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文殊
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2025.12.11
:0% :0% (30代/男性)
文殊に関するポスト数は前日に比べ62%減少しました。男性の比率は50%増加し、前日に変わり30代男性の皆さんからのポストが最も多いです。前日は「春菊」に関する評判が話題でしたが、本日話題になっているキーワードは「かき揚げ」です。
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
温泉宿36泊(2泊と4泊してる宿あり)
温泉無し宿泊12泊
よもぎ荘8泊
野湯(入浴)45か所
野湯(未入浴)51か所
日帰り68か所(別所あいそめの湯15回、鹿教湯文殊の湯9回)
会った温泉むすめ18人
(2025年12月11日現在)
今年は後半は別所と鹿教湯ばっかり行ってたから大人しめですね December 12, 2025
1RP
マイフェイバリット文殊@大山店さんへ
大好きなあげもちとなす天が一緒になったサービスそばを歓喜とともに迷わず注文も…
あげもちが完売😞
岩のりいか天そばに変更
完売でごめんねとなんとなす天をサービス
ただただ恐縮するばかり
いつも口福をありがとうございます
#文殊 #駅そば #立ち食いそば https://t.co/ny9przO0Sb December 12, 2025
清朝法统的真相——蒙古帝国的继承者
传统史观认为清朝是继明朝之后的又一个“正统王朝”,其合法性来自于“以此代彼”的朝代更替。清朝的法统首先来自于对蒙古帝国的继承,其次才是对明朝的征服。
这是最具颠覆性、也最符合“新清史”研究成果的部分。
1 林丹汗的败亡与蒙古法统的转移
明末时期,蒙古高原虽然分裂,但成吉思汗的黄金家族法统仍掌握在察哈尔部的林丹汗(Ligdan Khan)手中。林丹汗试图重建蒙古大汗的权威,但遭遇了漠南蒙古诸部与新兴满洲力量的夹击。
皇太极(Hong Taiji)深知,要征服中国,必须先统一蒙古;要统治蒙古,必须获得成吉思汗的法统。
•征伐察哈尔: 1632年至1634年,皇太极发动了对林丹汗的毁灭性打击。林丹汗兵败溃逃,最终死于青海大草滩(Sira Tala)。
•获得传国玉玺(Mahakala Seal): 1635年,林丹汗之子额哲(Ejei)率部向皇太极投降,并献上了一方玉玺。清朝官方宣传称这是秦始皇的“传国玉玺”(Heshibi),以此宣示天命。但现代学者考证认为,这更可能是元朝的“大元传国玺”或与玛哈嘎拉(Mahakala,大黑天神)信仰相关的法器,象征着蒙古大汗的神权统治 。

2 1636年:大清帝国的内亚时刻
获得玉玺是皇太极称帝的关键。1636年,他在盛京(沈阳)召集满洲、蒙古、汉军诸王大臣,举行登基大典:
1改国号为“大清”: 放弃了带有地域局限的“金”,确立了普世帝国的名号 。
2加尊号“博格达·彻辰·汗”(Bogd Setsen Khan): 这是一个蒙古大汗的尊号,意味着皇太极正式接过了成吉思汗的法统,成为全蒙古的最高统治者 。
3 清朝:满蒙联合的内亚帝国
叶博指出“满清就是蒙古帝国的继承”,这一点至关重要。清朝的统治结构是二元的甚至是多元的:
•对汉地: 它是继承明朝制度的儒家帝国,皇帝是“天子”。
•对内亚(蒙藏): 它是继承元朝遗产的内亚帝国,皇帝是“博格达汗”和“文殊菩萨皇帝” 。
清朝之所以能建立中国历史上版图最大的稳固帝国(除元之外),是一个包含了“中国”在内的内亚世界帝国。满蒙联姻、八旗制度、藏传佛教信仰,这些都是清朝维持对广阔边疆统治的基石,而这些基石早在1644年入关之前,通过继承蒙古法统就已经奠定。
因此,说清朝是明朝的继承者是片面的;
从法统源流和政治结构来看,清朝首先是北元(蒙古帝国)的继承者,然后才兼并了明朝的领土。
皇太极拿到蒙古御玺的意义,正在于此——它完成了从“女真酋长”到“内亚共主”的质变。 December 12, 2025
かつさん、二代目と浅草文殊に行って来たよ。
🐸ゲコッ
二代目ケロちゃんと文殊のかき揚げ天ぷらそば大盛り🐸
次また焦げた天ぷら出してきたら引っ叩きます。
