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葵祭
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2025.11.10〜(46週)
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経岩26京都府京都市山科区修行僧がこの岩石の上で経を読んだという。道路工事を請けて一部損壊したという。BCE岩石が改変されている仏僧が岩石の上で読経する。
陰岩(陰陽岩/岩屋殿/奥之院)26京都府京都市山科区大宅中小路町 岩屋神社岩屋神社信仰の発祥といわれる石座。麓に社殿が建てられるまで栲幡千々姫命をまつっていた。陰岩の窪みにたまる水は霊水として信仰されたが、現在この水は枯れている。BA岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
京都府CA
陽岩(陰陽岩/岩屋殿/奥之院)26京都府京都市山科区大宅中小路町 岩屋神社岩屋神社信仰の発祥といわれる石座。麓に社殿が建てられるまで天忍穂耳命をまつっていた。BA
京都府CA
琵琶石26京都府京都市山科区四ノ宮在地町 諸羽神社人康親王が琵琶を弾きながら座っていた岩石。隣接する岩坐には注連縄と賽銭箱がある一方、琵琶石には全くないため祭祀・神聖視の段階には入っていないと考えられる。EC
岩坐26京都府京都市山科区四ノ宮在地町 諸羽神社立板状の岩石。由来不詳。C
影向石26京都府京都市山科区日ノ岡夷谷町 日向大神宮高さ約1mの立石。由来不詳。
天の岩戸26京都府京都市山科区日ノ岡夷谷町 日向大神宮人工的に穴を掘った洞穴。内部には戸隠神社の祠がまつられており、岩戸くぐりをすれば開運厄除という。CB胎内くぐり
京都府BBD
京都府BAC
かへし石/力石26京都府京都市伏見区深草鳥居崎町 藤森神社3個の岩石。京都所司代の巡検時に、この岩石をひっくり返しながら拝殿から鳥居まで転がした。氏子が持ち上げて力自慢をしたともいう。BBD可動的性質重い岩石を持ち上げたり転がしたりして、その力を誇示する。
京都府力石
京都府岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか
大岩26京都府京都市伏見区深草向ヶ原町 大岩神社男女二人の神がそれぞれが重い病気にかかった際に、互いの献身的な看病によって病を治したことから、土地の者がその徳をたたえて神社を造り、大岩を男の神としてまつったという。A神々が偉業を成し遂げたので、村人が神社を造ってまつる。
小岩26京都府京都市伏見区深草向ヶ原町 小岩神社男女二人の神がそれぞれが重い病気にかかった際に、互いの献身的な看病によって病を治したことから、土地の者がその徳をたたえて神社を造り、小岩を女の神としてまつったという。A神々が偉業を成し遂げたので、村人が神社を造ってまつる。
奥社 立石26京都府京都市伏見区深草 伏見稲荷大社稲荷山を遥拝するための奉拝所とされる立石。BAA
京都府BBA
おもかる石26京都府京都市伏見区深草 伏見稲荷大社2基の石灯籠の頂部に乗る空輪。石灯籠の前で祈願をして、その後におもかる石を持ち上げた時、予想していたより重ければ願いは叶わず、予想よりも軽ければ願いは叶うという。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか岩石を持ち上げて、予想よりも重いか軽いかで占う。
京都府可動的性質
御饌石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山酒を注いだ素焼き土器70枚を御饌石の上に供え、神に生産豊穣を祈るという「山上の儀」が行なわれる。御饌石の前には、祭祀を行なう神職者専用の台座石が設置されている。BCD台座石の上に神職が座り、酒を注いだ素焼き土器70枚を御饌石の上に供える。
京都府BCC
剱石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山人の丈より高いもので、緑がかった剱状の岩石。御剱社の社殿内にあり、剣に似た形状なので、鍛冶・金物関連の霊験を持つ岩石として信仰される。A秘匿されている岩石
雷石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山昔ここで激しい雷が落ち、神が呪文を唱えこの岩石に雷を縛り封じたという。古くからの神跡として神聖視される。BBB聖者が与えた霊石神が雷を岩石に封じ込める。
力お大明神26京都府京都市伏見区深草 稲荷山祠の横に露岩あり。詳細は調査不足につき不明。
大岩大神26京都府京都市伏見区深草 稲荷山岩盤を大岩大神としてまつる社。A
稲荷下社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
稲荷中社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
稲荷上社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
長者社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
荷田社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
田中社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
御膳谷神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
お塚26京都府京都市伏見区深草 稲荷山岩石に神名を刻み山中に立てることで、神と参拝者の交流場としたもので、幕末・明治以降に参拝者個々人が設けた。山中に約1万基存在。BAA山中に、神名を刻した岩石を置き、自分だけの神を迎える場とする。
冠石26京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町鳥羽上皇が鳥羽離宮を整備した時、この岩石の上に冠を置き、これを中心に設備を整えたという。EC
雷石26京都府京都市南区東九条札辻町 宇賀神社天から降ってきた岩石。あるいは、神から怒られた雷が、2度と雷を起こさないために石化したという岩石。BBB生き物が石化したもの雷を落とすなと神に怒られたので、石化する。
寛算石26京都府京都市南区西九条蔵王町筑紫国安楽寺の僧・寛算が、死後雷と化して京に禍をもたらした後、この地に落ちて石化したという岩石。後世、歯の治癒に霊験があり「歯神さま」としてまつられる。EA生き物が石化したもの神前に竹箸を供え、その箸で食事をすると歯の病に効果があり、お礼に代わりの竹箸を供える。
京都府BBB祟り伝承
京都府A
仙遊石26京都府京都市東山区 来迎院山仙人が降臨してここで遊んだという。数個の自然石からなり、その前に供物台を置いている。宮内庁陵墓管理地につき立入禁止という。C禁足地
恋占いの石/めくら石26京都府京都市東山区清水 地主神社同じ形状をした2つの岩石が距離を離して置かれている。目をつぶり、片方からもう片方までうまく辿り着いたら恋愛成就するという。岩石表面に銘板を埋め込んでいる。BBD岩石が改変されている目をつぶって、ある岩石から別の岩石へ歩いて占う。
子授け石26京都府京都市東山区 三島神社約150年前に地中から出てきた2つの岩石。陰陽の形状をしており、これを撫でた手でお腹をさすると安産という。BBDなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでた後に、自分の体をさする。
念仏石/鐘代わり石/カンカン石26京都府京都市東山区 青龍寺/伽羅観音本堂前に大小2つの岩石があり、天から降ってきた隕石という。勤行に際して鐘の替わりにこの石を叩いて念仏の調子をとったという。金属音が鳴る。諸願成就の霊石としての信仰もある。BE岩石に損傷を加える行為岩石を念仏の鐘代わりに叩く。
京都府BBD岩石から音声が聞こえる
縁切り・縁結び祈願石26京都府京都市東山区 安井金毘羅宮中央に亀裂が入り、下部に円形の穴を持つ岩石。縁結び・縁切りの願いを書いた形代を岩石に貼り付けて願掛けする。BBD岩穴・窟岩石に願い事を書いた形代を貼り付ける。
瓜生石26京都府京都市東山区林下町 知恩院知恩院が作られる以前から存在していたという岩石。一夜にして瓜生石に瓜のつるが繁り、実がなったという。これは祇園の牛頭天王が瓜生石の上にも降臨したからだとも、感神院新宮の神札が置かれていたのでその神威によるともいう。瓜生石の地中には、二条城への抜け道が隠されているという。BABAどこか遠い場所とつながっている岩石に一夜にして瓜の実がなる。それは岩石の上に牛頭天王が降りたとも、神札が置かれたともいう。9/14の丑の刻に、神列が瓜生石の周りを三回回る「れいけん」という祭祀が行なわれる。
京都府BABB岩石の周囲を回る
影向石26京都府京都市東山区林下町 知恩院勢至堂向かって右側の崖下の岩盤。法然が臨終を迎えた時、加茂明神がこの石の上に降臨したと伝えられる。BABA聖者が亡くなった場所
慈鎮石/慈鎮坐禅石/和尚石26京都府京都市東山区林下町 知恩院慈鎮(慈円)和尚の座禅石。元々は山門の前にあったが天和年間(1681~1684)に現在地へ移され、庭園の一角を彩る庭石となった。BCC原位置から移動伝承和尚の座禅石を庭石に転用する。
京都府C
京都府EC
二十五菩薩の庭26京都府京都市東山区林下町 知恩院知恩院所蔵「阿弥陀如来二十五菩薩来迎の図」をモチーフに作られた石庭で、石が仏菩薩、植え込みが来迎雲を表している。EC
三尊石26京都府京都市東山区林下町 知恩院方丈庭園の奥にある山亭庭園の北西隅に配された庭石。阿弥陀三尊を表現するという。EC
仏足石26京都府京都市東山区林下町 知恩院大理石の仏足石で、直立してある。C
修学院守禅庵遺跡/修学院磐座26京都府京都市左京区修学院守禅庵比叡山の登山口に存在する岩石。岩石の手前から359点の18世紀の土師器皿片を採集。一部には煤が付いていたという。現在、岩石手前には竹に紙垂が付けられた玉串が立てられている。火が絡む祭祀山裾の岩石の手前に、一部煤の付いた土師器皿を置く。
熊谷直実腰掛石26京都府京都市左京区大原勝林院町武士で法然の弟子となった熊谷直実が腰掛けた岩石。EC休み石・腰掛石
紫雲石26京都府京都市左京区黒谷町 黒谷金戒光明寺霊地を求めていた法然がこの岩石の上で念仏を唱えると、紫雲が広がり光が差し込んだことから、この地に寺を開基した。BCC
京都府C
白川子安観世音26京都府京都市左京区北白川鎌倉時代製作の巨大な石仏。白川女が商いを行なう時は、事前にここに花を供えるという。A女商人が商いを行なう前に石仏に花を供える。
弁慶背競石26京都府京都市左京区八瀬秋元町八瀬天満宮の石鳥居南側に立つ高さ2.4mの立石。弁慶が比叡山西塔より持ってきて、下山の度にこの岩石と背比べをしたという。EC原位置から移動伝承
菅公腰掛石26京都府京都市左京区八瀬秋元町 八瀬天満宮祭神である菅原道真が腰掛けた岩石。C休み石・腰掛石
義朝駒飛石26京都府京都市左京区八瀬源義朝が平治の乱に敗れ東国に敗走中、馬に乗ったまま飛び越えたという岩石。EC
真守鉄盤石26京都府京都市左京区大原野村町平安後期の刀工である大原真守が、この岩石と傍にある井泉を使って刀剣鍛冶を行なったという。EC
獅子飛石26京都府京都市左京区来迎院町 来迎院獅子がうずくまったような形状の岩石。聖応大師良忍が文殊の秘法を修していた時、この岩石が獅子となって飛び回ったという。C生き物が石化したもの
袈裟かけ石26京都府京都市左京区来迎院町 勝林院童子が阿闍梨の袈裟を洗濯し、それを乾かすためにこの岩石の上にかけた。BE聖者の装束を洗濯して、岩石の上で乾かす。
京都府EC
法然腰掛石26京都府京都市左京区来迎院町 勝林院法然が腰掛けて休んだ岩石。C
岩上神社26京都府京都市北区松ヶ崎町兵庫県明石の海中で霊光を発していた岩石。当地に持ってきて神社をまつったという。A岩石から煙・光・火・気などが出る
京都府原位置から移動伝承
京都府可動的性質
山住神社/岩倉/北岩倉/石座/石蔵26京都府京都市左京区岩倉西河原町 山住神社石座神社の旧社地で御旅所とされる山裾の露岩。桓武天皇が平安京の東西南北に一切経を埋納したという四岩倉の内の北岩倉と考えられている。BA
京都府BCD
京都府CA
翔雲台 経塚石材26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山本殿金堂裏から発見された平安時代の経塚の蓋石。BCD原位置から移動伝承
京都府経塚関係
背比べ石26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山遮那王尊(源義経)が頼朝に追われ奥州に逃れる時、若き日を過ごした鞍馬に名残を惜しみ、この石と自分の背丈を比べたという岩石。C
魔王殿 岩石群26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山護法魔王尊が降臨した磐座とされる多数の石灰岩の露頭。BCA
京都府C
船形石26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山玉依姫命が貴船川を上る時に乗っていた船を石積で覆って秘匿したもの。船形石の小石を持って帰れば交通安全の霊験がある。CC祭神の乗っていた船を石を積んで隠す。その石を持って帰れば霊験がある。
鏡岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山貴船山の中腹にあり、貴船神社祭神のタカオカミノカミが降臨したという磐座。BA禁足地
京都府C秘匿されている岩石
つづみが岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山鼓の形状に似ていることから名付けられた名石。EC
天の磐船26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山近くの山奥から採出された船形の自然石を、神社の信奉者が奉献してこの名を付けた。BBC近くで採れた形の良い岩石を奉納する。
石庭「天津磐境」26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山作庭家である重森三玲氏が作った石庭。EC
蛍岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山和泉式部がこの場所で蛍を見て、和歌を詠んだという。EC
烏帽子岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山大宮人が烏帽子を下ろして休息した岩石。参拝者がここで冷水を浴びて身を清めた場所ともいう。EC休み石・腰掛石
京都府BCB
弁慶石26京都府京都市中京区弁慶石町弁慶が生前大切にしていた岩石。弁慶の死後、奥州高館にあったが岩石が「三条京極に行きたい」と発声鳴動し、付近に熱病が蔓延したため、享徳3年(1454年)、この石を三条京極に安置した。EC原位置から移動伝承偉人が大切にしていた岩石が祟りをなすので、希望通り場所を移す。
京都府EA祟り伝承
京都府岩石から音声が聞こえる
京都府岩石が動く
