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拉致被害者
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2025.12.04 18:00
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#拉致被害者全員奪還
#特定失踪者全員奪還
#国よ動け
“北朝鮮の冬はとにかく寒い。
その寒さが痛いのだ。
寒さが肌に刺さるようだと表現した方が分かりやすいかもしれない。
発電技術が未熟で、重油などの燃料が不足しており、しばしば電気が止まった。
お風呂も入れないため、どうにかお湯を沸かして体を拭くのだが、それも早くしないとあっという間に冷水になってしまう。
眠くても寒すぎて眠られない。
そんな時はそれぞれが着れるだけのセーターや防寒具を身につけ、靴下を何枚も重ねて履いて、1つに固まって寝た。”
拉致被害者は、倭国人として倭国に生まれたのに、なぜ、こんな過酷な人生を歩まなければならないのか。
暖かい家に帰り、好きな時間に温かいお風呂に入る時、議員は拉致被害者の生活に思いを馳せてみてほしい。
我が子我が親がそんな状況で行きていることで、倭国の家族はどんな思いをしているか、議員は我が子の顔を見たときに考えてほしい。 December 12, 2025
19RP
この戦争の入り口の段階で認知が間違っててそのまま突き進んでるからどうにもならんのよ
ピュアだから与太話も脊髄反射で反応しちゃうしその三文字くん
・ロシア側で保護されてる子供の大半はドンバス地方から要請されて来た子たち(動画1)
この戦争は🇺🇦ウクライナ内戦の延長だから避難させないと女子供関係なく虐殺が起きるというドンバス地方の首長たちの判断
残念ながら実際に虐殺は起きまくった
・解放され住民投票を経てロシア連邦に編入したドンバス地方含む🇺🇦東部4州で、ウクライナからの攻撃が落ち着いている地域にはロシアで保護されていた子供たちは帰って行ってる
家族を失った子供については法的に里親になれる人物が引き取ったりしてる
・戦闘地域で保護されてロシアにいる子供たちについては、現在🇺🇸メラニアさん(トランプ大統領の妻)の仲介で『ウクライナに帰郷したい』と希望する子供は引き渡しが進んでいる(動画2)
・むしろ戦地で子供を誘拐してるのは主に外国人傭兵含むウクライナ側(動画3)
・ニッコニコでロシアに避難するウクライナ人家族たちを『強制移送』とかいうテロップを付けて拉致に見せかけてる間抜けなニュース番組もあったな(動画4)
よくメディアが子供の拉致被害者1万人とか2万人とかいう夢物語を語ってるけど、ブチャと同じでウクライナ側がずっとリストを出せず、出したと思ったら339人だった
https://t.co/QvWpoKLeMm
さらにはその後の調査でリスト内の100人以上がドイツで見つかった
https://t.co/6UkdhhGmeI
これが現実 December 12, 2025
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新しいチラシ製作中【調査会NEWS3986】(R7.12.4)
北朝鮮人権週間に合わせた、というわけではないのですが、副幹事長の杉野が中心になって新しいチラシを製作中です。来週の中頃にはできてくる予定。また、今日18時公開の私のYouTube「ショートメッセージ」でもご説明します。
https://t.co/qO281zCELA
ポイントは冒頭の言葉「政府認定の拉致被害者は私たちが救出すべき全拉致被害者のほんのひと握りに過ぎません」です。これはややもすると政府認定拉致被害者を軽んずるように感じられるかもしれませんが、実はその反対です。
