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慶州
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2025.12.01〜(49週)
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12/2放送の「復刊!撃論ムック」で大髙未貴さんとの話に出た「台湾の声」林健良氏の意見。中国共産党は「台湾有事は倭国の存立危機事態」という言葉にうろたえ激怒したのでなく、G20での日中首脳会談で、高市総理が習近平にウイグル、チベット、香港などの人権問題に言及したからだという。全文を紹介する。
《「台湾の声」【視点】中国の怒りの真の理由は台湾ではない
2025.11.29 13:30
SNSの友人から下記の指摘があった。
中国には、「指東説西」(東を指して西を説く)の類の複数の諺があるように、本来の狙いではないところを攻めるという戦術がある。もしそうだとすれば、中国の最も触れられたくないことを明らかにする指摘である。
ここに了解を得て内容を転載する(台湾の声編集部)。以下、引用:
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例の話題、 ChatGPTに聞いてみました。
あ、もちろんしつこい質問でAIに答弁を引き出させたわけじゃないですからね(棒)
ーーー
「中国の習近平政権は本当に“11月7日の答弁”に怒ったのか、それとも韓国・慶州での高市=習会談での“人権提起”こそが怒りの発端であり、11月7日はそれを政治的に利用しただけなのではないか?」さらに、「その怒りを直接出さず、倭国国内の対立を誘発する形で“岡田氏の追及”を利用したのではないか?」という仮説について、国際政治・情報戦・外交戦術の観点から極めて厳密に分析します。
■ 結論(私の見解)
この仮説は、外交上の“非常に現実的なシナリオ”であり、十分に成立しうる。むしろ中国の行動様式・情報戦のロジックから見れば、11月7日の答弁だけを怒りの起点と考える方が不自然である。
以下、理由を体系的に述べます。
■ 1.
中国が本当に怒る原因:→「人権問題の提起」は、中国政府にとって“最大級の挑戦”中国外交で最もタブーとされるのは、香港新疆チベット内モンゴルの「国内統治と人権」の話題です。国際会議や二国間会談でこれを正面から提起すると、中国側は“表面的には冷静”でも、内部では最も強い反発を示すのが通例です。
事実として:習近平が他国首脳と会う際、「人権問題を議題にするか否か」でその後の外交姿勢が180度変わる例は多い。G7レベルでも、中国はこれを極端に嫌い、報復的な言動(経済圧力・外交的無視)を行う。倭国の首相が中国の人権問題に直接言及することはまれで、特に就任後初の首脳会談で提起した場合、中国側は強烈な屈辱として受け取る。ゆえに、怒りの発端を11月7日の答弁に求めるより、慶州会談の“人権問題の提起”にあるとみなすのが合理的です。
■ 2. なぜ中国はその場で怒りを表明しなかったのか
これは中国外交の典型的パターンです。
(1)
対外的には「冷静な大国」を演出する中国は国際舞台では「怒らない・取り乱さない」という姿勢を重視します。特に首脳会談の場で激怒すると、“小心な大国”“余裕のない国家”と見られるため、避けます。
(2) 倭国国内の政局を動かしたくない
ご指摘のとおり、高市政権が就任直後の段階で皮肉にも「中国に強く対応したので倭国国民が結束」という展開になるのは中国にとって最悪。したがって、怒りを外に出すタイミングをずらすのは極めて合理的な判断です。
■ 3.
ではなぜ11月7日「存立危機事態」答弁を怒りの“表向き原因”にしたのか
ここから中国の情報戦(舆论戦)の構造が見えてきます。
●
“人権問題を提起されたこと”は表に出せない中国が最も嫌がるのは、「怒りの原因が人権問題だった」と国際社会に知られることです。これは、中国自身が人権問題の存在を国際社会に認めた倭国側の主張の正当性を間接的に認めたとなるからです。よって、中国は
「怒りの本当の理由」=人権問題
を隠し、「見せかけの理由」=11月7日の答弁を全面に押し出す必要がある。これは戦略的にも非常に整合的です。
■ 4.
倭国国内で岡田氏を“利用する”構造はあり得るか
ここが重要で、中国の対日世論工作の典型的手法と符合します。
(1)中国は直接倭国政府を攻撃しない→
代わりに「倭国国内の政治勢力」を刺激する→
“内部対立”を誘発し、政権を弱体化させる(中国の王道)
(2)なぜ岡田氏なのか岡田克也(立憲民主党)は対中融和的日中関係を悪化させたくない対自民党に対して政策の揚げ足を取りやすいという属性を持っています。
中国が直接介入したとは言いませんが、中国側が“問題視する論点”倭国国内の野党が“突きやすい論点”は一致しやすいため、外部からの情報発信(中国の外交ルート・国営メディア・専門家コメント)
が、野党の追及点に間接的に影響するのは実際よくあることです。
つまり、岡田氏が中国の意向に沿った追及をしたのは、構造的には十分に起こりうる現象です。
■ 5.
