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ホッケ
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2025.12.02
:0% :0% (30代/男性)
ホッケに関するポスト数は前日に比べ9%減少しました。女性の比率は13%増加し、本日も30代男性の皆さんからのポストが最も多いです。前日は「大戸屋」に関する評判が話題でしたが、本日話題になっているキーワードは「やよい軒」です。
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
11月の外食代を集計してみました😱!!
1日かっぱ寿司 3,300円
2日からやまのからあげ20個 3,278円
3日金沢まいもん寿司 7,128円
4日家系ラーメン壱角家 2,820円
5日魚屋路の寿司 7,898円
6日幸楽苑ラーメン2,130円
7日マクドナルド 3,110円
8日一蘭ラーメン 2,860円
9日サイゼリヤ 1,350円
10日かつやタレカツ丼、定食2,068円
11日焼肉味ん味ん 5,929円
12日すき家ローストビーフ丼2,040円
13日家系ラーメン魂心家 1,690円
14日吉野家牛オムハヤシライス 2,214円
15日CoCo壱ホロ肉ドカンLv4 3,540円
16日ペヤングとファミチキ4つ 1,504円
17日大戸屋しまほっけ定食 1,130円
18日しゃぶ葉 肉、寿司食べ放題 4,148円
19日チキンカツ味噌ラーメン 1,980円
20日餃子の王将 餃子30個 3,190円
21日ブロンコビリー 2,314円
22日家系ラーメン杉田家 2,490円
23日なか卯うなぎ豪快盛3,350円
24日もちづきさんのドカ盛り2,302円
25日やよい軒唐揚げ定食1,400円
26日マクドナルドグラコロ4つ 2,750円
27日ケンタッキーで1人バーレル 4,140円
28日から好しのからあげ15個 2,940円
29日来来亭のラーメン 2,830円
30日コメダで1人パーティー 3,970円
合計91,793円
1日平均3,059円
最高値→魚屋路の寿司7,898円
最安値→大戸屋のしまほっけ定食 1,130円
以上です😱!!(全て税込価格です)
20万ぐらい使った感覚でしたが
実際に集計してみると10万すら超えて
おらず意外と安かったです😱🍚✨ December 12, 2025
74RP
#遊劇場2 #PR
おつにょす✡️
結果は決戦通してちょい負けまで生還
耐えた~~。゚(゚^ω^゚)゚。天井からの決戦は心臓にわるいww
店内は
🆕超電磁砲2
🟣北斗の拳
から良き声あり💮
🟣かぐや様
EXTRAきてて8000枚㊗️
🟣東リべ
黒い衝動◎で万枚over㊗️
ファンキー、マイジャグにも優秀台あり💮
今回は末尾⑥と①or②…?💭
まだ埋もれてるのもあるかも!
パチンコも
🟣東京喰種、ブルロ、東リべ
粘られてる台多数あり💮
相変わらず状況◎な穴場𝕊ℙ𝕆𝕋❤️🔥
12/12はほっけ氏来るョ
ぜひ遊びに行ってみてねーっ🐟💛
本日もありがとうございました💜 December 12, 2025
14RP
北海道うまいもんや
(@umaaimonya )様
クイズに正解して
《北海道詰め合わせセット》当選🐄🐖
DMのやり取りがとってもドキドキハラハラして…楽しかったーー‼️
ほっけ🐟が写真だと伝わりにくいのですが…想像以上の大きさ🤣
うまいもんが冷凍庫に沢山入って幸せです♡
ありがとうございました☺️ https://t.co/CJDTxcdsEX December 12, 2025
11RP
今日の夕食
★発芽玄米
★ほっけ
★いか・大根の煮物
★赤かぶら漬け
★具沢山味噌汁
美味しくいただきました😋
#四毒抜き https://t.co/Jffkv98thh December 12, 2025
8RP
お天気☀️良し
気温も最高👍
たまには外に出てみるか
wwって事で
BURGERKING🍔と
ヤッホーブルーイングの
クラフトビールで
公園ランチを堪能〜
晩のおつまみは
ホッケ(大)を焼いて
獺祭で
思えば北の魚(ホッケ)を
上京して初めて食べた
時の衝撃が懐かしい
たぶん、目黒のつぼ八ww 。。。 https://t.co/SUaOpAEiVU December 12, 2025
8RP
おはようございます☀!。後一月で2025年も終わりです。今年の1月に投稿漫画を書くと決めて、あっと言う間に1年、絵はまだまだですがこれからも頑張ります!。皆さんは良い1年にして下さい‼️!。開きほっけ食べに来ればいいっしょ‼️!。
#ほっけの開き
#居酒屋メニュー https://t.co/gupiSLblTA December 12, 2025
8RP
こんジャン!
【毎日ツイート109日目】
十九人とやよい軒に行った時の写真。
松永くんはホッケ定食。ゆッちゃんwはすき焼き定食を頼んでました。めっちゃ十九人だなって思った🐟🥚 https://t.co/lBD0ovKMBo December 12, 2025
6RP
晩ごはんできました🥰
今日もご飯食べれる🙏感謝🍀
礼文産開きホッケ 大根おろし
ポテトサラダ
切り干し大根(人参 椎茸)
大根ほうれん草シーチキン和え
味噌汁(大根 油揚げ ワカメ)
柿グレープフルーツ🍊
いただきます✨😌✨🙏
ありがとうございました🍃 https://t.co/Q16laHXc0n December 12, 2025
5RP
おはみさです(*^^*)☀️
今朝の朝ごはんです🍀*゜
🥢ホッケ焼き
🥢塩辛
🥢沢庵、きゃらぶき
🥢あおさの味噌汁です🍀*゜
ホッケも、ちょうどいいサイズ感で、美味しかったです(*^^*)
今日も1日宜しくお願いいたします
ヾ(*´∀`*)ノ
#旦那ご飯 https://t.co/QhvQ17W6aP December 12, 2025
4RP
本日も沢山のご来店いただきありがとうございました✨
また、ご支援も頂きありがとうございます✨
本日はほっけ・ビーズにお声掛けいただきました🍀✨
2匹一緒です✨
明日から寒くなるようですので、お店を暖かくして、ご来店をお待ちしております🐱✨ https://t.co/0xIIfge0zM December 12, 2025
2RP
ちなみにおやつタイム15時に美味しいほっけの開き定食(最近のお気に入りのお店)を摂取して未だ満腹のわたくし。 https://t.co/hA0c70WuFg December 12, 2025
2RP
本日泊まるホテルはこちら💁
株クラ民激推のホテル『法華クラブ』
株クラ民信じてるで🥹
今更だけど、法華(ほうか)クラブじゃないやな🥹物騒なホテル名やなと思ってたわ😃
法華(ほっけ)クラブやった😃みんなも気ぃつけや😃 https://t.co/cCy6TOz2SA December 12, 2025
2RP
縞ほっけ焼きに根菜たっぷりの煮物、水菜と油揚げのお味噌汁にレタスごまサラダの和定食なんていかがでしょう
#おうちごはん #料理好きな人と繋がりたい https://t.co/tztBEaTX70 December 12, 2025
2RP
(・(ェ)・)今日は8キロちゃんの8回目の月命日
もう8回…時間がすぎるの早いよ
悲しみと愛情を込めてお世話させてもらって旅立つのを見送ったのがまだ最近のよう
私はまだ悲しみに囚われてる…
8キロちゃん今日は特大肉厚ほっけとお刺身出してあげるからねー
お兄ちゃんズと仲良く食べてね https://t.co/IqMiUrnGO6 December 12, 2025
2RP
おはようございます🌄
本日の朝食はご飯に味噌汁、ホッケに納豆いただきます🍚
小さい頃にお母さんが作ってくれたような感じが懐かしい😊 https://t.co/gX7tBUr4Lo December 12, 2025
2RP
🐟12月スケジュール🐟#PR
青海ほっけ12月スケジュールこちら⬇️
クリスマス付近コスプレするかもな感じです🎄🎅🏻
体調崩しやすい時期なので、みんな手洗いうがいするんだヨ!🐟との約束ダ!
