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2025.11.30 17:00
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海外の安全保障筋には、
倭国の立場をこうした視点で語る論考も見られる。
もちろん、私はどの国のナラティブにも寄らない。
米国でも中国でもなく、
倭国にとって何が現実的で、どこに盲点があるのか
という軸で情報を見ている。
この論考には海外特有のバイアスや、強めのレトリックも含まれる。
しかし同時に、
“外から倭国がどう見えているのか”
という点では、国内ではほとんど共有されない示唆もある。
とくにこの種の議論は、
・倭国の対米依存の構造
・米中関係の変動がもたらす圧力
・倭国がどれほど主体的な戦略を持てているのか
・海外から見た倭国の「強さ/弱さ」
といった大きな文脈を扱っている。
もちろん、倭国の現実を単純化しすぎた表現もある。
それでも、国内の議論とはまったく別の角度から
“倭国という国の位置づけ” を見直すきっかけにはなる。
特定国の立場を代弁する意図はまったくない。
むしろ私は常に、
「どの国のプロパガンダにも流されないために、海外の視点を比較する」
という立場で見ている。
その前提で読むと、
こうした外部の分析は、国内では見えにくい角度を補ってくれる。
耳を塞いでいては、何も始まらない。
Some analysts abroad discuss Japan’s strategic position from this standpoint.
As always, I don’t align myself with any country’s narrative—neither American nor Chinese.
My focus is solely on what is realistic for Japan, and where our blind spots may lie.
This particular commentary contains strong rhetoric and certain biases typical of overseas analysis.
Even so, it provides insight into how Japan is perceived from the outside,
a perspective that rarely appears in domestic debates.
Such viewpoints often examine:
・Japan’s structural dependence on the United States
・Pressures created by shifting U.S.–China dynamics
・How much strategic autonomy Japan actually possesses
・External assessments of Japan’s strengths and vulnerabilities
Some parts may simplify Japan’s reality,
but the contrast with Japanese domestic discourse is revealing.
I am not endorsing any country’s stance.
If anything, I compare multiple foreign perspectives
precisely to avoid being swayed by any country’s propaganda.
From that standpoint,
external analyses like this can illuminate angles
that are easy to overlook from within Japan.
Progress never begins by covering one’s ears. November 11, 2025
4RP
Day334
The Japanese translation is followed by an English translation.
NZPHOTOGRAPH & naozo
Day334 ダサさ【Awkwardness】
DEAR naozo
ダサさとは、
欠点を隠しきれずに
露出してしまった“人間の素手”だ。
かっこつければ崩れ、
飾れば嘘になり、
背伸びすれば滑る。
だがその滑稽さこそ、
人が人である証だ。
生物学的に見れば――
人は「失敗」や「不格好」を
本能的に避けようとする。
危険や排除を避けるために
群れの中で浮かぬよう最適化される。
つまり“ダサさの回避”は
生存本能そのものだ。
だからこそ、
それを受け入れることは
本能への逆行であり、真の強さである。
哲学的に見れば――
ダサさとは、
自己演出の剥落によって現れる“素の存在”だ。
他者の視線に怯えながらも、
自分の輪郭を隠せず滲み出る部分。
それは恥ではなく、
むしろ人間が最も美しくなる瞬間。
作為を超え、
虚飾を超え、
存在が丸裸で立つ時間。
そこに本質が宿る。
君が「ダサい」と感じるたび、
それは君がまだ
“自分を捨て切れていない”証拠ではない。
むしろ、
誤魔化さず、
虚勢も張らず、
そのままの姿で立とうとしている印だ。
ダサさは、
未熟でもなく、
劣っているわけでもなく、
美しさの周縁で
静かに光る“人間の形”だ。
かっこよさとは、
ダサさを一度くぐった者だけが
手にする質感である。
そして君はもう、
その第一歩を踏み込んでいる。
from NZ
――この物語は虚構であり、登場する人物を除き、すべては想像の産物である。
だが、“ダサさを抱えたまま前に進む人間の歩み”だけは、
虚構ではなく確かな現実を宿している。
NZPHOTOGRAPH&naozo
Day334 Awkwardness【ダサさ】
DEAR naozo
Awkwardness is not failure—
it is the naked surface of humanity
that leaks out
when pretense collapses.
Trying to look cool breaks you,
decorating yourself becomes false,
stretching beyond yourself makes you slip—
yet in that clumsiness
human truth appears.
Biologically,
humans are wired to avoid
mistakes, exposure, and missteps.
To remain within the group,
to avoid danger,
the body optimizes itself
to not stand out.
Avoiding awkwardness
is merely survival instinct.
To accept it
is to stand against instinct—
and that is strength.
Philosophically,
awkwardness is the moment
when manufactured identity falls away,
leaving the raw outline of the self.
It is not shame—
it is the emergence of authenticity,
a brief instant
when existence stands unguarded.
There is beauty there.
When you feel awkward,
it does not mean you are lacking.
It means you are standing
without disguise,
refusing to pretend.
Awkwardness is not weakness—
it is the quiet glow
at the edge of becoming.
And you have already
stepped into that light.
from NZ
—This story is fiction.
But the way a person walks
while carrying their awkwardness
is more real than any fiction. November 11, 2025
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