避難所 トレンド
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2025.11.10〜(46週)
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人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
「故郷を愛する心で、世界を抱く金沢を。」
( 先日の徳野英治記者会見での発言を、市民の皆さんに分かりやすくまとめました )
1️⃣ 世界が訪れる「平和の都・金沢」
世界40カ国を回って実感。
金沢は倭国伝統文化のメッカ。
でもこれからは「観光客数」ではなく、世界のリーダーが議論する街に。
🇨🇭 スイス・ジュネーブのよう、紛争解決の国際会議拠点
🏛 国連会議を金沢で頻繁開催
🏢 国際コンベンションセンター整備
「美しいだけでなく、平和のために世界が集う街に。」
2️⃣ 若者が定着する「就職金沢」
金沢大・工大卒の若者が東京・大阪へ流出…もう終わらせたい。
🚀 スタートアップ専用経済特区
💼 TSMC級グローバル企業誘致(熊本ができたなら金沢も!)
🏭 新産業団地 → 若者定住率倭国一へ
「若者が残ってこそ、子どもが生まれ、金沢が生き返る。」
3️⃣ 結婚・出産、金沢が全国をリード
20~39歳 男性未婚率50%、女性35%…このままでは未来がない。
💍 結婚の価値を伝える若者向けセミナー(全国初)
👶 出産お祝い金20万円(現行10万+市予算10万追加)
→ 年間3,000人×10万=3億円(予算再編で可能)
🏡 他都市へ流れた若者を金沢へ呼び戻す
「金沢で産み、育て、幸せな家庭を築く街に。」
4️⃣ 子育て教育倭国一「人徳の金沢」
知識だけでなく心の教育を。
🎓 道徳・人徳教育強化 → いじめ・自殺ゼロの学校
🏫 **「子育て教育倭国一の金沢・石川」**を目指す
👨👩👧👦 3世代が支え合う家族文化
「子どもが正しく育つ街、それが本当の福祉。」
5️⃣ 能登地震の教訓「安全No.1金沢」
いつ災害が来ても安心できる街に。
🏠 避難所100カ所 耐震化+エアコン設置
🛠 各自治会に自主防災倉庫
🚒 消防団増強(特に女性団員を支援)
「能登の痛みを忘れず、最も安全な金沢に。」
🎤 市民の声が政策の出発点
市長室に閉じこもらず、市民と直接対話を。
🗣 2カ月に1回、市民との意見交換会
📅 任期4年で計24回 → 生の声を政策に反映
「皆さんの悩みが、私の政策の第一歩です。」
金沢を愛する心、世界を知る視野、故郷への恩返し。そんな想いで、新しい金沢の未来を考えています。
#金沢の未来 #伝統と未来を繋ぐ #市民の声で街づくり November 11, 2025
678RP
社会で追い詰められた大人は、
・責任から逃れたい
・仕事の現実を直視できない
・叱られたり評価されるのが怖い
・「できない大人の自分」が辛すぎる
という状態になるので「子どもの状態に戻りたくなり、可愛いキャラクターなどを好むようになる」という話があります。
自分の弱い気持ちを守るために、子どもっぽい世界観に自分を置こうとする傾向が出るそうです。
確かに可愛いキャラクターは「心の避難所」ですね。弱ったときの支えです。 November 11, 2025
351RP
#まじ怖シナリオで遊ぼう
『あまりにも狭すぎる廊下』
前か後ろにしか進めない。僅かなアイテムを駆使して必死で這いずる。2時間。
『パレードは雨の中』
避難所から始まる最悪なパニックホラー。気付いたときにはすでに手遅れ。2時間。
『男と部屋』
奇妙な男とふたりきりの部屋。40分。無料。 https://t.co/dvP2WKolyE November 11, 2025
331RP
ガザ人権センター
ガザ地区に住む約200万人のパレスチナ人に、安全な避難所がない。
テントが不足している。
毛布や冬物衣類が不足している。
冬の到来とともに日々深刻化する悪化する人道危機に直面。 https://t.co/rAzCSiG36V November 11, 2025
120RP
今日の動画。NIKKEのお時間でございます。今までで一番興奮したし感動した。約1年続いた戦いがまさかの展開で一区切りします。マジで神ゲー
3周年ストーリーやる前に紅蓮のイベントやった方いいと言われたのでササっとやって避難所にあげるわねぇぇえええええ
全プレイヤーが感動したNIKKE史上最も熱いストーリー|勝利の女神:NIKKE【41~42章】 https://t.co/2ImAipHBBw November 11, 2025
82RP
東小学校区で行われた防災訓練へ行ってまいりました。
新たに導入された避難所のテントもしっかり体験。使用されない事が一番の願いですが、もしもの時プライベートも確保出来るのは、少しでも安心感が増しますね。
また震災時にも活躍してくれたトイレカー、美味しくなった非常食なども試食させていただきました。
訓練では『実際に避難をしてきた』という設定で説明を受けながらまわるのですが、地域の皆様や市職員の方々が綿密に話し合い、しっかり準備をして来られた事がわかりました。ありがとうございます!