猿田彦大神御神石/御石さん26京都府京都市上京区大倭国最初御降臨旧跡地とされる岩石。霊験のある岩石だが触れると祟りがあるという。平安京の鬼門を鎮める塞神の性格も有すると考えられる。BAA
京都府BBB
京都府CC
岩神さん/禿童石26京都府京都市上京区大黒町菅原道真の死後、道真の乳母がこの岩石を抱いて泣いたといい、その度に落雷が起こったという。元々は二条城の南辺りにあり、別の場所に移したところ岩石が吠えたり子供に化けたりしたので、仏僧が現在地に移して岩神寺の本尊としてまつった。現在は授乳の神として信仰される。EA祟り伝承祟りのある岩石を仏僧がまつる。落雷を落とす→子供に化ける→授乳の神と変遷する。
京都府A岩石から音声が聞こえる
京都府原位置から移動伝承
京都府可動的性質
登天石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮菅原道真の祟りで雷雨・氾濫が起こった時、法性坊尊意僧正が数珠(神剣)をかざすと、氾濫した川水が下がりその中から、岩石の上に立つ道真が現れた。雷雨が止み、道真は昇天していった。岩石は尊意によって供養をされた後、現在地に安置された。BABA原位置から移動伝承岩石の上に霊が立ち、そして昇天する。
京都府C
出世石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮出世した人が寄進した岩石。BBC
玉子石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮妊娠5ヶ月目に拝むと安産になるという岩石。BBD
蛇の枕/雨石26京都府京都市北区上賀茂本山 大田神社蛇が枕としていたという岩石。農具などでこの岩石を叩くと蛇が怒って雨を降らせるという。BBD信仰対象の荒ぶりを恩恵に変える祭祀農具などで岩石を叩くと雨が降る。
岩上26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社葵祭の時、宮司がこの岩の上に座して、賀茂神が宮司の体を通して返祝詞(神の意思)を発する。BABB祭祀執行者であり信仰対象岩石に司祭者が座ると、神が司祭者に憑依して託宣をする。
京都府BCC
岩本社26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社川辺の露岩の上に祠を建て、祓えの神であると同時に海上安全守護の神である住吉三神をまつる。BABC
京都府BCB
八嶋龍神26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社祠内に高さ50cm強の岩石が注連縄をかけられている。A磐座と石神の性格が混在している事例
京都府BA
立砂26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社細殿前にある2体の三角錐の砂山。神山を模したもので、元は神の憑依する依り代として造られたものだったが、これは清めの結界として機能している。この砂を持ち帰れば清めの砂として利用される。BCA砂
京都府BBB可動的性質
御阿礼神事の盛り砂26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社砂を盛り、その上に依り代である阿礼木を立てる。砂は依り代の座としての役割を担っている。BABB砂砂で依り代を造る。
降臨石26京都府京都市北区上賀茂神山 神山禁足地の神山の山頂にあり、賀茂別雷神が降臨したといわれる岩石。BA禁足地
京都府CA秘匿されている岩石
貴布禰26京都府京都市北区上賀茂神山 貴船神社京名石と銘打たれている岩石。詳細は調査不足につき不明。
立砂26京都府京都市北区上賀茂神山 貴船神社清めの結界として盛られた砂山。BCA砂
女夫岩26京都府北区上賀茂女夫岩町昔、鴨川が氾濫を起こした後に現れた2つの岩石。外見が伊勢の夫婦岩に似ていることから名付けられたという。当初は注連縄をして信仰対象にしていたが、今はまつられておらず小学校の校庭内で子供達の遊び場となっている。柊野ダムにある岩石と女夫岩は、地中で1つの岩としてつながっているという。A岩石が地下で広範囲に根を張っている伝承
京都府EC
霊巌26京都府北区西賀茂 船山 霊巌寺寺の門前にあったという巨岩。人が通れるほどの穴を下部に持ち、信仰対象だったという。天皇が行幸する時に邪魔だと思った寺の別当が岩を破壊したが、結局行幸はなく寺も衰滅したという。A今は存在しない岩石岩石を破壊したら廃寺となった。
神降窟/降神岩/香水窟26京都府京都市北区雲ヶ畑 岩屋山志明院延喜式内の天津石門別稚姫神社がまつられていたとされる岩窟。菅原道真が製作したという眼力不動をまつる。岩窟内からは鴨川の水源となる水が湧き出て、これは難病を治す香水と称して神聖視されている。C岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
京都府BAC
護摩洞窟26京都府京都市北区雲ヶ畑 岩屋山志明院弘法大師が護摩を焚いたという岩窟。BCE
船岡山 岩石群26京都府京都市北区紫野北舟岡町 船岡山平安宮の北を守護する玄武の磐座と目される山頂の露岩。それを証明する明確な記録はない。周辺から歴史時代の土師器片が散布。
大平和敬神 神石26京都府京都市北区紫野北舟岡町 船岡山大本教関係の修養団捧誠会という団体が昭和45年に立てた石碑。世界平和の神の神石とされる。A近代以降の命名
力石26京都府京都市北区紫野 今宮神社力比べで持ち上げられた岩石。BBD力石
京都府BBC可動的性質
阿呆賢さん/神占石/重軽石26京都府京都市北区紫野 今宮神社この石を手でなでて、自分の体の悪い部分をさすれば、その悪い部分が治癒されるという。また、この石を3回叩いて持ち上げると重くなり、祈願して優しく石を3度さすって石が軽くなったら成就という。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか石をなでて自分をさすると病気が治る。石を持ち上げて予想より軽くなったら祈願成就。
京都府可動的性質
京都府なでたりさすったり抱きついたりする
鏡石26京都府京都市北区衣笠鏡石町『鹿苑日録』の中で、天文5年(1536年)に鏡石が出現し、貴賎男女が競って参詣したといい、これに該当するとされる岩石。これを鏡にして女性が髪をといたとか、街道を通る牛が、鏡石に映った自分の姿に驚いて角で突いたとか、源義経が自分の姿を映したとか、紀貫之がこれをモチーフに和歌を詠んだという。昭和30年代に道路工事が行われた際に大部分が取り壊された。A岩石が改変されている
京都府EC突如出現した岩石
京都府鏡面を持つ岩石
衣笠山遺跡26京都府京都市北区衣笠衣笠山町山頂に岩盤が露出しており、平安時代の土器片が採集された遺物散布地。相関性は不明。
力石大神/力石大明神26京都府京都市北区等持院町 六請神社祈願した後に持ち上げることができれば成就という岩石。現在は持ち上げられることなく、祈願対象となっている。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか持ち上げられたら祈願成就の霊石。
京都府A力石
京都府可動的性質
六請神社の小石奉納26京都府京都市北区等持院町 六請神社力石大神は重いため、現在は小石に性別・年齢・祈願内容を記して神前に奉納しても成就するという。BBC可動的性質石に祈願内容を書いて神に奉納する。
京都府BBA
京都府BBD
神輿岩26京都府京都市北区小野中ノ町船形の平石で、かつてここに岩戸社が鎮座していたという。
岩戸社・落葉社 岩壁26京都府京都市北区小野中ノ町社殿の背後に大きな岩壁が存在するが、神聖視の有無は不明。
双ヶ岡 岩石群26京都府京都市右京区 双ヶ岡南側の峰の山腹に露出する岩盤群。古墳が近接
足跡石26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社親鸞の足跡が残る岩石。C休み石・腰掛石
座石26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社親鸞が座った岩石。C休み石・腰掛石
男岩(夫婦岩)26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社女岩とセット関係。夫婦和合・子宝安産の霊験を有する岩石。夫婦岩をなでて子宝を祈願し、夫婦岩の周囲を3度左回りして安産を祈願する。初宮詣の際は梅干を供えた後に幼児の鼻を梅干の皮でつまむ。元来は本殿付近にあったものを移設したという。Aなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでて、周囲を3度回る。梅干を供えて幼児の鼻をつまむ。
京都府BBD岩石の周囲を回る
京都府原位置から移動伝承
女岩(夫婦岩)26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社男岩とセット関係。夫婦和合・子宝安産の霊験を有する岩石。夫婦岩をなでて子宝を祈願し、夫婦岩の周囲を3度左回りして安産を祈願する。初宮詣の際は梅干を供えた後に幼児の鼻を梅干の皮でつまむ。梅干の種は女岩の中央の窪みに供えて子孫繁栄を祈願する。元来は本殿付近にあったものを移設したという。Aなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでて、周囲を3度回る。梅干を供えて幼児の鼻をつまむ。梅干の種を女岩の窪みに供える。
京都府BBD岩石の周囲を回る
京都府原位置から移動伝承
京都府置銭・投銭祭祀
京都府岩穴・窟
大酒神社 岩石祭祀事例26京都府京都市右京区太秦蜂岡町 大酒神社大酒神社が元来まつっていたという岩石。現存含め詳細不明。今現在確認がとれていない岩石
祈念神石26京都府京都市右京区嵯峨朝日町 車折神社境内の石を家に持ち帰り日夜祈願し続けると祈願成就。成就の際はお礼の言葉を書いた石をもう1個添えて社頭に供え、その集積が石塚となり神威を示す場所となる。BBD可動的性質岩石を家に持ち帰って祈りの道具にする。石に文字を書く。奉納物の集積が石塚となる。
京都府BBC岩石が満ち欠け・増減・出産する
京都府BBA
京都府CA
またげ石26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社境内の2個の岩石。嵯峨天皇妃の檀林皇后がこの岩石をまたいだところ子を授かったことから、同様のまたぎを行なうと子授け利益があるという。BBD岩石をまたいで子宝祈願。
京都府CC
産砂26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社檀林皇后が出産の際に敷いたとされる神社の白砂。安産のお守りとして授けられる。BCA砂砂を敷いて安産する。
京都府CC可動的性質
影向石/熊野影向石/三石26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社熊野から飛来してきた3羽の鳥が石化したという岩石。C生き物が石化したもの
猿田彦大神27京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社猿田彦大神の石神A
宇壽女命28京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社宇壽女命の石神A
源雅信墓26京都府京都市右京区御室 成就山宇多源氏の始祖である源雅信の墓とされる自然岩。BCA聖者が亡くなった場所自然石を墓標とする。
梅ヶ畑銅鐸出土地26京都府京都市右京区梅ヶ畑町山腹の「巨巌」裾の地表下から、弥生時代の銅鐸4点が入れ子になって2組状態で埋納されている状態で見つかった。御堂ヶ池群集墳が近接。「巨巌」は都市開発で消滅。古墳が近接巨岩の裾に銅鐸を入れ子にして埋納する。
京都府今は存在しない岩石
梅ヶ畑遺跡 岩塊26京都府京都市右京区梅ヶ畑町丘陵頂部に高さ1.5mの岩塊があり、その南に敷石平坦部が作られ、周囲から8世紀中葉~9世紀後葉の土器群、仏画線刻石製品1点が出土。敷石遺構は修験道の護摩壇と推測され、岩塊を祭祀対象にした平安京守護のための祭祀遺跡と考えられている。御堂ヶ池群集墳が近接。A古墳が近接山頂の自然の岩塊の前で石敷きの護摩壇を設けて都城守護の祭祀を行なう。
京都府BA磐座と石神の性格が混在している事例
梅ヶ畑遺跡 敷石遺構26京都府京都市右京区梅ヶ畑町丘陵頂部に高さ1.5mの岩塊があり、その南に敷石平坦部が作られ、周囲から8世紀中葉~9世紀後葉の土器群、仏画線刻石製品1点が出土。敷石遺構は修験道の護摩壇と推測され、岩塊を祭祀対象にした平安京守護のための祭祀遺跡と考えられている。御堂ヶ池群集墳が近接。BCD古墳が近接山頂の自然の岩塊の前で石敷きの護摩壇を設けて都城守護の祭祀を行なう。
さざれ石26京都府京都市右京区音戸山町 さざれ石山嵯峨天皇が好んで鑑賞したというさざれ石。EC
石椅子26京都府京都市右京区広沢町 児神社寛朝大僧正が広沢池のほとりで座禅をしていた時、傍らにいた子供(児神社祭神)が腰掛けていたという岩石。寿命・安産・縁結びに霊験があるという。CC休み石・腰掛石
児神社 岩石祭祀事例26京都府京都市右京区広沢町 児神社玉垣に囲われ、七福神が供えられている岩石。
広沢古墳 横穴式石室26京都府京都市右京区広沢町古墳時代の土器のほか、平安時代以降の素焼き土器や古銭などが見つかった。古墳石室を聖域空間として後世再利用したことが分かる。BCA遺物・遺構の再利用古墳の石室を中世の祭祀空間に再利用する。
広沢古墳 人面石/石神26京都府京都市右京区広沢町石室の横に建てられた木祠にまつられた石像。人面が彫られており、石室石材の転用ともいわれるが詳細沿革不明。A遺物・遺構の再利用
座禅石26京都府京都市右京区広沢町 遍照寺山寛朝大僧正がいつも座禅していた山腹の巨石。BCC
京都府C
児ヶ石26京都府京都市右京区広沢町 遍照寺山座禅石の下にある岩石。寛朝大僧正が座禅をしている傍ら、子供が枕にして眠っていたという岩石。C休み石・腰掛石
額立石26京都府京都市右京区高雄 神護寺弘法大師が「金剛峰寺」の額字を書いた時、額を立て掛けた岩石。C
硯石26京都府京都市右京区高雄 神護寺弘法大師が「金剛峰寺」の額字を書いた時、硯に使った岩石。C
神石/亀石26京都府京都市右京区 野宮神社祈りを込めてさすれば願いが叶うという岩石。なでられたからか表面は磨耗して光沢面を持つ。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
鏡石26京都府京都市西京区嵐山 檪谷宗像神社1244年、山崩れで崩壊してしまったという鏡石。今は存在しない岩石
座禅石26京都府京都市西京区嵐山夢窓疎石がいつもこの上で座禅をしていたという岩石。嵐山山頂付近にあったのが、今は中腹の大悲閣にあるという。BCC原位置から移動伝承
京都府C
磐座/ご神跡/ご鎮座場26京都府京都市西京区嵐山 松尾山山頂直下の急斜面上に露出する巨大な岩盤で、手前には人為的な集石が存在。山腹に松尾大社が建てられるまで祭祀が行なわれていたという場所。付近には松尾山群集墳が存在。かつて禁足地だったが現在は許可制で登拝可能。BA禁足地
京都府CA古墳が近接 November 11, 2025
1RP
経岩26京都府京都市山科区修行僧がこの岩石の上で経を読んだという。道路工事を請けて一部損壊したという。BCE岩石が改変されている仏僧が岩石の上で読経する。
