公共性 トレンド
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2025.12.08〜(50週)
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【企業が不祥事】
マスコミ「社長は早く記者会見しろ!!」「経営責任をどう考えているのか!?」「関係者の処罰はどうなっている!?」
【政治家が不祥事】
マスコミ「不正を認識していたのでは!?」「どうやって信頼回復するつもりなのか!?」「再発防止策はあるのか!?」
【マスコミが不祥事】
マスコミ「お詫びします」(極小記事)
マスコミの皆さんは、他者に対しては極めて高いコンプライアンス基準を求め、不祥事は峻厳に責任追及し、トップを引きずり出して自分たちの目の前で謝罪させるなど尊大に振舞うのに、自分たちの不祥事はシレっと削除/訂正し、小声のお詫びで幕引きですか。
しかも今般は深夜の震災という緊急事態中、「災害時はデマに注意!」と、あたかも自分たちは「公共性が高く信頼できる報道機関でございます」と言わんばかりの注意投稿をした直後のデマ報道でしたから、悪影響は甚大ですよね。
単なる誤報でも、メーカーなら製品回収・生産停止で行政処分が下るレベルの話です。それどころか今回のケースは、「まだ建設中で、一度も稼働したことがない原発」が「地震で稼働停止せず」と報じる悪質な捏造ですから、単なるミスで済ませたらダメなやつなんですよ。一体どんな取材・チェック体制を敷いているのか。
「大きな地震が発生しているのに原発が止まらないなんて! やっぱり原発って怖いんだ! 政府はこの事態を想定してないのか!? 支持率下げてやる!!」
という結論ありきで暴走してるようにしか見えませんね。こんなのもはや「報道」なんかじゃない。「捏造」であり「煽動」ですよ。どの口で「SNSにフェイク情報リスクが!!」なんて言ってるのか。恥を知れ。
ほれ、普段あなた方が厳しく要求してるように、自分たちの社長を出して謝罪させ、関係者の実名を挙げて処分を公表し、デマの元報道と同じだけ視聴者の目に触れるサイズの記事とニュース時間を割いて訂正しなさいよ。じゃないと不公平でしょう。
マスコミの皆さんは、こんな低レベルな捏造と煽動に費やすエネルギーを少しは「事実をありのままに報道する」ことに割いてほしいし、それができないならサッサと滅んでほしいですね。少なくとも軽減税率や電波利用料優遇はナシでいいです。 December 12, 2025
4,282RP
「嫌だからやめて」が倫理として成立しないのは、感情がそのまま規範に昇格してしまう危険を無視しているから。
多くの人はこのフレーズを“個人的なお願い”ではなく“普遍的に守るべきルール”のつもりで口にするけど、もしそれを一般化した途端、社会はあっという間に破綻する。
なぜなら、
全員が「嫌だから」を根拠に他者を制限できる世界では、数と権力を持つ側の感情がそのまま弱者への抑圧装置になるから。これは歴史的に何度も実証されていて、同性愛や異文化やオタク文化が迫害された根拠もだいたい“なんか嫌”だった。感情は普遍化した途端に差別の温床になる。
自由主義国家で行動が制限されるのは、あくまで“具体的な危害”がある場合だけ。嫌悪感は危害ではなく、せいぜい不快という主観的反応にすぎない。だから「嫌だから」は、他人の自由を制限する正当な理由としては弱すぎるし、そもそも公共的な説明が成立しない。
倫理って本来、“そのルールを全員に適用しても破綻しないか”を考える作業なのに、「嫌だからやめて」を倫理だと信じているのは、子どもの道徳をそのまま大人の世界に持ち込んでいるだけに見える。
大人が使うべき倫理は、普遍化可能性と危害原則と公共性。最低でもこの三つが揃って、ようやく他人の行動に口を出す資格が生まれる。
結局「嫌だからやめて」って、倫理でも正義でもなく、ただの“自分の感情を世界に最優先させたい”という主張なんだよね。
それが通れば、自分もいつか誰かの「嫌いだから」という理由で排除される側に回る。明日は我が身。 December 12, 2025
759RP
伊藤詩織さんの映画は、被害者らしい被害者像がすごく描かれている映画だと思いました。詩織さんが自分をどう描きたいかがよく伝わってくる映画だというのが感想です。