政府認定が全く進まない中で「17人」が一人歩きして拉致問題の全体像が「昔倭国海側で海岸を歩いていた何人かの運の悪い人が、たまたま上陸してきた北朝鮮工作員に連れて行かれた自分とは関係のない話」になってしまっている認識を正すことがこの言葉に込められた意味です。長期間・大規模に、倭国に住む工作員・協力者によって拉致が行われてきたという認識に近付けることこそが政府認定拉致被害者を含め、文字通り「全ての」拉致被害者を救出する世論を高めることにつながります。
チラシができましたらぜひ配布へのご協力をお願いします。枚数は要相談ですが、基本的に無料で差し上げます。 December 12, 2025
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昨夜イスラエルに返還された遺体はタイ国籍のスッティサック・リンタラック
彼はタイ北東部ノンカイ県ラタナワピの町で生まれ育った。家族は、彼の好物はトマト入りのオムレツだったと回想している。スッティサックと兄は非常に仲が良く、いつも一緒に何でもしていた。スッティサックがパートナーと別れた後、兄はイスラエルで妻を見つけられるかもしれないと考え、彼に移住を勧めた。
スッティサックは長年農業に従事した後、2017年に外国人労働者プログラムの一環としてイスラエルにやってきた。ガザ地区の国境地域の農場で働き、勤勉な人物として知られ、同僚からも慕われていた。
10月7日土曜日、ベエリ・キブツの果樹園近くで友人を訪ねていたところ、ハマスのテロリストがその地域を襲撃し、スッティサックは他の労働者と共に誘拐された。死亡当時、彼は43歳だった。
残された拉致被害者は、イスラエル国籍のロン・ゴエリのみ December 12, 2025
1RP
@nBwQSzmg3qU2ysd 😅こんな奴があと6年も国会議員だなんて〜😁石井〜どうせ朝鮮🇰🇵の事やるなら北朝鮮🇰🇵に行って拉致被害者連れて帰って来いヨ~そうしたら国会議員として認めてやるから〜🚨🤗 December 12, 2025
北朝鮮による拉致の疑いが排除出来ない行方不明者【特定失踪者】
秋田美輪さん
昭和60(1985)年12月4日失踪
失踪当時21歳神戸松陰女子大学生
現在61歳
吉見美保さんスピーチ
【調査会NEWS2981】(R01.5.13)
https://t.co/854GwYX7bc
特定失踪者問題調査会
『国連でのシンポジウムへお招きいただきありがとうございます。私は特定失踪者 秋田美輪の姉 吉見美保と申します。
特定失踪者とは北朝鮮による拉致の可能性の排除できない失踪者のことです。1997年2月、ここにいらっしゃる横田拓也さんの姉めぐみさんが拉致されていることが国会の質問と報道によって明らかになりました。それがきっかけとなって救出のための国民運動が始まり、2002年9月に訪朝した小泉総理に当時の金正日労働党総書記が拉致を認めるに至りました。めぐみさんについて北朝鮮は死亡したとの嘘の情報を伝えてきましたが、一方で5人の拉致被害者を帰国させました。その中に倭国政府が拉致と思っていなかった曽我ひとみさんがいたため、原因不明の失踪者をかかえる多くのご家族から「私の家族も北朝鮮に拉致されたのではないか?」との声が上がりました。2003年にそれらの失踪者を調査するための民間団体、特定失踪者問題調査会が設立されましたが、現在同会にある特定失踪者のリストは約470人に上ります。さらに倭国警察は特定失踪者の数を約900人と発表しています。
特定失踪者の事件を調べて行くと偶然とはいえない共通点が浮かび上がってきます。
・埼玉県川口市や神戸市灘区のように同じ地域に関係した多数の失踪者がいる。
・1960年代には中学生や高校生が多く、1970年代にはカップルや親子での失踪が多い。
・1980年代中頃と1990年代初めに全国で不審な若い女性の失踪が集中する。
・職業的には看護師や衣服関係、電話に関わる仕事をしていた人の失踪者が多い。
これは一部にすぎませんが、場所も時間も異なる失踪者に不思議な共通点があるのです。そしてそれらの中には北朝鮮での目撃情報や写真が出てきた人も少なくありません。