陰岩(陰陽岩/岩屋殿/奥之院)26京都府京都市山科区大宅中小路町 岩屋神社岩屋神社信仰の発祥といわれる石座。麓に社殿が建てられるまで栲幡千々姫命をまつっていた。陰岩の窪みにたまる水は霊水として信仰されたが、現在この水は枯れている。BA岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
京都府CA
陽岩(陰陽岩/岩屋殿/奥之院)26京都府京都市山科区大宅中小路町 岩屋神社岩屋神社信仰の発祥といわれる石座。麓に社殿が建てられるまで天忍穂耳命をまつっていた。BA
京都府CA
琵琶石26京都府京都市山科区四ノ宮在地町 諸羽神社人康親王が琵琶を弾きながら座っていた岩石。隣接する岩坐には注連縄と賽銭箱がある一方、琵琶石には全くないため祭祀・神聖視の段階には入っていないと考えられる。EC
岩坐26京都府京都市山科区四ノ宮在地町 諸羽神社立板状の岩石。由来不詳。C
影向石26京都府京都市山科区日ノ岡夷谷町 日向大神宮高さ約1mの立石。由来不詳。
天の岩戸26京都府京都市山科区日ノ岡夷谷町 日向大神宮人工的に穴を掘った洞穴。内部には戸隠神社の祠がまつられており、岩戸くぐりをすれば開運厄除という。CB胎内くぐり
京都府BBD
京都府BAC
かへし石/力石26京都府京都市伏見区深草鳥居崎町 藤森神社3個の岩石。京都所司代の巡検時に、この岩石をひっくり返しながら拝殿から鳥居まで転がした。氏子が持ち上げて力自慢をしたともいう。BBD可動的性質重い岩石を持ち上げたり転がしたりして、その力を誇示する。
京都府力石
京都府岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか
大岩26京都府京都市伏見区深草向ヶ原町 大岩神社男女二人の神がそれぞれが重い病気にかかった際に、互いの献身的な看病によって病を治したことから、土地の者がその徳をたたえて神社を造り、大岩を男の神としてまつったという。A神々が偉業を成し遂げたので、村人が神社を造ってまつる。
小岩26京都府京都市伏見区深草向ヶ原町 小岩神社男女二人の神がそれぞれが重い病気にかかった際に、互いの献身的な看病によって病を治したことから、土地の者がその徳をたたえて神社を造り、小岩を女の神としてまつったという。A神々が偉業を成し遂げたので、村人が神社を造ってまつる。
奥社 立石26京都府京都市伏見区深草 伏見稲荷大社稲荷山を遥拝するための奉拝所とされる立石。BAA
京都府BBA
おもかる石26京都府京都市伏見区深草 伏見稲荷大社2基の石灯籠の頂部に乗る空輪。石灯籠の前で祈願をして、その後におもかる石を持ち上げた時、予想していたより重ければ願いは叶わず、予想よりも軽ければ願いは叶うという。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか岩石を持ち上げて、予想よりも重いか軽いかで占う。
京都府可動的性質
御饌石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山酒を注いだ素焼き土器70枚を御饌石の上に供え、神に生産豊穣を祈るという「山上の儀」が行なわれる。御饌石の前には、祭祀を行なう神職者専用の台座石が設置されている。BCD台座石の上に神職が座り、酒を注いだ素焼き土器70枚を御饌石の上に供える。
京都府BCC
剱石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山人の丈より高いもので、緑がかった剱状の岩石。御剱社の社殿内にあり、剣に似た形状なので、鍛冶・金物関連の霊験を持つ岩石として信仰される。A秘匿されている岩石
雷石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山昔ここで激しい雷が落ち、神が呪文を唱えこの岩石に雷を縛り封じたという。古くからの神跡として神聖視される。BBB聖者が与えた霊石神が雷を岩石に封じ込める。
力お大明神26京都府京都市伏見区深草 稲荷山祠の横に露岩あり。詳細は調査不足につき不明。
大岩大神26京都府京都市伏見区深草 稲荷山岩盤を大岩大神としてまつる社。A
稲荷下社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
稲荷中社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
稲荷上社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
長者社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
荷田社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
田中社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
御膳谷神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
お塚26京都府京都市伏見区深草 稲荷山岩石に神名を刻み山中に立てることで、神と参拝者の交流場としたもので、幕末・明治以降に参拝者個々人が設けた。山中に約1万基存在。BAA山中に、神名を刻した岩石を置き、自分だけの神を迎える場とする。
冠石26京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町鳥羽上皇が鳥羽離宮を整備した時、この岩石の上に冠を置き、これを中心に設備を整えたという。EC
雷石26京都府京都市南区東九条札辻町 宇賀神社天から降ってきた岩石。あるいは、神から怒られた雷が、2度と雷を起こさないために石化したという岩石。BBB生き物が石化したもの雷を落とすなと神に怒られたので、石化する。
寛算石26京都府京都市南区西九条蔵王町筑紫国安楽寺の僧・寛算が、死後雷と化して京に禍をもたらした後、この地に落ちて石化したという岩石。後世、歯の治癒に霊験があり「歯神さま」としてまつられる。EA生き物が石化したもの神前に竹箸を供え、その箸で食事をすると歯の病に効果があり、お礼に代わりの竹箸を供える。
京都府BBB祟り伝承
京都府A
仙遊石26京都府京都市東山区 来迎院山仙人が降臨してここで遊んだという。数個の自然石からなり、その前に供物台を置いている。宮内庁陵墓管理地につき立入禁止という。C禁足地
恋占いの石/めくら石26京都府京都市東山区清水 地主神社同じ形状をした2つの岩石が距離を離して置かれている。目をつぶり、片方からもう片方までうまく辿り着いたら恋愛成就するという。岩石表面に銘板を埋め込んでいる。BBD岩石が改変されている目をつぶって、ある岩石から別の岩石へ歩いて占う。
子授け石26京都府京都市東山区 三島神社約150年前に地中から出てきた2つの岩石。陰陽の形状をしており、これを撫でた手でお腹をさすると安産という。BBDなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでた後に、自分の体をさする。
念仏石/鐘代わり石/カンカン石26京都府京都市東山区 青龍寺/伽羅観音本堂前に大小2つの岩石があり、天から降ってきた隕石という。勤行に際して鐘の替わりにこの石を叩いて念仏の調子をとったという。金属音が鳴る。諸願成就の霊石としての信仰もある。BE岩石に損傷を加える行為岩石を念仏の鐘代わりに叩く。
京都府BBD岩石から音声が聞こえる
縁切り・縁結び祈願石26京都府京都市東山区 安井金毘羅宮中央に亀裂が入り、下部に円形の穴を持つ岩石。縁結び・縁切りの願いを書いた形代を岩石に貼り付けて願掛けする。BBD岩穴・窟岩石に願い事を書いた形代を貼り付ける。
瓜生石26京都府京都市東山区林下町 知恩院知恩院が作られる以前から存在していたという岩石。一夜にして瓜生石に瓜のつるが繁り、実がなったという。これは祇園の牛頭天王が瓜生石の上にも降臨したからだとも、感神院新宮の神札が置かれていたのでその神威によるともいう。瓜生石の地中には、二条城への抜け道が隠されているという。BABAどこか遠い場所とつながっている岩石に一夜にして瓜の実がなる。それは岩石の上に牛頭天王が降りたとも、神札が置かれたともいう。9/14の丑の刻に、神列が瓜生石の周りを三回回る「れいけん」という祭祀が行なわれる。
京都府BABB岩石の周囲を回る
影向石26京都府京都市東山区林下町 知恩院勢至堂向かって右側の崖下の岩盤。法然が臨終を迎えた時、加茂明神がこの石の上に降臨したと伝えられる。BABA聖者が亡くなった場所
慈鎮石/慈鎮坐禅石/和尚石26京都府京都市東山区林下町 知恩院慈鎮(慈円)和尚の座禅石。元々は山門の前にあったが天和年間(1681~1684)に現在地へ移され、庭園の一角を彩る庭石となった。BCC原位置から移動伝承和尚の座禅石を庭石に転用する。
京都府C
京都府EC
二十五菩薩の庭26京都府京都市東山区林下町 知恩院知恩院所蔵「阿弥陀如来二十五菩薩来迎の図」をモチーフに作られた石庭で、石が仏菩薩、植え込みが来迎雲を表している。EC
三尊石26京都府京都市東山区林下町 知恩院方丈庭園の奥にある山亭庭園の北西隅に配された庭石。阿弥陀三尊を表現するという。EC
仏足石26京都府京都市東山区林下町 知恩院大理石の仏足石で、直立してある。C
修学院守禅庵遺跡/修学院磐座26京都府京都市左京区修学院守禅庵比叡山の登山口に存在する岩石。岩石の手前から359点の18世紀の土師器皿片を採集。一部には煤が付いていたという。現在、岩石手前には竹に紙垂が付けられた玉串が立てられている。火が絡む祭祀山裾の岩石の手前に、一部煤の付いた土師器皿を置く。
熊谷直実腰掛石26京都府京都市左京区大原勝林院町武士で法然の弟子となった熊谷直実が腰掛けた岩石。EC休み石・腰掛石
紫雲石26京都府京都市左京区黒谷町 黒谷金戒光明寺霊地を求めていた法然がこの岩石の上で念仏を唱えると、紫雲が広がり光が差し込んだことから、この地に寺を開基した。BCC
京都府C
白川子安観世音26京都府京都市左京区北白川鎌倉時代製作の巨大な石仏。白川女が商いを行なう時は、事前にここに花を供えるという。A女商人が商いを行なう前に石仏に花を供える。
弁慶背競石26京都府京都市左京区八瀬秋元町八瀬天満宮の石鳥居南側に立つ高さ2.4mの立石。弁慶が比叡山西塔より持ってきて、下山の度にこの岩石と背比べをしたという。EC原位置から移動伝承
菅公腰掛石26京都府京都市左京区八瀬秋元町 八瀬天満宮祭神である菅原道真が腰掛けた岩石。C休み石・腰掛石
義朝駒飛石26京都府京都市左京区八瀬源義朝が平治の乱に敗れ東国に敗走中、馬に乗ったまま飛び越えたという岩石。EC
真守鉄盤石26京都府京都市左京区大原野村町平安後期の刀工である大原真守が、この岩石と傍にある井泉を使って刀剣鍛冶を行なったという。EC
獅子飛石26京都府京都市左京区来迎院町 来迎院獅子がうずくまったような形状の岩石。聖応大師良忍が文殊の秘法を修していた時、この岩石が獅子となって飛び回ったという。C生き物が石化したもの
袈裟かけ石26京都府京都市左京区来迎院町 勝林院童子が阿闍梨の袈裟を洗濯し、それを乾かすためにこの岩石の上にかけた。BE聖者の装束を洗濯して、岩石の上で乾かす。
京都府EC
法然腰掛石26京都府京都市左京区来迎院町 勝林院法然が腰掛けて休んだ岩石。C
岩上神社26京都府京都市北区松ヶ崎町兵庫県明石の海中で霊光を発していた岩石。当地に持ってきて神社をまつったという。A岩石から煙・光・火・気などが出る
京都府原位置から移動伝承
京都府可動的性質
山住神社/岩倉/北岩倉/石座/石蔵26京都府京都市左京区岩倉西河原町 山住神社石座神社の旧社地で御旅所とされる山裾の露岩。桓武天皇が平安京の東西南北に一切経を埋納したという四岩倉の内の北岩倉と考えられている。BA
京都府BCD
京都府CA
翔雲台 経塚石材26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山本殿金堂裏から発見された平安時代の経塚の蓋石。BCD原位置から移動伝承
京都府経塚関係
背比べ石26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山遮那王尊(源義経)が頼朝に追われ奥州に逃れる時、若き日を過ごした鞍馬に名残を惜しみ、この石と自分の背丈を比べたという岩石。C
魔王殿 岩石群26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山護法魔王尊が降臨した磐座とされる多数の石灰岩の露頭。BCA
京都府C
船形石26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山玉依姫命が貴船川を上る時に乗っていた船を石積で覆って秘匿したもの。船形石の小石を持って帰れば交通安全の霊験がある。CC祭神の乗っていた船を石を積んで隠す。その石を持って帰れば霊験がある。
鏡岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山貴船山の中腹にあり、貴船神社祭神のタカオカミノカミが降臨したという磐座。BA禁足地
京都府C秘匿されている岩石
つづみが岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山鼓の形状に似ていることから名付けられた名石。EC
天の磐船26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山近くの山奥から採出された船形の自然石を、神社の信奉者が奉献してこの名を付けた。BBC近くで採れた形の良い岩石を奉納する。
石庭「天津磐境」26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山作庭家である重森三玲氏が作った石庭。EC
蛍岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山和泉式部がこの場所で蛍を見て、和歌を詠んだという。EC
烏帽子岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山大宮人が烏帽子を下ろして休息した岩石。参拝者がここで冷水を浴びて身を清めた場所ともいう。EC休み石・腰掛石
京都府BCB
弁慶石26京都府京都市中京区弁慶石町弁慶が生前大切にしていた岩石。弁慶の死後、奥州高館にあったが岩石が「三条京極に行きたい」と発声鳴動し、付近に熱病が蔓延したため、享徳3年(1454年)、この石を三条京極に安置した。EC原位置から移動伝承偉人が大切にしていた岩石が祟りをなすので、希望通り場所を移す。
京都府EA祟り伝承
京都府岩石から音声が聞こえる
京都府岩石が動く
猿田彦大神御神石/御石さん26京都府京都市上京区大倭国最初御降臨旧跡地とされる岩石。霊験のある岩石だが触れると祟りがあるという。平安京の鬼門を鎮める塞神の性格も有すると考えられる。BAA
京都府BBB
京都府CC
岩神さん/禿童石26京都府京都市上京区大黒町菅原道真の死後、道真の乳母がこの岩石を抱いて泣いたといい、その度に落雷が起こったという。元々は二条城の南辺りにあり、別の場所に移したところ岩石が吠えたり子供に化けたりしたので、仏僧が現在地に移して岩神寺の本尊としてまつった。現在は授乳の神として信仰される。EA祟り伝承祟りのある岩石を仏僧がまつる。落雷を落とす→子供に化ける→授乳の神と変遷する。
