バブル崩壊 トレンド
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2025.12.04 17:00
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下請け仕事で真っ黒になって働く父親の姿を見て育つ「カッコ悪いなぁ…」
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ホワイトカラーの商社マンを目指し大学受験
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3年連続で受験に失敗。渋々、父親が経営の町工場に就職
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バブル崩壊で仕事激減
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売上の6割を占める大得意先から呼び出され、3割の値下げを突きつけられる!?
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「さすがに無理ですよ…」
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必死の思いで懇願するも、
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担当者『嫌ならやらなくていいんですよ、代わりはいくらでもいるので』と
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廃業するか…なんとか継続させるか…
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悩んでいるときにたまたま目にした新聞の社説
”企業が生き残るためには、他社よりも3倍の技術力を生み出すしかない”
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他人がやらない3倍難しいことに挑戦し達成できれば、価格競争に飲み込まれなくて済む、と理解する
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よし、やってやろうじゃないか!
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値下げを要求してきた会社とは正式に決別
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退路を断って、自社オリジナル商品の開発に全精力を注ぐ
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何を作ろうかと、ホームセンターを見て回る
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目に止まったのが鉄の鋳物の調理器具
薄くするのが難しく、厚さは5ミリが限界と言われていた
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帰宅しすぐさま自分で鋳物の鉄板を試作
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出来上がると、親戚の叔母が営んでいた喫茶店に持ち込み「これを使ってお客に料理を出してみてくれ」と頼み込む
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叔母は訳が分からないまま豚肉の生姜焼きをその鉄板で焼き、ランチを食べに来ていた常連さんに出す
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客「おばちゃん、肉変えた?いつもよりうまいよ!」
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調理器具でいける!と確信を持つ
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一般庶民にとって最も身近なフライパンを作ろうと決める
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「3倍の技術力」として目標に定めたのは”厚さ”
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鉄鋳物の限界と言われていた5ミリの3分の1、わずか1.5ミリにまで薄くすること
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当たり前だがそんなフライパンは世界のどこにもなかった
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しかし壁は高く、試作として出来上がるのは穴が空いたり欠けたりしたガラクタフライパンばかり
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火の強さと炭素などの成分配合
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1℃、1グラムと、あらゆる組み合わせを試し、正解に近づける途方もない作業の繰り返し
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しかも1回の試作には丸2日かかり、
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原料費だけで20万円の投資となる
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売上収入が激減する中、3年間で2,000万円が消えていった
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ある日、宅配業者がやって来たので、荷物を受け取るため作業場から離れた
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すぐに作業を再開したが、すでに炭素を入れたことを忘れ、うっかり2回入れてしまう
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ダメ元でその溶けた鉄を型に流し込んでみた
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すると、穴がなく欠けてもいないフライパンができた!!!
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この時のフライパンの厚さはまだ2ミリ
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そこから目標である1.5ミリにするのにさらに試作の日々
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プロジェクト開始から9年後の2001年、ついに完成!
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厚さは1.5ミリで重さは980グラム
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世界のどこにもないフライパンができた!!!
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発売すると、雑誌やテレビ番組に取り上げられ、
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百貨店に並ぶと注文が殺到
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一気に品切れ状態となり、最大2年半待ちという大人気商品になった
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その名も『魔法のフライパン』
「代わりはいくらでもいる」この屈辱の言葉をバネに挑戦を続け、職人魂で、世界に唯一のフライパンを作り上げたのが、
錦見鋳造株式会社
代表取締役 錦見泰郎さん! December 12, 2025
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@shoko55mmts 「どんなに働いたって、どうせ東京近郊には家持てない」と言う絶望感と、
「楽しけりゃいいわ」と言う高揚感がない混ぜになってましたね。だから、バブル崩壊当初はこれで不動産の価格下がって家帰るかも、と肯定的に捉える人が多かったです。 https://t.co/qDZYvQg1Jy December 12, 2025
1RP
倭国のバブル経済崩壊において、「この日が崩壊の日」と明確に定められているわけではありませんが、象徴的・決定的な日として最も多く挙げられる日付は以下の通りです。
**株価バブル崩壊の決定的な開始日**
**1990年1月4日(月曜日)**
この日、日経平均株価は前週末比2,087円安の大幅続落となり、初めて「バブル崩壊」という言葉が新聞の見出しに登場しました。以降、株価は一方的な下落トレンドに入り、戻ることなく暴落が加速したため、市場参加者や経済史家の多くが「実質的な崩壊開始日」としてこの日を挙げています。
その他の重要な日付(参考)
- 1989年12月29日:日経平均史上最高値(38,915円87銭)→ バブルのピーク
- 1990年1月12日:大蔵省が銀行に不動産向け融資総量規制を通達(実質的な引き締め開始)
- 1990年10月1日:株価が2万円割れ(前年比約半値となり、完全に崩壊が確定)
結論
「バブルが崩壊した日」は**1990年1月4日**が最も広く認識されている決定的な日です。
多くの経済書や当時の新聞でも「1月4日の大暴落」を崩壊の象徴として扱っています。 December 12, 2025
AIバブル崩壊後の流れが予測されてて面白い
五月さんの記事に感化されて:サイバー空間の支配者が物理インフラの建設者になる時|ハカタ https://t.co/vejBVWvOqB December 12, 2025
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