ボブ・マーリー 芸能人
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2025.11.25
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ボブ・マーリーに関するポスト数は前日に比べ307%増加しました。男性の比率は2%増加し、本日も40代男性の皆さんからのポストが最も多いです。前日は「アカペラ」に関する評判が話題でしたが、本日話題になっているキーワードは「ジミー・クリフ」です。
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
レゲエ、そしてジャマイカをこれ以上に描いた作品があるだろうか?「ハーダー・ゼイ・カム」、ボブ・マーリーと共にレゲエを世界広めたジミー・クリフが旅立ってしまった…個人的にユーヤさんの映画「餌食」に流れた彼の曲が大好きだ…ストリートに生きた偉大なシンガー、安らかに、忘れないよ。 https://t.co/1DAX5p89k4 November 11, 2025
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ジミー・クリフさん死去 ジャマイカのレゲエ歌手
https://t.co/18hXrsY55i
代表曲に映画「クール・ランニング」の主題歌「アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ」、「メニー・リヴァース・トゥ・クロス」など。ボブ・マーリーと並ぶレゲエ界の大御所です。 November 11, 2025
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1975年、LA特派員時代にジミー・クリフ主演の映画『ハーダー・ゼイ・カム』(The Harder They Come / 1972)を観たのをきっかけに、レゲエ狂いが始まった。LAではロック・フリークスの間でもこの映画が“レゲエ旋風”の最初のエポック的作品として受け入れられ、毎週土曜日のレイトショーでロングラン上映されていた。カルチャーショックを受け、何度も足を運んだのを覚えている。
サントラに登場するデスモンド・デッカー、トゥーツ・アンド・ザ・メイタルズ、1973年に『キャッチ・ア・ファイア』『バーニン』を発表したボブ・マーリー&ザ・ウェイラーズなど、この時期“レゲエ”は国境を超え、一気にインターナショナルになっていった。
そして1975年、LA・ウェストハリウッドの“ロキシー・シアター”に彼らは続々と登場した。
写真はキャノン、ニコマートで撮影したジミー・クリフのLA公演、開演前の人だかりの様子。映画『ハーダー・ゼイ・カム』でカルチャーショックを受けた直後で、彼が「メニー・リヴァース・トゥ・クロス」(“Many Rivers to Cross”)を熱唱した時には、涙したのを昨日のことのように蘇る。
享年81歳。短命のレゲエミュージシャンが多いなかでの大往生。心より冥福を祈る。 November 11, 2025
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ジミー・クリフさん死去 81歳 レゲエ界の大御所シンガー
https://t.co/zDBOwsDQ4g
ボブ・マーリーと並ぶレゲエ界の大御所シンガーで、代表曲に映画「クール・ランニング」の主題歌「アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ」「メニー・リヴァース・トゥ・クロス(遥かなる河)」などがあります。 November 11, 2025
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ジミー・クリフさん死去 ジャマイカのレゲエ歌手(共同通信)
ボブ・マーリーと並ぶレゲエ界の大御所シンガーで、代表曲に映画「クール・ランニング」の主題歌「アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ」などがある。
#Yahooニュース
https://t.co/pcdej4KYk6 November 11, 2025
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映画「ハーダー・ゼイ・カム」の主演と主題歌を担当、ボブ・マーリーに先駆けて英国に渡り、世界にレゲを広めたジミー・クリフ。ご冥福をお祈りします。 https://t.co/kZV4KHuASX November 11, 2025
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〈真実を誰よりも早く理解していたシネイド・オコナー〉
彼女は、世界が真実を知る10年前に“児童虐待”を告発し、「本当の敵と戦え」と叫んでローマ法王ヨハネ・パウロ2世の写真を破り捨てました。しかしその代償として……。
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1992年10月16日、マディソン・スクエア・ガーデンで、2万人の観客が彼女をブーイングしました。怒号、憎しみ、軽蔑の波が押し寄せていました。その轟音が続く中、ひとりの男性が彼女に近づき、耳元でささやきました。「Don’t let the bastards get you down.(あいつらなんかにくじけるな。)」
シネイド・オコナーは25歳でした。彼女の声は『Nothing Compares 2 U』で世界を震わせていました。しかしその夜、彼女がステージに上がったのは、ファンの前で歌うためではありませんでした。まさに闘技場へ足を踏み入れるようなものだったのです。
その2週間前、彼女はテレビの生放送で考えられない行動に出ていました。『サタデー・ナイト・ライブ』のステージで、ボブ・マーリーの『War』をアカペラで歌い、歌詞を変えて児童虐待を告発したのです。そしてカメラに向かって、ローマ法王ヨハネ・パウロ2世の写真を破り捨てました。言葉はただの二つ。「Fight the real enemy.(本当の敵と戦え。)」
世界は彼女に襲いかかりました。死の脅迫。ボイコット。バチカンによる非難。ラジオ局は彼女の曲を禁止し、新聞は彼女を断罪しました。フランク・シナトラは「尻を蹴り飛ばしてやりたい」と言い、ジョー・ペシは生放送で平手打ちにしてやると冗談めかして語りました。