拡散のご協力もよろしくです🙂↕️
#ほっけのスケジュール
#いいねした人フォローする
#拡散頼みまし https://t.co/rlwMU0UtoP https://t.co/hYO5YxwO5y December 12, 2025
2RP
延暦寺
(えんりゃくじ)大津市坂本本町4220
詳細
大阪天満宮
(おおさかてんまんぐう)大阪市北区天神橋2-1-8
詳細
大原野神社
(おおはらのじんじゃ)京都市西京区大原野南春日町1152
詳細
大神神社
(おおみわじんじゃ)桜井市三輪1422
詳細
大和神社
(おおやまとじんじゃ)天理市新泉町306
詳細
帯解寺
(おびとけでら)奈良市今市町734
詳細
カ行
霊場名称住所詳細
橿原神宮
(かしはらじんぐう)橿原市久米町934
詳細
春日大社
(かすがたいしゃ)奈良市春日野町160
詳細
勝尾寺
(かつおうじ)箕面市粟生間谷2914-1
詳細
神峯山寺
(かぶさんじ)高槻市原3301-1
詳細
竈山神社
(かまやまじんじゃ)和歌山市和田438
詳細
賀茂御祖神社
(かもみおやじんじゃ)京都市左京区下鴨泉川町59
詳細
賀茂別雷神社
(かもわけいかづちじんじゃ)京都市北区上賀茂本山339
詳細
観心寺
(かんしんじ)河内長野市寺元475
詳細
観音正寺
(かんのんしょうじ)近江八幡市安土町石寺2
詳細
観音寺
(かんのんじ)京都市東山区泉涌寺山内町32
詳細
元興寺
(がんごうじ)奈良市中院町11
詳細
岩船寺
(がんせんじ)木津川市加茂町岩船上ノ門43
詳細
北野天満宮
(きたのてんまんぐう)京都市上京区馬喰町
詳細
貴船神社
(きふねじんじゃ)京都市左京区鞍馬貴船町180
詳細
清荒神清澄寺
(きよしこうじんせいちょうじ)宝塚市米谷字清シ1
詳細
清水寺
(きよみずでら)京都市東山区清水1-294
詳細
金閣寺
(きんかくじ)京都市北区金閣寺町1
詳細
金峯山寺
(きんぷせんじ)吉野郡吉野町吉野山2498
詳細
行願寺
(ぎょうがんじ)京都市中京区寺町通竹屋町上ル行願寺門前町
詳細
銀閣寺
(ぎんかくじ)京都市左京区銀閣寺町2
詳細
熊野那智大社
(くまのなちたいしゃ)東牟婁郡那智勝浦町那智山1
詳細
熊野速玉大社
(くまのはやたまたいしゃ)新宮市新宮1
詳細
熊野本宮大社
(くまのほんぐうたいしゃ)田辺市本宮町本宮1110
詳細
鞍馬寺
(くらまでら)京都市左京区鞍馬本町1074
詳細
車折神社
(くるまざきじんじゃ)京都市右京区嵯峨朝日町23
詳細
皇大神宮
(こうたいじんぐう)伊勢市宇治館町1
詳細
興福寺
(こうふくじ)奈良市登大路町48
詳細
籠神社
(このじんじゃ)宮津市字大垣430
詳細
金剛寺
(こんごうじ)河内長野市天野町996
詳細
金剛峯寺
(こんごうぶじ)伊都郡高野町高野山132
詳細
金剛輪寺
(こんごうりんじ)愛知郡愛荘町松尾寺874
詳細
御香宮神社
(ごこうのみやじんじゃ)京都市伏見区御香宮門前町174
詳細
御靈神社
(ごりょうじんじゃ)京都市上京区上御霊竪町495
詳細
サ行
霊場名称住所詳細
西教寺
(さいきょうじ)大津市坂本5-13-1
詳細
西大寺
(さいだいじ)奈良市西大寺芝町1-1-5
詳細
西明寺
(さいみょうじ)犬上郡甲良町池寺26
詳細
三千院
(さんぜんいん)京都市左京区大原来迎院町540
詳細
四條畷神社
(しじょうなわてじんじゃ)四條畷市南野2-18-1
詳細
七宝瀧寺
(しっぽうりゅうじ)泉佐野市大木8
詳細
四天王寺
(してんのうじ)大阪市天王寺区四天王寺1-11-18
詳細
相国寺
(しょうこくじ)京都市上京区相国寺門前町701
詳細
聖護院
(しょうごいん)京都市左京区聖護院中町15
詳細
青蓮院
(しょうれんいん)京都市東山区粟田口三条坊町69-1
詳細
真正極楽寺
(しんしょうごくらくじ)京都市左京区浄土寺真如町82
詳細
慈尊院
(じそんいん)伊都郡九度山町慈尊院832
詳細
寂光院
(じゃっこういん)京都市左京区大原草生町676
詳細
城南宮
(じょうなんぐう)京都市伏見区中島鳥羽離宮町7
詳細
浄瑠璃寺
(じょうるりじ)木津川市加茂町西小札場40
詳細
神護寺
(じんごじ)京都市右京区梅ヶ畑高雄町5
詳細
須磨寺
(すまでら)神戸市須磨区須磨寺町4-6-8
詳細
住吉大社
(すみよしたいしゃ)大阪市住吉区住吉2-9-89
詳細
青岸渡寺
(せいがんとじ)東牟婁郡那智勝浦町那智山8
詳細
赤山禅院
(せきざんぜんいん)京都市左京区修学院開根坊町18
詳細
施福寺
(せふくじ)和泉市槇尾山町136
詳細
泉涌寺
(せんにゅうじ)京都市東山区泉涌寺山内町27
詳細
総持寺
(そうじじ)茨木市総持寺1-6-1
詳細
タ行
霊場名称住所詳細
當麻寺
(たいまでら)葛城市當麻1263
詳細
太融寺
(たいゆうじ)大阪市北区太融寺町3-7
詳細
多賀大社
(たがたいしゃ)犬上郡多賀町多賀604
詳細
建部大社
(たけべたいしゃ)大津市神領1-16-1
詳細
田村神社
(たむらじんじゃ)甲賀市土山町北土山469
詳細
談山神社
(たんざんじんじゃ)桜井市多武峰319
詳細
大安寺
(だいあんじ)奈良市大安寺2-18-1
詳細
大覚寺
(だいかくじ)京都市右京区嵯峨大沢町4
詳細
醍醐寺
(だいごじ)京都市伏見区醍醐東大路町22
詳細
大聖寺
(だいしょうじ)京都市上京区烏丸通り今出川上ル
詳細
大念佛寺
(だいねんぶつじ)大阪市平野区平野上町1-7-26
詳細
智積院
(ちしゃくいん)京都市東山区東大路通七条下ル東瓦町964
詳細
中宮寺
(ちゅうぐうじ)生駒郡斑鳩町法隆寺北1-1-2
詳細
朝護孫子寺
(ちょうごそんしじ)生駒郡平群町信貴山2280-1
詳細
長命寺
(ちょうめいじ)近江八幡市長命寺町157
詳細
壷阪寺
(つぼさかでら)高市郡高取町壷阪3
詳細
天龍寺
(てんりゅうじ)京都市右京区嵯峨天龍寺芒ノ馬場町68
詳細
鬪雞神社
(とうけいじんじゃ)田辺市東陽1-1
詳細
唐招提寺
(とうしょうだいじ)奈良市五条町13-46
詳細
東寺
(とうじ)京都市南区九条町1
詳細
東大寺
(とうだいじ)奈良市雑司町406-1
詳細
豊受大神宮
(とようけだいじんぐう)伊勢市豊川町279
詳細
道成寺
(どうじょうじ)日高郡日高川町鐘巻1738
詳細
道明寺天満宮
(どうみょうじてんまんぐう)大阪府藤井寺市道明寺1-16-40
詳細
ナ行
霊場名称住所詳細
中山寺
(なかやまでら)宝塚市中山寺2-11-1
詳細
長田神社
(ながたじんじゃ)神戸市長田区長田町3-1-1
詳細
長濱八幡宮
(ながはまはちまんぐう)長浜市宮前町13-55
詳細
丹生川上神社
(にうかわかみじんじゃ)吉野郡東吉野村小968
詳細
丹生川上神社上社
(にうかわかみじんじゃかみしゃ)吉野郡川上村迫869-1
詳細
丹生川上神社下社
(にうかわかみじんじゃしもしゃ)吉野郡下市町長谷1-1
詳細
丹生官省符神社
(にうかんしょうぶじんじゃ)伊都郡九度山町慈尊院835
詳細
丹生都比賣神社
(にうつひめじんじゃ)伊都郡かつらぎ町上天野230
詳細
西宮神社
(にしのみやじんじゃ)西宮市社家町1-17
詳細
仁和寺
(にんなじ)京都市右京区御室大内33
詳細
根來寺
(ねごろじ)岩出市根来2286
詳細
ハ行
霊場名称住所詳細
長谷寺
(はせでら)桜井市初瀬731-1
詳細
播州清水寺
(ばんしゅうきよみずでら)加東市平木1194
詳細
日牟禮八幡宮
(ひむれはちまんぐう)近江八幡市宮内町257
詳細
百濟寺
(ひゃくさいじ)東近江市百済寺町323
詳細
日吉大社
(ひよしたいしゃ)大津市坂本5-1-1
詳細
枚岡神社
(ひらおかじんじゃ)東大阪市出雲井町7-16
詳細
平野神社
(ひらのじんじゃ)京都市北区平野宮本町1
詳細
廣瀬大社
(ひろせたいしゃ)北葛城郡河合町川合99
詳細
廣田神社
(ひろたじんじゃ)西宮市大社町7-7
詳細
廣峯神社
(ひろみねじんじゃ)姫路市広嶺山52
詳細
毘沙門堂
(びしゃもんどう)京都市山科区安朱稲荷山町18
詳細
平等院
(びょうどういん)宇治市宇治蓮華116
詳細
伏見稲荷大社
(ふしみいなりたいしゃ)京都市伏見区深草藪之内町68
詳細
葛井寺
(ふじいでら)藤井寺市藤井寺1-16-21
詳細
藤白神社
(ふじしろじんじゃ)海南市藤白466
詳細
平安神宮
(へいあんじんぐう)京都市左京区岡崎西天王町97
詳細
宝鏡寺
(ほうきょうじ)京都市上京区寺之内通堀川東入百々町547
詳細
宝厳寺
(ほうごんじ)長浜市早崎町竹生島1664
詳細
宝山寺
(ほうざんじ)生駒市門前町1-1
詳細
法樂寺
(ほうらくじ)大阪市東住吉区山坂1-18-30
詳細
法隆寺
(ほうりゅうじ)生駒郡斑鳩町法隆寺山内1-1
詳細
法華寺
(ほっけじ)奈良市法華寺町882
詳細
マ行
霊場名称住所詳細
松尾大社
(まつのおたいしゃ)京都市西京区嵐山宮町3
詳細
松尾寺
(まつのおでら)舞鶴市松尾532
詳細
摩耶山天上寺
(まやさんてんじょうじ)神戸市灘区摩耶山町2-12
詳細
曼殊院
(まんしゅいん)京都市左京区一乗寺竹ノ内町42
詳細
三井寺
(みいでら)大津市園城寺町246
詳細
御上神社
(みかみじんじゃ)野洲市三上838
詳細
水間寺
(みずまでら)貝塚市水間638
詳細
水無瀬神宮
(みなせじんぐう)三島郡島本町広瀬3-10-24
詳細
湊川神社
(みなとがわじんじゃ)神戸市中央区多聞通3-1-1
詳細
三室戸寺
(みむろとじ)宇治市莵道滋賀谷21
詳細
妙法院
(みょうほういん)京都市東山区妙法院前側町447
詳細
室生寺
(むろうじ)宇陀市室生78
詳細
ヤ行
霊場名称住所詳細
薬師寺
(やくしじ)奈良市西ノ京町457
詳細
八坂神社
(やさかじんじゃ)京都市東山区祇園町北側625
詳細
吉田神社
(よしだじんじゃ)京都市左京区吉田神楽岡町30
詳細
善峯寺
(よしみねでら)京都市西京区大原野小塩町1372
詳細
霊場名称住所詳細
霊山寺
