菅原道真 トレンド
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2025.11.27
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菅原道真に関するポスト数は前日に比べ60%減少しました。男性の比率は47%増加しました。本日話題になっているキーワードは「天皇陛下」です。
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笑い石37香川県三豊市仁尾町 大蔦島陰石状の岩石で姫岩神社とも呼ばれる。神楽石と一緒に参ると家庭円満という。A
桃太郎岩37香川県三豊市仁尾町 大蔦島桃太郎伝説になぞらえた岩石。C
烏帽子岩37香川県三豊市仁尾町 大蔦島烏帽子の形状に似た岩石。EC
ひき石37香川県三豊市仁尾町 大蔦島島の沿岸に集まる3個の岩石。人によって見えるものが違うという。
平石37香川県三豊市仁尾町 大蔦島島の沿岸に浮かぶ頂面平らの岩礁。EC
弁天岩/立石38愛媛県越智郡上島町 生名島高さ約5mの立石。生名島で採れない石材といわれるが原産地は不明。A
立石山遺跡38愛媛県越智郡上島町 生名島島頂に大小の岩石が群集しており、そこから弥生中期・古墳時代の遺物出土。弥生時代の遺物は祭祀用というよりも高地性集落説が高い。岩石群の合間から弥生土器・小型円筒形磨き石・石斧・石鏃・石包丁・ナイフ形石器・須恵器・土師器・貝殻類・川原石の出土。
磐座38愛媛県四国中央市三島中央1丁目 三島神社玉垣内に囲まれた空間内に大小の岩石群が存在。屋敷神の旧鎮座地といわれている。C
竜宝石/鯛寄せの石38愛媛県四国中央市三島中央1丁目 三島神社元々は沖合いにあった岩石でここから毎日鯛が釣れるため、神秘的な岩石と思った庄屋が自宅の庭に岩石を運搬してきたところ不幸が相次いだ。毎日海水を岩石にかけて海の神を拝んだところ災いは収まった。明治時代になって庄屋の子孫が三島神社に奉納した。A祟り伝承鯛が寄ってくる岩石を欲しいと思って自宅に持ち込んだ人に対して祟りを起こす。祟りを鎮めるため岩石に海水をかける。その後神社に奉納する。
愛媛県BBC水をかける・水に漬かる
愛媛県原位置から移動伝承
愛媛県可動的性質
立石遺跡38愛媛県四国中央市土居町津根字立石巨石下から銅矛先端1点出土。
天狗岳38愛媛県西条市 石槌山石鎚毘古命そのものを表す岩山。A頂上が岩山
天柱石38愛媛県西条市 石槌山
牛石/入日滝遺跡38愛媛県今治市大三島町台入日滝安神山南麓の台川上流入日滝にある「牛石」という岩石の中から集中して手捏土器約20点・土師器約1000点出土。
甑石38愛媛県松山市北条除夜に炊事の湯気が立ち上るという高さ6mの白石。甑石を砕いた石片を火打石にする風習があり、その代替に別の小石を乗せておくと甑石と一体化して甑石が損傷することはないという。EB岩石に損傷を加える行為岩石を欠く代わりに別の岩石を乗せておく。
愛媛県岩石が満ち欠け・増減・出産する
愛媛県岩石から煙・光・火・気などが出る
弥勒様38愛媛県大洲市 神南山女神南の頂上にある2体の立石を中心とする岩石群。雨乞いの霊験があるという。A
オショウブ岩38愛媛県大洲市 神南山山頂にあり、下部に洞穴状の岩屋を有する岩石。
ドンビ岩38愛媛県大洲市 神南山卵形の岩石。
八畳岩38愛媛県大洲市 神南山ドンビ岩の直下十数町の位置にある扁平楕円形の緑泥片岩。この岩石の下には金の茶釜が眠っていると伝えられている。EC黄金の何かが隠されているという伝説
盤珪禅師の座禅石/如法寺山頂巨石遺跡38愛媛県大洲市 冨士山/如法寺山山頂にある机状の岩石。盤珪禅師の座禅石。C休み石・腰掛石
仏岩/高山メンヒル38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山高さ4.75mの立石。岩石の表側は仏菩薩で、岩石の裏側は神が宿るとされる。かつて石材として麓に運び出されたが、翌日には元の場所に戻っていたという。眼の病に霊験がある。鳥居龍蔵によりメンヒル認定された代表例としても有名。A岩石が動く
愛媛県眼病に効く
愛媛県近代以降の命名
疣岩38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山高さ約2mの岩石。
神石38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山神田神社の下にあるドルメン状の岩石。神石として畏敬されているという。A
通仙岳38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山信仰対象としての霊石。A
高地イラズ38愛媛県大洲市高山ニシノミヤ 高山寺山/高山通仙岳の上部の山頂に広がる岩石群。地元の人が近づかなかった場所。BCA禁足地
朝立台遺跡38愛媛県西予市三瓶町朝立山腹にある巨石の周辺と山麓から古墳後期の土師器出土。
覗き石39高知県高岡郡檮原町-愛媛県上浮穴郡久万高原町 地芳峠峠にあり穴が貫通した岩石が立つ。高知側の永野・峰の段集落の人々が6/28に石槌山を遥拝する場所。BBA石に開いた穴を通して遠くの山を遥拝する。
灯明巌39高知県安芸郡安田町唐浜岬に屹立する岩石。夜や異変の前触れには岩が発光するという。EB岩石から煙・光・火・気などが出る
礫石39高知県高知市一宮町 土佐神社別の場所に鎮まっていた神が、新しい鎮座地を求めて放り投げて落ちた岩石。土佐神社鎮座の起源を物語る神跡。C
禊岩39高知県高知市一宮町 土佐神社禊神事を行なう斎場にあり、祓の神徳がある岩石。河川工事に伴い現在地に移転された。BCB可動的性質
高知県Aここで自らを整える・清める
大山祇神社の岩39高知県高知市天神町 潮江天満宮本殿の裏にある岩石。岩石の上に石祠がまつられている。BABC
八畳岩39高知県高知市柴巻麓・太平洋の眺望が良い平たい岩場。EC
ゴトゴト石39高知県高知市土佐山押すとゴトゴト揺れ動くことから名付けられた岩石。EC岩石が動く
お菱岩39高知県高知市春野町甲殿高さ約20mの菱形の岩石。詳しい由来は伝わっていない。EC
屏風岩39高知県高知市春野町甲殿住吉神社の奥の院の裏に控える屏風状の岩石。EC
烏帽子岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
お亀岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
蝙蝠岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
鳩岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
お舟岩39高知県高知市春野町甲殿お菱岩の近くにあったという奇岩怪石。戦後破壊されたという。今は存在しない岩石
唐人駄馬遺跡39高知県土佐清水市奇岩怪石の群れがあり、縄文時代の石器が採集されているが、祭祀場として機能していたかは不明。
おなで石40福岡県北九州市門司区奥田 淡島神社体の悪い所をこれでなでると快方に向かったり、お腹をさすると子宝安産になるという小石の群れ。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
福岡県可動的性質
蛇の枕石/夜泣き石40福岡県北九州市小倉北区篠崎 篠崎八幡宮恋仲の女蛇に会えない男蛇が夜毎この岩石を枕にして泣き続けたという。八雲の神が哀れに思って男蛇を竜神に変えて女蛇のいる場所へ導いたという。子供の夜泣き、恋愛成就に霊験があるという。CC
恋占い石40福岡県北九州市八幡東区祇園 仲宿八幡宮目をつぶり、この岩石に辿り着くことができたら恋愛成就という占い石。BBD
女郎岩/上﨟岩/日峯山遺跡40福岡県北九州市八幡西区浅川日の峯 日峯山山頂直下の斜面上に立地していた立石。周辺は岩場。玉依毘売命由縁の岩石という。手前から古墳時代中期以降の土師器群が出土。発掘調査後、倒壊の危険があるため麓の日峯神社境内に移設された。山頂で祭祀を行なわず、山頂直下の岩石を磐境・磐座に見立てて祭祀を行なったと推測される事例。C原位置から移動伝承山頂で祭祀をせず、山頂直下の岩石の手前で祭祀を行なう。
福岡県BCA
福岡県BA
国見岩40福岡県北九州市八幡西区浅川日の峯 日峯山隠岐国焼火神社祭神の大日孁貴尊がこの岩石の上に腰掛けて隠岐島を偲んだという。C