それでもシネイドは謝罪しませんでした。彼女は説明しようとしました。教会が神父による児童への性的虐待を黙認し続けていることを告発したのだと。しかし1992年、誰もそれを聞こうとはしなかったのです。彼女の言葉は冒涜だ、妄想だ、あり得ない、と決めつけられました。
その夜は、ボブ・ディランの30周年記念コンサートでした。彼女は分かっていました。ブーイングが起きることも、許されないことも。伝説的ミュージシャンのクリス・クリストファーソンは、こう紹介しました。「シネイド・オコナーです!」そして地獄が始まりました…。
嵐のようなブーイングが湧き起こり、耳をつんざくような、容赦のない怒号が響きました。彼女はステージに立ちました。大きすぎる服に包まれた、小柄で頭を剃った姿のまま、2万人の怒りを一身に受けながら。本来なら『I Believe in You』という信念と勇気の歌を歌うはずでした。しかし、できませんでした。
そこで彼女は、とんでもないことをしたのです。叫んだのです。叫ぶように『War』を歌いました……あの日すべてを引き起こした、あの歌詞で、あの声で……。その声はもはや「歌」ではありませんでした。武器でした。彼女はひとりで、巨大な群衆と戦っていたのです。そして、耐えていました。
侮辱の声は激しさを増し、物がステージに投げ込まれました。それでもシネイドは退きませんでした。しかし、あまりにも巨大な憎悪の壁は最終的に彼女を押しつぶしました。彼女は涙を流しながらステージを去ったのです。
舞台裏では、クリス・クリストファーソンが待っていました。彼女は震え、怒りと痛みと屈辱で目をいっぱいにしていました。彼は彼女を抱きしめ、あの言葉をささやいたのです。「Don’t let the bastards get you down.(あいつらなんかにくじけるな。)」
この五つの言葉。彼女が生き抜くために必要だった五つの言葉でした。
その10年後、世界は真実を知ります。ボストン・グローブ紙が司祭たちによる体系的な虐待、子どもたちへの暴行、そして教会による隠蔽を暴いたのです。シネイドが告発していたこと、そのままでした。彼女は正しかったのです。しかし、その代償はあまりにも大きいものでした。彼女のキャリアは破壊され、名誉は汚され、声は周縁に追いやられました。真実が明らかになった頃には、もう遅すぎました。
世界は謝罪しました……半ば形だけの謝罪でした。かつて彼女を叩き潰した人々は、今になって突然「預言者」と呼びました。しかし彼女はもう、それを聞くことはできませんでした。2023年、シネイド・オコナーは56歳でこの世を去りました。そして追悼が押し寄せました。あまりにも遅すぎました……。
クリス・クリストファーソンは、誰よりも早く理解していました。歴史とは「早すぎるほど正しい人間」が罰せられる物語に満ちているということを。勇気は最初、常に狂気のように見えるということを……。そして「狂っている」と呼ばれる人々こそ、しばしば唯一の真実を語る人々だということを……。
あの夜、マディソン・スクエア・ガーデンの舞台裏で、彼には彼女を救うことはできませんでした。それでも彼女を見ることはできました。真に「見る」ことができました。反逆者としてでも、挑発者としてでもなく、世界に耳を塞がれた、ひとりの女性として……。
Don’t let the bastards get you down. あいつらなんかにくじけるな。
あなたは正しかった。あなたは早すぎただけ。
歴史は必ず、それを認めるのです。
(via Rael Maitreya)
https://t.co/KGiodXJVI9 November 11, 2025
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ジャマイカのレゲエ歌手のジミー・クリフ(Jimmy Cliff)さんが肺炎等の為死去、81歳。Bob Marley(ボブ・マーリー)と並ぶレゲエ界の大御所シンガーで、代表曲に映画『Cool Runnings』の主題歌「I Can See Clearly Now」「Many Rivers to Cross(遥かなる河)」等がある。https://t.co/sGjXI7xS6n カバー。 November 11, 2025
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世界にレゲエを広めた一人で、ジャマイカの音楽シーンを支えてきたレジェンド、ジミー・クリフ(Jimmy Cliff)が肺炎で死去した。彼の家族がSNSで発表。81歳。
ボブ・マーリーと並ぶと称されていた。1944年7月30日生まれ。1950年代に父親とともに、首都キングストンに移住した。https://t.co/kRWkl4lqrr November 11, 2025
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閉館は大失敗でしょうね。🇯🇲ボブ・マーリーもサンプラザでコンサートやったんだよ。中野出身としては残念でしかない https://t.co/juBtIgPAmD November 11, 2025
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ジミー・クリフさん死去、ボブ・マーリーと並ぶレゲエ界の大御所 アルバム「クリフ・ハンガー」がグラミー賞
https://t.co/T7ElkafMOk
ジミー・クリフさん(ジャマイカのレゲエ歌手)肺炎などのため死去、81歳。家族が24日、交流サイト(SNS)で明らかにした。ボブ・マーリーと並ぶレゲエ界の大御所シンガーで、代表曲に映画「クール・ランニング」の主題歌「アイ・キャン・シー・クリアリー・ナウ」「メニー・リヴァース・トゥ・クロス(遥かなる河)」などがある。 November 11, 2025
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逃げじゃなくて 私じゃなくてもいいんや、と思って自分の優先事項を考えた
でも、そういうことなら覚悟いたしました🙂↕️閻魔大王に人間で楽しかったでしょ?って言わせましょう
話ずれるけど昨日の建物はイエスもお釈迦さんもボブ・マーリー?もいてたんちゃうかな November 11, 2025
たしか47年前。
大阪のJimmy Cliffのコンサートに行った。
1978年3月。
初来日!