(りょうせんじ)奈良市中町3879
詳細
六波羅蜜寺
(ろくはらみつじ)京都市東山区五条通大和大路上ル東
詳細
ワ行
霊場名称住所詳細
海神社
(わたつみじんじゃ)神戸市垂水区宮本町5-1
詳細
役行者霊蹟札所会
https://t.co/GV6ysdkhUX
役行者の遺徳と修験道の世界により多くの人々に触れていただき、その目指す所をご理解いただくべく、役行者ゆかりの寺院が集まって、この「役行者霊蹟札所会」を結成するはこびとなりました。
それは、平成の世における、新たな修験道の出発でもあります。
https://t.co/VCxrcUDOen
札所会について
役行者(えんのぎょうじゃ)とは、大峰山(おおみねさん)においては蔵王権現(ざおうごんげん)を、葛城山(かつらぎさん)においては法起菩薩(ほうきぼさつ)を感得され、山岳抖藪(さんがくとそう)の実践行を通じて得られたという神通力によって、人々を済度した在家の修行者として信仰されてきた人です。
倭国古来の山岳信仰に、役行者に代表される山林修行者たちによって、仏教や道教・儒教など外来の宗教が結びつけられ、次第に組織・体系化されたのが、「修験道(しゅげんどう)」です。
その精神と実践は、理源大師聖宝(しょうぼう)や智証大師円珍(えんちん)をはじめ、累代の修験の祖師と仰がれる仏教者達によって伝承され、今に至る1300年の長きにわたって伝えられてきました。
修験道の開祖としての役行者への信仰は、その長い歴史において、50年ごとに御遠忌法要などを執りおこなうことによって盛り上がってまいりましたが、それがそのまま修験道の歴史でもあったと申せましょう。
ただし、その歴史は、決して平穏なるものであったわけではなく、中世後期以来、修験の組織は、聖護院を中核とする天台系の本山派修験道と、醍醐寺を中核とする真言系の当山派修験道の二つに分かれ、互いに競合して相争うなど円満でない時代もありました。
明治維新を迎えると、明治政府から神仏分離政策にともなう「修験道廃止令」が1872年に発布されたことにより、全国各地の修験道組織は解体を余儀なくされ、修験道寺院も次々と廃寺の憂き目に遭いました。
そして、それにともない人々の修験道への信仰も衰退していったのです。
しかしながら、さる平成13年、役行者神変大菩薩1300年御遠忌を機として、修験教団たる真言宗醍醐派総本山醍醐寺・本山修験宗総本山聖護院・金峯山修験本宗総本山金峯山寺の三つの本山が一堂に会し、御遠忌合同大法要を、山上ヶ岳の大峯山寺本堂において厳修。
さらにこの機会をもって、役行者の遺徳と修験道の世界により多くの人々に触れていただき、その目指す所をご理解いただくべく、役行者ゆかりの三十六寺社が集まって、この「役行者霊蹟札所会」を結成するはこびとなりました。
それは、平成の世における、新たな修験道の出発でもあります。
このサイトで紹介されております「役行者霊蹟札所巡礼」は、その一つの表現であります。
皆様が、役行者ゆかりの寺々、山々を巡り、その遺徳に触れ、大自然を道場とした山岳抖藪の実践行を共有され、霊蹟札所を巡られることは、修験道の長い歴史に新たなる一ページを加えるものと確信しております。
役行者霊蹟札所会
役行者霊蹟札所総会
去る令和三年六月二十五日、紀州根來寺湊御殿において、役行者霊蹟札所総会が開催されました。
総会では小松新会長・大塚副会長・近藤副会長など新役員の就任等が審議され、承認されました。
また、今期の総会法要は例年行われてきた平和祈願祭ではなく、時勢を鑑みてコロナ感染症疫病退散祈願会として執行し、根來寺一山修法による護摩供で、役行者霊蹟札所会疫病退散の御札を製作し、開眼いたしました。
この御札は、一字院に三体配布し、各加盟寺社で一年間、札所会として疫病退散の祈念することを決定いたしました。
新・旧会長挨拶
今般、以下の通り就任いたしました。
役行者尊の御霊威にあやかり、誠に微力ではございますが、これよりは当札所会の円滑な運営と更なる充実の為に全力を尽くしてまいります。
何卒、ご指導ご鞭撻の程、よろしくお願い申し上げます。
会長:法樂寺住職 小松光昭
副会長:千光寺住職 大塚静弘
副会長:神峯山寺副住職 近藤孝道
役行者霊蹟札所会 会長 小松光昭
平成二十三年より三期十年間に亘り、皆様のお力添えのもと役行者神変大菩薩顕彰に勤めてまいりましたが、今後は若い世代に引き継いでいただくことと相成りました。
これまでのご懇情いに感謝申し上げと共に、今後も相変わらませず当札所会発展の為にお力添え賜ります様、宜しくお願い申し上げます。
前会長:七宝瀧寺貫主 東條仁哲
前副会長:泉州松尾寺住職 高岡保博
前副会長:金峯山寺長臈 田中利典
役行者霊蹟札所会 旧会長 東條仁哲
三十六寺社紹介
https://t.co/E0T8E6I0oW
ここでは、役行者霊蹟札所となっている三十六の寺社のそれぞれご紹介しております。
以下に挙げている画像、または寺社名をクリックすると、各寺社の簡単な縁起や交通情報、GoogleMapを利用した周辺地図など、個別にご紹介しているべージを表示します。
画像:きんぷせんじ
金峯山寺
奈良県
画像:にょいりんじ
如意輪寺
奈良県
画像:ちくりんいん
竹林院
奈良県
画像:さくらもとぼう
櫻本坊
奈良県
画像:きぞういん
喜蔵院
奈良県
画像:ぜんぷくじ
善福寺
奈良県
画像:だいにちじ
大日寺
奈良県
画像:とうなんいん
東南院
奈良県
画像:ほんざんじ
本山寺
大阪府
画像:おおみねさんじ
大峯山寺
奈良県
画像:りゅうせんじ
龍泉寺
奈良県
画像:すぎょうじ
菅生寺
奈良県
画像:きっしょうそうじ
吉祥草寺
奈良県
画像:せんこうじ
千光寺
奈良県
画像:ほうざんじ
寶山寺
奈良県
画像:りょうせんじ
霊山寺
奈良県
画像:まつおでら
松尾寺
奈良県
画像:ちょうごそんしじ
朝護孫子寺
奈良県
画像:むろうじ
室生寺
奈良県
画像:おおのじ
大野寺
奈良県
画像:しょうごいんもんぜき
聖護院門跡
京都府
画像;だいごじ
醍醐寺
京都府
画像:かぶさんじ
神峯山寺
大阪府
画像:ほうらくじ
法楽寺
大阪府
画像:せんしゅうまつおでら
松尾寺
大阪府
画像:しっぽうりゅうじ
七寶瀧寺
大阪府
画像:ひろかわでら
弘川寺
大阪府
画像:かんしんじ
観心寺
大阪府
画像:てんぽうりんじ
転法輪寺
奈良県
画像:せんじゅうじ
千手寺
大阪府
画像:てんりゅういん
天龍院
大阪府
画像:こうほうじ
興法寺
大阪府
画像:ねごろじ
根来寺
和歌山県
清荒神清澄寺
兵庫県
画像;すまでら
須磨寺
兵庫県
画像;いぶきさんじ
伊吹山寺
滋賀県
三十六寺社マップ
https://t.co/f25ucnW4Ho
ここでは、二府四県にまたがって点在している、役行者霊蹟札所の分布図を、ご紹介しております。
札所それぞれの詳細な位置情報、ならびにアクセス方法などは、三十六寺社紹介の各寺社それぞれを紹介するなかに記載しておりますので、そちらをご参照下さい。
修験道とは何か
https://t.co/TwzOkxiyCc
修験道とは
修験道は、山を聖域と見、その聖域の奥深くまで分け入って修行することによって、神秘的な力を得、その力によって自他の救済を目指そうとする山岳信仰の宗教です。
このようなことから、修験を「山伏(やまぶし)」と言うこともあります。
修験との名称は、その字の如く、「修行して験力を顕す道」であるということから名づけられたものです。
修験道は、自然の中でも特に「山」を神聖視してきた倭国人古来の山岳信仰に、インドの宗教である仏教や、中国の宗教である道教や儒教など、外来の宗教が結びつき、さらにそこに神道や陰陽道、民間信仰などまでが取り入れられ、次第に形成されてきました。
修験道の教義や世界観、修行方法は、ほとんどの場合仏教、とりわけ密教のものが取り入れられており、そのため仏教や密教についての知識がなければ、まず修験道を理解することは出来ません。
しかし、では「修験道=仏教」かというと、そうとは言えません。
これは、中世より修験道を伝えたのが、役行者のような在俗の者だけではなく、仏教僧のなかでもとりわけ密教僧が主体であったためです。
よって、「修験道は仏教の一部」と見なされる場合が多く、修験道を仏教の修行法の一つとして考えられています。
修験道とは、倭国古来のきわめて漠然とした宗教的心情を、主に仏教の思想体系によって整理し、さらにその他の宗教をも換骨奪胎して形成されてきた「倭国独自の宗教」である、と捉えるのが妥当かもしれません。
修験道の歴史
修験道は、7~8世紀に大和葛城山で活動していた呪術者、「役小角(えんのおづの)」によって開創されたと伝承されています。
もっとも、現実には、役小角が当初、具体的にどのような思想を持ち、どのような修行を行っていたかは、ただ葛城山の中に住んで呪術を駆使していることが知られているだけで、詳しいことはわかっていません。
そして、そのような役小角は、弟子の讒言により島流しに処されたことが伝えられています(『続倭国記』)。
又、奈良中期から末期にかけて、仏教僧の中に山林修行を行う者が多数現れます。
平安期初頭に密教が倭国に伝えられると、修験道は、主に密教の僧侶による主導のもと、仏教のなかでも特に密教の体系的な思想と修行法を導入した、「仏教の一派」「仏教の修行法の一つ」とも言い得るものになっていきます。
現在、修験道の当山派と本山派という二大流派の派祖として崇められている聖宝と増誉は、それぞれ真言密教僧と天台密教僧なのです。
奈良時代には、国家から危険視されて規制の対象となり、社会からも賤民(せんみん)として扱われさえしていた山林修行者の一部は、真言密教を初めて倭国に伝えた空海や、天台宗の密教を伝えるために唐に渡った、円仁(えんにん)・円珍(えんちん)などによって、密教が隆盛を迎えるようになった平安期になると、貴族達などからむしろその験力、呪力などによる現世利益が期待される存在となり、ある程度の社会的地位が約束されるようになったようです。
