ミック・ジャガー 芸能人
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2025.11.24〜(48週)
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ミックが本人役として出た映画で
ストーンズを知らないド田舎のおばさんになんとかスターだって事をわかってもらおうとしてるシーンがあるんだけど
ポルトガル風にミックジャガー→ミッキージャゲーロって言ったり
JJF歌って子供に指さされて
最後結局諦めて帰るのサービス精神旺盛すぎてウケるなw https://t.co/gNMA2x8vdm December 12, 2025
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⭐️番組放送400回記念⭐️
DIGGIN’JOCELYN BROWN
1950年生まれ。3歳より教会で人前に立ち歌い始め、70年代からはセッション・ヴォーカリストとして、キャリアをスタート。ミック・ジャガー、ロバータ・フラック、ボブ・ディランといったビッグ・アーティストのレコーディングに参加し、歌唱力が高く評価されました。80年代にはインナー・ライフのリード・ヴォーカルとして活動する他、自身の初ソロ・アルバム『サムバディ・エルシズ・ガイ』を84年にリリースし大ヒットとなり、さまざまなリミックスが生まれました。
昨日は彼女の誕生日❣️これを記念して今夜はDIGGIN’JOCELYN BROWN をお送りします!今夜はスペシャル回として、
ゲストは@DJNORI30 をお迎えします!
また素敵なリスナープレゼントもご用意しました!お聴き逃しなく!
今夜も素晴らしいレコード世界への
フライト✈️✨どうぞお楽しみに😌
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photo by @MURAKENPHOTO December 12, 2025
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@AngelTouchPlus ちなみに漫画版の連載開始日は僕がサンデーに持ち込みした翌日でミック・ジャガーの東京ドーム公演最中でした😊
帰りの汽車でサンデー買って読みました
パトレイバー読んで「すげえ!こんなメカ(含む背景)絶対に描けねえ」と思ったものでした😅 December 12, 2025
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ぼくは大好きなミック・ジャガーって歌手、ぼくの中ではめちゃ有名歌手だったんだが意外と本当の知名度は低いのかもしれないな(笑)。倭国では簡単に所属グループ名の愛称パクられちゃうぐらいだし。 https://t.co/1m1uJgkhcG December 12, 2025
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ミック・ジャガーは若い頃からレゲエ好きでダミアン・マーリーとユニットを組んでいたこともあります。
ちなみに4人の女性との間に8人の子供が居る人物でもあるのですが、そんなところも偉大なジャマイカのアーティスト達から“学んだ”のでしょうか!?😂 https://t.co/GqaA7b35F6 https://t.co/zXBf2Nb7po December 12, 2025
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★セルフカバーという表現★
私自身はこの言葉を一度も使ったことがありませんが、倭国のアーティストのレコードやコンサート評で、この表現を目にします。
☆ポール・マッカートニーが自分のコンサートで『イエスタデイ』を歌ったらセルフカバーですか?
☆ミック・ジャガーがソロ・コンサートで『悪魔を憐れむ歌』を歌ったらセルフカバーですか?
(ちなみに倭国公演で歌った時のツトムヤマシタの客演は最高でした)
☆ドン・ヘンリーがソロで『ホテル・カリフォルニア』を歌ったらセルフカバーですか?
☆槇原敬之が『世界にひとつだけの花』を歌ったらセルフカバーですか?
☆井上陽水が『飾りじゃないのよ涙は』を歌ったらセルフカバーですか?