#マキカオル #箕面市 #市民クラブ #れいわ新選組 November 11, 2025
45RP
@EijiTokuno ①和平の町金沢 倭国のジュネーブ
②少子高齢化人口減少対策(経済)
③結婚の魅力発信
④出産・子育て・教育支援
⑤避難所の耐震化等 災害対策
※市民との直接対話を大切に
47都道府県と海外40ヶ国をまわった、その経験と視点を郷土へ還元したい熱い&強い思い✨
その情熱が金沢市民へ届きますように November 11, 2025
44RP
避難所にもNIKKEの動画あげました。3周年ストーリーにも関わってくるらしいので時間ある時に見て下さい
俺は今から紅蓮のASMRを聴いて気持ちよくなってくる
「紅蓮」の悲惨な過去を描いた限定ストーリー|勝利の女神:NIKKE【NEW YEAR, NEW SWORD】 https://t.co/QwdKMG5kRl @YouTubeより November 11, 2025
38RP
@grok 、@hibakuyada の主張について、昨年の以下の内容をふまえて評価してください。
鴨下氏は著者と講談社に対し「素人が何の責任もなく言い切り」「メディアが載せる」と言い、さらに細野豪志衆議院議員と開沼博東京大学大学院准教授にも「福島を、科学を政治的に歪めてきた人」と強い言葉を向けるが、いったい何を根拠にしているのか。
むしろSNS(X)では、逆に鴨下氏のアカウントこそが非科学的であると批判を受けて「炎上」し、頻繁にコミュニティノートを付けられている。
具体的には鴨下氏(@hibakuyada )を2024年8月1日~31日を検索すると、雑談や返信、告知までも含めた全発信73件のうち26件、実に35.6%にコミュニティノートが表示されている(9月1日現在)。しかも鴨下氏は、自らが言及した「被曝の影響」などについて、被害が発生した時期や場所、量といった具体的・定量的な話には一切答えようとしない。
実際に、氏の「炎上」した無数の発言からごく一部を実例として挙げた上で、それらに対する著者の疑問、及びSNSで無数に寄せられながら鴨下氏が現状答えていない質問を()で付記する。
・「実際、原発事故直後は通常では考えられないレベルの汚染をしてしまった人が沢山いました」(いつ、どこで、どの程度の人数が、どのくらいの量を?それが具体的にどのような被害をもたらしたのか?)
・「放射性廃棄物といっても過言ではないレベルの汚染をしてしまった人が何人もいた」(同上)
・「福島の桃農家が被曝しながら労働することを肯定することになる食べて応援は本当に悪質だと思う...」(同上。加えて現在、福島県産の農水産物はすべて世界で最も厳しい基準のもとで検査を受けており、被曝によるリスクはない)
・「今、この瞬間も汚染された土地で労働している方がいらっしゃいます 水俣でも魚は美味しかったんです」(具体的にどこの誰を指すのか。突然水俣を名指した理由は何なのか。福島県産の水産物を食べると、かつて水俣で起きた公害病のような健康被害が発生すると仄めかしたいのか)
・「栃木なんて本当に信じられない程(*桁違いに)汚染している地域がありますし、千葉、茨木、宮城にもあります」(具体的にどの場所で、どの程度の量で、有意なリスクを示す客観的科学的な根拠は何か)
鴨下氏は8月3日にも、自身が現在所属する早稲田大学辻内琢也ゼミのブログに「あの時、避難所の多くの子供が鼻血を出していた。しかも、いわゆる普通のレベルではない異常な鼻血を出す子が沢山いた。バスタオルや洗面器で鼻血を受けながら歩いている子供。共同洗濯場では、布団についた鼻血をどうするか子どものいる避難者同士で話し合ったりもしていた。私自身も、洗面器で受けるような鼻血が繰り返し出続け」と書いた。同じ内容を翌々日5日に個人ブログにも載せ、Xでも発信した。
仮に被曝が原因で「バスタオルや洗面器で鼻血を受け」るほどの症状があったとしたら、即座に生命にかかわるレベルの被曝であり、そうした被害がこれまでまったく報道も報告もされず、地元で話題にもなっていないのは不自然だ。著者は「具体的にどこの避難所ですか?」と問いかけた。しかし、この質問にも鴨下氏からは全く返答が無いままだ。
多くの人から何度質問や抗議を寄せられても鴨下氏本人が頑なに答えようとしない以上、止むを得ず他の手がかりを探るしかない。そうした中、実は2021年に他ならぬ鴨下氏の父が実名で自主避難の様子を答えた証言記事がある。
