メガラ トレンド
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◆ネオコン:ファザーから学ぶ元祖【外交・国際関係論】
ペロポネソス戦争11 1-11
【NO11】The Athenian Response(アテナイの対応)
https://t.co/0TTGZkkQu4
ケーガンの第11章は、紀元前431年5月25日のスパルタ正式宣戦布告からわずか10日余りで、アテナイが驚異的な速度と団結力 ペリクレスがほぼ独断で
「戦争国家」
へと完全転換する過程を、ほぼリアルタイムで追うクライマックスである。
トゥキディデスはここを断片的・淡々と描いているが、ケーガンは議事録の断片・碑文・財政記録・港湾施設の遺跡・避難民の記録まで動員し、「民主政が史上最も効率的な戦争準備をわずか数日で完了させた瞬間」を克明に再現する。
1. 宣戦布告の報が届いた瞬間(431年5月27〜28日)
スパルタ使節がアテナイ近郊で門前払いされた直後、騎馬急使がピレウスに到達。
ペリクレスは即座に臨時市民集会を招集(通常は40日前の予告が必要だが、緊急動議で即日開催)。
群衆は驚くほど静粛。誰も叫ばず、誰も泣かなかった。
「もう覚悟はできていた」(ケーガン)
2. ペリクレスの「10日間戦争準備計画」(5月28日〜6月6日)
ペリクレスは議場でたった一度だけ演説し、以下の10項目を一挙に可決させた(史上最速の議決記録)。
総動員令(18〜60歳全男性の即時招集)
艦隊300隻の即時出渠・乗員補充(うち戦闘可能200隻)
長壁内への全農村人口避難命令(推定12〜15万人)
家畜・農具の長壁内搬入許可(後日、食料危機を防ぐ決定的措置)
国家備蓄金1000タレントンの即時解封(通常はアテナ女神専用)
ピレウス・港湾の完全軍事封鎖(民間商船一時停止)
敵国人(メトイコイ含む)の財産没収・追放準備
プラタイアへの増援即時派遣(重装歩兵1000+弓兵500)
ペリクレスに「無制限戦争権限」を付与(事実上の独裁)
全市民に「1年間は一切の祭り・演劇を中止」宣言
→ 驚くべきことに、これらすべてが1回の集会で満場一致で可決された。
3. 避難の実際(6月1日〜15日)
アッティカ全土から15万人近い人間・家畜が長壁内(アテナイ+ピレウス間約8km²)に殺到。
神殿・劇場・公共施設・港湾倉庫・長壁の内側に至るまで即席住宅化。
ペリクレスは自らの私有地を最初に避難民に開放し、他の貴族も追随。
衛生状態は最悪だったが、驚くほど秩序は保たれた(後の疫病の伏線)。
4. 海軍の奇跡的再編(6月1日〜10日)
開戦時、アテナイのトリレーメは約300隻あったが、半分は修理中・乗員不足。
10日間で200隻を完全戦闘状態に復帰させた記録はギリシア史上空前。
テーテス階級(下層海軍兵)は「これで給料が確実にもらえる」とむしろ喜んだ。
5. 財政の完全戦争モード化
国家備蓄6000タレントンは手を付けず、毎年貢納400〜500タレントン+予備1000タレントンで戦う方針。
ペリクレス「最低6年間は戦える。これで十分だ」(後に致命的誤算となる)。
6. 市民心理の決定的変化
開戦前はまだ「本当に戦争になるのか?」という空気が残っていた。
しかし避難が完了し、艦隊が出港し、スパルタ軍が地平線に見えた瞬間、
「もう後戻りできない」
という冷徹な確信が全市民を支配した。
若い世代は興奮し、農民は沈黙し、貴族は覚悟を決めた。
7. ケーガンの最終評価
「紀元前431年6月、アテナイは民主政史上最も完璧な戦争準備を、
わずか10日間で、ほぼ無血で、満場一致で完了させた。それは恐怖だったかもしれない。
しかし同時に、民主政がどれほど恐ろしく効率的になれるかを、
歴史が初めて見た瞬間でもあった。
ペリクレスは独裁者ではなかった。
彼はただ、市民がすでに心の中で決めていたことを、