琵琶岩40福岡県北九州市八幡西区浅川日の峯 日峯山隠岐国焼火神社祭神の大日孁貴尊がこの岩石の上で琵琶を弾いて四方を鎮めていたという。C神が岩石の上で琵琶を弾いて国土を鎮める。
福岡県BCC
古代祭場跡/磐境40福岡県北九州市八幡西区山寺町 一宮神社神武天皇が東遷の折に、この地で天神地祇を奉祭したといわれる場所。奥に方形の敷石施設、手前に円形の敷石施設を配し、敷石の中心に常磐木を立てる。C石を方形・円形に敷き詰めて、中央に常磐木を立てて祭祀する。
福岡県BCA
福岡県BABB
高宮40福岡県宗像市田島 宗像大社辺津宮宗像大神の降臨を迎えていたという社殿祭祀以前の祭祀場。列石を持って祭場を区画した施設。BCA
福岡県C
沖ノ島 1号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島露天祭祀の遺跡。東南隅に大石があり、その周囲平坦面一帯を石塁で祭壇状に構築した遺構。8-10世紀初頭の各種祭祀遺物が出土。BCA
沖ノ島 3号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島露天祭祀の遺跡。巨岩の横に接しているが露天上であり、巨岩との関連性は不明。
沖ノ島 4号遺跡/御金蔵40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩と巨岩が積み重なり、巨岩下に洞穴状の隙間が形成された遺跡。古墳時代の遺物も見つかっているが、中世以降も様々な用途で再利用された空間と見られる。BCA
沖ノ島 5号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島半岩陰・半露天祭祀の遺跡。複数の巨岩が折り重なって形成された岩陰から露天上にかけて、土器を中心とした祭祀遺物の出土。BCA
沖ノ島 6号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩岩陰で列石を以て祭祀空間を区画している遺構。6-7世紀代の各種祭祀遺物が出土。BCA
沖ノ島 7号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩の岩陰床面を石英斑岩の剥片で若干整えた痕跡が見られる。中央に玉類、東側に武器類、西側に馬具類という規則的な遺物配置が確認されている。BCA
沖ノ島 8号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。7号遺跡と同じ巨岩の岩陰で、7号遺跡とは背中合わせの位置。岩陰の奥方中央に大石があり、そこから玉類が大量に見つかったため大石を祭祀対象とした可能性が高いと考えられている。BCA
福岡県BAA
沖ノ島 9号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 10号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 11号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 12号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 13号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 14号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島半岩陰・半露天祭祀の遺跡。
沖ノ島 15号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。
沖ノ島 16号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。東にさらに高い巨岩(18号遺跡)が望める位置。礫石を敷いて上に祭祀具を配置していたと推測され、遺物は5-6世紀代で新旧あり岩上祭祀でも最終段階に属す遺跡と考えられている。BCA
福岡県BCC
福岡県BCD
沖ノ島 17号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。北にさらに高い巨岩(18号遺跡)が望める位置。表面を上にして鏡を積み重ね、鏡と鏡の間には車輪石や礫石を挟んで固定し、それら遺物の上から石を積んで蓋をしている。BCC祭祀具を礫石などで挟んで固定し、さらに祭祀具の上から石を積んで蓋をする。
福岡県BCD
沖ノ島 18号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。周辺一帯で最高所の位置にある岩上にて、原形をとどめていないが複数の石組状遺構が確認されている。三角縁神獣鏡・石釧・玉類など4世紀後半に遡る遺物が出土し、沖ノ島最古級の祭祀遺跡と見られる。また、18号遺跡の巨岩は16・17・19号の祭祀対象だったと推測されている。BCC
福岡県BCD
福岡県BA
沖ノ島 19号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。南にさらに高い巨岩(18号遺跡)が望める位置。岩上において、赤土・歴史床面を整え、列石で区画して壇を作り、壇上に石を敷いて祭壇状にしている。一帯からは滑石製玉類が多めの各種祭祀遺物が出土。BCA
福岡県BCC
福岡県BCD
沖ノ島 20号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島半岩陰・半露天祭祀の遺跡。中央に金属製品、左側に滑石製品、右側に土器類を配置した様子が確認される。BCA
沖ノ島 21号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩上祭祀の遺跡。巨岩の頂部平坦面において方形区画の列石を配し、区画内に岩塊を置いた遺構。岩塊周囲から5世紀前-中の各種祭祀遺物出土。BAA自然の巨岩の上で、方形区画の列石内に岩塊を置いて祭祀対象とする。
福岡県BCA
福岡県BABB
福岡県BCC
福岡県BCD
沖ノ島 22号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩の庇岩陰部分に列石が構築され祭祀場を区画しており、6-7世紀代の各種祭祀遺物が出土。BCA自然の巨岩が織り成す庇岩陰部分を天井面に利用して、地表面には列石で区画して祭祀空間を形成する。
沖ノ島 23号遺跡40福岡県宗像市 沖ノ島岩陰祭祀の遺跡。巨岩が折り重なる洞穴状空間から各種祭祀遺物が出土。BCA
鎭懐石40福岡県糸島市二丈深江 鎭懐石八幡宮神功皇后が三韓征伐の際、2個の卵石を腰に巻いて陣痛を鎮めた。帰還後、当地に2個の卵石を奉献したことから鎭懐石八幡宮がまつられた。BBB秘匿されている岩石2個の岩石を腰に巻いて陣痛を鎮める。
福岡県BBD可動的性質
福岡県BBC
福岡県C
香合石/神籠石40福岡県糸島市前原町 雷山雷神が三種の神器を中に収納したといわれる香箱形の岩石。BCD
福岡県C
亀石40福岡県福岡市東区志賀島 志賀海神社神功皇后が三韓征伐の際、阿曇磯良が亀に乗ってやって来た伝承にちなんで、後世に奉納された岩石。BBC
俎石/俎岩40福岡県嘉麻市田島大隈 鮭神社鮭神社祭礼の際、豊玉姫が鮭を使いに向かわせ、鮭神社祭神であり息子である葺不合尊に対して、鮭がこの岩石から礼拝する。また、その鮭をこの岩石の上で清めて神社に奉納する。BBA神の使いである鮭が拝礼するポイントであり、さらにその鮭を清めて奉納する場でもある。
福岡県BCD
古大間池遺跡40福岡県糟屋郡粕屋町滑石の露頭があり、滑石製模造品など滑石製品の原産地・採掘地として利用された。DA
礫石40福岡県糟屋郡篠栗町 若杉山麓香椎の神が若杉山から無断で杉を持っていこうとしたため、若杉山の神が怒って香椎の神に投げつけた2個の岩石の名残。C神々の力比べ・喧嘩
王墓の上石40福岡県春日市須玖 須玖岡本遺跡弥生時代の甕棺墓の直上地表面に置かれていた細長い岩石。墓標・蓋石などの役割を担っていたと考えられている。原位置から移動伝承
カマト石/鼎石/仙竃石/竃門岳40福岡県太宰府市 宝満山トライアングル上に立つ3体の岩石。その様子が鼎の脚部に見立てられこの名が付いた。天神地祇が湯浴みをするために釜湯を沸かせた場所という。C
釜石40福岡県太宰府市 宝満山カマト石の上に乗せた釜が石化したもの。貞享年間(1684-87)『竃門山旧記』に記載があるが実物は所在不明。C今現在確認がとれていない岩石
