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南禅寺
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2025.11.10〜(46週)
:0% :0% (30代/男性)
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
11/16(日)から29日(土)限定公開
📍南禅寺 法堂
通常非公開の法堂内部を拝観することが😲できます。
天井画の迫力に圧倒されました👀
御朱印帖「今尾景年画 瑞龍図」を授与頂く事で、日々天井龍のご加護を頂ける気がしました!局員
#そうだ京都行こう https://t.co/bgfrdnP6tf November 11, 2025
178RP
おはようございます。
京都は朝からいい天気☀
🍁写真は色づき始めた南禅寺。
人が少なくていい感じでした✨
#京都 #紅葉 #南禅寺
2025/11/12 9:30 am 撮影
#トトロツーリスト
色々あるけど、今日も笑顔でFightです😊 https://t.co/W1CP7gJ5Ur November 11, 2025
49RP
おはようございます☀
朝は寒いね〜
写真は南禅寺塔頭の天授庵🍁
ここの紅葉は最高に綺麗です。
残念ながら、この日は拝観中止でした😭
なので🍁外観だけ撮ってきました。
中は素晴らしい🍁紅葉が見頃になってると思います😊
オススメの場所です!
#京都 #南禅寺 #天授庵
2025/11/12 撮影 https://t.co/YQi4j3D3LB November 11, 2025
45RP
京都 紅葉情報
11月12日朝の紅葉情報です。
1枚目から3枚が南禅寺4枚5枚が永観堂6枚7枚が真如堂残りが毘沙門堂になります。
少し早いのか紅葉している木と枯れだしている木がありこれからが楽しみと不安です。
早朝なので中には入っていませんが状況を確認するには良いと思います。
11月12日朝の紅葉情報です。
1枚目が南禅寺2枚目が永観堂3枚目が真如堂4枚目毘沙門堂になります。
少し早いのか紅葉している木と枯れだしている木がありこれからが楽しみと不安です。
早朝なので中には入っていませんが状況を確認するには良いと思います。
#京都紅葉情報
#紅葉台木曽馬牧場
#永観堂
#真如堂
#目毘沙門堂
#京都今これ
#京都
#kyotoimakore
#kyoto
#japan November 11, 2025
42RP
南禅寺1291年発祥の地
📍南禅院
⾧らく修景工事により拝観停止していましたが、11/30(日)まで期間限定で公開されています。
南禅寺とどう違うのか…深まる紅葉のこの時季に、ぜひ足を運んで感じ取ってみては。
おおきに。局⾧
#そうだ京都行こう https://t.co/OrPXr2gbjK November 11, 2025
36RP
今日はX 5th anniversary 🎈🎈🎈🎈🎈
旧垢からだと6年、、
いつもたくさんの♡、repostありがとうございます🙇🏻
2024.12.7 参拝
左京区 南禅寺塔頭 天授庵
🍁見頃は過ぎていました
一日お疲れ様です♪ https://t.co/HidGGls1Tn November 11, 2025
7RP
午前に エアロビクス行って その後 直ぐに眼科へ向かい 予約していた視野検査❗️
15〜6年前に受けて とっても疲れた印象があったので気持ちも曇り気味で挑みましたが…結果は問題なし!でホッと一安心✨
年一回検査することで終了❗️
先日旅した京都で湯豆腐をいただきました💕
#湯豆腐
#八千代
#南禅寺 https://t.co/N8FZs0fCHC November 11, 2025
5RP
14日南禅寺天授庵が見頃と聞いて出かけましたが、4時に閉門され間に合いませんでした。外から見ても色づいていました。例年ですと天授庵が見頃でも南禅寺はまだまだという感じなのですが、色づいている樹々も多く紅葉を楽しめましたよ。永観堂にも走りましたが閉門されてたので残念〜リベンジ行くぞ https://t.co/T8KOwzZJNv November 11, 2025
2RP
今日は母と紅葉狩り🍁へ
突然思いついて行動にうつす私 笑
写真📷上手くない❓
南禅寺から銀閣寺へ…
少し早かったけど 赤と緑が混ざるのが
好き 🫶
ランチは哲学の道でふらっと立ち寄った
叶 匠壽庵でにしん茶そば
美味しおすえ🤤 https://t.co/jgW1LTZfkV November 11, 2025
2RP
今日は叔父の納骨で佛光寺本廟に。自転車で行ったので、帰りは南禅寺あたりをサイクリングしたんやけど、人多すぎ(笑)でもまあ「秋の京都」やもんね、無理もない。ええお天気、ありがとう。 https://t.co/rCNw7TsAjR November 11, 2025
1RP
御社尾の神石29奈良県奈良市都祁小山戸町 都祁山口神社元慶3年(880年)、水分神が白龍の姿で降臨した磐座。近くから古墳時代の管玉が2点発見されている。BABA
奈良県CA
都祁直霊石29奈良県奈良市都祁小山戸町 都祁山口神社都祁山口神社から御社尾の神石に向かう途中にある石碑。
八柱神社 岩石群29奈良県山辺郡山添村遅瀬社殿の東隣から上方斜面に岩石の露頭が複数分布。いわれはなし。
十三磨崖仏29奈良県山辺郡山添村遅瀬室町時代後期の磨崖仏。自然石の表面を平滑に加工した上で、6体の地蔵、13種の菩薩を26体彫刻し、それぞれに梵字を添えている。A
乞食岩29奈良県山辺郡山添村遅瀬この川辺に住み着いていた乞食が、岩石の上面に開いた穴に水をため、川魚のいけすとして使用していた。EA
奈良県EC
東山の天狗岩29奈良県山辺郡山添村遅瀬天狗が積み重ねたという、4畳半の岩を3重に積み重ねた形の巨岩。所在特定できず。今現在確認がとれていない岩石
鏡石29奈良県山辺郡山添村中峰山 神波多神社拝殿と向かい合うように残る三角形状の岩石。
山神29奈良県山辺郡山添村中峰山 神波多神社山神をまつる石碑。BAA
庚申29奈良県山辺郡山添村中峰山 神波多神社庚申をまつる石碑。BBC
奈良県A
舟岩29奈良県山辺郡山添村中峰山字オクヤデ高さ3m、幅10mの舟形の岩石の集積。名張川の上流から船で下ってきた素戔嗚命が、この地で船から降り、その船が石化したもの。あるいは、神功皇后が三韓征伐を行なった時、乗っていた船が石化したもの。C物品が石化したもの
山之神29奈良県山辺郡山添村中峰山山神をまつる石碑。BAA
地蔵岩29奈良県山辺郡山添村中峰山
十市姫の岩29奈良県山辺郡山添村中峰山
大師岩29奈良県山辺郡山添村中峰山
大亀石29奈良県山辺郡山添村中峰山横から見た姿が亀に似ているということから名付けられた岩石。岩に5mの亀裂空間があり、神波多神社の祭神(素戔鳴尊/牛頭天王)が出てきたという言い伝えが残る。BAC岩穴・窟
奈良県C
大川遺跡対岸磨崖仏29奈良県山辺郡山添村中峰山川沿いの広い平坦面をもつ岩壁に仏の姿が彫刻されている。A
長持石29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社吉田集落の人々が遠方から氏神を迎えようと祭祀をしたところ、轟音と共に伊賀から神が婿入りに来て、その時の神の婿入り道具である長持が石化したもの。C物品が石化したもの集落の氏神を外から迎えたところ、遠方の神が婿入り道具と共にやって来る。
奈良県突如出現した岩石
つづら石29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社神の婿入り道具であるつづらが石化したもの。岩石の表面に十字架状の長石の層があり、つづらに見立てられたものと推測される。また、岩石の上面には神が降臨した時に乗っていた馬の蹄跡が残るという。C物品が石化したもの婿入り道具の荷物に祭神の馬の蹄跡が残る。
奈良県BABA突如出現した岩石
奈良県岩石表面に印・痕・模様が残る
鏡台29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社神の婿入り道具である鏡台が石化したもの。C物品が石化したもの
奈良県突如出現した岩石
ハサミ29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社神の婿入り道具であるハサミが石化したもの。C物品が石化したもの
奈良県突如出現した岩石
石の水鉢29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社神が休憩の際に水を飲んだという水鉢。C
箪笥石29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社神の婿入り道具である箪笥が石化したもの。C物品が石化したもの
奈良県突如出現した岩石
葛石29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社
石売り行事29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社16歳以下の少年が川原で拾った小石を参拝者が買い求め、その小石を岩尾神社に供える。BBC可動的性質子供から石を買い、それを神前に供える。
庚申さん29奈良県山辺郡山添村吉田寺院の裏山中腹にある自然石を庚申として信仰したもの。A
八柱神社 滝29奈良県山辺郡山添村片平 八柱神社社殿の背後に高さ約6mの岩盤があり、そこを流れる滝を御神体にしていたという。地震で崖崩れがあったため、現在、八柱神社は付近に遷座している。BCA今現在確認がとれていない岩石
大師石/豆腐岩29奈良県山辺郡山添村広代 愛宕山愛宕山の峰続きの道近くにある、高さ約3m、直径約2mの岩石。弘法大師が担いできた岩石で、表面にはタスキのような跡があるという。C岩石表面に印・痕・模様が残る
三枚岩29奈良県山辺郡山添村菅生土に覆われた巨大な岩石の露頭の頂上部に、板状の岩石が3重に並んで立っている。小祠が隣接してまつられているが詳細のいわれは不明。
烏帽子岩29奈良県山辺郡山添村菅生河内川の上流にある七淵の岸にある岩石。詳細不明。
釜淵29奈良県山辺郡山添村葛尾 名張川名張川の淵の中に、上部が円状に陥没した岩盤があり、神波多の天王さんが最初に出現した場所という。BAC岩穴・窟
奈良県C
天王さん29奈良県山辺郡山添村葛尾神波多の天王さんが名張川を渡ってきた時に休憩をした岩石。C休み石・腰掛石
オニ岩29奈良県山辺郡山添村下津吉備津彦命をまつるという岩石。詳細不明。
芋紡ぎ岩29奈良県山辺郡山添村下津おばあさんが芋を紡いでいたという岩石。EC
吉備津神社 岩石祭祀事例29奈良県山辺郡山添村下津 吉備津神社高さ約6m、幅約10mの巨岩をまつる神社。A磐座と石神の性格が混在している事例
奈良県BA
山之神29奈良県山辺郡山添村下津 吉備津神社山神をまつる石碑。木製祭具を供える。BAA
カラブロ29奈良県山辺郡山添村下津水をかけると温かくなる岩石。元は下津川の真ん中にあったが、上流に上津ダムを建設したことでカラブロが沈下する可能性が出てきたので、カラブロを川の縁の方へ少し移動したという。まつられてはいない。EB原位置から移動伝承
奈良県熱を持つ岩石
狐岩29奈良県山辺郡山添村上津字ハジカミこの岩石の上に古狐が座っていて、村に異変があると村人に事前に知らせてくれたという。上津ダム建設などの開発の中で消滅した。BABA今は存在しない岩石
奈良県EC
六体地蔵29奈良県山辺郡山添村毛原 毛原廃寺室町時代後期の製作とされる磨崖仏。自然石に平坦な磨きを入れた上で、6体の地蔵を横並びに浮き彫りさせたもの。A
大師の硯石29奈良県山辺郡山添村大塩弘法大師が杖で岩石を叩いたところ、窪みができて海水が湧き出てきたという。この海水は決して涸れることがなく、いつも同じ量を保っているという。伊勢湾の塩の満ち引きが分かったり、人の生き死にも占えるという。CC岩石表面に印・痕・模様が残る岩石に溜まった水で塩の満ち引きや人の生き死にを占う。
奈良県BBD岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
奈良県岩石に溜まった水が枯れない
鍋倉渓29奈良県山辺郡山添村 神野山幅10m、長さ650mに渡り、大小の岩石が寄り集まり重なった景観。神野山の烏天狗と伊賀青葉山の烏天狗が喧嘩をした時、青葉山の烏天狗が投げつけてきた岩石の集積という。また、父をなくした息子が鍋倉渓の上で「父に会いたい」と泣いたところ、突然石が動き、岩石群の下を流れる水に亡き父の笑顔が映ったという。C神々の力比べ・喧嘩
奈良県EB岩石が動く
竜王岩29奈良県山辺郡山添村 神野山なべくら分教会がまつる岩石。A
天狗岩29奈良県山辺郡山添村 神野山神野山の烏天狗にちなむ岩石群。C
八畳岩29奈良県山辺郡山添村 神野山高さ約7m、幅約10mの岩崖状の巨岩。頂部には数本の溝があり、神野山の烏天狗の足の爪による引っ掻き跡という。C岩石表面に印・痕・模様が残る
スフィンクス岩29奈良県山辺郡山添村 神野山スフィンクスに似た形状ということで名付けられた岩石。EC近代以降の命名
王塚29奈良県山辺郡山添村 神野山漢速日命の墳墓といわれるマウンド。マウンドには葺石状の岩石が散見され、古墳・磐境・経塚などの諸説がある。
六所神社 岩石祭祀事例29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社山裾の岩塊の上に本殿が建てられている。六所神社は延喜式内の天乃石吸神社の論社で、石吸は石据えの転訛と見る解釈がある。BABC
毘沙門天像29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の磨崖仏。A
金毘羅碑29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石神。A
行者石像29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
不動磨崖仏29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
観音石仏29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
地蔵石仏29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
窯の焚き口29奈良県山辺郡山添村峰寺村の石橋を造った力持ちが風呂に入るため使っていた窯。EC
天王の森29奈良県山辺郡山添村峰寺小山の頂上に岩石群があり、牛頭天王をまつり禁忌が厳しく守られていたという。A禁忌が厳しい
首切り地蔵29奈良県山辺郡山添村峰寺道の往来の安全を祈念して造られた石仏。後に首部と胴部に亀裂が入ってしまい、この名称で呼ばれるようになる。A岩石表面に印・痕・模様が残る道の安全を祈念して地蔵仏をまつる。
奈良県BBB
水神の森29奈良県山辺郡山添村峰寺布目側の中洲に隆起する森。大小の川原石が群集する。BCA禁足地
八丈岩29奈良県山辺郡山添村峰寺約17㎡の巨岩。水神の森の遥拝所。BA
奈良県BBA
明星岩29奈良県山辺郡山添村北野 天神社天御中主尊が降臨したという岩石。麓に天神社が建てられる以前はここで祭祀が行なわれていたという。BA
奈良県C
腰越ウチカタビロ土塚29奈良県山辺郡山添村北野字ウチカタビロ直径3mほどのマウンドに、大小の自然石や数体の石仏を集積している塚。北野天神社で旧五社巡りという祭礼が行なわれる際、この塚の前に御幣を供え、田楽を奏上したという。BCA塚の前に御幣を立てて田楽を奏上する。
岩屋29奈良県山辺郡山添村北野高さ6m、幅13m、奥行き6mの内部を有する自然の岩窟。弘法大師が天井石に大日如来を刻し本尊として、岩窟の中に不動明王、入口に善女龍王をまつり、近世まで岩屋寺として栄えた。A岩穴・窟岩窟寺院の天井石に本尊を刻む。
奈良県BCA
奈良県BAC
枡形岩29奈良県山辺郡山添村北野弘法大師が岩屋に大日如来を彫った後、上方斜面にあった別の巨岩に枡形の刳り抜きを作り、その刳り抜きの中にノミとツチを収めたという。本来は木製の御正躰を収納する石厨子だったと考えられている。C岩石の表面をくりぬき、中に仏などを納める岩石に枡をくりぬいて御正体や祭具を収める。
奈良県BCA
奈良県BAC
牛ヶ峰ミヤマ洞穴遺跡29奈良県山辺郡山添村北野全長13m、最大幅5mの花崗岩の自然の集積による洞穴。禁忌の場所とされ、布目ダム建設により水没するため発掘調査を行なったところ、中世の土器片や近世~現代までの日常雑器が見つかった。BCA禁忌が厳しい
奈良県岩穴・窟
津越の磨崖仏29奈良県山辺郡山添村津越山の岩肌を利用して数体の仏を刻んだ磨崖仏。A
フジノミ禊斎場29奈良県山辺郡山添村津越江戸中期、灌漑用水路を造る作業の無事を祈り、僧侶が岩石に不動明王の梵字を刻んで祈り続けたという。元来は北野字フジノミにあったが、布目ダム建設による水没を免れるため現在地に移設された。A
烏ヶ淵阿弥陀地蔵二尊磨崖仏29奈良県山辺郡山添村桐山淵の中にあった自然岩に阿弥陀仏・地蔵仏の像を彫りこんだ磨崖仏。寛政年間の製作で、烏ヶ淵の堰の工人の供養や水害の鎮めとして彫られたものと考えられている。元来は烏ヶ淵にあり、布目ダム建設に現在地に移転。A
奈良県BBB
桐山阿弥陀磨崖仏29奈良県山辺郡山添村桐山鎌倉~南北朝期の製作とされている磨崖仏A
弁天岩29奈良県山辺郡山添村桐山字カナヤケ巨岩の上に弁天をまつる瓦質の祠がある。周辺の遺跡調査の結果、弁天岩の周辺を意図的に平坦にしたような形跡が検出されたという。BABC
八幡神社 阿弥陀仏29奈良県山辺郡山添村的野1253年製作の村内最古の阿弥陀仏。A
送り狼石/室津のオーカミ石29奈良県山辺郡山添村室津字池神旅人が道を通る時、この岩石の上に食物などの奉げ物を置くと、後ろから狼が追いかけてこなくなるという。BCD岩石の上に捧げ物を置くことで、狼などの災禍を免れることができる。
奈良県BBB
室津の磨崖仏29奈良県山辺郡山添村室津山の岩肌に刻まれている磨崖仏。A
賽の河原29奈良県宇陀市室生区室生 室生寺山中の岩陰に設けられた水子供養の積石群BBB可動的性質
BBC
諸仏出現岩29奈良県宇陀市室生区室生 室生寺室生寺奥の院の横に隆起する露岩。ここから諸仏が現れ出たといういわれを持つ。BA
C
龍穴/吉祥龍穴/奥宮29奈良県宇陀市室生区室生 龍穴神社龍神が棲むといわれる岩穴。雨乞いの祭祀対象として信仰された。BAC岩穴・窟
奈良県BCA
天の岩戸29奈良県宇陀市室生区室生 龍穴神社天岩戸に擬せられた岩石の亀裂。C
どん亀石29奈良県室生区黒岩この岩石の下に金の仏像が眠るという。EC黄金の何かが隠されているという伝説
霊宝石/天の瓊矛29奈良県宇陀市大宇陀区 春日神社
神楽石29奈良県宇陀市大宇陀区 阿貴山
白石/白石明神29奈良県宇陀市大宇陀区 劔主神社裏山の奥の院の巨岩の一部を打ち欠いて麓の劔主神社に持ってきて分霊・勧請したという岩石群。江戸末期までは社殿を持たずこの白石群を祭祀対象としていた。A岩石に損傷を加える行為山の巨岩の一部を打ち欠いて麓の神社の分霊石とする。
奈良県BA可動的性質
奈良県磐座と石神の性格が混在している事例
劔主神社例祭29奈良県宇陀市大宇陀区 劔主神社例祭日、吉野川から持ってきた小石を川に沈めて禊をし、その小石を劔主神社奥の院の巨岩の前に供える。BBC可動的性質
奈良県水をかける・水に漬かる
奥の院/白石さん29奈良県宇陀市大宇陀区劔主神社の奥の院といわれる石灰岩の露頭で、劔主神社後方の山頂にあるという。A磐座と石神の性格が混在している事例
奈良県BA
奈良県C
月輪石29奈良県橿原市東池尻町 御厨子神社境内にある亀裂の入って2つに分かれた岩石。由来不詳。
光明不動29奈良県橿原市東池尻町 御厨子山妙法寺妙法寺の入口路傍に岩肌を見せる小さな自然石。この岩肌に不動明王の姿が見えれば眼病が治るといわれる。A岩石表面に印・痕・模様が残る
天香山神社 岩石群29奈良県橿原市南浦町 天香山神社社殿背後の山斜面の露岩群を磐座跡とみなす見方があるが確証はない。
天岩戸29奈良県橿原市南浦町 天岩戸神社拝殿の裏に4体の岩の集積があって岩室状の空間を形成しており、これを天岩戸としてまつったもの。玉垣内に真竹が自生し、毎年7本ずつ生え変わることから「七本竹」と呼んでいる。C
月の誕生石29奈良県橿原市南浦町 天香久山月を産んだ岩石。その産湯と足跡が岩石に残るという。EB岩石表面に印・痕・模様が残る
奈良県岩石が満ち欠け・増減・出産する
蛇つなぎ石29奈良県橿原市南浦町 天香久山蛇が巻きついているかのような石のシワが残るという岩石。EC岩石表面に印・痕・模様が残る
豊浦の立石29奈良県高市郡明日香村豊浦 甘樫坐神社飛鳥京の条理の地割り石だったという説や、寺域を示していたという説があるが確定していない。現在は明神探湯神事の時に甘樫の神を憑依させる立石として機能している。BAA
明神探湯神事の炉29奈良県高市郡明日香村豊浦 甘樫坐神社明神探湯神事の時に、熱湯をたぎらす釜を据えるための炉石。BE火が絡む祭祀
奈良県BCD