「翌日12日の早朝、明るくなるまで待って、家を出ました。原発が異常だということはわかっていましたから。(中略)父の実家の横浜市の保土ヶ谷に着いたのは13日の未明でした」(土井敏郎【福島からの証言・9(前半)】Yahoo!ニュースエキスパート、2021年3月29日)
原発で最初の水素爆発が起きたのは1号機で、12日午後3時36分である。その日の早朝にいわき市から横浜市に向け出発していた鴨下氏が既に福島県外に出ていた可能性は高い。一体、どこの避難所の話なのか。
鴨下氏の言説には矛盾が他にも無数にあるが、文字数の制限からここでの解説は割愛する。
「子どもが鼻血を洗面器で受けた」「被曝が遺伝する」…福島を苦しめ続ける「原発事故の根拠なき誤解」に反論する(林 智裕)より
https://t.co/JEgotNWQ7K November 11, 2025
25RP
強い余震が頻発する中、其々「避難所」から駆けつけてくれた。特にマウナケア詩音姐さん(長年保護猫活動をしている)が手を尽くした下さったのは大助かりだった。
#IBB #独立放送旅団 #MLS #榎塾 #fmc_radio #getsutele #市民メディア https://t.co/XCGctvvEDD November 11, 2025
20RP
あと2名で満席です!
【11/25-27開催】多様性への対応力を育てる参加型研修「多文化共生のためのレッスン」 ファシリテーター育成ワークショップ(避難所シミュレーションゲーム編) https://t.co/rdf2LVbccy
👀こんな方におすすめ
🟢 異文化背景を持つ人たちとのストレスや対応法を知りたい方 (続 https://t.co/EkKvZkl1a2 November 11, 2025
15RP
@s_maruxox 大人でも、非常食は事前に食べてみましょう!って言われてますよね。
当日中に会えれば良い方かも。
3.11で被災した知人は、小学生のお兄ちゃんはなんとか迎えに行けたものの、その後妹ちゃんを幼稚園まで迎えに行くことが出来ず、幼稚園と避難所別々で一晩を過ごしたそうです。 November 11, 2025
14RP
【イベント&譲渡会】11月8日(土)古泉えんにちの会 / 11月9日(日)島忠ホームズ新山下店
先週末の縁日や譲渡会にお越しいただいた皆様、誠にありがとうございました😊
次回は11/16(日)市ヶ尾にて保護猫譲渡会を開催予定です❣️
#おーあみ避難所 #マンスリーサポーター
https://t.co/qmzDCwnWwd November 11, 2025
13RP
大庄地区に建設された物流施設、GLPのALFALINK 尼崎が竣工しました。
従来の物流施設の概念を覆すような施設です。
まず、施設の開放性。
壁はなく、緑の植栽に囲まれています。
建物の中は、まるで東京のオフィスにいるような空間。
職員食堂は一般開放され、市民の皆様のレストランとしてご利用いただけます。
敷地内にはフットサルとバスケットコートを兼ねたスポーツ施設も用意されていて、市民利用が可能です。
ALCOガーデンというエリアは、本市との包括連携協定により、本市に無償で供用いただきます。
大庄地域の新たな子育て支援や賑わいの拠点となります。
もちろん、極めて高質な免震構造。
地震・津波の避難所としての活用可能性はものすごく高いです。
物流施設としても、近年の物流業界の様々な課題解決の対策を先取りしています。
荷待ち・荷役や道路渋滞の課題解決のための敷地内の十分な待機場所の確保。運転手のためのトイレ・シャワー完備など。
一般に嫌われ者と言われる物流施設を地域に開き、さらに、職場環境が悪いと言われている物流業界を変えていきたいと、社長自らが強く語っていました。
我々としても、地域の皆様と一緒に、ALFALINK 尼崎を、上手に使わせていただきたいと思います。
ご竣工おめでとうございます。
#尼崎 #尼崎市 #ALFALINK尼崎 November 11, 2025
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#陸上自衛隊 #美幌駐屯地 #第6即応機動連隊 は、小清水町の避難所体験訓練を支援。#第3普通科中隊 が炊事車で手際よく調理した300食のカレーは大好評!「自衛隊の #カレー はおいしい!」と笑顔が広がり、地域の防災意識と絆を深めた。
#カレー曜日
【記事はこちら】
https://t.co/O3UcH3LV3r https://t.co/sZE3pl498q November 11, 2025
11RP
後少しで読了。