ケアされないままでいる、誰もケアしてくれない社会の中で、みんなが敵に思えて、自分を認めて欲しいと思っている。暴力にさらされ
た人がそう思うようになっていくことはよくあることで、当然ともいえる反応で、修正前の映像ではよりそれを感じました。
事実がどこにあったかではなく、自分がどう思ったかを描いた「日記」なんだ、と。
この映画が公共性のあるものだとは思いません。
映画では許可されていない映像や事実を歪曲して捉えられかねない表現があり、人権侵害が元弁護団から指摘されてきました。
そこに詩織さんが向き合わないまま、初日のアフタートークでは、元弁護団から事実に基づかない発信がなされているとか、話し合いを拒否されたと主張していることは驚きました。
実際には元弁護団から、映画の修正や海外で継続されている無修正版について度々説明を求められていたのを無視して、公開まで返答しなかったからです。
映画を見て、被害を訴える側が声をあげることで攻撃される、あなたは悪くないと誰も言ってくれない、そういう社会に対する絶望感が、ああいう表現を詩織さんにさせているんだと思いました。特に、修正前のバージョンではそれを感じました。
許可されていない人の顔や発言を、準備の上隠し撮りされたものを、いくつも自分のために利用していたからです。
詩織さんは映画では、ジャーナリストとしてこれを公表すると語っていました。しかし、初日のトークイベントでは、これは映画監督として作ったのでジャーナリズムとは違うと言っていました。話を変えています。
それなのに、映画に「公共性がある」とも言っていてめちゃくちゃなのですが、ジャーナリストとして、監督として、被害当事者として、どの立場から映画を作ったとしても、他の誰かの人権を傷つけたり、その指摘に誠実に向き合わなくていいということにはならないです。
元弁護団からの質問に答えないまま倭国公開に踏み切ったこと、また海外では無修正版を流し続けていることは問題であり、残念です。
詩織さんは指摘されている問題、自身の加害者性に向き合う必要があるし、周りの人はそこから目を背けることではなく、向き合うことをサポートするべきで、それが真の人間関係だと思います。
自分のすべてをいいねと言ってくれる人しか周りに置きたくないという時期があることも理解しますが、
私は、出会う少女たちが、もし同じことをしていたら、もし人を尊重しないことがあれば、相手が性暴力の被害者であっても、未成年の少女たちであっても指摘します。
でも今は、それに向き合える状態ではないのだろうと思いました。自分のしたことから目を背けると決めたのだとトークイベントを見て思いました。向き合うためには、社会や他者や自分への信頼や安心感など、そのために必要なものがないと難しいため、仕方ないのかもしれません。
そういう状態の当事者を、十分なケアがないままこれまで、これだけ前に出してもてはやしてきた、ヒロインとして、ジャーナリストとして盛り立ててきたメディアと社会の責任もあると思います。
映画の中でも、「当事者に無理をさせたくない」、頑張らせないようにしたいという、他の国の支援者の発言が取り上げられていました。
詩織さん自身も語っているように、自分はジャーナリストだと思うことで、そこに救いを求めるようにして、自分に向き合わないようにしていたといいます。それが今も続いているのだと思います。
私は、この映画に公益性があるとは思いません。詩織さんが、「自分が救われたかったから作った」と言えたらいいのに、と思いました。
だからと言って誰かの人権を踏み躙っていいわけではないけれど、自分のためにやったんだと言えばいい。その上で責任を取ればいいのに、これをジャーナリズムだと言ったり、いち被害者としてと言い換えたり、映画監督として作ったなどと、都合よく話を変えていくのは本人のためにもならないと思います。
自分のことをわかってほしかった、公共のためでなく自分のためだった、それを言えた時に、また自分の傷や状態と向き合って回復の一歩を踏み出せると思うのです。それを言わせない社会の持ち上げ方にも、問題があると思います。
社会の求める理想の被害者像やヒロイン像が、彼女を自分に向き合えなくさせていると思います。
そこに被害当事者がすがらなくても良いように、それだけのサポートがある社会にしなければと思っています。
望月さんの番組では、もう少し詳しく話しています。 December 12, 2025