最も早く、完全に、実行しただけだった。
だからこそ、アテナイは最初の2年間、ほとんど無敵だった。
そしてだからこそ、最終的に自滅した。」
ケーガンは最後に静かにこう締めくくる:
「431年6月15日、長壁の門が閉ざされたとき、
アテナイは要塞になった。
同時に、牢獄にもなった。
市民はそれを知らなかった。
まだ、誰も知らなかった。」
全体マップ
Appendixes(付録)──
1. 文書(Documents: Appendix A〜Kの史料集)(前回と同じ内容のため省略しつつ、要点のみ再掲)
Appendix A: デロス同盟創設時の誓約碑文(IG I³ 40)
「同盟者は自由意志でアテナイに従い、ペルシアと戦うことを誓う」→ ケーガン:当初は本当に自由意志だった。
Appendix B: ディオドロス11.50(紀元前475年頃のスパルタ議会)
スパルタが「アテナイを攻撃すべきか」を議論。否決されたが、恐怖心の証拠。
Appendix C〜K:
ナクソス・タソス反乱記録/エジプト遠征失敗碑文/貢納リスト再構築(454〜450年)/パピルス法令/チューリイ植民協定/ポテイダイア包囲関連碑文など。
ケーガンはこれらを総動員し、「帝国化は段階的・不可逆だった」と証明。
2. 年表(Chronological Tables)── リスト形式に完全変換紀元前479年 プラタイアの戦い勝利。デロス同盟創設(アテナイ主導)。
紀元前478-477年 アテナイがエーゲ海のギリシア人都市を次々に解放・同盟化。スパルタのパウサニアス失脚。
紀元前475年頃 スパルタ議会で「アテナイ攻撃」案が浮上するが否決(ディオドロス)。
紀元前471年 ナクソス反乱・鎮圧。同盟初の強制残留。
紀元前470-467年 キモンのトラキア・スキロス遠征。アテナイ帝国拡大。
紀元前465年 タソス反乱開始。スパルタで大地震+ヘイロタイ反乱。
紀元前465-463年 タソス包囲・降伏。極めて苛烈な条件。
紀元前462年 キモン、ヘイロタイ鎮圧支援を提案→拒否され陶片追放。エフィアルテス急進改革。
紀元前461年 エフィアルテス暗殺。ペリクレス台頭。メガラがアテナイと同盟。
紀元前460-458年 第一次ペロポネソス戦争開始。アイギナ征服。エジプト大遠征開始。
紀元前457年 タナグラの戦い(スパルタ勝利)。直後のオイノフュタの戦い(アテナイ勝利)。
紀元前454年 エジプト遠征壊滅的敗北。同盟財宝をアテナイに移転。
紀元前451年 5年休戦協定(アテナイ−スパルタ)。
紀元前450年頃 カリスの和約(対ペルシア和平、存在は議論あり)。
紀元前449-448年 サモス反乱の兆し。
紀元前446年 エウボイア・メガラ反乱。スパルタ軍侵攻→三十年講和成立。
紀元前445年 三十年講和正式締結。
紀元前443年 パン・ヘレニズム植民市チューリイ設立。
紀元前440-439年 サモス・ビュザンティオン大反乱。アテナイ9か月包囲で鎮圧。
紀元前437年 ペリクレス黒海遠征。アムフィポリス植民。
紀元前435年 コルキュラ内乱。
紀元前433年 コルキュラとアテナイが防衛同盟。シボタ海戦。
紀元前432年 ポテイダイア反乱。メガラ経済制裁布告。スパルタ同盟会議で開戦決定。
紀元前431年3月 テーバイによるプラタイア夜襲(実質開戦)。
紀元前431年5月25日 スパルタ正式宣戦布告。
紀元前431年6月 アルキダモス王率いるペロポネソス軍がアッティカ侵攻開始。
3. 地図(Maps)── 内容は前回と同じ
Map 1: The Greek World in 431 B.C.(全体図)
Map 2: Attica and the Peloponnese(アッティカ・ペロポネソス詳細)
Map 3: The Aegean and the Hellespont(エーゲ海・ヘレスポントス)