京都府A岩石から音声が聞こえる
京都府原位置から移動伝承
京都府可動的性質
登天石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮菅原道真の祟りで雷雨・氾濫が起こった時、法性坊尊意僧正が数珠(神剣)をかざすと、氾濫した川水が下がりその中から、岩石の上に立つ道真が現れた。雷雨が止み、道真は昇天していった。岩石は尊意によって供養をされた後、現在地に安置された。BABA原位置から移動伝承岩石の上に霊が立ち、そして昇天する。
京都府C
出世石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮出世した人が寄進した岩石。BBC
玉子石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮妊娠5ヶ月目に拝むと安産になるという岩石。BBD
蛇の枕/雨石26京都府京都市北区上賀茂本山 大田神社蛇が枕としていたという岩石。農具などでこの岩石を叩くと蛇が怒って雨を降らせるという。BBD信仰対象の荒ぶりを恩恵に変える祭祀農具などで岩石を叩くと雨が降る。
岩上26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社葵祭の時、宮司がこの岩の上に座して、賀茂神が宮司の体を通して返祝詞(神の意思)を発する。BABB祭祀執行者であり信仰対象岩石に司祭者が座ると、神が司祭者に憑依して託宣をする。
京都府BCC
岩本社26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社川辺の露岩の上に祠を建て、祓えの神であると同時に海上安全守護の神である住吉三神をまつる。BABC
京都府BCB
八嶋龍神26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社祠内に高さ50cm強の岩石が注連縄をかけられている。A磐座と石神の性格が混在している事例
京都府BA
立砂26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社細殿前にある2体の三角錐の砂山。神山を模したもので、元は神の憑依する依り代として造られたものだったが、これは清めの結界として機能している。この砂を持ち帰れば清めの砂として利用される。BCA砂
京都府BBB可動的性質
御阿礼神事の盛り砂26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社砂を盛り、その上に依り代である阿礼木を立てる。砂は依り代の座としての役割を担っている。BABB砂砂で依り代を造る。
降臨石26京都府京都市北区上賀茂神山 神山禁足地の神山の山頂にあり、賀茂別雷神が降臨したといわれる岩石。BA禁足地
京都府CA秘匿されている岩石
貴布禰26京都府京都市北区上賀茂神山 貴船神社京名石と銘打たれている岩石。詳細は調査不足につき不明。
立砂26京都府京都市北区上賀茂神山 貴船神社清めの結界として盛られた砂山。BCA砂
女夫岩26京都府北区上賀茂女夫岩町昔、鴨川が氾濫を起こした後に現れた2つの岩石。外見が伊勢の夫婦岩に似ていることから名付けられたという。当初は注連縄をして信仰対象にしていたが、今はまつられておらず小学校の校庭内で子供達の遊び場となっている。柊野ダムにある岩石と女夫岩は、地中で1つの岩としてつながっているという。A岩石が地下で広範囲に根を張っている伝承
京都府EC
霊巌26京都府北区西賀茂 船山 霊巌寺寺の門前にあったという巨岩。人が通れるほどの穴を下部に持ち、信仰対象だったという。天皇が行幸する時に邪魔だと思った寺の別当が岩を破壊したが、結局行幸はなく寺も衰滅したという。A今は存在しない岩石岩石を破壊したら廃寺となった。
神降窟/降神岩/香水窟26京都府京都市北区雲ヶ畑 岩屋山志明院延喜式内の天津石門別稚姫神社がまつられていたとされる岩窟。菅原道真が製作したという眼力不動をまつる。岩窟内からは鴨川の水源となる水が湧き出て、これは難病を治す香水と称して神聖視されている。C岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
京都府BAC
護摩洞窟26京都府京都市北区雲ヶ畑 岩屋山志明院弘法大師が護摩を焚いたという岩窟。BCE
船岡山 岩石群26京都府京都市北区紫野北舟岡町 船岡山平安宮の北を守護する玄武の磐座と目される山頂の露岩。それを証明する明確な記録はない。周辺から歴史時代の土師器片が散布。
大平和敬神 神石26京都府京都市北区紫野北舟岡町 船岡山大本教関係の修養団捧誠会という団体が昭和45年に立てた石碑。世界平和の神の神石とされる。A近代以降の命名
力石26京都府京都市北区紫野 今宮神社力比べで持ち上げられた岩石。BBD力石
京都府BBC可動的性質
阿呆賢さん/神占石/重軽石26京都府京都市北区紫野 今宮神社この石を手でなでて、自分の体の悪い部分をさすれば、その悪い部分が治癒されるという。また、この石を3回叩いて持ち上げると重くなり、祈願して優しく石を3度さすって石が軽くなったら成就という。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか石をなでて自分をさすると病気が治る。石を持ち上げて予想より軽くなったら祈願成就。
京都府可動的性質
京都府なでたりさすったり抱きついたりする
鏡石26京都府京都市北区衣笠鏡石町『鹿苑日録』の中で、天文5年(1536年)に鏡石が出現し、貴賎男女が競って参詣したといい、これに該当するとされる岩石。これを鏡にして女性が髪をといたとか、街道を通る牛が、鏡石に映った自分の姿に驚いて角で突いたとか、源義経が自分の姿を映したとか、紀貫之がこれをモチーフに和歌を詠んだという。昭和30年代に道路工事が行われた際に大部分が取り壊された。A岩石が改変されている
京都府EC突如出現した岩石
京都府鏡面を持つ岩石
衣笠山遺跡26京都府京都市北区衣笠衣笠山町山頂に岩盤が露出しており、平安時代の土器片が採集された遺物散布地。相関性は不明。
力石大神/力石大明神26京都府京都市北区等持院町 六請神社祈願した後に持ち上げることができれば成就という岩石。現在は持ち上げられることなく、祈願対象となっている。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか持ち上げられたら祈願成就の霊石。
京都府A力石
京都府可動的性質
六請神社の小石奉納26京都府京都市北区等持院町 六請神社力石大神は重いため、現在は小石に性別・年齢・祈願内容を記して神前に奉納しても成就するという。BBC可動的性質石に祈願内容を書いて神に奉納する。
京都府BBA
京都府BBD
神輿岩26京都府京都市北区小野中ノ町船形の平石で、かつてここに岩戸社が鎮座していたという。
岩戸社・落葉社 岩壁26京都府京都市北区小野中ノ町社殿の背後に大きな岩壁が存在するが、神聖視の有無は不明。
双ヶ岡 岩石群26京都府京都市右京区 双ヶ岡南側の峰の山腹に露出する岩盤群。古墳が近接
足跡石26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社親鸞の足跡が残る岩石。C休み石・腰掛石
座石26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社親鸞が座った岩石。C休み石・腰掛石
男岩(夫婦岩)26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社女岩とセット関係。夫婦和合・子宝安産の霊験を有する岩石。夫婦岩をなでて子宝を祈願し、夫婦岩の周囲を3度左回りして安産を祈願する。初宮詣の際は梅干を供えた後に幼児の鼻を梅干の皮でつまむ。元来は本殿付近にあったものを移設したという。Aなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでて、周囲を3度回る。梅干を供えて幼児の鼻をつまむ。
京都府BBD岩石の周囲を回る
京都府原位置から移動伝承
女岩(夫婦岩)26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社男岩とセット関係。夫婦和合・子宝安産の霊験を有する岩石。夫婦岩をなでて子宝を祈願し、夫婦岩の周囲を3度左回りして安産を祈願する。初宮詣の際は梅干を供えた後に幼児の鼻を梅干の皮でつまむ。梅干の種は女岩の中央の窪みに供えて子孫繁栄を祈願する。元来は本殿付近にあったものを移設したという。Aなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでて、周囲を3度回る。梅干を供えて幼児の鼻をつまむ。梅干の種を女岩の窪みに供える。
京都府BBD岩石の周囲を回る
京都府原位置から移動伝承
京都府置銭・投銭祭祀
京都府岩穴・窟
大酒神社 岩石祭祀事例26京都府京都市右京区太秦蜂岡町 大酒神社大酒神社が元来まつっていたという岩石。現存含め詳細不明。今現在確認がとれていない岩石
祈念神石26京都府京都市右京区嵯峨朝日町 車折神社境内の石を家に持ち帰り日夜祈願し続けると祈願成就。成就の際はお礼の言葉を書いた石をもう1個添えて社頭に供え、その集積が石塚となり神威を示す場所となる。BBD可動的性質岩石を家に持ち帰って祈りの道具にする。石に文字を書く。奉納物の集積が石塚となる。
京都府BBC岩石が満ち欠け・増減・出産する
京都府BBA
京都府CA
またげ石26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社境内の2個の岩石。嵯峨天皇妃の檀林皇后がこの岩石をまたいだところ子を授かったことから、同様のまたぎを行なうと子授け利益があるという。BBD岩石をまたいで子宝祈願。
京都府CC
産砂26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社檀林皇后が出産の際に敷いたとされる神社の白砂。安産のお守りとして授けられる。BCA砂砂を敷いて安産する。
京都府CC可動的性質
影向石/熊野影向石/三石26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社熊野から飛来してきた3羽の鳥が石化したという岩石。C生き物が石化したもの
猿田彦大神27京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社猿田彦大神の石神A
宇壽女命28京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社宇壽女命の石神A
源雅信墓26京都府京都市右京区御室 成就山宇多源氏の始祖である源雅信の墓とされる自然岩。BCA聖者が亡くなった場所自然石を墓標とする。
梅ヶ畑銅鐸出土地26京都府京都市右京区梅ヶ畑町山腹の「巨巌」裾の地表下から、弥生時代の銅鐸4点が入れ子になって2組状態で埋納されている状態で見つかった。御堂ヶ池群集墳が近接。「巨巌」は都市開発で消滅。古墳が近接巨岩の裾に銅鐸を入れ子にして埋納する。
京都府今は存在しない岩石
梅ヶ畑遺跡 岩塊26京都府京都市右京区梅ヶ畑町丘陵頂部に高さ1.5mの岩塊があり、その南に敷石平坦部が作られ、周囲から8世紀中葉~9世紀後葉の土器群、仏画線刻石製品1点が出土。敷石遺構は修験道の護摩壇と推測され、岩塊を祭祀対象にした平安京守護のための祭祀遺跡と考えられている。御堂ヶ池群集墳が近接。A古墳が近接山頂の自然の岩塊の前で石敷きの護摩壇を設けて都城守護の祭祀を行なう。
京都府BA磐座と石神の性格が混在している事例
梅ヶ畑遺跡 敷石遺構26京都府京都市右京区梅ヶ畑町丘陵頂部に高さ1.5mの岩塊があり、その南に敷石平坦部が作られ、周囲から8世紀中葉~9世紀後葉の土器群、仏画線刻石製品1点が出土。敷石遺構は修験道の護摩壇と推測され、岩塊を祭祀対象にした平安京守護のための祭祀遺跡と考えられている。御堂ヶ池群集墳が近接。BCD古墳が近接山頂の自然の岩塊の前で石敷きの護摩壇を設けて都城守護の祭祀を行なう。
さざれ石26京都府京都市右京区音戸山町 さざれ石山嵯峨天皇が好んで鑑賞したというさざれ石。EC
石椅子26京都府京都市右京区広沢町 児神社寛朝大僧正が広沢池のほとりで座禅をしていた時、傍らにいた子供(児神社祭神)が腰掛けていたという岩石。寿命・安産・縁結びに霊験があるという。CC休み石・腰掛石
児神社 岩石祭祀事例26京都府京都市右京区広沢町 児神社玉垣に囲われ、七福神が供えられている岩石。
広沢古墳 横穴式石室26京都府京都市右京区広沢町古墳時代の土器のほか、平安時代以降の素焼き土器や古銭などが見つかった。古墳石室を聖域空間として後世再利用したことが分かる。BCA遺物・遺構の再利用古墳の石室を中世の祭祀空間に再利用する。
広沢古墳 人面石/石神26京都府京都市右京区広沢町石室の横に建てられた木祠にまつられた石像。人面が彫られており、石室石材の転用ともいわれるが詳細沿革不明。A遺物・遺構の再利用
座禅石26京都府京都市右京区広沢町 遍照寺山寛朝大僧正がいつも座禅していた山腹の巨石。BCC
京都府C
児ヶ石26京都府京都市右京区広沢町 遍照寺山座禅石の下にある岩石。寛朝大僧正が座禅をしている傍ら、子供が枕にして眠っていたという岩石。C休み石・腰掛石
額立石26京都府京都市右京区高雄 神護寺弘法大師が「金剛峰寺」の額字を書いた時、額を立て掛けた岩石。C
硯石26京都府京都市右京区高雄 神護寺弘法大師が「金剛峰寺」の額字を書いた時、硯に使った岩石。C
神石/亀石26京都府京都市右京区 野宮神社祈りを込めてさすれば願いが叶うという岩石。なでられたからか表面は磨耗して光沢面を持つ。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
鏡石26京都府京都市西京区嵐山 檪谷宗像神社1244年、山崩れで崩壊してしまったという鏡石。今は存在しない岩石
座禅石26京都府京都市西京区嵐山夢窓疎石がいつもこの上で座禅をしていたという岩石。嵐山山頂付近にあったのが、今は中腹の大悲閣にあるという。BCC原位置から移動伝承
京都府C
磐座/ご神跡/ご鎮座場26京都府京都市西京区嵐山 松尾山山頂直下の急斜面上に露出する巨大な岩盤で、手前には人為的な集石が存在。山腹に松尾大社が建てられるまで祭祀が行なわれていたという場所。付近には松尾山群集墳が存在。かつて禁足地だったが現在は許可制で登拝可能。BA禁足地
京都府CA古墳が近接 November 11, 2025
1RP
経岩26京都府京都市山科区修行僧がこの岩石の上で経を読んだという。道路工事を請けて一部損壊したという。BCE岩石が改変されている仏僧が岩石の上で読経する。
陰岩(陰陽岩/岩屋殿/奥之院)26京都府京都市山科区大宅中小路町 岩屋神社岩屋神社信仰の発祥といわれる石座。麓に社殿が建てられるまで栲幡千々姫命をまつっていた。陰岩の窪みにたまる水は霊水として信仰されたが、現在この水は枯れている。BA岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
京都府CA