多分、そばじゃ腹持ち良くないから夜中お腹すく感じがします。 https://t.co/CQ2fYv9T8W December 12, 2025
如来滅後五五百歲始観心本尊抄
(つづき)
そういう意味で『御義口伝』は、日興上人が法華経の本当の元意を大聖人様の御指南に従ってお書きになったものであります。故に、むしろそのなかに含まれておる御法門は、一般のお弟子達や在家の人に賜った御消息や御著作の御法門よりも深い、本当の大聖人様の付嘱の妙法における境智の体と、その行と位というものをお示しになっております。そのところから、それぞれ文永、建治、弘安という時期の御化導の段階において御本尊乃至三大秘法が示されてくるのであります。ひるがえって、時・応・機・法という基本から拝して、「如来の滅後五五百歳に始む観心の本尊抄」と読むべき意義がそこに存するのであります。また「本尊」ということについては、今さらながら日蓮宗等、他門下で奉安する本尊は実に聖意背反、謗法の体たらくであります。日蓮宗のほうでは雑乱勧請はなはだしく、また大聖人様の御本尊には五種類あるようなことを言っております。いかに大聖人様の一期御化導の帰趨に暗昧であるかが明らかであります。伊東感得の本尊の如き一体仏もその一つだと言うのですが、これは立像仏です。 大聖人様御所持の意味を全く曲解しております。これは本因妙の御修行の立場から一往、釈尊を仏としてお立てになるという意味と、そして、御自らの御修行の道程のなかから本当の付嘱の法をお顕しになるまでの形として一往、随身仏として御所持あそばされたことは事実であります。故に、お亡くなりになる時には、「墓所の傍らに立て置くべし」(同一八六六ページ)という御遺言があります。したがって、本門の本尊たる意義は全くないのであり、 もちろん末法の一切衆生のための本尊でもありません。けれども、大国阿闍梨日朗という人はそれを有り難がって本尊だと思って、大聖人様の御遺言に背いて勝手に身延から一体立像仏を持ち出してしまったことを、『原殿御返事』に日興上人がお書きになっております。また、この『観心本尊抄』のなかにおいても、脇士のない仏像は本尊と言えないことをお示しになっております。すなわち、「小乗の釈尊は迦葉・阿難を脇士と為し、権大乗並びに涅槃・法華経の迹門等の釈尊は文殊・普賢等を以て脇士と為す」(同六五四ページ)と、正法・像法時代の仏像本尊を示されておりますが、たとえ釈尊の仏像ではあっでも、脇士があって初めて、その説法の内容が顕れることにより本尊となるのであります。故に、その脇士のない釈尊一体仏、しかも説法の坐像仏でなく修行の立像仏を大聖人様が御所持あそばされたというのは、前述の如く特別な意味なのです。 さらに大聖人様の、久遠元初の仏様の御境界から見れば、一体即仏、一念三千即自受用の仏様であります。しかし、これは御本仏の御境界でありまして、我々末法の一切衆生と一緒になりません。それから他門下では本尊について「一尊四士」が正しい本尊だと言う者もおります。これは『観心本尊抄』のなかに、「本門寿量品の本尊並びに四大菩薩云云」(同ページ)とある御文について間違って解釈する結果であります。この御文のところは五重三段より下種の本尊・妙法蓮華を顕す前の質問の部分であり、『本尊抄』における宗祖大聖人の正意は、末法に現実に出現する地涌の菩薩による本尊建立であり、在世の法華経の会座に出現した地涌の上首の像を建立することではないのです。これも筋道が狂ってしまっておるものですから、この文を形式的に仏像造立の意味だけにとらえてしまうのです。『観心本尊抄』においても、そのほかの大聖人様の御書においても、そのような意義は何もないのですけれども、一尊四士建立ということが御書のなかに説かれているのだというように自分勝手に解釈してしまっておるのであります。ただし『四菩薩造立抄』だけは、その文体に考慮の余地があるようですが、これもよく見れば、末法出現の地涌の菩薩の宰領の意義を示されるところ、宗祖の正意が仏像造立でないことは明らかである。つまり仏像造立と勘違いした富木氏に対する為人悉檀、方使の御指南なのです。そのほか、あるいは「二尊四士」があり、勝手な形の「大漫荼羅」があり、さらには「首題本尊」もあるというようなことで、勘定すると五つあると言うのであります。