皆様の持論をおきかせください。 December 12, 2025
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B-Side Melody
Track 2 1986年のJumping Jack Flash
ザ・ローリング・ストーンズ。
この名前を口にするだけで、僕は温かい毛布に包まれたような、あるいは完璧に調合されたギムレットを一口飲んだような、幸福な気持ちになれる。The Rolling Stones。
中学二年の頃、僕はビートルズを聴きあさり、図書館にある「ビートルズ」の文字が入った本という本を片っ端から読破した。そこには決まって、ライバルとしてストーンズのことが書かれていた。曰く、ビートルズは清潔なお坊ちゃんで、ストーンズは手のつけられない不良なんだと。(本当はそのイメージはまるで逆で、ストーンズの方が中流階級のいいとこの子たちで、ビートルズの方が労働者階級の成り上がりだったことを、のちに僕は知るんだけれどね。世の中のイメージなんて、だいたいがそんなものだ)
中三の一年間、僕はストーンズのレコードだけを買うという奇妙な誓いを立てた。少ない小遣いをやりくりして、アルバムをコンプリートしようとしたんだ。ラッキーなことに、当時のストーンズは何度目かの黄金期を迎えていて、『Start Me Up』のヒットも記憶に新しい頃だった。僕は彼らの音楽の虜になった。
最初に驚いたのは、ボーカルのミック・ジャガーがライブでは「まともに歌わない」ってことだ。スタジオ盤のあの素晴らしいメロディを、ミックはステージ上でズタズタに引き裂き、原型をとどめないほどフェイクして歌う。(もしMr.Childrenが『innocent world』をあんな風に崩して歌ったら、事務所の電話回線はパンクしただろう)
でも、ミックのそのスタイルを理解してからは、そこが魅力なんだと思えるようになった。誰に文句を言われる筋合いはない。だって、彼らが自分たちで作った歌なんだから。自分の庭の芝生をどう刈ろうが、隣人に指図される覚えはないのと同じだ。
そして僕は何より、ギタリストのキース・リチャーズに心から憧れた。リズム・ギターのかっこよさ、とでも言うのかな。あの佇まいは、ほとんど反則に近い。物理法則を無視して立っているみたいだ。僕はとにかく夢中だった。
長いキャリアを持つ彼らの音楽が一番芳醇だったのは、1968年から70年代の中期までだ。特に『Jumping Jack Flash』と『Honky Tonk Women』は、大谷翔平の場外ホームランにも似た、圧倒的で理不尽なほどの痛快さを持っている。ロックンロールの巨大な塊が、重力を無視してどこまでもかっ飛んでいくイメージだ。いつ聴いてもね。
僕が「The Riot」というバンドに加入したきっかけも、この『Jumping Jack Flash』だった。 リーダーでギタリストのカジワラが、僕がどこかのセッションでこの曲を歌っているのを見て、ボーカリストとして目をつけてくれていたらしい。まあ、あの頃の神戸でこの曲を歌わせたら、僕は高校生の中ではいい線いってたはずだ。何と言っても、聴いた回数だけは、税務署の職員が伝票をめくる回数よりも多かったはずだから。
The Riotは元々、聖洋学院の二人――ボーカルのカモダと、ギターのカジワラが中心になって、ARBなんかを演っていたビート・バンドだった。カジワラはエディ・ヴァン・ヘイレンに似た人懐っこい笑顔を持つナイスガイで、フレットを自分で彫刻刀で削ったストラトキャスターの使い手だった(正気の沙汰とは思えないが、音は悪くなかった)。ボーカルのカモダは、下手すると石橋凌さんよりも声量があったんじゃないかというくらいの、破壊的なシンガーだったよ。
だがカモダは、高三になる前にThe Riotを抜け、聖洋学院も退学してしまった。「音楽でプロになる」と言い残して、同じ17歳のメンバーを集めて「The Standers」というバンドを組み、神戸のライブ・ハウスに出演するようになったんだ。カモダはギターなど弾けなかったはずだが、ローンで買ったと言う「リッケンバッカー330」をかき鳴らして、シャウトしていた。実にパンクだった。1986年だから、まだブルーハーツもジュンスカもデビューしてなかったけど、すでにThe Standersはそんな音を出していたんだ。時代の方が彼に追いついていなかったのかもしれない。