陽岩(陰陽岩/岩屋殿/奥之院)26京都府京都市山科区大宅中小路町 岩屋神社岩屋神社信仰の発祥といわれる石座。麓に社殿が建てられるまで天忍穂耳命をまつっていた。BA
京都府CA
琵琶石26京都府京都市山科区四ノ宮在地町 諸羽神社人康親王が琵琶を弾きながら座っていた岩石。隣接する岩坐には注連縄と賽銭箱がある一方、琵琶石には全くないため祭祀・神聖視の段階には入っていないと考えられる。EC
岩坐26京都府京都市山科区四ノ宮在地町 諸羽神社立板状の岩石。由来不詳。C
影向石26京都府京都市山科区日ノ岡夷谷町 日向大神宮高さ約1mの立石。由来不詳。
天の岩戸26京都府京都市山科区日ノ岡夷谷町 日向大神宮人工的に穴を掘った洞穴。内部には戸隠神社の祠がまつられており、岩戸くぐりをすれば開運厄除という。CB胎内くぐり
京都府BBD
京都府BAC
かへし石/力石26京都府京都市伏見区深草鳥居崎町 藤森神社3個の岩石。京都所司代の巡検時に、この岩石をひっくり返しながら拝殿から鳥居まで転がした。氏子が持ち上げて力自慢をしたともいう。BBD可動的性質重い岩石を持ち上げたり転がしたりして、その力を誇示する。
京都府力石
京都府岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか
大岩26京都府京都市伏見区深草向ヶ原町 大岩神社男女二人の神がそれぞれが重い病気にかかった際に、互いの献身的な看病によって病を治したことから、土地の者がその徳をたたえて神社を造り、大岩を男の神としてまつったという。A神々が偉業を成し遂げたので、村人が神社を造ってまつる。
小岩26京都府京都市伏見区深草向ヶ原町 小岩神社男女二人の神がそれぞれが重い病気にかかった際に、互いの献身的な看病によって病を治したことから、土地の者がその徳をたたえて神社を造り、小岩を女の神としてまつったという。A神々が偉業を成し遂げたので、村人が神社を造ってまつる。
奥社 立石26京都府京都市伏見区深草 伏見稲荷大社稲荷山を遥拝するための奉拝所とされる立石。BAA
京都府BBA
おもかる石26京都府京都市伏見区深草 伏見稲荷大社2基の石灯籠の頂部に乗る空輪。石灯籠の前で祈願をして、その後におもかる石を持ち上げた時、予想していたより重ければ願いは叶わず、予想よりも軽ければ願いは叶うという。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか岩石を持ち上げて、予想よりも重いか軽いかで占う。
京都府可動的性質
御饌石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山酒を注いだ素焼き土器70枚を御饌石の上に供え、神に生産豊穣を祈るという「山上の儀」が行なわれる。御饌石の前には、祭祀を行なう神職者専用の台座石が設置されている。BCD台座石の上に神職が座り、酒を注いだ素焼き土器70枚を御饌石の上に供える。
京都府BCC
剱石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山人の丈より高いもので、緑がかった剱状の岩石。御剱社の社殿内にあり、剣に似た形状なので、鍛冶・金物関連の霊験を持つ岩石として信仰される。A秘匿されている岩石
雷石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山昔ここで激しい雷が落ち、神が呪文を唱えこの岩石に雷を縛り封じたという。古くからの神跡として神聖視される。BBB聖者が与えた霊石神が雷を岩石に封じ込める。
力お大明神26京都府京都市伏見区深草 稲荷山祠の横に露岩あり。詳細は調査不足につき不明。
大岩大神26京都府京都市伏見区深草 稲荷山岩盤を大岩大神としてまつる社。A
稲荷下社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
稲荷中社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
稲荷上社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
長者社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
荷田社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
田中社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
御膳谷神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
お塚26京都府京都市伏見区深草 稲荷山岩石に神名を刻み山中に立てることで、神と参拝者の交流場としたもので、幕末・明治以降に参拝者個々人が設けた。山中に約1万基存在。BAA山中に、神名を刻した岩石を置き、自分だけの神を迎える場とする。
冠石26京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町鳥羽上皇が鳥羽離宮を整備した時、この岩石の上に冠を置き、これを中心に設備を整えたという。EC
雷石26京都府京都市南区東九条札辻町 宇賀神社天から降ってきた岩石。あるいは、神から怒られた雷が、2度と雷を起こさないために石化したという岩石。BBB生き物が石化したもの雷を落とすなと神に怒られたので、石化する。
寛算石26京都府京都市南区西九条蔵王町筑紫国安楽寺の僧・寛算が、死後雷と化して京に禍をもたらした後、この地に落ちて石化したという岩石。後世、歯の治癒に霊験があり「歯神さま」としてまつられる。EA生き物が石化したもの神前に竹箸を供え、その箸で食事をすると歯の病に効果があり、お礼に代わりの竹箸を供える。
京都府BBB祟り伝承
京都府A
仙遊石26京都府京都市東山区 来迎院山仙人が降臨してここで遊んだという。数個の自然石からなり、その前に供物台を置いている。宮内庁陵墓管理地につき立入禁止という。C禁足地
恋占いの石/めくら石26京都府京都市東山区清水 地主神社同じ形状をした2つの岩石が距離を離して置かれている。目をつぶり、片方からもう片方までうまく辿り着いたら恋愛成就するという。岩石表面に銘板を埋め込んでいる。BBD岩石が改変されている目をつぶって、ある岩石から別の岩石へ歩いて占う。
子授け石26京都府京都市東山区 三島神社約150年前に地中から出てきた2つの岩石。陰陽の形状をしており、これを撫でた手でお腹をさすると安産という。BBDなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでた後に、自分の体をさする。
念仏石/鐘代わり石/カンカン石26京都府京都市東山区 青龍寺/伽羅観音本堂前に大小2つの岩石があり、天から降ってきた隕石という。勤行に際して鐘の替わりにこの石を叩いて念仏の調子をとったという。金属音が鳴る。諸願成就の霊石としての信仰もある。BE岩石に損傷を加える行為岩石を念仏の鐘代わりに叩く。
京都府BBD岩石から音声が聞こえる
縁切り・縁結び祈願石26京都府京都市東山区 安井金毘羅宮中央に亀裂が入り、下部に円形の穴を持つ岩石。縁結び・縁切りの願いを書いた形代を岩石に貼り付けて願掛けする。BBD岩穴・窟岩石に願い事を書いた形代を貼り付ける。
瓜生石26京都府京都市東山区林下町 知恩院知恩院が作られる以前から存在していたという岩石。一夜にして瓜生石に瓜のつるが繁り、実がなったという。これは祇園の牛頭天王が瓜生石の上にも降臨したからだとも、感神院新宮の神札が置かれていたのでその神威によるともいう。瓜生石の地中には、二条城への抜け道が隠されているという。BABAどこか遠い場所とつながっている岩石に一夜にして瓜の実がなる。それは岩石の上に牛頭天王が降りたとも、神札が置かれたともいう。9/14の丑の刻に、神列が瓜生石の周りを三回回る「れいけん」という祭祀が行なわれる。
京都府BABB岩石の周囲を回る
影向石26京都府京都市東山区林下町 知恩院勢至堂向かって右側の崖下の岩盤。法然が臨終を迎えた時、加茂明神がこの石の上に降臨したと伝えられる。BABA聖者が亡くなった場所
慈鎮石/慈鎮坐禅石/和尚石26京都府京都市東山区林下町 知恩院慈鎮(慈円)和尚の座禅石。元々は山門の前にあったが天和年間(1681~1684)に現在地へ移され、庭園の一角を彩る庭石となった。BCC原位置から移動伝承和尚の座禅石を庭石に転用する。
京都府C
京都府EC
二十五菩薩の庭26京都府京都市東山区林下町 知恩院知恩院所蔵「阿弥陀如来二十五菩薩来迎の図」をモチーフに作られた石庭で、石が仏菩薩、植え込みが来迎雲を表している。EC
三尊石26京都府京都市東山区林下町 知恩院方丈庭園の奥にある山亭庭園の北西隅に配された庭石。阿弥陀三尊を表現するという。EC
仏足石26京都府京都市東山区林下町 知恩院大理石の仏足石で、直立してある。C
修学院守禅庵遺跡/修学院磐座26京都府京都市左京区修学院守禅庵比叡山の登山口に存在する岩石。岩石の手前から359点の18世紀の土師器皿片を採集。一部には煤が付いていたという。現在、岩石手前には竹に紙垂が付けられた玉串が立てられている。火が絡む祭祀山裾の岩石の手前に、一部煤の付いた土師器皿を置く。
熊谷直実腰掛石26京都府京都市左京区大原勝林院町武士で法然の弟子となった熊谷直実が腰掛けた岩石。EC休み石・腰掛石
紫雲石26京都府京都市左京区黒谷町 黒谷金戒光明寺霊地を求めていた法然がこの岩石の上で念仏を唱えると、紫雲が広がり光が差し込んだことから、この地に寺を開基した。BCC
京都府C
白川子安観世音26京都府京都市左京区北白川鎌倉時代製作の巨大な石仏。白川女が商いを行なう時は、事前にここに花を供えるという。A女商人が商いを行なう前に石仏に花を供える。
弁慶背競石26京都府京都市左京区八瀬秋元町八瀬天満宮の石鳥居南側に立つ高さ2.4mの立石。弁慶が比叡山西塔より持ってきて、下山の度にこの岩石と背比べをしたという。EC原位置から移動伝承
菅公腰掛石26京都府京都市左京区八瀬秋元町 八瀬天満宮祭神である菅原道真が腰掛けた岩石。C休み石・腰掛石
義朝駒飛石26京都府京都市左京区八瀬源義朝が平治の乱に敗れ東国に敗走中、馬に乗ったまま飛び越えたという岩石。EC
真守鉄盤石26京都府京都市左京区大原野村町平安後期の刀工である大原真守が、この岩石と傍にある井泉を使って刀剣鍛冶を行なったという。EC
獅子飛石26京都府京都市左京区来迎院町 来迎院獅子がうずくまったような形状の岩石。聖応大師良忍が文殊の秘法を修していた時、この岩石が獅子となって飛び回ったという。C生き物が石化したもの
袈裟かけ石26京都府京都市左京区来迎院町 勝林院童子が阿闍梨の袈裟を洗濯し、それを乾かすためにこの岩石の上にかけた。BE聖者の装束を洗濯して、岩石の上で乾かす。
京都府EC
法然腰掛石26京都府京都市左京区来迎院町 勝林院法然が腰掛けて休んだ岩石。C
岩上神社26京都府京都市北区松ヶ崎町兵庫県明石の海中で霊光を発していた岩石。当地に持ってきて神社をまつったという。A岩石から煙・光・火・気などが出る
京都府原位置から移動伝承
京都府可動的性質
山住神社/岩倉/北岩倉/石座/石蔵26京都府京都市左京区岩倉西河原町 山住神社石座神社の旧社地で御旅所とされる山裾の露岩。桓武天皇が平安京の東西南北に一切経を埋納したという四岩倉の内の北岩倉と考えられている。BA
京都府BCD
京都府CA
翔雲台 経塚石材26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山本殿金堂裏から発見された平安時代の経塚の蓋石。BCD原位置から移動伝承
京都府経塚関係
背比べ石26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山遮那王尊(源義経)が頼朝に追われ奥州に逃れる時、若き日を過ごした鞍馬に名残を惜しみ、この石と自分の背丈を比べたという岩石。C
魔王殿 岩石群26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山護法魔王尊が降臨した磐座とされる多数の石灰岩の露頭。BCA
京都府C
船形石26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山玉依姫命が貴船川を上る時に乗っていた船を石積で覆って秘匿したもの。船形石の小石を持って帰れば交通安全の霊験がある。CC祭神の乗っていた船を石を積んで隠す。その石を持って帰れば霊験がある。
鏡岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山貴船山の中腹にあり、貴船神社祭神のタカオカミノカミが降臨したという磐座。BA禁足地
京都府C秘匿されている岩石
つづみが岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山鼓の形状に似ていることから名付けられた名石。EC
天の磐船26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山近くの山奥から採出された船形の自然石を、神社の信奉者が奉献してこの名を付けた。BBC近くで採れた形の良い岩石を奉納する。
石庭「天津磐境」26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山作庭家である重森三玲氏が作った石庭。EC
蛍岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山和泉式部がこの場所で蛍を見て、和歌を詠んだという。EC
烏帽子岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山大宮人が烏帽子を下ろして休息した岩石。参拝者がここで冷水を浴びて身を清めた場所ともいう。EC休み石・腰掛石
京都府BCB
弁慶石26京都府京都市中京区弁慶石町弁慶が生前大切にしていた岩石。弁慶の死後、奥州高館にあったが岩石が「三条京極に行きたい」と発声鳴動し、付近に熱病が蔓延したため、享徳3年(1454年)、この石を三条京極に安置した。EC原位置から移動伝承偉人が大切にしていた岩石が祟りをなすので、希望通り場所を移す。
京都府EA祟り伝承
京都府岩石から音声が聞こえる
京都府岩石が動く
猿田彦大神御神石/御石さん26京都府京都市上京区大倭国最初御降臨旧跡地とされる岩石。霊験のある岩石だが触れると祟りがあるという。平安京の鬼門を鎮める塞神の性格も有すると考えられる。BAA
京都府BBB
京都府CC
岩神さん/禿童石26京都府京都市上京区大黒町菅原道真の死後、道真の乳母がこの岩石を抱いて泣いたといい、その度に落雷が起こったという。元々は二条城の南辺りにあり、別の場所に移したところ岩石が吠えたり子供に化けたりしたので、仏僧が現在地に移して岩神寺の本尊としてまつった。現在は授乳の神として信仰される。EA祟り伝承祟りのある岩石を仏僧がまつる。落雷を落とす→子供に化ける→授乳の神と変遷する。
京都府A岩石から音声が聞こえる
京都府原位置から移動伝承
京都府可動的性質
登天石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮菅原道真の祟りで雷雨・氾濫が起こった時、法性坊尊意僧正が数珠(神剣)をかざすと、氾濫した川水が下がりその中から、岩石の上に立つ道真が現れた。雷雨が止み、道真は昇天していった。岩石は尊意によって供養をされた後、現在地に安置された。BABA原位置から移動伝承岩石の上に霊が立ち、そして昇天する。