釜ノ蓋石40福岡県太宰府市 宝満山カマト石の上に乗せた釜の蓋が石化したもの。貞享年間(1684-87)『竃門山旧記』に記載があるが実物は所在不明。C今現在確認がとれていない岩石
針ノ耳戸/石門40福岡県太宰府市 宝満山心蓮上人と玉依姫命(金剛神)が出会った場所。C
馬蹄石40福岡県太宰府市 宝満山上宮の直下に存在。金剛神の竜馬の蹄の跡が残った岩石。C岩石表面に印・痕・模様が残る
宝城窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。窟内に湧水源があり、窟内から多数の土師器と少数の瓦器・陶器片が出土。窟外からは遺物出土なし。BCE岩穴・窟
福岡県C
福城窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
釼窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
大南窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。8世紀末-13世紀前半の土師器・須恵器・瓦器・陶磁器出土。BCE岩穴・窟
福岡県C
藤窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
宝塔窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
釜蓋窟40福岡県太宰府市 宝満山役小角が修行していたという岩屋の1つ。BCE岩穴・窟
福岡県C
宝ノ岩屋/雨宝ノ岩屋40福岡県太宰府市 宝満山役小角がにわか雨をしのいだ場所。後に雨宝童子が安置される。C岩穴・窟
福岡県BCA
福岡県BAC
笠窟40福岡県太宰府市 宝満山
行者堂跡40福岡県太宰府市 宝満山文保2年(1318年)銘の梵字が刻まれた岩石。
上宮遺跡/上宮裏遺跡/岩棚遺跡40福岡県太宰府市 宝満山上宮社殿の背後に断崖絶壁があり、崖下10mに平坦面を持つ岩棚があり、ここから8世紀後半-9世紀代の土師器・須恵器・灰釉陶器が出土。崖の上から投げ込まれたものと類推される。DB土師器杯には油煙の付着したものが多く、灯明皿として用いられた可能性が高い。土器の中には穿孔したものもあった。
普池窟40福岡県太宰府市 宝満山
袖すり岩40福岡県太宰府市 宝満山馬蹄石の下方にある岩石。袖を擦るほどの隙間を進む場所。EC
遠見岩40福岡県太宰府市 宝満山眺望の良い場所にある岩石。EC
座頭墓40福岡県太宰府市大字北谷字大黒字昔から手を触れることが禁じられている石積。畑地内にある。EA禁忌が厳しい
岩間40福岡県筑紫野市大字武蔵字池上 天拝山荒穂神社山腹の神社の背後に存在する露岩群。荒穂明神が鎮座したといわれる岩石群。BA
福岡県C
馬蹄石/神籠石40福岡県久留米市御井町 高良山高良大菩薩がこの地に降臨した時、乗っていた馬の蹄が付いた岩石。この馬蹄跡を踏んで山を登ると足が軽くなるという。BABA岩石表面に印・痕・模様が残る
福岡県C
八葉之石畳/蓮花石40福岡県久留米市御井町 高良山高良大菩薩が一夜の内に築いた列石。現在、一般的に高良山神籠石と呼ばれている遺構のことを指す。C
大日窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
普賢窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
多聞窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
吉祥窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
阿弥陀窟40福岡県豊前市 求菩提山修験行者が修行していたという求菩提山の5つの窟の内の1つ。BCE岩穴・窟
求菩提山山頂岩石群40福岡県豊前市 求菩提山山頂の自然の露岩群。修験道以前の信仰の場ともいわれている。
タマタマ石/霊霊石/玉玉石41佐賀県三養基郡基山町大字宮浦 基山山頂にある岩石。五十猛命が腰掛けて四方の国土を眺めていたという場所。岩石手前の平坦地は荒穂神社の旧社地といわれる。C休み石・腰掛石
右の石/子宝石41佐賀県三養基郡基山町大字宮浦 荒穂神社腰掛けると安産になるという岩石。BBD休み石・腰掛石
中の石41佐賀県三養基郡基山町大字宮浦 荒穂神社荒穂明神と高良明神が石を投げあい、高良明神が投げた方の石。高良明神の指の跡が表面に残るという。C神々の力比べ・喧嘩
佐賀県岩石表面に印・痕・模様が残る
左の石41佐賀県三養基郡基山町大字宮浦 荒穂神社荒穂明神が馬に乗って基山から降臨した時、馬の蹄跡が付いた岩石。BABA岩石表面に印・痕・模様が残る
佐賀県C
神頭石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク神様の頭に形が似ている岩石。ずっと見つめていると自分の先祖の顔が浮かんでくるという。EC
道祖神石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク3つの岩石が集積して若干の室状空間を形成している。ここにやってきた人の道中安全の守護神という。A岩穴・窟
兜石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク武将の兜に形が似ていることから名付けられた岩石。EC
御舟石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク下田山の石神が航海に使用した船といわれる岩石。C
龍の石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク天に昇っていく龍の様子に似ていることから名付けられたという岩石。大願成就の神。A
佐賀県EC
石神/世田姫/造化大明神41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク『肥前国風土記』佐嘉郡条に登場する世田姫と呼ばれる石神。女神石と男神石という2体の岩石からなる重岩で、下部は通り抜けが可能な岩窟状の空間がある。明治時代の中頃まで、麓の與止日女神社の上宮として毎年11月20日に祭りが行なわれていた。A岩穴・窟
イナリ石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク倉稲魂(稲荷神)の石神。オニギリの形をしているからイナリ石と名付けたともいう。A
佐賀県EC
誕生石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パークここから全ての動物が生まれたという岩石。子孫繁栄・夫婦和合・腹ごみ(子宝)の霊験がある神。麓の眺望が良い。A岩石が満ち欠け・増減・出産する
屏風石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク屏風のような形をした岩石。EC
烏帽子石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク烏帽子に似た形状の岩石。下部には狭い室状空間が形成されている。EC岩穴・窟
御座石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク神様が佐賀平野を眺める時に座っていたとされる岩石。あるいは、悟りを開くための場所。C
佐賀県BCE
天神石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク天神さま(菅原道真)をまつる岩石。A
雄神石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク男子としての面目を立たせるように強気をくじき弱きを助け、仁義を重んじるように指導した神様といわれている。A
神籠石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク神を守る岩石。重岩状になっており、下部には僅かな洞穴状の隙間があるが、狭いので通り抜けは不可能。BD岩穴・窟
天の岩門41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク岩でできた門のように形成されている重岩。高千穂の天岩戸に似ていることから命名された。EC
