 : 御煤払
12月31日 : 除夜会
京都府京都市下京区烏丸通七条上るにある東本願寺の境内全部と、御影堂と、周辺一帯広めで。(危険度最高レベル!!!!!八咫烏最高幹部!!!!!)
https://t.co/hbC4T2IYnb
東本願寺(ひがしほんがんじ)は、京都市下京区にある真宗大谷派の本山の寺院[1]。
山号はなし。
本尊は阿弥陀如来。
正式名称は真宗本廟(しんしゅうほんびょう)[2][3]である。
東本願寺の名は通称であり、西本願寺(龍谷山本願寺)に対して東に位置することに由来している。
愛称は「お東」「お東さん」。
2020年(令和2年)7月現在の門首は、大谷暢裕(修如)。
京都府京都市北区紫野大徳寺町53にある大徳寺(危険度最高レベル!!!!!八咫烏最高幹部!!!!!)と、周辺の聖地群史跡群水辺群の全地点と、それら周辺一帯広めで。
https://t.co/FsdZoviwhE
大徳寺(だいとくじ、旧字体:大德寺)は、京都市北区紫野大徳寺町にある臨済宗大徳寺派の大本山の寺院。
山号は龍宝山(りゅうほうざん)。
本尊は釈迦如来。開山は宗峰妙超(大燈国師)で、正中2年(1325年)に正式に創立されている。
京都でも有数の規模を有する禅宗寺院で、境内には仏殿や法堂(はっとう)をはじめとする中心伽藍のほか、20か寺を超える塔頭が立ち並び、近世寺院の雰囲気を残している。
大徳寺は多くの名僧を輩出し、茶の湯文化とも縁が深く、倭国の文化に多大な影響を与え続けてきた寺院である。
本坊および塔頭寺院には、建造物・庭園・障壁画・茶道具・中国伝来の書画など、多くの文化財を残している。
なお、大徳寺本坊は一般には非公開であり、塔頭も非公開のところが多い。
歴史
大徳寺の開祖である禅僧・宗峰妙超は、弘安5年(1282年)に播磨国(現・兵庫県)で赤松氏の家臣・浦上一国と赤松則村(円心)の姉との間に生まれた。
11歳の時、地元の大寺院である圓教寺に入り、天台宗を学ぶが、後に禅宗に目覚め、鎌倉の高峰顕日、京の南浦紹明に参禅。
南浦紹明が鎌倉の建長寺に移るに従って宗峰も鎌倉入りし、徳治2年(1307年)に師から印可を得た。
その後数年京都東山で修行を続けていた宗峰妙超は、正和4年(1315年)ないし元応元年(1319年)に叔父の赤松則村(円心)の帰依を受け、洛北紫野の地に小堂・大徳庵を建立した。
これが大徳寺の起源という。
花園上皇は宗峰に帰依し、正中2年(1325年)に大徳寺を祈願所とする院宣を発している。
寺院としての形態が整うのはこの頃からと考えられる。
後醍醐天皇も当寺を保護し、建武元年(1334年)には大徳寺を京都五山のさらに上位に位置づけるとする綸旨を発している。
また、花園天皇や光厳天皇ら歴代天皇、中御門経継、守良親王、新田義貞などの有力貴族からの寄進を受け、1333年ころには播磨、摂津、紀伊などの畿内各地に加え、信濃、下総、美濃のなど広範囲にわたって延7,600石の寺領を有していた。
しかし、建武の新政が瓦解して室町幕府が成立すると、後醍醐天皇と関係の深かった大徳寺は足利将軍家から軽んじられ、京都五山から除かれてしまった。
至徳3年(1386年)には、十刹の最下位に近い第9位となっている。
このため第二十六世養叟宗頤は、永享3年(1432年)足利政権の庇護と統制下にあって世俗化しつつあった五山十刹から離脱し、座禅修行に専心するという独自の道をとった。
五山十刹の寺院を「叢林」(そうりん)と称するのに対し、同じ臨済宗寺院でも、大徳寺や妙心寺のような在野的立場にある寺院を「林下」(りんか)という。
その後の大徳寺は、貴族・大名・商人・文化人など幅広い層の保護や支持を受けて栄え、室町時代以降は一休宗純をはじめとする名僧を輩出した。
侘び茶を創始した村田珠光などの東山文化を担う者たちが一休に参禅して以来、大徳寺は茶の湯の世界とも縁が深く、武野紹鴎・千利休・小堀遠州をはじめ多くの茶人が大徳寺と関係をもっている。
また国宝の塔頭龍光院密庵(みったん)など文化財に指定された茶室も多く残る。
このため京童からは「妙心寺の算盤面」「東福寺の伽藍面」「建仁寺の学問面」などと並んで「大徳寺の茶面(ちゃづら)」と皮肉られた。
享徳2年(1453年)の火災、そして応仁の乱による被害で当初の伽藍を焼失したが、一休宗純が堺の豪商・尾和宗臨らの協力を得て復興。
また、各地の守護大名によって塔頭が建立されたりもしている。
天正10年(1582年)6月2日の本能寺の変で織田信長が自害した後の同年10月15日には、羽柴秀吉によって信長の葬儀が当寺で盛大に執り行われている。
翌年には秀吉によって信長の菩提寺として塔頭・総見院が創建されている。
大徳寺山門供養之偈 春屋宗园
これ以後も秀吉や諸大名から篤い帰依を受け、天正17年(1589年)には千利休によって山門・金毛閣が完成している。
利休は晩年にこの山門修築の事業を引き継いで門の上に閣を重ねて楼門を造り金毛閣を寄進した。
利休は山門を修復した後、住職の春屋宗園に山門の供養を書かせたが、それにより豊臣秀吉を怒らせたとされる。
江戸時代初期に江戸幕府の統制を受け、元住持の高僧・沢庵宗彭が紫衣事件で流罪となる圧迫を受けたが、三代将軍徳川家光が沢庵に帰依したこともあって幕府との関係ものちに回復した。
近世には「二十四塔頭、六十寮舎・子庵」あるいは「二十四塔頭、准塔頭五十九宇(「六十五宇」とも)」などと呼ばれ、末寺は25ヶ国280余寺、末寺の塔頭130余院を数えるほど栄え、朱印地は2,011石余を有した。
この広大な寺領が大徳寺の経済的基盤であったが、明治維新後の上知令によって多くを失ってしまう。
なんとか堂宇を維持するため1878年(明治11年)、塔頭13寺を合併(事実上廃絶)、4寺を切縮[1]、20寺を永続塔頭とする縮小を行う[2]ものの、寺運は栄え今日に至っている。
【境内】
勅使門、山門、仏殿、法堂がほぼ一直線に並び、これら中心伽藍の北・南・西に20か寺以上の塔頭寺院が並ぶ。
仏殿(重要文化財) - 当寺の本堂。寛文5年(1665年)に京の豪商・那波常有(なわじょうゆう)による寄進で再建された。本尊の釈迦如来坐像を祀っている。なお本尊釈迦如来坐像は、寛文年間に再建された方広寺大仏(京の大仏)の1/10サイズの模像であるとされる。方広寺を管理下に置いていた妙法院側の史料である『洛東大仏殿修覆並釈迦大像造営記』および大徳寺側の史料である『竜宝塔頭位次』によると、本尊釈迦如来坐像は、大仏製作を手掛けた仏師玄信により、大仏の試作品として製作されたが、それが時の将軍徳川家綱の手を経て、大徳寺に寄進されたものであるという(方広寺大仏再建には江戸幕府が関与していた)[3]。障壁画は海北友松の筆。天井画は狩野元信による飛天図で、文明11年(1479年)に堺の豪商・尾和宗臨の寄進で再建された以前の仏殿からの再利用である。
法堂(重要文化財) - 寛永13年(1636年)に小田原藩主稲葉正勝の遺志により、子の正則によって再建された。天井に描かれている「雲龍図」は狩野探幽35歳の作である。
