西部戦線 トレンド
0post
2025.12.05
:0% :0% (40代/男性)
西部戦線に関するポスト数は前日に比べ286%増加しました。男女比は変わらず、前日に変わり40代男性の皆さんからのポストが最も多いです。本日話題になっているキーワードは「面白い」です。
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
そして、そういう極めて微妙で危うい政治的バランスの上に成り立ってる西部戦線は、どうかすると「軍事部隊それ自身の強さ」よりも「民主党に顔がきく人とパイプがある」みたいなことが戦況を決定的にしてしまうような側面があって、これが面白いんですよ! 飛ぶぞ! December 12, 2025
5RP
@gripen_ng 西部戦線に異常が無かったら進む、異常があったら引き返す8番ライクゲームとかなら面白いかも。
・異常が分かりやすい代わりに危険性UP
・異常をすり抜けて進む事も出来る。成功すると強力なアイテムも貰えるが、失敗すると即ゲームオーバー
・三回異常が無いのに引き返すと銃殺刑
みたいな感じで。 December 12, 2025
4RP
あと副会長ともよく話す、西部戦線の戦略上の異様さですね。すさまじく広大な荒野に、パラパラっとゴマ粒みたいな小部隊がばらまかれ、数百人同士の部隊のちょっとした小競り合いの結果に、地域全体の情勢がオセロゲームみたいに一気に変わってしまう、あの何ともはやなカオスの面白みでありますよ!! December 12, 2025
3RP
アニメでWWIが多く見えるのは"映える"からではなく、「塹壕戦」というワードが(ある程度実態から離れて)広まっているから何を描いているのか分かりやすいという理由だと思う
現に一口にWWIと言ったって逆に西部戦線チックなやつ以外無くない?海モノは無いし、東部戦線とかだって無いわけで… December 12, 2025
2RP
何千人ものイタリア人女性が、西部戦線でフランス軍の下に仕えていたモロッコのムスリムたちによって残虐に強姦されたのに、このファシストのゴキブリどもがそんなことを一度たりとも口にしたのを見たことがない!いつもベルリン、ベルリンだ!
戦争ってのは狂人が始めて、凡人を狂人に仕立て上げる。 https://t.co/5FdRgf5xRA December 12, 2025
1RP
https://t.co/T5vZZANzQj
世界一のクリスマスソングを作った男の壮絶人生|きよしこの夜|フランツ・グルーバー
世界の偉人達 #AI要約 #AIまとめ
清しこの夜を作曲した無名の男フランツ・グルーバーの物語
🔳貧しい機織り職人の家に生まれた少年時代
1787年オーストリアの小村に生まれたグルーバーは、年収70〜100万円程度の貧しい機織り職人の家の5番目として育ち、幼い頃から機織りを手伝わされる一方で、教会のオルガンの音に心を奪われ音楽への憧れを強めていった。
🔳父の反対と秘密のレッスン
父は「音楽なんぞ金にならん」と音楽を禁じたが、小学校教師ペテルレナーが才能を見抜き無償で指導を申し出る。グルーバーは9〜18歳の9年間、昼は機織り、夜は父に隠れて先生のもとへ通い、古い小さなオルガンを宝物のように弾きながら音楽を学び続けた。
🔳教師兼オルガニストとして音楽で生きる道
18歳の時、ペテルレナーが父を説得し、ついに「好きにしろ」の一言を得て進路が開ける。19歳で教員資格試験に合格し、20歳で村の教師兼オルガニストとなり、貧しいながらも音楽を仕事にする人生を歩み始めた。
🔳度重なる家族の死と深い悲しみ
最初の妻マリアとは二人の子を授かるも、いずれも幼くして死亡し、後にマリア自身も他界。再婚した元教え子マリア・ブライトフスとの間には10人の子が生まれたが成人したのは4人のみであり、1841年には妻と新生児を同じ日に失うなど、家族の死に幾度も打ちのめされながらも音楽だけは決して手放さなかった。
🔳私生児として生まれた相棒ヨーゼフ・モール
1816年、オーベルンドルフで若き司祭ヨーゼフ・モールと出会う。モールは私生児として生まれ、処刑人に後見人を持つという社会的最底辺出身だったが、ザルツブルク大聖堂の聖歌隊長に才能を見出され学問と音楽の道を与えられた、逆境を乗り越えた人物であり、音楽と信仰を愛する二人は深い友情で結ばれた。