須弥山石29奈良県高市郡明日香村飛鳥内部に導水構造を有し、配水施設と組み合わせれば噴水が出る岩石構造物。『倭国書紀』に斉明天皇が須弥山石のもとで饗宴を催したという記述があり、これに該当するのではないかと考えられている。水落遺跡のすぐ近くから出土したが、現在は飛鳥資料館の館内に移設展示されている。原位置から移動伝承岩石に水を通して饗宴の施設とする。
石人像29奈良県高市郡明日香村飛鳥内部に導水構造を有し、配水施設と組み合わせれば噴水が出る構造となる石像。須弥山石と同様の性格の石像物と目される。水落遺跡のすぐ近くから出土したが、現在は飛鳥資料館の館内に移設展示されている。原位置から移動伝承岩石に水を通して饗宴の施設とする。
弥勒石29奈良県高市郡明日香村飛鳥胴体はずんぐりと長く屹立し、目鼻立ちは摩滅してしまっているがしっかりとした頭部を持つ石造物。下半身の病に霊験ありという。A
飛鳥坐神社の陽石祭祀29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社人々が諸願を果たすために奉納された陽石群。BBC
力石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社男性は左手で力石を持ち上げる。女性は右手で力石を持ち上げる。持ち上がったら幸福をつかめるという。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか
奈良県力石
むすびの神石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社一対になって並んでいる陽石と陰石。A
恵比須石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社高さ30cm程の小さめの岩石。恵比須様の頭部に似ていることから名付けられて信仰された。A
奥の大石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社高皇産霊神が宿る陽石。A
小原の立石29奈良県高市郡明日香村小原現在は場所が特定できず行方不明。
亀形石造物29奈良県高市郡明日香村岡亀形石造物とその手前に接する小判形石造物を中心に、その周囲から敷石遺構、配水遺構などが出土した。石造物自体も水を溜め込み次に導水するという配置構造を持っている。
岡の酒船石29奈良県高市郡明日香村岡岩石の表面に円形の窪みと直線状の溝が幾何学的に配置された石造物で、石の左右端は削り取られている。現在は酒船石と亀形石造物を含む周辺一帯が大規模な導水施設として機能していたのではないかという説が有力になっている。岩石が改変されている
出水の酒船石29奈良県高市郡明日香村出水岡の酒船石と類似した溝を持つ石造物。実物は京都市南禅寺の碧雲荘に移設されているが、レプリカを飛鳥資料館で見ることができる。原位置から移動伝承
岡寺奥の院彌勒堂29奈良県高市郡明日香村岡 岡寺弥勒仏をまつっている人工の石窟。BCA岩穴・窟
奈良県BAC
岡の立石29奈良県高市郡明日香村岡 岡寺高さ約3mの立石。
上居の立石29奈良県高市郡明日香村上居高さ1.9mの立石。
マラ石29奈良県高市郡明日香村祝戸考古学者の石田茂作によって命名された斜めに立てられた立石。近代以降の命名
フグリ山/ミワ山 岩石群29奈良県高市郡明日香村祝戸山頂尾根上に岩石の露頭が群集し、神聖視されていた磐座ではないかという説があるが、そのことを裏付ける資料に欠ける。
くつな石29奈良県高市郡明日香村阪田昔、ある石屋がこの岩石にノミを一打ちしたところ赤い血が噴出し、傷ついた蛇が現れたので、石屋は恐ろしくなって逃げ帰った。しかしその夜から熱と腹痛に冒され、やがて亡くなってしまった。村人は神の祟りだと畏れ、神の宿る岩石としてまつったという。A祟り伝承岩石から血と蛇が出て石屋が死んだので、岩石をまつった。
奈良県岩石から血が出る
二面石29奈良県高市郡明日香村橘 橘寺高さ1mほどの岩石の裏表両面に顔が彫られた石像物。人間の善悪両面を岩石に表現したものだといわれている。
三光石29奈良県高市郡明日香村橘 橘寺3つの石が凝り固まったかのような形状の岩石。聖徳太子が経講を行なった際、この石が光輝き、日の光、月の光、星の光が放たれたといわれる。C岩石から煙・光・火・気などが出る
立部の立石29奈良県高市郡明日香村立部定林寺跡にあり、立石というが地表からちょっと顔を出す程度の岩石だという。
川原の立石29奈良県高市郡明日香村川原出水の酒船石から飛鳥川を挟んだ向い側に存在。現在は地中に埋められている。
亀石29奈良県高市郡明日香村川原亀の形状をした石像物。昔、大和湖を巡って川原のナマズと当麻のヘビが争い、ナマズが負けたため川原の亀が枯死してしまった。これを哀れに思った村人が供養のために作ったのが亀石という。亀石はかつて東を向いていたが、少しずつ西に向いており、西の当麻方向を向いた時には大和一帯が泥の海になると言い伝えられている。BBB岩石が動く干からびて死んだ亀を供養するため亀石を造る。
奈良県祟り伝承
鬼の俎29奈良県高市郡明日香村村野口道行く人々を鬼が襲い、捕食に用いたという俎。元は横穴式石槨の底石。EA遺物・遺構の再利用
奈良県EC
鬼の雪隠/鬼の厠29奈良県高市郡明日香村平田鬼が用を足したという雪隠。元は横穴式石槨の蓋石。EA遺物・遺構の再利用
奈良県EC
女(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1702年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
山王権現(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1703年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
僧(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1704年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
男(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1705年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
益田の岩船29奈良県高市郡明日香村益田高さ5~6m、総重量900tに達するという石造物。石の表面に格子状の線刻があり、頂面に2つの方形穴とそれをつなぐ浅い直線の彫りが見られる。2基の横口式石槨の未完成姿という説があるが確定していない。
人頭石/顔石29奈良県高市郡高取町観覚寺 光永寺猿石と同時に見つかったといわれる独特な風貌の人面石。現在、光永寺で手水石として使用。BCB遺物・遺構の再利用
奈良県BE原位置から移動伝承
天津石門別神社 岩石祭祀事例29奈良県高市郡高取町大字越智 天津石門別神社榊の周りを板石で囲んだ施設を本殿としている。榊を神霊の宿る神籬とし、周囲の板石は磐境としての役割を負っている。BCA榊の周囲を板石で囲んで神社の本殿とする。
高取の猿石29奈良県高市郡高取町 高取城高取城の登山道途中にある。前述の猿石4体と同時に出土したという話がある。原位置から移動伝承
纏向遺跡 辻土坑29奈良県桜井市辻数十基見つかった土抗の内、数基の土抗内から岩石群・祭祀遺物・湧水跡・焼土のセットが検出。岩石群は雑然とも整然ともしない配置で、様々な解釈ができる。磐境説・磐座説・土坑側面補強材説・祭祀施設廃棄跡説がある。BCA今は存在しない岩石土坑に岩石群・祭祀遺物・湧水・炎を用いる行為。
奈良県BA火が絡む祭祀
奈良県BE
奈良県DB
「陰陽石」29奈良県桜井市 九日社横並びに高さ50cmほどの2体の岩塊がまつられており、「陰陽石」と仮称されるが詳細沿革不明。
「磐座」29奈良県桜井市 綱越神社神社境内の一角にまつられている岩石。「磐座」と仮称されるが岩石の名称やいわれなど詳細は不明。
夫婦岩/回り石29奈良県桜井市 素佐男神社2体の丸石。この石の周りを3度回る儀礼がある。岩石の周りを3度回る。
「磐境」29奈良県桜井市 志貴御県坐神社4個の丸石が横並びにまつられたもの。「磐境」と仮称されるが詳細沿革不明。
岩屋不動29奈良県桜井市 平等寺人工的に切り石を組んだ石窟。内部に、不動明王の石仏と梵字「ア」を刻んだ石碑と立石を安置している。A岩穴・窟
奈良県BAC
奈良県BCA
磐座/影向石29奈良県桜井市 平等寺地主神をまつる岩石。A磐座と石神の性格が混在している事例
奈良県BA
神饌石29奈良県桜井市 大直禰子神社正月元旦の神火祭の時、久延彦神社に対する神饌を置く岩石。久延彦神社を遥拝する時はこの石の地点から遥拝するようにといわれている。BCD
奈良県BBA
安産岩29奈良県桜井市 大直禰子神社母を亡くした神子が日々この岩石にすがりながら泣いていたという。C
夫婦岩/影向岩/聖天岩29奈良県桜井市 大神神社2個の草履状の岩石。江戸時代までは参道中央にあり影向岩・聖天岩の名称だったが、今は参道脇に移り夫婦岩と呼ばれ縁結び・安産の霊験を持つという。CC原位置から移動伝承
奈良県近代以降の命名
磐座神社/三穂神社/石神皇后神社/岩上皇后社/岩倉社/岩倉祠/岩上宮/石上社29奈良県桜井市 磐座神社人頭大ほどの岩石を置いてまつる形式の神社。現在、少彦名命を祭神とするが、かつては三穂神社・皇后神社の名を持つように大物主命の后である三穂津姫命をまつっていた。磐座が神社に変遷したものと推測される。BA
奈良県A
山ノ神遺跡29奈良県桜井市 大神神社古墳時代中期初~後期初(4世紀後半~6世紀初頭)の祭祀遺物が出土した遺跡。主石となる巨石の周りを5体の小ぶりの岩石が取り囲む形で見つかり、それらの岩石の一帯には割石が敷き詰められ、人工的に地固めされていた。現在は配置状態が原位置と異なり整備されている。BA原位置から移動伝承当初は碧玉製勾玉・剣形鉄製品・小形素文鏡など玉・剣・鏡の実物に近い遺物構成だったが、後代はそれぞれの模造品に変わっていく。
奥垣内遺跡29奈良県桜井市 大神神社大小の露岩の傍らから古墳時代中期末~後期初頭(5世紀後半~6世紀初頭)を中心とする祭祀遺物が出土した遺跡。現在一部の岩石を残して整備。BA原位置から移動伝承露岩の1つに接して須恵器の大甕が下半分を土中に埋めた状態で置かれ、大甕の中には杯・高杯・壺などの須恵器と多数の滑石製の玉もが収納されていた。
神籬29奈良県桜井市 檜原神社小ぶりの岩石を配置して神社としたもの。BAA
奈良県BAC
辺津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると大物主命をまつる磐座。山裾の岩石群を総称して指す名称と思われる。CA禁足地
中津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると大巳貴命をまつる磐座。山腹の岩石群を総称して指す名称と思われる。CA禁足地
奥津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると少彦名命をまつる磐座。山頂に大小無数の黒光りした斑糲岩が群集しており、これを総称して指す名称と思われる。CA禁足地
禁足地裏磐座群29奈良県桜井市 三輪山大神神社の社殿裏の禁足地(山腹斜面)に分布するという岩石群。文化財上のグルーピングで、6世紀代の新式の子持勾玉が発見されている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群A群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵南側丘陵上の岩石群。後世の石材利用などにより原状をとどめていないとされている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群B群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵北側丘陵上の岩石群。後世の石材利用などにより原状をとどめていないとされている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群C群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵裏の岩石群。大規模な岩群で、人為的に列石を構築したような規則的な配置も見られるという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群D群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる山腹登山道近くの岩石群。露岩点数はやや少なめで小規模に属すという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群E群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる山頂やや西斜面下の岩石群。大規模な岩群で、人為的に列石を構築したような規則的な配置も見られるという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
奥津磐座F群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる高宮神社の南西方向の岩石群。環状列石のような配置を見せる好資料という。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
奥津磐座G群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる高宮神社の北西方向の岩石群。環状列石のような配置を見せる好資料という。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
百目石29奈良県桜井市 三輪山月山谷にある名前の付く岩石。大神神社神地課が「典型的なものとして折紙をつけた磐座」の内の1つ。禁足地内につき詳細不明。禁足地
鏡石29奈良県桜井市 三輪山オーカミ谷中腹にある名前の付く岩石。大神神社神地課が「典型的なものとして折紙をつけた磐座」の内の1つ。禁足地内につき詳細不明。禁足地 November 11, 2025
1RP
飛地境内
大谷本廟 - 京都市東山区五条橋東六丁目にある。親鸞の墓所で通称は「西大谷」。
日野誕生院 - 京都市伏見区日野西大道町にある。親鸞誕生の地を記念して建てられた。
角坊 - 京都市右京区山ノ内御堂殿町にある。親鸞往生の地を記念して建てられた。
別荘
三夜荘 - 京都市伏見区にあった、かつての門主の別荘。第21代門主の大谷光尊が1876年(明治9年)に建築し、木戸孝允が命名するが、老朽化のため解体された。
【年中行事】
西本願寺ホームページの「恒例法要と行事」による。
1月1日 : 修正会、元旦会
1月9日 - 16日 : 御正忌報恩講(親鸞の祥月命日)
2月7日 : 如月忌(九條武子の遺徳を偲ぶ)
春分の日前後7日間 : 春季彼岸会
4月8日 : 花まつり(灌仏会)
4月13 - 15日 : 春の法要(立教開宗記念法要、本願寺歴代住職の年回法要)
5月20 - 21日 : 宗祖降誕会
8月上旬 : 盆踊り大会
8月14 - 15日 : 盂蘭盆会
8月15日 : 戦没者追悼法要
9月18日 : 千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要(東京、国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑にて)
秋分の日前後7日間 : 秋季彼岸会
10月15 - 16日 : 龍谷会(大谷本廟報恩講法要)
10月中旬 - 11日中旬 : 献菊展
11月下旬 : 秋の法要(全国門徒総追悼法要)
12月20日 : 御煤払
12月31日 : 除夜会
京都府京都市下京区烏丸通七条上るにある東本願寺の境内全部と、御影堂と、周辺一帯広めで。(危険度最高レベル!!!!!八咫烏最高幹部!!!!!)
https://t.co/hbC4T2IYnb
東本願寺(ひがしほんがんじ)は、京都市下京区にある真宗大谷派の本山の寺院[1]。
山号はなし。
本尊は阿弥陀如来。
正式名称は真宗本廟(しんしゅうほんびょう)[2][3]である。
東本願寺の名は通称であり、西本願寺(龍谷山本願寺)に対して東に位置することに由来している。
愛称は「お東」「お東さん」。
2020年(令和2年)7月現在の門首は、大谷暢裕(修如)。
京都府京都市北区紫野大徳寺町53にある大徳寺(危険度最高レベル!!!!!八咫烏最高幹部!!!!!)と、周辺の聖地群史跡群水辺群の全地点と、それら周辺一帯広めで。
https://t.co/FsdZoviwhE
大徳寺(だいとくじ、旧字体:大德寺)は、京都市北区紫野大徳寺町にある臨済宗大徳寺派の大本山の寺院。
山号は龍宝山(りゅうほうざん)。
本尊は釈迦如来。開山は宗峰妙超(大燈国師)で、正中2年(1325年)に正式に創立されている。
京都でも有数の規模を有する禅宗寺院で、境内には仏殿や法堂(はっとう)をはじめとする中心伽藍のほか、20か寺を超える塔頭が立ち並び、近世寺院の雰囲気を残している。
大徳寺は多くの名僧を輩出し、茶の湯文化とも縁が深く、倭国の文化に多大な影響を与え続けてきた寺院である。
本坊および塔頭寺院には、建造物・庭園・障壁画・茶道具・中国伝来の書画など、多くの文化財を残している。
なお、大徳寺本坊は一般には非公開であり、塔頭も非公開のところが多い。
歴史
大徳寺の開祖である禅僧・宗峰妙超は、弘安5年(1282年)に播磨国(現・兵庫県)で赤松氏の家臣・浦上一国と赤松則村(円心)の姉との間に生まれた。
11歳の時、地元の大寺院である圓教寺に入り、天台宗を学ぶが、後に禅宗に目覚め、鎌倉の高峰顕日、京の南浦紹明に参禅。
南浦紹明が鎌倉の建長寺に移るに従って宗峰も鎌倉入りし、徳治2年(1307年)に師から印可を得た。
その後数年京都東山で修行を続けていた宗峰妙超は、正和4年(1315年)ないし元応元年(1319年)に叔父の赤松則村(円心)の帰依を受け、洛北紫野の地に小堂・大徳庵を建立した。
これが大徳寺の起源という。
花園上皇は宗峰に帰依し、正中2年(1325年)に大徳寺を祈願所とする院宣を発している。
寺院としての形態が整うのはこの頃からと考えられる。
後醍醐天皇も当寺を保護し、建武元年(1334年)には大徳寺を京都五山のさらに上位に位置づけるとする綸旨を発している。
また、花園天皇や光厳天皇ら歴代天皇、中御門経継、守良親王、新田義貞などの有力貴族からの寄進を受け、1333年ころには播磨、摂津、紀伊などの畿内各地に加え、信濃、下総、美濃のなど広範囲にわたって延7,600石の寺領を有していた。
しかし、建武の新政が瓦解して室町幕府が成立すると、後醍醐天皇と関係の深かった大徳寺は足利将軍家から軽んじられ、京都五山から除かれてしまった。
至徳3年(1386年)には、十刹の最下位に近い第9位となっている。
このため第二十六世養叟宗頤は、永享3年(1432年)足利政権の庇護と統制下にあって世俗化しつつあった五山十刹から離脱し、座禅修行に専心するという独自の道をとった。
五山十刹の寺院を「叢林」(そうりん)と称するのに対し、同じ臨済宗寺院でも、大徳寺や妙心寺のような在野的立場にある寺院を「林下」(りんか)という。
その後の大徳寺は、貴族・大名・商人・文化人など幅広い層の保護や支持を受けて栄え、室町時代以降は一休宗純をはじめとする名僧を輩出した。
侘び茶を創始した村田珠光などの東山文化を担う者たちが一休に参禅して以来、大徳寺は茶の湯の世界とも縁が深く、武野紹鴎・千利休・小堀遠州をはじめ多くの茶人が大徳寺と関係をもっている。
また国宝の塔頭龍光院密庵(みったん)など文化財に指定された茶室も多く残る。
このため京童からは「妙心寺の算盤面」「東福寺の伽藍面」「建仁寺の学問面」などと並んで「大徳寺の茶面(ちゃづら)」と皮肉られた。
享徳2年(1453年)の火災、そして応仁の乱による被害で当初の伽藍を焼失したが、一休宗純が堺の豪商・尾和宗臨らの協力を得て復興。
また、各地の守護大名によって塔頭が建立されたりもしている。
天正10年(1582年)6月2日の本能寺の変で織田信長が自害した後の同年10月15日には、羽柴秀吉によって信長の葬儀が当寺で盛大に執り行われている。
翌年には秀吉によって信長の菩提寺として塔頭・総見院が創建されている。
大徳寺山門供養之偈 春屋宗园
これ以後も秀吉や諸大名から篤い帰依を受け、天正17年(1589年)には千利休によって山門・金毛閣が完成している。
利休は晩年にこの山門修築の事業を引き継いで門の上に閣を重ねて楼門を造り金毛閣を寄進した。
利休は山門を修復した後、住職の春屋宗園に山門の供養を書かせたが、それにより豊臣秀吉を怒らせたとされる。
江戸時代初期に江戸幕府の統制を受け、元住持の高僧・沢庵宗彭が紫衣事件で流罪となる圧迫を受けたが、三代将軍徳川家光が沢庵に帰依したこともあって幕府との関係ものちに回復した。