蛙石/コウジンドック41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク弘法大師を上に勧請したという岩石。蛙のような形状をしていることから名付けられたともいう。BABA
佐賀県EC
たもと石41佐賀県佐賀市大和町 下田山/肥前大和巨石パーク近くの寺の修行僧達が、自分達の服の袂に石を入れて振り回し飛ばし合いをしたところ、その内の1個がここまで飛んできたのだという。EC
金精さん41佐賀県佐賀市大和町 與止日女神社石棒。與止日女命がこの石に触れて子宝を願ったところ健やかな赤ん坊が生まれたという。性神・生産神・塞の神として信仰された。河上神社から移設。BBD原位置から移動伝承
佐賀県Aなでたりさすったり抱きついたりする
石壁神社/石壁社41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社萬子媛が入定したほこらを明治時代に神社としてまつったもの。萬子媛が80歳の時に神社裏山の石壁に穴を開けたものという。BAC聖者が亡くなった場所
佐賀県岩穴・窟
水鏡41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社岩石の窪みに溜まった水。萬子姫が生前、物事の吉凶や予知を水に映る姿を見て占っていたという。BBD
石壁山 岩石祭祀事例(1)41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社祠の中に注連縄の巻かれた岩石があり、その岩石上に石祠がまつられる。BABC
石壁山 岩石祭祀事例(2)41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社素組みの建屋内に岩壁があり、手前に小鳥居が捧げられている。
石壁山 岩石祭祀事例(3)41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社祠の中に注連縄の巻かれた岩石があり、その岩石上に石祠がまつられる。(1)と同様の構造。BABC
石壁山 岩石祭祀事例(4)41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社岩石を基部に置いて木造祠が建つ。石祠が岩石上に建つのと同原理。BABC
岩本社41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社岩本大神をまつる社。岩石の存在が見当たらないが、神名から考えて社殿内に存在する可能性もある。
岩崎社41佐賀県鹿島市古枝 祐徳稲荷神社岩崎大神をまつる社で、縁結びの神とされる。祠の背後に単体の岩塊が控えている。
鹿島市浜新方 岩石祭祀事例41佐賀県鹿島市浜新方民家の敷地内。石壇の上に1個の岩塊が置かれ、注連縄が巻かれている。岩石の上には皿が置かれている。
男岩(立神岩/夫婦岩)41佐賀県唐津市湊玄界灘に面する海岸沿いに形成された、高さ約40mを誇る玄武岩の立岩。立岩群の狭間に人工的に岩窟が形成されており、内部には仏像を収めた石祠がまつられている。A岩穴・窟
女岩(立神岩/夫婦岩)41佐賀県唐津市湊玄界灘に面する海岸沿いに形成された、高さ約40mを誇る玄武岩の立岩。立岩群の狭間に人工的に岩窟が形成されており、内部には仏像を収めた石祠がまつられている。A岩穴・窟
望夫石41佐賀県唐津市呼子町 田島神社松浦佐用姫が、新羅へ出征する夫との別離を悲しみ泣き続けた挙句石化したもの。後世、秀吉が腰掛けると岩石が熱を持ちむくむくと動き、小便をかけたら大波が来て小便を洗い流したため、恐れて神領百石を寄進した。C生き物が石化したもの
佐賀県熱を持つ岩石
佐賀県岩石が動く
太閤祈念石41佐賀県唐津市呼子町 田島神社秀吉が祈願成就するなら2つに割れよと念じて槍を突いたら2つに割れた岩石。BBD偉人が真っ二つに割った岩石祈願成就の是非を念じて石を2つに割る
佐賀県C
岩戸神社42長崎県雲仙市瑞穂町西郷丁岩戸神社の本殿は自然岩壁の裾に形成された洞穴内にまつられている。BCA岩穴・窟
景華園遺跡42長崎県島原市景華園弥生~鎌倉の複合遺跡。重量20t前後の巨大な掌石を用いた支石墓が出土。
カンゴ石42長崎県島原半島体調を崩した殿様をこの石の上で休ませたら回復したことからまつられるようになったという岩石。BBD休み石・腰掛石
長崎県A
原山支石墓群/原山ドルメン42長崎県南島原市北有馬町原山縄文時代最晩期に築かれた現存46基の支石墓。
天ヶ原遺跡/セジョウガミ42長崎県壱岐市勝本町天ヶ原東触菖蒲坂セジョウガミと呼ばれる石祠の基壇に巨石が使われており、この巨石下から銅矛3点出土。BABC
大野台遺跡42長崎県佐世保市鹿町町大形の岩石数体が集在する地点の南に接して土坑が掘り込まれ、その中から銅鐸袋部・土器・玉が出土。本遺跡は支石墓が多いので、構造から見て支石墓の可能性もあり。今は存在しない岩石
王位石/生石/湧き出し大明神42長崎県北松浦郡小値賀町 野崎島慶雲元年(704年)勧請の沖ノ神島神社の背後にそびえる高さ約24mの石組状構造物。2本の石柱の上に平石が横渡しされており、人工・自然によるものかは不明。地中から湧き出した鳥居といい、年に米粒1粒分ずつ大きくなっているという。沖ノ神島神社大明神が平石の上に降臨したと伝えられる。A岩石が満ち欠け・増減・出産する
長崎県BABA突如出現した岩石
長崎県BCA
腹痛石42長崎県対馬市豆酘 海岸神功皇后と武内宿禰がそれそれ腰かけたという2個の岩石。この岩石を踏んだり、2個の間を通ると腹痛になるといわれた。現在は消失。C休み石・腰掛石
長崎県祟り伝承
長崎県今は存在しない岩石
押戸石/押戸岩/押戸ノ石43熊本県阿蘇郡南小国町中原 押戸石山鬼がお手玉をして遊んでいたという岩石群。足で踏むと雨が降るので登ってはいけないという。近年ペトログリフがあるということで注目されているが真相は不明。EC岩石を踏むと雨が降るので雨乞い儀礼に使えそうだが、雨乞いを伝える祭祀記録は残っていない。
前不動岩(不動岩)43熊本県山鹿市蒲生山腹に屹立する岩峰状の巨岩。中世、行者が山中に不動明王をまつりその行場として用いられたという。BCE
中不動岩(不動岩)43熊本県山鹿市蒲生山腹に屹立する岩峰状の巨岩。中世、行者が山中に不動明王をまつりその行場として用いられたという。BCE
奥不動岩(不動岩)43熊本県山鹿市蒲生山腹に屹立する岩峰状の巨岩。中世、行者が山中に不動明王をまつりその行場として用いられたという。BCE
岩倉さん/米原岩倉遺跡43熊本県山鹿市菊鹿町大字米原丘陵先端部に高さ8m程の巨岩が数体存在。「岩倉さん」と呼ばれ、かつては雨乞いの祭祀対象だったという。付近から瓦片・五輪塔片が見つかったことから、堂宇が存在した可能性もある。A磐座と石神の性格が混在している事例
熊本県BA
鹿央岩倉遺跡43熊本県山鹿市鹿央町大字岩倉標高185mの山頂に、一昔前まで正月などに参拝する者も多かったという巨岩。1940年前後、鳥居龍蔵によって刀剣1点が発見されているという。1976年には江戸時代の寛永通宝が発見された。A磐座と石神の性格が混在している事例
熊本県BA November 11, 2025
1RP
帯と言えば平安貴族の帯(一応今でも使われてる)は革製で、構造もベルトとほぼ同じ
しかも宝石とか付ける
菅原道真が天皇から賜ったとされる石帯は外国製による最高格品だとか
抜刀してもズレにくいし解けないから普及してほしかった https://t.co/vnyo4tM2sj https://t.co/8UYjYMHh5q November 11, 2025
1RP
行者石像29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
不動磨崖仏29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
観音石仏29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
地蔵石仏29奈良県山辺郡山添村峰寺 六所神社六所神社境内の石仏。A
窯の焚き口29奈良県山辺郡山添村峰寺村の石橋を造った力持ちが風呂に入るため使っていた窯。EC
天王の森29奈良県山辺郡山添村峰寺小山の頂上に岩石群があり、牛頭天王をまつり禁忌が厳しく守られていたという。A禁忌が厳しい
首切り地蔵29奈良県山辺郡山添村峰寺道の往来の安全を祈念して造られた石仏。後に首部と胴部に亀裂が入ってしまい、この名称で呼ばれるようになる。A岩石表面に印・痕・模様が残る道の安全を祈念して地蔵仏をまつる。