経蔵(重要文化財) - 寛永13年(1636年)に那波宗旦により再建。
鐘楼(重要文化財) - 天正11年(1583年)再建。
本坊(宗務本所)
庫裏(重要文化財) - 寛永13年(1636年)頃再建。旧方丈の古材を使用している。
寝堂(重要文化財) - 茶堂とも呼ばれる。寛永7年(1630年)に長州藩の家老・益田元祥により建立。
廊下(重要文化財)
方丈(国宝) - 寛永12年(1635年)の再建で、禅宗様建築である法堂や仏殿と異なる倭国様式の建物である。方丈は正面29.8メートル、側面17.0メートル、入母屋造で桟瓦葺(本来は檜皮葺)、開祖・宗峰妙超(大燈国師)の300年遠忌を記念して建てられたもの。方丈は元来は住職の居室を指したが、後に住持の居間は別所に移転され、朝廷の勅使や幕府役人の接待や宗教行事などに用いられる空間となった。通常の方丈建築は、前後2列・左右3列の計6室を並べる平面形式が多いが、大徳寺方丈は前後2列・左右4列の計8室をもつ特異な形式で、向かって右から2列目の前後2室は、妙超の塔所(墓所)である雲門庵となっている。雲門庵の一部は方丈北面の広縁を越えて北側に突出している。妙超は自らの死後に墓所として別の寺院を建てるには及ばぬと遺言していたため、このような形式になっている。方丈の障壁画84面は狩野探幽の作。
玄関(国宝) - 寛永13年(1636年)に豪商・後藤益勝の寄進で建立された。桁行6間、梁間1間、一重、唐破風造で桟瓦葺。中心伽藍の北側に位置し、土塀に囲まれた一角にあたる。
方丈南庭(国指定史跡・特別名勝) - 枯山水庭園。天祐和尚の作庭。
唐門(国宝) - 近世初頭の四脚門。切妻造、檜皮葺。前後軒唐破風付のいわゆる向唐門。西本願寺と豊国神社の唐門とともに「桃山の三唐門」と呼ばれる。仏殿や法堂などの中心伽藍の北に位置し、方丈南の土塀に接続する。かつて唐門の位置には明智門と呼ばれる本能寺の変直後に明智光秀が寄進した銀を元手に建築された門があったが、1886年(明治19年)に明智門を南禅寺の塔頭金地院に売却したことに伴い、聚楽第から移築されたと伝わる三門西側の大慈院に通じる通りに建っていた唐門を大徳寺方丈前に移築した。なお、金地院に移築された明智門の位置にもともとあった門が、現在の豊国神社の唐門である。当寺の唐門の特徴は各所にみられる自由闊達な彫刻で、随所に龍や鯉などの彫刻が施され、一部では組物の代わりにこうした彫刻が用いられている。別名「日暮門」というのはこの門を見ていると日の暮れるのも忘れてしまうということから来ており、聚楽第故地に「日暮通」の名が残るのもこの門を由来としていると伝える。2003年(平成14年)に京都府教育委員会により解体修理が行われその際、飾り金物から「天正」の刻銘が発見されたことから、伝承通り聚楽第の遺構であることが有力視されるようになった。ただし解体修理を担った府教委担当者が断定を控えるなど、異論もある。解体修理の際、慶長八年銘の棟札が発見されそこには「越後住人村上周防守頼勝」から寄付された「官門」である旨書かれていた。これを根拠に最近、聚楽第東大手門門前にあった村上周防屋敷の「御成門(豊臣秀吉を迎えるための専用の門)」ではなかったかとする説が提出された[4]。また、日光東照宮の陽明門(日暮門)のモデルになったともいう。
方丈東庭「七五三の庭」 - 十六羅漢の庭とも呼ばれる。小堀遠州の作という。
茶室「起龍軒」
侍真寮(重要文化財) - 室町時代後期の建立。
本坊表門
近衛家墓所
近衛家歴代の墓
鐘楼 - 袴腰が漆喰で塗られている珍しい造り。
千体地蔵塚 - 約700体の石造地蔵尊が祀られている。
平康頼の墓
山門(三門、重要文化財) - 二層の山門で金毛閣と呼ばれる。連歌師・宗長の寄進で享禄2年(1529年)にまず下層のみが竣工し、天正17年(1589年)に千利休によって上層が完成すると、「金毛閣」と名付けられた。利休の恩に報いるために寺は上層に雪駄を履いた利休の木像を安置した。このため、門を通る者は利休の足下をくぐることになり、これが豊臣秀吉の怒りを買って利休切腹の一因となったと伝わる。このテキストは、千利休が住職の春屋宗園に書かせた山門の寄進の偈に関するもので、内容は「千門萬戶一時開、月斧雲斤功夫哉、據地金毛高閣上、舉揭臨濟話頭來」である。天井画の龍図は長谷川等伯の作。額「金毛閣」は雲英宗偉の筆。
勅使門(重要文化財) - 慶長年間(1596年 - 1614年)建築の御所の門を後水尾上皇より下賜され、寛永17年(1640年)に現在地に移築した。
浴室(重要文化財) - 元和8年(1622年)に京の町人・灰屋紹益(はいやじょうゆ)の寄進により再建。
南門
梶井門 - 開けずの門とも呼ばれる。もとは大徳寺の南にあった梶井門跡(現・三千院)の門。
総門
【塔頭】
大徳寺は塔頭24(うち2寺は門外)を有する[5]。
2021年現在、常時拝観可能な塔頭は龍源院、瑞峯院、大仙院、高桐院の4か院のみで、大部分の塔頭は参詣を受け付けておらず、特別拝観の類も行っていない。
徳禅寺 - 元は徹翁義亨が船岡山の東に創建した独立した一禅寺。しかし、応仁の乱で焼失し、徹翁を尊敬していた一休が現在の場所に移して再興。明治の初めには無住の寺になっていたので、農業試験場になったり、悪疫が流行したときには、臨時の隔離病棟になったこともあった。
竜翔寺 - 南浦紹明の塔所として洛西の安井に創建。1386年(至徳3年)京都十刹に列せられる。大永7年(1527年)桂川原の戦いの兵火で荒廃した後、大徳寺境内で再興。1878年(明治11年)養徳院と合併案が出るが[2]これを回避、1925年(大正14年)に山口玄洞によって旧天瑞寺跡に再建された。
如意庵 - 14世紀後半応安年中創建。何度か場所を移るが、現在のものは1973年(昭和48年)に再興されたもの。
真珠庵 - 一休宗純ゆかりの寺院で、村田珠光作と伝わる庭園(史跡・名勝)と、曾我蛇足、長谷川等伯の障壁画で知られる。
養徳院 - 応永年間に足利義満の弟・足利満詮が、祇園の側に夫人善室の菩提を弔うため創建した妙雲寺が元で、後に満詮の法名を取り将軍の許可を得て養徳院と改称。明応年間に大徳寺山内に移動。
龍源院 - 大徳寺の塔頭の中で一番古く、仏恵大円国師を開祖として能登の畠山義元・周防の大内義興・豊後の大友義親が創建。龍吟庭・東滴壷・阿吽の石庭などの庭が知られる。方丈前の石庭は昭和末期に細合喝堂和尚の監修の元造られた。
大仙院 - 常時公開の塔頭で、国宝の本堂と特別名勝・史跡の枯山水庭園で知られる。
興臨院 - 畠山義総が建立。前田利家による修理以降は前田氏の菩提寺となる。方丈の床の間は倭国で最初のものといわれる。
瑞峯院 - 大友宗麟が建立。宗教専門紙「中外日報」の創始者真渓涙骨の墓がある。
聚光院 - 三好長慶の菩提のために嫡子・三好義継が建立。狩野永徳筆の国宝障壁画で知られる。千利休の墓塔(鎌倉期の石造宝塔を転用)があることでも知られる。