1曲目は当時出したアルバム「Give Thanks」の1曲目の「Bongo Man」だった。
薄暗い中でみんな座って「Bongo man a come~♪」と歌っていたのが印象的だった。
「Many Rivers to Cross」「Harder They Come」が目の前で聴けたのが感無量で本当に涙が出た。
たしか大阪フェスティバルホール。
今でもしっかり覚えている。
レゲエはボブ・マーリー、デニス・ブラウンとあの頃から大好きでよく聴いていたけど、Jimmy Cliffはソウル・ミュージックに近い曲も沢山あったから尚更好きだった。
特にこの「Give Thanks」は名盤で今でもよく聴く。
そのJimmy Cliffが亡くなった。
今でも思い出すコンサート。
あれを見せて聴かせてくれた。
今思えば奇跡だと思う。
若い頃、Jimmy Cliffと巡り会えたことに感謝します。
ありがとうございました。 November 11, 2025
うわ〜ボブマーリーのディースクエアードTシャツ出てた!中古だけど状態良さそうで欲しいよ〜泣
DSQUARED2 2023年モデル。 ボブ・マーリー。税込80300円。
https://t.co/yESLYm48gq November 11, 2025
@crunch19771982 ボブ・マーリーが亡くなったのは44年前。呆気ない死ではあったが、やはりレゲエのスーパースターの死として大々的に報道された。それに比較したらジミー・クリフも偉大だけど、良い意味でカリスマ性のない、気楽なレゲエ兄ちゃんみたいな感じで、今でも何処かで、実は生きてるんじゃないかと思ってる。 November 11, 2025
@primitive_alive ボブ・マーリーよりもキャリアも世界的なヒットも早かった本当の先駆者です。
悲しみが溢れてきて涙目です。
名曲たちを抱きかかえ、今夜は魂に寄り添います。 November 11, 2025
同時期にボブ・マーリーとウェイラーズの新宿厚生年金のライブも観たけど、あのころ雑誌なんかではレゲエじゃなくて、レガエって書いてたよね。ハハハ。
ジミー・クリフ、ボブ・マーリーを一緒に観た友人が、さきほど地球の裏側からメッセージをくれたよ。 November 11, 2025
たしか47年前。
大阪のJimmy Cliffのコンサートに行った。
1978年3月。
初来日!
1曲目は当時出したアルバム「Give Thanks」の1曲目の「Bongo Man」だった。
薄暗い中でみんな座って「Bongo man a come~♪」と歌っていたのが印象的だった。
「Many Rivers to Cross」「Harder They Come」が目の前で聴けたのが感無量で本当に涙が出た。
たしか大阪フェスティバルホール。
今でもしっかり覚えている。
レゲエはボブ・マーリー、デニス・ブラウンとあの頃から大好きでよく聴いていたけど、Jimmy Cliffはソウル・ミュージックに近い曲も沢山あったから尚更好きだった。
特にこの「Give Thanks」は名盤で今でもよく聴く。
そのJimmy Cliffが亡くなった。
今でも思い出すコンサート。
あれを見せて聴かせてくれた。
今思えば奇跡だと思う。
若い頃、Jimmy Cliffと巡り会えたことに感謝します。
ありがとうございました。
安らかにお眠りください。 November 11, 2025
ボブ・マーリーは芥川賞作家とすれば、ジミー・クリフは直木賞作家の風合い。またR&B感を感じる人で、オーティス・レティングのような歌心のある人だった。うめぇなって感じ。「Many River To Across」を聴くと泣きたくなる。 https://t.co/RUjXCnLuSq November 11, 2025
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