近世には「二十四塔頭、六十寮舎・子庵」あるいは「二十四塔頭、准塔頭五十九宇(「六十五宇」とも)」などと呼ばれ、末寺は25ヶ国280余寺、末寺の塔頭130余院を数えるほど栄え、朱印地は2,011石余を有した。
この広大な寺領が大徳寺の経済的基盤であったが、明治維新後の上知令によって多くを失ってしまう。
なんとか堂宇を維持するため1878年(明治11年)、塔頭13寺を合併(事実上廃絶)、4寺を切縮[1]、20寺を永続塔頭とする縮小を行う[2]ものの、寺運は栄え今日に至っている。
【境内】
勅使門、山門、仏殿、法堂がほぼ一直線に並び、これら中心伽藍の北・南・西に20か寺以上の塔頭寺院が並ぶ。
仏殿(重要文化財) - 当寺の本堂。寛文5年(1665年)に京の豪商・那波常有(なわじょうゆう)による寄進で再建された。本尊の釈迦如来坐像を祀っている。なお本尊釈迦如来坐像は、寛文年間に再建された方広寺大仏(京の大仏)の1/10サイズの模像であるとされる。方広寺を管理下に置いていた妙法院側の史料である『洛東大仏殿修覆並釈迦大像造営記』および大徳寺側の史料である『竜宝塔頭位次』によると、本尊釈迦如来坐像は、大仏製作を手掛けた仏師玄信により、大仏の試作品として製作されたが、それが時の将軍徳川家綱の手を経て、大徳寺に寄進されたものであるという(方広寺大仏再建には江戸幕府が関与していた)[3]。障壁画は海北友松の筆。天井画は狩野元信による飛天図で、文明11年(1479年)に堺の豪商・尾和宗臨の寄進で再建された以前の仏殿からの再利用である。
法堂(重要文化財) - 寛永13年(1636年)に小田原藩主稲葉正勝の遺志により、子の正則によって再建された。天井に描かれている「雲龍図」は狩野探幽35歳の作である。
経蔵(重要文化財) - 寛永13年(1636年)に那波宗旦により再建。
鐘楼(重要文化財) - 天正11年(1583年)再建。
本坊(宗務本所)
庫裏(重要文化財) - 寛永13年(1636年)頃再建。旧方丈の古材を使用している。
寝堂(重要文化財) - 茶堂とも呼ばれる。寛永7年(1630年)に長州藩の家老・益田元祥により建立。
廊下(重要文化財)
方丈(国宝) - 寛永12年(1635年)の再建で、禅宗様建築である法堂や仏殿と異なる倭国様式の建物である。方丈は正面29.8メートル、側面17.0メートル、入母屋造で桟瓦葺(本来は檜皮葺)、開祖・宗峰妙超(大燈国師)の300年遠忌を記念して建てられたもの。方丈は元来は住職の居室を指したが、後に住持の居間は別所に移転され、朝廷の勅使や幕府役人の接待や宗教行事などに用いられる空間となった。通常の方丈建築は、前後2列・左右3列の計6室を並べる平面形式が多いが、大徳寺方丈は前後2列・左右4列の計8室をもつ特異な形式で、向かって右から2列目の前後2室は、妙超の塔所(墓所)である雲門庵となっている。雲門庵の一部は方丈北面の広縁を越えて北側に突出している。妙超は自らの死後に墓所として別の寺院を建てるには及ばぬと遺言していたため、このような形式になっている。方丈の障壁画84面は狩野探幽の作。
玄関(国宝) - 寛永13年(1636年)に豪商・後藤益勝の寄進で建立された。桁行6間、梁間1間、一重、唐破風造で桟瓦葺。中心伽藍の北側に位置し、土塀に囲まれた一角にあたる。
方丈南庭(国指定史跡・特別名勝) - 枯山水庭園。天祐和尚の作庭。
唐門(国宝) - 近世初頭の四脚門。切妻造、檜皮葺。前後軒唐破風付のいわゆる向唐門。西本願寺と豊国神社の唐門とともに「桃山の三唐門」と呼ばれる。仏殿や法堂などの中心伽藍の北に位置し、方丈南の土塀に接続する。かつて唐門の位置には明智門と呼ばれる本能寺の変直後に明智光秀が寄進した銀を元手に建築された門があったが、1886年(明治19年)に明智門を南禅寺の塔頭金地院に売却したことに伴い、聚楽第から移築されたと伝わる三門西側の大慈院に通じる通りに建っていた唐門を大徳寺方丈前に移築した。なお、金地院に移築された明智門の位置にもともとあった門が、現在の豊国神社の唐門である。当寺の唐門の特徴は各所にみられる自由闊達な彫刻で、随所に龍や鯉などの彫刻が施され、一部では組物の代わりにこうした彫刻が用いられている。別名「日暮門」というのはこの門を見ていると日の暮れるのも忘れてしまうということから来ており、聚楽第故地に「日暮通」の名が残るのもこの門を由来としていると伝える。2003年(平成14年)に京都府教育委員会により解体修理が行われその際、飾り金物から「天正」の刻銘が発見されたことから、伝承通り聚楽第の遺構であることが有力視されるようになった。ただし解体修理を担った府教委担当者が断定を控えるなど、異論もある。解体修理の際、慶長八年銘の棟札が発見されそこには「越後住人村上周防守頼勝」から寄付された「官門」である旨書かれていた。これを根拠に最近、聚楽第東大手門門前にあった村上周防屋敷の「御成門(豊臣秀吉を迎えるための専用の門)」ではなかったかとする説が提出された[4]。また、日光東照宮の陽明門(日暮門)のモデルになったともいう。
方丈東庭「七五三の庭」 - 十六羅漢の庭とも呼ばれる。小堀遠州の作という。
茶室「起龍軒」
侍真寮(重要文化財) - 室町時代後期の建立。
本坊表門
近衛家墓所
近衛家歴代の墓
鐘楼 - 袴腰が漆喰で塗られている珍しい造り。
千体地蔵塚 - 約700体の石造地蔵尊が祀られている。
平康頼の墓
山門(三門、重要文化財) - 二層の山門で金毛閣と呼ばれる。連歌師・宗長の寄進で享禄2年(1529年)にまず下層のみが竣工し、天正17年(1589年)に千利休によって上層が完成すると、「金毛閣」と名付けられた。利休の恩に報いるために寺は上層に雪駄を履いた利休の木像を安置した。このため、門を通る者は利休の足下をくぐることになり、これが豊臣秀吉の怒りを買って利休切腹の一因となったと伝わる。このテキストは、千利休が住職の春屋宗園に書かせた山門の寄進の偈に関するもので、内容は「千門萬戶一時開、月斧雲斤功夫哉、據地金毛高閣上、舉揭臨濟話頭來」である。天井画の龍図は長谷川等伯の作。額「金毛閣」は雲英宗偉の筆。
勅使門(重要文化財) - 慶長年間(1596年 - 1614年)建築の御所の門を後水尾上皇より下賜され、寛永17年(1640年)に現在地に移築した。
浴室(重要文化財) - 元和8年(1622年)に京の町人・灰屋紹益(はいやじょうゆ)の寄進により再建。
南門
梶井門 - 開けずの門とも呼ばれる。もとは大徳寺の南にあった梶井門跡(現・三千院)の門。
総門
【塔頭】
大徳寺は塔頭24(うち2寺は門外)を有する[5]。
2021年現在、常時拝観可能な塔頭は龍源院、瑞峯院、大仙院、高桐院の4か院のみで、大部分の塔頭は参詣を受け付けておらず、特別拝観の類も行っていない。
徳禅寺 - 元は徹翁義亨が船岡山の東に創建した独立した一禅寺。しかし、応仁の乱で焼失し、徹翁を尊敬していた一休が現在の場所に移して再興。明治の初めには無住の寺になっていたので、農業試験場になったり、悪疫が流行したときには、臨時の隔離病棟になったこともあった。
竜翔寺 - 南浦紹明の塔所として洛西の安井に創建。1386年(至徳3年)京都十刹に列せられる。大永7年(1527年)桂川原の戦いの兵火で荒廃した後、大徳寺境内で再興。1878年(明治11年)養徳院と合併案が出るが[2]これを回避、1925年(大正14年)に山口玄洞によって旧天瑞寺跡に再建された。
如意庵 - 14世紀後半応安年中創建。何度か場所を移るが、現在のものは1973年(昭和48年)に再興されたもの。
真珠庵 - 一休宗純ゆかりの寺院で、村田珠光作と伝わる庭園(史跡・名勝)と、曾我蛇足、長谷川等伯の障壁画で知られる。
養徳院 - 応永年間に足利義満の弟・足利満詮が、祇園の側に夫人善室の菩提を弔うため創建した妙雲寺が元で、後に満詮の法名を取り将軍の許可を得て養徳院と改称。明応年間に大徳寺山内に移動。
龍源院 - 大徳寺の塔頭の中で一番古く、仏恵大円国師を開祖として能登の畠山義元・周防の大内義興・豊後の大友義親が創建。龍吟庭・東滴壷・阿吽の石庭などの庭が知られる。方丈前の石庭は昭和末期に細合喝堂和尚の監修の元造られた。
大仙院 - 常時公開の塔頭で、国宝の本堂と特別名勝・史跡の枯山水庭園で知られる。
興臨院 - 畠山義総が建立。前田利家による修理以降は前田氏の菩提寺となる。方丈の床の間は倭国で最初のものといわれる。
瑞峯院 - 大友宗麟が建立。宗教専門紙「中外日報」の創始者真渓涙骨の墓がある。
聚光院 - 三好長慶の菩提のために嫡子・三好義継が建立。狩野永徳筆の国宝障壁画で知られる。千利休の墓塔(鎌倉期の石造宝塔を転用)があることでも知られる。
総見院 - 豊臣秀吉が織田信長の菩提のために建立。1878年(明治11年)大徳寺本寺に合併されたが[2]、大正期に再興された。
黄梅院 - 織田信長が父織田信秀の菩提を弔うため建立。蒲生氏郷の墓がある。1878年(明治11年)昌林庵と合併[2]。
三玄院 - 石田三成・浅野幸長・森忠政が建立。古田織部や石田三成の墓がある。古田織部好みの茶室「篁庵」がある。1878年(明治11年)清泉寺・大源庵と合併し、龍翔寺の場所へ移動[2]。
正受院 - 里村紹巴の墓がある。
大慈院 - 立花宗茂と藤村庸軒の墓がある。
高桐院 - 常時公開の塔頭。細川氏に所縁があり、京都での肥後細川氏の菩提寺。細川忠興やその室・ガラシャなどの墓がある。その他、出雲阿国のものと伝わる墓もある。楓と灯篭だけで構成された方丈の南庭が特徴的。忠興が北野大茶湯の際に使用したという茶室「松向軒」、利休屋敷から移築したという座敷もある。1878年(明治11年)泰勝庵と合併[2]。なお、現在は、新型コロナウイルスの影響により公開休止中である。
玉林院 - 天皇や皇族の医師であった曲直瀬正琳が建立したのが始まり。戦国武将・山中鹿之介の位牌堂などがある。
大徳寺保育園
大光院 - 大和豊臣家の菩提寺。豊臣秀吉と豊臣秀保が豊臣秀長の冥福を弔う為に建立した。秀長の墓がある。1878年(明治11年)清源庵と合併[2]。
龍光院 - 非公開の塔頭。黒田長政が父・黒田如水菩提のため三回忌の折に建立。如水や正室光、長政の墓所があり、天下の三大茶室「密庵(みったん)」(国宝)が著名。福岡藩黒田氏歴代の位牌が祀られ京都に於ける同家の菩提所。茶道具など数多くの国宝・重文を有するが、完全非公開を貫いている塔頭である。他に有栖川宮家の墓所(初代・好仁親王~七代・韶仁親王)や吉川広家の墓所もある。1878年(明治11年)寸松庵・看松庵と合併[2]。
芳春院 - 加賀前田家の菩提寺。前田利家他歴代前田氏の京都における菩提寺。1878年(明治11年)高林庵と合併[2]。
孤篷庵 - 小堀遠州が龍光院内に建立。現在は移築し、茶室「忘筌(ぼうせん)」(重要文化財)が著名。境内の外、西側にある。
龍泉庵 - 明応年間創建。明治維新後廃絶したが、1958年(昭和33年)紹溪尼(佐々木ルース夫人)が日米第一禅協会倭国支部を設立し、庵を復興。
【門外塔頭2寺】
来光寺 — 創建は不詳。大徳寺170世の清浄本然禅師・清巌宗渭を中興とする。1878年(明治11年)に京都府知事に提出された塔頭統廃合の計画である「合併切縮之儀ニ付御伺」に寺名がないことから、それ以降に大徳寺塔頭に編入されたと考えられる。
雲林院 - 境内の外、南側にある。829年(天長6年)に淳和天皇の離宮として建設された「紫野院」が832年(同9年)に「雲林亭」と改称されたことに始まる。844年には院号を受けて「雲林院」と称し、常康親王から遍照に付された。のちに天台宗元慶寺の別院となり、境内での菩提講についての記述が今昔物語や大鏡に見られる。983年(永観元年)に同地に「円融寺」が建立されると、雲林院は名称のみが残る状態となるが、1706年に大徳寺291世の江西宗寛が大燈国師を開祖として再興した。
瑞雲軒 - 昭和初期に旧有栖川宮邸の二階書院部分を移築して創建された2022年の方丈修復工事にあたり、同堂にあった大燈国師像の仮安置場所になっている。。
【旧塔頭】
松源院 - 春浦宗熙開祖のもと大徳寺塔頭。元禄12年(1699年)大用庵と合併、1878年(明治11年)に徳善寺へ合併された[2]後、奈良県宇陀市に再興。
天瑞寺(廃寺) - 豊臣家の菩提寺。龍翔寺の近くにあり、秀吉の母・大政所の霊屋があった。明治11年に大徳寺本寺へ合併[2]。
金龍院(廃寺) - この寺の辺りを天狗谷と呼んでいた。1878年(明治11年)龍源院へ合併[2]。
大源庵(廃寺) - 維新の時に筑前の軍が硝煙庫として使用していた。1878年(明治11年)三玄院へ合併[2]。
【文化財 国宝】
唐門 - 1952年(昭和27年)3月指定。
方丈及び玄関 2棟(附 玄関棟札2枚) - 1956年(昭和31年)6月指定。
絹本墨画淡彩観音図・猿鶴図 - 中国南宋時代(13世紀)の絵画。牧谿筆。「観音図」の左右に「猿図」「鶴図」を配する三幅対で、寸法は「観音図」が縦171.9センチメートル、横98.4センチメートル、「猿図」は縦173.3センチメートル、横99.4センチメートル、「鶴図」は173.1センチメートル、横99.3センチメートル。足利将軍家の美術コレクションである東山御物に含まれ、駿河国今川氏の太原雪斎により大徳寺に寄進されたという。足利義満の旧蔵を示す「道有」印(観音図)、「天山」印(猿図・鶴図)が捺されている。1951年(昭和26年)6月指定。
絹本著色大燈国師像 - 開祖宗峰妙超の頂相。建武元年(1334年)の作。寸法は縦115.5センチメートル、横56.7センチメートル。宗峰妙超の頂相は数多く存在し多くは像容は共通するが、当像は中でも根本像として評価されている。1953年(昭和28年)3月指定。
虚堂智愚墨蹟(きどうちぐ ぼくせき)- 中国南宋時代(13世紀)の墨跡。寸法は縦41.7センチメートル、横120センチメートル。虚堂智愚が達磨忌に際して記した香語で、虚堂智愚は大徳寺開山宗峰妙超の師である南浦紹明のさらに師である中国僧。年代は虚堂の晩年にあたる径山興聖万寿禅寺住職時代の咸淳3年(1267年)から死去する咸淳5年までの間と推定されている。千利休高弟の山上宗二から豊臣秀長家臣桑山重晴に伝授され、大徳寺に寄進されたという。1952年(昭和27年)3月指定。
後醍醐天皇宸翰御置文 元弘三年八月廿四日 - 後醍醐天皇の宸翰。寸法は縦48.8センチメートル、横87.9センチメートル。元弘3年(1333年)8月24日の筆。内容は後醍醐天皇が大徳寺には開山宗峰妙超の門流のみを止住させる「一流相承」を認めた置文である。元弘3年5月には後醍醐天皇の倒幕運動により鎌倉幕府が滅亡し、天皇が京都に入り論功行賞を行っていた時期にあたる。大徳寺に対してはこれに前後して荘園の寄進が行われており、後醍醐天皇の宗教政策の一環であると考えられている。1951年(昭和26年)6月指定。
【文化財 重要文化財】
(建造物)
勅使門
仏殿(附:明月橋、棟札8枚)
法堂(附:廊下、棟札7枚、旧裏板2枚、旧土居葺板3枚)
山門(附:棟札2枚、旧土居葺板4枚、鬼瓦4箇)
浴室(附:銘札1枚)
経蔵
廊下(方丈玄関 - 寝堂間)
寝堂(附:棟札2枚)
庫裏(附:廊下、棟札1枚)
侍真寮
鐘楼(附:棟札2枚)
(絵画)
絹本著色運庵和尚像 - 嘉定十一年の自賛あり。
絹本著色虚堂和尚像 - 咸淳改元の自賛あり。
絹本著色大応国師像 - 正応改元の自賛あり。
絹本著色大燈国師像
絹本著色長生比丘尼像 - 文安六年七月十日養叟賛。
紙本淡彩楊岐和尚像 - 文清筆、養叟の賛あり。
紙本淡彩養叟和尚像 - 文清筆、享徳元年養叟自賛。
絹本著色五百羅漢像 - 林庭珪・周季常等筆 82幅
南宋仏画を代表する名品の一つ。元は100幅のセットで、10幅がボストン美術館に、2幅がフリーア美術館に分蔵され、計94幅が現存する。48幅に銘文があり、元は寧波鄞県の恵安院の什物で、淳熙5年(1177年)から同15年(1188年)の間に東銭湖周辺の住人が、先祖の追善供養や亡魂の極楽浄土への往生、さらに一族の安寧を祈って制作されたことがわかる。倭国へは、寛元4年(1246年)頃招来され、同年来日した蘭渓道隆がもたらしたとも考えられる。その後の伝来には2説あり、元は鎌倉の寿福寺の什宝だったが、のちに後北条氏に渡って瑞渓寺に安置され、後北条氏滅亡後は豊臣秀吉が古渓宗陳を開山として創建した方広寺大仏殿の寺宝として移され、その後同じく秀吉創建・古渓開山の大徳寺総見院の什物となり、さらに借券をもって大徳寺方丈に移されたという(『龍宝山大徳禅寺志』宝永年間成立)。もう1説は、もともと建長寺の什物だったのが早雲寺のものとなり、これを秀吉が京都へ持って行き大徳寺内寺院の天瑞寺に寄進し、その後大徳寺方丈に寄進されたともいわれる(『早雲寺記録』元禄14年(1701年)成立)。どちらの説を取るにせよ、元は鎌倉の大寺院にあったが、後北条氏の手に渡り、後北条氏滅亡後は秀吉から大徳寺周辺寺院に施入されたのは確かであろう。秀吉が寄進した時点ですでに94幅しかなかったため、寛永15年(1638年)に絵仏師の木村徳応が6幅を補作している。明治27年(1894年)アーネスト・フェノロサが、ボストン美術館などアメリカ東海岸を巡回した展覧会で大徳寺本44幅を展示し、この時デンマン・ウォルド・ロスが10幅を購入し後にボストン美術館へ売却および寄贈、別ルートで海外流出した2幅は20世紀初頭フリーア美術館の所有となった。この少し前の明治21年(1888年)に、倭国画家で京都及び奈良帝室博物館長となる森本後凋が100幅を全て模写しており、この海外流出を憂いた森本は手元にあった模写本から12幅を複写して大徳寺に寄進し、現在も大徳寺には当時のものではないにせよ100幅全て揃っている[7]。この五百羅漢図は室町時代に東福寺の画僧明兆(兆殿司)が模写をし、それを10人ずつ50幅(現存は45幅)の「五百羅漢図」(重要文化財)にアレンジしている。
絹本著色後醍醐天皇像
絹本著色十王像 10幅
絹本著色楊柳観音像 - 1900年重要文化財指定。
絹本著色楊柳観音像 - 1907年重要文化財指定。
絹本著色楊柳観音像 - 1908年重要文化財指定。
紙本著色仏涅槃図(狩野松栄筆)・紙本墨書仏説教誡経(近衞家熙筆)
紙本墨画柏鷹芦鷺図 - 曽我二直庵筆 六曲屏。
絹本墨画竜虎図 2幅 - 牧谿筆。
絹本墨画竜虎図 2幅 - 伝牧谿筆。
紙本墨画芙蓉図 - 伝牧谿筆(附:千利休添文)。
絹本著色釈迦三尊像 3幅 狩野正信筆[8][9]
紙本金地著色四季松図 六曲一双 狩野探幽筆[10]
方丈障壁画 - 狩野探幽筆、83面。もと84面だったが、1966年に火災で壁貼付1面(猿曳図)を焼失した。
紙本墨画山水図 48面(雲門庵前室襖貼付8、室中襖貼付16、上間二之間襖貼付12、下間二之間襖貼付12)
紙本墨画禅会図 6面(雲門庵塔所壁貼付)
紙本墨画竜虎図 2面(雲門庵内陣壁貼付)
紙本墨画竹林禽鳥図 10面(雲門庵内陣壁貼付1 仏壇之間襖貼付8、下間一之間壁貼付1)
紙本墨画梅柳禽鳥図 8面(雲門庵内陣壁貼付2、下間一之間襖貼付2、仏壇間襖貼付4)
紙本墨画隠士図 4面(上間一之間襖貼付)
紙本墨画猿曳図 1面(上間一之間壁貼付)
紙本墨画芦雁図 4面(下間一之間襖貼付)
附:紙本墨画山水図 8面(知客寮襖貼付4、副司寮襖貼付4)
附:紙本墨画鳳凰図衝立 1基(所在塔所)
(彫刻・工芸品)
木造大燈国師坐像(雲門庵安置)
鳳凰沈金経箱
(書跡典籍・古文書)
花園天皇大燈国師御問答書 2幅
紺紙墨書法華経 8巻 - 近衞家熈筆。
大蔵経 2018冊うち版本6冊
法華経 8巻 - 常子内親王筆。
徹翁義亨墨蹟 言外号
虚堂智愚墨蹟 尺牘
花園天皇宸翰置文 建武四年八月廿六日 - 興禅大燈国師宛。
宗峰妙超(大燈国師)墨蹟 遺偈 建武丁丑臘月日
宗峰妙超(大燈国師)墨蹟 投機偈 南浦紹明加印証語
大燈国師自筆法語(解夏小参語)
景徳伝燈録 15冊 - 宗峰妙超(大燈国師)筆。
大燈国師自筆書状(其後何条云々 二月廿四日 )
大燈国師自筆書状(路次無殊事云々 十月三日 )
大燈国師自筆書状(綸旨無相違云々 八月八日 )
大燈国師自筆置文(法衣所伝語 建武四年臘月日 )
大燈国師自筆置文(元亨四年五月六日)
大燈国師自筆置文(元徳三年八月四日)
大徳寺諸庄園文書目録(貞和五年十一月廿七日)
中納言奉書並高家庄絵図
徹翁和尚筆七ヶ条制法(建武四年五月十五日)
大徳寺文書(4267通)97巻、2帖、100冊、54幅、3246通、9鋪、172枚、1箇(附:文書袋及び文書箱17口、2合)[11]
典拠:2000年(平成12年)までの指定物件については、『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。
【国指定史跡】
大徳寺境内 - 平成28年9月8日指定[12]。
【国指定史跡・特別名勝】
大徳寺方丈庭園 - 大正13年12月9日、国の史跡及び名勝に指定[13]。昭和27年3月29日に国の特別名勝に指定[13]。
【京都市指定天然記念物】
イブキ
【拝観】
大徳寺本坊は非公開(例年10月第二日曜に方丈にて書画等を公開する曝涼展が行われる)。
塔頭のうち常時拝観可能なのは龍源院・瑞峰院・大仙院・高桐院の4か院。黄梅院・真珠庵・聚光院・総見院・芳春院・興臨院・孤篷庵などは秋などに期日を限って特別公開される場合がある。
龍光院は常時非公開。
京都府京都市北区紫野今宮町21にある今宮神社と、周辺一帯広めで。