総見院 - 豊臣秀吉が織田信長の菩提のために建立。1878年(明治11年)大徳寺本寺に合併されたが[2]、大正期に再興された。
黄梅院 - 織田信長が父織田信秀の菩提を弔うため建立。蒲生氏郷の墓がある。1878年(明治11年)昌林庵と合併[2]。
三玄院 - 石田三成・浅野幸長・森忠政が建立。古田織部や石田三成の墓がある。古田織部好みの茶室「篁庵」がある。1878年(明治11年)清泉寺・大源庵と合併し、龍翔寺の場所へ移動[2]。
正受院 - 里村紹巴の墓がある。
大慈院 - 立花宗茂と藤村庸軒の墓がある。
高桐院 - 常時公開の塔頭。細川氏に所縁があり、京都での肥後細川氏の菩提寺。細川忠興やその室・ガラシャなどの墓がある。その他、出雲阿国のものと伝わる墓もある。楓と灯篭だけで構成された方丈の南庭が特徴的。忠興が北野大茶湯の際に使用したという茶室「松向軒」、利休屋敷から移築したという座敷もある。1878年(明治11年)泰勝庵と合併[2]。なお、現在は、新型コロナウイルスの影響により公開休止中である。
玉林院 - 天皇や皇族の医師であった曲直瀬正琳が建立したのが始まり。戦国武将・山中鹿之介の位牌堂などがある。
大徳寺保育園
大光院 - 大和豊臣家の菩提寺。豊臣秀吉と豊臣秀保が豊臣秀長の冥福を弔う為に建立した。秀長の墓がある。1878年(明治11年)清源庵と合併[2]。
龍光院 - 非公開の塔頭。黒田長政が父・黒田如水菩提のため三回忌の折に建立。如水や正室光、長政の墓所があり、天下の三大茶室「密庵(みったん)」(国宝)が著名。福岡藩黒田氏歴代の位牌が祀られ京都に於ける同家の菩提所。茶道具など数多くの国宝・重文を有するが、完全非公開を貫いている塔頭である。他に有栖川宮家の墓所(初代・好仁親王~七代・韶仁親王)や吉川広家の墓所もある。1878年(明治11年)寸松庵・看松庵と合併[2]。
芳春院 - 加賀前田家の菩提寺。前田利家他歴代前田氏の京都における菩提寺。1878年(明治11年)高林庵と合併[2]。
孤篷庵 - 小堀遠州が龍光院内に建立。現在は移築し、茶室「忘筌(ぼうせん)」(重要文化財)が著名。境内の外、西側にある。
龍泉庵 - 明応年間創建。明治維新後廃絶したが、1958年(昭和33年)紹溪尼(佐々木ルース夫人)が日米第一禅協会倭国支部を設立し、庵を復興。
【門外塔頭2寺】
来光寺 — 創建は不詳。大徳寺170世の清浄本然禅師・清巌宗渭を中興とする。1878年(明治11年)に京都府知事に提出された塔頭統廃合の計画である「合併切縮之儀ニ付御伺」に寺名がないことから、それ以降に大徳寺塔頭に編入されたと考えられる。
雲林院 - 境内の外、南側にある。829年(天長6年)に淳和天皇の離宮として建設された「紫野院」が832年(同9年)に「雲林亭」と改称されたことに始まる。844年には院号を受けて「雲林院」と称し、常康親王から遍照に付された。のちに天台宗元慶寺の別院となり、境内での菩提講についての記述が今昔物語や大鏡に見られる。983年(永観元年)に同地に「円融寺」が建立されると、雲林院は名称のみが残る状態となるが、1706年に大徳寺291世の江西宗寛が大燈国師を開祖として再興した。
瑞雲軒 - 昭和初期に旧有栖川宮邸の二階書院部分を移築して創建された2022年の方丈修復工事にあたり、同堂にあった大燈国師像の仮安置場所になっている。。
【旧塔頭】
松源院 - 春浦宗熙開祖のもと大徳寺塔頭。元禄12年(1699年)大用庵と合併、1878年(明治11年)に徳善寺へ合併された[2]後、奈良県宇陀市に再興。
天瑞寺(廃寺) - 豊臣家の菩提寺。龍翔寺の近くにあり、秀吉の母・大政所の霊屋があった。明治11年に大徳寺本寺へ合併[2]。
金龍院(廃寺) - この寺の辺りを天狗谷と呼んでいた。1878年(明治11年)龍源院へ合併[2]。
大源庵(廃寺) - 維新の時に筑前の軍が硝煙庫として使用していた。1878年(明治11年)三玄院へ合併[2]。
【文化財 国宝】
唐門 - 1952年(昭和27年)3月指定。
方丈及び玄関 2棟(附 玄関棟札2枚) - 1956年(昭和31年)6月指定。
絹本墨画淡彩観音図・猿鶴図 - 中国南宋時代(13世紀)の絵画。牧谿筆。「観音図」の左右に「猿図」「鶴図」を配する三幅対で、寸法は「観音図」が縦171.9センチメートル、横98.4センチメートル、「猿図」は縦173.3センチメートル、横99.4センチメートル、「鶴図」は173.1センチメートル、横99.3センチメートル。足利将軍家の美術コレクションである東山御物に含まれ、駿河国今川氏の太原雪斎により大徳寺に寄進されたという。足利義満の旧蔵を示す「道有」印(観音図)、「天山」印(猿図・鶴図)が捺されている。1951年(昭和26年)6月指定。
絹本著色大燈国師像 - 開祖宗峰妙超の頂相。建武元年(1334年)の作。寸法は縦115.5センチメートル、横56.7センチメートル。宗峰妙超の頂相は数多く存在し多くは像容は共通するが、当像は中でも根本像として評価されている。1953年(昭和28年)3月指定。
虚堂智愚墨蹟(きどうちぐ ぼくせき)- 中国南宋時代(13世紀)の墨跡。寸法は縦41.7センチメートル、横120センチメートル。虚堂智愚が達磨忌に際して記した香語で、虚堂智愚は大徳寺開山宗峰妙超の師である南浦紹明のさらに師である中国僧。年代は虚堂の晩年にあたる径山興聖万寿禅寺住職時代の咸淳3年(1267年)から死去する咸淳5年までの間と推定されている。千利休高弟の山上宗二から豊臣秀長家臣桑山重晴に伝授され、大徳寺に寄進されたという。1952年(昭和27年)3月指定。
後醍醐天皇宸翰御置文 元弘三年八月廿四日 - 後醍醐天皇の宸翰。寸法は縦48.8センチメートル、横87.9センチメートル。元弘3年(1333年)8月24日の筆。内容は後醍醐天皇が大徳寺には開山宗峰妙超の門流のみを止住させる「一流相承」を認めた置文である。元弘3年5月には後醍醐天皇の倒幕運動により鎌倉幕府が滅亡し、天皇が京都に入り論功行賞を行っていた時期にあたる。大徳寺に対してはこれに前後して荘園の寄進が行われており、後醍醐天皇の宗教政策の一環であると考えられている。1951年(昭和26年)6月指定。 November 11, 2025
1RP
双子山 (2,224 m)
大河原峠
蓼科山 (2,530 m)
長野県にある諏訪湖の全部と、周辺一帯。
あと、倭国の全ての天皇陵と古墳群、諏訪湖も、危険予想地点です。
https://t.co/NexEMktNIm
天皇陵
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宮内庁治定陵墓の一覧
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倭国全国に在る6945箇所の古墳
下記の霊山の全ての山頂と、それ等周辺一帯も、今は超危険でしょう。地下深くも、地上も、上空も大宇宙も!!!!