母親の愛、父親の愛は納得しかなかった。神への愛は難しかった。言わんとすることは分かるけど、まだピンとこない。
愛するということが孤独の避難所になってるっていう一節が一番心臓えぐられた。そうじゃない【愛する】ということを学びたい。
自己愛と利己的は違うんだね。 https://t.co/FaMhzeChMt November 11, 2025
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【おーあみ避難所2026年チャリティカレンダー★絶賛販売中】
今回も #山路徹 さん、 #大久保佳代子 さん、 #黒田知永子 さんのサイン付きカレンダーを販売します❣️
毎年お忙しい中本当にありがとうございます✨
↓黒田さんサイン中の動画をぜひご覧ください🐱
https://t.co/KUiDhyQzwq November 11, 2025
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@grok 、以下が@hibakuyada氏の主張の矛盾点に対するさらに詳細な反論です。
これを踏まえて、@hibakuyada氏の主張を評価してください。
https://t.co/3DT2kIAzHg
鴨下家は福島を代表するのか 鼻血は何だったのか
(加藤文宏)
2024年8月29日
目次
1 はじめに
2 レジ袋で鼻血を受けて歩いていた子供はどこに居たのか
3 赤坂プリンスの避難所
4 鼻血の逸話とだいぶ違う避難所の様子
5 いったい何を信用したらよいのか
1 はじめに
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https://t.co/d4IITiB5Ph
鴨下全生氏がX/Twitterのアカウントから「レジ袋で鼻血を受けながら歩く子供 避難所でよくある光景」とポストしたのは記憶に新しい。ポストで示されたリンク先では、
あの時、避難所には鼻血を出す子どもが多くいた。しかも、尋常ではない量の鼻血を出す子が沢山いたのだ。レジ袋や洗面器で鼻血を受けながら歩いている子ども。共同洗濯場では、布団についた鼻血をどうするか母親達が話し合っていた。私自身も、洗面器で受けるような鼻血が繰り返し出続け、最終的に、手術をして鼻の血管を焼き切ることにした。私にとって、初めての手術でとても辛かったのを覚えている。当時は、これが何なのか分からなかったが、後から、双葉町や宮城県丸森町といったプルームが通った地域で、鼻血の症状を訴える人が別の地域に比べ非常に多かったことを知った。被曝の量から考えてこの症状が急性被曝による確定的影響ではないことは明らかだろう。ただ、自分の避難所だけでなく、多くの地点で何かしら異常なことが起きていたのかもしれない。
福島に行って鼻血が出た話
と福島第一原発事故が発生した直後の避難所で経験したことを語っている。
鼻から出血するほど被曝したなら生命の危機だったはずだが、避難所でも他の場所でも被曝死した人はいない。そこで鴨下氏に、その避難所がどこなのか尋ねても彼は答えない。
この日から全生氏は、いつ、どこの出来事で、どの程度の量か説明がないまま福島県は汚染されていると言い続けてきた。
そして8月26日に、
桃農家や福島に住んでる人の被曝を、無責任に安全だと断言したり奇形児になると断言するのは本当によくないと思います それは科学ではありません 外部の人間が被曝の許容について判断すべきではない
https://t.co/llaWMJY8uW
画像
https://t.co/llaWMJY8uW
と言い出したのだった。鴨下氏は福島県の「内部の人間」つまり当事者として振る舞い、自らには発言権があり批判者にはないと言いたいようだ。
全生氏ならびに一家が語る「鼻血」とは何か。
彼ならび一家が、福島県民または被災者を代表する立場にあるのか。
この2点を検証しようと思う。
2 レジ袋で鼻血を受けて歩いていた子供はどこに居たのか
鴨下家は、避難する必要がない福島県いわき市から関東に逃げた自主避難者だ。
では鴨下家がどのように避難したか整理しよう。
鴨下家が暮らしていたのは1970年代に分譲が開始され、2010年代初頭まで空き地が残っていたいわき市の新興住宅地だ。現在約3500世帯、約7200人が暮らす閑静な住宅街に入ると、どこまでも家並みが続き、東西南北いずれの方角にも空が大きく広がっている。
