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2025.12.01〜(49週)
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明治5年12月3日、倭国は太陽暦へと切り替わりました。
約1カ月前に突然政府から発表された改暦ですが、経緯の詳細については不明な点も多いです。
当時を知るための貴重な資料として啓蒙思想家・中村正直の書簡が残されています。
https://t.co/6w2kN18KCp
#国立国会図書館月報 https://t.co/2Jd7LSsp5H December 12, 2025
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中村正『脱暴力の臨床社会学』(人文書院)めちゃくちゃ面白い。「男は反省するが悩まない」「男性加害者は自らの暴力を饒舌に語るが加害性には無自覚」等!加害者臨床に基づく脱暴力のアプローチは、男性学や男性ジェンダー研究にとって必須に思われる…男性的な「暴力の文化」をどう変革していくか? https://t.co/dEOEmXezae December 12, 2025
32RP
色々用事ができ、現代民俗学会に参加できなかった。ショック...。とはいえ、用事の合間に読書ができたのでメモ。中村正,2025,『脱暴力の臨床社会学』人文書院. 本書は、親密圏の暴力加害者に対し、個人の責任と社会の暴力文化の双方を問う「臨床社会学」を提唱しています。男性性の脱学習 https://t.co/Dv95WJq7jJ December 12, 2025
敬天愛人
https://t.co/yaPMMKoI2N
敬天愛人(けいてんあいじん、英: Revere Heaven Love Man)とは、明治時代の啓蒙思想家、中村正直の造語で、天を敬い人を愛すること。
明治元年に著した「敬天愛人説」で初めて使われた。
キリスト教の「神」を儒教の「天」によって理解しようと試みた所産である。
中村正直の学んだ中国や倭国の儒学在来の敬天思想が、新しくキリスト教の「愛神」の思想に接触して、これを摂取し、深く感化されて「敬天愛人」へと結実したものと考えられるーWikipedia
【イエスは答えられた、「第一はこれである、『イスラエルよ、聞け、主なるわれわれの神は、ただひとりの主である。
心をつくし、精神をつくし、力をつくして、主なるあなたの神を愛せよ』。
第二はこれである、『自分を愛するようにあなたの隣人を愛せよ』。
これよりも大いなる戒めは、ほかにない」。】
マルコ12:29~31 December 12, 2025
https://t.co/GCUsTLIhKQ
地図には載らない神奈川の秘密の村。中に入ったら別世界だった…
ecoばかクリエイション #AI要約 #AIまとめ
ギフト経済で運営されるバグ村の仕組み
🔳バグ村訪問の目的
動画投稿者の森さんが、神奈川県にあるエコビレッジ「バグ村」を訪れ、村長で起案者の企業家・投資家中村正弘さんに、オフグリッドとギフト経済で運営される村の実態を取材する。
🔳雨水利用とオフグリッド設備
5000Lの雨水タンクに屋根の雨を集め、市販フィルターとポンプで浄水してゲストハウスの水を賄う。森さんが過去に失敗した雨水利用と違い、タンク水は臭わず、水質検査でも水道水より純粋に近い結果が出ており、フィルター性能と運用が鍵になっている。
🔳ソーラー電力と見える化されたインフラ
建物は屋根一体型のソーラーパネルで発電し、蓄電した電力でエコキュートなどを動かす完全オフグリッド仕様。モニターで発電量や蓄電残量が可視化され、配管や電気の経路もあえて見えるようにし、どこで作りどこへ届くか住人が理解できる設計になっている。
🔳ローテクとハイテクの融合した空間
コンポストトイレや土の建築「土の小屋」、焼杉と墨で仕上げた外壁、煙突効果を利用した自然換気など、昔ながらのローテク技術と最新のソーラーパネルやスマート制御を組み合わせた実験的なフィールドとして運用されている。
🔳大学との協働と里山整備
早稲田大学や法政大学の建築研究室の学生たちが土壁小屋や構造物のワークショップを行い、芝張りなども担う。周囲の森は林業者や地元住民と協力して手入れし、薪ストーブ用の燃料として活用するなど地域資源の循環も重視している。
🔳長屋型住宅とギフト経済のコンセプト
バグ村には長屋形式の住宅があり、商品や家賃の「価格設定」をしないのが特徴。利用者は感じた価値を金銭や労働、将来のコラボなど自由な形で「感謝」として返し、受け手側が価値を決めるギフト経済で村全体を運営している。
🔳家賃ゼロと卒業前提の居住システム
長屋の住人は家賃契約ではなくコンセプトへの共感を前提に無償で住み、原則2年で「卒業」する仕組み。藤野エリアへの移住のファーストステップとして機能し、将来は長屋出身者が地域に数百人単位で広がることで、金銭以上のソーシャルキャピタルを生む不動産投資と位置づけている。
🔳新サービスユネクストとキャリアデザイン
中村さんは別事業として、自分の生き方・働き方を棚卸しして言語化するキャリアデザインサービス「ユネクスト」を開始。20〜30代を中心に、人とAIとサポーターの三者でセッションを行い、約10万円で将来のビジョンシートを作成するプログラムを提供している。
🔳森さんの感想と今後の展望
資本主義を駆け抜けた中村さんがつくる「価格のない村」に触れた森さんは、ギフト経済の発想と長屋の仕組みに強い衝撃と悔しさ、やる気を感じ、自分もビレッジづくりに挑戦したいと決意を新たにする。最後に視聴者へ「村づくりに適した土地情報があれば教えてほしい」と呼びかけて締めくくる。 December 12, 2025
