ドイツ人 トレンド
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2025.11.25 17:00
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実のところ、たとえ今、各国政府間でいかに剣呑な雰囲気が漂っていようとも、
私のように2000年代に高等教育を修了した80年代生まれにとって、アメリカ、ドイツ、倭国のような国々を憎むことなど到底できません。
私が学生だった頃の中国の授業の雰囲気は、まだかなり柔軟でした。
先生は教室で三権分立の様々な利点を語り、大統領選挙のプロセスを教え、人々が自分の私有地を守るために銃を取るべき理由まで話してくれました。
先生はまた、私たちに自由の女神像に刻まれた詩を朗読し、独立宣言について解説してくれました。
さらには、毛沢東時代の様々な荒唐無稽な政治運動をしばしば風刺したり、江沢民のファッションセンスをからかったりもしていました。
当時の中国には、活発なメディアと数多くの独立記者が存在していました。
これらのメディアは、ドイツ人の厳格さやドイツ製品の高品質を賛美し、
倭国人の職人精神や整然とした自動車工場を称賛していました。
私は、当時の中国にはまだ真実があったという点で、自分を幸運だと感じることがあります。
しかし同時に、この劇的な社会の転換(上下がひっくり返るような変化)を身をもって経験したことで、非常な痛みを感じ、不幸だとも思っています。 November 11, 2025
30RP
男「大学どこ入った?」
女「京都大学」
男「まじかwwやっぱ面白い奴いるの?w」
女「何でも持ち込み可のドイツ語の期末試験にドイツ人を持ち込んだ猛者いた」
終
制作・著作
━━━━━
ⓃⒽⓀ November 11, 2025
5RP
こんなことあるのか?
15年ぶりのドイツ人の仲間と
マレーシアで再会した!
シンガポールでの仕事で
偶然、現地の別の仲間と意気投合し、
話の流れでボクに辿りつき、
昨日、その仲間から連絡が来た。
マレーシアのバーで、
こんな風にまた会えるとは。
だから面白いんだよな。
仲間が増えることって。
出会いを意識的に増やせば、
世界はどんどん小さくなる。 November 11, 2025
2RP
6万フォロワーいて、ほぼ写真を載せないでひらがなばかり書いてる自称ドイツ在住出羽守アカウントがあまり疑われない…
みんなもっと疑ってほしい…
そしてドイツ人をはじめ欧米人の方が「君がドイツに住んでるの知らなかった」と言います。
そっちは気付いて… November 11, 2025
1RP
ドイツ人メモ
・基本ドイツ語が伝わらなければ、英語話してくれる
・握手は最初会った時しっかりやる
・背が高い人が多い
・街の人が優しい
・鼻が高い(物理的に)
・目が青い November 11, 2025
ドイツ人の観光案内🪄✈️
ずっとやってみたかったドイツ人の観光案内 #お正月🎍
来日の目的が【食】という、フードが趣味で就職までした映像関係の仕事をしている人と私の友達のドイツ人カップル
リサーチ中ですが取り敢えずザ•倭国の老舗に連れて行って見ようと思います✨️
#女将さん先輩だし🤔 https://t.co/58iCcRXMH9 November 11, 2025
✨新刊✨
「ドイツ人のすごいリーダーシップ 上司が3週間休んでもうまくいく最高の仕組み」
西村 栄基 (著)
https://t.co/Nlgc9G84q6
85,000部突破『ドイツ人のすごい働き方』待望の続編!
倭国の労働者の3倍多く休みを取るにもかかわらず、1.5倍の成果をあげるドイツ。
新卒直後から欧州担当としてドイツ人と働いてきた筆者が、その仕組み化、フィードバック、リーダーシップなど、超効率のアウトプットを導くマネジメントスキルのすべてを解き明かす一冊! November 11, 2025
ドイツ人のマックスくんがスーパーボクモフーディーをご購入。腹立つくらい似合うのですw
スーパーボクモフーディーは「着てると『かわいいね』と声かけられます」と好評なのです😏
そのため、贈り物なのか友人から頼まれたのか、2着買いしてくれる方が続出しております。ありがとうございます✌🏻 https://t.co/RZZg4sYWup November 11, 2025
トルコへ旅行に来たドイツ人一家、屋台料理を食べた後に体調を崩し全員死亡→当初は食中毒が疑われたがホテルの一室で散布されたトコジラミ駆除の薬剤が原因だった https://t.co/1LgJpofR0m #Togetter November 11, 2025
【憂国忌】
昨日は、例年通り、さいたま共済会館で斎行された「三島由紀夫・森田必勝両烈士五十五年祭」に参列いたしました。
今年は記念講演の講師を仰せつかりましたので、
『現代ドイツの国民統合
なぜAfDは人気があるのか』
というタイトルでお話しさせていただきました。
ドイツ🇩🇪でも、新興の反グローバリズム政党に対して、オールドメディアが「極右」のレッテルを貼り、バッシングを浴びせるという現象が起こっています。
特に、今年2月の選挙の際には、オールドメディアがスクラムを組んでAfDに物凄いバッシングを浴びせました。しかし結果は、AfDが得票を倍増させて第二党に躍進。民意が勝利しました。
講演の中では、ヴァイデル党首が「なぜAfDは極右ではないのか」を理論的に明快に説明し、攻撃的なインタビュアーを完全に論破する映像も紹介しました。
現在、ドイツ人4人に1人(25%)以上がAfDを支持しており、議会制民主主義における国民統合に不可欠な存在となっています。
にもかかわらず、2017年にAfDが連邦議会で初当選して以来、既成政党にはAfDを政治過程から排除する動き(「防火壁」)が存在し、最近ではそれがやむどころか、ますます先鋭化しています。
しかし、AfDの排除は、国民の4分の1を政治過程から排除することと同義です。議会制民主主義を破壊し、国民統合を損ない、国民の分断を生み、ひいては国家の分裂を生む可能性すらあります。
したがって、国家の本質に鑑みて、政治過程からのAfDの排除は愚の骨頂であると論じました。
#憂国忌
#AfD November 11, 2025
【太平洋戦争と銀行】身柄拘束、船は沈没…ニューヨークやロンドンで銀行員に起きたこと
なぜ倭国は「無謀な戦争」ができたのか?