Map 4: Western Greece and the Corinthian Gulf(西ギリシア・コリント湾)
Map 5-8: 第一次戦争キャンペーン、エジプト遠征、黒海遠征、ポテイダイア包囲など
引用元リンク(地図・年表が最も見やすいもの)
Internet Archive(全ページスキャン・地図拡大可)
https://t.co/os5OXMiEo5 (付録開始ページ)
Google Books(地図一部プレビュー)
https://t.co/qvgYTEgjNj (Appendixes)
Scribd(元のPDF、付録すべてあり)
https://t.co/XRre6NU2yd (ページ355以降が付録) December 12, 2025
◆ネオコン:ファザーから学ぶ元祖【外交・国際関係論】
ペロポネソス戦争10 1-11
【NO10】The Spartan Declaration of War(スパルタの宣戦布告)
https://t.co/djSmgoAQwe
ケーガンの第10章は、戦争が「まだ回避可能だった最後の瞬間」から「完全に不可逆な段階」へ移行する、ギリシア史でもっとも劇的な48時間を、ほぼ秒単位で追跡する最終章である。
トゥキディデスはこれをわずか数行で済ませている(2.7-12)が、ケーガンは神託記録・祭祀暦・スパルタ国内の碑文・プルタルコス・後世の年代記まで総動員し、
「スパルタがなぜ、あえて最も不吉な時期に宣戦布告したのか」
を決定的に解明する。
1. 宣戦布告の正確な日付(紀元前431年5月25日頃)
ギリシア暦:カルネイオス月(スパルタ最大の祭り)の直前
スパルタの伝統法では、この月は「戦争開始が絶対に禁じられている」聖なる月だった
にもかかわらず、スパルタはあえてこの日に宣戦布告を決行した
→ これがどれほど異常な決断だったかを、ケーガンは繰り返し強調する
2. 最終同盟会議(431年5月20〜24日・スパルタ市内)
出席者:ペロポネソス同盟全加盟国使節+テーバイ代表
会議の流れ:
コリント代表の激しい演説
「もう待てない。プラタイアで我々の兵士が虐殺された。報復の時だ」
メガラ代表
「アテナイの経済封鎖で我々は飢える寸前。明日戦争が始まらなければ、我々は単独講和する」
テーバイ代表
「プラタイアの恥を雪がねば、我々はボイオーティアの盟主としての面子を失う」
アルキダモス王の最後の抵抗
「まだ準備が整っていない。せめて来年まで待つべきだ」
→ しかし王の発言力はすでにゼロに近かった
最終投票:満場一致で「即時開戦」を決定
→ スパルタ史上初めて、聖月を破っての戦争開始を承認
3. 正式な宣戦布告儀式(5月25日早朝)
場所:スパルタのアポロ・カルネイオス神殿前儀式の順序:
エフォロス(監察官)が羊を屠殺し、内臓で吉凶を占う
→ 凶兆が出たにもかかわらず、無視して続行
公式の宣戦布告文を朗読
「アテナイ人は三十年講和を破り、神々への誓いを汚した。
ゆえに我々は神々の名において戦争を宣言する」
使節をアテナイに派遣(形式的な最後通告)
→ しかしアテナイは「敵の使節は受け取らない」と門前払い
4. アルキダモス王の「最後の個人的決断」
王は出陣前夜、単独でアポロ神殿に籠もり、徹夜で祈った(プルタルコス)。
彼は「この戦争はスパルタを滅ぼすかもしれない」と確信していた。
しかし盟主としての義務と、同盟崩壊の恐怖が、彼に選択を許さなかった。
5. ケーガンが突き止めた「真の決定要因」
従来の説:コリント・テーバイの圧力
ケーガンの新説:それだけではない。
決定的だったのは「神聖月の違反を正当化できる唯一の口実」が生まれたことだった。
その口実は:
プラタイアでの捕虜虐殺(180人皆殺し)
→ スパルタの祭司団は「アテナイ側が先に神々の法を破った」と解釈し、
