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ghq
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2025.11.24 00:00
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広島の皆様、ありがとうございました!倭国の文化や誇りを未来へつないでいくために、私たちの祝日について改めて考えてみることが大切だと感じています。
「新嘗祭」は勤労感謝の日に、
「紀元節」は建国記念の日に、
「天長節」は天皇誕生日に、
「明治節」は文化の日に。
1948年のGHQ占領下で、これらの名称は変わり、倭国の暦は大きく姿を変えました。
だからこそ今、受け継がれてきた歴史や伝統を大切にし、次の世代へしっかりとつなげていきたい――そんな思いをお話ししました。 November 11, 2025
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今日は勤労感謝の日ですが、本来は、天皇陛下がその年の五穀豊穣に感謝し、収穫の恵みを祝う「新嘗祭」です。
西村幸祐先生がご指摘のとおり、欧米のキリスト教国では感謝祭Thanksgiving Dayなので、新嘗祭と呼ぶ方が、倭国文明圏とキリスト教文明圏で共有できる祭本来の意味になりますね。
GHQによって廃止された神道の祭日、春季皇霊祭と秋季皇霊祭が名前を変えて春分の日、秋分の日の祝日になりました。同様に建国記念の日を紀元節、天皇誕生日を天長節、勤労感謝の日を新嘗祭に戻しましょう。
さて、新米は新嘗祭が終わってから食べましょう。(お写真は陛下が9月9日、皇居で稲刈りをされたときのもの) November 11, 2025
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みんな騙されるなよ。雇われた連中が「GHQが押し付けた憲法だから変えろ!」とか「時代遅れの憲法だから変える!」とか言ってるけど、高市政権の改憲案は統一教会が作ったものだから。史上最悪の霊感商法詐欺事件を起こした韓国のカルト教団が倭国の平和憲法を改悪しようとしているのです。 https://t.co/zArSV4VnWG November 11, 2025
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昨日の午後は、「和合歴史教育を考える会」主催の歴史教育勉強会へ。私のスタッフも週2で務めてくれている星陽介くんが代表の会💡
小中学校の教員として20年以上、自己肯定感や主体性を育む歴史教育を実践されてきた斎藤武夫先生による「理想の歴史教育」のお話を伺ってきました。
斎藤先生は、参政党の神谷代表が運営するネット番組CGSでも、「倭国が好きになる!歴史の授業」について様々にお話くださっており、
https://t.co/eVSMtP355n
私も書籍などを持っていますが、実際に生でお話を伺えてよき時間でした。
歴史とは自分につながる命のバトンについて学ぶことである、
といった話を伺ったうちの息子は、さっそく家系図を書いて喜んでいました😊
戦後にGHQが倭国人に植え付けた「倭国が嫌いになる」「自虐史観」の歴史教育から早く脱却して(私も本当に自虐史観で育ちましたので、いまだに倭国や倭国国のことが嫌いな皆さんの気持ちもわかりますよ〜)、倭国が好きになる歴史教育実現のために、動いてまいりましょう🙌
今は、志教育、論語などに大変関心を持っています✨また、『古事記』や『万葉集』を時間のある時に紐解いております。 November 11, 2025
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㊗️11月23日新嘗祭(にいなめさい)
おめでとうございます!