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倭国百霊峰
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倭国百霊山
倭国の国際線のある空港の一覧
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「龍」を含む地名— 3 件
「龍」を含む市区町村
大島郡龍郷町(おおしまぐんたつごうちょう) 鹿児島県
下伊那郡天龍村(しもいなぐんてんりゅうむら) 長野県
龍ケ崎市(りゅうがさきし) 茨城県
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「龍」を含む地名— 143 件
「龍」を含む町域名
安心院町龍王(あじむまちりゅうおう) 大分県宇佐市
伊香立上龍華町(いかだちかみりゅうげちょう) 滋賀県大津市
伊香立下龍華町(いかだちしもりゅうげちょう) 滋賀県大津市
揖西町龍子(いっさいちょうりゅうこ) 兵庫県たつの市
大石龍門(おおいしりゅうもん) 滋賀県大津市
大森八龍(おおもりはちりゅう) 愛知県名古屋市守山区
金龍寺丁(きんりゅうじちょう) 和歌山県和歌山市
嵯峨天龍寺油掛町(さがてんりゅうじあぶらかけちょう) 京都府京都市右京区
嵯峨天龍寺今堀町(さがてんりゅうじいまほりちょう) 京都府京都市右京区
嵯峨天龍寺北造路町(さがてんりゅうじきたつくりみちちょう) 京都府京都市右京区
嵯峨天龍寺車道町(さがてんりゅうじくるまみちちょう) 京都府京都市右京区
嵯峨天龍寺椎野町(さがてんりゅうじしいのちょう) 京都府京都市右京区
嵯峨天龍寺芒ノ馬場町(さがてんりゅうじすすきのばばちょう) 京都府京都市右京区
嵯峨天龍寺角倉町(さがてんりゅうじすみのくらちょう) 京都府京都市右京区
嵯峨天龍寺瀬戸川町(さがてんりゅうじせとがわちょう) 京都府京都市右京区
嵯峨天龍寺立石町(さがてんりゅうじたていしちょう) 京都府京都市右京区
嵯峨天龍寺造路町(さがてんりゅうじつくりみちちょう) 京都府京都市右京区
嵯峨天龍寺中島町(さがてんりゅうじなかじまちょう) 京都府京都市右京区
嵯峨天龍寺広道町(さがてんりゅうじひろみちちょう) 京都府京都市右京区
嵯峨天龍寺龍門町(さがてんりゅうじりゅうもんちょう) 京都府京都市右京区
嵯峨天龍寺若宮町(さがてんりゅうじわかみやちょう) 京都府京都市右京区
庄内町大龍(しょうないちょうおおたつ) 大分県由布市
庄内町龍原(しょうないちょうたつはる) 大分県由布市
青龍寺(しょうりゅうじ) 山形県鶴岡市
瑞龍町(ずいりゅうちょう) 茨城県常陸太田市
青龍町(せいりゅうちょう) 京都府京都市上京区
千住龍田町(せんじゅたつたちょう) 東京都足立区
大社町宇龍(たいしゃちょううりゅう) 島根県出雲市
龍池町(たついけちょう) 京都府京都市中京区
龍江(たつえ) 長野県飯田市
「龍」を含む地名— 143 件
「龍」を含む町域名
龍岡町下條東割(たつおかまちしもじょうひがしわり) 山梨県韮崎市
龍岡町下條南割(たつおかまちしもじょうみなみわり) 山梨県韮崎市
龍岡町若尾新田(たつおかまちわかおしんでん) 山梨県韮崎市
龍ケ迫(たつがさこ) 高知県幡多郡大月町
龍ケ原(たつがはら) 福岡県八女市
龍ケ谷(たつがや) 埼玉県入間郡越生町
龍郷(たつごう) 鹿児島県大島郡龍郷町
龍田(たつた) 奈良県生駒郡斑鳩町
龍田北(たつたきた) 奈良県生駒郡斑鳩町
龍田西(たつたにし) 奈良県生駒郡斑鳩町
龍田南(たつたみなみ) 奈良県生駒郡斑鳩町
龍田(たつだ) 熊本県熊本市北区
龍田陳内(たつだじんない) 熊本県熊本市北区
龍田弓削(たつだゆげ) 熊本県熊本市北区
龍ノ口(たつのくち) 青森県弘前市
龍ノ口町(たつのくちちょう) 愛知県名古屋市北区
龍野町旭町(たつのちょうあさひまち) 兵庫県たつの市
龍野町大手(たつのちょうおおて) 兵庫県たつの市
龍野町小宅北(たつのちょうおやけきた) 兵庫県たつの市
龍野町片山(たつのちょうかたやま) 兵庫県たつの市
龍野町上霞城(たつのちょうかみかじょう) 兵庫県たつの市
龍野町上川原(たつのちょうかみがわら) 兵庫県たつの市
龍野町川原町(たつのちょうかわらちょう) 兵庫県たつの市
龍野町北龍野(たつのちょうきたたつの) 兵庫県たつの市
龍野町島田(たつのちょうしまだ) 兵庫県たつの市
龍野町下霞城(たつのちょうしもかじょう) 兵庫県たつの市
龍野町下川原(たつのちょうしもがわら) 兵庫県たつの市
龍野町水神町(たつのちょうすいじんちょう) 兵庫県たつの市
龍野町末政(たつのちょうすえまさ) 兵庫県たつの市
龍野町立町(たつのちょうたてまち) 兵庫県たつの市
「龍」を含む地名— 143 件
「龍」を含む町域名
龍野町大道(たつのちょうだいどう) 兵庫県たつの市
龍野町富永(たつのちょうとみなが) 兵庫県たつの市
龍野町堂本(たつのちょうどうもと) 兵庫県たつの市
龍野町中井(たつのちょうなかい) 兵庫県たつの市
龍野町中霞城(たつのちょうなかかじょう) 兵庫県たつの市
龍野町中村(たつのちょうなかむら) 兵庫県たつの市
龍野町日飼(たつのちょうひがい) 兵庫県たつの市
龍野町日山(たつのちょうひやま) 兵庫県たつの市
龍野町福の神(たつのちょうふくのかみ) 兵庫県たつの市
龍野町本町(たつのちょうほんまち) 兵庫県たつの市
龍野町宮脇(たつのちょうみやわき) 兵庫県たつの市
龍野町門の外(たつのちょうもんのそと) 兵庫県たつの市
龍野町柳原(たつのちょうやなぎはら) 兵庫県たつの市
龍野町四箇(たつのちょうよっか) 兵庫県たつの市
龍野町(たつのまち) 兵庫県姫路市
龍間(たつま) 大阪府大東市
龍前町(たつまえちょう) 京都府京都市上京区
龍山町大嶺(たつやまちょうおおみね) 静岡県浜松市天竜区
龍山町下平山(たつやまちょうしもひらやま) 静岡県浜松市天竜区
龍山町瀬尻(たつやまちょうせじり) 静岡県浜松市天竜区
龍山町戸倉(たつやまちょうとくら) 静岡県浜松市天竜区