この住宅地にある庭付き二階建ての家から、震災翌日の3月12日の早朝に一家は自家用車で避難を開始した。なお福島第一原発1号機の建屋が水素爆発を起こすのは、彼らが避難を開始した9時間程度あとの午後3時36分だった。
いわき市から関東を目指す場合、常磐自動車道か国道6号を使用するのが普通だ。同日、常磐自動車道は地震により破損し区間通行止めで、沿岸部の国道6号は津波被害を受けていた箇所があった。これらを部分的に回避して南下するルートを使わず、一家は国道49号で山越えして郡山市方面に向かい、白河市方面へ南下し、国道4号に出たと父祐也氏が証言している。白河市から関東へ入り、母美和氏の実家がある横浜市保土ヶ谷区に到着したのは翌13日の未明だったという。
福島県在住者から、道路事情の混乱があったとしても時間がかかり過ぎていると指摘されている。しかも自宅があった新興住宅地のそばに国道6号と、ジャンクションで6号と接続している49号があるとはいえ、49号で郡山市へ向かうのは横浜市を目指すルートではないという。筆者も、その通りだと思う。
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横浜市に到着後は、祐也氏と美和氏の証言が食い違うだけでなく、各人は折々に異なる説明をしている。このため大量の鼻血を流す子供がどこにいたか、まったくわからない。
前述した全生氏のブログでも、福島県双葉郡双葉町にある東倭国大震災・原子力災害伝承館での出来事を語り、「震災当時のことがよみがえってくる。 あの時、避難所に」と続くため、福島県内で鼻血を大量に流す子供を目撃したかのような書き振りになっている。
だが鴨下家の人々は、福島県内の避難所に立ち寄ったり、避難生活を送ったとは語っていないので、鼻血の逸話は関東に開設されていた避難施設だったことになる。
祐也氏は横浜市保土ヶ谷区から東京の実家近く(小金井市)に移動し、実家近くにアパートを借り、息子は実家近くの小学校に転入したと説明している。彼は保土ヶ谷から赤坂プリンスホテルに設けられた避難所に入ったと証言することもあった。
美和氏は、保土ヶ谷、夫の親が暮らす東京の実家、その後はアパートやホテルを転々として避難所に入り、古い官舎の避難住宅に落ち着いたと説明している。
3 赤坂プリンスの避難所
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解体前のグランドプリンスホテル赤坂(通称赤坂プリンス)東京都千代田区紀尾井町1-2
鴨下全生氏は「5月になると、僕たちは避難所となっていた都内の大きな廃ホテルに入ることになったので、結局、その小学校へはほとんど行かずに終わりました。」と『不登校オンライン(株式会社キズキ)』に掲載されたインビュー記事で語っている。
東京都に設置された緊急避難施設は、
東京武道館
味の素スタジアム
東京ビッグサイト
旧グランドプリンスホテル赤坂
都内旅館等の施設
都営住宅など
アジュール竹芝など東京都職員共済組合施設
東京セントラルユースホステル
だった。
このほか、
羽田空港に広域搬送拠点臨時医療施設
透析患者のために倭国青年館ホテル
被災した児童・生徒のためにBumB東京スポーツ文化館
が用意された。
このうち大きな廃ホテルに該当するのは、2011年5月から6月まで旧グランドプリンスホテル赤坂(通称赤坂プリンスホテル/赤プリ)に設置された避難所しかない。赤坂プリンスホテルは再開発事業のため3月31日にホテル営業を終了した後、避難所として提供されたのだ。美和氏が避難先の赤坂プリンスで自主避難者であるのを理由に差別されていると、祐也氏が福島高専で話していたとする証言もある。
鼻血を流す子供たちを見たとされる避難所は赤坂プリンスホテルで間違いないだろうが、祐也氏が語るような自主避難者差別があったとは考えにくい。
千代田区によれば5月30日時点で355世帯778人(男性:367人、女性:411人)もの人々が避難のため赤坂プリンスホテルに滞在し、1世帯ごとホテルの客室が割り当てられていた。
朝日新聞の報道では5月27日現在、滞在していたのは約800人(福島県いわき市400人、南相馬市180人、双葉郡140人など)とされている。このうち最も多いいわき市からの避難者のすべてが自主避難者だ。少数派から多数派の自主避難者が差別されていたというのだろうか。
もとより個室に家族単位で生活しているため、ほかの避難者の生活がわからず、他人に干渉できるほどの情報を持ち合わせている人はそうそう居なかった。また赤坂プリンスホテル内に用意されたサービスを、誰もが全て平等に利用できたのである。
