メーテル トレンド
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2025.12.02 06:00
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みなさん、ごぶさたしてます。
ひさしぶりに、メーテルです。
水彩パレットで仕上げましたが、雰囲気が出ているでしょうか。
さて、今回も無駄話に付き合ってください。
みなさんは、大切な人を喪ったとき、
その深い悲しみを、どうやってやり過ごしてきましたか。
自分はいま、喪失感の中にいます。
木の葉が風にさらわれるように、心の支えがひとつ消えてしまったのです。
私事でも頭を抱えることがつづき、
以前なら「こうすればいい」と確かな光をくれた親友Mは、
いまはもう天のどこかへ旅立ってしまった。
そのせいか、今の自分は、暗闇のなかに立ちすくんでいます。
Mは、自分で
「病気の総合デパートみたいな身体だ」
と笑うような人でした。
高校生のころから喘息でいつも青白い顔をしていたのに、
誰よりも人のことを想い、冗談を絶やさなかった。
大人になってもつきあいは続きました。
自分が30を過ぎたある年、精神科で働いていた自分は
仕事の重圧に押しつぶされ、ついには鬱病で休職しました。
布団から起き上がれず、汗ばんだ手で携帯を握り締めてMに電話すると、
彼は、あろうことかこう言ったのです。
「……よかったじゃないか、銀次郎。」
一瞬、耳を疑いました。
けれど続く彼の言葉は、あまりにもまっすぐでした。
「これでさ、患者さんたちの気持ちがわかったんだよ。
お前はもうひとつ、優しさを手に入れたんだ。」
それを聞いたとき、自分はふっと心の奥で灯りがともるような感覚を覚えました。
彼が言いたかったのは
苦しみも、孤独も、絶望も
人が優しさに辿りつくための、静かな階段だということ。
病んだ人は健康の尊さを知り、
孤独を知る者は、人のぬくもりを深く理解する。
きっと
そういうことだったのでしょう。
Mが旅立って二年。
いまでも彼の言葉を胸の裏側で反芻する日が続きます。
「……苦しみはいつだってチャンスの窓口だ。」
彼はそうも言っていました。
その最中にはわからなくても、
嵐の雲が去ったあとで、
「ああ、こういうことか」
と気づく瞬間が、人生には何度もありました。
でも、もう彼はいない。
「こういうとき、Mならなんと言うだろう」
その問いに答える声は、もうどこにもない。
けれど
秋風に揺れる枝の間から、
聞こえないはずの声がふっと返ってくる気がするのです。
「……俺がいなくても、大丈夫だろ。」
彼はきっと、今の自分に
「別れ」
を教えている。
落ち葉が舞い、渡り鳥が空へ旅立つこの季節のように。
すべての命は移ろい、どこかへ帰ってゆくのだと。
だからこそ、出会いは奇跡であり、
別れはその奇跡をそっと抱きしめる儀式のようなものなのかもしれません。
Mは生前、こんなことを言っていました。
「……死とは宇宙と一体になることだよ。」
この言葉を、いま噛みしめています。
宇宙は遠くて、しかしどこかで必ずつながっている。
松本御大の言うように、
“遠い時の輪は、必ずどこかでひとつになる”
そう思えば、Mともまた、どこかで会えるような気がするのです。
季節の輪が巡り、落ち葉が土へ還るように。
そんな気持ちを抱えながら、
今回はこのメーテルをつくりました。
秋風のように静かで、どこか遠い星の光をまとった、ひとつの祈りとして。 December 12, 2025
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