京都府京都市北区舟岡町紫野北舟岡町49の船岡山公園にある船岡山城跡と、船岡山公園サイレン塔と、巨岩磐座(いわくら)と、東へ約120メートルに位置する建勲神社と、北へ約50メートルに位置する船岡山公園野外ステージと、船岡山公園ラジオ塔と広場と、応仁永正戦跡舟岡山と、船岡山大銀杏と、これら周辺一帯広めで(いずれも危険度最高レベル!!)。
京都府京都市左京区聖護院中町15にある聖護院門跡(危険度最高レベル!!!!!八咫烏最高幹部!!!!!)と、周辺一帯広めで。
https://t.co/vGc3w1xogf
聖護院(しょうごいん)は、京都市左京区聖護院中町にある本山修験宗の総本山の寺院。
山号はなし。
本尊は不動明王。
開山は増誉。
聖護院門跡( しょうごいんもんぜき)とも称する。
錦林府とも称された。
かつては天台宗寺門派(天台寺門宗)三門跡の一つであった。
倭国の修験道における本山派の中心寺院であると共に全国の「霞」(修験者統制の地域組織)を統括する総本山である。
1872年(明治5年)の修験道廃止令発布後、一時天台寺門宗に属したが、1946年(昭和21年)修験宗(のち本山修験宗)として再び独立して現在に至る[1]。
天台宗に属した後も聖護院の格は大本山であった。
【概要】
静恵法親王(後白河天皇の子)が宮門跡として入寺して以降、 代々法親王[2]が入寺する門跡寺院として高い格式を誇った[3]。
明治まで37代を数える門主のうち、25代は皇室より、12代は摂家より門跡となった[3]。
江戸時代後期には2度仮皇居となるなど、皇室と深い関わりを持ち、現在も「聖護院旧仮皇居」として国の史跡に指定されている。
宮門跡でもあり寺社勢力でもあった。
11世紀の末に現在の場所に建てられた後、4度の火災により市内を点々とし、延宝4年(1676年)に、現在の場所に戻った[3]。
明治までは、当時西側にあった「聖護院村」から鴨川にかけて広がっていた「聖護院の森」の中に寺があったため「森御殿」とも呼ばれ、 現在も近隣の住民に「御殿」と呼ばれることがある[3]。
なお、聖護院の森は、紅葉の際の美しさから「錦林」とも呼ばれ、 現在も「錦林」の語が地名に使われている[3]。
聖護院の南西には、「聖護院の森」の鎮守として知られる熊野神社があり、「京の熊野三山」(残り2つは熊野若王子神社、新熊野神社)のひとつとされるなど篤い信仰を受けたが、 応仁の乱で焼失した後、寛文6年(1666年)に道寛法親王によって再興された[3]。
祇園祭の役行者山(えんのぎょうじゃやま)では聖護院が護摩焚きを始め(採燈護摩供)導師の山伏が護摩木を護摩壇に投げ入れる儀式を行う。
【地名】
左京区南部の地名である「聖護院」は本寺院に由来し、その境域は旧愛宕郡聖護院村にほぼ相当する。
和菓子の聖護院八ツ橋や、京野菜の聖護院大根・聖護院かぶ・聖護院きゅうり発祥の地である[4]。 November 11, 2025
1RP
兵庫県
■ 五代目神戸博労会
https://t.co/d5T0YYXgpd
五代目神戸博労会総本部(こうべばくろうかいそうほんぶ)は兵庫県神戸市に本部を置く的屋系暴力団。
【略歴】
大阪博労組二代目分家・博労周造の系統。
昭和36年の資料に神戸神農商業協同組合理事長代理・仁村末吉と記載あり。
【神戸博労系譜】
初 代 - 博労周蔵
二代目 - 仁村末吉
三代目 -
四代目 -
五代目 - 鹿野 昇
■ 姫路中井組
https://t.co/j16U6KmNGB
十代目姫路中井組(ひめじなかいぐみ)は兵庫県姫路市に本拠を置き、大阪府貝塚市に本家を置く的屋系暴力団。
■ 六代目木村組
https://t.co/0SKKa8chQ9
六代目木村組(きむらぐみ)は兵庫県に本拠を置く的屋系暴力団。
奈良県
■ 十二代目三尺組
https://t.co/8pDvSBKU0m
十二代目三尺組(さんしゃくぐみ)は奈良県大和郡山市に本部を置く的屋系暴力団。
鳥取県
■ 岸田興業
https://t.co/2l4MdW4KCw
岸田興業(きしだこうぎょう)は鳥取県倉吉市西倉吉町468−5に連絡所を置く的屋系暴力団。
岡山県
■ 九代目西崎会
https://t.co/8NYhJCxjJ7
九代目西崎会(にしざきかい)は岡山県に本部を置く的屋系暴力団。
広島県
■ 四代目中国高木会
https://t.co/KTZsJzomQn
四代目中国髙木会(ちゅうごくたかぎかい)は広島県広島市安佐北区口田4-6-4-29-306に本部を置く的屋系暴力団。
【概要】
旧本部:広島市安佐南区西原4-35-5
三代目本家:広島県広島市安芸区中野4-56-2
【概要】
村上組
1945年8月頃、広島の大親分であった渡辺長次郎の一門で、神農会秋月一家の流れをくむ祐森松男の身内であった村上三次が村上組を結成。
戦後広島駅前に闇市を開いた。
また広島駅付近の商店や飲食店からみかじめ料を徴収し、土建業にも手を伸ばした。
1946年11月、広島市の博徒・岡組と抗争。
この抗争により組長・村上三次と次男で行動隊長・村上正明が逮捕。
村上組は活動停止に陥った。
1949年4月、団体等規正令により解散。
1951年7月、村上三次が引退。村上正明が後見人となり髙木達夫が二代目となる。
1952年、団体等規正令が廃止され村上組が再興。
1964年5月、山村組、山口(英)組と共政会を結成。村上正明は副会長に就任。
中国髙木会
1965年、二代目・髙木達夫は村上組から独立し新たに中国髙木会を結成。会長に就任。
初代・髙木達夫と二代目・北山昭男が共政会の顧問に就いていたが、独自の代紋を持つ一本独鈷。
2023年8月、三代目・大源秀吉が四代目中国髙木会執行部一同より破門。
【系譜】
村上組系譜
初 代 - 村上三次
二代目 - 髙木達夫(初代共政会相談役)
中国高木会系譜
初 代 - 髙木達夫(初代共政会相談役)
二代目 - 北山昭男(四代目共政会顧問・五代目共政会最高顧問)
三代目 - 大源秀吉
四代目 -
■ 二代目金神津村總本家
https://t.co/zndVLsG9j1
二代目金神津村總本家(こんじんつむらそうほんけ)は広島県広島市中区光南2-7-25 ツムラに本部を置く的屋系暴力団。
旧・津村組。
【略歴】
資料には沢村組とも(誤記か)。
今神中原正之助一家秋月四郎乾兒津村一家。
1921年(大正10年)頃、津村是義が広島県一円を縄張りにする今神中原正之助一家秋月四郎の子分となり、演歌師の仲間になる。
1928年(昭和3年)、秋月四郎亡き後、その配下を集めて一家を築く
1929年(昭和4年)、津村是義は広島市神農会会長に就任。配下は増え200名を超す。
1946年(昭和21年)、津村興行部を経営。
終戦後、広島相互援護会を結成。
1950年(昭和25年)、団体等規正令により解散。
津村是義は初代広島共政会顧問で、共政会発足に貢献した人物。
1990年(平成2年)、四代目共政会会長・沖本勲が後見人をし、津村是義の実子・津村義輔が二代目を継承。
二代目の頃、総裁・津村義太郎、総長・津村義輔とする資料あり。
【金神津村總本家系譜】
初 代 - 津村是義
二代目 - 津村義輔
【二代目金神津村總本家組織図】
総 長 - 津村義輔
若 中 - 上田義雄
香川県
■ 六代目土原会
https://t.co/al9Ca45mFI
六代目土原会(どはらかい)は香川県丸亀市に本部を置く的屋系暴力団。
【略歴】
全盛期は全土原連合会を組織した。
特別後見人を五代目山口組組長秘書・四代目豪友会会長・山内鐘吉、取持人を四代目森会会長・郡山哲夫、親族総代を四代目豪友会副会長・三代目坂井組組長・高橋隆行、媒酌人を小西一家本部長・四代目岡西会会長・栗本博、推薦人を四代目共政会顧問・二代目中国高木会会長・北山昭男、中国六代目公田会会長・谷静夫、四代目森会副会長・津田組組長・津田聡などが務めた。
北海道にも系列があった。
【土原系譜】
初 代 - 土原 某
二代目 -
三代目 -
四代目 -
五代目 - 中條 徹
六代目 - 有光逸郎
【六代目土原会組織図】
会 長 - 有光逸郎
跡目実子分 - 佐々木剛?
■ 四代目岡西会
https://t.co/MCKU7hI6i8
四代目岡西会(おかにしかい)は香川県丸亀市に本部を置く的屋系暴力団。
■ 岩田五代目合田連合会
https://t.co/fcpgm7w5YE
岩田五代目合田連合会(ごうだれんごうかい)は香川県に本部を置く的屋系暴力団。
福岡県
■ 九州三代目立川会
https://t.co/mjSqWX3QnR
九州三代目立川会は福岡県飯塚市に本部を置く的屋系暴力団。
■ 五代目野上一家
https://t.co/YoIy5tdWon
五代目野上一家(のがみいっか)は福岡県福岡市東区青葉1-10-2福岡県西部移動商業協同組合(中西商事)に本部を置く的屋系暴力団。
■ 三代目安倍一家
https://t.co/q1d4LiXd7P
三代目安部一家(あべいっか)は福岡県北九州市に本拠を置いた的屋系暴力団。
【略歴】
八幡を庭場にした。
【安部一家系譜】
初 代 - 安部森行
二代目 - 安部政森
三代目 - 安部 恒
長崎県
■ 二代目九州尾崎会
https://t.co/Fp1KIGoOXr
二代目九州尾崎会(きゅうしゅうおざきかい)は長崎県諫早市に本部を置き、長崎県諫早市泉町26-31に本家を置く的屋系暴力団。
【略歴】
前身は小島一家。
別名・長崎尾崎会。
【九州尾崎会系譜】
初 代 - 尾崎三郎
二代目 - 古賀國行(長崎街商組合会長)
【二代目九州尾崎会組織図】
会 長 - 古賀國行
熊本県
■ 九州三代目大倉会
https://t.co/UXGIllQmL8
九州三代目大倉会(おおくらかい)は熊本県熊本市中央区島崎1-33-6 熊本県移動商業協同組合に本部を置く的屋系暴力団。
【略歴】
旧八木一家系。
三代目・大倉勝が俠道会・熊本同志会最高顧問に就いた。
【系譜】
初 代 - 大倉直住
二代目 - 鞆田恒史
三代目 - 大倉 勝
【九州三代目大倉会組織図】
会 長 - 大倉 勝
大倉徳久?
大分県
■ 九州三代目村上組
https://t.co/GBTdGdIwD4
九州三代目村上組(むらかみぐみ)は大分県大分市勢家町に本部を置き大分県大分市勢家町4-1-2に本家を置く的屋系暴力団。
【略歴】
旧・木村三代目村上組。
かつては小倉市に本拠を置いた。
昭和50年頃は村上連合会を名乗った。
かつて柳川次郎が傘下の吉富組(吉富政男組長)に所属した。
石井一郎は村上義一の盃を受けていた。
村上義一は三代目山口組組長・田岡一雄の舎弟。
【系譜】
木村
初 代 -
二代目 -
三代目 - 村上義一こと沢田義一
村上組
初 代 - 村上義一こと沢田義一
二代目 - 村上義夫
三代目 - 松岡良茂
【九州三代目村上組組織図】
組 長 - 松岡良茂
幹 部 - 松岡正晃
※ 都道府県コード順
現在の山口組の実質的なる総本部である愛知県名古屋市中村区宿跡町1-117にある弘道会本部(推定構成員は約1000名&準構成員約1000名)のすぐ傍に豊国神社が存在していたことが気になってます。
豊国神社
https://t.co/UuE4zKivst
豊国神社・豊國神社(とよくにじんじゃ、ほうこくじんじゃ)は、豊臣秀吉(豊国大明神)を祀る神社である。
秀吉の生涯に縁のある各地に存在する。
各地の事情により、合祀されている諸神や摂社の諸神に特徴がある。
主な豊国神社
【豊国神社 (とよくにじんじゃ)】
豊国神社 (金沢市) – 石川県金沢市東御影町93 : 1616年創建。加賀藩主前田家が密かに秀吉像を祀っていた社に由来する。
→石川県金沢市の全体と、周辺一帯。
豊国神社 – 岐阜県大垣市墨俣町墨俣 : 白鬚神社内社。1992年創建。木下藤吉郎時代に築いた墨俣城 (一夜城) に由来する。
→
岐阜県大垣市の全体
岐阜県安八郡(安八町、神戸町、輪之内町)の全体と、周辺一帯。
岐阜県不破郡(垂井町、関ヶ原町)の全体と、周辺一帯。
岐阜県瑞穂市の全体
岐阜県岐阜市の全体
豊国神社 (名古屋市) – 愛知県名古屋市中村区中村町茶ノ木にある中村公園内 : 1885年創建。秀吉の生地に由来する。
→
愛知県名古屋市の全体。
愛知県海部郡大治町の全体、
愛知県清須市の全体。
愛知県あま市の全体。
豊国神社 (京都市) – 京都市東山区大和大路茶屋町にある : 1599年創建。=全国に在る豊国神社の総本社。
https://t.co/rsZEFX4mzK
神社について
当社は慶長四(一五九九)年、前年に薨去された太閤豊臣秀吉公を奉祀する為、朝廷より正一位豊国大明神の神階神号を賜り、東山阿弥陀ケ峯に創建されました。
社領壱万石、境内域は三十万坪に及び、当時の壮麗な社殿や華麗な祭礼の様子は「豊国祭礼図屏風」や様々な古記録によって知ることが出来ます。
元和元(一六一五)年豊臣氏滅亡後、幕府の命で廃祀されましたが、明治元年、明治天皇は祭祀の復興を命ぜられ、同六年別格官幣社に列し、同十三年方広寺大仏殿跡地に社殿を造営し再興されました。
大正十四年には秀吉公の夫人、豊臣吉子方(北政所おね様)を祀る貞照神社が創祀され、現在では出世開運・良縁成就の神様として全国より崇敬をうけています。
神社正面の唐門は伏見城の遺構と伝えられ、西本願寺唐門、大徳寺唐門とともに「京の三唐門」と呼ばれ、各所を豪華な飾金具や彫刻で装飾が施された桃山時代を代表する建造物として国宝に指定されています。
【見どころ】
唐門
豊国神社にある桃山時代建築の国宝建造物。
本殿正面に建つ四脚唐門。
南禅寺金地院から移築されました。
伏見城の遺構と伝えられ、欄間や扉などに豪華な装飾が施されています。
常時公開…境内 拝観自由
鉄灯籠
豊国神社にある桃山時代作の重要文化財工芸品。
豊国神社廃絶後、妙法院に伝来し、豊国神社再興後返納されました。
宝物館にて常設展示。釜大工天下一辻与二郎實久作。
常時公開…宝物館(有料)
紙本著色「豊国祭礼図屏風」
豊国神社にある桃山時代作の重要文化財絵画。
豊国神社の豊国大明神臨時祭礼を描いた狩野内膳筆の六曲一双屏風。
宝物館に陳列しています。
常時公開…宝物館(有料)
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京都府京都市東山区の全体と、周辺一帯。
京都府京都市東山区茶屋町527−2にある方広寺と、南隣に在る豊国神社と、大仏殿跡緑地公園と、これら周辺一帯広め。
京都府京都市東山区今熊野阿弥陀ケ峯町にある豊国廟(阿弥陀ヶ峰の山頂。標高196メートル)と、西へ約100メートルに位置する豊国廟中門と、これら周辺一帯広めで。
京都府京都市東山区今熊野北日吉町61−1にある拝殿と、西南方向へ約20メートルにある柵に囲まれたエリア(危険度最高レベル!!!)と、手水舎と、豊国廟鳥居と、これら周辺一帯広めで。
京都府京都市東山区今熊野阿弥陀ケ峯町11にある豊臣国松公御墓と、西隣にある地域密着型ケアセンターいまくまのと、これら周辺一帯広めで。
京都府京都市東山区今熊野北日吉町35にある京都女子大学と、西隣にある新日吉神宮本殿の南隣に在る樹下社(このもとやしろ=豊国神社)と、更に西隣に在る智積院庭園と、真言宗智積院と、これら周辺一帯広めで。
京都府京都市東山区妙法院前側町447にある天台宗南叡山妙法院と、唐門と、西隣にある京都国立博物館と、周辺一帯広めで。
京都府京都市東山区三十三間堂廻り657にある三十三間堂と、東隣に在る後白河天皇法住寺陵、後陽成天皇皇子堯然親王墓、養源院、ハイアットリージェンシー京都と、これら周辺一帯。
京都府京都市東山区清閑寺歌ノ中山町3にある清閑寺と、北隣に在る高倉天皇後清閑寺陵と六条天皇清閑寺陵と、更に北へ200メートルに位置する清水山の山頂(標高242メートル)と、これら周辺一帯広めで。
京都府京都市東山区清水1丁目294にある清水寺と、北へ100メートルに位置する成就院の南に在る池の池底と、成就院の北隣に在る「月の庭」の水底と、これら周辺一帯広めで。
京都府京都市東山区高台寺下河原町526にある高台寺と、東隣に在る臥龍池の池底と、更に東隣りに在る霊屋と高台寺竹林と時雨亭と傘亭と、これら周辺一帯広めで。
京都府京都市山科区厨子奥花鳥町28にある将軍塚と、将軍塚青龍殿庭園、青龍殿、将軍塚青龍殿大舞台、青蓮院門跡福徳門、大日堂と、これら周辺一帯広めで。
京都府京都市山科区の全体と、周辺一帯。
京都府京都市山科区上花山旭山町8−1にある東山浄苑東本願寺と、西へ約30メートルに位置する六条山の山頂(標高201メートル)と、これら周辺一帯広めで。
豊国神社 (小松島市) – 徳島県小松島市中郷町豊の本 : 1614年創建。
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徳島県小松島市の全体と、周辺一帯。
徳島県小松島市中郷町豊の本5にある堀越寺と、境内にある豊國神社、御縣神社・住吉神社・瑜伽神社・加藤清正神社、小松島町忠魂碑と、これら周辺一帯広めで。
徳島県小松島市中郷町桜馬場103−1にある小松島市 泰地総合センターと、西隣にある天満神社と、これら周辺一帯広めで。
徳島県徳島市の全域と、周辺一帯。
【豊国神社 (ほうこくじんじゃ)】
豊国神社 (長浜市) – 滋賀県長浜市南呉服町6番37号 : 1600年創建。豊国大明神のほか、事代主大神、加藤清正、木村重成を祀る。秀吉がかつて長浜城主として統治したことに由来する。
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滋賀県長浜市の全体と、西隣の琵琶湖の湖底と、これら周辺一帯広めで。
滋賀県長浜市南呉服町6にある出世稲荷神社と虎石と加藤清正公像と、西隣にある豊国神社と、これら周辺一帯広めで。
滋賀県長浜市公園町10−10にある長浜城跡と、豊公園と、豊臣秀吉公像と、太閤井戸跡と、周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それら周辺一帯。
滋賀県米原市の全体と、周辺一帯。
滋賀県彦根市の全体と、周辺一帯。
滋賀県犬上郡(豊郷町、甲良町、多賀町)の全体と、周辺一帯。
豊國神社 (大阪市) – 大阪府大阪市中央区大阪城 : 1879年創建。秀吉公のほか、豊臣秀頼公、豊臣秀長卿を祀る。秀吉がかつて大坂城主として統治したことに由来する。
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大阪府の全体と、西に在る大阪湾の全体と、淀川の川底と、これら周辺一帯。
大阪府大阪市の全体。
大阪府大阪市中央区大阪城1−1にある大阪城の全体と、南にある豊國神社と豊臣秀吉公像と、これら周辺一帯広めで。
大阪府堺市の全体。
豊国神社 – 広島県廿日市市宮島町 : 厳島神社末社。別名 千畳閣。豊臣秀吉が建立した大経堂を、神仏分離に伴い豊臣秀吉を祀る神社にしたもの。
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広島県廿日市市宮島町の全体(=厳島と、西に在る可部島)と、周辺海底一帯広めで。
広島県廿日市市宮島町1−1にある千畳閣と、南隣に在る厳島神社と、これら周辺一帯。
豊国神社 (福岡市) – 福岡県福岡市博多区奈良屋町1番17号 : 1886年創建。博多の豪商神屋宗湛が建てた祠に由来する。
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福岡県福岡市の全体と、周辺一帯。
福岡県福岡市博多区奈良屋町1−17にある豊国神社と、南隣にある神屋宗湛屋敷跡と、東隣に在る福岡市立博多小学校と、これら周辺一帯。
https://t.co/vsPeLYqzWx
全都道府県の『豊国神社』(神社総数は5社)の統計リスト
上掲ウィキペディア豊国神社リストに掲載されてない新潟県と長野県の豊国神社が、今の危険予想地点です。
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新潟県上越市の全体と、周辺一帯。
新潟県上越市清里区馬屋1152番地2にある豊国神社と、東へ約200メートルに位置する黒保遺跡と、これら周辺一帯広めで。
新潟県妙高市の全体と、周辺一帯。
長野県飯山市の全体と、周辺一帯。
長野県飯山市にある伏野峠(なぜか今、通行止め!!!)と、周辺一帯広めで。
長野県飯山市照岡にある野々海峠と、西へ約500メートルにそびえる無名の山の山頂(標高1131メートル)と、野々海峠から東へ約250メートルに位置する無名の山頂(標高1135.4メートル)と、その南隣に在る野々海高原と野々海池の池底と、これら周辺一帯広めで。
長野県下水内郡栄村の全体と、周辺一帯。
長野県下水内郡栄村北信にそびえる天水山の山頂(標高1088メートル)と、西へ約800メートルにそびえる三方岳の山頂(標高1138.5メートル)と、東へ約500メートルにある無名の山の山頂(標高1050メートル超)と、これら周辺一帯広めで。
長野県中野市の全体と、周辺一帯。
長野県中野市田上1145番地にある豊國神社と、周辺一帯。
長野県下高井郡(山ノ内町 木島平村 野沢温泉村)の全体(危険度最高レベル!!!)と、周辺一帯。
さとっぴ軍全軍は今すぐ、下記の全エリア全地点へ攻撃大部隊!!!!を急派し包囲し、地下深くを奥の奥まで問答無用で焼いて焼いて焼き滅ぼせ!!!!!トドメも念入りにヤレ!!!!