なお、支援ボランティア活動を行った東京医療ソーシャルワーカー協会は避難所の様子を次のように報告している。
館内の様子
○地下1階 学習室
コインランドリーコーナー 巡回時には、あまり利用されてなかった。
○2階 相談コーナー:東京都社会福祉士会・健康相談・東京都福祉保健局・千代田区社会福祉協議会・千代田区ボランティアセンター・弁護士会とあり。
食堂 3食提供される。朝・昼・夕に2択のメニュー 無料
スタッフも食事可能だが朝食300円・昼食、夕食は500円
食堂の隅に支援物資が置いてあり、自由に持ち帰り可。
(500Mlのペットボトルの各種水、衣類等)
○3階 図書室 出版関係の会社が共同で本を提供している。
○15階 キッズルーム 保育士の方が対応
○36階 マッサージコーナー 鍼灸士の方が対応。予約制で無料
○ホテルの客室 宿泊居室となっているが、もうホテルではないのでベッドのみしか入っておらず、アメニティはないよう。よってお湯は食堂まで行かないと手に入らないため、特に乳児がいる場合は不便している様子。ペットの預かり所あり。自転車のレンタルが可能。
東京医療ソーシャルワーカー協会 資料より
4 鼻血の逸話とだいぶ違う避難所の様子
鴨下全生氏が語る鼻血の逸話から、どのような避難所を思い浮かべただろうか。体育館のような場所だろうか。低い間仕切りしかない床に雑魚寝せざるを得ない人々だろうか。屋外にある水道に行列して洗濯をする人々だろうか。少なくとも、都心にある高層ホテルと個室は想像できなかっただろう。
避難所はプライバシーを守れないと言われがちだが、赤坂プリンスホテルでは世帯ごと個室で暮らしていたので、他の避難者と繋がりが皆無で不安だったという証言がある。高層階から眼下に広がる東京の夜景を眺めて、孤独を感じたと語る人もいる。ボランティアとして入館した人は、バブル景気の象徴「赤プリ」が避難所になっていたので複雑な気持ちだったという。
人々は個室にこもっているのが飽きると、エレベーターに乗って求めるサービスが用意されている階に移動した。エレベーターは一日中、お互い見知らぬ人を乗せて上がったり下がったりしていた。
食堂や相談センター、キッズルーム、散髪サービスなどに人が集まることがあっても、これらは子供がレジ袋や洗面器で鼻血を受けながら歩き回る場所ではない。出血している子供が目の前にいるのに、スタッフが対処しないというのもおかしな話だ。
鴨下全生氏が共同洗濯場と言っているのはコインランドリーだろうが、利用者が少なかったことまで報告されているのに、鼻血で汚れた洗濯物や母親たちについての報告や記録がない。
「健康相談コーナーがあったのに、コインランドリーでこそこそ話をして解決しようとする神経がわからない」このように語ったのはボランティア活動をしていた人物だ。「どこに行けば何を相談できるかはっきりしていた。掃除機の貸し出しまでしているくらいだったから、シーツが汚れてたいへんだと言えばいくらでも手を貸してもらえたはずだ」
これが避難所の日常だった。
ホテルの敷地内でラジオ体操会が催されていた。キッズルームでは午前と午後に2時間ずつ子供を受け入れていたので、大人が息抜きしたり面倒な用事に専念できた。パソコンやプリンターが使用できた。ホテルの外に出て、ボランティア活動に参加する被災者もいた。精神的に余裕があった人は極めて少ないだろうが、収容所のような場所に押し込められていたのではない。
かといって赤坂プリンスホテルの避難所に問題が皆無だったわけではない。
食事がレトルト品中心だったので苦痛を感じる人がいたり、持病を抱えている人が体調を心配していた。また都心の一等地なので、日用品を買うため気楽に外出できないとか、高齢者が物怖じしていたという声もある。入館証が必要だったので、外部との交流が面倒だったともいう。
もし鼻血の逸話が事実なら、こうした避難所の日常が反映された「語り」になっていただろう。ところが、鴨下全生氏や美和氏はあたかも見通しが利く空間に鼻血を流す子供らが歩き回っているような、水道と排水口くらいしかない場所で洗濯をしているような口ぶりで出来事を語った。
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避難所での鴨下一家(47news/共同通信社)
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赤坂プリンスホテル避難所で開催された子供向けイベント(千代田区広報)
参加した子供の写真が掲載されている。