288RP
この手のアニメの美少女表象をモチーフにした広告炎上が後を絶たない。残念なのは、毎回「性的で気持ち悪い」「それは考えすぎ」という感情的な話に終始して、ちっとも議論が深まらないこと。そして忘れた頃に似たような炎上が起きる。
本質はそこではない。
アニメの美少女表現は、基本的には男性目線で作られてきた。それを広告という極めて公共性の高い場で再生産することの妥当性が、ここでは問われている。
詳しくは拙著『クリエイティブ・エシックスの時代』にも書いた。一部無料公開しとるので、この機会にぜひ読んでほしい。この視点なしに広告に携わることは、今やリスクでしかない。
https://t.co/q8R82Zow8z December 12, 2025
213RP
@satoshi_hamada 浜田先生取り上げてくださってありがとうございます。
取材も確認も無く、公共性のある新聞に堂々と記事を書けるなんて、まったく責任感ない感じ。
びっくりしました。 December 12, 2025
114RP
昨日の徳島では、吉川沙織参議と高橋永衆議、徳島県連の皆さんとともに、南海フェリー㈱との意見交換、対話集会に臨みました。
航路は「海の道」。利用者減少や合理化の限界の中でも、地域と一体となり、災害時の代替機能を担う公共交通として、使命感をもって守られている現実についてお話を伺いました。人口減少で地域交通が細る中、公共交通の公共性を、自治体任せではなく国として支える視点が必要だと感じます。
対話集会では、外交・安全保障でのブレーキ役の必要性、公立病院の深刻な経営難に加え、高校2年生から「地域に公立図書館がなく、学ぶ環境を政治で支えられないか」との率直な声もありました。若い世代の意欲に応える環境整備、地域の命と暮らしを守る責任。その一つ一つを政策につなげていきます。
またこの日は、徳島ヴォルティスと、私の地元・ジェフユナイテッド千葉が、J1昇格をかけてプレーオフ決勝を戦った日でもありました。アウェイにも関わらず、温かい拍手と、真摯な質疑をお寄せいただいたことに、心から感謝します。
#地域交通 #地域医療 #次世代への責任 December 12, 2025
102RP
🌟【新着レポート】🌟
韓国家庭連合が発表した「謝罪と革新計画」。
しかし…
この文書の本質は“単なる謝罪”ではありません。
今回の声明には、
✔ 組織責任の明確化
✔ 政治的中立の制度化
✔ 外部監査の導入
✔ 公共性の強化
という、今後の行方を左右する重大ポイントが含まれています。
特に重要なのは、
「個人の逸脱を見抜けなかった管理責任」を組織自ら認め、
“透明化と改革”に舵を切ったこと。
なぜ今…
この声明が出されたのか?
どこに核心があるのか?
信徒の立場をどう守ろうとしているのか?
ジャーナリスト☆デヴィッドが
わかりやすく要点を整理しました。
👇詳しい記事はこちら
https://t.co/L852TRogyS
宗教に関心がない方でも理解できるように、
誤解の原因となりやすい部分も丁寧に解説しています。
ぜひご一読ください。
…………………………
🔶【引用参考資料】
こちら → https://t.co/p8quw3x1nv
………………………… December 12, 2025
94RP
@yukio8494 真面目に反論しようとしたら自己のブログ記事への誘導だった
勘弁してくれ
監督が疑義を呈しているのは「アニメという趣味性の高いメディアが公共広告へ『流用される事で発生する作品自体への明度の低下』することへの懸念」であり。
アニメ広告の公共性を問いただしたわけじゃないでしょ。
卑怯だぞ December 12, 2025
49RP
ハーバーマス『公共性の構造転換』を実に30年ぶりくらいに再読。よく批判される、18世紀における公共空間の成立(文芸的公共性→政治的公共性)の理想化はさておき、昔読んだ時も、この本のよいところはむしろ、20世紀の福祉国家体制及びマスコミ・文化産業の隆盛のもとでの公共空間=市民社会の自律性の喪失についての批判的記述だと思ったし、今回もその印象に変わりはなかった。
アドルノ・ホルクハイマーのあとで、何かポジティヴなことを言わなければならないとハーバーマスが思っていたのはわかるような気がするが、むしろここまで福祉国家体制下の公論・公共空間の変質をよく見た上で、どうして改めて「批判的公共性」に期待をかけられるのかがわからない。