奈良県BBB
水神の森29奈良県山辺郡山添村峰寺布目側の中洲に隆起する森。大小の川原石が群集する。BCA禁足地
八丈岩29奈良県山辺郡山添村峰寺約17㎡の巨岩。水神の森の遥拝所。BA
奈良県BBA
明星岩29奈良県山辺郡山添村北野 天神社天御中主尊が降臨したという岩石。麓に天神社が建てられる以前はここで祭祀が行なわれていたという。BA
奈良県C
腰越ウチカタビロ土塚29奈良県山辺郡山添村北野字ウチカタビロ直径3mほどのマウンドに、大小の自然石や数体の石仏を集積している塚。北野天神社で旧五社巡りという祭礼が行なわれる際、この塚の前に御幣を供え、田楽を奏上したという。BCA塚の前に御幣を立てて田楽を奏上する。
岩屋29奈良県山辺郡山添村北野高さ6m、幅13m、奥行き6mの内部を有する自然の岩窟。弘法大師が天井石に大日如来を刻し本尊として、岩窟の中に不動明王、入口に善女龍王をまつり、近世まで岩屋寺として栄えた。A岩穴・窟岩窟寺院の天井石に本尊を刻む。
奈良県BCA
奈良県BAC
枡形岩29奈良県山辺郡山添村北野弘法大師が岩屋に大日如来を彫った後、上方斜面にあった別の巨岩に枡形の刳り抜きを作り、その刳り抜きの中にノミとツチを収めたという。本来は木製の御正躰を収納する石厨子だったと考えられている。C岩石の表面をくりぬき、中に仏などを納める岩石に枡をくりぬいて御正体や祭具を収める。
奈良県BCA
奈良県BAC
牛ヶ峰ミヤマ洞穴遺跡29奈良県山辺郡山添村北野全長13m、最大幅5mの花崗岩の自然の集積による洞穴。禁忌の場所とされ、布目ダム建設により水没するため発掘調査を行なったところ、中世の土器片や近世~現代までの日常雑器が見つかった。BCA禁忌が厳しい
奈良県岩穴・窟
津越の磨崖仏29奈良県山辺郡山添村津越山の岩肌を利用して数体の仏を刻んだ磨崖仏。A
フジノミ禊斎場29奈良県山辺郡山添村津越江戸中期、灌漑用水路を造る作業の無事を祈り、僧侶が岩石に不動明王の梵字を刻んで祈り続けたという。元来は北野字フジノミにあったが、布目ダム建設による水没を免れるため現在地に移設された。A
烏ヶ淵阿弥陀地蔵二尊磨崖仏29奈良県山辺郡山添村桐山淵の中にあった自然岩に阿弥陀仏・地蔵仏の像を彫りこんだ磨崖仏。寛政年間の製作で、烏ヶ淵の堰の工人の供養や水害の鎮めとして彫られたものと考えられている。元来は烏ヶ淵にあり、布目ダム建設に現在地に移転。A
奈良県BBB
桐山阿弥陀磨崖仏29奈良県山辺郡山添村桐山鎌倉~南北朝期の製作とされている磨崖仏A
弁天岩29奈良県山辺郡山添村桐山字カナヤケ巨岩の上に弁天をまつる瓦質の祠がある。周辺の遺跡調査の結果、弁天岩の周辺を意図的に平坦にしたような形跡が検出されたという。BABC
八幡神社 阿弥陀仏29奈良県山辺郡山添村的野1253年製作の村内最古の阿弥陀仏。A
送り狼石/室津のオーカミ石29奈良県山辺郡山添村室津字池神旅人が道を通る時、この岩石の上に食物などの奉げ物を置くと、後ろから狼が追いかけてこなくなるという。BCD岩石の上に捧げ物を置くことで、狼などの災禍を免れることができる。
奈良県BBB
室津の磨崖仏29奈良県山辺郡山添村室津山の岩肌に刻まれている磨崖仏。A
賽の河原29奈良県宇陀市室生区室生 室生寺山中の岩陰に設けられた水子供養の積石群BBB可動的性質
BBC
諸仏出現岩29奈良県宇陀市室生区室生 室生寺室生寺奥の院の横に隆起する露岩。ここから諸仏が現れ出たといういわれを持つ。BA
C
龍穴/吉祥龍穴/奥宮29奈良県宇陀市室生区室生 龍穴神社龍神が棲むといわれる岩穴。雨乞いの祭祀対象として信仰された。BAC岩穴・窟
奈良県BCA
天の岩戸29奈良県宇陀市室生区室生 龍穴神社天岩戸に擬せられた岩石の亀裂。C
どん亀石29奈良県室生区黒岩この岩石の下に金の仏像が眠るという。EC黄金の何かが隠されているという伝説
霊宝石/天の瓊矛29奈良県宇陀市大宇陀区 春日神社
神楽石29奈良県宇陀市大宇陀区 阿貴山
白石/白石明神29奈良県宇陀市大宇陀区 劔主神社裏山の奥の院の巨岩の一部を打ち欠いて麓の劔主神社に持ってきて分霊・勧請したという岩石群。江戸末期までは社殿を持たずこの白石群を祭祀対象としていた。A岩石に損傷を加える行為山の巨岩の一部を打ち欠いて麓の神社の分霊石とする。
奈良県BA可動的性質
奈良県磐座と石神の性格が混在している事例
劔主神社例祭29奈良県宇陀市大宇陀区 劔主神社例祭日、吉野川から持ってきた小石を川に沈めて禊をし、その小石を劔主神社奥の院の巨岩の前に供える。BBC可動的性質
奈良県水をかける・水に漬かる
奥の院/白石さん29奈良県宇陀市大宇陀区劔主神社の奥の院といわれる石灰岩の露頭で、劔主神社後方の山頂にあるという。A磐座と石神の性格が混在している事例
奈良県BA
奈良県C
月輪石29奈良県橿原市東池尻町 御厨子神社境内にある亀裂の入って2つに分かれた岩石。由来不詳。
光明不動29奈良県橿原市東池尻町 御厨子山妙法寺妙法寺の入口路傍に岩肌を見せる小さな自然石。この岩肌に不動明王の姿が見えれば眼病が治るといわれる。A岩石表面に印・痕・模様が残る
天香山神社 岩石群29奈良県橿原市南浦町 天香山神社社殿背後の山斜面の露岩群を磐座跡とみなす見方があるが確証はない。
天岩戸29奈良県橿原市南浦町 天岩戸神社拝殿の裏に4体の岩の集積があって岩室状の空間を形成しており、これを天岩戸としてまつったもの。玉垣内に真竹が自生し、毎年7本ずつ生え変わることから「七本竹」と呼んでいる。C
月の誕生石29奈良県橿原市南浦町 天香久山月を産んだ岩石。その産湯と足跡が岩石に残るという。EB岩石表面に印・痕・模様が残る
奈良県岩石が満ち欠け・増減・出産する
蛇つなぎ石29奈良県橿原市南浦町 天香久山蛇が巻きついているかのような石のシワが残るという岩石。EC岩石表面に印・痕・模様が残る
豊浦の立石29奈良県高市郡明日香村豊浦 甘樫坐神社飛鳥京の条理の地割り石だったという説や、寺域を示していたという説があるが確定していない。現在は明神探湯神事の時に甘樫の神を憑依させる立石として機能している。BAA
明神探湯神事の炉29奈良県高市郡明日香村豊浦 甘樫坐神社明神探湯神事の時に、熱湯をたぎらす釜を据えるための炉石。BE火が絡む祭祀
奈良県BCD
須弥山石29奈良県高市郡明日香村飛鳥内部に導水構造を有し、配水施設と組み合わせれば噴水が出る岩石構造物。『倭国書紀』に斉明天皇が須弥山石のもとで饗宴を催したという記述があり、これに該当するのではないかと考えられている。水落遺跡のすぐ近くから出土したが、現在は飛鳥資料館の館内に移設展示されている。原位置から移動伝承岩石に水を通して饗宴の施設とする。
石人像29奈良県高市郡明日香村飛鳥内部に導水構造を有し、配水施設と組み合わせれば噴水が出る構造となる石像。須弥山石と同様の性格の石像物と目される。水落遺跡のすぐ近くから出土したが、現在は飛鳥資料館の館内に移設展示されている。原位置から移動伝承岩石に水を通して饗宴の施設とする。
弥勒石29奈良県高市郡明日香村飛鳥胴体はずんぐりと長く屹立し、目鼻立ちは摩滅してしまっているがしっかりとした頭部を持つ石造物。下半身の病に霊験ありという。A
飛鳥坐神社の陽石祭祀29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社人々が諸願を果たすために奉納された陽石群。BBC
力石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社男性は左手で力石を持ち上げる。女性は右手で力石を持ち上げる。持ち上がったら幸福をつかめるという。BBD岩石を持ち上げられるか、軽くなるか重くなるか
奈良県力石
むすびの神石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社一対になって並んでいる陽石と陰石。A
恵比須石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社高さ30cm程の小さめの岩石。恵比須様の頭部に似ていることから名付けられて信仰された。A
奥の大石29奈良県高市郡明日香村飛鳥 飛鳥坐神社高皇産霊神が宿る陽石。A
小原の立石29奈良県高市郡明日香村小原現在は場所が特定できず行方不明。
亀形石造物29奈良県高市郡明日香村岡亀形石造物とその手前に接する小判形石造物を中心に、その周囲から敷石遺構、配水遺構などが出土した。石造物自体も水を溜め込み次に導水するという配置構造を持っている。