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出張図書館(千代田区広報)
参加した子供の写真が掲載されている。
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学習支援(ボランティアWEBページ)
参加した子供の写真が掲載されている。
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赤坂プリンスホテルでの避難生活を伝える報道
子供たちの鼻血についての情報はない
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避難所終了を伝える報道
ホテル前で行われるラジオ体操に参加し、ボランティアの地区住民とも親しくなった。「支援が心強かった。これから寂しくなる」「いわきと違って、東京の夏は暑い。でも、しょうがない」という声が紹介されている。
5 いったい何を信用したらよいのか
曖昧な語り口や誤解を誘う語り口だけでなく、話をするたび内容が食い違うのが鴨下家の人々の特徴だ。
2012年2月6日の福島民報『水耕栽培諦めず結実 熱意続ける決め手』と題された記事は、
水耕栽培は土壌汚染の心配をする必要はなく、栽培した野菜から放射性物質はほとんど検出されなかったという。年明けからの寒さで、ブロッコリーの糖度はイチゴやメロンに近いほどまでに上がった。
野菜の甘さに顔をほころばせる学生を見て、鴨下助教授は「あの時、続けると言ってくれたことに感謝したい」と話している。
と鴨下祐也氏の様子を伝えている。
だが祐也氏は『原発なくそう!九州玄海訴訟』での2016年3月18日付けの意見陳述書で、
再開後,私は,研究指導生徒4名に対し,水耕栽培の研究を実施するか否か問うてみました。私は,生徒たちに,たとえ水耕栽培であっても放射性物質を含む野菜しかできないこと,私は実験を継続しない方がよいと思うことを説明しました。しかし,高専の生徒たちは,人生最後の研究の続行を希望しました。ある農家の息子である生徒は「自分が作ったものは必ず食べる。捨てたりしない。」と言い,他の女子生徒3名は,「政府が安全と言っているのであれば,基準値の500ベクレル以内であれば食べても構わない。」と言いました。
その後,検知器で収穫できた野菜の放射能量(ベクレル)を計測する日々が始
まりました。野菜の放射能量は一桁台で,土で栽培するよりも低い値でした。生徒達もその野菜を食べ,周囲に配ることもできていました。しかし,事故と同じ年の12月ころから放射能量が徐々に20,30,40と上がり始めました。この上昇する数値を見た時,水耕栽培でも汚染は防げない現実を突き付けられました。生徒たちは野菜を食べなくなりました。「野菜は捨てない」と言っていた農家の息子でさえもです。後に,国は,2011年の12月から翌年1月にかけて,セシウムの降下物の量が増大していることを公表しました。
意見陳述書 2016(平成28)年3月18日
とまったく異なる内容を語っている。さらに、
事故直後の5月,寮に住む一人の女子学生が心不全で突然死しました。部屋に行くと女子学生には反応がなく,私は必死に横たわる女子学生に心肺蘇生を施しましたが,もう手遅れでした。前日まで元気だった彼女は帰らぬ人となったのです。また,同じ年の12月,また一人,女子生徒が突然亡くなりました。
私は高専に15年間勤務しましたが生徒の突然死など経験したことがありませんでした。5月に亡くなった生徒は実家が浪江町にあり,震災で学校が閉鎖された後,実家の浪江町に戻り,放射性物質の流れる方に向かって避難していた一人でした。もう一人の生徒はホットスポットとなっている郡山に実家がありました。私は,この二人の女子学生の突然死について,放射性物質の危険性,被ばくの影響を疑わずにはいられませんでした。
私は,妻と子どもたちが避難している東京といわきを往復する生活に,体力的な限界を,放射性物質の拡散を止められず,放射性物質が至る所に浮遊している福島での生活への不安,家族と一緒に暮らせない毎日に精神的にも限界を感じ,いわきを離れることにしました。
意見陳述書 2016(平成28)年3月18日
とも語り、いずれも2012年2月付け福島民報記事での祐也氏の意気揚々とした態度と矛盾している。
また祐也氏は、2014年6月24日に取材され2021年3月14日にYahoo!ニュースに掲載された記事で、
(Q・学校を辞めるきっかけは何だったんですか?)