私達特定失踪者の家族の願いは、「北朝鮮にいる家族を取り戻したい」それだけです。そのためにニューヨークまで参りました。どうぞ、北朝鮮に今も救いを求めて待っている拉致被害者の一例として私の妹の話を聞いてください。
『妹は、読書と料理の好きな女の子でした。机の周りには、アンデルセン大賞をとった児童文学や、倭国の古典がおかれ、母の持っていた料理本の目的の料理のレシピが載っているページを覚えているくらい料理も好きでした。北朝鮮には何の関係もなく、興味を持っていたわけでもありません。自ら望んで北朝鮮へ行くとも思えません。先程述べた偽装工作から考えて無理矢理北朝鮮に連れていかれたとしか考えられません。
もう13年前になりますが、父は北朝鮮へ向けた短波放送「しおかぜ」の最初の録音で以下のように訴えています。
美輪ちゃん、貴女は今どこにいるの?私はお父さんだよ。秋田正一郎だよ。
急にいなくなってびっくりしています。もう20年になりますね。
お母さんも始めは何があったのかと放心状態でしたが、いまは何とか元気で私と一緒に貴女といつ会えるかと首を長くして待っています。早く貴女のコーヒーを飲みたい。
1985年12月4日の夜川西の家でお母さんが貴女からの電話で「今晩、Kさんのところでとまる」との声を聞いています。そして翌12月5日朝、貴女の靴とバッグが竹野町の弁天浜海岸で発見され、バッグの中から大阪駅発行の150キロまでの急行券と貴女の学生証等が発見されています。Kさんは「12月4日昼1時ごろ学校の校門付近で美輪さんと別れてから一度も会っていません」といっております。私たち両親には何が何だかわからないのです。
もし返事をもらえるなら居場所だけでも、また元気かどうかも教えてください。待っています。
このメッセージは、ここへ来る事の出来ない特定失踪者の親世代全員の気持ちです。
とはいえ、特定失踪者の親は、いなくなった子供を思い、倭国が子供を取り返してくれると信じながら、年月とともに亡くなられています。特定失踪者のご家族にお会いするたび、今も北朝鮮に残された拉致被害者だけでなく、倭国にいる多くのご家族の生活を変えてしまった拉致に憤りを覚えます。
現在の父は認知症を患い、人との会話さえ難しくなりました。妹に会っても分かるでしょうか。父は今年3月87歳になりました。母も後数日で85歳になります。両親が生きているうちに妹が倭国へ帰国し、両親と会えたら、両親はどんなに喜ぶ事でしょう。
倭国が拉致された倭国人を取り戻すため、各国の皆様のご協力をさらに続けていただけますようにお願い致します。』
兵庫県警察 拉致の可能性を排除できない事案に係る方々
https://t.co/q8VNfttjZS
#拉致被害者全員奪還
#特定失踪者全員奪還
#特定失踪者にも光を December 12, 2025
大和西大寺で安倍晋三元総理が銃撃された現場(写真はいまと事件後)に立ち、追悼した。安倍さんとは国家観が違うが、いくつもの思い出がある。
① 参議院予算委員会で拉致問題を質問した。委員会が終わったとき「言えないことがあるんですよ」と声をかけてきた。質問の流れからして「言えないこと」とは政府認定拉致被害者の田中実さんのことだと推測した。明日12月5日に拉致特で質問する。
② 自民党幹事長時代、「ザ・ワイド」に出演してくれた。私の左隣に座ったので、CM時間に統一教会との関係を聞いたところ、正直に答えてくれた。しょっちゅう面会を求めてくるが「会いませんよ」と語気を強めていた。このくだりの詳細と意味は蔵前勝久さんが『倭国政治と宗教団体』(朝日新書)で引用してくれた。
③ 都はるみさん、中村一好さんと六本木の天ぷら屋にいたとき、安倍さんが昭恵さんと来店した。はるみさんが「将来、総理大臣になるんですから」と言って挨拶していた。私は生活が不自由でないかと聞いた。「SPに帰ってもらってから出てくるんですよ」と笑っていた。楽しい時間だった。 December 12, 2025
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