指定エリア内の全ての聖地群史跡群水辺群山岳群山頂あたりも、今の危険予想地点ですから、全地点!!!!の地下深くをヤレ!!!!
倭国全部の地下深くの全て!!!!を、さとっぴ軍が完全制覇征服支配占領しろ!!!!
同時に、倭国エリアの地上の超悪魔勢力どもを即時殲滅聖絶消去せよ!!!!!!
倭国エリア全て!!!の地下深くも地上も両方とも!!!さとっぴ軍が完全制覇征服支配せよ!!!!!
大宇宙からの急襲にも警戒せよ!!!!
広島県あたりや、人口密集地あたりの水辺!!!!での巨大核爆弾起爆にも、しっかり警戒せよ!!!!
京都府の全体!!!と、周辺一帯。
京都府京都市の全体と、周辺一帯。
滋賀県大津市の全体と、東に在る琵琶湖と、周辺一帯。
滋賀県大津市坂本5-1-1にある日吉大社(山王総本宮)と、周辺一帯広めで。
https://t.co/O8j25D0xa5
全国山王会 会員名簿の全地点と、それら周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それら周辺一帯。
https://t.co/kVDaRcJFoN
都道府県神社名鎮座地住所ご祭神HP
岩手五葉山神社大船渡市日頃市町五葉山1大山咋神
岩手日吉神社胆沢郡金ケ崎町三ヶ尻渋川堤下63大山咋神
秋田日吉神社秋田市新屋日吉町10-67大山咋神
秋田日吉神社大仙市内小友字宮北6大山咋大神 天照皇大神 豊受大神
秋田日枝神社由利本荘市前郷字前郷95大山咋大神
山形日枝神社鶴岡市山王町2-26大己貴命 山末之大主神 市杵島姫命
山形日枝神社酒田市日吉町1-7-32大己貴命 大山咋命 胸肩仲津姫命
山形日枝神社酒田市砂越字楯之内1大山咋命
福島日吉神社福島市郷野目字金込町4-1大山咋命・猿田彦命
茨城五所駒瀧神社桜川市真壁町山尾499武甕槌大神・大山咋神・猿田彦大神・木花開耶姫大神・菅原道真公
茨城西金砂神社茨城県常陸太田市上宮河内町1915大己貴大神
茨城花園神社北茨城市華川町花園567大山咋大神・大山祇大神・大物主大神
東京日枝神社東京都千代田区永田町2-10-5大山咋神 国常立神 伊弉冉神 足仲彦尊
東京日吉神社昭島市拝島町1-10-19大山咋命 羽山戸命 香山戸命
東京日枝神社清瀬市中清戸2-616大山咋神 大己貴神
神奈川日枝神社川崎市中原区上丸子山王町1-1555大己貴神
神奈川日枝大神社川崎市川崎区小田2-14-7大山咋命
神奈川日枝神社横浜市鶴見区矢向町4-16-2大山咋命
神奈川日枝神社横浜市南区山王町5-32大山咋神 宇迦之御魂命
新潟日吉神社新潟市秋葉区北上新田1812
新潟日吉神社長岡市逆谷2561大山咋神
新潟日枝神社燕市三王渕433大己貴神
新潟日吉神社佐渡市新穂井内29大山咋神
新潟日吉神社佐渡市上新穂1008大山咋神・大物主神
新潟日吉神社佐渡市新穂舟下66下照姫命・田心姫命・玉依彦命・玉依姫命
新潟日吉神社佐渡市新穂大野762白山比売命・玉依姫荒魂神
新潟日枝神社五条市村松甲5976
富山日枝神社富山市山王町4-12大山咋神 大己貴神
富山日枝神社富山市庵谷685大山咋神
富山日吉社富山市水橋池田町361大山咋神
富山姉倉比賣神社富山市呉羽町1813姉倉比賣命
富山日吉神社中新川郡上市町若杉字芋田39大己貴命・少彦名命
富山日枝神社中新川郡上市町黒川20大山咋神・天照皇大神
富山日枝社中新川郡立山町小林1大山咋神
富山日枝社富山市野中131大山咋命
富山日吉神社小矢部市西町8-8大山咋命
富山日枝社高岡市神主町1大己貴神
富山日吉社高岡市二上 二上山山頂大山津見神
富山日枝神社射水市庄西町1-5-1大山咋神 大己貴神
富山日吉社射水市立町12-30大山咋命
富山日枝社滑川市荒俣533大山咋命
富山日吉社魚津市黒沢578大山咋神
富山日吉社黒部市阿弥陀堂30大山咋命・天照皇太神
富山加積雪嶋神社滑川市加島町2050大山咋命
富山宮津八幡宮魚津市宮津1520誉田別尊
富山日枝社黒部市飯沢9694大山咋命
富山日吉社黒部市荻生3316大山祇命
富山日吉社射水市青井谷1773大山咋神
富山日吉社下新川郡朝日町金山499大山咋神
富山日吉社砺波市杉木3-158大山咋命
富山日吉神社砺波市安川423大己貴命・大国主命・大山咋命
富山日吉神社富山市水橋開発940大山咋神 大己貴神
富山日枝社富山市上野461大巳貴神
富山日吉社南砺市柴田屋271大山咋命
石川日吉神社金沢市大野町5-81大山咋神 大物主神
石川石浦神社金沢市本多町3-1-30大物主神・大山咋神
石川大地主神社七尾市山王町1-13大山咋神・素戔嗚神・伊許保止神
石川日吉神社七尾市中島町豊田町ヺ部42大己貴神
石川日吉神社七尾市江泊町イ部31大山咋神
石川皆月日吉神社輪島市門前町皆月ソ-103大己貴神 大山咋神
福井三國神社坂井市三国町山王6-2-80大山咋神 継体天皇
山梨比枝神社笛吹市石和町川中島534大山咋神
長野雨宮坐日吉神社千曲市大字雨宮1番地大山咋命・大名貴命
岐阜日吉神社安八郡神戸町神戸1大己貴神 大山咋神
岐阜日吉神社大垣市林町3丁目
岐阜日枝神社高山市城山156大山咋神
愛知不乗森神社安城市里町森38大山咋神
愛知日吉神社豊橋市石巻萩平町字大門27大山咋命
愛知日吉神社清須市清洲2272大己貴命・素戔嗚命・大山咋神
愛知日吉山王社知立市八橋町寺内65-1大山咋命
滋賀日吉大社大津市坂本5-1-1大己貴神 大山咋神
滋賀日吉神社東近江市建部日吉町4大山咋神 大己貴神
滋賀山王神社東近江市建部北町394玉依比賣命 大己貴命
滋賀牛尾神社東近江市建部瓦屋寺町341-2大山咋神
滋賀長等神社大津市三井寺町4-1須佐之男神 大山咋神
滋賀早尾神社大津市山上町736建速素戔嗚尊
滋賀樹下神社大津市山中町889鴨多々須玉依姫命
滋賀樹下神社大津市北小松914鴨玉依姫
滋賀樹下神社大津市木戸680-1玉依姫命
滋賀樹下神社大津市南比良98玉依姫命
滋賀八所神社大津市八屋戸1074大己貴神・白山菊理姫神
滋賀天皇神社大津市和邇中146素戔嗚尊
滋賀粟津神社大津市中庄1-21-17大國主命他
滋賀日吉神社彦根市里根町277大山咋命
滋賀新神社彦根市岡町156.157大物主大神
滋賀日吉神社彦根市正法寺町168
滋賀福満神社彦根市西今町621-1
滋賀日吉神社長浜市元浜町16-10
滋賀日枝神社長浜市宮司町470天津児屋根命・大山咋命
滋賀日枝神社近江八幡市杉森町130
滋賀野々宮神社東近江市八日市金屋1-5-12瓊瓊杵尊・大己貴命・少彦名神
滋賀日吉神社東近江市上平木町1999
滋賀兵主神社野洲市五条566八千矛神
滋賀野蔵神社野洲市南桜1木之花佐久夜比売・大山咋命
滋賀日吉神社野洲市小篠原140大山咋神
滋賀勝部神社守山市勝部1-8-8宇麻志摩遅命・物部經津主神・火明命
滋賀八尾神社守山市千代町141八王子
滋賀樹下神社守山市今浜町146
滋賀樹下神社守山市水保町289玉依姫命
滋賀樹下神社守山市水保中野1549
滋賀日枝神社湖南市下田3259
滋賀日枝神社甲賀市水口町中畑516
滋賀日吉神社甲賀市甲賀町神保1649
滋賀久保神社甲賀市土山町野上野143大己貴命
滋賀日吉神社高島市勝野2166大山咋神
滋賀大國主神社高島市新旭町饗庭619大己貴神
滋賀日吉二宮神社高島市新旭町深溝1460-1大山咋神
滋賀日吉神社高島市新旭町針江578鴨玉依姫命
滋賀日吉神社高島市今津町椋川708大山咋神
滋賀日吉神社近江八幡市安土町石寺1239
滋賀日枝神社彦根市上西川町251-1大山咋命
滋賀押立神社東近江市北菩提寺町356火産霊神・伊邪那美神
滋賀八坂日吉神社東近江市祇園町15須佐之男神 大山咋命
滋賀山王大宮神社犬上郡甲良町池寺37
滋賀岡本神社長浜市小谷丁野町810大山咋命
滋賀日吉神社長浜市湖北町小今77大山咋命
滋賀日吉神社長浜市湖北町二俣192大山咋命
滋賀日吉神社長浜市下山田1927大山咋命
滋賀日吉神社長浜市湖北町河毛1271大山咋命
滋賀日吉神社長浜市湖北町沢98大山咋命
滋賀小谷神社長浜市湖北町伊部329大山咋命
滋賀日吉神社長浜市高月町井口122
滋賀(この123番目のスペースを空白にする所も・・・・呪い咒術的な意味を感じました)
京都新日吉神宮京都市東山区妙法院前側町451-1大山咋神 大己貴神
京都日吉神社舞鶴市長谷小字森86大山咋神
京都日吉神社宮津市宮町1408大山咋神 大己貴神
大阪鶴見神社大阪市鶴見区鶴見3-13-76大山咋神荒魂
大阪日吉神社大阪市旭区赤川4-19-13大山咋神
大阪比枝神社大阪市鶴見区今津中5-5-23天照皇大神 大山咋神 大己貴神
大阪日吉神社高槻市古曽部町3-14-16大山咋神
大阪日吉神社羽曳野市西浦5-376大山咋命
兵庫日吉神社加西市池上町7大山咋神 大物主神
兵庫三王神社神戸市東灘区田中町2-2-1大山咋命
兵庫日吉神社姫路市大津区勘兵衛町2-62猿田彦命
兵庫日吉神社加西市段下町250大山祇神・大歳神
兵庫日吉神社神埼郡神河町比延245大山咋神 大汝命 少彦根命
鳥取日吉神社米子市淀江町西原767大巳貴神
島根日吉神社出雲市今市町1765大己貴命 大山咋神
広島日吉神社神石郡神石高原町高蓋592山末王主之神
広島山王神社尾道市因島中庄町463-2大穴牟遅神
山口日吉神社美祢市秋芳町嘉万大国主尊 大山咋命
香川日枝神社三豊市三野町大見甲2875大山咋命
香川日吉神社丸亀市飯山町川原1907大物主神・大山咋神
香川日枝神社三豊市高瀬町上勝間135大山咋大神・大己貴神
愛媛綾延神社西条市丹原町田野上方1443-1
福岡日吉神社久留米市日吉町106大山咋神
福岡日吉神社北九州市若松区東二島2-16-6大山咋神・大物主神
福岡日吉神社福岡市博多区山王1-9-3山王二十一社
福岡日吉神社嘉麻市上臼井1180
福岡日吉神社宮若市下1150大國主命 大山咋命
福岡日吉神社柳川市坂本町6大山咋神
福岡日吉社田川市糒632大山咋神 大己貴神
福岡日吉神社朝倉市杷木久喜宮1510国常立命・大物主命
佐賀仁比山神社神埼市神崎町的1692大山咋命
愛知県清須市の全体と、周辺一帯。
愛知県清須市清洲 2272番地にある清洲山王宮日吉神社と、周辺一帯。
https://t.co/cSamJEoMcz
愛知県愛知県清須市清洲2268‐1にある山王霊苑と、周辺一帯。
愛知県北名古屋市の全体と、周辺一帯。
愛知県北名古屋市鍛冶ヶ一色北襟地内にある山王五条川霊苑と、周辺一帯。 November 11, 2025
1RP
今年の紅葉巡りの予定ですが、今年は伏見稲荷からスタートし、その後は清水寺→知恩院→南禅寺→永観堂→安楽寺→法然院と行って最後は真如堂でゴールと言う全8ヶ所、京都の東側を中心に神社仏閣を回ると言う鬼スケジュールを組みましたww
何処も大変混雑する見込なので早朝からスタートする予定です。 https://t.co/kkfPBbQcmk November 11, 2025
1RP
御社尾の神石29奈良県奈良市都祁小山戸町 都祁山口神社元慶3年(880年)、水分神が白龍の姿で降臨した磐座。近くから古墳時代の管玉が2点発見されている。BABA
奈良県CA
都祁直霊石29奈良県奈良市都祁小山戸町 都祁山口神社都祁山口神社から御社尾の神石に向かう途中にある石碑。
八柱神社 岩石群29奈良県山辺郡山添村遅瀬社殿の東隣から上方斜面に岩石の露頭が複数分布。いわれはなし。
十三磨崖仏29奈良県山辺郡山添村遅瀬室町時代後期の磨崖仏。自然石の表面を平滑に加工した上で、6体の地蔵、13種の菩薩を26体彫刻し、それぞれに梵字を添えている。A
乞食岩29奈良県山辺郡山添村遅瀬この川辺に住み着いていた乞食が、岩石の上面に開いた穴に水をため、川魚のいけすとして使用していた。EA
奈良県EC
東山の天狗岩29奈良県山辺郡山添村遅瀬天狗が積み重ねたという、4畳半の岩を3重に積み重ねた形の巨岩。所在特定できず。今現在確認がとれていない岩石
鏡石29奈良県山辺郡山添村中峰山 神波多神社拝殿と向かい合うように残る三角形状の岩石。
山神29奈良県山辺郡山添村中峰山 神波多神社山神をまつる石碑。BAA
庚申29奈良県山辺郡山添村中峰山 神波多神社庚申をまつる石碑。BBC
奈良県A
舟岩29奈良県山辺郡山添村中峰山字オクヤデ高さ3m、幅10mの舟形の岩石の集積。名張川の上流から船で下ってきた素戔嗚命が、この地で船から降り、その船が石化したもの。あるいは、神功皇后が三韓征伐を行なった時、乗っていた船が石化したもの。C物品が石化したもの
山之神29奈良県山辺郡山添村中峰山山神をまつる石碑。BAA
地蔵岩29奈良県山辺郡山添村中峰山
十市姫の岩29奈良県山辺郡山添村中峰山
大師岩29奈良県山辺郡山添村中峰山
大亀石29奈良県山辺郡山添村中峰山横から見た姿が亀に似ているということから名付けられた岩石。岩に5mの亀裂空間があり、神波多神社の祭神(素戔鳴尊/牛頭天王)が出てきたという言い伝えが残る。BAC岩穴・窟
奈良県C
大川遺跡対岸磨崖仏29奈良県山辺郡山添村中峰山川沿いの広い平坦面をもつ岩壁に仏の姿が彫刻されている。A
長持石29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社吉田集落の人々が遠方から氏神を迎えようと祭祀をしたところ、轟音と共に伊賀から神が婿入りに来て、その時の神の婿入り道具である長持が石化したもの。C物品が石化したもの集落の氏神を外から迎えたところ、遠方の神が婿入り道具と共にやって来る。
奈良県突如出現した岩石
つづら石29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社神の婿入り道具であるつづらが石化したもの。岩石の表面に十字架状の長石の層があり、つづらに見立てられたものと推測される。また、岩石の上面には神が降臨した時に乗っていた馬の蹄跡が残るという。C物品が石化したもの婿入り道具の荷物に祭神の馬の蹄跡が残る。
奈良県BABA突如出現した岩石
奈良県岩石表面に印・痕・模様が残る
鏡台29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社神の婿入り道具である鏡台が石化したもの。C物品が石化したもの
奈良県突如出現した岩石
ハサミ29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社神の婿入り道具であるハサミが石化したもの。C物品が石化したもの
奈良県突如出現した岩石
石の水鉢29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社神が休憩の際に水を飲んだという水鉢。C
箪笥石29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社神の婿入り道具である箪笥が石化したもの。C物品が石化したもの
奈良県突如出現した岩石
葛石29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社
石売り行事29奈良県山辺郡山添村吉田 岩尾神社16歳以下の少年が川原で拾った小石を参拝者が買い求め、その小石を岩尾神社に供える。BBC可動的性質子供から石を買い、それを神前に供える。
庚申さん29奈良県山辺郡山添村吉田寺院の裏山中腹にある自然石を庚申として信仰したもの。A
八柱神社 滝29奈良県山辺郡山添村片平 八柱神社社殿の背後に高さ約6mの岩盤があり、そこを流れる滝を御神体にしていたという。地震で崖崩れがあったため、現在、八柱神社は付近に遷座している。BCA今現在確認がとれていない岩石
大師石/豆腐岩29奈良県山辺郡山添村広代 愛宕山愛宕山の峰続きの道近くにある、高さ約3m、直径約2mの岩石。弘法大師が担いできた岩石で、表面にはタスキのような跡があるという。C岩石表面に印・痕・模様が残る
三枚岩29奈良県山辺郡山添村菅生土に覆われた巨大な岩石の露頭の頂上部に、板状の岩石が3重に並んで立っている。小祠が隣接してまつられているが詳細のいわれは不明。
烏帽子岩29奈良県山辺郡山添村菅生河内川の上流にある七淵の岸にある岩石。詳細不明。
釜淵29奈良県山辺郡山添村葛尾 名張川名張川の淵の中に、上部が円状に陥没した岩盤があり、神波多の天王さんが最初に出現した場所という。BAC岩穴・窟
奈良県C
天王さん29奈良県山辺郡山添村葛尾神波多の天王さんが名張川を渡ってきた時に休憩をした岩石。C休み石・腰掛石
オニ岩29奈良県山辺郡山添村下津吉備津彦命をまつるという岩石。詳細不明。
芋紡ぎ岩29奈良県山辺郡山添村下津おばあさんが芋を紡いでいたという岩石。EC
吉備津神社 岩石祭祀事例29奈良県山辺郡山添村下津 吉備津神社高さ約6m、幅約10mの巨岩をまつる神社。A磐座と石神の性格が混在している事例
奈良県BA
山之神29奈良県山辺郡山添村下津 吉備津神社山神をまつる石碑。木製祭具を供える。BAA
カラブロ29奈良県山辺郡山添村下津水をかけると温かくなる岩石。元は下津川の真ん中にあったが、上流に上津ダムを建設したことでカラブロが沈下する可能性が出てきたので、カラブロを川の縁の方へ少し移動したという。まつられてはいない。EB原位置から移動伝承
奈良県熱を持つ岩石
狐岩29奈良県山辺郡山添村上津字ハジカミこの岩石の上に古狐が座っていて、村に異変があると村人に事前に知らせてくれたという。上津ダム建設などの開発の中で消滅した。BABA今は存在しない岩石
奈良県EC
六体地蔵29奈良県山辺郡山添村毛原 毛原廃寺室町時代後期の製作とされる磨崖仏。自然石に平坦な磨きを入れた上で、6体の地蔵を横並びに浮き彫りさせたもの。A