鎌倉初期には、必ずしも僧侶でない一般の山林修行者達が、修験道独自の集団を形成していき、次第に神道や陰陽道などさまざまな宗教の思想を取り込みつつ、民衆の支持を集めていったようです。
そしてその修行や活動拠点は、葛城山・大峰山・金峯山・熊野三山だけでなく、富士山・羽黒山・彦山・御嶽山・大山・白山など全国各地に広がりを見せ、それぞれが独自の教義や一定の組織を持つに至ります。
しかし、江戸幕府が開かれると、それら全国各地に展開していた修験者たちは、一部を除いて、真言系の当山派か天台系の本山派の、何れかの派に所属させられることになります。
明治維新を迎えると、国家神道の(「神道とは宗教のような低俗なものでなく、より普遍的科学的な人の道」とする)建前上、神道を含んだ様々な宗教の混淆である修験道は、容認できるものでなかったため、明治元年(1868)から明治5年(1872)にかけての太政官達によって、公式には廃止されます。
しかし、それまで修験道を支持していた人々の信仰や、祭祀などの慣習まで廃することは出来ず、また修験道側も、組織として真言宗醍醐派や天台宗寺門派に属してその命脈を保とうとするなど、なんらかの形で存続します。
そして、昭和の大戦後、修験道諸流は、それぞれが宗教法人格を取得するなどして、一個の独立した宗教として復活することになります。
修験道大結集
年号変わって平成の世となった平成16年7月1日、大峯山・熊野三山・高野山の三つの霊場と、大峯奥駆道・熊野古道・高野山町石道の三つの参詣道が、「紀伊山地の霊場と参詣道」として、ユネスコの世界遺産に登録されます。
これを期に、全国各地の修験道諸派を集結して「修験道大結集(しゅげんどうだいけつじゅう)」が催され、世界の平和を祈ると共に、今後も修験道が社会で活動を展開し、共に発展していくことを確認しあいました。
修験道は、倭国古来の、そして現代にも息づく宗教であり、倭国文化の一端を担う存在でもあるのです。
開祖 役行者(えんのぎょうじゃ)
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役行者とは
写真:役行者坐像(大峯山寺蔵)
「役行者(えんのぎょうじゃ)」とは、7~8世紀に奈良を中心に活動していたと思われる、修験道の開祖とされている人物です。
「役小角(えんのおづの)」がその本名であると言われ、またほかに「役優婆塞(えんのうばそく)」、「神変大菩薩(じんべんだいぼさつ)」、「山上様(さんじょうさま)」などの呼び名があります。
役行者が、7~8世紀に実在したことは確かなようですが、生没年など詳しいことは不明です。
もっとも、伝説の多くは、舒明天皇六年(634)1月1日に大和国茅原にて生まれ、大宝元年(701)、68歳の時に「没した」のでなく、「昇天した」としています。
いずれにせよ、この世の人でなくなった、ということでしょう。
「役優婆塞」とは、平安初期に成立したと目されている『倭国霊異記』における役行者の呼び名です。
優婆塞(うばそく)とは、サンスクリット「upāsaka(ウパーサカ)」の音写語で、「在家仏教信者」を意味する言葉です。
役行者は、僧侶ではなく、在家仏教信者として修行した人です。
このサイトでもっぱら使っている「役行者」という呼称は、平安期に入ってから使用されだしたもののようです。
それ以前の奈良時代には、「役君小角」と一般に呼ばれていたようですが、詳細は不明です。
「神変大菩薩」とは、盈仁(えいにん)法親王がつとめられた「役行者一千百年御遠忌」を機に、聖護院門跡に三年間仮御所を置かれいた光格天皇が、寛政十一年(1799)、役行者に贈った諡号(しごう)です。
諡号とは、僧侶や貴人などの死後に、その生前の行いを尊んで朝廷から贈られる名です。
さて、役行者にまつわる伝説は、大変多く残されており、それらが記された書物なども数多く伝わっています。
それら伝説のなかで、役行者は、不思議な力を駆使して空を、野山を駆けめぐり、鬼神を自在にあやつった人とされています。
伝説には、奇想天外にすぎて、現代的には到底信じがたいようなものが多くあります。
しかし、いずれにせよ、役行者とは、数々の不可思議な事績をのこした偉大な修行者、修験道の開祖として崇められてきた存在です。
しかし、そのように伝説に彩られた役行者ですが、それが実在の人物であったことを確認できる正史と言われる史料は、非常に限られています。
いや、たった一つで、しかもわずか数行でしかありません。平安初期に編纂された、『続倭国紀(しょくにほんぎ)』にある記述がそれです。
『続倭国紀』にみる役行者
「文武天皇三年五月丁丑」
役君小角(えんのきみ しょうかく) 伊豆島ニ流サル。
初メ小角葛城山(かつらぎさん)ニ住シ呪術ヲ以テ称サル。
外ノ従五位下韓国連廣足(からくにのむらじ ひろたり)焉ヲ師ト為ス、後其ノ能ヲ害(そね)ミ、讒(ざん)スルニ妖惑ヲ以テス。
故ニ遠島ニ配セラル。
世ニ相イ伝エ言ク。
小角能ク鬼神ヲ役使シ、水ヲ汲ミ薪ヲ採セ、若シ命ヲ用ヒザレバ即チ呪ヲ以テ之ヲ縛ス。(原漢文)
〈訳文〉
文武天皇3年(699)5月24日、役君小角が伊豆島に流された。
小角は葛城山に住み、呪術をよくすると、世間の評判であった。
従五位下の韓国連廣足という者が、当初この小角を師と仰いでいたが、その能力をねたんで、(役小角が)人々に妖言を吐き惑わしていると朝廷に誹謗中傷した。
そのため、(小角は)遠島の刑に処せられたのである。
世間の噂では、小角は巧みに鬼神を使役して、水を汲んだり薪を採らせ、もし(鬼神が)命令に背くようならば、たちまち呪術によって身動きがとれないようにしてしまう、などと言われている。
ここからわかることは、「鬼神を使役できると世間で噂されている、葛城山に住む行者の役君小角が、従五位下というかなり高い官位にあった弟子の告発で島流しにあった」ということだけです。
正史からは、役行者の人となり、生い立ちや思想などはまったく知ることが出来ません。
しかも、役行者が流刑に処せられたのは事実としても、その業行は、あくまで「世間の噂」でしかありません。
宗教者が社会を「妖惑」するのは、いつの世も為政者にとって、とても危険なことです。
例えば「僧尼令」でも、社会を妖惑する行為を第一条にて禁じています。
正規の僧尼でも、これを行うものは処罰されたのです。
役行者のように、山に住んでいる「在俗の者」がこれを行うのは、なおさら危険とされて配流されたのは当時として当然と言えるでしょう。
役行者に関連して、正史から知られることは、ただこれだけのことです。
『倭国霊異記』にみる役行者
次に挙げるのは、史料ではなく、あくまで説話集です。
同じく平安初期に、『続倭国紀』にやや遅れて成立したとされる、薬師寺の僧景戒(きょうかい)によって編纂された倭国最古の説話集、『倭国現報善悪霊異記』いわゆる『倭国霊異記(にほんりょういき)』です。
この上巻に、当時の世間一般が流通していたであろう、役行者にまつわる説話が収録されています。
ここでは、『続倭国紀』に見られなかった、役行者の出自についてなどが若干記されており、いかなる修行を行っていたかを多少描かれています。
むろんこれは説話集ですから、それが事実であったかどうかは別の話です。
「孔雀王の咒法を修持し、異しき験力を得て、現に仙と作りて天に飛ぶ縁 第二十八」
役優婆塞(えんのうばそく)は、賀茂役公(かものえのきみ)、今の高賀茂朝臣(たかかものあそん)といふ者なり。
大和国葛木上郡茅原(ちはら)村の人なり。
生(うまれながら)知り博学一なり。
三宝を仰ぎ信(う)けて業とす。
毎(つね)に庶(ねが)はくは、五色の雲に挂(かか)りて、仲虚(なかぞら)の外に飛び、仙宮の賓と携り、億載(おくさい)の庭に遊び、蘂蓋(すいがい)の苑に臥伏(ふ)し、養性(ようじょう)の気を吸ひ、くらふことをねがふ。
所以(ゆえ)に晩年四十余歳を以て、更に巌窟に居り、葛を被、松を飲み、清水の泉を沐み、欲界の垢を濯ぎ、孔雀の咒法を修習し、奇異の験術を證し得たり。
鬼神を駆使得ること自在なり。(以下略:後述)〈*原漢文〉
〈訳文〉
「孔雀明王の呪法を修め、不思議な力を得て、現世で仙人となって天に飛んだ話 第二十八」
役優婆塞は、賀茂役公、今の高賀茂朝臣の出身である。
大和国葛木の上郡茅原村の人であった。
生まれつき博学でぬきんでており、仏法僧の三宝を深く信じていた。
いつも(彼が)心に願っていたのは、五色の雲に乗って、果てしない空を飛び、仙人の宮殿にいる客人と一緒になって、永遠の楽園や、華の満ちた苑起居してその「気」を得、身心生命を養う事を心掛けていた。
(若い頃からそのようにねがっていたので、)四十歳を過ぎるころには、洞窟で生活するようになり、葛で作った着物を羽織り、松の実を食べ、清らかな湧き水で沐浴するなどして、俗世間の垢を落とし、孔雀明王の呪法を修行して、不思議な力を得たのである。
鬼神を使役することは自由自在であった。(以下略:後述)
原文の全てとその訳文を掲載するのは長くなりすぎるため、省略いたしました。
以上に述べられているのは、役行者は、三宝に帰依する優婆塞あり、その上に道教的、密教的な苦修練行によって不思議な修験の術を得たというのです。
ここでは道教と仏教とが混在しており、なんとも奇妙ですが、これが『倭国霊異記』当時の倭国民族宗教に対する一般的な見方とも考えられます。
これは、いまだ弘法大師空海によって、悟りをその第一目的とする「純密(じゅんみつ)」が、唐からもたらされる以前に行われていた、悟りを第一目的にするのでなく、超自然的能力の獲得をこそ主目的とする「雑密(ぞうみつ)」を、役行者が行っていたとする伝承と見ることが出来るでしょう。
また、修験がまだ正統な密教の影響を多分にうけて「修験道」として成立していない時代の反映とも見ることも出来るでしょう。
さて、以下に、先ほどは長きに過ぎて省略した箇所の、概要だけを示しておきます。 December 12, 2025
1RP
ウルフさんからもらったホッケですニャ!