玉川町龍岡上(たまがわちょうりゅうおかかみ) 愛媛県今治市
玉川町龍岡下(たまがわちょうりゅうおかしも) 愛媛県今治市
但東町高龍寺(たんとうちょうこうりゅうじ) 兵庫県豊岡市
天龍(てんりゅう) 静岡県磐田市
天龍川町(てんりゅうがわちょう) 静岡県浜松市中央区
西有家町龍石(にしありえちょうたついし) 長崎県南島原市
野向町龍谷(のむきちょうりゅうだに) 福井県勝山市
白龍町(はくりゅうちょう) 愛知県名古屋市瑞穂区
八龍町(はちりゅうちょう) 愛知県名古屋市北区
「龍」を含む地名— 143 件
「龍」を含む町域名
水沢龍ケ馬場(みずさわりゅうがばば) 岩手県奥州市
三厩龍浜(みんまやたつはま) 青森県東津軽郡外ヶ浜町
紫野上石龍町(むらさきのかみせきりゅうちょう) 京都府京都市北区
紫野下石龍町(むらさきのしもせきりゅうちょう) 京都府京都市北区
紫野石龍町(むらさきのせきりゅうちょう) 京都府京都市北区
室生龍口(むろうりゅうぐち) 奈良県宇陀市
横大路龍ケ池(よこおおじたつがいけ) 京都府京都市伏見区
龍円寺前(りゅうえんじまえ) 宮城県亘理郡亘理町
龍角寺(りゅうかくじ) 千葉県印旛郡栄町
龍ケ崎町歩(りゅうがさきちょうぶ) 千葉県印旛郡栄町
龍ケ岳町大道(りゅうがたけまちおおどう) 熊本県上天草市
龍ケ岳町高戸(りゅうがたけまちたかど) 熊本県上天草市
龍ケ岳町樋島(りゅうがたけまちひのしま) 熊本県上天草市
龍華町(りゅうげちょう) 大阪府八尾市
龍光町(りゅうこうちょう) 静岡県浜松市中央区
龍湖瀬町(りゅうごぜまち) 福岡県大牟田市
龍地(りゅうじ) 山梨県甲斐市
龍城ケ丘(りゅうじょうがおか) 神奈川県平塚市
龍神村小家(りゅうじんむらおいえ) 和歌山県田辺市
龍神村甲斐ノ川(りゅうじんむらかいのがわ) 和歌山県田辺市
龍神村小又川(りゅうじんむらこまたがわ) 和歌山県田辺市
龍神村殿原(りゅうじんむらとのはら) 和歌山県田辺市
龍神村西(りゅうじんむらにし) 和歌山県田辺市
龍神村丹生ノ川(りゅうじんむらにゅうのがわ) 和歌山県田辺市
龍神村東(りゅうじんむらひがし) 和歌山県田辺市
龍神村広井原(りゅうじんむらひろいはら) 和歌山県田辺市
龍神村福井(りゅうじんむらふくい) 和歌山県田辺市
龍神村三ツ又(りゅうじんむらみつまた) 和歌山県田辺市
龍神村宮代(りゅうじんむらみやしろ) 和歌山県田辺市
龍神村安井(りゅうじんむらやすい) 和歌山県田辺市
「龍」を含む地名— 143 件
「龍」を含む町域名
龍神村柳瀬(りゅうじんむらやなせ) 和歌山県田辺市
龍神村湯ノ又(りゅうじんむらゆのまた) 和歌山県田辺市
龍神村龍神(りゅうじんむらりゅうじん) 和歌山県田辺市
龍助町(りゅうすけちょう) 石川県小松市
龍泉(りゅうせん) 大阪府富田林市
龍禅寺町(りゅうぜんじちょう) 静岡県浜松市中央区
龍造寺町(りゅうぞうじちょう) 大阪府大阪市中央区
龍蔵寺町(りゅうぞうじまち) 群馬県前橋市
龍島(りゅうとう) 鳥取県東伯郡湯梨浜町
龍徳(りゅうとく) 福岡県宮若市
龍舞町(りゅうまいちょう) 群馬県太田市
龍明(りゅうめい) 茨城県石岡市
龍門(りゅうもん) 熊本県菊池市
龍安寺池ノ下町(りょうあんじいけのしたちょう) 京都府京都市右京区
龍安寺衣笠下町(りょうあんじきぬがさしたちょう) 京都府京都市右京区
龍安寺五反田町(りょうあんじごたんだちょう) 京都府京都市右京区
龍安寺御陵ノ下町(りょうあんじごりょうのしたちょう) 京都府京都市右京区
龍安寺斎宮町(りょうあんじさいぐうちょう) 京都府京都市右京区
龍安寺住吉町(りょうあんじすみよしちょう) 京都府京都市右京区
龍安寺玉津芝町(りょうあんじたまつしばちょう) 京都府京都市右京区
龍安寺塔ノ下町(りょうあんじとうのしたちょう) 京都府京都市右京区
龍安寺西ノ川町(りょうあんじにしのかわちょう) 京都府京都市右京区
龍安寺山田町(りょうあんじやまたちょう) 京都府京都市右京区
https://t.co/3BN9DJCZN2
「竜」を含む地名— 9 件
「竜」を含む市区町村
雨竜郡雨竜町(うりゅうぐんうりゅうちょう) 北海道
雨竜郡秩父別町(うりゅうぐんちっぷべつちょう) 北海道
雨竜郡沼田町(うりゅうぐんぬまたちょう) 北海道
雨竜郡北竜町(うりゅうぐんほくりゅうちょう) 北海道
雨竜郡幌加内町(うりゅうぐんほろかないちょう) 北海道
雨竜郡妹背牛町(うりゅうぐんもせうしちょう) 北海道
蒲生郡竜王町(がもうぐんりゅうおうちょう) 滋賀県
浜松市天竜区(はままつしてんりゅうく) 静岡県
浜松市天竜区(はままつしてんりゅうく) 静岡県
https://t.co/rEQr3VHCaF
「竜」を含む地名— 93 件
「竜」を含む町域名
藍畑竜王(あいはたりゅうおう) 徳島県名西郡石井町
宇佐町竜(うさちょうりゅう) 高知県土佐市
雲竜町(うんりゅうちょう) 岐阜県岐阜市
大竜(おおたつ) 宮城県柴田郡大河原町
小浜竜田(おばまたつた) 福井県小浜市
於福町上竜現地(おふくちょうかみりゅうげんじ) 山口県美祢市
海竜町(かいりゅうまち) 富山県射水市
加納竜興町(かのうりゅうこうちょう) 岐阜県岐阜市
上竜尾町(かみたつおちょう) 鹿児島県鹿児島市
臥竜(がりゅう) 長野県須坂市
臥竜山(がりゅうざん) 秋田県能代市
北竜王町(きたりゅうおうちょう) 山口県山陽小野田市
金竜町(きんりゅうちょう) 岐阜県岐阜市
甲南町竜法師(こうなんちょうりゅうぼうし) 滋賀県甲賀市
小折町八竜(こおりちょうはちりゅう) 愛知県江南市
小折町八竜西(こおりちょうはちりゅうにし) 愛知県江南市
国府町竜王(こくふちょうりゅうおう) 徳島県徳島市
五個荘竜田町(ごかしょうたつたちょう) 滋賀県東近江市
西大寺竜王町(さいだいじりゅうおうちょう) 奈良県奈良市
下竜尾町(しもたつおちょう) 鹿児島県鹿児島市
勝竜寺(しょうりゅうじ) 京都府長岡京市
昭和豊川竜毛(しょうわとよかわりゅうげ) 秋田県潟上市
十文字町宝竜(じゅうもんじまちほうりゅう) 秋田県横手市