そんなカモダの後釜として、僕が誘われたわけだ。正直、戸惑ったよ。僕はボーカル専門なんてやったことがなかったからね。だって、僕はキース・リチャーズになりたいんだぜ? フロントマンの横で、斜に構えてクールにギターを弾くことが何よりかっこいいと思ってたんだ。それに相手はあの聖洋学院のThe Riotだ。僕とショウが一番意識していたバンドだったから、なおさらね。
聖洋学院というのは、高等部でもバンドのレベルが異常に高くてね。文化祭に出るだけでも、30組ほどのエントリーの中から厳しいオーディションを勝ち抜かなきゃならない。ラクダが針の穴を通る方がまだ簡単かもしれない、というくらいの狭き門だ。
The Riotは、彼らが高二の頃に上級生を蹴落として、文化祭のメインイベント「後夜祭」に出演することになっていた。ところが、カモダがナーバスになって突然どこかに消えてしまい、結局パーになったんだ。悪い冗談みたいな話だろ? だからこそ、カジワラは高三での「後夜祭」出演に、並々ならぬ執念を燃やしていたってわけさ。
僕にしたって、ショウと別れてバンド浪人中だったから、カジワラに呼び出されて「ボーカルをやってくれ」と頼まれた時、まあ断る理由はなかった。僕にはその頃、すでに1ダースくらいの自作曲があった。どれも自信作だったよ。それをThe Riotとして演奏してくれるって言うんだ。ARBを数曲歌う必要があったけど、僕だって石橋凌さんの大ファンだったから、歌うことにやぶさかじゃなかったんだよね。
聖洋学院の学園祭には、出演バンドメンバーの四分の一までは校外の人間を入れてもいいというルールがあった。四人編成のバンドなら、一人までは僕みたいな部外者でも構わないってことだ。僕のためにあつらえたような抜け道だ。そして、そのオーディションで三位までに入れば、高校生活最後の一大イベント、後夜祭のステージに立てる。聖洋の連中にとっては、それがすべてだったんだ。
そんなわけで、僕はThe Riotの一員になった。僕ら、一位を獲るために、もうめちゃくちゃ練習したさ。僕は家が明石だったから、毎回西宮まで通い詰めてね。The Riotのメンバーは優秀だった。ドラムのマー坊と呼ばれる男は、子供の頃からピアノの英才教育を受けているようなやつなんだけど、実にビートの効いたご機嫌なドラムを叩く。ベースのセイジは心優しき大男で、体格に見合った野太い音が特徴のベーシスト。そしてカジワラのギターには独特の粘り気があって、もしロビー・ロバートソンが間違ってビート・ロック・バンドに加入してしまったらこんな感じだろうか、と思わせる音を出した。
そこに僕。
初めてのセンターマイク。ギター&ボーカルとして、フロントマンとして立つステージ。しかも、勝負に勝たなきゃいけない。自信? もちろんあったさ。
彼らとのリハーサルを重ねる中で、喉が強くなっていく気がしたし、小さな部屋でショウと作っていたデモテープから飛び出して、僕の自作曲がリアルなロックンロールに変わっていくのが最高にご機嫌な体験だった。何度も同じ歌を歌っていると、メロディをライブ用にダイレクトに伝わる形へ変更したり、遊びでフェイクを入れたりもする。もちろん、全部、ミック・ジャガーの真似だよ。うまく行っているのかどうかはともかくとして、気分だけはロンドンのハイドパークにいたわけだ。
結果? 一位を獲っちまったんだ。 僕たち四人、あまりにも嬉しくて、図体のデカい男たちが人目も憚らず抱き合って泣いたよ。溶けたアイスクリームみたいにぐしゃぐしゃになってね。あの時のことは忘れられない。
後夜祭の大トリでThe Riotは四十分くらいのステージをやった。ARBの曲が二曲と、カジワラの曲が一つ。あとは僕の曲を六曲くらいやったんだ。
盛り上がりは尋常じゃなかったよ。公立高の文化祭とはわけが違う。これが私立名門校の本気のイベントかと度肝を抜かれた。広い講堂にゆうに1000人以上――いや、もっといたかな――大勢の若者が熱狂していた。僕の曲なんか初めて聴くはずだったのにさ。そう、聖洋学院の連中にとっては、これが高校生活最後のビッグなイベントなんだ。
その後夜祭を最後に、The Riotは解散した。最初からそういう約束だったんだよ。ひと夏の、ささやかな革命だったってわけだ。
でも僕にとっては、これが終わりじゃなくて始まりだったんだ。「俺は行ける」って完全に勘違いした。あの後夜祭に誘われてなかったら、プロになろうなんて考えなかったはずさ。運命ってやつだよ。
僕は、この聖洋学院の人脈を集めて新しいバンドを組んで、まずは地元神戸で、一旗上げてやろうと企んだんだ。 December 12, 2025
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@masami777777 もうひとつのエドサリバンネタ💋
