宗教2世 トレンド
0post
2025.12.04 06:00
:0% :0% (-/-)
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
統一教会2世は所謂可哀想な宗教2世の虚像ではない気がします。全国で遊説する2世達がいるからです。他宗教を見ても類がないと思います。古参2世としては若い2世には純潔で祝福結婚し天の伝統を受け継いで貰いたいです。何事においても伝統を継承するにはニ代目が肝心です。2世諸君!大志を抱け!です。 https://t.co/zqx2ebDEey December 12, 2025
以下は鈴木エイト氏に関する安藤慶太さんの論考。マッシモ・イントロヴィニエ氏の記事が国際社会からの良識ある声だとすれば、安藤さんのは倭国国内の良識を代表する声だと思う。
===================================================================
彼をテロリストというのは待ってほしい、と鈴木氏。彼の犯行はテロじゃないというロジックは鈴木氏以外にも散見するが私はそうは思わない。ただテロか否かの議論に拘泥するよりも、ここで私が強調したいのは「宗教2世としての絶望的な苦境」やら「宗教虐待」といった「背景にある悲劇」を理解しようとすることが、結果として「報復の論理」を是認(容認?黙認?)し「暴力による解決(報復)」を肯定することに繋がる、というリスクへの懸念である。
「報復の論理」とは、単なる仕返しを超えた恨みや不満を暴力によって晴らすことを是認するロジックといえる。近代法治国家が禁じている類のものであることは言うまでもない。例えば「被告人はある意味被害者だ」「彼の辛い境遇は理解できる」といった言説が典型だろう。犯罪を称え容疑者を英雄視することもあれば「安倍さんを殺したのは許せないが統一教会だったら良かったのに」という言説もそうである。
本来、不正や被害に対する救済は、法律や警察、裁判所を通じて行われなければならない。しかし、「法や社会は自分を救ってくれなかった」と判断し、自らの手で「自分にとっての正義」の実践として人を殺めることを実行したとする。その論理の核心は「言葉や法で解決できない理不尽に暴力で対抗して解決を図る」というもので、それはその人の諦念なり決意に根ざしているケースもあるだろう。
この事件では安倍元首相を狙った論理は「教団と関係の深い最も影響力のある人物を消せば、社会は動く」という計算に基づいたものだった、とされている。実際には安倍さんは教団と深い関係があったわけでも、自分の境遇に安倍氏が何のコミットもなかったわけで、それでも犯行に及べば旧統一教会に批判の矛先が及ぶだろうと考えて犯行に至ったものだ、とされている。「被告も被害者であった」という言説の危うさは、意図的か意図的でないかを問わず「報復の論理」に接近し与してしまう点にある。やったことを正しいとか犯罪事実を正当化しているのではない、量刑の判断のためだと言いながら「被告人がどれだけ追い詰められていたか」を測るために酌むべき事情を主張する光景は一般社会には「可哀想だから罪が軽くなる」=「可哀想な事情があれば人を殺してもある程度許される」と映ってしまいかねないし誤ったメッセージが届く危険性があるということだ。虐待の事実が事実なら事実として認める必要はあろうし、情状の立証も然るべく行われるべきである。が、それが「だから殺害という手段を選んだ論理」を肯定することになってはいけないし「不遇=免罪符」になる(というか世の中にそう受け止められる)ならば、社会に不満を持つあらゆる人が暴力を振るおうと挙をおこすことになりかねない。自分自身の不平不満、恨みつらみを暴力によって解決しようとする輩が出てくる危険性だってあるということだ。
遺憾ながらこの事件を機に旧統一教会問題に政治のメスが入って解散命令まで手続きが進んだ。被告人の願いをかなえるべく「平和的な訴えでは動かなかった社会が、暴力によって動いた」のである。この事実は、被告の持っていた「報復の論理」が正しかったことを政府や社会が証明してしまったような光景なのだ。「結果的に報復が成功してしまった」という現実は今も重くのしかかっている。そのことを忘れるべきではない。「報復の論理」に与すべきではない。
https://t.co/hI5C2Zbtdp December 12, 2025
宗教2世が自〇する衝撃の理由
山上被告の兄、そして多くの宗教2世が自〇に追い込まれる理由は、外から想像されるよりずっと深い。
私が宗教で「結婚相手を決められた」時に言われた言葉はこれだった。
「この結婚は先祖7代・子孫7代を天国に導く道。
断ったり離婚すれば、一族全員が地獄行きになる」
つまり最初から、
・結婚を断る権利なし
・離婚の選択肢なし
・自分と子どもの幸せより「宗教の教え」が最優先
という状況が強制されていた。
さらに宗教では
「自〇は地獄の最下層に落ちる」
と教えられてきた。
(これは山上被告の公判でも述べられている)
それでも私は、乳飲み子を抱えたまま今にも飛び降りそうになったことが何度もある。
理由はただ一つ。
生まれてくる子どもまで、暴力と恐怖の中に落としたくなかったからだ。
夫は1歳のわが子を虐待し、妊娠中の私に馬乗りになって暴力をふるった。
それでも宗教はこう言う。
「離婚は絶対にダメだ」
「耐えろ」
「一族が地獄に落ちるぞ」
実親も義親も、元夫が目の前で孫に手を上げても止めなかった。
不倫をしても、詐欺にあっても、同じ言葉しか返ってこなかった。
「離婚だけは絶対にするな」
私は、それでも離婚を選んだ。
「一族ごと地獄行き」を覚悟して、子の命を守るために。
今も同じ「生き地獄」で苦しんでいる人がいる。
どうか一刻も早く逃げてほしい。
自由になってほしい。
あなたの人生は、宗教の犠牲になるものじゃない。 December 12, 2025
<ポストの表示について>
本サイトではXの利用規約に沿ってポストを表示させていただいております。ポストの非表示を希望される方はこちらのお問い合わせフォームまでご連絡下さい。こちらのデータはAPIでも販売しております。