🔳清しこの夜誕生のクリスマスイブ
1818年のクリスマスイブの午後、モールは「シュティレ・ナハト」と書かれた詩を持ってグルーバーを訪ね、「今夜のミサで歌いたい」と作曲を依頼する。戦争に疲弊したヨーロッパの平和を祈るようなシンプルで深い詞に心を打たれたグルーバーは、ギター伴奏用の穏やかなメロディを数時間で書き上げ、その夜ギターを弾くモールのテノールとグルーバーのバスで初演され、村人たちの涙を誘った。
🔳世界に広がるが消えた作曲者の名前
この「単純な作品」はオルガン修理工マウラッハーやチロル地方の民謡一家ライナーらによってヨーロッパ各地に広まり、1839年にはニューヨークでも歌われる。しかし写譜される過程でグルーバーの名前は消え、チロル民謡と誤解され、ハイドンやモーツァルト、ベートーヴェンの曲だと噂されるほど有名になりながらも作曲者不詳のまま広がっていった。
🔳教会音楽家としての地位とそれでも来なかった名声
グルーバーは教会音楽で60以上のミサ曲や多くの聖歌・舞曲を作り、地方の大巡礼祭の音楽監督やハライン教会の聖歌隊長・オルガニストとして28年間務めるなど、地域では名声を得た。しかし「清しこの夜」の作曲者として広く認められることはなく、1854年のベルリン王室礼拝堂からの問い合わせに報告書を送り、経緯を詳述しても、生前に世界的な名声を手にすることはなかった。
🔳貧者に尽くした詩人モールの最期
モールはその後も貧しい村のために学校建設や学費基金を自らの給料を投じて進めるなど、ほとんどの収入を慈善に捧げた。死の床に残った持ち物は黒い祭服1着とギター、パイプ袋だけという質素さであり、「清しこの夜」の詩には、差別と貧困を知る彼の深い祈りと弱者への共感が刻まれているとグルーバーは感じていた。
🔳第一次世界大戦での「クリスマス休戦」
グルーバーの死後半世紀、1914年の第一次世界大戦・西部戦線で、ドイツ兵とイギリス兵が塹壕から「清しこの夜」をドイツ語と英語で歌い合い、一時的に銃声が止み、無人地帯で握手や贈り物の交換が行われた。約10万人が参加したとされるこの「クリスマス休戦」は、単純なこの曲が敵同士の心さえ一つにした象徴的な出来事となった。
🔳直筆楽譜の発見と作曲者の正式な復権
長くオリジナル楽譜は失われていたが、1995年にモールの自筆譜が発見され、左下には「詩:ヨーゼフ・モール(1816)」、右上には「メロディ:フランツ・クサーヴァー・グルーバー」と明記されていたことから、両者の役割が公式に確認される。2011年には「清しこの夜」がオーストリアの無形文化遺産として登録され、グルーバーの功績はようやく歴史の中に位置づけられた。
🔳今も続く清しこの夜の祈りとグルーバーの願い
現在「清しこの夜」は300以上の言語に翻訳され、13万7000回以上録音される世界で最も有名なクリスマスソングとなり、オーベルンドルフの礼拝堂やハラインの博物館には誕生の地の記憶が刻まれている。貧しい機織り職人の息子が数時間で書いた「単純な作品」は、名声ではなく「誰かの悲しみに寄り添い、少しでも安らぎを届けたい」というグルーバーの静かな願いとともに、今も世界中のクリスマスの夜に歌い継がれている。 December 12, 2025
WW1て、塹壕戦で停滞イメージまだあるのだね
ウォーゲーマーは、結構WW1も機動戦してると今では認識してると思うのだが
1915〜1917西部戦線以外は、むしろ機動戦イメージを持ってる
それにイープル、ベルダン、マルヌとか西部戦線もゲーム多いよね https://t.co/Ht6L03y2vP December 12, 2025
【パッシェンデールの戦い(1917/7/31~11/10)】
WWI西部戦線における英軍と独軍の戦い。8月の悪天候と砲撃による排水機構壊滅のため攻勢は難航、英軍の損耗は27万に達し精神疾患・脱走も続出した。独軍も損害を負いはしたが、戦いは英陸軍史上最悪の戦いと評される。 https://t.co/guu1PdIBbq https://t.co/A9HIS7PJMY December 12, 2025
<ポストの表示について>
本サイトではXの利用規約に沿ってポストを表示させていただいております。ポストの非表示を希望される方はこちらのお問い合わせフォームまでご連絡下さい。こちらのデータはAPIでも販売しております。