岡の酒船石29奈良県高市郡明日香村岡岩石の表面に円形の窪みと直線状の溝が幾何学的に配置された石造物で、石の左右端は削り取られている。現在は酒船石と亀形石造物を含む周辺一帯が大規模な導水施設として機能していたのではないかという説が有力になっている。岩石が改変されている
出水の酒船石29奈良県高市郡明日香村出水岡の酒船石と類似した溝を持つ石造物。実物は京都市南禅寺の碧雲荘に移設されているが、レプリカを飛鳥資料館で見ることができる。原位置から移動伝承
岡寺奥の院彌勒堂29奈良県高市郡明日香村岡 岡寺弥勒仏をまつっている人工の石窟。BCA岩穴・窟
奈良県BAC
岡の立石29奈良県高市郡明日香村岡 岡寺高さ約3mの立石。
上居の立石29奈良県高市郡明日香村上居高さ1.9mの立石。
マラ石29奈良県高市郡明日香村祝戸考古学者の石田茂作によって命名された斜めに立てられた立石。近代以降の命名
フグリ山/ミワ山 岩石群29奈良県高市郡明日香村祝戸山頂尾根上に岩石の露頭が群集し、神聖視されていた磐座ではないかという説があるが、そのことを裏付ける資料に欠ける。
くつな石29奈良県高市郡明日香村阪田昔、ある石屋がこの岩石にノミを一打ちしたところ赤い血が噴出し、傷ついた蛇が現れたので、石屋は恐ろしくなって逃げ帰った。しかしその夜から熱と腹痛に冒され、やがて亡くなってしまった。村人は神の祟りだと畏れ、神の宿る岩石としてまつったという。A祟り伝承岩石から血と蛇が出て石屋が死んだので、岩石をまつった。
奈良県岩石から血が出る
二面石29奈良県高市郡明日香村橘 橘寺高さ1mほどの岩石の裏表両面に顔が彫られた石像物。人間の善悪両面を岩石に表現したものだといわれている。
三光石29奈良県高市郡明日香村橘 橘寺3つの石が凝り固まったかのような形状の岩石。聖徳太子が経講を行なった際、この石が光輝き、日の光、月の光、星の光が放たれたといわれる。C岩石から煙・光・火・気などが出る
立部の立石29奈良県高市郡明日香村立部定林寺跡にあり、立石というが地表からちょっと顔を出す程度の岩石だという。
川原の立石29奈良県高市郡明日香村川原出水の酒船石から飛鳥川を挟んだ向い側に存在。現在は地中に埋められている。
亀石29奈良県高市郡明日香村川原亀の形状をした石像物。昔、大和湖を巡って川原のナマズと当麻のヘビが争い、ナマズが負けたため川原の亀が枯死してしまった。これを哀れに思った村人が供養のために作ったのが亀石という。亀石はかつて東を向いていたが、少しずつ西に向いており、西の当麻方向を向いた時には大和一帯が泥の海になると言い伝えられている。BBB岩石が動く干からびて死んだ亀を供養するため亀石を造る。
奈良県祟り伝承
鬼の俎29奈良県高市郡明日香村村野口道行く人々を鬼が襲い、捕食に用いたという俎。元は横穴式石槨の底石。EA遺物・遺構の再利用
奈良県EC
鬼の雪隠/鬼の厠29奈良県高市郡明日香村平田鬼が用を足したという雪隠。元は横穴式石槨の蓋石。EA遺物・遺構の再利用
奈良県EC
女(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1702年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
山王権現(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1703年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
僧(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1704年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
男(猿石)29奈良県高市郡明日香村平田元禄2年(1705年)に田んぼの中から見つかり、明治時代になって現在地に移設されたという石像。原位置から移動伝承
益田の岩船29奈良県高市郡明日香村益田高さ5~6m、総重量900tに達するという石造物。石の表面に格子状の線刻があり、頂面に2つの方形穴とそれをつなぐ浅い直線の彫りが見られる。2基の横口式石槨の未完成姿という説があるが確定していない。
人頭石/顔石29奈良県高市郡高取町観覚寺 光永寺猿石と同時に見つかったといわれる独特な風貌の人面石。現在、光永寺で手水石として使用。BCB遺物・遺構の再利用
奈良県BE原位置から移動伝承
天津石門別神社 岩石祭祀事例29奈良県高市郡高取町大字越智 天津石門別神社榊の周りを板石で囲んだ施設を本殿としている。榊を神霊の宿る神籬とし、周囲の板石は磐境としての役割を負っている。BCA榊の周囲を板石で囲んで神社の本殿とする。
高取の猿石29奈良県高市郡高取町 高取城高取城の登山道途中にある。前述の猿石4体と同時に出土したという話がある。原位置から移動伝承
纏向遺跡 辻土坑29奈良県桜井市辻数十基見つかった土抗の内、数基の土抗内から岩石群・祭祀遺物・湧水跡・焼土のセットが検出。岩石群は雑然とも整然ともしない配置で、様々な解釈ができる。磐境説・磐座説・土坑側面補強材説・祭祀施設廃棄跡説がある。BCA今は存在しない岩石土坑に岩石群・祭祀遺物・湧水・炎を用いる行為。
奈良県BA火が絡む祭祀
奈良県BE
奈良県DB
「陰陽石」29奈良県桜井市 九日社横並びに高さ50cmほどの2体の岩塊がまつられており、「陰陽石」と仮称されるが詳細沿革不明。
「磐座」29奈良県桜井市 綱越神社神社境内の一角にまつられている岩石。「磐座」と仮称されるが岩石の名称やいわれなど詳細は不明。
夫婦岩/回り石29奈良県桜井市 素佐男神社2体の丸石。この石の周りを3度回る儀礼がある。岩石の周りを3度回る。
「磐境」29奈良県桜井市 志貴御県坐神社4個の丸石が横並びにまつられたもの。「磐境」と仮称されるが詳細沿革不明。
岩屋不動29奈良県桜井市 平等寺人工的に切り石を組んだ石窟。内部に、不動明王の石仏と梵字「ア」を刻んだ石碑と立石を安置している。A岩穴・窟
奈良県BAC
奈良県BCA
磐座/影向石29奈良県桜井市 平等寺地主神をまつる岩石。A磐座と石神の性格が混在している事例
奈良県BA
神饌石29奈良県桜井市 大直禰子神社正月元旦の神火祭の時、久延彦神社に対する神饌を置く岩石。久延彦神社を遥拝する時はこの石の地点から遥拝するようにといわれている。BCD
奈良県BBA
安産岩29奈良県桜井市 大直禰子神社母を亡くした神子が日々この岩石にすがりながら泣いていたという。C
夫婦岩/影向岩/聖天岩29奈良県桜井市 大神神社2個の草履状の岩石。江戸時代までは参道中央にあり影向岩・聖天岩の名称だったが、今は参道脇に移り夫婦岩と呼ばれ縁結び・安産の霊験を持つという。CC原位置から移動伝承
奈良県近代以降の命名
磐座神社/三穂神社/石神皇后神社/岩上皇后社/岩倉社/岩倉祠/岩上宮/石上社29奈良県桜井市 磐座神社人頭大ほどの岩石を置いてまつる形式の神社。現在、少彦名命を祭神とするが、かつては三穂神社・皇后神社の名を持つように大物主命の后である三穂津姫命をまつっていた。磐座が神社に変遷したものと推測される。BA
奈良県A
山ノ神遺跡29奈良県桜井市 大神神社古墳時代中期初~後期初(4世紀後半~6世紀初頭)の祭祀遺物が出土した遺跡。主石となる巨石の周りを5体の小ぶりの岩石が取り囲む形で見つかり、それらの岩石の一帯には割石が敷き詰められ、人工的に地固めされていた。現在は配置状態が原位置と異なり整備されている。BA原位置から移動伝承当初は碧玉製勾玉・剣形鉄製品・小形素文鏡など玉・剣・鏡の実物に近い遺物構成だったが、後代はそれぞれの模造品に変わっていく。
奥垣内遺跡29奈良県桜井市 大神神社大小の露岩の傍らから古墳時代中期末~後期初頭(5世紀後半~6世紀初頭)を中心とする祭祀遺物が出土した遺跡。現在一部の岩石を残して整備。BA原位置から移動伝承露岩の1つに接して須恵器の大甕が下半分を土中に埋めた状態で置かれ、大甕の中には杯・高杯・壺などの須恵器と多数の滑石製の玉もが収納されていた。
神籬29奈良県桜井市 檜原神社小ぶりの岩石を配置して神社としたもの。BAA
奈良県BAC
辺津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると大物主命をまつる磐座。山裾の岩石群を総称して指す名称と思われる。CA禁足地
中津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると大巳貴命をまつる磐座。山腹の岩石群を総称して指す名称と思われる。CA禁足地