清竜寺北(せいりゅうじきた) 福島県大沼郡会津美里町
竜岡町(たつおかちょう) 愛知県豊田市
竜が丘(たつがおか) 滋賀県大津市
竜ケ丘(たつがおか) 山梨県富士吉田市
竜串(たつくし) 高知県土佐清水市
竜崎(たつざき) 福島県石川郡玉川村
竜田川(たつたがわ) 奈良県生駒郡平群町
「竜」を含む地名— 93 件
「竜」を含む町域名
竜田通(たつたどおり) 大阪府守口市
竜田町(たつたまち) 岐阜県岐阜市
竜台(たつだい) 千葉県成田市
竜美旭町(たつみあさひまち) 愛知県岡崎市
竜美大入町(たつみおおいりちょう) 愛知県岡崎市
竜美北(たつみきた) 愛知県岡崎市
竜美新町(たつみしんまち) 愛知県岡崎市
竜美台(たつみだい) 愛知県岡崎市
竜見町(たつみちょう) 群馬県高崎市
竜美中(たつみなか) 愛知県岡崎市
竜美西(たつみにし) 愛知県岡崎市
竜美東(たつみひがし) 愛知県岡崎市
竜美南(たつみみなみ) 愛知県岡崎市
竜山(たつやま) 兵庫県高砂市
大竜町(だいりゅうちょう) 鹿児島県鹿児島市
鉄竜(てつりゅう) 福岡県北九州市八幡西区
天竜町(てんりゅうちょう) 長野県岡谷市
長良竜東町(ながらりゅうとうちょう) 岐阜県岐阜市
八竜新田(はちりゅうしんでん) 新潟県南魚沼市
八竜神(はちりゅうじん) 福島県白河市
梅竜寺山(ばいりゅうじやま) 岐阜県関市
舟橋黒竜(ふなばしくろたつ) 福井県福井市
宝竜寺(ほうりゅうじ) 千葉県富津市
北竜(ほくりゅう) 北海道雨竜郡沼田町
丸岡町新九頭竜(まるおかちょうしんくずりゅう) 福井県坂井市
南竜王町(みなみりゅうおうちょう) 山口県山陽小野田市
吉見竜王町(よしみりゅうおうちょう) 山口県下関市
竜安寺町(りゅうあんじちょう) 滋賀県長浜市
竜王(りゅうおう) 山梨県甲斐市
竜王新町(りゅうおうしんまち) 山梨県甲斐市
「竜」を含む地名— 93 件
「竜」を含む町域名
竜王町(りゅうおうちょう) 広島県広島市西区
竜王町(りゅうおうまち) 大分県中津市
竜岡(りゅうおか) 千葉県館山市
竜角寺台(りゅうかくじだい) 千葉県印旛郡栄町
竜が岡(りゅうがおか) 兵庫県神戸市西区
竜ケ崎町歩(りゅうがさきちょうぶ) 茨城県稲敷郡河内町
竜が島(りゅうがしま) 新潟県新潟市中央区
竜が台(りゅうがだい) 兵庫県神戸市須磨区
竜宮(りゅうぐう) 愛知県知多郡武豊町
竜宮町(りゅうぐうちょう) 京都府舞鶴市
竜宮町(りゅうぐうちょう) 愛知県豊田市
竜宮町(りゅうぐうちょう) 愛知県名古屋市港区
竜口(りゅうぐち) 三重県名張市
竜玄(りゅうげん) 新潟県新潟市秋葉区
竜光(りゅうこう) 新潟県魚沼市
竜興寺北(りゅうこうじきた) 福島県大沼郡会津美里町
竜西(りゅうさい) 北海道雨竜郡北竜町
竜谷(りゅうざく) 千葉県香取市
竜島(りゅうしま) 千葉県安房郡鋸南町
竜神町(りゅうじんちょう) 愛知県豊田市
竜神橋町(りゅうじんばしちょう) 大阪府堺市堺区
竜泉(りゅうせん) 東京都台東区
竜泉寺(りゅうせんじ) 愛知県名古屋市守山区
竜泉寺(りゅうせんじ) 岐阜県養老郡養老町
竜泉寺町(りゅうせんじちょう) 愛知県岡崎市
竜泉町(りゅうせんちょう) 兵庫県相生市
竜前(りゅうぜん) 福井県小浜市
竜谷(りゅうたに) 奈良県桜井市
竜南(りゅうなん) 静岡県浜松市浜名区
竜南(りゅうなん) 静岡県静岡市葵区
「竜」を含む地名— 93 件
「竜」を含む町域名
竜腹寺(りゅうふくじ) 千葉県印西市
竜洋中島(りゅうようなかじま) 静岡県磐田市
竜洋稗原(りゅうようひえばら) 静岡県磐田市
長野県上伊那郡辰野町(かみいなぐんたつのまち)
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「辰」を含む地名— 44 件
「辰」を含む町域名
茜部辰新(あかなべたつしん) 岐阜県岐阜市
天辰町(あまたつちょう) 鹿児島県薩摩川内市
太秦安井辰巳町(うずまさやすいたつみちょう) 京都府京都市右京区
卯辰町(うたつまち) 石川県金沢市
太田辰ノ口(おおたたつのくち) 富山県高岡市
大辰巳町(おおたつみちょう) 滋賀県長浜市
上辰巳町(かみたつみまち) 石川県金沢市
今田町辰巳(こんだちょうたつみ) 兵庫県丹波篠山市
辰尾(たつお) 富山県富山市
辰尾新田(たつおしんでん) 新潟県上越市
辰尾新町(たつおしんまち) 富山県富山市
辰起町(たつきちょう) 静岡県静岡市葵区
辰田新(たつたしん) 新潟県岩船郡関川村
辰沼(たつぬま) 東京都足立区
辰野(たつの) 長野県上伊那郡辰野町
辰野(たつの) 富山県滑川市
辰ノ口(たつのくち) 茨城県常陸大宮市
辰口町(たつのくちまち) 石川県能美市
辰野新町(たつのしんまち) 富山県滑川市
辰巳(たつみ) 東京都江東区
辰巳(たつみ) 岡山県岡山市北区
辰巳台西(たつみだいにし) 千葉県市原市
辰巳台東(たつみだいひがし) 千葉県市原市
辰巳町(たつみちょう) 石川県白山市
辰巳町(たつみちょう) 愛媛県松山市
辰巳町(たつみちょう) 京都府京都市下京区
辰巳町(たつみちょう) 富山県富山市
辰巳町(たつみちょう) 京都府京都市東山区
辰巳町(たつみちょう) 徳島県阿南市
辰巳町(たつみちょう) 愛知県名古屋市港区
「辰」を含む地名— 44 件
「辰」を含む町域名
辰巳町東大路松原上る(たつみちょうひがしおおじまつばらあがる) 京都府京都市東山区
辰巳町(たつみまち) 石川県金沢市
田老辰の口(たろうたつのくち) 岩手県宮古市
醍醐辰巳町(だいごたつみちょう) 京都府京都市伏見区
長辰(ちょうしん) 新潟県燕市
西辰川(にしたつかわ) 広島県呉市
西辰巳町(にしたつみちょう) 京都府京都市上京区
西枇杷島町辰新田(にしびわじまちょうたつしんでん) 愛知県清須市
東辰川町(ひがしたつかわちょう) 広島県呉市
東辰巳町(ひがしたつみちょう) 京都府京都市上京区
福野辰巳町(ふくのたつみまち) 富山県南砺市
南辰川町(みなみたつかわちょう) 広島県呉市
美馬町辰角(みまちょうたつかく) 徳島県美馬市