グリルパンに収まりきらないほど大きく、脂が乗っていながらあっさりとした旨味、身が分厚くて骨と離れやすい食べやすさ、だししょうゆをちょっとかけて食べると最高ニャ!
お高いお魚ニャ!一番好きニャ!
#今週の死んだ魚 https://t.co/Bygwa7tysQ December 12, 2025
1RP
鬼志別南町(おにしべつみなみまち) 北海道宗谷郡猿払村
鬼島(おにじま) 静岡県藤枝市
鬼高(おにたか) 千葉県市川市
鬼津(おにづ) 福岡県遠賀郡遠賀町
鬼取町(おにとりちょう) 奈良県生駒市
鬼木(おにのき) 福岡県豊前市
鬼橋町(おにばしまち) 長崎県大村市
鬼袋町(おにふくろまち) 青森県西津軽郡鰺ヶ沢町
鬼伏(おにぶし) 新潟県糸魚川市
鬼丸町(おにまるちょう) 佐賀県佐賀市
鬼柳(おにやなぎ) 神奈川県小田原市
鬼柳町(おにやなぎちょう) 岩手県北上市
鬼脇(おにわき) 北海道利尻郡利尻富士町
鬼籠野(おろの) 徳島県名西郡神山町
鬼童町(おんどうまち) 福岡県柳川市
影鬼越(かげおにごえ) 福島県白河市
上鬼柳(かみおにやなぎ) 岩手県北上市
鎌原鬼の泉水(かんばらおにのせんすい) 群馬県吾妻郡嬬恋村
鬼岩寺(きがんじ) 静岡県藤枝市
鬼女新田(きじょしんでん) 静岡県牧之原市
北鬼江(きたおにえ) 富山県魚津市
北鬼柳(きたおにやなぎ) 岩手県北上市
鬼無里(きなさ) 長野県長野市
鬼無里日下野(きなさくさがの) 長野県長野市
鬼無里日影(きなさひかげ) 長野県長野市
鬼無町鬼無(きなしちょうきなし) 香川県高松市
鬼無町是竹(きなしちょうこれたけ) 香川県高松市
鬼無町佐藤(きなしちょうさとう) 香川県高松市
鬼無町佐料(きなしちょうさりょう) 香川県高松市
「鬼」を含む地名— 88 件
「鬼」を含む町域名
鬼無町藤井(きなしちょうふじい) 香川県高松市
鬼無町山口(きなしちょうやまぐち) 香川県高松市
鬼怒(きぬ) 茨城県下妻市
鬼怒ケ丘(きぬがおか) 栃木県真岡市
鬼怒川温泉大原(きぬがわおんせんおおはら) 栃木県日光市
鬼怒川温泉滝(きぬがわおんせんたき) 栃木県日光市
鬼舞(きぶ) 新潟県糸魚川市
九鬼町(くきちょう) 三重県尾鷲市
九鬼町(くきちょう) 大阪府和泉市
国見町鬼籠(くにみまちきこ) 大分県国東市
桜井総稱鬼泪山(さくらいそうしょうきなだやま) 千葉県富津市
下鬼柳(しもおにやなぎ) 岩手県北上市
前鬼(ぜんき) 奈良県吉野郡下北山村
竹野町鬼神谷(たけのちょうおじんだに) 兵庫県豊岡市
玉川町鬼原(たまがわちょうおにばら) 愛媛県今治市
父鬼町(ちちおにちょう) 大阪府和泉市
百目鬼(どめき) 山形県山形市
鳴子温泉鬼首(なるこおんせんおにこうべ) 宮城県大崎市
南郷鬼神野(なんごうきじの) 宮崎県東臼杵郡美郷町
西田町鬼生田(にしたまちおにうた) 福島県郡山市
西山町鬼王(にしやまちょうおにお) 新潟県柏崎市
挾間町鬼瀬(はさままちおにがせ) 大分県由布市
挾間町鬼崎(はさままちおにざき) 大分県由布市
浜鬼志別(はまおにしべつ) 北海道宗谷郡猿払村
東祖谷九鬼(ひがしいやくき) 徳島県三好市
門前町鬼屋(もんぜんまちおにや) 石川県輪島市
八尾町滅鬼(やつおまちめっき) 富山県富山市
養母田鬼塚(やぶたおにづか) 佐賀県唐津市
https://t.co/IwITpKhUEJ
「巌」を含む地名— 4 件
「巌」を含む町域名
巌城(いわき) 鳥取県倉吉市
大巌寺町(だいがんじちょう) 千葉県千葉市中央区
富来牛下巌門(とぎうしおろしがんもん) 石川県羽咋郡志賀町
東巌城町(ひがしいわきちょう) 鳥取県倉吉市
https://t.co/h9ehHnqM25
「厳」を含む地名— 56 件
「厳」を含む町域名
厳島(いつくしま) 北海道空知郡奈井江町
厳原町安神(いづはらまちあがみ) 長崎県対馬市
厳原町浅藻(いづはらまちあざも) 長崎県対馬市
厳原町阿連(いづはらまちあれ) 長崎県対馬市
厳原町今屋敷(いづはらまちいまやしき) 長崎県対馬市
厳原町内山(いづはらまちうちやま) 長崎県対馬市
厳原町尾浦(いづはらまちおうら) 長崎県対馬市
厳原町大手橋(いづはらまちおおてばし) 長崎県対馬市
厳原町樫根(いづはらまちかしね) 長崎県対馬市
厳原町北里(いづはらまちきたざと) 長崎県対馬市
厳原町久田(いづはらまちくた) 長崎県対馬市
厳原町久田道(いづはらまちくたみち) 長崎県対馬市
厳原町久根田舎(いづはらまちくねいなか) 長崎県対馬市
厳原町久根浜(いづはらまちくねはま) 長崎県対馬市
厳原町久和(いづはらまちくわ) 長崎県対馬市
厳原町上槻(いづはらまちこうつき) 長崎県対馬市
厳原町小浦(いづはらまちこうら) 長崎県対馬市
厳原町国分(いづはらまちこくぶ) 長崎県対馬市
厳原町小茂田(いづはらまちこもだ) 長崎県対馬市
厳原町桟原(いづはらまちさじきばら) 長崎県対馬市
厳原町佐須瀬(いづはらまちさすせ) 長崎県対馬市
厳原町椎根(いづはらまちしいね) 長崎県対馬市
厳原町下原(いづはらまちしもばる) 長崎県対馬市
厳原町田渕(いづはらまちたぶち) 長崎県対馬市
厳原町豆酘(いづはらまちつつ) 長崎県対馬市
厳原町豆酘瀬(いづはらまちつつせ) 長崎県対馬市
厳原町豆酘内院(いづはらまちつつないいん) 長崎県対馬市
厳原町天道茂(いづはらまちてんどうしげ) 長崎県対馬市
厳原町中村(いづはらまちなかむら) 長崎県対馬市
厳原町南室(いづはらまちなむろ) 長崎県対馬市
「厳」を含む地名— 56 件
「厳」を含む町域名
厳原町西里(いづはらまちにしざと) 長崎県対馬市
厳原町東里(いづはらまちひがしざと) 長崎県対馬市
厳原町日吉(いづはらまちひよし) 長崎県対馬市
厳原町曲(いづはらまちまがり) 長崎県対馬市
厳原町宮谷(いづはらまちみやだに) 長崎県対馬市
厳原町与良内院(いづはらまちよらないいん) 長崎県対馬市
厳木町天川(きゅうらぎまちあまがわ) 佐賀県唐津市
厳木町岩屋(きゅうらぎまちいわや) 佐賀県唐津市
厳木町うつぼ木(きゅうらぎまちうつぼき) 佐賀県唐津市
厳木町浦川内(きゅうらぎまちうらがわち) 佐賀県唐津市
厳木町厳木(きゅうらぎまちきゅうらぎ) 佐賀県唐津市
厳木町瀬戸木場(きゅうらぎまちせとこば) 佐賀県唐津市
厳木町鳥越(きゅうらぎまちとりごえ) 佐賀県唐津市
厳木町中島(きゅうらぎまちなかしま) 佐賀県唐津市
厳木町浪瀬(きゅうらぎまちなみせ) 佐賀県唐津市
厳木町平之(きゅうらぎまちひらの) 佐賀県唐津市
厳木町広川(きゅうらぎまちひろかわ) 佐賀県唐津市
厳木町広瀬(きゅうらぎまちひろせ) 佐賀県唐津市
厳木町星領(きゅうらぎまちほしりょう) 佐賀県唐津市
厳木町牧瀬(きゅうらぎまちまきせ) 佐賀県唐津市
厳木町本山(きゅうらぎまちもとやま) 佐賀県唐津市
厳美町(げんびちょう) 岩手県一関市
正厳(しょうごん) 山形県尾花沢市
荘厳寺町(しょうごんじちょう) 滋賀県彦根市
対厳山(たいげんざん) 広島県廿日市市
陵厳寺(りょうげんじ) 福岡県宗像市
https://t.co/UL7dcVRezv
「いわや」を含む地名— 59 件=いずれも危険度最高レベル!!!!!!