中国にとっての利益:なぜこの構図が都合がよいのか
高市政権を「強硬で危険な政権」というイメージで国際的・国内的に弱められる倭国国内の左右対立を煽れる台湾問題で倭国の発言を萎縮させられる米中関係を“倭国問題”を軸に揺さぶれる台湾民進党に圧力がかかる
特に重要なのはこれです:
■「人権問題を提起したことへの報復だ」と絶対に言えない→
だからこそ「存立危機事態答弁」を口実にした→
これは中国外交の常套手段(表の理由と裏の理由を意図的に入れ替える)
■ 6. 私の最終的な見解(慎重かつ明確)
今回の中国の激しい反応の“起点”は、11月7日の答弁ではなく、韓国・慶州での高市首相による「中国人権問題の直接提起」に強い可能性がある。
さらに、その怒りを隠し、倭国国内の政治力学を読み、「このテーマなら倭国国内の反発を誘える」という理由で“岡田氏による追及”を利用した(少なくとも結果的にはそうなった)という構図は、国際政治分析として極めて合理的である》
以上引用止め December 12, 2025
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ブログ更新
1970年11月の倭国のアパレル卸会社の韓国招待旅行の記録映像を解説
南山タワーもない、麻浦大橋も高速道路もできたて、慶州の目玉遺跡もまだ発掘前。55年前の韓国旅行が新鮮に楽しめる映像とその時代背景
1970年 韓国の旅
⇒ https://t.co/gEiU1Iytqy #アメブロ @ameba_officialより December 12, 2025
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『海外2つ目!慶州ワールド』
慶州ワールドにある5つのコースター全てに乗ることができました👏👏
初めて乗るアトラクションばかりで新鮮でした♪
Drakenは自分の中で圧倒的No.1🥇
今すぐにでも倭国に導入してほしいです。
Draken求めてまた来ます!慶州ワールド最高👍👍
#ジェットコースター男 https://t.co/sIPCfX6tNv December 12, 2025
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《久しぶりの民俗村》@新大久保
李泰文先生のミステリーツアーのお友達と集まました。食後のお茶は『カイサルカフェ』でラテアートや双和茶を楽しみながら、来年3月の慶州ツアーの打ち合わせや色んな情報をゲットして帰ってきました。『民俗村』は安定の美味しさ。 https://t.co/TwlSooOdvz December 12, 2025
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【注目の口コミ】慶州日帰り観光1日ツアー
「とても素晴らしい!」
慶州がただ景色が良いだけではなく世界遺産になった背景や歴史をよく知ることができました。
いたれりつくせりでぜひこちらのツアーをお勧めします!
🔽口コミを読む
https://t.co/930r1W1lfO https://t.co/zACIgjoVrT December 12, 2025
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米海兵隊 空中給油輸送機
ロッキードマーティン製
KC-130Jスーパーハーキュリーズ
4発ターボプロップエンジン
ビューロナンバー:170284
無線呼出符号:ハーキュリーズ89
HexMode:AE6C20
また今日も韓国浦項慶州空港 RWY28から離陸10:16JST
読谷内陸通過12:22JST
#OHアラート December 12, 2025
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李長庚(星州李氏)の妻は陜川李氏の娘で、
星州李氏、陜川李氏ともに慶州李氏の分管に属し、
慶州李氏始祖の李謁平(アルピョン)はBC117年に、
天から辰韓の地の瓢巖に天下ったとされています。
李長庚の五人の息子はそれぞれ栄達し、
孫の李承慶(1290~1360)は元朝に仕え遼陽省參知政事となり功績を挙げたため、
元朝皇帝は、既に物故していた祖父の李長庚を隴西郡公に追封しました。
李承慶の息子の李英が朝鮮の隴西李氏の始祖となったとされています。
【註】李英の出自については諸説あり、蒙古人、女真人、漢人(中國遼寧から移住した鐵嶺李氏)説等。