大師の硯石29奈良県山辺郡山添村大塩弘法大師が杖で岩石を叩いたところ、窪みができて海水が湧き出てきたという。この海水は決して涸れることがなく、いつも同じ量を保っているという。伊勢湾の塩の満ち引きが分かったり、人の生き死にも占えるという。CC岩石表面に印・痕・模様が残る岩石に溜まった水で塩の満ち引きや人の生き死にを占う。
奈良県BBD岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
奈良県岩石に溜まった水が枯れない
鍋倉渓29奈良県山辺郡山添村 神野山幅10m、長さ650mに渡り、大小の岩石が寄り集まり重なった景観。神野山の烏天狗と伊賀青葉山の烏天狗が喧嘩をした時、青葉山の烏天狗が投げつけてきた岩石の集積という。また、父をなくした息子が鍋倉渓の上で「父に会いたい」と泣いたところ、突然石が動き、岩石群の下を流れる水に亡き父の笑顔が映ったという。C神々の力比べ・喧嘩
奈良県EB岩石が動く
竜王岩29奈良県山辺郡山添村 神野山なべくら分教会がまつる岩石。A
天狗岩29奈良県山辺郡山添村 神野山神野山の烏天狗にちなむ岩石群。C
八畳岩29奈良県山辺郡山添村 神野山高さ約7m、幅約10mの岩崖状の巨岩。頂部には数本の溝があり、神野山の烏天狗の足の爪による引っ掻き跡という。C岩石表面に印・痕・模様が残る
スフィンクス岩29奈良県山辺郡山添村 神野山スフィンクスに似た形状ということで名付けられた岩石。EC近代以降の命名
王塚29奈良県山辺郡山添村 神野山漢速日命の墳墓といわれるマウンド。マウンドには葺石状の岩石が散見され、古墳・磐境・経塚などの諸説がある。
六所神社 岩石祭祀事例29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社山裾の岩塊の上に本殿が建てられている。六所神社は延喜式内の天乃石吸神社の論社で、石吸は石据えの転訛と見る解釈がある。BABC
毘沙門天像29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の磨崖仏。A
金毘羅碑29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石神。A
行者石像29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
不動磨崖仏29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
観音石仏29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
地蔵石仏29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
窯の焚き口29奈良県山辺郡山添村峰寺村の石橋を造った力持ちが風呂に入るため使っていた窯。EC
天王の森29奈良県山辺郡山添村峰寺小山の頂上に岩石群があり、牛頭天王をまつり禁忌が厳しく守られていたという。A禁忌が厳しい
首切り地蔵29奈良県山辺郡山添村峰寺道の往来の安全を祈念して造られた石仏。後に首部と胴部に亀裂が入ってしまい、この名称で呼ばれるようになる。A岩石表面に印・痕・模様が残る道の安全を祈念して地蔵仏をまつる。
奈良県BBB
水神の森29奈良県山辺郡山添村峰寺布目側の中洲に隆起する森。大小の川原石が群集する。BCA禁足地
八丈岩29奈良県山辺郡山添村峰寺約17㎡の巨岩。水神の森の遥拝所。BA
奈良県BBA
明星岩29奈良県山辺郡山添村北野 天神社天御中主尊が降臨したという岩石。麓に天神社が建てられる以前はここで祭祀が行なわれていたという。BA
奈良県C
腰越ウチカタビロ土塚29奈良県山辺郡山添村北野字ウチカタビロ直径3mほどのマウンドに、大小の自然石や数体の石仏を集積している塚。北野天神社で旧五社巡りという祭礼が行なわれる際、この塚の前に御幣を供え、田楽を奏上したという。BCA塚の前に御幣を立てて田楽を奏上する。
岩屋29奈良県山辺郡山添村北野高さ6m、幅13m、奥行き6mの内部を有する自然の岩窟。弘法大師が天井石に大日如来を刻し本尊として、岩窟の中に不動明王、入口に善女龍王をまつり、近世まで岩屋寺として栄えた。A岩穴・窟岩窟寺院の天井石に本尊を刻む。
奈良県BCA
奈良県BAC
枡形岩29奈良県山辺郡山添村北野弘法大師が岩屋に大日如来を彫った後、上方斜面にあった別の巨岩に枡形の刳り抜きを作り、その刳り抜きの中にノミとツチを収めたという。本来は木製の御正躰を収納する石厨子だったと考えられている。C岩石の表面をくりぬき、中に仏などを納める岩石に枡をくりぬいて御正体や祭具を収める。
奈良県BCA
奈良県BAC
牛ヶ峰ミヤマ洞穴遺跡29奈良県山辺郡山添村北野全長13m、最大幅5mの花崗岩の自然の集積による洞穴。禁忌の場所とされ、布目ダム建設により水没するため発掘調査を行なったところ、中世の土器片や近世~現代までの日常雑器が見つかった。BCA禁忌が厳しい
奈良県岩穴・窟
津越の磨崖仏29奈良県山辺郡山添村津越山の岩肌を利用して数体の仏を刻んだ磨崖仏。A
フジノミ禊斎場29奈良県山辺郡山添村津越江戸中期、灌漑用水路を造る作業の無事を祈り、僧侶が岩石に不動明王の梵字を刻んで祈り続けたという。元来は北野字フジノミにあったが、布目ダム建設による水没を免れるため現在地に移設された。A
烏ヶ淵阿弥陀地蔵二尊磨崖仏29奈良県山辺郡山添村桐山淵の中にあった自然岩に阿弥陀仏・地蔵仏の像を彫りこんだ磨崖仏。寛政年間の製作で、烏ヶ淵の堰の工人の供養や水害の鎮めとして彫られたものと考えられている。元来は烏ヶ淵にあり、布目ダム建設に現在地に移転。A
奈良県BBB
桐山阿弥陀磨崖仏29奈良県山辺郡山添村桐山鎌倉~南北朝期の製作とされている磨崖仏A
弁天岩29奈良県山辺郡山添村桐山字カナヤケ巨岩の上に弁天をまつる瓦質の祠がある。周辺の遺跡調査の結果、弁天岩の周辺を意図的に平坦にしたような形跡が検出されたという。BABC
八幡神社 阿弥陀仏29奈良県山辺郡山添村的野1253年製作の村内最古の阿弥陀仏。A
送り狼石/室津のオーカミ石29奈良県山辺郡山添村室津字池神旅人が道を通る時、この岩石の上に食物などの奉げ物を置くと、後ろから狼が追いかけてこなくなるという。BCD岩石の上に捧げ物を置くことで、狼などの災禍を免れることができる。
奈良県BBB
室津の磨崖仏29奈良県山辺郡山添村室津山の岩肌に刻まれている磨崖仏。A
賽の河原29奈良県宇陀市室生区室生 室生寺山中の岩陰に設けられた水子供養の積石群BBB可動的性質
BBC
諸仏出現岩29奈良県宇陀市室生区室生 室生寺室生寺奥の院の横に隆起する露岩。ここから諸仏が現れ出たといういわれを持つ。BA
C
龍穴/吉祥龍穴/奥宮29奈良県宇陀市室生区室生 龍穴神社龍神が棲むといわれる岩穴。雨乞いの祭祀対象として信仰された。BAC岩穴・窟
奈良県BCA
天の岩戸29奈良県宇陀市室生区室生 龍穴神社天岩戸に擬せられた岩石の亀裂。C
どん亀石29奈良県室生区黒岩この岩石の下に金の仏像が眠るという。EC黄金の何かが隠されているという伝説
霊宝石/天の瓊矛29奈良県宇陀市大宇陀区 春日神社
神楽石29奈良県宇陀市大宇陀区 阿貴山
白石/白石明神29奈良県宇陀市大宇陀区 劔主神社裏山の奥の院の巨岩の一部を打ち欠いて麓の劔主神社に持ってきて分霊・勧請したという岩石群。江戸末期までは社殿を持たずこの白石群を祭祀対象としていた。A岩石に損傷を加える行為山の巨岩の一部を打ち欠いて麓の神社の分霊石とする。
奈良県BA可動的性質
奈良県磐座と石神の性格が混在している事例
劔主神社例祭29奈良県宇陀市大宇陀区 劔主神社例祭日、吉野川から持ってきた小石を川に沈めて禊をし、その小石を劔主神社奥の院の巨岩の前に供える。BBC可動的性質
奈良県水をかける・水に漬かる
奥の院/白石さん29奈良県宇陀市大宇陀区劔主神社の奥の院といわれる石灰岩の露頭で、劔主神社後方の山頂にあるという。A磐座と石神の性格が混在している事例
奈良県BA
奈良県C
月輪石29奈良県橿原市東池尻町 御厨子神社境内にある亀裂の入って2つに分かれた岩石。由来不詳。
光明不動29奈良県橿原市東池尻町 御厨子山妙法寺妙法寺の入口路傍に岩肌を見せる小さな自然石。この岩肌に不動明王の姿が見えれば眼病が治るといわれる。A岩石表面に印・痕・模様が残る
天香山神社 岩石群29奈良県橿原市南浦町 天香山神社社殿背後の山斜面の露岩群を磐座跡とみなす見方があるが確証はない。
天岩戸29奈良県橿原市南浦町 天岩戸神社拝殿の裏に4体の岩の集積があって岩室状の空間を形成しており、これを天岩戸としてまつったもの。玉垣内に真竹が自生し、毎年7本ずつ生え変わることから「七本竹」と呼んでいる。C
月の誕生石29奈良県橿原市南浦町 天香久山月を産んだ岩石。その産湯と足跡が岩石に残るという。EB岩石表面に印・痕・模様が残る
奈良県岩石が満ち欠け・増減・出産する
蛇つなぎ石29奈良県橿原市南浦町 天香久山蛇が巻きついているかのような石のシワが残るという岩石。EC岩石表面に印・痕・模様が残る
豊浦の立石29奈良県高市郡明日香村豊浦 甘樫坐神社飛鳥京の条理の地割り石だったという説や、寺域を示していたという説があるが確定していない。現在は明神探湯神事の時に甘樫の神を憑依させる立石として機能している。BAA
明神探湯神事の炉29奈良県高市郡明日香村豊浦 甘樫坐神社明神探湯神事の時に、熱湯をたぎらす釜を据えるための炉石。BE火が絡む祭祀
奈良県BCD
須弥山石29奈良県高市郡明日香村飛鳥内部に導水構造を有し、配水施設と組み合わせれば噴水が出る岩石構造物。『倭国書紀』に斉明天皇が須弥山石のもとで饗宴を催したという記述があり、これに該当するのではないかと考えられている。水落遺跡のすぐ近くから出土したが、現在は飛鳥資料館の館内に移設展示されている。原位置から移動伝承岩石に水を通して饗宴の施設とする。
石人像29奈良県高市郡明日香村飛鳥内部に導水構造を有し、配水施設と組み合わせれば噴水が出る構造となる石像。須弥山石と同様の性格の石像物と目される。水落遺跡のすぐ近くから出土したが、現在は飛鳥資料館の館内に移設展示されている。原位置から移動伝承岩石に水を通して饗宴の施設とする。
弥勒石29奈良県高市郡明日香村飛鳥胴体はずんぐりと長く屹立し、目鼻立ちは摩滅してしまっているがしっかりとした頭部を持つ石造物。下半身の病に霊験ありという。A
飛鳥坐神社の陽石祭祀29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社人々が諸願を果たすために奉納された陽石群。BBC
力石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社男性は左手で力石を持ち上げる。女性は右手で力石を持ち上げる。持ち上がったら幸福をつかめるという。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか
奈良県力石
むすびの神石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社一対になって並んでいる陽石と陰石。A
恵比須石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社高さ30cm程の小さめの岩石。恵比須様の頭部に似ていることから名付けられて信仰された。A
奥の大石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社高皇産霊神が宿る陽石。A
小原の立石29奈良県高市郡明日香村小原現在は場所が特定できず行方不明。
亀形石造物29奈良県高市郡明日香村岡亀形石造物とその手前に接する小判形石造物を中心に、その周囲から敷石遺構、配水遺構などが出土した。石造物自体も水を溜め込み次に導水するという配置構造を持っている。
岡の酒船石29奈良県高市郡明日香村岡岩石の表面に円形の窪みと直線状の溝が幾何学的に配置された石造物で、石の左右端は削り取られている。現在は酒船石と亀形石造物を含む周辺一帯が大規模な導水施設として機能していたのではないかという説が有力になっている。岩石が改変されている
出水の酒船石29奈良県高市郡明日香村出水岡の酒船石と類似した溝を持つ石造物。実物は京都市南禅寺の碧雲荘に移設されているが、レプリカを飛鳥資料館で見ることができる。原位置から移動伝承
岡寺奥の院彌勒堂29奈良県高市郡明日香村岡 岡寺弥勒仏をまつっている人工の石窟。BCA岩穴・窟
奈良県BAC
岡の立石29奈良県高市郡明日香村岡 岡寺高さ約3mの立石。
上居の立石29奈良県高市郡明日香村上居高さ1.9mの立石。
マラ石29奈良県高市郡明日香村祝戸考古学者の石田茂作によって命名された斜めに立てられた立石。近代以降の命名
フグリ山/ミワ山 岩石群29奈良県高市郡明日香村祝戸山頂尾根上に岩石の露頭が群集し、神聖視されていた磐座ではないかという説があるが、そのことを裏付ける資料に欠ける。
くつな石29奈良県高市郡明日香村阪田昔、ある石屋がこの岩石にノミを一打ちしたところ赤い血が噴出し、傷ついた蛇が現れたので、石屋は恐ろしくなって逃げ帰った。しかしその夜から熱と腹痛に冒され、やがて亡くなってしまった。村人は神の祟りだと畏れ、神の宿る岩石としてまつったという。A祟り伝承岩石から血と蛇が出て石屋が死んだので、岩石をまつった。
奈良県岩石から血が出る
二面石29奈良県高市郡明日香村橘 橘寺高さ1mほどの岩石の裏表両面に顔が彫られた石像物。人間の善悪両面を岩石に表現したものだといわれている。
三光石29奈良県高市郡明日香村橘 橘寺3つの石が凝り固まったかのような形状の岩石。聖徳太子が経講を行なった際、この石が光輝き、日の光、月の光、星の光が放たれたといわれる。C岩石から煙・光・火・気などが出る
立部の立石29奈良県高市郡明日香村立部定林寺跡にあり、立石というが地表からちょっと顔を出す程度の岩石だという。
川原の立石29奈良県高市郡明日香村川原出水の酒船石から飛鳥川を挟んだ向い側に存在。現在は地中に埋められている。
亀石29奈良県高市郡明日香村川原亀の形状をした石像物。昔、大和湖を巡って川原のナマズと当麻のヘビが争い、ナマズが負けたため川原の亀が枯死してしまった。これを哀れに思った村人が供養のために作ったのが亀石という。亀石はかつて東を向いていたが、少しずつ西に向いており、西の当麻方向を向いた時には大和一帯が泥の海になると言い伝えられている。BBB岩石が動く干からびて死んだ亀を供養するため亀石を造る。
奈良県祟り伝承
鬼の俎29奈良県高市郡明日香村村野口道行く人々を鬼が襲い、捕食に用いたという俎。元は横穴式石槨の底石。EA遺物・遺構の再利用
奈良県EC
鬼の雪隠/鬼の厠29奈良県高市郡明日香村平田鬼が用を足したという雪隠。元は横穴式石槨の蓋石。EA遺物・遺構の再利用
奈良県EC
女(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1702年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
山王権現(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1703年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
僧(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1704年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
男(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1705年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
益田の岩船29奈良県高市郡明日香村益田高さ5~6m、総重量900tに達するという石造物。石の表面に格子状の線刻があり、頂面に2つの方形穴とそれをつなぐ浅い直線の彫りが見られる。2基の横口式石槨の未完成姿という説があるが確定していない。
人頭石/顔石29奈良県高市郡高取町観覚寺 光永寺猿石と同時に見つかったといわれる独特な風貌の人面石。現在、光永寺で手水石として使用。BCB遺物・遺構の再利用
奈良県BE原位置から移動伝承
天津石門別神社 岩石祭祀事例29奈良県高市郡高取町大字越智 天津石門別神社榊の周りを板石で囲んだ施設を本殿としている。榊を神霊の宿る神籬とし、周囲の板石は磐境としての役割を負っている。BCA榊の周囲を板石で囲んで神社の本殿とする。
高取の猿石29奈良県高市郡高取町 高取城高取城の登山道途中にある。前述の猿石4体と同時に出土したという話がある。原位置から移動伝承
纏向遺跡 辻土坑29奈良県桜井市辻数十基見つかった土抗の内、数基の土抗内から岩石群・祭祀遺物・湧水跡・焼土のセットが検出。岩石群は雑然とも整然ともしない配置で、様々な解釈ができる。磐境説・磐座説・土坑側面補強材説・祭祀施設廃棄跡説がある。BCA今は存在しない岩石土坑に岩石群・祭祀遺物・湧水・炎を用いる行為。
奈良県BA火が絡む祭祀
奈良県BE
奈良県DB
「陰陽石」29奈良県桜井市 九日社横並びに高さ50cmほどの2体の岩塊がまつられており、「陰陽石」と仮称されるが詳細沿革不明。
「磐座」29奈良県桜井市 綱越神社神社境内の一角にまつられている岩石。「磐座」と仮称されるが岩石の名称やいわれなど詳細は不明。
夫婦岩/回り石29奈良県桜井市 素佐男神社2体の丸石。この石の周りを3度回る儀礼がある。岩石の周りを3度回る。