久しぶりに読み直して、唯一発見だと思ったのは、18世紀から20世紀までの幅で、英仏独を股にかけて、公共性の史的変遷の理論的図式を提示するこの書物に、徹底的にナチズムの経験についての言及が欠落していることだ。ハーバーマスがナチス体制を一種の福祉国家体制とみなしていたとすれば、それはそれで考えるに値すると思うが、どうなのか。ナチスの時代ほど、世論操作と批判的公共性の弾圧・没落が顕著な時代はなかったように思うが、それについて(例外状態として?)沈黙してやり過ごすとはどういう了見なのか。 December 12, 2025
46RP
論点をずらしたコメントがついているので補足すると、個人的な映画だから公共性がない、という意味ではなく、私は、この映画に詩織さんの主張する公益性があるとは思いません。被害者がどんな孤独や辛さを経験するのかを表していてそれを知るという意味では理解できますが、
問題とされた映像の使用などについて、そしてこの映画について、公のためでなく、詩織さんが、「自分が救われたかったから作った」と言えたらいいのに、と思いました。 December 12, 2025
40RP
自治体がはっきりと回答してますよ。
たとえば、モンテディオ山形がNDソフトスタジアムを使うときは減免率100%ですが、
これについて、山形県は
「都市公園の使用料については、山形県都市公園条例に基づき、広域的なスポーツの大会や競技会、都市公園の効用を著しく高める催し等に該当する場合に全額免除することとしています。NDソフトスタジアム山形は、県の都市公園である県総合運動公園内の施設です。モンテディオ山形のJリーグ公式戦については、モンテディオ山形が本県を本拠とするプロスポーツチームであり、県民に対するスポーツの普及と地域活性化に大きく寄与していることや都市公園のPRにつながることから、都市公園の効用を著しく高める催し等に該当するとして減免を行っているものです。」
と回答しています。
https://t.co/ID4SNhe2YD
早い話、県の公共性の高いイベントだから使用料タダ!
以上! 文句はすべて却下!
ってことです。 December 12, 2025
40RP
長い文章だけど仁藤さんの論点は
①この映画は詩織さんの日記だから公共性はない。
②許諾のない映像使用=人権侵害。
③詩織さんは被害者・記者・監督と言う立場を都合よく使って一貫性がない。
④詩織さんは自分の加害性に向き合ってない。→ https://t.co/2inhgaiMjA December 12, 2025
38RP
韓国、高速鉄道二社を統合して「分割民営化」を阻止。倭国とは逆方向 △🔺🔺🔺韓国政府が韓国鉄道公社(KORAIL)とSR社に分離された高速鉄道を来年末までに統合すると明らかにした。保守政権で推進された鉄道競争体制が約10年ぶりに廃棄されることになる。サービス効率性を…
…高める目的で鉄道運営を分離したが、年間数百億ウォンの重複費用発生など否定的効果がさらに大きかったという判断からだ。
イ・ミョンバクとパク・クネが鉄道民営化に向けて無理にKTXとSRTに分割したが、競争という美名の下に大型資本を参入させて美味しい思いをさせ、結局は鉄道公共性を弱化させた。鉄道労組の10年間の戦いが実を結んだと言える。
採算に合わないと切り捨てられた地方、永遠に作り続けると言っているリニア事業など、国鉄を分割民営化して数十年を経た倭国の現状を韓国政府はベンチマーキングしたのかもしれない…
https://t.co/jRJmvmMHqX December 12, 2025
32RP
@komukaepapa 昭和の判決で「多数の国民の日常生活に必要欠くべからざる、多分に公共性を伴う厚生施設である」ってありますもんね
昭和では「治安的影響」があるから保護するけど
平成では各家庭に風呂が普及してきたので「国民の健康福祉」の増進のためにと
国が銭湯をどう見てるかの変遷が面白いですよね December 12, 2025
26RP
@sharenewsjapan1 NHKは強制的に受信料を徴収して自分達は高収入を維持している…
自称公共放送局と言っても余計な放送も多いよね、公共性のあるニュース、国会中継、政見放送、災害速報は無償にして、それ以外の番組はスクランブル化して有料放送にするべきでは?