京都府C
出世石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮出世した人が寄進した岩石。BBC
玉子石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮妊娠5ヶ月目に拝むと安産になるという岩石。BBD
蛇の枕/雨石26京都府京都市北区上賀茂本山 大田神社蛇が枕としていたという岩石。農具などでこの岩石を叩くと蛇が怒って雨を降らせるという。BBD信仰対象の荒ぶりを恩恵に変える祭祀農具などで岩石を叩くと雨が降る。
岩上26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社葵祭の時、宮司がこの岩の上に座して、賀茂神が宮司の体を通して返祝詞(神の意思)を発する。BABB祭祀執行者であり信仰対象岩石に司祭者が座ると、神が司祭者に憑依して託宣をする。
京都府BCC
岩本社26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社川辺の露岩の上に祠を建て、祓えの神であると同時に海上安全守護の神である住吉三神をまつる。BABC
京都府BCB
八嶋龍神26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社祠内に高さ50cm強の岩石が注連縄をかけられている。A磐座と石神の性格が混在している事例
京都府BA
立砂26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社細殿前にある2体の三角錐の砂山。神山を模したもので、元は神の憑依する依り代として造られたものだったが、これは清めの結界として機能している。この砂を持ち帰れば清めの砂として利用される。BCA砂
京都府BBB可動的性質
御阿礼神事の盛り砂26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社砂を盛り、その上に依り代である阿礼木を立てる。砂は依り代の座としての役割を担っている。BABB砂砂で依り代を造る。
降臨石26京都府京都市北区上賀茂神山 神山禁足地の神山の山頂にあり、賀茂別雷神が降臨したといわれる岩石。BA禁足地
京都府CA秘匿されている岩石
貴布禰26京都府京都市北区上賀茂神山 貴船神社京名石と銘打たれている岩石。詳細は調査不足につき不明。
立砂26京都府京都市北区上賀茂神山 貴船神社清めの結界として盛られた砂山。BCA砂
女夫岩26京都府北区上賀茂女夫岩町昔、鴨川が氾濫を起こした後に現れた2つの岩石。外見が伊勢の夫婦岩に似ていることから名付けられたという。当初は注連縄をして信仰対象にしていたが、今はまつられておらず小学校の校庭内で子供達の遊び場となっている。柊野ダムにある岩石と女夫岩は、地中で1つの岩としてつながっているという。A岩石が地下で広範囲に根を張っている伝承
京都府EC
霊巌26京都府北区西賀茂 船山 霊巌寺寺の門前にあったという巨岩。人が通れるほどの穴を下部に持ち、信仰対象だったという。天皇が行幸する時に邪魔だと思った寺の別当が岩を破壊したが、結局行幸はなく寺も衰滅したという。A今は存在しない岩石岩石を破壊したら廃寺となった。
神降窟/降神岩/香水窟26京都府京都市北区雲ヶ畑 岩屋山志明院延喜式内の天津石門別稚姫神社がまつられていたとされる岩窟。菅原道真が製作したという眼力不動をまつる。岩窟内からは鴨川の水源となる水が湧き出て、これは難病を治す香水と称して神聖視されている。C岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
京都府BAC
護摩洞窟26京都府京都市北区雲ヶ畑 岩屋山志明院弘法大師が護摩を焚いたという岩窟。BCE
船岡山 岩石群26京都府京都市北区紫野北舟岡町 船岡山平安宮の北を守護する玄武の磐座と目される山頂の露岩。それを証明する明確な記録はない。周辺から歴史時代の土師器片が散布。
大平和敬神 神石26京都府京都市北区紫野北舟岡町 船岡山大本教関係の修養団捧誠会という団体が昭和45年に立てた石碑。世界平和の神の神石とされる。A近代以降の命名
力石26京都府京都市北区紫野 今宮神社力比べで持ち上げられた岩石。BBD力石
京都府BBC可動的性質
阿呆賢さん/神占石/重軽石26京都府京都市北区紫野 今宮神社この石を手でなでて、自分の体の悪い部分をさすれば、その悪い部分が治癒されるという。また、この石を3回叩いて持ち上げると重くなり、祈願して優しく石を3度さすって石が軽くなったら成就という。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか石をなでて自分をさすると病気が治る。石を持ち上げて予想より軽くなったら祈願成就。
京都府可動的性質
京都府なでたりさすったり抱きついたりする
鏡石26京都府京都市北区衣笠鏡石町『鹿苑日録』の中で、天文5年(1536年)に鏡石が出現し、貴賎男女が競って参詣したといい、これに該当するとされる岩石。これを鏡にして女性が髪をといたとか、街道を通る牛が、鏡石に映った自分の姿に驚いて角で突いたとか、源義経が自分の姿を映したとか、紀貫之がこれをモチーフに和歌を詠んだという。昭和30年代に道路工事が行われた際に大部分が取り壊された。A岩石が改変されている
京都府EC突如出現した岩石
京都府鏡面を持つ岩石
衣笠山遺跡26京都府京都市北区衣笠衣笠山町山頂に岩盤が露出しており、平安時代の土器片が採集された遺物散布地。相関性は不明。
力石大神/力石大明神26京都府京都市北区等持院町 六請神社祈願した後に持ち上げることができれば成就という岩石。現在は持ち上げられることなく、祈願対象となっている。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか持ち上げられたら祈願成就の霊石。
京都府A力石
京都府可動的性質
六請神社の小石奉納26京都府京都市北区等持院町 六請神社力石大神は重いため、現在は小石に性別・年齢・祈願内容を記して神前に奉納しても成就するという。BBC可動的性質石に祈願内容を書いて神に奉納する。
京都府BBA
京都府BBD
神輿岩26京都府京都市北区小野中ノ町船形の平石で、かつてここに岩戸社が鎮座していたという。
岩戸社・落葉社 岩壁26京都府京都市北区小野中ノ町社殿の背後に大きな岩壁が存在するが、神聖視の有無は不明。
双ヶ岡 岩石群26京都府京都市右京区 双ヶ岡南側の峰の山腹に露出する岩盤群。古墳が近接
足跡石26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社親鸞の足跡が残る岩石。C休み石・腰掛石
座石26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社親鸞が座った岩石。C休み石・腰掛石
男岩(夫婦岩)26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社女岩とセット関係。夫婦和合・子宝安産の霊験を有する岩石。夫婦岩をなでて子宝を祈願し、夫婦岩の周囲を3度左回りして安産を祈願する。初宮詣の際は梅干を供えた後に幼児の鼻を梅干の皮でつまむ。元来は本殿付近にあったものを移設したという。Aなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでて、周囲を3度回る。梅干を供えて幼児の鼻をつまむ。
京都府BBD岩石の周囲を回る
京都府原位置から移動伝承
女岩(夫婦岩)26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社男岩とセット関係。夫婦和合・子宝安産の霊験を有する岩石。夫婦岩をなでて子宝を祈願し、夫婦岩の周囲を3度左回りして安産を祈願する。初宮詣の際は梅干を供えた後に幼児の鼻を梅干の皮でつまむ。梅干の種は女岩の中央の窪みに供えて子孫繁栄を祈願する。元来は本殿付近にあったものを移設したという。Aなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでて、周囲を3度回る。梅干を供えて幼児の鼻をつまむ。梅干の種を女岩の窪みに供える。
京都府BBD岩石の周囲を回る
京都府原位置から移動伝承
京都府置銭・投銭祭祀
京都府岩穴・窟
大酒神社 岩石祭祀事例26京都府京都市右京区太秦蜂岡町 大酒神社大酒神社が元来まつっていたという岩石。現存含め詳細不明。今現在確認がとれていない岩石
祈念神石26京都府京都市右京区嵯峨朝日町 車折神社境内の石を家に持ち帰り日夜祈願し続けると祈願成就。成就の際はお礼の言葉を書いた石をもう1個添えて社頭に供え、その集積が石塚となり神威を示す場所となる。BBD可動的性質岩石を家に持ち帰って祈りの道具にする。石に文字を書く。奉納物の集積が石塚となる。
京都府BBC岩石が満ち欠け・増減・出産する
京都府BBA
京都府CA
またげ石26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社境内の2個の岩石。嵯峨天皇妃の檀林皇后がこの岩石をまたいだところ子を授かったことから、同様のまたぎを行なうと子授け利益があるという。BBD岩石をまたいで子宝祈願。
京都府CC
産砂26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社檀林皇后が出産の際に敷いたとされる神社の白砂。安産のお守りとして授けられる。BCA砂砂を敷いて安産する。
京都府CC可動的性質
影向石/熊野影向石/三石26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社熊野から飛来してきた3羽の鳥が石化したという岩石。C生き物が石化したもの
猿田彦大神27京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社猿田彦大神の石神A
宇壽女命28京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社宇壽女命の石神A
源雅信墓26京都府京都市右京区御室 成就山宇多源氏の始祖である源雅信の墓とされる自然岩。BCA聖者が亡くなった場所自然石を墓標とする。
梅ヶ畑銅鐸出土地26京都府京都市右京区梅ヶ畑町山腹の「巨巌」裾の地表下から、弥生時代の銅鐸4点が入れ子になって2組状態で埋納されている状態で見つかった。御堂ヶ池群集墳が近接。「巨巌」は都市開発で消滅。古墳が近接巨岩の裾に銅鐸を入れ子にして埋納する。
京都府今は存在しない岩石
梅ヶ畑遺跡 岩塊26京都府京都市右京区梅ヶ畑町丘陵頂部に高さ1.5mの岩塊があり、その南に敷石平坦部が作られ、周囲から8世紀中葉~9世紀後葉の土器群、仏画線刻石製品1点が出土。敷石遺構は修験道の護摩壇と推測され、岩塊を祭祀対象にした平安京守護のための祭祀遺跡と考えられている。御堂ヶ池群集墳が近接。A古墳が近接山頂の自然の岩塊の前で石敷きの護摩壇を設けて都城守護の祭祀を行なう。
京都府BA磐座と石神の性格が混在している事例
梅ヶ畑遺跡 敷石遺構26京都府京都市右京区梅ヶ畑町丘陵頂部に高さ1.5mの岩塊があり、その南に敷石平坦部が作られ、周囲から8世紀中葉~9世紀後葉の土器群、仏画線刻石製品1点が出土。敷石遺構は修験道の護摩壇と推測され、岩塊を祭祀対象にした平安京守護のための祭祀遺跡と考えられている。御堂ヶ池群集墳が近接。BCD古墳が近接山頂の自然の岩塊の前で石敷きの護摩壇を設けて都城守護の祭祀を行なう。
さざれ石26京都府京都市右京区音戸山町 さざれ石山嵯峨天皇が好んで鑑賞したというさざれ石。EC
石椅子26京都府京都市右京区広沢町 児神社寛朝大僧正が広沢池のほとりで座禅をしていた時、傍らにいた子供(児神社祭神)が腰掛けていたという岩石。寿命・安産・縁結びに霊験があるという。CC休み石・腰掛石
児神社 岩石祭祀事例26京都府京都市右京区広沢町 児神社玉垣に囲われ、七福神が供えられている岩石。
広沢古墳 横穴式石室26京都府京都市右京区広沢町古墳時代の土器のほか、平安時代以降の素焼き土器や古銭などが見つかった。古墳石室を聖域空間として後世再利用したことが分かる。BCA遺物・遺構の再利用古墳の石室を中世の祭祀空間に再利用する。
広沢古墳 人面石/石神26京都府京都市右京区広沢町石室の横に建てられた木祠にまつられた石像。人面が彫られており、石室石材の転用ともいわれるが詳細沿革不明。A遺物・遺構の再利用
座禅石26京都府京都市右京区広沢町 遍照寺山寛朝大僧正がいつも座禅していた山腹の巨石。BCC
京都府C
児ヶ石26京都府京都市右京区広沢町 遍照寺山座禅石の下にある岩石。寛朝大僧正が座禅をしている傍ら、子供が枕にして眠っていたという岩石。C休み石・腰掛石
額立石26京都府京都市右京区高雄 神護寺弘法大師が「金剛峰寺」の額字を書いた時、額を立て掛けた岩石。C
硯石26京都府京都市右京区高雄 神護寺弘法大師が「金剛峰寺」の額字を書いた時、硯に使った岩石。C
神石/亀石26京都府京都市右京区 野宮神社祈りを込めてさすれば願いが叶うという岩石。なでられたからか表面は磨耗して光沢面を持つ。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
鏡石26京都府京都市西京区嵐山 檪谷宗像神社1244年、山崩れで崩壊してしまったという鏡石。今は存在しない岩石
座禅石26京都府京都市西京区嵐山夢窓疎石がいつもこの上で座禅をしていたという岩石。嵐山山頂付近にあったのが、今は中腹の大悲閣にあるという。BCC原位置から移動伝承
京都府C
磐座/ご神跡/ご鎮座場26京都府京都市西京区嵐山 松尾山山頂直下の急斜面上に露出する巨大な岩盤で、手前には人為的な集石が存在。山腹に松尾大社が建てられるまで祭祀が行なわれていたという場所。付近には松尾山群集墳が存在。かつて禁足地だったが現在は許可制で登拝可能。BA禁足地
京都府CA古墳が近接 November 11, 2025
1RP
経岩26京都府京都市山科区修行僧がこの岩石の上で経を読んだという。道路工事を請けて一部損壊したという。BCE岩石が改変されている仏僧が岩石の上で読経する。
陰岩(陰陽岩/岩屋殿/奥之院)26京都府京都市山科区大宅中小路町 岩屋神社岩屋神社信仰の発祥といわれる石座。麓に社殿が建てられるまで栲幡千々姫命をまつっていた。陰岩の窪みにたまる水は霊水として信仰されたが、現在この水は枯れている。BA岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
京都府CA
陽岩(陰陽岩/岩屋殿/奥之院)26京都府京都市山科区大宅中小路町 岩屋神社岩屋神社信仰の発祥といわれる石座。麓に社殿が建てられるまで天忍穂耳命をまつっていた。BA
京都府CA
琵琶石26京都府京都市山科区四ノ宮在地町 諸羽神社人康親王が琵琶を弾きながら座っていた岩石。隣接する岩坐には注連縄と賽銭箱がある一方、琵琶石には全くないため祭祀・神聖視の段階には入っていないと考えられる。EC
岩坐26京都府京都市山科区四ノ宮在地町 諸羽神社立板状の岩石。由来不詳。C
影向石26京都府京都市山科区日ノ岡夷谷町 日向大神宮高さ約1mの立石。由来不詳。