ローリング・ストーンズが出演した時
Let’s Spend The Night Togetherの歌詞を
ミックジャガーは
night→sometimesを変えて歌ってますよ
商売上手が良かったのか
反抗が良かったのか
私には判断がつきませんが💋 December 12, 2025
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フェレーリの『ハーレム』のタイトルやバンド https://t.co/y3GBu2OX8Pも手がけた画家マリオ・スキファノの3本の映画の第1作『Satellite』(1968)がこの時代のイタリア前衛インスタ映画としては面白い ミック・ジャガーやカルメロ・ベーネが出た2作目の方が有名だけど https://t.co/2uYM0LUZ4T https://t.co/dia0qJzXXg December 12, 2025
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@Hoshuto_hyakuta ミック・ジャガーも80過ぎても
歌ってます!百田代表も倭国に必要な
方です!!わしの気持ちを考えろと
言われたら何も言えませんが…
代表はホント面白くて、
誠実で正直で倭国保守党は希望です🇯🇵
続けていただきものです。 December 12, 2025
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1989年に買ったんだ。7~8年前、久しぶりにこれを着て外出しようとしたら、息子に「お父さん、そんなミック・ジャガーみたいな格好で外に出るなんて、正気か?」と心配されて以来、何となく着なくなった。2000年ごろは、どんなに寒い日でも、シャツの上にこのジャケット1枚でうろうろしていた。デイヴィッド・カヴァデールみたいだろ。カヴァデール先生も引退したからな。このジャケットもそろそろ処分するか…… December 12, 2025
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昨日、ライブ観た後でネットで検索したら宮沢和史って、少し下の世代かと思ってたんだけどひとつ年上だった。という事は、還暦?凄いな… ミックジャガーに負けてないね。ライブパフォーマンス、エネルギッシュだったから。高野寛も、ホント素晴らしいミュージシャン。初めて観たのビートニクスだよ。 December 12, 2025
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#今日の欲しい
多分若い子向けのブランドだとは思うけどなんか気になってメール登録してるVague Studious。
トリコロールカラーに雑な手書きでミックジャガーと入れるセンスよ!キャップ似合わないけどこの高さのあるタイプならいけるか、というところ(多分無理)。けど欲しい! https://t.co/IiZMg61z33 December 12, 2025
ジャガーのコートを
買いました。
私が着ると子豚ちゃんが着る
ミックジャガー風のコートです。
前が閉まりません。
この病気が悪いのは、
何もかも太ってることが
原因じゃないでしょうかと
夫の文人が病院の先生に
聞いてました。
瞳うるるん、くちびるきらりん
知りませんよ
そんなこと December 12, 2025
ローリング・ストーンズのミック・ジャガーとキース・リチャーズが、81歳で亡くなったレゲエ界の伝説ジミー・クリフに追悼
「ジャマイカの美しい声を失い悲しい」
「最も甘美な声、最も優しい魂。彼の音楽は永遠に生きる」とコメント。
https://t.co/8NvylxSSlM December 12, 2025
@harapekocharng れいこさんっておっしゃるんですね!!
こんなさりげなくメロイックサイン決めるなんて、まるでミックジャガー級のロックスターみたいで素敵😍😍😍 December 12, 2025
うわっミックジャガーのベロT超レアじゃん!俺も欲しいわー🤝🎵
The Rolling Stones Tシャツ ローリング・ストーンズ 希少
https://t.co/8HPG4PDqL7 December 12, 2025
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