「磐境」29奈良県桜井市 志貴御県坐神社4個の丸石が横並びにまつられたもの。「磐境」と仮称されるが詳細沿革不明。
岩屋不動29奈良県桜井市 平等寺人工的に切り石を組んだ石窟。内部に、不動明王の石仏と梵字「ア」を刻んだ石碑と立石を安置している。A岩穴・窟
奈良県BAC
奈良県BCA
磐座/影向石29奈良県桜井市 平等寺地主神をまつる岩石。A磐座と石神の性格が混在している事例
奈良県BA
神饌石29奈良県桜井市 大直禰子神社正月元旦の神火祭の時、久延彦神社に対する神饌を置く岩石。久延彦神社を遥拝する時はこの石の地点から遥拝するようにといわれている。BCD
奈良県BBA
安産岩29奈良県桜井市 大直禰子神社母を亡くした神子が日々この岩石にすがりながら泣いていたという。C
夫婦岩/影向岩/聖天岩29奈良県桜井市 大神神社2個の草履状の岩石。江戸時代までは参道中央にあり影向岩・聖天岩の名称だったが、今は参道脇に移り夫婦岩と呼ばれ縁結び・安産の霊験を持つという。CC原位置から移動伝承
奈良県近代以降の命名
磐座神社/三穂神社/石神皇后神社/岩上皇后社/岩倉社/岩倉祠/岩上宮/石上社29奈良県桜井市 磐座神社人頭大ほどの岩石を置いてまつる形式の神社。現在、少彦名命を祭神とするが、かつては三穂神社・皇后神社の名を持つように大物主命の后である三穂津姫命をまつっていた。磐座が神社に変遷したものと推測される。BA
奈良県A
山ノ神遺跡29奈良県桜井市 大神神社古墳時代中期初~後期初(4世紀後半~6世紀初頭)の祭祀遺物が出土した遺跡。主石となる巨石の周りを5体の小ぶりの岩石が取り囲む形で見つかり、それらの岩石の一帯には割石が敷き詰められ、人工的に地固めされていた。現在は配置状態が原位置と異なり整備されている。BA原位置から移動伝承当初は碧玉製勾玉・剣形鉄製品・小形素文鏡など玉・剣・鏡の実物に近い遺物構成だったが、後代はそれぞれの模造品に変わっていく。
奥垣内遺跡29奈良県桜井市 大神神社大小の露岩の傍らから古墳時代中期末~後期初頭(5世紀後半~6世紀初頭)を中心とする祭祀遺物が出土した遺跡。現在一部の岩石を残して整備。BA原位置から移動伝承露岩の1つに接して須恵器の大甕が下半分を土中に埋めた状態で置かれ、大甕の中には杯・高杯・壺などの須恵器と多数の滑石製の玉もが収納されていた。
神籬29奈良県桜井市 檜原神社小ぶりの岩石を配置して神社としたもの。BAA
奈良県BAC
辺津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると大物主命をまつる磐座。山裾の岩石群を総称して指す名称と思われる。CA禁足地
中津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると大巳貴命をまつる磐座。山腹の岩石群を総称して指す名称と思われる。CA禁足地
奥津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると少彦名命をまつる磐座。山頂に大小無数の黒光りした斑糲岩が群集しており、これを総称して指す名称と思われる。CA禁足地
禁足地裏磐座群29奈良県桜井市 三輪山大神神社の社殿裏の禁足地(山腹斜面)に分布するという岩石群。文化財上のグルーピングで、6世紀代の新式の子持勾玉が発見されている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群A群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵南側丘陵上の岩石群。後世の石材利用などにより原状をとどめていないとされている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群B群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵北側丘陵上の岩石群。後世の石材利用などにより原状をとどめていないとされている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群C群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵裏の岩石群。大規模な岩群で、人為的に列石を構築したような規則的な配置も見られるという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群D群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる山腹登山道近くの岩石群。露岩点数はやや少なめで小規模に属すという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群E群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる山頂やや西斜面下の岩石群。大規模な岩群で、人為的に列石を構築したような規則的な配置も見られるという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
奥津磐座F群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる高宮神社の南西方向の岩石群。環状列石のような配置を見せる好資料という。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
奥津磐座G群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる高宮神社の北西方向の岩石群。環状列石のような配置を見せる好資料という。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
百目石29奈良県桜井市 三輪山月山谷にある名前の付く岩石。大神神社神地課が「典型的なものとして折紙をつけた磐座」の内の1つ。禁足地内につき詳細不明。禁足地
鏡石29奈良県桜井市 三輪山オーカミ谷中腹にある名前の付く岩石。大神神社神地課が「典型的なものとして折紙をつけた磐座」の内の1つ。禁足地内につき詳細不明。禁足地 November 11, 2025
1RP
現在の山口組の実質的なる総本部である愛知県名古屋市中村区宿跡町1-117にある弘道会本部(推定構成員は約1000名&準構成員約1000名)のすぐ傍に豊国神社が存在していたことが気になってます。
豊国神社
https://t.co/UuE4zKivst
豊国神社・豊國神社(とよくにじんじゃ、ほうこくじんじゃ)は、豊臣秀吉(豊国大明神)を祀る神社である。
秀吉の生涯に縁のある各地に存在する。
各地の事情により、合祀されている諸神や摂社の諸神に特徴がある。
主な豊国神社
【豊国神社 (とよくにじんじゃ)】
豊国神社 (金沢市) – 石川県金沢市東御影町93 : 1616年創建。加賀藩主前田家が密かに秀吉像を祀っていた社に由来する。
→石川県金沢市の全体と、周辺一帯。
豊国神社 – 岐阜県大垣市墨俣町墨俣 : 白鬚神社内社。1992年創建。木下藤吉郎時代に築いた墨俣城 (一夜城) に由来する。
→
岐阜県大垣市の全体
岐阜県安八郡(安八町、神戸町、輪之内町)の全体と、周辺一帯。
岐阜県不破郡(垂井町、関ヶ原町)の全体と、周辺一帯。
岐阜県瑞穂市の全体
岐阜県岐阜市の全体
豊国神社 (名古屋市) – 愛知県名古屋市中村区中村町茶ノ木にある中村公園内 : 1885年創建。秀吉の生地に由来する。
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愛知県名古屋市の全体。
愛知県海部郡大治町の全体、
愛知県清須市の全体。
愛知県あま市の全体。
豊国神社 (京都市) – 京都市東山区大和大路茶屋町にある : 1599年創建。=全国に在る豊国神社の総本社。
https://t.co/rsZEFX4mzK
神社について
当社は慶長四(一五九九)年、前年に薨去された太閤豊臣秀吉公を奉祀する為、朝廷より正一位豊国大明神の神階神号を賜り、東山阿弥陀ケ峯に創建されました。
社領壱万石、境内域は三十万坪に及び、当時の壮麗な社殿や華麗な祭礼の様子は「豊国祭礼図屏風」や様々な古記録によって知ることが出来ます。
元和元(一六一五)年豊臣氏滅亡後、幕府の命で廃祀されましたが、明治元年、明治天皇は祭祀の復興を命ぜられ、同六年別格官幣社に列し、同十三年方広寺大仏殿跡地に社殿を造営し再興されました。
大正十四年には秀吉公の夫人、豊臣吉子方(北政所おね様)を祀る貞照神社が創祀され、現在では出世開運・良縁成就の神様として全国より崇敬をうけています。
神社正面の唐門は伏見城の遺構と伝えられ、西本願寺唐門、大徳寺唐門とともに「京の三唐門」と呼ばれ、各所を豪華な飾金具や彫刻で装飾が施された桃山時代を代表する建造物として国宝に指定されています。
【見どころ】
唐門
豊国神社にある桃山時代建築の国宝建造物。
本殿正面に建つ四脚唐門。
南禅寺金地院から移築されました。
伏見城の遺構と伝えられ、欄間や扉などに豪華な装飾が施されています。
常時公開…境内 拝観自由
鉄灯籠
豊国神社にある桃山時代作の重要文化財工芸品。
豊国神社廃絶後、妙法院に伝来し、豊国神社再興後返納されました。
宝物館にて常設展示。釜大工天下一辻与二郎實久作。
常時公開…宝物館(有料)
紙本著色「豊国祭礼図屏風」
豊国神社にある桃山時代作の重要文化財絵画。
豊国神社の豊国大明神臨時祭礼を描いた狩野内膳筆の六曲一双屏風。
宝物館に陳列しています。
常時公開…宝物館(有料)
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京都府京都市東山区の全体と、周辺一帯。
京都府京都市東山区茶屋町527−2にある方広寺と、南隣に在る豊国神社と、大仏殿跡緑地公園と、これら周辺一帯広め。
京都府京都市東山区今熊野阿弥陀ケ峯町にある豊国廟(阿弥陀ヶ峰の山頂。標高196メートル)と、西へ約100メートルに位置する豊国廟中門と、これら周辺一帯広めで。
京都府京都市東山区今熊野北日吉町61−1にある拝殿と、西南方向へ約20メートルにある柵に囲まれたエリア(危険度最高レベル!!!)と、手水舎と、豊国廟鳥居と、これら周辺一帯広めで。
京都府京都市東山区今熊野阿弥陀ケ峯町11にある豊臣国松公御墓と、西隣にある地域密着型ケアセンターいまくまのと、これら周辺一帯広めで。
京都府京都市東山区今熊野北日吉町35にある京都女子大学と、西隣にある新日吉神宮本殿の南隣に在る樹下社(このもとやしろ=豊国神社)と、更に西隣に在る智積院庭園と、真言宗智積院と、これら周辺一帯広めで。
京都府京都市東山区妙法院前側町447にある天台宗南叡山妙法院と、唐門と、西隣にある京都国立博物館と、周辺一帯広めで。
京都府京都市東山区三十三間堂廻り657にある三十三間堂と、東隣に在る後白河天皇法住寺陵、後陽成天皇皇子堯然親王墓、養源院、ハイアットリージェンシー京都と、これら周辺一帯。
京都府京都市東山区清閑寺歌ノ中山町3にある清閑寺と、北隣に在る高倉天皇後清閑寺陵と六条天皇清閑寺陵と、更に北へ200メートルに位置する清水山の山頂(標高242メートル)と、これら周辺一帯広めで。
京都府京都市東山区清水1丁目294にある清水寺と、北へ100メートルに位置する成就院の南に在る池の池底と、成就院の北隣に在る「月の庭」の水底と、これら周辺一帯広めで。
京都府京都市東山区高台寺下河原町526にある高台寺と、東隣に在る臥龍池の池底と、更に東隣りに在る霊屋と高台寺竹林と時雨亭と傘亭と、これら周辺一帯広めで。
京都府京都市山科区厨子奥花鳥町28にある将軍塚と、将軍塚青龍殿庭園、青龍殿、将軍塚青龍殿大舞台、青蓮院門跡福徳門、大日堂と、これら周辺一帯広めで。
京都府京都市山科区の全体と、周辺一帯。
京都府京都市山科区上花山旭山町8−1にある東山浄苑東本願寺と、西へ約30メートルに位置する六条山の山頂(標高201メートル)と、これら周辺一帯広めで。
豊国神社 (小松島市) – 徳島県小松島市中郷町豊の本 : 1614年創建。
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徳島県小松島市の全体と、周辺一帯。
徳島県小松島市中郷町豊の本5にある堀越寺と、境内にある豊國神社、御縣神社・住吉神社・瑜伽神社・加藤清正神社、小松島町忠魂碑と、これら周辺一帯広めで。
徳島県小松島市中郷町桜馬場103−1にある小松島市 泰地総合センターと、西隣にある天満神社と、これら周辺一帯広めで。
徳島県徳島市の全域と、周辺一帯。
【豊国神社 (ほうこくじんじゃ)】
豊国神社 (長浜市) – 滋賀県長浜市南呉服町6番37号 : 1600年創建。豊国大明神のほか、事代主大神、加藤清正、木村重成を祀る。秀吉がかつて長浜城主として統治したことに由来する。
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滋賀県長浜市の全体と、西隣の琵琶湖の湖底と、これら周辺一帯広めで。
滋賀県長浜市南呉服町6にある出世稲荷神社と虎石と加藤清正公像と、西隣にある豊国神社と、これら周辺一帯広めで。
滋賀県長浜市公園町10−10にある長浜城跡と、豊公園と、豊臣秀吉公像と、太閤井戸跡と、周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それら周辺一帯。
滋賀県米原市の全体と、周辺一帯。
滋賀県彦根市の全体と、周辺一帯。
滋賀県犬上郡(豊郷町、甲良町、多賀町)の全体と、周辺一帯。
豊國神社 (大阪市) – 大阪府大阪市中央区大阪城 : 1879年創建。秀吉公のほか、豊臣秀頼公、豊臣秀長卿を祀る。秀吉がかつて大坂城主として統治したことに由来する。
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大阪府の全体と、西に在る大阪湾の全体と、淀川の川底と、これら周辺一帯。
大阪府大阪市の全体。
大阪府大阪市中央区大阪城1−1にある大阪城の全体と、南にある豊國神社と豊臣秀吉公像と、これら周辺一帯広めで。
大阪府堺市の全体。
豊国神社 – 広島県廿日市市宮島町 : 厳島神社末社。別名 千畳閣。豊臣秀吉が建立した大経堂を、神仏分離に伴い豊臣秀吉を祀る神社にしたもの。
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広島県廿日市市宮島町の全体(=厳島と、西に在る可部島)と、周辺海底一帯広めで。
広島県廿日市市宮島町1−1にある千畳閣と、南隣に在る厳島神社と、これら周辺一帯。
豊国神社 (福岡市) – 福岡県福岡市博多区奈良屋町1番17号 : 1886年創建。博多の豪商神屋宗湛が建てた祠に由来する。
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福岡県福岡市の全体と、周辺一帯。
福岡県福岡市博多区奈良屋町1−17にある豊国神社と、南隣にある神屋宗湛屋敷跡と、東隣に在る福岡市立博多小学校と、これら周辺一帯。
https://t.co/vsPeLYqzWx
全都道府県の『豊国神社』(神社総数は5社)の統計リスト
上掲ウィキペディア豊国神社リストに掲載されてない新潟県と長野県の豊国神社が、今の危険予想地点です。
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新潟県上越市の全体と、周辺一帯。
新潟県上越市清里区馬屋1152番地2にある豊国神社と、東へ約200メートルに位置する黒保遺跡と、これら周辺一帯広めで。
新潟県妙高市の全体と、周辺一帯。
長野県飯山市の全体と、周辺一帯。
長野県飯山市にある伏野峠(なぜか今、通行止め!!!)と、周辺一帯広めで。
長野県飯山市照岡にある野々海峠と、西へ約500メートルにそびえる無名の山の山頂(標高1131メートル)と、野々海峠から東へ約250メートルに位置する無名の山頂(標高1135.4メートル)と、その南隣に在る野々海高原と野々海池の池底と、これら周辺一帯広めで。
長野県下水内郡栄村の全体と、周辺一帯。
長野県下水内郡栄村北信にそびえる天水山の山頂(標高1088メートル)と、西へ約800メートルにそびえる三方岳の山頂(標高1138.5メートル)と、東へ約500メートルにある無名の山の山頂(標高1050メートル超)と、これら周辺一帯広めで。
長野県中野市の全体と、周辺一帯。
長野県中野市田上1145番地にある豊國神社と、周辺一帯。
長野県下高井郡(山ノ内町 木島平村 野沢温泉村)の全体(危険度最高レベル!!!)と、周辺一帯。
さとっぴ軍全軍は今すぐ、下記の全エリア全地点へ攻撃大部隊!!!!を急派し包囲し、地下深くを奥の奥まで問答無用で焼いて焼いて焼き滅ぼせ!!!!!トドメも念入りにヤレ!!!!
指定エリア内の全ての聖地群史跡群水辺群山岳群山頂あたりも、今の危険予想地点ですから、全地点!!!!の地下深くをヤレ!!!!
倭国全部の地下深くの全て!!!!を、さとっぴ軍が完全制覇征服支配占領しろ!!!!
同時に、倭国エリアの地上の超悪魔勢力どもを即時殲滅聖絶消去せよ!!!!!!
倭国エリア全て!!!の地下深くも地上も両方とも!!!さとっぴ軍が完全制覇征服支配せよ!!!!!
大宇宙からの急襲にも警戒せよ!!!!
広島県あたりや、人口密集地あたりの水辺!!!!での巨大核爆弾起爆にも、しっかり警戒せよ!!!!