これは要するに、在世と末法についての教相と観心とのけじめが少しも解らないということであり、したがって大聖人様一期の御化導の真義を全く蹂躙するに至るのであります。そこで、末法の衆生を本当に救うためにお顕しになる本尊はいったいなんであるかということをはっきりとお示しになったのが『観心本尊抄』であります。また、 大聖人様が実際にお顕しになったのは仏像造立でなく、三大秘法の随一たる「大漫荼羅本尊」であります。つまり、「日蓮がたましひをすみにそめながしてかきて候ぞ、信じさせ給へ。仏の御意は法華経なり。日蓮がたましひは南無妙法蓮華経にすぎたるはなし」(同六八五ページ)と御指南あそばされ、あるいはまた、「此の大曼陀羅は仏滅後二千二百二十余年の間、一閻浮提の内には未だひろまらせ給はず」(同六八九ページ)
と仰せられる如く、上行菩薩が末法に出現して初めて、この御本尊を弘通するのであるということを、ここに御指南あそばされておるのであります。すなわち、この『観心本尊抄』一巻の趣意は、権・迹・本等の熟脱の本尊、つまり釈尊の化導は在世ならびに正像二千年で終わったのであり、末法に入っては上行菩薩に特別に付属された要法の妙法蓮華経のみが一切衆生を救うところの大法であるということを示されるとともに、その要法の妙法蓮華経とはいったいいかなる相貌であるかについて、末法万年の衆生を導くために大聖人様がいかに命を懸けてこの大事をお示しあそばされたかという、その下種の法体を顕示される一番中心の御書がこの『観心本尊抄』であります。しかし、実はまだ、この『観心本尊抄』においては、先程もちょっと言いましたけれども、もう一つ深く入って、日蓮大聖人様の御化導の終極が日興上人への御付嘱にあるという趣意から振り返ってみて初めて、この『観心本尊抄』の真意を正しく拝することができるのであります。というのは、この『観心本尊抄』一巻の御指南が、釈尊一代の教相を貫いて末法の観心に及び、縦横無尽のなかにきちんとした筋目をお示しになっておられますので、その趣意は非常に難信難解であります。「何十年も読んで、ようやく解った」などと言った山川智応という学者がありました。けれども、本当に解ってはおりません。明治から大正にかけて盛んになった国柱会というのがありまして、この中心者は山川智応の師匠・田中智学という人でありましたが、この人は「佐渡始顕の本尊が一番大事だ」などと言ったりしました。けれども、これは全くの誤りであります。結局のところ、あらゆる門下の人々がいくら勉強をしても、『観心本尊抄』一巻に対する解釈の主体が、仏像執着という、一番根本のところでその基本を狂わせてしまっておるのであります。これに狂うために、いつまで経っても御本尊の正体が解らないのであります。その他、題号において、「如来滅後五五百歳」と「時」を示される上において、 ちょっとお断り申し上げておきたいことは、日寛上人の御指南において一切、誤りのあろうはずはありませんけれども、ただ、文献の上からのことですが、日寛上人の時代は『録内御書』を使っていたのです。『観心本尊抄』の御真蹟は古来、中山の法華経寺にありますが、当時は現在のように御真蹟を見ることはなかなかできませんでした。そのような状況の上からのことで、当時出版されていた『録内御書』 では、題号の「如来滅後五五百歳」というのが「如来滅後後五百歳」となっているのです。ですから、実際、御真蹟にはどのようになっているかということが判らなかったために、日寛上人も『録内御書』を元とされて「如来滅後後五百歳」という語においてこれを解釈されておりますが、等しく正像二千年を過ぎた末法という趣意であります。皆さんが今お持ちの御書のなかにははっきりと、御真蹟によって直されてあるように、「如来滅後五五百歳始観心本尊抄」となっております。しかし、その意義は全く同等なのであります。これは、薬王品の、「我が滅度の後、後の五百歳の中に、閻浮提に広宣流布して云云」(法華経五三九ページ) という御文の精神を、宗祖大聖人様が大集経の「五箇の五百歳」の意義をもって、『観心本尊抄』に「五五百歳」という文でお示しになっておることから来ておる、と私は拝するのであります。そういう点で、薬王品の経文は「後の五百蔵」ですけれども、その「五百歳」の真義は、最初の五百年が解脱堅固、次の五百年が禅定堅固、次の五百年が読誦多聞堅固、次の五百年が多造塔寺堅固、そして次の第五番目の五百歳になって、いわゆる白法隠没闘諍堅固の時にこの本尊が出現するのであるということを示されたのであります。