『サブウェイ・パニック』の中村正さんのロバート・ショウの吹き替えを見て思ったんだけど、中村正さんの悪役演技の時の声って、声質自体はいつもの中村正さんにしか聞こえない筈なのに、それでいて(知的な)悪役らしさがしっかり出てる声や演技が本当に凄すぎるのが素敵。 December 12, 2025
懐かしいヤツが夢に出て来た。昨夜、俺たちの旅を見ながら寝たからか?酔うと、中村正敏の「俺たちの旅」を色気たっぷりに歌うヤツで。本人は、中村雅俊というより。京本政樹みたいな色男で。一緒に遊びに行くと、いつの間にか逆ナンされてる様なヤツで。今頃、どこで何してんのかなぁ? December 12, 2025
中村正先生の男親塾の研修を受けた。家族に対する加害の認識があるのか?という話が印象に残る。確認しているつもりで、子どもの屈辱感、絶望感を見ようとしていない事が起きていると感じる。起きた事に向き合うための最初の一歩を無意識に避けているのかも知れない。対話へのスタートはここからかな。 December 12, 2025
#東海地区現代俳句協会
第21回現代俳句全国大会&楽しい懇親会が11/30にありました
移住する実家の裏や赤のまま
選者 有本仁政さん三席
濡れ色の夜の縁側月鈴子
選者 中村正幸さん並選
星月夜研磨工場のうすあかり
選者 有本仁政さん並選
地球儀へ矢印シール夏休
選者 村山恭子さん並選 December 12, 2025
江戸時代の倭国がいかに優れていたか。
和算が、江戸時代に倭国で独自に発達した「数学」であることを知っている人は結構いると思いますが、私達の身近な所にある「算額」が、その発展に重要な役割を果たした貴重なものであることを知っている人は少ないでしょう。また、実際に算額の実物を目にした人も少ないのではないでしょうか。
算額は和算を楽しむ人が、数学の問題を絵馬にして神社仏閣に奉納したものです。初めは「難問が解けることを祈願し」また「解けたことを感謝し」問題のみの額を奉納しました。次に、これを見て解けた人が、その解答と新たな問題を同じ所に掲げました。これは誰でも、いつでも見られますので、うわさがうわさを呼び全国的に広がり発展しました。禄から文政の時代(1690~1880)に盛んで、算額は「問題・答・術」の形式になり「自分の学力の向上」や「一門の繁栄を祈願」しての奉納へと変わっていきました。また、人々が多く集まる神社仏閣への奉納は、和算家(専門家)にとって自分の学力の発表(誇示)の場となり、一般の人々にとっては格好の学習の場となりました。
このように算額は一般の人々の数学への関心を高めると共に、数学愛好者を地方へ広める貴重な役割を果たしました。全国的に算額奉納の習慣が盛んになった背景には、素晴らしい専門家とその数学書がありました。倭国の数学は、古くは仏典と共に中国から入り、暦、建築・土木を中心とする実用数学として伝わってきました。室町時代に商業が盛んになると、中国よりソロバンが伝わり、江戸初期に、その学習書として『善』(毛利量能)が出版されました。これが倭国の数学書の始まりであり、「和算」の始まりであるといわれています。そして、寛永4年(1627)に毛利重能の高弟の青田発省が、仮名交じり文と多くの挿絵を入れた『難能』を出版しました。この数学書は、数学遊戯とよばれる面白い問題や実用的な数学を載せました。その結果この本はベストセラーとなり、多くの類本が出たため、寛永
8年(1631)に自筆署名を付けた『新編塵劫記』を再版しました。その巻末に「自分の実力を試して見よ」として、12題の問題を載せました。これがきっかけとなり、数多くの「12題の解答と新たな問題」を掲載した数学書が出版され、素晴らしい専門家を生みました。
和算が盛んになるにつれて難問を競うようになり、100次を越える方程式が現れるまでになりました。
これらの難問を一気に解決したのが関和です。その著『発徴算法』で、それまで方程式を算木と算盤を使って解いていたものを筆算で解けるように改良発展させ、現代の代数に匹敵する「気設術」を編み出しました。そして、関和の弟子は増え「関流」を組織し、和算の主流をなしました。関流以外にも、
東北に広く伝わった「袋主](会田交明)、関西では「詫間流」(銀田俊清)など多数の流派が競いな
がら発展しました。
ここ伊佐波神社には、関流の流れを汲む和算家たちが松山で流派を作り活躍し、思いを込めて奉納した算額が22面あります。一つの神社にこれ程数多く残っているのは全国でもここだけです。現在は見ることはできませんが、昭和40年、回廊に22面の額を見たときの感動は今でも忘れられません。特に、
大佐兵衛の額は、当時全国のハイレベルな算額を集録した数学書『続神壁算法』(藤田諸書文化3年(1806))に掲載されており、彼が全国の一流の和算家と認められていた証しであり、しかもその額はそれに掲載されている中で現存する唯一の貴重な額であります。その他「一門の繁栄を祈願」して奉納したと思われる山崎喜右衛門とその門人の額、弱冠数え年11歳で奉納した高阪金次郎の額、昭和に奉納した中村正教の額に至るまで脈々と続いてきました。伊佐爾波神社は算額の数はいうまでもなく、奉納者や内容も豊富なことから「算額の宝庫」といわれ、全国に知られています。
#倭国
#弥栄
#ありがとうございます December 12, 2025
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