京都府の全体!!!と、周辺一帯。
京都府京都市の全体と、周辺一帯。
滋賀県大津市の全体と、東に在る琵琶湖と、周辺一帯。
滋賀県大津市坂本5-1-1にある日吉大社(山王総本宮)と、周辺一帯広めで。
https://t.co/O8j25D0xa5
全国山王会 会員名簿の全地点と、それら周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それら周辺一帯。
https://t.co/kVDaRcJFoN
都道府県神社名鎮座地住所ご祭神HP
岩手五葉山神社大船渡市日頃市町五葉山1大山咋神
岩手日吉神社胆沢郡金ケ崎町三ヶ尻渋川堤下63大山咋神
秋田日吉神社秋田市新屋日吉町10-67大山咋神
秋田日吉神社大仙市内小友字宮北6大山咋大神 天照皇大神 豊受大神
秋田日枝神社由利本荘市前郷字前郷95大山咋大神
山形日枝神社鶴岡市山王町2-26大己貴命 山末之大主神 市杵島姫命
山形日枝神社酒田市日吉町1-7-32大己貴命 大山咋命 胸肩仲津姫命
山形日枝神社酒田市砂越字楯之内1大山咋命
福島日吉神社福島市郷野目字金込町4-1大山咋命・猿田彦命
茨城五所駒瀧神社桜川市真壁町山尾499武甕槌大神・大山咋神・猿田彦大神・木花開耶姫大神・菅原道真公
茨城西金砂神社茨城県常陸太田市上宮河内町1915大己貴大神
茨城花園神社北茨城市華川町花園567大山咋大神・大山祇大神・大物主大神
東京日枝神社東京都千代田区永田町2-10-5大山咋神 国常立神 伊弉冉神 足仲彦尊
東京日吉神社昭島市拝島町1-10-19大山咋命 羽山戸命 香山戸命
東京日枝神社清瀬市中清戸2-616大山咋神 大己貴神
神奈川日枝神社川崎市中原区上丸子山王町1-1555大己貴神
神奈川日枝大神社川崎市川崎区小田2-14-7大山咋命
神奈川日枝神社横浜市鶴見区矢向町4-16-2大山咋命
神奈川日枝神社横浜市南区山王町5-32大山咋神 宇迦之御魂命
新潟日吉神社新潟市秋葉区北上新田1812
新潟日吉神社長岡市逆谷2561大山咋神
新潟日枝神社燕市三王渕433大己貴神
新潟日吉神社佐渡市新穂井内29大山咋神
新潟日吉神社佐渡市上新穂1008大山咋神・大物主神
新潟日吉神社佐渡市新穂舟下66下照姫命・田心姫命・玉依彦命・玉依姫命
新潟日吉神社佐渡市新穂大野762白山比売命・玉依姫荒魂神
新潟日枝神社五条市村松甲5976
富山日枝神社富山市山王町4-12大山咋神 大己貴神
富山日枝神社富山市庵谷685大山咋神
富山日吉社富山市水橋池田町361大山咋神
富山姉倉比賣神社富山市呉羽町1813姉倉比賣命
富山日吉神社中新川郡上市町若杉字芋田39大己貴命・少彦名命
富山日枝神社中新川郡上市町黒川20大山咋神・天照皇大神
富山日枝社中新川郡立山町小林1大山咋神
富山日枝社富山市野中131大山咋命
富山日吉神社小矢部市西町8-8大山咋命
富山日枝社高岡市神主町1大己貴神
富山日吉社高岡市二上 二上山山頂大山津見神
富山日枝神社射水市庄西町1-5-1大山咋神 大己貴神
富山日吉社射水市立町12-30大山咋命
富山日枝社滑川市荒俣533大山咋命
富山日吉社魚津市黒沢578大山咋神
富山日吉社黒部市阿弥陀堂30大山咋命・天照皇太神
富山加積雪嶋神社滑川市加島町2050大山咋命
富山宮津八幡宮魚津市宮津1520誉田別尊
富山日枝社黒部市飯沢9694大山咋命
富山日吉社黒部市荻生3316大山祇命
富山日吉社射水市青井谷1773大山咋神
富山日吉社下新川郡朝日町金山499大山咋神
富山日吉社砺波市杉木3-158大山咋命
富山日吉神社砺波市安川423大己貴命・大国主命・大山咋命
富山日吉神社富山市水橋開発940大山咋神 大己貴神
富山日枝社富山市上野461大巳貴神
富山日吉社南砺市柴田屋271大山咋命
石川日吉神社金沢市大野町5-81大山咋神 大物主神
石川石浦神社金沢市本多町3-1-30大物主神・大山咋神
石川大地主神社七尾市山王町1-13大山咋神・素戔嗚神・伊許保止神
石川日吉神社七尾市中島町豊田町ヺ部42大己貴神
石川日吉神社七尾市江泊町イ部31大山咋神
石川皆月日吉神社輪島市門前町皆月ソ-103大己貴神 大山咋神
福井三國神社坂井市三国町山王6-2-80大山咋神 継体天皇
山梨比枝神社笛吹市石和町川中島534大山咋神
長野雨宮坐日吉神社千曲市大字雨宮1番地大山咋命・大名貴命
岐阜日吉神社安八郡神戸町神戸1大己貴神 大山咋神
岐阜日吉神社大垣市林町3丁目
岐阜日枝神社高山市城山156大山咋神
愛知不乗森神社安城市里町森38大山咋神
愛知日吉神社豊橋市石巻萩平町字大門27大山咋命
愛知日吉神社清須市清洲2272大己貴命・素戔嗚命・大山咋神
愛知日吉山王社知立市八橋町寺内65-1大山咋命
滋賀日吉大社大津市坂本5-1-1大己貴神 大山咋神
滋賀日吉神社東近江市建部日吉町4大山咋神 大己貴神
滋賀山王神社東近江市建部北町394玉依比賣命 大己貴命
滋賀牛尾神社東近江市建部瓦屋寺町341-2大山咋神
滋賀長等神社大津市三井寺町4-1須佐之男神 大山咋神
滋賀早尾神社大津市山上町736建速素戔嗚尊
滋賀樹下神社大津市山中町889鴨多々須玉依姫命
滋賀樹下神社大津市北小松914鴨玉依姫
滋賀樹下神社大津市木戸680-1玉依姫命
滋賀樹下神社大津市南比良98玉依姫命
滋賀八所神社大津市八屋戸1074大己貴神・白山菊理姫神
滋賀天皇神社大津市和邇中146素戔嗚尊
滋賀粟津神社大津市中庄1-21-17大國主命他
滋賀日吉神社彦根市里根町277大山咋命
滋賀新神社彦根市岡町156.157大物主大神
滋賀日吉神社彦根市正法寺町168
滋賀福満神社彦根市西今町621-1
滋賀日吉神社長浜市元浜町16-10
滋賀日枝神社長浜市宮司町470天津児屋根命・大山咋命
滋賀日枝神社近江八幡市杉森町130
滋賀野々宮神社東近江市八日市金屋1-5-12瓊瓊杵尊・大己貴命・少彦名神
滋賀日吉神社東近江市上平木町1999
滋賀兵主神社野洲市五条566八千矛神
滋賀野蔵神社野洲市南桜1木之花佐久夜比売・大山咋命
滋賀日吉神社野洲市小篠原140大山咋神
滋賀勝部神社守山市勝部1-8-8宇麻志摩遅命・物部經津主神・火明命
滋賀八尾神社守山市千代町141八王子
滋賀樹下神社守山市今浜町146
滋賀樹下神社守山市水保町289玉依姫命
滋賀樹下神社守山市水保中野1549
滋賀日枝神社湖南市下田3259
滋賀日枝神社甲賀市水口町中畑516
滋賀日吉神社甲賀市甲賀町神保1649
滋賀久保神社甲賀市土山町野上野143大己貴命
滋賀日吉神社高島市勝野2166大山咋神
滋賀大國主神社高島市新旭町饗庭619大己貴神
滋賀日吉二宮神社高島市新旭町深溝1460-1大山咋神
滋賀日吉神社高島市新旭町針江578鴨玉依姫命
滋賀日吉神社高島市今津町椋川708大山咋神
滋賀日吉神社近江八幡市安土町石寺1239
滋賀日枝神社彦根市上西川町251-1大山咋命
滋賀押立神社東近江市北菩提寺町356火産霊神・伊邪那美神
滋賀八坂日吉神社東近江市祇園町15須佐之男神 大山咋命
滋賀山王大宮神社犬上郡甲良町池寺37
滋賀岡本神社長浜市小谷丁野町810大山咋命
滋賀日吉神社長浜市湖北町小今77大山咋命
滋賀日吉神社長浜市湖北町二俣192大山咋命
滋賀日吉神社長浜市下山田1927大山咋命
滋賀日吉神社長浜市湖北町河毛1271大山咋命
滋賀日吉神社長浜市湖北町沢98大山咋命
滋賀小谷神社長浜市湖北町伊部329大山咋命
滋賀日吉神社長浜市高月町井口122
滋賀(この123番目のスペースを空白にする所も・・・・呪い咒術的な意味を感じました)
京都新日吉神宮京都市東山区妙法院前側町451-1大山咋神 大己貴神
京都日吉神社舞鶴市長谷小字森86大山咋神
京都日吉神社宮津市宮町1408大山咋神 大己貴神
大阪鶴見神社大阪市鶴見区鶴見3-13-76大山咋神荒魂
大阪日吉神社大阪市旭区赤川4-19-13大山咋神
大阪比枝神社大阪市鶴見区今津中5-5-23天照皇大神 大山咋神 大己貴神
大阪日吉神社高槻市古曽部町3-14-16大山咋神
大阪日吉神社羽曳野市西浦5-376大山咋命
兵庫日吉神社加西市池上町7大山咋神 大物主神
兵庫三王神社神戸市東灘区田中町2-2-1大山咋命
兵庫日吉神社姫路市大津区勘兵衛町2-62猿田彦命
兵庫日吉神社加西市段下町250大山祇神・大歳神
兵庫日吉神社神埼郡神河町比延245大山咋神 大汝命 少彦根命
鳥取日吉神社米子市淀江町西原767大巳貴神
島根日吉神社出雲市今市町1765大己貴命 大山咋神
広島日吉神社神石郡神石高原町高蓋592山末王主之神
広島山王神社尾道市因島中庄町463-2大穴牟遅神
山口日吉神社美祢市秋芳町嘉万大国主尊 大山咋命
香川日枝神社三豊市三野町大見甲2875大山咋命
香川日吉神社丸亀市飯山町川原1907大物主神・大山咋神
香川日枝神社三豊市高瀬町上勝間135大山咋大神・大己貴神
愛媛綾延神社西条市丹原町田野上方1443-1
福岡日吉神社久留米市日吉町106大山咋神
福岡日吉神社北九州市若松区東二島2-16-6大山咋神・大物主神
福岡日吉神社福岡市博多区山王1-9-3山王二十一社
福岡日吉神社嘉麻市上臼井1180
福岡日吉神社宮若市下1150大國主命 大山咋命
福岡日吉神社柳川市坂本町6大山咋神
福岡日吉社田川市糒632大山咋神 大己貴神
福岡日吉神社朝倉市杷木久喜宮1510国常立命・大物主命
佐賀仁比山神社神埼市神崎町的1692大山咋命
愛知県清須市の全体と、周辺一帯。
愛知県清須市清洲 2272番地にある清洲山王宮日吉神社と、周辺一帯。
https://t.co/cSamJEoMcz
愛知県愛知県清須市清洲2268‐1にある山王霊苑と、周辺一帯。
愛知県北名古屋市の全体と、周辺一帯。
愛知県北名古屋市鍛冶ヶ一色北襟地内にある山王五条川霊苑と、周辺一帯。
https://t.co/V2gpaoBEPB
当神社の宮司の管理する兼務社の鎮座地一覧です→この全地点と周辺聖地群史跡群水辺群山岳群山頂あたりが、今の危険予想地点です。
字名神社名鎮座地
西新町若宮八幡社北名古屋市西之保青野東
弥勒寺日吉社北名古屋市弥勒寺郷北
弥勒寺天神社北名古屋市弥勒寺北出
鍛冶ヶ一色八幡社北名古屋市鍛冶ヶ一色村内南
鍛冶ヶ一色素戔鳴社北名古屋市鍛冶ヶ一色高塚
北野神明社北名古屋市北野天神
法成寺八劔社北名古屋市法成寺蚊帳場
山之腰天神社北名古屋市山之腰五条
宇福寺天神社北名古屋市宇福寺天神
石橋八幡社北名古屋市石橋寺前
中之郷八幡社北名古屋市中之郷南
下之郷春日八幡宮清須市春日冨士塚
上之切縣社清須市春日県
中之切神明社富士社清須市春日神明
下之切天神社清須市春日天神
野田町神明社清須市春日野田町
朝日愛宕社清須市朝日小市場
朝日津島社清須市朝日河原
朝日厳島社清須市朝日河原
一場御園神明社清須市一場御園
一場浅間社清須市一場福島
西田中神明社清須市西田中本城
永安寺津島社清須市清洲永安寺
廻間八幡社清須市廻間郷裏
西市場迦具豆知社清須市西市場下傳馬
枇杷島八幡社名古屋市西区枇杷島
枇杷島神明白山相殿名古屋市西区東枇杷島町柳場
西清洲水天宮清須市清洲
田中町豊受神社清須市清洲
上本町津島社清須市清洲
中本町三社前清須市清洲
下本町山之神清須市清洲
https://t.co/WbD60ewIvR
「山王」を含む地名— 123 件
「山王」を含む町域名
赤崩山王浦(あかくずれさんのううら) 山形県米沢市
阿波町山王(あわちょうさんのう) 徳島県阿波市
上丸子山王町(かみまるこさんのうちょう) 神奈川県川崎市中原区
北嵯峨山王町(きたさがさんおうちょう) 京都府京都市右京区
甲陽園山王町(こうようえんさんのうちょう) 兵庫県西宮市
子生和山王町(こうわさんのうちょう) 愛知県稲沢市
山王堂(さんおうどう) 茨城県筑西市
山王(さんのう) 福岡県福岡市博多区
山王(さんのう) 新潟県三条市
山王(さんのう) 富山県下新川郡朝日町
山王(さんのう) 茨城県稲敷郡美浦村
山王(さんのう) 大阪府大阪市西成区
山王(さんのう) 秋田県秋田市
山王(さんのう) 福岡県北九州市八幡東区
山王(さんのう) 千葉県佐倉市
山王(さんのう) 茨城県取手市
山王(さんのう) 新潟県胎内市
山王(さんのう) 東京都大田区
山王(さんのう) 愛知県名古屋市中川区
山王(さんのう) 宮城県多賀城市
山王(さんのう) 福井県吉田郡永平寺町
山王(さんのう) 茨城県猿島郡五霞町
山王(さんのう) 茨城県結城市
山王(さんのう) 新潟県新潟市南区
山王下(さんのうした) 東京都多摩市
山王新田(さんのうしんでん) 新潟県新潟市南区
山王新田(さんのうしんでん) 茨城県つくばみらい市
山王新町(さんのうしんまち) 秋田県秋田市
山王島(さんのうじま) 長野県上高井郡小布施町
山王台(さんのうだい) 静岡県沼津市
「山王」を含む地名— 123 件
「山王」を含む町域名
山王町正面通三ノ宮東入(さんのうちょう) 京都府京都市下京区
山王町(さんのうちょう) 神奈川県横浜市南区
山王町(さんのうちょう) 京都府京都市上京区
山王町(さんのうちょう) 青森県弘前市
山王町(さんのうちょう) 群馬県伊勢崎市
山王町正面通木屋町西入(さんのうちょう) 京都府京都市下京区
山王町(さんのうちょう) 千葉県千葉市稲毛区
山王町(さんのうちょう) 兵庫県神戸市兵庫区
山王町正面通三ノ宮西入(さんのうちょう) 京都府京都市下京区
山王町(さんのうちょう) 兵庫県豊岡市
山王町正面通二ノ宮西入(さんのうちょう) 京都府京都市下京区
山王町(さんのうちょう) 岩手県盛岡市
山王町正面通木屋町東入(さんのうちょう) 京都府京都市下京区
山王町(さんのうちょう) 愛知県江南市
山王町室町通高辻上る(さんのうちょうむろまちどおりたかつじあがる) 京都府京都市下京区
山王町室町通仏光寺下る(さんのうちょうむろまちどおりぶっこうじさがる) 京都府京都市下京区
山王堂(さんのうどう) 埼玉県本庄市
山王通(さんのうどおり) 岐阜県関市
山王通西(さんのうどおりにし) 岐阜県関市
山王中島町(さんのうなかじままち) 秋田県秋田市
山王中園町(さんのうなかぞのまち) 秋田県秋田市
山王沼田町(さんのうぬまたまち) 秋田県秋田市
山王前(さんのうまえ) 福井県小浜市
山王町(さんのうまち) 富山県砺波市
山王町(さんのうまち) 石川県金沢市
山王町(さんのうまち) 群馬県前橋市
山王町(さんのうまち) 富山県滑川市
山王町(さんのうまち) 富山県富山市
山王町(さんのうまち) 山形県鶴岡市
山王町(さんのうまち) 石川県七尾市
「山王」を含む地名— 123 件
「山王」を含む町域名
山王山(さんのうやま) 茨城県猿島郡五霞町
山王臨海町(さんのうりんかいまち) 秋田県秋田市
聖護院山王町(しょうごいんさんのうちょう) 京都府京都市左京区
大雄山王(たいゆうさんのう) 秋田県横手市
大雄山王西(たいゆうさんのうにし) 秋田県横手市
大東町山王寺(だいとうちょうさんのうじ) 島根県雲南市
中野山王(なかのさんのう) 東京都八王子市
永田山王台(ながたさんのうだい) 神奈川県横浜市南区
永田町山王パークタワー(ながたちょうさんのうぱーくたわー) 東京都千代田区
南外山王台(なんがいさんおうだい) 秋田県大仙市
西山王町(にしさんのうまち) 富山県富山市
東九条西山王町(ひがしくじょうにしさんのうちょう) 京都府京都市南区
東九条東山王町(ひがしくじょうひがしさんのうちょう) 京都府京都市南区
東九条南山王町(ひがしくじょうみなみさんのうちょう) 京都府京都市南区
丸岡町野中山王(まるおかちょうのなかさんのう) 福井県坂井市
三国町山王(みくにちょうさんのう) 福井県坂井市
「山王」を含む地名— 123 件
「山王」を含む町域名
美郷山王(みさとさんのう) 徳島県吉野川市
水橋山王町(みずはしさんのうまち) 富山県富山市
渡田山王町(わたりださんのうちょう) 神奈川県川崎市川崎区
鳥取県西伯郡日吉津村(さいはくぐんひえづそん) の全体と、周辺一帯。
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「日吉」を含む地名— 90 件
「日吉」を含む町域名
新屋日吉町(あらやひよしまち) 秋田県秋田市
阿波町日吉谷(あわちょうひよしだに) 徳島県阿波市
厳原町日吉(いづはらまちひよし) 長崎県対馬市
今熊野北日吉町(いまぐまのきたひよしちょう) 京都府京都市東山区
今熊野日吉町(いまぐまのひよしちょう) 京都府京都市東山区
今熊野南日吉町(いまぐまのみなみひよしちょう) 京都府京都市東山区
小浜日吉(おばまひよし) 福井県小浜市
上尻毛日吉(かみしっけひよし) 岐阜県岐阜市
北日吉町(きたひよしちょう) 愛媛県今治市
五個荘日吉町(ごかしょうひよしちょう) 滋賀県東近江市
新日吉町(しんひよしちょう) 京都府京都市下京区
建部日吉町(たてべひよしちょう) 滋賀県東近江市
千代川町日吉台(ちよかわちょうひよしだい) 京都府亀岡市
鶴来日吉町(つるぎひよしまち) 石川県白山市
常呂町日吉(ところちょうひよし) 北海道北見市
那加日吉町(なかひよしちょう) 岐阜県各務原市
中日吉町(なかひよしちょう) 愛媛県今治市
西日吉町(にしひよしちょう) 岐阜県関市
日吉津(ひえづ) 鳥取県西伯郡日吉津村
東日吉町(ひがしひよしちょう) 岐阜県関市
日吉(ひよし) 富山県下新川郡入善町
日吉(ひよし) 愛知県新城市
日吉(ひよし) 福岡県八女郡広川町
日吉(ひよし) 北海道夕張市
日吉(ひよし) 新潟県小千谷市
日吉(ひよし) 熊本県熊本市南区
日吉(ひよし) 神奈川県横浜市港北区
日吉(ひよし) 福岡県古賀市
日吉ケ丘(ひよしがおか) 京都府福知山市
日吉倉(ひよしくら) 千葉県富里市
「日吉」を含む地名— 90 件
「日吉」を含む町域名
日吉台(ひよしだい) 広島県福山市
日吉台(ひよしだい) 宮城県富谷市
日吉台(ひよしだい) 大阪府高槻市
日吉台(ひよしだい) 滋賀県大津市
日吉台(ひよしだい) 福岡県北九州市八幡西区
日吉台(ひよしだい) 千葉県東金市
日吉台(ひよしだい) 千葉県富里市
日吉町(ひよしちょう) 群馬県前橋市
日吉町(ひよしちょう) 高知県南国市
日吉町(ひよしちょう) 岐阜県瑞浪市
日吉町(ひよしちょう) 兵庫県小野市
日吉町(ひよしちょう) 東京都府中市
日吉町(ひよしちょう) 埼玉県東松山市
日吉町(ひよしちょう) 愛知県名古屋市中村区
日吉町(ひよしちょう) 栃木県鹿沼市
日吉町(ひよしちょう) 兵庫県神戸市長田区
日吉町(ひよしちょう) 新潟県柏崎市
日吉町(ひよしちょう) 東京都八王子市
日吉町(ひよしちょう) 京都府京都市東山区
日吉町(ひよしちょう) 埼玉県所沢市
日吉町(ひよしちょう) 山形県酒田市
日吉町(ひよしちょう) 北海道苫小牧市
日吉町(ひよしちょう) 福井県大野市
日吉町(ひよしちょう) 東京都国分寺市
日吉町(ひよしちょう) 岡山県岡山市北区
日吉町(ひよしちょう) 北海道函館市
日吉町(ひよしちょう) 大阪府守口市
日吉町天若(ひよしちょうあまわか) 京都府南丹市
日吉町上胡麻(ひよしちょうかみごま) 京都府南丹市
日吉町神之川(ひよしちょうかみのかわ) 鹿児島県日置市
「日吉」を含む地名— 90 件
「日吉」を含む町域名
日吉町生畑(ひよしちょうきはた) 京都府南丹市
日吉町木住(ひよしちょうこずみ) 京都府南丹市
日吉町胡麻(ひよしちょうごま) 京都府南丹市
日吉町佐々江(ひよしちょうささえ) 京都府南丹市
日吉町志和賀(ひよしちょうしわが) 京都府南丹市
日吉町田原(ひよしちょうたわら) 京都府南丹市
日吉町殿田(ひよしちょうとのだ) 京都府南丹市
日吉町中(ひよしちょうなか) 京都府南丹市
日吉町中世木(ひよしちょうなかせき) 京都府南丹市
日吉町畑郷(ひよしちょうはたごう) 京都府南丹市
日吉町日置(ひよしちょうひおき) 鹿児島県日置市
日吉町保野田(ひよしちょうほのだ) 京都府南丹市
日吉町山田(ひよしちょうやまだ) 鹿児島県日置市
日吉町吉利(ひよしちょうよしとし) 鹿児島県日置市
日吉町四ツ谷(ひよしちょうよつや) 京都府南丹市
日吉原(ひよしばる) 大分県大分市
日吉本町(ひよしほんちょう) 神奈川県横浜市港北区 November 11, 2025
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