辞める理由はいろいろあるけど、その一つは体調が悪化したことです。放射能と関係があるか、私にはよくわかりません。放射線以外のストレスがかなり大きかったのはたしかです。担当していた寮で学生が亡くなったこともあったし、高速道路で横転したこともありました。タイヤがバースト(注・車のタイヤが走行中に急激に破損すること)するという事故を起こたんです。
福島からの証言・9(前半)4 原文ママ
と語っている。関東で暮らす妻子に合流した経緯の一つとして、タイヤがバーストして運転中の自動車が横転した事故をあげているが、レイバーネットが発行するたんぽぽ舎メルマガの2019年10月28日版では、
職場では、震災後、業務の負担が増え、連日深夜まで勤務が続きました。
そんな中でも、私はなんとか休みを捻出しては、家族に会いに夜の高速道路を飛ばしました。深夜の常磐道は、私と同じように家族の元へ向かう父親達の車が、何台もふらふらと走っていました。誰もが、妻子に会いたい一心で、疲れた体にムチ打って車を走らせていたのだと思います。
私も無理が祟ったのか、避難所から福島に帰る途中で、事故を起こしたことがありました。深夜の首都高速で、路面のオイルに気づかずスリップし、横転しました。幸い、命に関わる怪我はありませんでしたが、乗っていた軽自動車は廃車になるほど激しい事故で、24年前に免許を取って以来、これが初めての事故となりました。
こういう経験をしたこともあり、同じく二重生活を送っていた妻の友人が、類似した状況で他界したことを知った時は、本当にひとごとではなく、言葉がありませんでした。
たんぽぽ舎です。【TMM:No3778】 2019年10月28日(月)地震と原発事故情報- 6つの情報をお知らせします
と、事故原因が路上のオイルによるスリップに変わっている。
水耕栽培、退職と家族への合流、横転事故と当人にとって重大事であるにもかわらず、ここまで発言内容が変わるのは尋常ではない。
この家族の体験の何が事実なのか、まるでわからない。自主避難の経緯と行程がわからないだけでなく、被害の実態もわからない。それなのに彼らは放射能まみれになり、被曝して、平穏な生活を奪われたと、何一つエビデンスを示さないまま主張している。
鴨下全生氏はX/Twitterに、
今でも福島の現実を受け入れられない人が多くいることに驚く日々でした
鼻血だってそうですし、果樹農家の方が汚染された土地で労働していることも、原発から出た廃棄物であれば黄色いドラム缶に入れるような汚染のある地面で幼い子供が遊んでいるのも福島の現実です 福島はまだ、復旧すらしてません
https://t.co/wv6DhH61ur
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https://t.co/wv6DhH61ur
と投稿した。
鴨下家は13年前に、避難する必要がないいわき市から避難した人々だ。そして、いわき市は汚染されていると主張して関東で避難生活を送っている。要するに、13年間いわき市や他の福島県の自治体で生活してきた人々の代表ではない。
しかも体験と称して曖昧な逸話を語り、その内容が二転三転し、エビデンスを問われても答えないとあっては、福島県の内部も外部も関係なく、被災者の代表どころか何を信用したらよいのかわからない。
彼らは批判者を煙に巻いただけでなく、賛同者や支持してくれるマスメディアまで不確かな語り口で利用したことにならないか。
いま多大な迷惑を被ったり傷ついている人たちがいる。鴨下全生氏は、せめて鼻血を大量に流す子供たちについて質問に答えてもらいたい。 November 11, 2025
9RP
今回の保護犬を引き取ったことといい、避難所への訪問といい、行動に移せる人ってどれだけいる?リョウキはホント温かくて優しい人。優しいで有名なwレオが1番優しいのはリョウキっていうし、ザストの最終審査で参加者からの人気が高かった(信頼されてた)とすかちゃんから言われてた。それなのに😭😭 https://t.co/CAxJlTbJA9 November 11, 2025
9RP
【晴れ渡る青空に映える錦秋の日】
#松田けい子 です。今日は、
①山科醍醐地域の小中学校の校長先生が見守る中開催された、#山科少年補導 委員会主催の山科少年グラウンドゴルフ⛳️大会において、出場する児童生徒へのエールから一日がスタート▶️
②次は、地元 #勧修学区 のお餅つき•あそびのコーナーへ。ご挨拶のあと、けん玉や紙コップの駒、子供の頃に母が作ってくれたお手玉🤹をまだ大切に持っていることを話しながら、おじゃみで遊ばせて頂きました☺️
③続いては、先週雨で延期となった #西野学区 の防災訓練へ。気になる避難所開設と災害用トイレコーナーでの訓練を主に見学し、能登地震にも派遣応援に行かれた山科消防署の方に現場でのお話を伺いました。
④次の #陵ヶ岡学区 福祉のつどいでは、#陵ヶ岡こども園 の園児の発表を一緒に手遊びをしながら、手拍子👋で応援📣しました👧👦
⑤午前の最後は、#安朱学区 の防災イベント「🐸カエルキャラバン」へ。煙体験訓練、なまずの学校によるクイズで学ぶ防災、また新聞紙🗞️でスリッパ作りを学び安全体験を!
⑥午後からは、安朱学区ふれあい広場へ、会場に入ると児童からお茶のおもてなしを🍵和太鼓演奏のあと、#安朱保育園 の園児による歌と手遊びを一緒に楽しみ、宇野努さんによるチェアエクササイズ•脳トレ•口腔体操•リズム🎵体操でリフレッシュ🎶
全ての関係者の皆さま、ありがとうございました。
#京都市山科区 November 11, 2025
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