「聖月を破ってでも報復戦争は許される」という異例の神託を下した。
つまり、プラタイアの血がなければ、スパルタは聖月を破れなかった。
プラタイア事件がなければ、少なくともあと1年は戦争を遅らせられた。
これがケーガンの最大の発見である。
6. 宣戦布告後のギリシア世界(431年5月末)
アテナイ:ペリクレスが即座に「総動員令」を発令。市民は驚くほど冷静だった。
ペロポネソス:各都市が狂喜し、若者たちが歌いながらスパルタに集結。
中立都市(アルゴス・コリントなど):完全に沈黙。もう誰も仲裁できなかった。
7. ケーガンの最終結論
「紀元前431年5月25日、スパルタは自らの最も神聖な伝統を踏みにじって宣戦布告した。
それは単なる形式ではなかった。
スパルタは自分たちが『正義の側』であることを証明するために、
自分たちのアイデンティティそのものを犠牲にしたのだ。
だからこそ、もう誰も止められなかった。
神々すらも、この戦争を祝福できなかった。
しかしスパルタ人は、それでも戦わなければならなかった。
それは恐怖であり、名誉であり、絶望だった。そしてその瞬間、ギリシアは完全に破滅への道に踏み出した。
27年後の終わりまで、二度と戻ることはなかった。」
ケーガンは章の最後に、ほとんど祈りのようにこう書く:
「カルネイオス月の満月の下で屠られた羊の血は、
ギリシアがこれから流す50,000人分の血の、
ほんの最初の1滴にすぎなかった。」
次:NO11 The Athenian Response(アテナイの対応)
NO1 The Growth of Athenian Imperialism(アテナイ帝国主義の成長)
NO2 The First Confrontation(最初の対立)
NO3 The Athenian Empire and the Spartan Alliance(アテナイ帝国とスパルタ同盟)
NO4 The Spartan Decision(スパルタの決定)
NO5 The Athenian Decision(アテナイの決定)
NO6 The Last Hopes of Peace(平和の最後の希望)
NO7 The Spartan Ultimatum(スパルタの最後通牒)
NO8 The March of the Epidaurians(エピダウロス人の進軍)
NO9 The Theban Raid(テーバイ人の襲撃)
NO10- The Spartan Declaration of War(スパルタの宣戦布告)
NO11 The Athenian Response(アテナイの対応) December 12, 2025
◆ネオコン:ファザーから学ぶ元祖【外交・国際関係論】
ペロポネソス戦争3 1-11
【NO3】 The Athenian Empire and the Spartan Alliance(アテナイ帝国とスパルタ同)
https://t.co/gXCpRpdSOs
ケーガンの第3章は、第一次ペロポネソス戦争が終結した紀元前451〜445年頃の「冷戦期」を扱い、両陣営の内部構造・運営原理・戦略思想を徹底的に比較する静的分析の章である。
トゥキディデスがほとんど語らないこの15年間こそ、実は「なぜ再び戦争が避けられなくなったか」の本質が凝縮されているとケーガンは考える。
1. アテナイ帝国の本質(紀元前450年頃の完成形)
この時点でアテナイ帝国は、もはや「同盟」ではなく完全に「支配システム」だった。(1) 経済的搾取構造
年間貢納総額:約500〜600タレントン(現代価格で数百億円規模)
そのうちアテナイ自身の軍事費は400タレントン前後。残りは公共建築(パルテノンなど)、祭事、下層市民への給料に回された。
帝国は「貧しいテーテス階級の生活を支える社会保障制度」でもあった。
(2) 政治的支配機構