それが公共放送局の務めってもんじゃないかな(¯―¯٥) December 12, 2025
25RP
昨日の産経新聞書評欄で、『戦争の美術史』を取り上げていただきました。
「古今東西の戦争と美術の関係を概観しながら、その中に倭国の戦争美術をも位置付けようと試みる意欲作」
「戦争美術が持つ公共性に光を当てた一冊」
とあります。
「戦争」という言葉を使わなかった展覧会「記録をひらく 記憶をつむぐ」(国立近代美術館)をご覧になった方も多いかと思います。
戦争画は、大きな、そしてたいへんむずかしい主題ですが、この本ではその実際の様子をなるべくお伝えしたいと思い、ほぼカラー図版でご紹介しています。
https://t.co/lLb5UGglGZ December 12, 2025
17RP
何百回も言ってる気がするけど、
つーぶろの活動方針って「ゲームの楽しさを伝える」っていう、最初からリスペクトと奥ゆかしさと責任と公共性と利他性が含まれてるもので、いわば誠実でなければ成立しないコンテンツで、それを15周年迎えるまで失速することなく続いたっていう事実がすべて尊い December 12, 2025
16RP
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①単純な階層意識 /差別意識
②単純な二項対立
③単純な自己物語化
①+②+③ が生み出す
「メルトダウンする倭国人の
頭の中の構造」
(1) 単純な階層意識(帝国の残骸)
①世界は「上か下か」でしか把握できない。
②自己評価は常に外部比較/依存。
③西洋への劣等感 +アジアへの優越幻想=ねじれた自己認識。
④近代主体が育たず、“相対的位置”/集団における自分の位置だけが自我の支えになる。
(2) 単純な二項対立(冷戦の亡霊)
①善/悪、自由/不自由、民主/専制という「わかりやすい物語」
で世界を読む。
②西側=正義という思考停止が
ほぼ固定化。
③同時に、欧米への依存と反発が混ざり、“信じたい正義”を外部に丸投げする構造
④絶望的な外国語能力、倭国社会で必要とされない、単なる評価軸
(3) 単純な自己物語化
(SNSの大本営化)
①情報は「自分が心地よい物語だけを採用」→フィルターバブル
②不都合な現実は排除され、“欲望に従う認知”が進行。
③事実より「気分が正しい」
という社会心理が形成。
(1)+(2)+(3) =メルトダウン
1. 階層(上/下)
2. 二項対立(善/悪)
3. 自己物語(好き/嫌い)
本来必要な①中間領域、②複雑性、③グラデーション、④トレードオフ、⑤歴史的連続性、⑥他者との関係性といった思考領域が 、完全に溶け落ちる(メルトダウン)。
メルトダウンの結果=アノミー(無連帯)の増大=規範の喪失
●上/下 だけを見る → 他者を仲間と見なせない
●正/邪 だけを見る → 異論が「敵」になる
●好き/嫌い だけを見る → 共同性が失われる
社会的連帯の基盤である、
ルール、公共性、合意形成、他者の尊重や多様性の承認が機能しなくなる。今後、倭国経済しかり政治、社会が上向く事はあり得ないとわかる。 December 12, 2025
15RP
⑤回復途上の当事者を、ヒロイン化や象徴化してきた社会やメディアの問題。
大体こんな主張かな。
さて①は、作品の公共性の有無を誰が決めるのか?問題だね。
断定する権限は誰にもないよ。
当事者が自分の被害と司法・警察・メディアの構造を描いた作品である事実に変わりはない。
→ December 12, 2025
14RP
グレッグ・ルキアノフ&ジョナサン・ハイト『傷つきやすいアメリカの大学生たち』西川由紀子訳。
この本の要点は、
1.脆弱性のエセ真理:困難な経験は人を弱くする。
2.感情的決めつけのエセ真理:常に自分の感情を信じよ。
3.味方か敵かのエセ真理:人生は善人と悪人の闘いである。
この3つの信念が若者をだめにしているといものだ。
体験ブームは良い面もあるが、困難な体験を自ら進んで(金を払って)得ようとする者は少ない。だから体験は偶然性を前提に受け止めることに重きを置かないといけない。訪れるすべての体験を人生を良きものとするために展開させる。だから一番は「可愛い子には旅をさせよ(そしてその体験に寄り添え)」となる。
二つ目は宮台さんの言うように「(お前の)快・不快(の感情)に公共性はあるのか」を問い続けなければならない。受容することとすべてを(意図せず)肯定的に受け止めてしまうことはまったく違う体験を若者に授ける。だから気をつけなければならない。
三つ目は、すべてを敵味方図式で捉えることを正義だと勘違いしてしまうこと。だから共通の前提、プラットフォームを守ること、つまり公共性を常に話題にしなければならない。
Netflixドラマ『アドレセンス』は、これらの間違った信念を、実は青年たちは苛立ちを持って受け止めていると描いた。人生に苦難はつきものだし、今のままでいいはずはない。人はお互いが平和に仲良く暮らせるということを諦めなくてもいいはずなのになんでだろう。 December 12, 2025
13RP
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