奥津磐座29奈良県桜井市 三輪山嘉禄2年(1226年)『大三輪神三社鎮座次第』によると少彦名命をまつる磐座。山頂に大小無数の黒光りした斑糲岩が群集しており、これを総称して指す名称と思われる。CA禁足地
禁足地裏磐座群29奈良県桜井市 三輪山大神神社の社殿裏の禁足地(山腹斜面)に分布するという岩石群。文化財上のグルーピングで、6世紀代の新式の子持勾玉が発見されている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群A群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵南側丘陵上の岩石群。後世の石材利用などにより原状をとどめていないとされている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群B群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵北側丘陵上の岩石群。後世の石材利用などにより原状をとどめていないとされている。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群C群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる玄賓庵裏の岩石群。大規模な岩群で、人為的に列石を構築したような規則的な配置も見られるという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群D群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる山腹登山道近くの岩石群。露岩点数はやや少なめで小規模に属すという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
オーカミ谷磐座群E群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる山頂やや西斜面下の岩石群。大規模な岩群で、人為的に列石を構築したような規則的な配置も見られるという。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
奥津磐座F群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる高宮神社の南西方向の岩石群。環状列石のような配置を見せる好資料という。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
奥津磐座G群29奈良県桜井市 三輪山樋口清之氏グルーピングによる高宮神社の北西方向の岩石群。環状列石のような配置を見せる好資料という。禁足地内につき詳細不明。禁足地
奈良県近代以降の命名
百目石29奈良県桜井市 三輪山月山谷にある名前の付く岩石。大神神社神地課が「典型的なものとして折紙をつけた磐座」の内の1つ。禁足地内につき詳細不明。禁足地
鏡石29奈良県桜井市 三輪山オーカミ谷中腹にある名前の付く岩石。大神神社神地課が「典型的なものとして折紙をつけた磐座」の内の1つ。禁足地内につき詳細不明。禁足地
登拝道磐座(1)29奈良県桜井市 三輪山登拝口と山ノ神遺跡と三光の滝の3ポイントのほぼ中間に立地。三光谷の入口に位置し、登拝口から徒歩約10分の地点。禁足地
登拝道磐座(2)29奈良県桜井市 三輪山三光の滝から尾根を約15分登った山腹に、杉の巨木と共に注連縄の結界が張られた岩石群が存在。中津磐座に相当するものか。禁足地
登拝道磐座(3)29奈良県桜井市 三輪山(2)地点から5分ほど登った路傍にあり、人工的に小石を配して磐境状に仕立てた祭り場。賽銭が捧げられている。置銭・投銭祭祀
奈良県禁足地
登拝道磐座(4)29奈良県桜井市 三輪山視界の開けた広めの尾根を登り、傾斜がやや急になる坂の途中に露岩群があり、注連縄を張られている。禁足地
登拝道磐座(5)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。二重に注連縄が巻かれている。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
登拝道磐座(6)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
登拝道磐座(7)29奈良県桜井市 三輪山坂を登りきって、山頂やや下方の登拝道に注連縄の巻かれた磐座。(5)(6)(7)は互いに近接。禁足地
白山29奈良県桜井市辻眞言律宗巻向山奥不動寺のすぐ北にそびえる岩山。一面が岩盤露出していることから白山の名が付いたものと思われるが、神聖視・祭祀の痕跡は見られない。頂上が岩山
ダンノダイラの「磐座」29奈良県桜井市出雲ダンノダイラ急斜面の山肌に露出する岩崖を主体とし、岩崖の上にある2~3体の岩にも供献皿や注連縄が残されている。麓の出雲村の十二柱神社にはかつて社殿がなく、この「磐座」を拝む場だったという。年に一度出雲村の人々がダンノダイラへ登り飲み食いや相撲をして遊ぶという風習があったという、
天壇29奈良県桜井市出雲ダンノダイラマウンド頂部に集石が存在。冬至の日に天帝をまつるために設けた祭壇という説があるが真相不明。近代以降の命名
素盞鳴神社 岩石群29奈良県桜井市慈恩寺 素盞鳴神社本殿背後に露岩があり「磐座」ではないかとされるが由来不詳。
石神29奈良県桜井市忍坂 忍坂坐生根神社背後にある神体山の宮山に「石神」と呼ばれる約20個の自然石が存在するという。A
金剛寶磐石/磐座/大磐石29奈良県桜井市初瀬 長谷寺長谷寺本尊の十一面観音菩薩の土台に使われている岩石。天平元年(729年)8月15日の夜、突如「金剛寶磐石」が土の中から現れ、磐石には仏像をしつらえるにふさわしい足跡形の穴があったことから、ここに十一面観音菩薩を立てたといわれる。BABC突如出現した岩石仏菩薩を安置するにふさわしい自然石が突如出現する。
奈良県岩石表面に印・痕・模様が残る
ふく石29奈良県桜井市初瀬 長谷寺長谷寺本願院が江戸時代に製作した「初瀬山之図」に記載された岩石。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
気比神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「十一面堂東北石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
気多神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同方南石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
宝幢神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「十一面堂西南石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
宝語神29奈良県桜井市初瀬 長谷寺『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同方北石座御」とある。所在未特定。今現在確認がとれていない岩石
見廻不動尊29奈良県桜井市初瀬岩崖。弘法大師が長谷寺の参籠を終えて笠山へ向かう途上ここで見かえり、ここは金剛界・胎蔵界の深理が顕現した霊場であるから、入山する者は心を定め清めなければならないと述べ、山の守り神である須彌山王の上に不動明王の御形を彫ったという。A山の入口に不動明王をまつり結界とする。
奈良県BCA
菅原道真の腰掛石29奈良県桜井市初瀬与喜天満神社の御旅所。菅原道真扮する狩衣装束の老人が腰掛けていたという岩石。切石のような形状で後世創設された可能性がある。CB休み石・腰掛石
泊瀬石29奈良県桜井市初瀬かつて滝蔵神社の近くに毘沙門天を祀る祠があり、ある時この上に雷が落ちて毘沙門天の宝塔が初瀬川に流れ落ちたが、この岩石に引っかかって止まったので、この岩石を泊瀬石と呼んだという。EC
女岩(女男岩)29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社愛しく撫でると心のかどがとれるという岩石。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