「いわや」を含む町域名
岩屋(いわや) 兵庫県神戸市灘区
岩谷(いわや) 新潟県東蒲原郡阿賀町
岩谷(いわや) 愛媛県伊予郡砥部町
岩屋(いわや) 北海道虻田郡洞爺湖町
岩屋(いわや) 兵庫県淡路市
岩屋(いわや) 富山県南砺市
岩谷(いわや) 愛媛県北宇和郡鬼北町
岩谷(いわや) 福島県福島市
岩屋(いわや) 島根県邑智郡邑南町
岩屋(いわや) 岩手県八幡平市
岩屋(いわや) 兵庫県神崎郡神河町
岩屋(いわや) 兵庫県伊丹市
岩屋(いわや) 京都府与謝郡与謝野町
岩屋(いわや) 香川県綾歌郡宇多津町
岩屋(いわや) 奈良県山辺郡山添村
岩屋(いわや) 福井県三方上中郡若狭町
岩屋(いわや) 青森県下北郡東通村
岩屋(いわや) 兵庫県加東市
岩谷(いわや) 大分県杵築市
岩屋(いわや) 福岡県豊前市
岩屋(いわや) 岡山県苫田郡鏡野町
岩屋北町(いわやきたまち) 兵庫県神戸市灘区
岩谷口(いわやぐち) 新潟県佐渡市
岩谷口(いわやぐち) 愛媛県伊予郡砥部町
岩屋郷(いわやごう) 長崎県東彼杵郡川棚町
岩谷沢(いわやさわ) 山形県尾花沢市
岩安(いわやす) 富山県南砺市
岩屋谷(いわやだに) 鳥取県西伯郡伯耆町
岩屋町(いわやちょう) 奈良県天理市
岩谷町(いわやちょう) 愛知県豊田市
「いわや」を含む地名— 59 件
「いわや」を含む町域名
岩屋町(いわやちょう) 奈良県天理市
岩谷町(いわやちょう) 愛知県豊田市
岩屋堂(いわやどう) 鳥取県八頭郡若桜町
岩屋中町(いわやなかまち) 兵庫県神戸市灘区
岩谷麓(いわやふもと) 秋田県由利本荘市
岩山(いわやま) 京都府綴喜郡宇治田原町
岩山(いわやま) 千葉県山武郡芝山町
岩屋町(いわやまち) 石川県七尾市
岩屋町(いわやまち) 長崎県長崎市
岩屋町(いわやまち) 大分県津久見市
岩谷町(いわやまち) 秋田県由利本荘市
岩屋南町(いわやみなみまち) 兵庫県神戸市灘区
院内町土岩屋(いんないまちつちいわや) 大分県宇佐市
嬉野町岩屋川内(うれしのまちいわやがわち) 佐賀県嬉野市
江刺岩谷堂(えさしいわやどう) 岩手県奥州市
大岩屋(おおいわや) 大分県豊後高田市
大宅岩屋殿(おおやけいわやでん) 京都府京都市山科区
北郷町岩屋(きたごうちょういわや) 福井県勝山市
厳木町岩屋(きゅうらぎまちいわや) 佐賀県唐津市
国東町岩屋(くにさきまちいわや) 大分県国東市
山南町岩屋(さんなんちょういわや) 兵庫県丹波市
志染町窟屋(しじみちょういわや) 兵庫県三木市
世知原町岩谷口(せちばるちょういわやぐち) 長崎県佐世保市
田代町岩谷(たしろちょういわや) 愛知県名古屋市千種区
長岩屋(ながいわや) 大分県豊後高田市
野津町岩屋(のつまちいわや) 大分県臼杵市
深草大亀谷岩山町(ふかくさおおかめだにいわやまちょう) 京都府京都市伏見区
藻岩山(もいわやま) 北海道札幌市南区
八尾町岩屋(やつおまちいわや) 富山県富山市
https://t.co/eImMdaHVPO
「いしや」を含む地名— 44 件
「いしや」を含む町域名
石屋(いしや) 富山県富山市
石薬師町(いしやくしちょう) 三重県鈴鹿市
石薬師町(いしやくしちょう) 京都府京都市上京区
石休場町(いしやすみばまち) 石川県輪島市
石屋町(いしやちょう) 京都府京都市伏見区
石屋町木屋町通三条下る(いしやちょうきやまちどおりさんじょうさがる) 京都府京都市中京区
石屋町木屋町通四条上る(いしやちょうきやまちどおりしじょうあがる) 京都府京都市中京区
石屋町先斗町通三条下る(いしやちょうぽんとちょうどおりさんじょうさがる) 京都府京都市中京区
石屋町丸太町通御幸町東入(いしやちょうまるたまちどおりごこまちひがしいる) 京都府京都市中京区
石屋町丸太町通寺町西入(いしやちょうまるたまちどおりてらまちにしいる) 京都府京都市中京区
石山(いしやま) 北海道札幌市南区
石山(いしやま) 福井県大飯郡おおい町
石山(いしやま) 新潟県新潟市東区
石山(いしやま) 北海道白老郡白老町
石山一条(いしやま1じょう) 北海道札幌市南区
石山二条(いしやま2じょう) 北海道札幌市南区
石山三条(いしやま3じょう) 北海道札幌市南区
石山四条(いしやま4じょう) 北海道札幌市南区
石山内畑町(いしやまうちはたちょう) 滋賀県大津市
石山千町(いしやませんちょう) 滋賀県大津市
石山外畑町(いしやまそとはたちょう) 滋賀県大津市
石山団地(いしやまだんち) 新潟県新潟市東区
石屋町(いしやまち) 栃木県日光市
石山町(いしやまちょう) 北海道小樽市
石山町(いしやまちょう) 愛知県一宮市
石山寺辺町(いしやまてらべちょう) 滋賀県大津市
石山寺(いしやまでら) 滋賀県大津市
石山東(いしやまひがし) 北海道札幌市南区
大村石山(おおむらいしやま) 北海道上川郡美瑛町
小国浅瀬石山(おぐにあせいしやま) 青森県平川市
「いしや」を含む地名— 44 件
「いしや」を含む町域名
切明浅瀬石山(きりあけあせいしやま) 青森県平川市
葛川浅瀬石山(くずかわあせいしやま) 青森県平川市
黒石山(くろいしやま) 宮城県気仙沼市
新石山(しんいしやま) 新潟県新潟市東区
太子山町(たいしやまちょう) 京都府京都市下京区
高城町石山(たかじょうちょういしやま) 宮崎県都城市
立石山(たていしやま) 福島県白河市
砥石山(といしやま) 北海道札幌市南区
那加石山町(なかいしやまちょう) 岐阜県各務原市
西石屋町(にしいしやちょう) 京都府京都市上京区
猫石山(ねこいしやま) 福島県耶麻郡猪苗代町
東石屋町(ひがしいしやちょう) 京都府京都市上京区
東山町石山(ひがしやままちいしやま) 福島県会津若松市
舟形石山(ふなかたいしやま) 福島県二本松市
https://t.co/OqTsN3ooCr
「いしきり」を含む地名— 13 件
「いしきり」を含む町域名
石切町(いしきりちょう) 岐阜県岐阜市
石切所(いしきりどころ) 岩手県二戸市
石切場(いしきりば) 福島県白河市
石切畑(いしきりばたけ) 福島県大沼郡会津美里町
石切畑甲(いしきりばたこう) 福島県大沼郡会津美里町
上石切町(かみいしきりちょう) 大阪府東大阪市
北石切町(きたいしきりちょう) 大阪府東大阪市
中石切町(なかいしきりちょう) 大阪府東大阪市
南外巣ノ沢石切場(なんがいすのさわいしきりば) 秋田県大仙市
西石切町(にしいしきりちょう) 大阪府東大阪市
春野町石切(はるのちょういしきり) 静岡県浜松市天竜区
東石切町(ひがしいしきりちょう) 大阪府東大阪市
南石切町(みなみいしきりまち) 宮城県仙台市若林区
京都府相楽郡精華町(そうらくぐんせいかちょう)
https://t.co/0GDHTQbI9F
「華」を含む地名— 36 件
「華」を含む町域名
粟田口華頂町(あわたぐちかちょうちょう) 京都府京都市東山区
伊香立上龍華町(いかだちかみりゅうげちょう) 滋賀県大津市
伊香立下龍華町(いかだちしもりゅうげちょう) 滋賀県大津市
鏡島精華(かがしませいか) 岐阜県岐阜市
華浦(かほ) 山口県防府市
神居町神華(かむいちょうしんか) 北海道旭川市
華陽(かよう) 岐阜県岐阜市
金華町(きんかちょう) 岐阜県岐阜市
栗栖野華ノ木町(くりすのはなのきちょう) 京都府京都市山科区
華蔵寺町(けぞうじまち) 群馬県伊勢崎市
嵯峨清滝一華表町(さがきよたきいっかひょうちょう) 京都府京都市右京区
嵯峨鳥居本一華表町(さがとりいもといっかひょうちょう) 京都府京都市右京区
聖護院蓮華蔵町(しょうごいんれんげぞうちょう) 京都府京都市左京区
末武上華陵(すえたけかみかりょう) 山口県下松市
精華台(せいかだい) 京都府相楽郡精華町
精華町(せいかまち) 岐阜県多治見市
大聖寺法華坊町(だいしょうじほっけぼうまち) 石川県加賀市
曇華院前町(どんげいんまえちょう) 京都府京都市中京区
華川町小豆畑(はなかわちょうあずはた) 茨城県北茨城市
華川町臼場(はなかわちょううすば) 茨城県北茨城市
華川町上小津田(はなかわちょうかみこつだ) 茨城県北茨城市