天の岩戸26京都府京都市山科区日ノ岡夷谷町 日向大神宮人工的に穴を掘った洞穴。内部には戸隠神社の祠がまつられており、岩戸くぐりをすれば開運厄除という。CB胎内くぐり
京都府BBD
京都府BAC
かへし石/力石26京都府京都市伏見区深草鳥居崎町 藤森神社3個の岩石。京都所司代の巡検時に、この岩石をひっくり返しながら拝殿から鳥居まで転がした。氏子が持ち上げて力自慢をしたともいう。BBD可動的性質重い岩石を持ち上げたり転がしたりして、その力を誇示する。
京都府力石
京都府岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか
大岩26京都府京都市伏見区深草向ヶ原町 大岩神社男女二人の神がそれぞれが重い病気にかかった際に、互いの献身的な看病によって病を治したことから、土地の者がその徳をたたえて神社を造り、大岩を男の神としてまつったという。A神々が偉業を成し遂げたので、村人が神社を造ってまつる。
小岩26京都府京都市伏見区深草向ヶ原町 小岩神社男女二人の神がそれぞれが重い病気にかかった際に、互いの献身的な看病によって病を治したことから、土地の者がその徳をたたえて神社を造り、小岩を女の神としてまつったという。A神々が偉業を成し遂げたので、村人が神社を造ってまつる。
奥社 立石26京都府京都市伏見区深草 伏見稲荷大社稲荷山を遥拝するための奉拝所とされる立石。BAA
京都府BBA
おもかる石26京都府京都市伏見区深草 伏見稲荷大社2基の石灯籠の頂部に乗る空輪。石灯籠の前で祈願をして、その後におもかる石を持ち上げた時、予想していたより重ければ願いは叶わず、予想よりも軽ければ願いは叶うという。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか岩石を持ち上げて、予想よりも重いか軽いかで占う。
京都府可動的性質
御饌石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山酒を注いだ素焼き土器70枚を御饌石の上に供え、神に生産豊穣を祈るという「山上の儀」が行なわれる。御饌石の前には、祭祀を行なう神職者専用の台座石が設置されている。BCD台座石の上に神職が座り、酒を注いだ素焼き土器70枚を御饌石の上に供える。
京都府BCC
剱石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山人の丈より高いもので、緑がかった剱状の岩石。御剱社の社殿内にあり、剣に似た形状なので、鍛冶・金物関連の霊験を持つ岩石として信仰される。A秘匿されている岩石
雷石26京都府京都市伏見区深草 稲荷山昔ここで激しい雷が落ち、神が呪文を唱えこの岩石に雷を縛り封じたという。古くからの神跡として神聖視される。BBB聖者が与えた霊石神が雷を岩石に封じ込める。
力お大明神26京都府京都市伏見区深草 稲荷山祠の横に露岩あり。詳細は調査不足につき不明。
大岩大神26京都府京都市伏見区深草 稲荷山岩盤を大岩大神としてまつる社。A
稲荷下社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
稲荷中社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
稲荷上社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
長者社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
荷田社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
田中社神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
御膳谷神蹟26京都府京都市伏見区深草 稲荷山かつて、神を迎えて祭りを行なったとされる場で、伏見稲荷大社が定める正式なお塚。現在、神蹟であることを示す標石が設置されている。BCA古来の神蹟であることを明示するために標石を置く。
お塚26京都府京都市伏見区深草 稲荷山岩石に神名を刻み山中に立てることで、神と参拝者の交流場としたもので、幕末・明治以降に参拝者個々人が設けた。山中に約1万基存在。BAA山中に、神名を刻した岩石を置き、自分だけの神を迎える場とする。
冠石26京都府京都市伏見区竹田浄菩提院町鳥羽上皇が鳥羽離宮を整備した時、この岩石の上に冠を置き、これを中心に設備を整えたという。EC
雷石26京都府京都市南区東九条札辻町 宇賀神社天から降ってきた岩石。あるいは、神から怒られた雷が、2度と雷を起こさないために石化したという岩石。BBB生き物が石化したもの雷を落とすなと神に怒られたので、石化する。
寛算石26京都府京都市南区西九条蔵王町筑紫国安楽寺の僧・寛算が、死後雷と化して京に禍をもたらした後、この地に落ちて石化したという岩石。後世、歯の治癒に霊験があり「歯神さま」としてまつられる。EA生き物が石化したもの神前に竹箸を供え、その箸で食事をすると歯の病に効果があり、お礼に代わりの竹箸を供える。
京都府BBB祟り伝承
京都府A
仙遊石26京都府京都市東山区 来迎院山仙人が降臨してここで遊んだという。数個の自然石からなり、その前に供物台を置いている。宮内庁陵墓管理地につき立入禁止という。C禁足地
恋占いの石/めくら石26京都府京都市東山区清水 地主神社同じ形状をした2つの岩石が距離を離して置かれている。目をつぶり、片方からもう片方までうまく辿り着いたら恋愛成就するという。岩石表面に銘板を埋め込んでいる。BBD岩石が改変されている目をつぶって、ある岩石から別の岩石へ歩いて占う。
子授け石26京都府京都市東山区 三島神社約150年前に地中から出てきた2つの岩石。陰陽の形状をしており、これを撫でた手でお腹をさすると安産という。BBDなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでた後に、自分の体をさする。
念仏石/鐘代わり石/カンカン石26京都府京都市東山区 青龍寺/伽羅観音本堂前に大小2つの岩石があり、天から降ってきた隕石という。勤行に際して鐘の替わりにこの石を叩いて念仏の調子をとったという。金属音が鳴る。諸願成就の霊石としての信仰もある。BE岩石に損傷を加える行為岩石を念仏の鐘代わりに叩く。
京都府BBD岩石から音声が聞こえる
縁切り・縁結び祈願石26京都府京都市東山区 安井金毘羅宮中央に亀裂が入り、下部に円形の穴を持つ岩石。縁結び・縁切りの願いを書いた形代を岩石に貼り付けて願掛けする。BBD岩穴・窟岩石に願い事を書いた形代を貼り付ける。
瓜生石26京都府京都市東山区林下町 知恩院知恩院が作られる以前から存在していたという岩石。一夜にして瓜生石に瓜のつるが繁り、実がなったという。これは祇園の牛頭天王が瓜生石の上にも降臨したからだとも、感神院新宮の神札が置かれていたのでその神威によるともいう。瓜生石の地中には、二条城への抜け道が隠されているという。BABAどこか遠い場所とつながっている岩石に一夜にして瓜の実がなる。それは岩石の上に牛頭天王が降りたとも、神札が置かれたともいう。9/14の丑の刻に、神列が瓜生石の周りを三回回る「れいけん」という祭祀が行なわれる。
京都府BABB岩石の周囲を回る
影向石26京都府京都市東山区林下町 知恩院勢至堂向かって右側の崖下の岩盤。法然が臨終を迎えた時、加茂明神がこの石の上に降臨したと伝えられる。BABA聖者が亡くなった場所
慈鎮石/慈鎮坐禅石/和尚石26京都府京都市東山区林下町 知恩院慈鎮(慈円)和尚の座禅石。元々は山門の前にあったが天和年間(1681~1684)に現在地へ移され、庭園の一角を彩る庭石となった。BCC原位置から移動伝承和尚の座禅石を庭石に転用する。
京都府C
京都府EC
二十五菩薩の庭26京都府京都市東山区林下町 知恩院知恩院所蔵「阿弥陀如来二十五菩薩来迎の図」をモチーフに作られた石庭で、石が仏菩薩、植え込みが来迎雲を表している。EC
三尊石26京都府京都市東山区林下町 知恩院方丈庭園の奥にある山亭庭園の北西隅に配された庭石。阿弥陀三尊を表現するという。EC
仏足石26京都府京都市東山区林下町 知恩院大理石の仏足石で、直立してある。C
修学院守禅庵遺跡/修学院磐座26京都府京都市左京区修学院守禅庵比叡山の登山口に存在する岩石。岩石の手前から359点の18世紀の土師器皿片を採集。一部には煤が付いていたという。現在、岩石手前には竹に紙垂が付けられた玉串が立てられている。火が絡む祭祀山裾の岩石の手前に、一部煤の付いた土師器皿を置く。
熊谷直実腰掛石26京都府京都市左京区大原勝林院町武士で法然の弟子となった熊谷直実が腰掛けた岩石。EC休み石・腰掛石
紫雲石26京都府京都市左京区黒谷町 黒谷金戒光明寺霊地を求めていた法然がこの岩石の上で念仏を唱えると、紫雲が広がり光が差し込んだことから、この地に寺を開基した。BCC
京都府C
白川子安観世音26京都府京都市左京区北白川鎌倉時代製作の巨大な石仏。白川女が商いを行なう時は、事前にここに花を供えるという。A女商人が商いを行なう前に石仏に花を供える。
弁慶背競石26京都府京都市左京区八瀬秋元町八瀬天満宮の石鳥居南側に立つ高さ2.4mの立石。弁慶が比叡山西塔より持ってきて、下山の度にこの岩石と背比べをしたという。EC原位置から移動伝承
菅公腰掛石26京都府京都市左京区八瀬秋元町 八瀬天満宮祭神である菅原道真が腰掛けた岩石。C休み石・腰掛石
義朝駒飛石26京都府京都市左京区八瀬源義朝が平治の乱に敗れ東国に敗走中、馬に乗ったまま飛び越えたという岩石。EC
真守鉄盤石26京都府京都市左京区大原野村町平安後期の刀工である大原真守が、この岩石と傍にある井泉を使って刀剣鍛冶を行なったという。EC
獅子飛石26京都府京都市左京区来迎院町 来迎院獅子がうずくまったような形状の岩石。聖応大師良忍が文殊の秘法を修していた時、この岩石が獅子となって飛び回ったという。C生き物が石化したもの
袈裟かけ石26京都府京都市左京区来迎院町 勝林院童子が阿闍梨の袈裟を洗濯し、それを乾かすためにこの岩石の上にかけた。BE聖者の装束を洗濯して、岩石の上で乾かす。
京都府EC
法然腰掛石26京都府京都市左京区来迎院町 勝林院法然が腰掛けて休んだ岩石。C
岩上神社26京都府京都市北区松ヶ崎町兵庫県明石の海中で霊光を発していた岩石。当地に持ってきて神社をまつったという。A岩石から煙・光・火・気などが出る
京都府原位置から移動伝承
京都府可動的性質
山住神社/岩倉/北岩倉/石座/石蔵26京都府京都市左京区岩倉西河原町 山住神社石座神社の旧社地で御旅所とされる山裾の露岩。桓武天皇が平安京の東西南北に一切経を埋納したという四岩倉の内の北岩倉と考えられている。BA
京都府BCD
京都府CA
翔雲台 経塚石材26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山本殿金堂裏から発見された平安時代の経塚の蓋石。BCD原位置から移動伝承
京都府経塚関係
背比べ石26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山遮那王尊(源義経)が頼朝に追われ奥州に逃れる時、若き日を過ごした鞍馬に名残を惜しみ、この石と自分の背丈を比べたという岩石。C
魔王殿 岩石群26京都府京都市左京区鞍馬本町 鞍馬山護法魔王尊が降臨した磐座とされる多数の石灰岩の露頭。BCA
京都府C
船形石26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山玉依姫命が貴船川を上る時に乗っていた船を石積で覆って秘匿したもの。船形石の小石を持って帰れば交通安全の霊験がある。CC祭神の乗っていた船を石を積んで隠す。その石を持って帰れば霊験がある。
鏡岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山貴船山の中腹にあり、貴船神社祭神のタカオカミノカミが降臨したという磐座。BA禁足地
京都府C秘匿されている岩石
つづみが岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山鼓の形状に似ていることから名付けられた名石。EC
天の磐船26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山近くの山奥から採出された船形の自然石を、神社の信奉者が奉献してこの名を付けた。BBC近くで採れた形の良い岩石を奉納する。
石庭「天津磐境」26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山作庭家である重森三玲氏が作った石庭。EC
蛍岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山和泉式部がこの場所で蛍を見て、和歌を詠んだという。EC
烏帽子岩26京都府京都市左京区鞍馬貴船町 貴船山大宮人が烏帽子を下ろして休息した岩石。参拝者がここで冷水を浴びて身を清めた場所ともいう。EC休み石・腰掛石
京都府BCB
弁慶石26京都府京都市中京区弁慶石町弁慶が生前大切にしていた岩石。弁慶の死後、奥州高館にあったが岩石が「三条京極に行きたい」と発声鳴動し、付近に熱病が蔓延したため、享徳3年(1454年)、この石を三条京極に安置した。EC原位置から移動伝承偉人が大切にしていた岩石が祟りをなすので、希望通り場所を移す。
京都府EA祟り伝承
京都府岩石から音声が聞こえる
京都府岩石が動く
猿田彦大神御神石/御石さん26京都府京都市上京区大倭国最初御降臨旧跡地とされる岩石。霊験のある岩石だが触れると祟りがあるという。平安京の鬼門を鎮める塞神の性格も有すると考えられる。BAA
京都府BBB
京都府CC
岩神さん/禿童石26京都府京都市上京区大黒町菅原道真の死後、道真の乳母がこの岩石を抱いて泣いたといい、その度に落雷が起こったという。元々は二条城の南辺りにあり、別の場所に移したところ岩石が吠えたり子供に化けたりしたので、仏僧が現在地に移して岩神寺の本尊としてまつった。現在は授乳の神として信仰される。EA祟り伝承祟りのある岩石を仏僧がまつる。落雷を落とす→子供に化ける→授乳の神と変遷する。
京都府A岩石から音声が聞こえる
京都府原位置から移動伝承
京都府可動的性質
登天石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮菅原道真の祟りで雷雨・氾濫が起こった時、法性坊尊意僧正が数珠(神剣)をかざすと、氾濫した川水が下がりその中から、岩石の上に立つ道真が現れた。雷雨が止み、道真は昇天していった。岩石は尊意によって供養をされた後、現在地に安置された。BABA原位置から移動伝承岩石の上に霊が立ち、そして昇天する。
京都府C
出世石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮出世した人が寄進した岩石。BBC
玉子石26京都府京都市上京区扇町 水火天満宮妊娠5ヶ月目に拝むと安産になるという岩石。BBD
蛇の枕/雨石26京都府京都市北区上賀茂本山 大田神社蛇が枕としていたという岩石。農具などでこの岩石を叩くと蛇が怒って雨を降らせるという。BBD信仰対象の荒ぶりを恩恵に変える祭祀農具などで岩石を叩くと雨が降る。