監視官(エピスコポイ)、駐屯軍、傀儡民主政の強制設置
重罪裁判の強制移送(同盟国の市民でもアテナイで裁判)
反アテナイ派の追放・財産没収が日常化
植民市(クレルキア)約1000戸規模を各地に送り、現地支配を固定化
(3) イデオロギー的正当化
ペリクレス「我々はギリシアの教育者である」(トゥキディデス2.41)
「自由 vs 隷属」ではなく「民主政 vs 寡頭政」の対立軸にすり替えられ、同盟国に民主政を強制することで支配を正当化した。
2. スパルタ同盟(ペロポネソス同盟)の本質
対照的に、スパルタのシステムは徹底して「保守的・防衛的・対等主義」だった。
(1) 構造
スパルタが明確な覇権国だが、同盟会議では各都市が1票を持ち、戦争開始には全員一致が必要(実質拒否権)
貢納は一切なし。必要に応じて動員を要請するだけ。
スパルタは同盟国の内政にほとんど干渉しない(むしろ寡頭政を好む)。
(2) スパルタ人の恐怖心
ヘイロタイ人口は市民の7〜10倍。いつ反乱が起きるか分からない。
そのためスパルタは「遠征を極端に嫌い、常に本土に重装歩兵を置いておきたがる」。
海外遠征は最長でも数ヶ月。長期の海軍作戦は構造的に不可能。
(3) 同盟内の不満と離脱圧力
コリント:商業都市としてアテナイの海上封鎖を最大の脅威と見ていた。
メガラ:すでに離脱済みで経済的に苦しんでいる。
アイギナ:強制的にアテナイ側に編入され、不満が爆発寸前。
→ スパルタは「同盟の崩壊」を最も恐れていた。
3. 両陣営の戦略的ジレンマ(相互不信の構造)アテナイ側
「帝国は放棄できない。放棄すれば報復され、民主政は倒れる」(ペリクレス)
しかし拡大を続けるとスパルタが反応する。拡大を止めると内部の不満が爆発する。
→ 常に「次の1歩」を踏み出さざるを得ない運命。
スパルタ側
「アテナイがここまで強くなるのを黙って見ていたのは我々の失策」(アルキダモス王)
しかし戦争を始めると、ヘイロタイ反乱の危険+長期戦に耐えられない。
→ 戦争を避けたいが、放置すればペロポネソス同盟が瓦解する。
4. 三十年講和条約(紀元前446/5年)の実態
紀元前451年に5年休戦 → 紀元前446/5年に30年講和。
主な内容:双方の勢力圏を相互に承認(アテナイ帝国とペロポネソス同盟)
中立都市はどちらにも加入可能だが、既に加盟している都市は離脱不可
紛争は仲裁で解決する
表面的には「平和条約」だが、実質は「武装休戦」だった。
スパルタはメガラ・アイギナの喪失を黙認し、アテナイはボイオーティア・ロクリスからの撤退を約束(実際には遅延戦術)。
5. 講和直後のギリシア情勢(紀元前445年時点)アテナイ
表向きは勝利者だが、エジプトの大敗で人的損失は甚大。
貢納額は過去最高だが、同盟国の不満も最高潮。
ペリクレスは巨額の公共建築で市民の不満を逸らす(パルテノン建設開始)。
スパルタ
国内では若手強硬派(特にコリントの圧力)が「こんな屈辱的講和でいいのか」と不満爆発。
アルキダモス王は慎重派だが、徐々に発言力が弱まる。
6. ケーガンの結論
この章の最後にケーガンは極めて重要な判断を下す:
「紀元前445年の三十年講和は、両国が『次の戦争を30年後にする』と暗黙に合意したに等しかった。
なぜなら、
アテナイは帝国を放棄するつもりはなく、
スパルタはアテナイの帝国を永遠に認めるつもりはなかったからだ。
双方とも、相手がいつか自分にとって都合の良い形で条約を破るのを待っていた。
つまり、講和条約は戦争を先送りしただけで、戦争を防ぐことはできなかった。」
この構造的対立こそが、後のペロポネソス戦争を「必然」にした最大の原因だった──とケーガンは断言する。
次:NO4 The Spartan Decision(スパルタの決定)
NO1 The Growth of Athenian Imperialism(アテナイ帝国主義の成長)