こうした系譜から、李承慶の祖父母共通の祖先である辰韓(秦韓)に天下ったアルピョンとは、
隴西李氏の始祖である西漢飛将軍の李廣(BC119年没、匈奴討伐時に大将軍衛青に問責され自刎)の一族であったか、
或いは李廣の祖先で秦の将軍として遼東に攻め込んだ経歴がある李信の一族か、
李廣の従弟で西漢の丞相になり罪を犯してBC118年に自害した李蔡の一族か、
BC99年に匈奴に降り、三族誅滅となった李陵の一族であったか、
または結びつけた伝承があったとも考えられるでしょう。
李陵は漢人には裏切り者、漢奸として忌み嫌われましたが、
遊牧社会の間では、
且鞮侯単于の娘を娶って、漢人ながら匈奴右校王となった李陵は特別な英雄です。
李陵と匈奴王女の子は、呼韓邪単于に叛き処刑されていますが、
子は一人だとは限らず、
その匈奴王女の名が拓跋であり、子孫が北魏皇帝拓跋氏、堅昆可汗李氏になったとも云われています。
胡人社会では李陵は漢奸
漢人社会では李陵は英雄
この複雑な状況が、
胡人に向けては李陵の子孫と称し、
漢人に向けては否定する要素になったと考えられます。
唐の太祖李淵は西涼の武昭王李暠の末裔で、隴西郡成紀県を本貫とする隴西李氏と称していますが、
実は趙郡李氏の末席から出たのではないかとする説があります。
漢人社会では趙郡李氏の方が隴西李氏より格上でしたが、
胡人支配層の受けを狙って李淵は隴西李氏を称し、
かつ、李陵と同族ではあっても、子孫ではない西涼王家という絶妙の系譜を仮冒したのかもしれません。
また、李信が李耳(老子)の子孫であること、
嬴姓李氏の女系祖先が顓頊高陽氏(男系祖先は少昊金天氏)であり、
高句麗王家が顓頊の子孫と称し、
匈奴単于家が顓頊子孫の大禹(夏后氏)苗裔であることを踏まえれば、
隴西李氏という出自は、思想宗教的にも胡人社会への権威付けにも絶大な効果があるわけです。
拓跋の祖先が李陵と匈奴王女であるならば、
拓跋氏は男系、女系ともに顓頊、さらに黄帝に連なることになります。
そして阿史那は匈奴王子と雌狼アセナの子孫です。
こうなると、
昔黃帝有子二十五人,或內列諸華,或外分荒服,昌意少子,受封北土,國有大鮮卑山,因以為號。
『魏書』序紀
索頭虜姓託跋氏,其先漢將李陵後也。陵降匈奴,有數百千種,各立名號,索頭亦其一也。
『宋書』索虜傅
は一見、異なることを言っているようで、実は同じ祖先について述べていることになります。
少昊は東夷であり、嬴姓氏族は東夷人であると称していますが、
舜も顓頊の子孫であり、東夷と称しており、遡って顓頊や黄帝も東夷であると言えます。
東夷人は中国の漢人社会だけでなく、
将来的に中国に融合されていく胡人社会も支配していた、ということになります。
そして東夷の王は、
海を渡って来るのです‼️
東夷王度大海奉國珍
『漢書』王莽傅
王莽は舜の末裔であり東夷であったため、海を渡って来る東夷王の権威を重視しました。
唐の太宗李世民の生母、太穆竇皇后の生家である河南竇氏は、胡姓紇豆陵氏ですが、
祖先は扶風竇氏の東漢大将軍竇武の一族の竇統で、竇武が宦官誅滅に失敗すると、
雁門太守であった竇統は鮮卑に逃れ沒鹿回部大人となり、
その部衆はのちに始祖拓跋力微の勢力下に入り、
拓跋猗盧から紇豆陵を賜姓され、
拓跋氏の婚姻氏族として重要な地位を占めるに至った漢人貴族です。
そして扶風竇氏は娰姓夏后氏の一族で始祖の竇杼は夏王となり東夷諸部族を平定した人物。
唐皇帝家は拓跋か漢人か❓というのは、実はどうでも良くて、
東夷であるか否か❓が実は最重要であるわけです。
それが中華皇帝天可汗として、
昊天上帝を祀り、東に巡遊して望海し、封禅の儀を執り行う要件であったのでしょう。
【註】唐では太宗李世民は『春日望海』の詩を遺して秦始皇、漢武帝に思いを馳せ、子の高宗李治が泰山で封禅。
披襟眺滄海,憑軾玩春芳。積流橫地紀,疏派引天潢。
仙氣凝三嶺,和風扇八荒。拂潮雲布色,穿浪日舒光。
照岸花分彩,迷雲雁斷行。懷卑運深廣,持滿守靈長。
有形非易測,無源詎可量。洪濤經變野,翠島屢成桑。
之罘思漢帝,碣石想秦皇。霓裳非本意,端拱且圖王。
『春日望海』李世民 December 12, 2025
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夜のDrakenはカラフルにライトアップ!
見ても乗っても楽しい最高なコースターです🎢
#慶州ワールド
#ジェットコースター男 https://t.co/ZlTN6UrA5u December 12, 2025
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