岩上26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社葵祭の時、宮司がこの岩の上に座して、賀茂神が宮司の体を通して返祝詞(神の意思)を発する。BABB祭祀執行者であり信仰対象岩石に司祭者が座ると、神が司祭者に憑依して託宣をする。
京都府BCC
岩本社26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社川辺の露岩の上に祠を建て、祓えの神であると同時に海上安全守護の神である住吉三神をまつる。BABC
京都府BCB
八嶋龍神26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社祠内に高さ50cm強の岩石が注連縄をかけられている。A磐座と石神の性格が混在している事例
京都府BA
立砂26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社細殿前にある2体の三角錐の砂山。神山を模したもので、元は神の憑依する依り代として造られたものだったが、これは清めの結界として機能している。この砂を持ち帰れば清めの砂として利用される。BCA砂
京都府BBB可動的性質
御阿礼神事の盛り砂26京都府京都市北区上賀茂本山 賀茂別雷神社砂を盛り、その上に依り代である阿礼木を立てる。砂は依り代の座としての役割を担っている。BABB砂砂で依り代を造る。
降臨石26京都府京都市北区上賀茂神山 神山禁足地の神山の山頂にあり、賀茂別雷神が降臨したといわれる岩石。BA禁足地
京都府CA秘匿されている岩石
貴布禰26京都府京都市北区上賀茂神山 貴船神社京名石と銘打たれている岩石。詳細は調査不足につき不明。
立砂26京都府京都市北区上賀茂神山 貴船神社清めの結界として盛られた砂山。BCA砂
女夫岩26京都府北区上賀茂女夫岩町昔、鴨川が氾濫を起こした後に現れた2つの岩石。外見が伊勢の夫婦岩に似ていることから名付けられたという。当初は注連縄をして信仰対象にしていたが、今はまつられておらず小学校の校庭内で子供達の遊び場となっている。柊野ダムにある岩石と女夫岩は、地中で1つの岩としてつながっているという。A岩石が地下で広範囲に根を張っている伝承
京都府EC
霊巌26京都府北区西賀茂 船山 霊巌寺寺の門前にあったという巨岩。人が通れるほどの穴を下部に持ち、信仰対象だったという。天皇が行幸する時に邪魔だと思った寺の別当が岩を破壊したが、結局行幸はなく寺も衰滅したという。A今は存在しない岩石岩石を破壊したら廃寺となった。
神降窟/降神岩/香水窟26京都府京都市北区雲ヶ畑 岩屋山志明院延喜式内の天津石門別稚姫神社がまつられていたとされる岩窟。菅原道真が製作したという眼力不動をまつる。岩窟内からは鴨川の水源となる水が湧き出て、これは難病を治す香水と称して神聖視されている。C岩石に付随して恩恵の水・湯が存在する
京都府BAC
護摩洞窟26京都府京都市北区雲ヶ畑 岩屋山志明院弘法大師が護摩を焚いたという岩窟。BCE
船岡山 岩石群26京都府京都市北区紫野北舟岡町 船岡山平安宮の北を守護する玄武の磐座と目される山頂の露岩。それを証明する明確な記録はない。周辺から歴史時代の土師器片が散布。
大平和敬神 神石26京都府京都市北区紫野北舟岡町 船岡山大本教関係の修養団捧誠会という団体が昭和45年に立てた石碑。世界平和の神の神石とされる。A近代以降の命名
力石26京都府京都市北区紫野 今宮神社力比べで持ち上げられた岩石。BBD力石
京都府BBC可動的性質
阿呆賢さん/神占石/重軽石26京都府京都市北区紫野 今宮神社この石を手でなでて、自分の体の悪い部分をさすれば、その悪い部分が治癒されるという。また、この石を3回叩いて持ち上げると重くなり、祈願して優しく石を3度さすって石が軽くなったら成就という。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか石をなでて自分をさすると病気が治る。石を持ち上げて予想より軽くなったら祈願成就。
京都府可動的性質
京都府なでたりさすったり抱きついたりする
鏡石26京都府京都市北区衣笠鏡石町『鹿苑日録』の中で、天文5年(1536年)に鏡石が出現し、貴賎男女が競って参詣したといい、これに該当するとされる岩石。これを鏡にして女性が髪をといたとか、街道を通る牛が、鏡石に映った自分の姿に驚いて角で突いたとか、源義経が自分の姿を映したとか、紀貫之がこれをモチーフに和歌を詠んだという。昭和30年代に道路工事が行われた際に大部分が取り壊された。A岩石が改変されている
京都府EC突如出現した岩石
京都府鏡面を持つ岩石
衣笠山遺跡26京都府京都市北区衣笠衣笠山町山頂に岩盤が露出しており、平安時代の土器片が採集された遺物散布地。相関性は不明。
力石大神/力石大明神26京都府京都市北区等持院町 六請神社祈願した後に持ち上げることができれば成就という岩石。現在は持ち上げられることなく、祈願対象となっている。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか持ち上げられたら祈願成就の霊石。
京都府A力石
京都府可動的性質
六請神社の小石奉納26京都府京都市北区等持院町 六請神社力石大神は重いため、現在は小石に性別・年齢・祈願内容を記して神前に奉納しても成就するという。BBC可動的性質石に祈願内容を書いて神に奉納する。
京都府BBA
京都府BBD
神輿岩26京都府京都市北区小野中ノ町船形の平石で、かつてここに岩戸社が鎮座していたという。
岩戸社・落葉社 岩壁26京都府京都市北区小野中ノ町社殿の背後に大きな岩壁が存在するが、神聖視の有無は不明。
双ヶ岡 岩石群26京都府京都市右京区 双ヶ岡南側の峰の山腹に露出する岩盤群。古墳が近接
足跡石26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社親鸞の足跡が残る岩石。C休み石・腰掛石
座石26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社親鸞が座った岩石。C休み石・腰掛石
男岩(夫婦岩)26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社女岩とセット関係。夫婦和合・子宝安産の霊験を有する岩石。夫婦岩をなでて子宝を祈願し、夫婦岩の周囲を3度左回りして安産を祈願する。初宮詣の際は梅干を供えた後に幼児の鼻を梅干の皮でつまむ。元来は本殿付近にあったものを移設したという。Aなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでて、周囲を3度回る。梅干を供えて幼児の鼻をつまむ。
京都府BBD岩石の周囲を回る
京都府原位置から移動伝承
女岩(夫婦岩)26京都府京都市右京区山ノ内宮脇町 山王神社男岩とセット関係。夫婦和合・子宝安産の霊験を有する岩石。夫婦岩をなでて子宝を祈願し、夫婦岩の周囲を3度左回りして安産を祈願する。初宮詣の際は梅干を供えた後に幼児の鼻を梅干の皮でつまむ。梅干の種は女岩の中央の窪みに供えて子孫繁栄を祈願する。元来は本殿付近にあったものを移設したという。Aなでたりさすったり抱きついたりする岩石をなでて、周囲を3度回る。梅干を供えて幼児の鼻をつまむ。梅干の種を女岩の窪みに供える。
京都府BBD岩石の周囲を回る
京都府原位置から移動伝承
京都府置銭・投銭祭祀
京都府岩穴・窟
大酒神社 岩石祭祀事例26京都府京都市右京区太秦蜂岡町 大酒神社大酒神社が元来まつっていたという岩石。現存含め詳細不明。今現在確認がとれていない岩石
祈念神石26京都府京都市右京区嵯峨朝日町 車折神社境内の石を家に持ち帰り日夜祈願し続けると祈願成就。成就の際はお礼の言葉を書いた石をもう1個添えて社頭に供え、その集積が石塚となり神威を示す場所となる。BBD可動的性質岩石を家に持ち帰って祈りの道具にする。石に文字を書く。奉納物の集積が石塚となる。
京都府BBC岩石が満ち欠け・増減・出産する
京都府BBA
京都府CA
またげ石26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社境内の2個の岩石。嵯峨天皇妃の檀林皇后がこの岩石をまたいだところ子を授かったことから、同様のまたぎを行なうと子授け利益があるという。BBD岩石をまたいで子宝祈願。
京都府CC
産砂26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社檀林皇后が出産の際に敷いたとされる神社の白砂。安産のお守りとして授けられる。BCA砂砂を敷いて安産する。
京都府CC可動的性質
影向石/熊野影向石/三石26京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社熊野から飛来してきた3羽の鳥が石化したという岩石。C生き物が石化したもの
猿田彦大神27京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社猿田彦大神の石神A
宇壽女命28京都府京都市右京区梅津フケノ川町 梅宮大社宇壽女命の石神A
源雅信墓26京都府京都市右京区御室 成就山宇多源氏の始祖である源雅信の墓とされる自然岩。BCA聖者が亡くなった場所自然石を墓標とする。
梅ヶ畑銅鐸出土地26京都府京都市右京区梅ヶ畑町山腹の「巨巌」裾の地表下から、弥生時代の銅鐸4点が入れ子になって2組状態で埋納されている状態で見つかった。御堂ヶ池群集墳が近接。「巨巌」は都市開発で消滅。古墳が近接巨岩の裾に銅鐸を入れ子にして埋納する。
京都府今は存在しない岩石
梅ヶ畑遺跡 岩塊26京都府京都市右京区梅ヶ畑町丘陵頂部に高さ1.5mの岩塊があり、その南に敷石平坦部が作られ、周囲から8世紀中葉~9世紀後葉の土器群、仏画線刻石製品1点が出土。敷石遺構は修験道の護摩壇と推測され、岩塊を祭祀対象にした平安京守護のための祭祀遺跡と考えられている。御堂ヶ池群集墳が近接。A古墳が近接山頂の自然の岩塊の前で石敷きの護摩壇を設けて都城守護の祭祀を行なう。
京都府BA磐座と石神の性格が混在している事例
梅ヶ畑遺跡 敷石遺構26京都府京都市右京区梅ヶ畑町丘陵頂部に高さ1.5mの岩塊があり、その南に敷石平坦部が作られ、周囲から8世紀中葉~9世紀後葉の土器群、仏画線刻石製品1点が出土。敷石遺構は修験道の護摩壇と推測され、岩塊を祭祀対象にした平安京守護のための祭祀遺跡と考えられている。御堂ヶ池群集墳が近接。BCD古墳が近接山頂の自然の岩塊の前で石敷きの護摩壇を設けて都城守護の祭祀を行なう。
さざれ石26京都府京都市右京区音戸山町 さざれ石山嵯峨天皇が好んで鑑賞したというさざれ石。EC
石椅子26京都府京都市右京区広沢町 児神社寛朝大僧正が広沢池のほとりで座禅をしていた時、傍らにいた子供(児神社祭神)が腰掛けていたという岩石。寿命・安産・縁結びに霊験があるという。CC休み石・腰掛石
児神社 岩石祭祀事例26京都府京都市右京区広沢町 児神社玉垣に囲われ、七福神が供えられている岩石。
広沢古墳 横穴式石室26京都府京都市右京区広沢町古墳時代の土器のほか、平安時代以降の素焼き土器や古銭などが見つかった。古墳石室を聖域空間として後世再利用したことが分かる。BCA遺物・遺構の再利用古墳の石室を中世の祭祀空間に再利用する。
広沢古墳 人面石/石神26京都府京都市右京区広沢町石室の横に建てられた木祠にまつられた石像。人面が彫られており、石室石材の転用ともいわれるが詳細沿革不明。A遺物・遺構の再利用
座禅石26京都府京都市右京区広沢町 遍照寺山寛朝大僧正がいつも座禅していた山腹の巨石。BCC
京都府C
児ヶ石26京都府京都市右京区広沢町 遍照寺山座禅石の下にある岩石。寛朝大僧正が座禅をしている傍ら、子供が枕にして眠っていたという岩石。C休み石・腰掛石
額立石26京都府京都市右京区高雄 神護寺弘法大師が「金剛峰寺」の額字を書いた時、額を立て掛けた岩石。C
硯石26京都府京都市右京区高雄 神護寺弘法大師が「金剛峰寺」の額字を書いた時、硯に使った岩石。C
神石/亀石26京都府京都市右京区 野宮神社祈りを込めてさすれば願いが叶うという岩石。なでられたからか表面は磨耗して光沢面を持つ。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
鏡石26京都府京都市西京区嵐山 檪谷宗像神社1244年、山崩れで崩壊してしまったという鏡石。今は存在しない岩石
座禅石26京都府京都市西京区嵐山夢窓疎石がいつもこの上で座禅をしていたという岩石。嵐山山頂付近にあったのが、今は中腹の大悲閣にあるという。BCC原位置から移動伝承
京都府C
磐座/ご神跡/ご鎮座場26京都府京都市西京区嵐山 松尾山山頂直下の急斜面上に露出する巨大な岩盤で、手前には人為的な集石が存在。山腹に松尾大社が建てられるまで祭祀が行なわれていたという場所。付近には松尾山群集墳が存在。かつて禁足地だったが現在は許可制で登拝可能。BA禁足地
京都府CA古墳が近接 November 11, 2025
1RP
時代祭も葵祭も祇園祭も根っからの京都の人はあまり行きたがらない。
そうかも。
行ってる人も居るやろうけど避けたい場所かもな😂(笑)
よく「京都いいですよねー!」って言ってもらうけど「え、何も無いで」ってなる😂 November 11, 2025
[第1弾] 鴨川ホルモー このごろ都にはやるもの、勧誘、貧乏、一目ぼれ。葵祭の帰り道、ふと渡されたビラ一枚。腹を空かせた新入生、文句に誘われノコノコと、出向いた先で見たものは、世にも華麗な女(鼻)でした。このごろ都にはやるもの、協定、合戦、片思い。 https://t.co/j1QYjFDTdy November 11, 2025
初期にさつきさんが反応してくださってたまげた懐かしい思い出。日出処の天子!それもありですね、私京都の葵祭とかこじつけしてました! https://t.co/kvqG2SOWoF November 11, 2025
@smgm_mitarashi 世界遺産
賀茂御祖神社
みたらし授与所様
御手洗社
御祭神瀬織津姫様
賀茂祭(葵祭)
「斎王代様御禊の儀」
「足つけ神事」
「矢取り神事」
とても清らかに
神さま御手洗池
嘉き縁を賜わり
ありがとうございます。
深謝合掌☘️☘️☘️🙏 November 11, 2025
【葵祭2025】
11月の1日、2日に私たち鈴木ゼミ立川班が所属する東京経済大学で葵祭という学園祭が行われました!
今年の葵祭では、国分寺にまつわるクイズ×わなげゲームを開催して、200人を超える人たちに来ていただきました!来ていただいた皆さんありがとうございました! https://t.co/iAT3mFqXmr November 11, 2025
京都市南区の警察署の刑事3名は、私のポスト📮を見ていると言っていた。
2023.6京都市南区に住んでいる時、刑事3名がXに投稿している明仁の件で接触してきた。
葵祭の時だ。 November 11, 2025
葵祭ライブ2025『響』
改めまして、11月1日(土)にご来場いただきありがとうございました🙇♀️たくさんの方々にお越しいただけてサークル員一同とても嬉しかったです!!
次のライブは3月5日(木)春ライブになります🌸
今後もSNS更新していくので是非チェックしてください👋 https://t.co/8GRu0X518d November 11, 2025
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