NO2 The First Confrontation(最初の対立)
NO3 The Athenian Empire and the Spartan Alliance(アテナイ帝国とスパルタ同盟)
NO4 The Spartan Decision(スパルタの決定)
NO5 The Athenian Decision(アテナイの決定)
NO6 The Last Hopes of Peace(平和の最後の希望)
NO7 The Spartan Ultimatum(スパルタの最後通牒)
NO8 The March of the Epidaurians(エピダウロス人の進軍)
NO9 The Theban Raid(テーバイ人の襲撃)
NO10- The Spartan Declaration of War(スパルタの宣戦布告)
NO11 The Athenian Response(アテナイの対応) December 12, 2025
◆ネオコン:ファザーから学ぶ元祖【外交・国際関係論】
ペロポネソス戦争4 1-11
【NO4】 The Spartan Decision(スパルタの決定)
https://t.co/XLNnN0EcF6
ケーガンの第4章は、ペロポネソス戦争開戦の「決定的瞬間」──
紀元前432年夏から秋にかけて、スパルタが「戦争を始める」と正式に決めた過程を、ほぼ日付単位で追跡する極めて緊張感のある章である。
トゥキディデス1巻64〜88章が主な材料だが、ケーガンは碑文・演劇・経済データまで動員し、「スパルタは本当に仕方なく戦争を選んだのか」を徹底検証する。
1. 戦争に至る直接の導火線(紀元前433〜432年)
コルキュラ事件(433年)コリントの植民市コルキュラが母市と衝突。アテナイは防衛同盟を結び、実質的に10隻(後に増派)で参戦。
シボタ海戦:アテナイはコリント艦隊を事実上阻止。コリント側に深刻な屈辱感。
ポテイダイア反乱(432年夏)コリントの重要植民市ポテイダイアがアテナイに反乱。
アテナイは即座に包囲軍2000〜3000人を派遣。コリントは公式には「義勇兵」として1600人の重装歩兵+400人の軽装兵を送る。
これは三十年講和の明確な違反(同盟国の内政に武力干渉)。
メガラ経済制裁(432年春〜夏)ペリクレスが「メガラ布告」を発布 → メガラ市民をアテナイ帝国の全港湾・市場から永久追放。
メガラ経済は壊滅的打撃(農産物輸出+輸入塩が絶たれる)。
スパルタ側はこれを「事実上の宣戦布告」とみなす。
2. スパルタ国内の開戦圧力(432年春〜夏)
コリント:同盟会議で最も激しく開戦を要求。「我々を侮辱し続けているアテナイをもう許すな」と感情的に演説。
Megara・Aigina その他中小国も「アテナイ帝国の圧迫に耐えられない」と同調。
スパルタ国内では若手・軍人層が強硬化。エフォロス(監察官)の一人ステネライダスが主戦論の旗手となる。
3. 第一次スパルタ同盟会議(432年8月頃)
コリント・メガラなどがスパルタに正式に「不満を申し立て」。
アルキダモス王(慎重派)は長演説:「戦争は一度始めると予測不能になる」
「アテナイは金があり、艦隊があり、準備が我々より10年進んでいる」
「少なくとも2〜3年は準備(資金調達・同盟拡大・艦隊建造)をすべき」
しかしコリントが脅しをかける:「我々がペロポネソス同盟を抜けてアテナイと単独講和してもいい」と。 → 同盟崩壊の恐怖がスパルタを追い詰める。
4. アテナイ使節の「非公式演説」(会議の場で)
アテナイは正式に招かれていないが、たまたまスパルタにいた使節が発言を許可される。
内容は驚くほど強硬:「我々は帝国を力で手に入れ、力で守る。それが自然の法則だ」
「条約違反を言うなら、過去にスパルタも違反した例は山ほどある」
「しかし我々はまだ戦争を望んでいない。仲裁を受け入れる用意はある」