未曾有の戦争の「舞台裏」には、銀行員たちの奮闘があった。注目の新刊『太平洋戦争と銀行( https://t.co/Sz3aOLsx19 )』では、植民地経営から戦費調達、戦争の後始末まで、お金から「戦争のからくり」を解き明かす。
(本投稿は、小野圭司『太平洋戦争と銀行――なぜ倭国は「無謀な戦争」ができたのか( https://t.co/Sz3aOLsx19 )』の一部を抜粋・編集しています)
■資産凍結から引き揚げへ:ニューヨーク・ロンドン
昭和16年12月7日(現地時間)に倭国が米英蘭に宣戦を布告すると、米国でも日系銀行は接収され営業許可は取り消しとなり、行員たちは連邦捜査局(FBI)に検束された。住友銀行ニューヨーク支店は、閉鎖の準備中に接収となった。もちろん香港やマニラのように、倭国軍が占領して彼らが「解放」されることはない。
ニューヨークで検束された銀行員のほとんどは、自由の女神像に近いエリス島の宿舎をあてがわれた。翌年2月には、彼らはエリス島の東100キロのところにあるキャンプ・アプトンに移された。米陸軍の徴募兵入隊センターとして使われていた場所で、倭国人のほかに拘束されたドイツ人、イタリア人もいた。ここには真珠湾攻撃に特殊潜航艇乗組員として参加して米軍に捕らえられ、太平洋戦争で初めて捕虜となった酒巻和男少尉も、他の倭国人収容者とは隔離して収容されていた。
米国らしいというか、収容所では新聞を読めた。その頃は倭国軍が優勢で、紙面には倭国の勝利や連合国敗戦の記事も掲載されたが、読むのを制限されることはなかった。
昭和17年3月にドイツ人、イタリア人と共に首都ワシントンに近いキャンプ・ミードに移送される。
彼らは昭和17年6月(第1次)と翌年9月(第2次)の交換船で帰国した。交換船は2回ともニューヨーク港発だが、ハワイや西海岸の支店・現地法人に勤務していて抑留された銀行員たちも、これで帰国している。
帰国に際して米国は、収容者による自炊・収容所の清掃は「労役」であるとして、「俘虜の待遇に関する条約」(1929年)に基づいた賃金を収容者たちに支払った。「敵国に労務を提供したのではない」と反発する熱血漢もいたが、ほぼ全員が「賃金」を受け取り、それを残留する倭国人に寄付した。なお倭国は本条約を批准していない。
第1次日米交換船の帰国者たちはニューヨークを出港すると、リオデジャネイロで南米各地からの帰国者と合流する。その後アフリカ南東部のモザンビークに向かい、そこで倭国郵船の交換船「浅間丸」に乗り換えた。昭南(シンガポール)経由で横浜に帰ったのが昭和17年8月だ。第2次交換船はリオデジャネイロや南アフリカを経由後、インドのゴアで倭国郵船の「帝亜丸」に乗船して昭和18年11月に横浜に入港した。
交換船は交戦国間の協定で安全航行が保障されているが、交換船の任務が終了すると攻撃対象となる。「帝亜丸」は昭和19年8月にルソン島北西沖で、「浅間丸」は同年11月にバシー海峡で、それぞれ米潜水艦により撃沈された。
倭国は英国にも宣戦布告をした。加納久朗ら正金銀行ロンドン支店の行員は、日英間で戦争が始まって3ヵ月ほど経った昭和17年3月に身柄を拘束される。彼らは他の在英倭国人たちと共に、大ブリテン島とアイルランドの間にあるマン島に収容された。ここは第1次大戦でも敵性外国人の収容地として使われ、第2次大戦では倭国人のほかにドイツ人、イタリア人、オーストリア人、ハンガリー人、フィンランド人らが収容された。
正金銀行の行員は昭和17年7月の日英交換船・第一系統でリバプールを出港、モザンビークからは交換船「龍田丸」に乗って横浜に帰った。
「浅間丸」と「龍田丸」は、昭和4~5年より太平洋航路に投入された豪華客船だ。船内には住友銀行横浜支店の出張所があり、外貨両替、旅行者小切手(トラベラーズ・チェック)売買、預金の受け入れ・払い出し、外国送金などを扱った。大西洋航路では米英などの銀行が船内店舗を開設している例はあったが、太平洋航路では「浅間丸」「龍田丸」(それと「秩父丸」)の住友銀行が初めてだった。この船内出張所は、太平洋戦争勃発前の昭和16年8月に閉鎖となっている。
「龍田丸」は昭和18年2月に伊豆諸島の御蔵島東方沖で、米潜水艦により撃沈された。また交換船ではないが、日欧間最終定期便に運航された「伏見丸」も、昭和18年2月に御前崎沖で米潜水艦の攻撃により沈没した。
引用元『太平洋戦争と銀行――なぜ倭国は「無謀な戦争」ができたのか』では、どのように「国力の水増し」を行ったのか、植民地経営から戦費調達、敗戦後の「清算」まで担っていた銀行員(バンカー)たちの「知られざる血と汗と涙の奮闘記」を描いている。
https://t.co/Sz3aOLsx19 November 11, 2025
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