脇野沢辰内(わきのさわたつうち) 青森県むつ市
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「巳」を含む地名— 24 件
「巳」を含む町域名
太秦安井辰巳町(うずまさやすいたつみちょう) 京都府京都市右京区
大辰巳町(おおたつみちょう) 滋賀県長浜市
上辰巳町(かみたつみまち) 石川県金沢市
癸巳町(きしちょう) 北海道美唄市
癸巳町奔美唄(きしちょうぽんびばい) 北海道美唄市
今田町辰巳(こんだちょうたつみ) 兵庫県丹波篠山市
辰巳(たつみ) 東京都江東区
辰巳(たつみ) 岡山県岡山市北区
辰巳台西(たつみだいにし) 千葉県市原市
辰巳台東(たつみだいひがし) 千葉県市原市
辰巳町(たつみちょう) 徳島県阿南市
辰巳町(たつみちょう) 京都府京都市下京区
辰巳町(たつみちょう) 京都府京都市東山区
辰巳町(たつみちょう) 愛知県名古屋市港区
辰巳町(たつみちょう) 富山県富山市
辰巳町(たつみちょう) 愛媛県松山市
辰巳町(たつみちょう) 石川県白山市
辰巳町東大路松原上る(たつみちょうひがしおおじまつばらあがる) 京都府京都市東山区
辰巳町(たつみまち) 石川県金沢市
醍醐辰巳町(だいごたつみちょう) 京都府京都市伏見区
西辰巳町(にしたつみちょう) 京都府京都市上京区
東辰巳町(ひがしたつみちょう) 京都府京都市上京区
福野辰巳町(ふくのたつみまち) 富山県南砺市
巳六段(みろくだん) 福島県郡山市
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「蛇」を含む地名— 54 件
「蛇」を含む町域名
岩城上蛇田(いわきかみへびた) 秋田県由利本荘市
岩城下蛇田(いわきしもへびた) 秋田県由利本荘市
大蛇町(おおじゃまち) 千葉県佐倉市
下津蛇池町(おりづじゃいけちょう) 愛知県稲沢市
狐鷹森、五色沼、甚九郎沢山、甚九郎山、曽原山、寺沢山、蛇平原山、湯平山、(こたかもり、ごしきぬま、じんくろうさわやま、じんくろうやま、そはらやま、てらさわやま、へびたいらはらやま、ゆだいらやま、) 福島県耶麻郡北塩原村
蛇穴(さらぎ) 奈良県御所市
志津川蛇王(しづがわじゃおう) 宮城県本吉郡南三陸町
蛇池(じゃいけ) 茨城県猿島郡境町
蛇石(じゃいし) 岩手県八幡平市
蛇石(じゃいし) 静岡県賀茂郡南伊豆町
蛇籠町(じゃかごまち) 熊本県八代市
蛇ケ端(じゃがはな) 京都府福知山市
蛇口(じゃぐち) 山形県東置賜郡高畠町
蛇沼(じゃぬま) 青森県三戸郡三戸町
蛇の崎町(じゃのさきまち) 秋田県横手市
蛇廻間(じゃばさま) 愛知県常滑市
蛇喰(じゃばみ) 新潟県岩船郡関川村
蛇喰(じゃばみ) 富山県南砺市
蛇松町(じゃまつちょう) 静岡県沼津市
蛇持(じゃもち) 岐阜県養老郡養老町
上蛇町(じょうじゃまち) 茨城県常総市
立蛇(たちじゃ) 青森県上北郡おいらせ町
蛇ケ谷(ぢゃがたに) 愛知県知多郡武豊町
蛇渕(ぢゃぶち) 愛知県知多郡武豊町
寺泊蛇塚(てらどまりへびつか) 新潟県長岡市
南蛇井(なんじゃい) 群馬県富岡市
班蛇口(はんじゃく) 熊本県菊池市
檜原蛇平原山(ひばらへびたいらはらやま) 福島県耶麻郡北塩原村
平田町蛇池(ひらたちょうじゃいけ) 岐阜県海津市
蛇石(へびいし) 福島県田村郡三春町
「蛇」を含む地名— 54 件
「蛇」を含む町域名
蛇石(へびいし) 福島県白河市
蛇浦(へびうら) 青森県下北郡風間浦村
蛇尾(へびお) 和歌山県日高郡日高川町
蛇口(へびくち) 岩手県九戸郡軽米町
蛇坂(へびさか) 青森県上北郡七戸町
蛇沢(へびさわ) 富山県下新川郡入善町
蛇沢(へびさわ) 福島県田村郡三春町
蛇崎(へびざき) 大分県佐伯市
蛇園(へびその) 千葉県旭市
蛇田(へびた) 富山県魚津市
蛇田(へびた) 宮城県石巻市
蛇塚(へびつか) 静岡県静岡市清水区
蛇野(へびの) 秋田県秋田市
蛇野(へびの) 秋田県湯沢市
蛇之尾(へびのお) 岐阜県下呂市
蛇ノ宮甲(へびのみやこう) 福島県大沼郡会津美里町
蛇溝町(へびみぞちょう) 滋賀県東近江市
前沢蛇ノ鼻(まえさわじゃのはな) 岩手県奥州市
御津町広石蛇塚(みとちょうひろいしくちなわづか) 愛知県豊川市
南方町蛇沼(みなみかたまちへびぬま) 宮城県登米市
南蛇廻間(みなみじゃばさま) 愛知県常滑市
本宮蛇ノ鼻(もとみやじゃのはな) 福島県本宮市
岩作蛇洞(やざこじゃぼら) 愛知県長久手市
山都町蛇崩(やまとまちじゃくずれ) 福島県喜多方市
九頭竜伝承
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九頭龍伝承(くずりゅうでんしょう)、九頭龍伝説(くずりゅうでんせつ)は、倭国各地に残る九頭龍(大神)に関する伝承・伝説のことである。九頭龍大神伝承(くずりゅうおおかみでんしょう)、九頭龍大神伝説(くずりゅうおおかみでんせつ)とも。
神社が建立されることとなった事跡や奇瑞事象を、おおよその年代順に説明する。
戸隠の九頭龍伝承
戸隠神社 奥社本殿
戸隠山の九頭龍信仰の源は戸隠神社の九頭龍大神である[1]。鎌倉中期に記された『阿裟縛抄諸寺略記』の中に、西暦800年代の中盤頃の話として、「学門」という名の修行者の法華経の功徳によって、九つの頭と龍の尾を持つ鬼がこの地で岩戸に閉じこめられ、善神に転じて水神として人々を助けたという言い伝えが残されている(調伏善龍化伝承)。その後、九頭龍権現として崇められ雨乞いが行われた[2]。雨と水を司る他、歯痛の治療にも霊験があり、好物の梨[1]を供えると、歯の痛みを取り除いてくれるとされている。また、縁結びの神ともされている[3]。
九頭龍川流域の伝承
白山信仰
詳しくは「白山権現」や「白山信仰」を参照。
白山開山の起源は、十一面観音の化身である九頭竜王が泰澄の前に現れたことによる。また、白山権現は、後述の九頭竜出現伝承にもかかわっている。
黒龍大神信仰の創始