倭国書紀にも記述があり、現代にも連綿と続く宮中祭祀。
『新』は新穀を、『嘗』はお召し上がりいただくことを意味し、天照大御神(あまてらすおおみかみ)をはじめとする天津神(あまつかみ)国津神(くにつかみ)=全ての神々と皇祖に、天皇自ら植えたその年の新穀と海の幸山の幸を使った膳をお供えし神々と共に食事をする。
新穀で神々をもてなし、天皇も新穀を食すことによって新たなる力を得る。次の年の豊穣、国家安泰、国民の繁栄をお祈りする非常に重要な祭祀だ。
倭国が『瑞穂の国』と呼ばれる所以は、天照大御神が斎庭(ゆにわ)の稲穂を天孫瓊瓊杵尊(ににぎのみこと)に授けたことで倭国が始まったからである。倭国の国づくりの根幹は稲作にある。
その豊穣を願う新嘗祭は倭国国にとって最も重要なお祭りであることを全国民がしっかりと理解するべきだ。
戦中までは新嘗祭が行われる前に新米を食べるのを控える風習があった。まず神様、そして天皇陛下がいただいてから、という考え方は倭国人らしい。
戦後GHQの政策により、倭国人が倭国人であることを誇れなくするよう、倭国の起源や神道、皇室にまつわる祝祭日はことごとく名前を変えられてしまい、倭国の根幹である五穀豊穣を祝う新嘗祭も1948年に『勤労感謝の日』などという訳の分からない名称になってしまった。(アメリカのサンクスギビングデーを参考に名付けられたという話もある)
しかし名前を変えてでもこの祭日を残したかった当時の政府の心意気も感じる。
今こそ本来の名前を取り戻し、倭国国民としての誇りと健全な愛国心を育てなければ。
今日は倭国人として心底誇らしい一日。
日の丸を掲げてお祝いし、お近くの神社に行きましょう♪ November 11, 2025
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岡山の皆様、ありがとうございました。
本日は勤労感謝の日ですが、この名称はGHQ占領下で改められたもので、もともとは「新嘗祭」と呼ばれていました。
先日、11月3日の文化の日に「明治の日」を併記する祝日法改正案が報じられましたが、勤労感謝の日についても「新嘗祭」という本来の名称を取り戻すことが望ましいのではないかとお話しいたしました。
15時からは広島駅に伺います。皆様とお会いできるのを楽しみにしております。 November 11, 2025
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いつも企画やら合作やらを行うと失踪していたワイが!遂に合作をやり遂げましたねえ!疲れたけどそこそこ楽しかった!!でも疲れた!!GHQありがとナス!
#にゃんこ大戦争
@Adolf810Hitler https://t.co/Yja96ei5xG November 11, 2025
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11月23日
勤労感謝の日とされていますが…
新嘗祭(にいなめさい)」という「天皇が新しく収穫された新穀を食べて、その年の収穫を感謝する儀式」が由来で、戦後のGHQの占領政策によって天皇行事から切り離される形で改められ、現在の「勤労感謝の日」となりました。 つまり、もともとは農作物の収穫に感謝する日だったものが、働く人すべてに感謝する日へと発展したのです。
本来は収穫したものを奉納し神様に感謝する日
農家さんに感謝する日
そのおかげで命を紡いでくれている
感謝🙏 November 11, 2025
#11月23日 #新嘗祭(#GHQ が #勤労感謝の日 と歪曲) 倭国人は絶対覚えておきましょう。 悠仁親王殿下のお出ましが楽しみです。 しかし、現天皇家への忖度か、保守派は宮中祭祀のことも言わなくなった…😡 https://t.co/u2N7V362Ru November 11, 2025
広島での活動、素晴らしいですね!倭国の伝統や文化を未来に繋げるためには、祝日の由来や意味を改めて振り返ることが大切だと思います。GHQ占領下での歴史的な変化を踏まえ、今後も伝統を大切にしながら次の世代に伝えていくことが重要ですね。倭国の歴史や文化に対する深い理解と誇りを次世代に引き継いでいくために、こうした活動がとても意義深いと感じます November 11, 2025
倭国的なるもの の正体
倭国的なるもの は、それを探そうとすると出てこない。だが、結果的に何もかもが、倭国的なるものに変容されてしまっている
倭国というのは本当に凄い国だ‼️
倭国は、いつ倭国になったのか?
