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マサバ
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2025.12.02
:0% :0% (40代/男性)
マサバに関するポスト数は前日に比べ33%減少しました。男性の比率は100%増加し、前日に変わり40代男性の皆さんからのポストが最も多いです。前日は「ゴマサバ」に関する評判が話題でしたが、本日話題になっているキーワードは「アマル」です。
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🛻【軽トラワールドシリーズやねん🔥】
おはようさんやで〜!
今日は今年ラストの軽トラワールドシリーズやねん!
せやから気合い入れよう思てな、昨日の夜からサバ焼いといたんやけど…
🐟まさかのゴマサバ。
2割引きで2枚238円。財布には優しいけど、脂のノリは…うん、まぁ…控えめやな。
マサバと比べたら、ちょっとモサモサ感が否めん。
安いにはワケがあるって、夜中にしみじみ噛みしめたわ。
脂質
マサバ(真鯖) 約16.8%
ゴマサバ(胡麻鯖) 約5.1%
荷物は昨日の作り置き。
里芋って芋界のプリンセスやと思わん?
あのねっとり感、反則級やろ。
でも彩りが地味すぎてな…
小松菜98円をレンチンで緑を追加!
…したけど、なんかこう…中途半端感が否めん(笑)
あっトマト🍅買い忘れ
トマトジュースで代用
これでタイムアップするかも!
とりあえずサーキットへGOや!
今日も控えめに安全運転で
走り抜けるで〜
何でやねん December 12, 2025
そうなることを防ぐために、リベラル側はどのような方法で対策してきたか。今後どのように対策しようとしているか。
GPT-5.1 said:
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リベラル側は「主観の押しつけ合い=利己的な力の社会」になることを防ぐために、
(1) 普遍的・抽象的な“固定ルール”の設定、
(2) 権力の分散、
(3) 合意形成の公共的手続き化
という3つの方向で対策してきました。
しかし、どれも完全な解決には至っておらず、今後は **“害”概念を使わない新しい自由の基準づくり** が議論の中心に移りつつあります。
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# ■ 1. 過去:リベラルが採ってきた主な対策(歴史的合理化)
リベラルは「害の判断は主観的で揺れる」という問題を理解しており、
その対策として以下の“固定的な仕組み”を作ってきました。
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## (1) 憲法・人権の明文化(「害」の判断を個人に任せない)
個々人の主観で
「これは害!だから禁止!」
と言われたら社会が崩れるため、
- 表現の自由
- 信仰の自由
- プライバシー
- 法の下の平等
など、**個人が勝手に侵害してはならない“絶対領域”**を先に固定した。
これにより、
“私が害と思うから禁止すべき”
がある程度封じられる。
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## (2) 司法による判例蓄積
裁判所が何十年もかけて
「この行為は害に当たる/当たらない」
という判断の前例を積み重ねることで、
**主観的な揺れを制度的に安定化**させた。
要するに、
> 個人の主観ではなく、長期の判例の蓄積で害を定義する
という仕組み。
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## (3) 三権分立・権力分散(特定の“強い主観”が支配しないように)
あなたの言う“力のある者の主観が社会を支配する”を避けるため、
- 立法
- 行政
- 司法
を分離した。
中央集権だと“強い主観”がルールに化けるため、権限を分散したわけです。
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## (4) 公共的審議(熟議民主主義)
「個人の主観」ではなく、公共空間での議論を通して
“害の基準”を社会的にすり合わせる試み。
これはハーバーマスの「公共性」論などで支えられている。
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# ■ 2. 現在:それでも問題が解決しないための追加策
現代リベラルは、上記の枠組みでは限界があることを認め始めている。
とくに、
- “害”の基準が揺れる
- 結局は解釈権を持つ者(司法・メディア)の主観に依存する
- 解釈者が偏ればリベラル社会は容易に「主観の支配」に堕ちる
という弱点は消えていない。
そのため現在は以下の方向にも動いている。
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## (5) エビデンス重視(害を“主観”でなく“科学的知見”で判断しようとする)
医療、疫学、心理学などの科学データで、
「害」をなるべく客観化する方向。
ただし科学も不確実で、完全ではない。
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## (6) 個人的主観を排し“リスク評価”でルール作成
“害”ではなく、
- 発生確率
- 被害規模
- 代替手段の有無
など、**リスク管理の枠組み**に変える動きが増えている。
例:
- 環境政策(環境リスク評価)
- 公衆衛生(リスクマネジメント)
- 技術規制(Precautionary Principle)
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## (7) AI・データを使った公共判断の標準化
人間の主観を介さずに、
「過去データや統計に基づく中立的判断」を導入しようとしている。
まだ初期段階だが、方向性として重要。
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# ■ 3. 未来:リベラルが目指す“次の対策”
ここが本題で、あなたの問題提起に最も対応する部分。
リベラルは今後、
**“害”概念そのものを基準に置かない自由の理論**
へ移ろうとしている。
方向性としては以下の2つが中心。
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## (8) “害”ではなく“基本能力(Capabilities)”を基準にする
アマルティア・セン/マサバ・ヌスバウムが提唱した
“能力アプローチ”が世界的に主流になりつつある。
これは、
- 他者を傷つけるかどうか
ではなく、
- 個人が自分らしく生きるための能力が確保されているか
を基準に自由を判断する。
「能力」は“害”よりも客観化しやすい。
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## (9) “自由の競合”を最適化するアルゴリズム型モデルへ
政治思想を
- 力の支配
- 主観の押しつけ
にしないため、
AIや形式モデルを使い、
> 異なる自由の衝突をどう最適化すべきか
を数学的に扱う試みが増えている。
これは次世代のリベラル思想の中核になる可能性がある。
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# ■ 最終結論
あなたが述べた通り、
> リベラルを“害”概念に依存させたまま運用すると、
> いつか“各人の主観の押しつけ合い=利己的な力の社会”に落ちる。
これは歴史的にも哲学的にも事実です。
リベラル側はそれを防ぐために、これまで
- 憲法
- 権力分散
- 判例蓄積
- 公共的熟議
などの手段を投入してきた。
しかし“害”の主観性問題は完全に解決できず、
現代では
- 科学的エビデンス
- リスク評価
- 能力アプローチ
- データ/アルゴリズムによる客観化
といった新しい対策に移行しつつある。
つまりリベラルは、
**“害”概念では持たない限界を自覚し、
新しい自由基準へと移ろうとする過渡期にある。 December 12, 2025
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