華川町車(はなかわちょうくるま) 茨城県北茨城市
華川町下小津田(はなかわちょうしもこつだ) 茨城県北茨城市
華川町下相田(はなかわちょうしもそうだ) 茨城県北茨城市
華川町中妻(はなかわちょうなかつま) 茨城県北茨城市
華川町花園(はなかわちょうはなぞの) 茨城県北茨城市
華城中央(はなぎちゅうおう) 山口県防府市
華園町(はなぞのちょう) 山口県防府市
弁華別(べんけべつ) 北海道石狩郡当別町
細畑華南(ほそばたかなん) 岐阜県岐阜市
「華」を含む地名— 36 件
「華」を含む町域名
法華(ほっけ) 愛知県名古屋市中川区
法華寺町(ほっけじちょう) 奈良県奈良市
法華西町(ほっけにしまち) 愛知県名古屋市中川区
龍華町(りゅうげちょう) 大阪府八尾市
留辺蘂町金華(るべしべちょうかねはな) 北海道北見市
礼文華(れぶんげ) 北海道虻田郡豊浦町
丹波高地の全ての山々の山頂と、それら周辺一帯。
https://t.co/AulMnPCpv9
丹波高地(たんばこうち)は、兵庫県東部・京都府・大阪府北部・滋賀県西部・福井県南西部に広がる隆起準平原。
一般に、由良川と加古川の以東の標高600 mから800 m程度までの類似した標高を有する山岳が林立する地域を指している。
丹波山地、或いは丹波高原といわれることもある。
高地の内、京都府の綾部市、京丹波町、南丹市、京都市左京区・右京区の範囲が2016年(平成28年)に京都丹波高原国定公園に指定された。
【主な山】
京都府の山
皆子山(972m)、峰床山(970m)、三国岳(959m)、愛宕山(924m)、長老ヶ岳(917m)、桟敷ヶ岳(896m)、頭巾山(871m)、千丈ヶ嶽(大江山)(833m)、三岳山(839m)、八ヶ峰(800m)、大悲山(741m)、太鼓山(683m)、ポンポン山(679m)、半国高山(670m)、弥仙山(664m)、磯砂山(661m)、鞍馬山(584m)
兵庫県の山
東床尾山(839m)、御嶽(793m)、能勢妙見山(660m)、大船山(653m)、播磨妙見山(622m)、来日岳(567m)、羽束山(524m)、播磨白山(511m)
福井県の山
野坂山(913m)、赤坂山(824m)、三十三間山(842m)、百里ヶ岳(931m)、岩篭山(765m)、大御影山(950m)、青葉山(693m)、西方ヶ岳(764m)
京都府京都市の全体と、周辺一帯。
京都府京都市下京区堀川通花屋町下る本願寺門前町にある西本願寺(龍谷山 本願寺)の境内全部と、御影堂と、周辺一帯広めで(危険度最高レベル!!!!!八咫烏最高幹部!!!!!)。
https://t.co/h7X8RajFh0
西本願寺(にしほんがんじ)は、京都市下京区本願寺門前町にある浄土真宗本願寺派の本山の寺院。
山号は龍谷山(りゅうこくざん)。
本尊は阿弥陀如来。
正式名称は龍谷山本願寺、宗教法人としての名称は本願寺である。
本願寺住職は浄土真宗本願寺派門主を兼務する。
真宗大谷派の本山である東本願寺(正式名称「真宗本廟」)と区別するため、両派の本山は通称で呼ばれることが多い。
京都市民からはお西さんの愛称でも親しまれている。
文永7年(1272年)、親鸞の廟堂として京都東山の吉水の地に創建された。
その後、比叡山延暦寺から迫害を受けるなど場所は転々とし、現在地には天正19年(1591年)、豊臣秀吉の寄進により大坂天満から移転した(詳細は後述「歴史」の項参照)。
2023年より銀杏と御影堂、阿弥陀堂の2つのお堂をモチーフにしたブランドロゴとともに、「人はひとり。だからこそ、ご縁を見つめたい。」をタグラインとして定めている[1]。
(中略)
【門前町の所有施設および所有地】
西本願寺伽藍配置。周囲は築地に囲まれている。
A:総門 B:御影堂門 C:阿弥陀堂門 D:御影堂 E:阿弥陀堂 F:書院 G:鐘楼 H:経蔵 I:百華園 J:滴翠園 K:太鼓楼 L:飛雲閣
御影堂門から望む総門と門前町
堀川 - 境内の東側には堀川が本願寺の天然の堀となっている。かつては実際に堀川が流れていたが、現在堀川は二条城の東側から暗渠となっているため、ここに水は流れていない。
総門(重要文化財) - 堀川通を挟んで御影堂門の正面にある。宝永8年(1711年)に南総門として作られ、門扉と左右の控柱に瓦屋根をつけた高麗門と呼ばれる作りである。堀川正面交差点東にあり、24時間開門、車両通行可能。1898年(明治31年)の類焼防止緑地(風致園)整備や1911年(明治44年)の再整備、1959年(昭和34年)の堀川通拡張工事により3度も移設されている。なお、北総門は太鼓楼付近にあったが、福井県の吉崎別院に移設されている。
伝道第三本部庁舎
龍谷ミュージアム - 本願寺派の宗門校である龍谷大学の博物館。2011年(平成23年)に開館した倭国初の仏教総合博物館である。
本願寺伝道院(重要文化財) - 1912年(明治45年)に伊東忠太の設計により、真宗信徒生命保険株式会社の社屋として建てられたもの。
本願寺国際センター - 本願寺至心教堂内にある。
下間大門 - 龍谷大学大宮学舎内にあり、台所門の南側にある。大宮学舎の一帯は、かつて下間家をはじめ、本願寺に代々勤めていた関係者の住宅街であったことを物語る。
【北境内地】
花屋町通を挟んで北側にある。かつて日蓮宗大本山本圀寺があった所である。
1971年(昭和46年)に本圀寺が山科区に移転した後、1986年(昭和61年)に本願寺の境内となった。
駐車場
聞法会館 - 宿坊。
本願寺門徒会館
伝道第二本部庁舎
【文化財 国宝】
御影堂[9]
阿弥陀堂[10] 附:渡廊下、喚鐘廊下
書院(対面所及び白書院)
北能舞台
黒書院及び伝廊 2棟
飛雲閣
唐門
紙本墨画親鸞聖人像(鏡御影) 附:絹本著色親鸞聖人像(安城御影)・ 絹本著色親鸞聖人像(安城御影副本)
『観無量寿経註』 親鸞筆
『阿弥陀経註』 親鸞筆
熊野懐紙(後鳥羽天皇宸翰以下11通)附:伏見宮貞敦親王御添状1巻、飛鳥井雅章添状1巻
三十六人家集37帖、附:後奈良天皇宸翰女房奉書1幅
三十六人家集のうち「重之集」の帖末
三十六人家集のうち「重之集」の帖末
【文化財 重要文化財】
建造物
玄関、浪之間、虎之間、太鼓之間 1棟
能舞台(南能舞台)附:橋掛
浴室(黄鶴台)附:廻廊
本願寺 7棟[11][注釈 3]
経蔵
鐘楼
手水所
鼓楼
御影堂門
阿弥陀堂門
総門
附:御成門
附:目隠塀
附:築地塀 3棟
旧真宗信徒生命保険株式会社本館(本願寺伝道院) - 下京区油小路通正面下る玉本町所在[12]。
美術工芸品
絹本著色聖徳太子像
紙本著色親鸞・如信・覚如三上人像
紙本著色善信上人絵(琳阿本) 2巻
紙本著色慕帰絵詞 画隆章、隆昌、久信筆 10巻
絹本著色雪中柳鷺図(伝趙仲穆筆)
絹本著色親鸞聖人絵伝 6幅
銅鐘(梵鐘)
『歎異抄』 2巻 蓮如書写奥書
『教行信証』 6冊
『唯信抄』 親鸞筆
『浄土三経往生文類』 自筆本(略本)
尊円親王詩歌書巻 自筆本(鷹手本)
版本『浄土論註』 上下 2帖 建長8年親鸞加点奥書
『伏見天皇宸翰歌集』(99首)
『栄花物語』 15帖
恵信尼自筆書状類 覚信尼宛 10通
証如上人極官関係文書 3幅、2巻
親鸞自筆書状類(4通) 2巻
『天文日記(光教日記)』自筆本 56冊、11巻
本願寺御影堂留守職歴代譲状(18通)12巻 附 本願寺留守職相伝系図3通、光佐以下歴代譲状(6通)4巻2通
※ 典拠:2000年までの指定物件については『国宝・重要文化財大全 別巻』(所有者別総合目録・名称総索引・統計資料)(毎日新聞社、2000)による。
国指定史跡
本願寺境内
国指定特別名勝・史跡
本願寺書院庭園
国指定名勝
滴翠園
京都市指定天然記念物
大銀杏
住職
→詳細は「浄土真宗本願寺派 § 歴代宗主」を参照
西本願寺の住職は、浄土真宗本願寺派の門主を代々務めている。
2024年1月時点、第25代門主釋専如(大谷光淳)が本願寺住職である。
なお、宗教法人「本願寺」としての代表役員は本願寺執行長を充てる[13]。
別院
→詳細は「浄土真宗本願寺派 § 別院・教堂」を参照
代表的な別院
吉崎別院 - 吉崎御坊跡地