1223年に制定された、
貞永式目(関東御成敗式目)
これは、中国輸入の律令制度のあっていない部分を、補うために武士団の慣習法を明文化した。
奈良時代から使ってきた、律令制度は所詮大陸からの輸入品
茂木先生の説では、律令というのは、押し付けられたローマ法
貞永式目(関東御成敗式目)は、コモンローであり、イギリスの制度に似ている。例えば、
女性の相続を認めるとある。唐の律令では、一切認めてられない女性への相続。特に、妻への相続。これは今でもそうです。鎌倉時代には、女地頭もいた。
承久の辺の時に頼朝の妻、尼将軍 北条政子があれだけ活躍したのも、当時の女性には、すごい権利があったことがわかる。
これは、丸山眞男先生の言う「歴史意識の古層」
そのものではないか。
倭国人の歴史意識の底に根強く存在する思考様式
まづは、倭国列島の絶妙の地理的位置(地理的な要素、地政学的な要素)という前提がある。
ーー文明の中心ユーラシア大陸の東の辺境、海で隔たれつつ海で繋がった列島社会(これはイギリスとも違う)、同時に文明と隔絶されることもなかった。
その中で、倭国は歴史的に、開閉を繰り返した。
倭国の歴史は、開国と鎖国の繰り返しだった。(江戸時代や明治維新だけではない)
そして、開国したタイミングで、動乱が必ず起こった (唐ー壬申の乱、宋(平家)ー源平の乱、明(足利義満)ー応仁の乱、南蛮貿易ー織田信長の天下布武)
関係を閉じると、天下泰平になる
つまり、倭国の思想、宗教、文化、制度は、すべて、大陸から来たもの
以上を前提にして、外来文化を受容しつつ何か密かに変容させてしまうものを、
古層ー執拗低音 と言っている こういう営みが、
倭国的なるもの の正体
ここまでをまとめると、倭国の歴史は、開、閉を繰り返して、外来文化が上から積もってくる。間に鎖国が入り、そうになって積み重なる。それらは、層をなして積み重なっているはいるが、融合はしない。そして、その層の一番そこのところに、何か全体を倭国的にしてしまう
サムシングがある
教科書的に書くと、律令制度は、
律令制度は、皇室を中心とする貴族階級が、全国の人民と土地を直接統治するための中央集権的な官僚支配体制であった。中央に二官・八省などの官僚組織を設け、地方には国・郡・里(のちに郷となった)の制度を敷いた。また、交通制度、条里制及び軍団制などの整備も進めた。律令制度は、その機構・内容など、その後の時代の要請に応じて幾多の変遷をたどるが、倭国の古代国家を一つの完成された時代として位置づけた制度であった。
なお、そうした律令制度も、8世紀末から12世紀末までの約400年間、すなわち平安時代の歴史のなかで次第に崩壊していく。国家支配機構の末端である国司の横暴と、それに対抗する郡司層を中心にした新しい在地支配者層(武士団)の台頭、また、律令制度の大原則である土地公有制の崩壊に伴う初期荘園の形成などによって、時代は中世へと移っていくのである。
皆さんは、象徴天皇制とは、戦後GHQが、現憲法を作るときに考えたと思われているでしょう。
でも本当は、明治以前の倭国は現在以上に徹底した象徴天皇制だった。
では、この制度は、いかなる思想に基づき、誰が確立したものなのか?
実は、鎌倉時代の中期の
北条泰時
により確立され、その法律は、
貞永式目(関東御成敗式目)だった。
泰時は、この体制創出の 革命 を行ない、同時にその思想に基づく法律を天皇に関係なく制定、交付した。
これは外国から輸入した継受法ではなく、自らの規範を条文化した倭国で初めての固有法である。
倭国人が、外国からシナリオを借りず自分の法律を自分で制定し、自分で交付し施行した初めてであり、これが倭国独自の自前秩序が成立した瞬間で、いわば倭国史において、
倭国が倭国になった大きな節目となった。
本書を丹念に読むことにより、現在の倭国が決して一朝一夕にできたものではなく、まして戦後78年に全てが新しく作られたものではないことがわかる。
我々には歴史はない、今日から新しい歴史が始まる
は、明治にも戦後にも抱かれた錯覚であり、
短い戦後史の中の泡沫的諸現象
は、いわゆるマスコミに任せておく。
倭国という国は、どこで大きく転換して
倭国になったのか?
そこで一体何が行われたのか?
それが以後の倭国をどのように形成してきたのか?
を探求する。それが、倭国を動かす原理である。
山本七平著 倭国的革命の哲学 倭国人を動かす原理 November 11, 2025
だからマジメッコみたいなヘタレが内心ヤンキーのつもりで犯行でこっちをマークしててそいつらが大人しいタイプの犯罪で内心はヤンキーのつもりだから田舎ものは東京から来たおしゃれが珍しいから緊張しマジメッコぶって無理して異常者の犯行心理故意にして人の格好に因縁くれてたつもりでただ犯罪犯行してただけじゃねーの?俺iPhone持ってたからね当時4まだ無い3GSね?いつだ?2011年?地震あったね〜?あ自慢?広島の健全とやらが?当時の広島人の偽善見栄はiPhoneには早期アダプションしはせず!とする偽善の質実剛健のつもり性的見栄は自己矛盾露骨で法的不誠実露骨も低劣民度だったなぁ。
一人で地域引っ越して来て周辺散策とか見て回ったり人の様子とか見る人いるつかいて自然だが彼ら其の手の事はGHQや又は違法だと思ってるからね。 November 11, 2025
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