男岩(女男岩)29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社愛しく撫でると心のかどがとれるという岩石。BBDなでたりさすったり抱きついたりする
山神遥拝所29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社与喜山・与喜天満神社の遥拝所とされる岩石。BA
奈良県BBA
八王子社29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社八王子社の祠の下に存在する岩石。BABC
鵝形石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社天照大神が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
沓形石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社春日大明神あるいは天児屋根命が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
掌石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社太玉命が降臨したという岩石。BABA
奈良県C
千度まいり石29奈良県桜井市初瀬 与喜天満神社千度参りの際の礼拝石。BBA
与喜山 A地点北西岩石群/磐座29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山2基の石灯籠を従えて玉垣の後ろに控える岩石。塔のように大きく三段から構成される岩石で、高さ3.1mを測る。
与喜山 A地点南東岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山A地点北西岩石群から南東へ10mほど進むと、急斜面に高さ2~3mの岩々が多く露出している。
与喜山 B地点下方岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山1962年に杉髙講が奉献した鳥居・灯籠・狛犬などが残る尾根先端の露岩群。
与喜山 B地点上方岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山B地点下方岩石群から尾根を少し登るとスパッと鋭角的な輪郭を持つ立石が存在。
与喜山 C地点岩石29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山天神山北側から登る登山道の入口東側に立地。石祠がまつられている背後に露岩がある。
与喜山 D地点岩石群29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山山頂尾根の南端に立地する東西隣り合わせの2体の岩石。西側の巨岩は高さ2~3m、幅5mほどの単体の横長石。東側の巨岩は、小さめの岩石が2個横並びになっていて、その上に支石墓の掌石のごとく高さ2m・幅5mほどの巨石が乗っかかっている構造を有する。
陽神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「伊弉諾尊也。東山腰石座御。南。」とある。所在未特定だが、A地点南東岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
陰神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「伊弉冉尊也。東山腰石座御。北。」とある。所在未特定だが、A地点北西岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
光神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「月弓尊也。東山北谷石座御。上。」とある。所在未特定だが、B地点上方岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
雨神29奈良県桜井市初瀬 与喜山/天神山『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「同谷石座御。下。」とある。所在未特定だが、B地点下方岩石群の可能性がある。BAB今現在確認がとれていない岩石
賀茂大明神29奈良県桜井市初瀬落神『長谷寺密奏記 裏付』(13世紀頃成立)に「河中大石座御」とある。賀茂の雷神が瀧蔵権現から毘沙門天の宝塔を奪い取り去る途中でこの川中の岩石に落ちたという。下の屏風岩と同一物の可能性もある。初瀬ダム建設により水没。BABA今は存在しない岩石別の神から宝塔を奪い取った雷神が落ちた岩石。
奈良県BABC
屏風岩29奈良県桜井市初瀬落神高さ4.8mの三角形状の岩石に宝篋印塔と梵字の線刻がなされ、頂部に祠をまつっていたという。天落神六社権現の1つ。戦の時に塀代わりに使われたともいう。初瀬ダム建設により水没。BABC今は存在しない岩石
奈良県BAC
落神 山側斜面の岩盤29奈良県桜井市初瀬落神高さ97cmの宝篋印塔を刻んだ岩盤で、天落神六社権現の1つ。初瀬ダム建設により水没。BAC今は存在しない岩石 November 11, 2025
1RP
令和7年11月22日
東京都文京区の櫻木神社と境内社の見送稲荷神社を参拝し、御朱印をいただきました⛩️
菅原道真公をお祀りし、櫻木天神とも呼ばれています🎓
こじんまりとした境内で、静けさと品を感じてお参りしました✨
「さくら咲く」にあやかって、学業や受験のご利益を願う神社ですね🌸
#御朱印 https://t.co/ilVdYhqZxK November 11, 2025
1RP
『楚辞 (岩波文庫)』
#読書メーター
読了。
「楚辞」のベースには屈原伝説があり、屈原は楚王の忠臣だったが讒言を受けて失脚するという、本邦で言うところの菅原道真なわけだが、道真とも異なるのは強烈なまでの独善意識だろう。
https://t.co/yYoVueUHnE November 11, 2025
番外編。
仕事が早く終わり、京都の北野天満宮へ散歩に行きました。
ここには学業の神様、菅原道真公がお祀りされています。
学業の言われとして、菅原道真公は戦をする上で敵を欺くのが上手だったそう。(諸説あります。)
この日は猿回しがあったみたいですね。
#北野天満宮
#車好きと繋がりたい https://t.co/dZ6yrt0ABW November 11, 2025
@joushoukiryuu2 同じく倭国三大怨霊・菅原道真公をお祀りする京都の北野天満宮に行った時も、禍々しくはなかったです
不思議ですね〜
でも直感に従うのが正解だと私も思います! November 11, 2025
スピリチュアルカウンセラーの方にみてもらったら、守護神なるものに菅原道真さんついてるらしく、調べたら囲碁大好きらしい。
あれ?もしかしてこれってリアル佐為後ろについてる?ってこと??
囲碁が強いかは知らん。 November 11, 2025
\ ガンプ鈴木さん、次の旅が早くも始動──‼️ /
福岡から東京までの1000kmを43日間で
キットカットと共に走り抜けたガンプ鈴木さん。
ゴール後のステージ上でサプライズ発表が行われ、
ガンプ鈴木さんの新たな挑戦が明らかとなりました✨
次の旅の目的地は…
学問の神様・菅原道真公を祀る
「防府天満宮(ほうふてんまんぐう)」⛩
今回は、受験シーズンに向けて
全国の受験生へ“エール”を届ける旅に出ます❗️
🔻新企画のポイント
・次のゴールは山口県防府市の「防府天満宮」
・ゴール日は 2026年2月4日(水)
※ガンプ鈴木さんも「初耳!」と驚いていたため、スタート日は 1月で調整中
・ゴール到着日は式典に加え、アーティストの「AI(アイ)」さんがライブ予定
1000km旅を終えた後にもかかわらず、
再びキットカットと一緒に走り出すガンプ鈴木さん🔥
受験生にどんなメッセージを届けてくれるのか──
新たな旅の続報もお楽しみに。
▼その他、オリコンニュースの発信情報
・ゴールに向かう朝のガンプ鈴木さん
https://t.co/h3p1JJPsAh
・ゴール直後のガンプ鈴木さん
https://t.co/zUOg5Ww3EF
【PR】 November 11, 2025
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