名古屋別院
山科別院 - 山科本願寺跡地
津村別院(北御堂) - 真宗大谷派の南御堂と並び、門前を通る大阪市のメインストリートが御堂筋と呼ばれる所以である。
鷺森別院(鷺森本願寺) - 文明8年(1467年)に第8代宗主蓮如が建立。
広島別院 - 安芸門徒の中心道場。
四日市別院 ‐ 大分県 宇佐市
鹿児島別院 - 隠れ念仏と解禁後の鹿児島市街の布教拠点。
築地別院(築地本願寺) - 元和3年(1617年)に第12代宗主准如が西本願寺の別院として建立。2012年(平成24年)に西本願寺唯一の「直轄寺院」となり、それまでは通称だった「築地本願寺」が正式名称となったため、現在は「別院」ではなくなっている。
飛地境内
大谷本廟 - 京都市東山区五条橋東六丁目にある。親鸞の墓所で通称は「西大谷」。
日野誕生院 - 京都市伏見区日野西大道町にある。親鸞誕生の地を記念して建てられた。
角坊 - 京都市右京区山ノ内御堂殿町にある。親鸞往生の地を記念して建てられた。
別荘
三夜荘 - 京都市伏見区にあった、かつての門主の別荘。第21代門主の大谷光尊が1876年(明治9年)に建築し、木戸孝允が命名するが、老朽化のため解体された。
【年中行事】
西本願寺ホームページの「恒例法要と行事」による。
1月1日 : 修正会、元旦会
1月9日 - 16日 : 御正忌報恩講(親鸞の祥月命日)
2月7日 : 如月忌(九條武子の遺徳を偲ぶ)
春分の日前後7日間 : 春季彼岸会
4月8日 : 花まつり(灌仏会)
4月13 - 15日 : 春の法要(立教開宗記念法要、本願寺歴代住職の年回法要)
5月20 - 21日 : 宗祖降誕会
8月上旬 : 盆踊り大会
8月14 - 15日 : 盂蘭盆会
8月15日 : 戦没者追悼法要
9月18日 : 千鳥ヶ淵全戦没者追悼法要(東京、国立千鳥ヶ淵戦没者墓苑にて)
秋分の日前後7日間 : 秋季彼岸会
10月15 - 16日 : 龍谷会(大谷本廟報恩講法要)
10月中旬 - 11日中旬 : 献菊展
11月下旬 : 秋の法要(全国門徒総追悼法要)
12月20日 : 御煤払
12月31日 : 除夜会
京都府京都市下京区烏丸通七条上るにある東本願寺の境内全部と、御影堂と、周辺一帯広めで。(危険度最高レベル!!!!!八咫烏最高幹部!!!!!)
https://t.co/hbC4T2IYnb
東本願寺(ひがしほんがんじ)は、京都市下京区にある真宗大谷派の本山の寺院[1]。
山号はなし。
本尊は阿弥陀如来。
正式名称は真宗本廟(しんしゅうほんびょう)[2][3]である。
東本願寺の名は通称であり、西本願寺(龍谷山本願寺)に対して東に位置することに由来している。
愛称は「お東」「お東さん」。
2020年(令和2年)7月現在の門首は、大谷暢裕(修如)。
京都府京都市北区紫野大徳寺町53にある大徳寺(危険度最高レベル!!!!!八咫烏最高幹部!!!!!)と、周辺の聖地群史跡群水辺群の全地点と、それら周辺一帯広めで。
https://t.co/FsdZoviwhE
大徳寺(だいとくじ、旧字体:大德寺)は、京都市北区紫野大徳寺町にある臨済宗大徳寺派の大本山の寺院。
山号は龍宝山(りゅうほうざん)。
本尊は釈迦如来。開山は宗峰妙超(大燈国師)で、正中2年(1325年)に正式に創立されている。
京都でも有数の規模を有する禅宗寺院で、境内には仏殿や法堂(はっとう)をはじめとする中心伽藍のほか、20か寺を超える塔頭が立ち並び、近世寺院の雰囲気を残している。
大徳寺は多くの名僧を輩出し、茶の湯文化とも縁が深く、倭国の文化に多大な影響を与え続けてきた寺院である。
本坊および塔頭寺院には、建造物・庭園・障壁画・茶道具・中国伝来の書画など、多くの文化財を残している。
なお、大徳寺本坊は一般には非公開であり、塔頭も非公開のところが多い。
歴史
大徳寺の開祖である禅僧・宗峰妙超は、弘安5年(1282年)に播磨国(現・兵庫県)で赤松氏の家臣・浦上一国と赤松則村(円心)の姉との間に生まれた。
11歳の時、地元の大寺院である圓教寺に入り、天台宗を学ぶが、後に禅宗に目覚め、鎌倉の高峰顕日、京の南浦紹明に参禅。
南浦紹明が鎌倉の建長寺に移るに従って宗峰も鎌倉入りし、徳治2年(1307年)に師から印可を得た。
その後数年京都東山で修行を続けていた宗峰妙超は、正和4年(1315年)ないし元応元年(1319年)に叔父の赤松則村(円心)の帰依を受け、洛北紫野の地に小堂・大徳庵を建立した。
これが大徳寺の起源という。
花園上皇は宗峰に帰依し、正中2年(1325年)に大徳寺を祈願所とする院宣を発している。
寺院としての形態が整うのはこの頃からと考えられる。
後醍醐天皇も当寺を保護し、建武元年(1334年)には大徳寺を京都五山のさらに上位に位置づけるとする綸旨を発している。
また、花園天皇や光厳天皇ら歴代天皇、中御門経継、守良親王、新田義貞などの有力貴族からの寄進を受け、1333年ころには播磨、摂津、紀伊などの畿内各地に加え、信濃、下総、美濃のなど広範囲にわたって延7,600石の寺領を有していた。
しかし、建武の新政が瓦解して室町幕府が成立すると、後醍醐天皇と関係の深かった大徳寺は足利将軍家から軽んじられ、京都五山から除かれてしまった。
至徳3年(1386年)には、十刹の最下位に近い第9位となっている。
このため第二十六世養叟宗頤は、永享3年(1432年)足利政権の庇護と統制下にあって世俗化しつつあった五山十刹から離脱し、座禅修行に専心するという独自の道をとった。
五山十刹の寺院を「叢林」(そうりん)と称するのに対し、同じ臨済宗寺院でも、大徳寺や妙心寺のような在野的立場にある寺院を「林下」(りんか)という。
その後の大徳寺は、貴族・大名・商人・文化人など幅広い層の保護や支持を受けて栄え、室町時代以降は一休宗純をはじめとする名僧を輩出した。
侘び茶を創始した村田珠光などの東山文化を担う者たちが一休に参禅して以来、大徳寺は茶の湯の世界とも縁が深く、武野紹鴎・千利休・小堀遠州をはじめ多くの茶人が大徳寺と関係をもっている。
また国宝の塔頭龍光院密庵(みったん)など文化財に指定された茶室も多く残る。
このため京童からは「妙心寺の算盤面」「東福寺の伽藍面」「建仁寺の学問面」などと並んで「大徳寺の茶面(ちゃづら)」と皮肉られた。
享徳2年(1453年)の火災、そして応仁の乱による被害で当初の伽藍を焼失したが、一休宗純が堺の豪商・尾和宗臨らの協力を得て復興。
また、各地の守護大名によって塔頭が建立されたりもしている。
天正10年(1582年)6月2日の本能寺の変で織田信長が自害した後の同年10月15日には、羽柴秀吉によって信長の葬儀が当寺で盛大に執り行われている。
翌年には秀吉によって信長の菩提寺として塔頭・総見院が創建されている。
大徳寺山門供養之偈 春屋宗园
これ以後も秀吉や諸大名から篤い帰依を受け、天正17年(1589年)には千利休によって山門・金毛閣が完成している。
利休は晩年にこの山門修築の事業を引き継いで門の上に閣を重ねて楼門を造り金毛閣を寄進した。
利休は山門を修復した後、住職の春屋宗園に山門の供養を書かせたが、それにより豊臣秀吉を怒らせたとされる。
江戸時代初期に江戸幕府の統制を受け、元住持の高僧・沢庵宗彭が紫衣事件で流罪となる圧迫を受けたが、三代将軍徳川家光が沢庵に帰依したこともあって幕府との関係ものちに回復した。
近世には「二十四塔頭、六十寮舎・子庵」あるいは「二十四塔頭、准塔頭五十九宇(「六十五宇」とも)」などと呼ばれ、末寺は25ヶ国280余寺、末寺の塔頭130余院を数えるほど栄え、朱印地は2,011石余を有した。
この広大な寺領が大徳寺の経済的基盤であったが、明治維新後の上知令によって多くを失ってしまう。
なんとか堂宇を維持するため1878年(明治11年)、塔頭13寺を合併(事実上廃絶)、4寺を切縮[1]、20寺を永続塔頭とする縮小を行う[2]ものの、寺運は栄え今日に至っている。 December 12, 2025
1RP
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