雄略天皇21年(477年)、男大迹王(継体天皇)が越前国の日野、足羽、黒龍の三大河の治水の大工事を行われ、北国無双の暴れ大河であった黒龍川(後の九頭竜川)の守護と国家鎮護産業興隆を祈願され高龗大神(黒龍大神)、闇龗大神(白龍大神)の御二柱の御霊を高尾郷黒龍村毛谷の杜に創祀された[注釈 1]。この儀により現代まで連綿と続く九頭竜湖~九頭竜川流域での黒龍大明神信仰が興ったのだとされる。
その後、黒龍大神と白龍大神のうちの前者は、天地の初めから国土を守護してきた四方位を象徴する4柱の神々「四大明神」の一柱を祀るものとされた。東の常陸国には鹿島大明神、南に紀伊国には熊野大権現、西の安芸国には厳島大明神(神宮創建 推古天皇元年{593年})、北の越前国の当地には黒龍大明神として、倭国の国家鎮護 及び 黒瀬川(後の九頭竜川)流域の守護神として祭祀されてきた[注釈 2]。
第四十三代元明天皇和銅元年(708年)9月20日、高志連村君(こしのむらじ・むらぎみ)が継体天皇の御遺徳を景仰し、高尾郷黒龍村(毛谷の杜)で御霊を合祀。
延暦3年(784年)8月、社殿が火災で焼失し坂上苅田麻呂(さかのうえのかりたまろ、坂上田村麻呂の父)が再建
九頭竜の出現
寛平元年(889年)6月、平泉寺の白山権現が衆徒の前に姿を現して、尊像を川に浮かべた。すると九つの頭を持った龍が現れ、尊像を頂くようにして川を流れ下り、黒龍大明神の対岸[注釈 3]に泳ぎ着いたという。以来、この川を「九頭龍川」と呼ぶようになった[注釈 4]。
その後の黒龍大明神信仰の歴史
承平元年(931年)、藤原利行 朱雀帝御宇承平元年越前国黒龍村、毛谷神社神職となる(藤原姓の神職の祖、第一代)。
承平3年(933年)、長者となった生江の世常の宿祢(いくえのよつねのすくね)の夢にお告げがあり、社殿を新しく造りかえた。毎年七度の祭礼が行われてきたという。それが延喜式にある坂井郡毛谷神社で、今の毛谷黒龍神社にあたる。生江の世常の宿祢が長者となる奇跡の物語は、今昔物語集[巻17-47]や宇治拾遺物語[巻15-7]に載っている。
光明院御宇暦応元年5月2日、二十四代藤原行古が左中将義貞に従軍し藤島の里に戦死。暦応元年5月、新田義貞が斯波高経と戦ったとき、 黒龍神社も兵火にかかり燃える。このとき神霊は、白龍となって山上に飛び、木の上にとまった。そこで、このあたりを竜ヶ岡(たつがおか)と呼ぶようになった(『太平記』巻第二十に黒龍明神下での戦いの記載あり)。
鹿野山の九頭龍伝承
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出典検索?: "九頭竜伝承" – ニュース · 書籍 · スカラー · CiNii · J-STAGE · NDL · https://t.co/GcyNt233sV · ジャパンサーチ · TWL (2015年10月)
千葉の鹿野山[4]の麓の鬼泪山(きなだやま、鬼涙山)[5][6]には、九頭龍という9つの頭を持つ巨大な大蛇が棲(す)みつき、村人を襲い人々を喰(く)らったという伝承がある[要出典]。
村の長(おさ)が都に使いをたて大蛇退治を願い出たところ、倭国武尊(ヤマトタケルノミコト)が大蛇退治に遣わされた。村人がその恐ろしさをタケルに語ると、タケルは腰の剣を抜き「必ず この草薙剣で大蛇を退治してみせる」と誓い、村人の案内で小川沿いの道を鬼涙山に分け入った。タケルは懸命に九頭龍を探すが一向に見つからない。疲れ果てていつしかタケルは眠ってしまった。するとそこに九頭龍が現れ、タケルを一飲みにしてしまった。
3日ほど経ったある日。村の娘が小川で洗濯をしていると、だんだんと川の澄んだ水が赤く染まっていった。娘はあまりのことに驚き、村人を呼んだ。 「タケルノミコト様が大蛇を退治してくださったからに違いない」 「いやもしかしたら、タケルノミコト様の身に……」 などと話し合っていると、ヤマトタケルノミコトが現れて語った。
「つい油断して9つの頭の蛇に一呑みにされてしまった。幸いにも生きていたので約束どおりこの剣を抜き、奴の腹の中を滅多斬りに切り裂いて、外へ出られた。そして、9つの頭を全部切り落としてやった。」
このとき流れ出た血が、鬼泪山北麓を流れる川を三日三晩染めたので、今でもその川のことを「(血)染川」と呼んでいる。なお、退治された九頭龍の霊魂は長年を通じて供養され、「九頭竜権現」として祀られるに至り、今でも神野寺仁王門に安置されている[7]。また、鹿野山測地観測所[8]の下には「大蛇作」「蛇作」[9]「蛇堀」[10]などの地名がある。かつて大蛇の棲息していた場所だという。
龍ではなく、鬼泪山に篭って倭国武尊と闘ったのは、鬼とされた阿久留王だったという伝承もある。別名、六手王とも言った。また、鬼が泣いて許しを請うたので「鬼泪山」という呼称がついたことにもなっている。阿久留王の墓という祠が江戸期までは実在したと言われている[注釈 5]。
鬼泪山でヤマトタケルと闘ったのは、でいだく坊、だいだあ法師、デーデッポ、だいだらぼっちという巨人であったという伝承もある。
箱根の九頭龍伝承と祭祀 November 11, 2025
1RP
というわけで、「新田義貞」の続きを読んでますが、凄く冷静沈着なんだよなぁ…。
箱根・竹之下以降の負けっぷりは何なんだとw
(下巻は気が向いたら買います😓) https://t.co/YeQB6IsKsd November 11, 2025
滝口寺境内
新田義貞公首塚と
三条河原で晒し首になっていた夫の首を取り戻してこの地に弔った妻匂当内侍の供養塔
あまり観光客向けに整備されておらず、最初どれがそうなのか分からなかった…
新田義貞公では、観光客の興味を惹かないのだろうか?
分倍河原駅前にはあんなに立派な像があるのに。 https://t.co/muOkESuiry November 11, 2025
気分を切り替えて、アニメのBGMを聴きながら、村上元三さんの「源義経」2巻をメインで読んでおります。
(新田義貞、苦しくなって来た😓)
いよいよ陸奥だー😃 https://t.co/JyvxGNnGGo November 11, 2025
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