議事堂の奥へ進むと、夜の廊下は昼間とまるで別世界でした。
　白い大理石の床は、足音を吸い込むように静かで、時折どこか遠くで書類がめくられる乾いた音が聞こえるだけ。
　私はいつもこの時間帯の議事堂が好きでした。
　人々が主張をぶつけ合う昼の喧騒が嘘のように消え、建物そのものが“本音”を語り始めるからです。

　ランド・ポール議員は、私より半歩前を歩きながら言いました。

「Emily、今夜は少し長くなるかもしれない」

「慣れています。議員の夜はいつも長いですから」

「はは……それは本当に、申し訳ないと思っているよ」

　その言い方があまりに自然で、私は思わず笑ってしまいました。
　彼は“騎士”と呼ばれることもありますが、実際にそばで見る彼は、もっと人間的で、時に疲れた肩を見せる普通の大人です。

　私たちは小さな会議室の前で立ち止まりました。
　議員は鍵を差し込むその手を一度止め、小さく息を吸い込みました。

「Emily。これから見るものは、まだ誰にも見せるなと言われている。
　だが……君には必要だ。私一人では追い切れない」

　私は深く頷きました。
　この三年間、私は彼の戦いを横で見てきました。
　だからこそ、何があっても支えたい、と思っていました。

　鍵が回り、扉が静かに開きます。

　中には、古い木製のテーブルと、数台のランプ。
　そして……ひときわ大きな封筒が中央に置かれていました。

　議員はそれをそっと私の前に押し出しました。

「開けてみてくれ」

　封筒を開くと、中にはぎっしりと詰め込まれた会議録。
　しかしその表紙には、赤いスタンプでこう記されていました。

“CONFIDENTIAL — Restricted Access”
（極秘扱い——閲覧制限）

　ページをめくるたび、紙がかすかに震えているように見えました。
　そこには研究所名、契約額、日付……知らされてこなかった事実が淡々と記されていました。

　そして核心に迫る一文。

——“ゲイン・オブ・ファンクション研究（機能獲得研究）の継続を認可する”

　私は息を呑みました。

「これ……ファウチ氏の署名が……」

「そうだ。
　公には“やっていない”と言い続けてきた研究が、実際には続いていた証拠だ」

　議員の声は静かでした。
　怒りではなく、確認するような冷静さ。
　その静けさの方が、逆に胸を締めつけました。

「議員……これは、公開すべきでは？」

「そうしたいさ。今すぐにでも」
　彼は苦く笑いました。
「だが、これを表に出した瞬間、君も私も終わる可能性がある」

　沈黙が落ちました。
　私はテーブルの上の紙を見つめながら、指先が少し震えているのに気づきました。

「……でも、隠したままでは、もっと多くの人が苦しむかもしれない」

「その通りだよ、Emily」
　彼は私の方を見ると、まっすぐな声で続けました。
「だから、この戦いは“慎重”でありながら“大胆”でなければならない。
　真実を暴くというのは、ただ叫ぶことじゃない。
　ひとつずつ、崩せる場所から崩すことだ」

　その言葉を聞いた瞬間、私はようやく理解しました。

——この人は、孤独なのではない。
——孤独を恐れないだけなのだ。

　それは才能でも勇気でもなく、もっと静かな、強い意思でした。

「議員、私にできることはありますか？」

「あるとも。
　これを誰より先に読み、理解してほしい。
　君の分析は的確だ。私は、それにずいぶん助けられている」

　胸が熱くなりました。
　議員がこんなふうに褒めることは滅多にありません。

「……ありがとうございます」

　議員はランプを少し動かして、書類の束を明るく照らしました。

「君が読む間に、私は“沈黙している同僚”たちに連絡をする。
　彼らの何人かは、この件で動きたがっているはずだ。
　だが誰も、最初の一歩を踏み出そうとはしない」

「怖いから、ですか？」

「そうだ。
　そして……“見てしまった”者は、沈黙を貫くことを強いられる」

　そのとき私は、議員の言葉の意味がゆっくり身体の中に沈んでいくのを感じました。
　真実に触れるということは、それ自体が危険なのです。

　私は椅子に座り、震える指で書類を押さえ、ひとページ目を静かに読み始めました。

　その瞬間、議事堂のどこかで――
　金属のような、乾いた音が響きました。

　議員は即座に私の前に立ちました。

「……Emily、ここから動かないで」

　その声は、それまでとは違う、戦う人の声でした。

　そして私は、胸の奥で確信しました。

——今夜、議員の“戦い”はまた一段深く潜っていく。 December 12, 2025