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弁論術
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2025.12.12
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弁論術に関するポスト数は前日に比べ77%減少しました。男女比は変わらず、本日も40代男性の皆さんからのポストが最も多いです。本日話題になっているキーワードは「アリストテレス」です。
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【新刊情報】
人前で話す人、文章を書く人の必携書
『基礎から学ぶ修辞学 心を動かす〈説得〉の技法』
R・N・S・トッピング=著|大久保ゆう=訳
https://t.co/6EWd5ik91Z
「論理(ロジック)」だけでは人の心は動かない。
「修辞学(レトリック)」を駆使すれば必ず伝わる!
ロゴス(理路)によって主張を整え、聞き手を引き付けるパトス(感情)を働かせ、エトス(人間性)をもって言葉の芯を支えていく。
古代ギリシャ時代から変わらない「明晰に伝える」「楽しませる」「心を動かす」ための26のルール。
【巻末には練習問題を収録】
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「彫刻家のねらいは、さすが彫刻家だと思わせることにある。言葉巧みな者のねらいは、よもや言葉巧みだなどとは思わせないことにある」
──G・K・チェスタトン
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言葉の力で人の心を動かし、相手の行動を引き出す──
そのための技術を体系的に解き明かすのが、本書で扱う〈修辞学〉です。
アリストテレスの時代から一貫して、修辞学の核心は〈説得〉にありました。
本書は、小説や脚本といった創作の場面のみならず、ビジネスにおける交渉やスピーチ、学校での発表、討論など、あらゆる領域で応用可能な普遍的原理を、26の明快なルールとして整理しています。キケロ、アウグスティヌス、シェイクスピア、エラスムス、リンカーン、ディケンズ、チェスタトン、C・S・ルイスらの言語技法を参照しながら、古代の弁論術に培われた知見と文学・思想の伝統を手がかりに、「明快に、そして効果的に伝えるための技術」を丁寧に解説します。
例えば、本書では、
◎説得を支える三要素(ロゴス・パトス・エトス)の働かせ方
◎文章構成の組み立て方
◎論理的誤謬を見抜き、回避する方法
◎読者や聴衆の感情に届く言葉の選び方
など、修辞学のエッセンスを豊富な実例とともに具体的に示しています。
話すことや書くことを生業とする人にとっては、常に手元に置いておきたくなる指南書として、
学生にとっては発表やレポート作成の確かな支えとなる一冊です。
〈伝えること〉、〈楽しませること〉、〈心を動かすこと〉──
言葉をめぐるあらゆる実践に寄り添う、説得技法の本格的かつ親しみやすい入門書が待望の邦訳。 December 12, 2025
2RP
知恵ある者はどこにいるのですか。学者はどこにいるのですか。この世の論客はどこにいるのですか。神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。
コリント人への手紙 第一 1章20節
(質問)
博識なパウロだからこそ言える言葉ですね。
(回答)
その通りですね。
ただ単に学がない人が「学問なんて役に立たない」と言うのと、当時の最高峰の教育を受けたパウロがこの言葉を語るのとでは、その意味合いと重みが全く異なります。
ご指摘の通り、パウロが「博識(最高レベルの知識人)」であったからこそ、この逆説が強烈な説得力を持っているという点について、少し掘り下げてみたいと思います。
1. パウロが持っていた「この世の知恵」
パウロがいかに当時の「エリート」であったかを確認すると、この言葉の凄みがより増してきます。
* 最高の教育:
当時のユダヤ教における最高権威、ラビ・ガマリエルのもとで厳格な教育を受けていました(使徒の働き 22:3)。
* 多文化への造詣:
ヘレニズム文化の中心地の一つであったタルソ出身であり、ユダヤの律法だけでなく、ギリシア哲学や修辞学にも通じていました。
* ローマ市民権:
生まれながらのローマ市民権を持つ、社会的地位の高い人物でした。