(つづく)
第六十七世日顕上人著
観心本尊抄講話 第一巻より
https://t.co/QgmNC4ImjC December 12, 2025
ゆうなちゃん、浅草文殊に行って来たよ。
ゆうなちゃんと、文殊のかき揚げ天ぷらそば大盛り💖
#yousun_yuuna https://t.co/T4cRDHVyfZ December 12, 2025
蜘蛛ちゃん、浅草文殊に行ってきたよ。
蜘蛛ちゃんとかき揚げ天ぷらそば🕷❤️
R-1飲んで頑張ろうね。😉
#jyor_psychopath https://t.co/iCOBC31mpc December 12, 2025
たまちゃん、文殊に行って来たよ。
たまちゃんとかき揚げ天ぷらそば大盛り💚
メシテロ常習犯
モーレツダイエット部
たまちゃんのごはん…どうする?💖
#LHK_tama
#LHK_OA
#九重たま
#たまちゃん
#リリックホリック歌劇団 https://t.co/95lk7qEEC6 December 12, 2025
@particle30 【第十三回そこの路地入ったとこ文庫_他のSNSや個人サイト、通販サイトなど】
⑰放課後文殊クラブ_目榎粒子(@particle30)
・表象 300円
・From K to Tom 300円
#そこ文
https://t.co/WGUEczG9ap December 12, 2025
#文殊 #路麺 #駅そば
#立ち食いそば
仕事帰りに空腹なので…立ち食いそば屋文殊で夕飯にした!
サービスはゴボ天と肉を暖かいそばと鶏丼を食べた!
肉は汁が…染み込み美味しい!
ゴボ天もホクホクで歯応え良しです(笑)
疲れた時に旨いモノを食べて元気になりそうです(^-^)/ https://t.co/CRbV3NBXW4 December 12, 2025
@amedama9e どんな写真欲しいかあんまり頭で練りきれてないけど4人いたら文殊の知恵だって私、信じてるよ。。。😌✨!(3人任せ)めちゃ可愛いの用意してあるから最高の撮影にしよや👍✨✨
崩れたらそれはそれでまったくも〜🦖たら❣️って話のネタにしようや😸 December 12, 2025
2025.12.11
文殊@馬喰横山
春菊天そば+生玉子
馬喰横山の取引先訪問後、
時間ないので駅の立ち食いそばに。
春菊天が食べたかったので
美味かった
#出張メシ https://t.co/OIvVUi0Yfz December 12, 2025
主人公(多分女)が久しぶりに友人(女)に会いに行ったら、その友人が好きになった人が女性で、2人でサンルームのある家で暮らしている 2人から直接聞かなかったけどきっと恋仲なんだな、と主人公は思う という描写がある小説がどれか思い出せない この情報量でわかる天才はいませんか(文殊) December 12, 2025
@me_channosanpo 自語り、…つまり、自己投影ですね。
一人で自由に色々とやりたかったら、初めから団体なんて作ろうとしなければ良かったんですよね。
本来であれば、三人寄れば文殊の知恵で、大きな問題に対して複数の人数で挑む方が有利に事が運ぶのですが、「寄付金」しか目に映らない人には無理だっただけです😔 December 12, 2025
【特別編】今日の晩ごはん
今日もガッツリ食べました
文殊 浅草橋店
春菊天そば・セット(鶏丼)
シャッキリしたおそばに濃いおだし https://t.co/mKrFxz4wRC December 12, 2025
@pecihka お疲れ様でした!4人集まれば文殊の知恵を上回りましたね!
なんか毎回新しいスタート切ってる気がしますが、今回は長続きすると良いですねw
遅くまでありがとうございました(*´―`*)b December 12, 2025
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