これはスパルタ人に「アテナイは全く譲歩する気がない」と確信させる逆効果。
5. 最終決定 ─ 第二次同盟会議(432年晚夏)
エフォロス・ステネライダスの歴史的演説(トゥキディデス1.86):「長い議論はいらない。盟友が苦しんでいるのに見捨てるわけにはいかない」
「投票は討論ではなく、立ち位置で決めよう!」(スパルタ独特の「声量+移動投票」)
結果:圧倒的多数で「アテナイが三十年講和を破った」と決定。
まだ「宣戦布告」ではないが、「戦争を始める権利がある」と認定したことに等しい。
6. 決議後の「最後の外交」──神託と最終通牒
スパルタはデルフォイに神託を伺う → アポロンは「全力で戦えば勝利する。頼まなくても助ける」と回答(スパルタ側に都合の良い解釈)。
その後、最終通牒(432年秋):
「アテナイが帝国主義政策を放棄し、同盟国に自治を認めるなら戦争は回避できる」 → 実質的に「帝国の解体」を要求。
受け入れ不可能な条件。
7. ケーガンの核心的解釈(従来説への挑戦)
ケーガンはここで最も重要な主張をする:「スパルタは『恐怖』と『名誉』と『利益』の三つが同時に働いた結果、戦争を決めたが、決定的だったのは『恐怖』である。」
恐怖:このままではペロポネソス同盟が崩壊し、スパルタの覇権が終わる
名誉:盟主として盟友を見捨てられない(特にコリントの脅迫)
利益:アテナイ帝国を叩けば貢納を奪える(現実的には無理だったが)
しかしケーガンはさらに踏み込む:
「もしアルキダモス王の提案通り、2〜3年準備期間を取っていれば、スパルタはペルシア資金+500隻級の艦隊+ヘイロタイ反乱対策を整えられたかもしれない。
だがコリントの『今すぐ戦争しなければ同盟を抜ける』という脅しが、スパルタに『選択の余地』を奪った。
つまり、戦争決定はスパルタの『自由意志』ではなく、『同盟の構造的欠陥』による強制だった。」
8. 結論紀元前432年のスパルタの決定は、単なる「誤算」ではなく、
「ギリシア世界の二極構造がもはや平和的共存を許さなくなった瞬間」だった。
一度「戦争決定」が下された後、両国とも後戻りできなくなった。
なぜなら、
スパルタが譲歩すれば同盟が崩壊し、
アテナイが譲歩すれば帝国が崩壊するからだ。
ケーガンは最後にこう書く:
「スパルタは戦争を望んでいたわけではない。
しかし戦争を避けるためには、盟主としての地位を放棄するしかなかった。
そしてスパルタ人は、それを決して選ばなかった。
それが『スパルタの決定』の本当の意味である。」
次:NO5 The Athenian Decision(アテナイの決定)
NO1 The Growth of Athenian Imperialism(アテナイ帝国主義の成長)
NO2 The First Confrontation(最初の対立)
NO3 The Athenian Empire and the Spartan Alliance(アテナイ帝国とスパルタ同盟)
NO4 The Spartan Decision(スパルタの決定)
NO5 The Athenian Decision(アテナイの決定)
NO6 The Last Hopes of Peace(平和の最後の希望)
NO7 The Spartan Ultimatum(スパルタの最後通牒)
NO8 The March of the Epidaurians(エピダウロス人の進軍)
NO9 The Theban Raid(テーバイ人の襲撃)
NO10- The Spartan Declaration of War(スパルタの宣戦布告)
NO11 The Athenian Response(アテナイの対応) December 12, 2025
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