つまり、パウロはこの聖句に出てくる「知恵ある者」「学者」「論客」というタイトルのすべてを、本来ならば自分のものとして誇ることができた人物です。
2. コリントという都市へのメッセージ
この手紙が送られた「コリント」という街の背景も重要です。
当時のギリシア(コリント)の人々は、哲学や弁論術(レトリック)を何よりも好み、「知恵」を愛することを誇りとしていました。
パウロは、彼らが崇拝しているその「人間の知恵」や「弁論の巧みさ」と同じ土俵に立てる能力を持っていながら、あえてそれを否定しました。
「神は、この世の知恵を愚かなものにされたではありませんか。」
これは、知性が無意味だと言っているのではなく、「人間の知恵の限界」を悟った知性人の叫びとも言えます。
どれほど人間が哲学を積み上げても、論理を尽くしても、「十字架につけられた救い主」という神の愚かさ(人間の目には愚かに見える救いの方法)には到底たどり着けないことを、彼は痛感していたのでしょう。
3. 「すべてをちりあくたとみなす」潔さ
パウロは別の箇所(ピリピ人への手紙 3章8節)で、自身の華々しい経歴や知識を、キリストを知る知識に比べれば「ちりあくた(ゴミ)」だと語っています。
彼が博識であればあるほど、「自分の知識」と「神の啓示」との間にある埋められない距離を、誰よりも深く理解していたのだと思われます。
○まとめ
「博識なパウロだからこそ言える」という視点は、この聖句を味わう上で非常に重要な鍵ですね。
自分の持っている武器(知恵や知識)が最強だと信じていた男が、それよりも遥かに偉大な「神の知恵(十字架)」に出会ったときの衝撃と謙遜が、この一節には込められているように感じます。(了) December 12, 2025
ユダヤ人はしるしを要求し、ギリシア人は知恵を追求します。
コリント人への手紙 第一 1章22節
(質問)
これはどういう意味でしょうか?
(回答)
この聖句は、使徒パウロがコリントの教会に対して、「人間が期待する救い主の姿」と「実際に神が用意された救い(十字架のイエス)」との間に大きなギャップがあることを説明している箇所です。
当時の文化的・宗教的背景を知ると、この言葉の深意がより明確になります。
以下に詳しく解説します。
1. 「ユダヤ人はしるしを要求し」の意味
ここでの「ユダヤ人」は、伝統的なユダヤ教的価値観を持つ人々を指します。
* 「しるし」とは:
目に見える奇跡、天からの超自然的な証明のことです(例:モーセが海を割ったような力ある業)。
* ユダヤ人の期待:
彼らは、救い主(メシア)が来るときは、圧倒的な神の力でローマ帝国などの支配を打ち破り、輝かしい奇跡を行う「強い王」であると信じていました。
* つまずきの石:
そのため、「十字架につけられて無力に死んだイエス」という姿は、彼らにとって「神に呪われたローマ帝国の敗北者」に見え、受け入れがたい「つまずき」でした。
2. 「ギリシア人は知恵を追求します」の意味
ここでの「ギリシア人」は、当時の異邦人(非ユダヤ人)社会、特にヘレニズム文化の知的・哲学的な人々を指します。
* 「知恵」とは:
哲学的な論理、理性、レトリック(弁論術)の美しさです。
彼らは論理的に納得できる説明や、知的な洗練さを求めました。
* 彼らの期待:
神的な存在とは、不滅で、理知的で、超越しているべきだと考えていました。
* 愚かさ:
そのため、「神の子が罪人として十字架で処刑される」という話は、彼らの理性や哲学からすれば、あまりに非論理的で荒唐無稽、取るに足らない「愚かな話」に聞こえました。
3. パウロが伝えたかった核心
この節の直後(23-24節)で、パウロはこう続けます。
「しかし、私たちは十字架につけられたキリストを宣べ伝えます。(中略)召された者にとっては、ユダヤ人にもギリシア人にも、キリストは神の力、神の知恵なのです。」
つまり、パウロは以下のことを主張しています。
* 人間の基準の否定:
人間が求める「力(しるし)」や「賢さ(知恵)」の延長線上に、神の救いはなかった。
* 神の逆説(パラドックス):
人間には「弱さ」や「愚かさ」に見える「十字架の死」こそが、実は人間の罪を解決する本当の「神の力」であり、最高の「神の知恵」であった。
○まとめ
この聖句は、「人間は自分の定規(奇跡や理屈)で神を測ろうとするが、神の救いは人間の常識を超えた方法(十字架の愛)で現された」ということを意味しています。(了) December 12, 2025
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