真珠湾 トレンド
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2025.11.17〜(47週)
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なぜ「小倭国」なのか
嘘、奇襲、そして詭弁
真珠湾奇襲の前日(1941年12月6日)、倭国の「和平特使」は、なおアメリカのハル国務長官と日米和平・友好について交渉を続けていた。
写真の中央を歩いているのがアメリカ国務長官のコーデル・ハル、左が倭国駐米大使・野村吉三郎、右が倭国の和平特使・来栖三郎である。
しかしその翌日、ワシントン時間1941年12月7日13時、ハワイ時間12月8日午前8時に、倭国聯合艦隊の第一波・計183機の爆撃機が、ハワイのアメリカ軍基地を激しく空爆した。米軍および民間人の死傷者は3,581人、そのうち死亡者は2,403人に上った。
ハル国務長官が、この二人の倭国外交官から宣戦布告文書を受け取ったのは、ワシントン時間12月7日14時20分(ハワイ時間9時20分)であり、その時にはすでに真珠湾への奇襲が開始されて80分が経過していた。
倭国の外務当局は、本来であれば開戦の2時間前にアメリカ政府へ通告文を手渡す予定だったと言われている。
しかしその時刻は何度も前倒しされ、最終的には開戦の30分前に通告する方針となった。
(奇襲と何も変わらない)
倭国の操作ミスで結果としてこの通告文書は真珠湾攻撃の30分前までにアメリカ政府へ届けられなかった。
宣戦布告文書を受け取ったハル国務長官は、激しい怒りをあらわにし、通告に訪れた2名の倭国外交官に向かってこう言った。
「私はこれほど厚顔無恥で、虚偽と詭弁に満ちた文書を見たことがない。これまで私は、地球上にこれほど牽強付会で、これほど多くの嘘を並べ立てる国が存在するとは、夢にも思わなかった。」 November 11, 2025
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🎙あれから4年──バカ…いや、“カッカ”のお言葉を改めて拝聴すると、腹の底からじわじわ怒りが湧いてきます😡
📅2022年3月23日、衝撃の「国会スタンディングオベーション」。
ゼレンスキー閣下が倭国の国会で演説したあの日、満場の拍手の中で語られたのは“自由と尊厳の戦い”とやらでした。
🧏♀️「ロシアの侵略に哀悼を」「勇敢な姿勢に敬意を」.....
倭国の代表たちは次々と頭を垂れ、拍手を送りました👏👏「これでキックバックがっぽりやなとねー」
でも今、冷静に振り返ると、あのスピーチはただの劇場型プロパガンダにしか見えません。
💬しかも、れいわ新選組のボイコットを「浮いてる」と報じ、満場一致で拍手することが“正義”のように演出されていたあの空気感😶🌫️
あの頃、極々少数ながら「これ、倭国を戦争に巻き込む演出では?」と疑った声、今や当時の予言書のように読み返されてます📜
📌ウクライナに原発攻撃の恐怖を語り、
倭国にサリンの例を持ち出し、親日エピソードで涙を誘う構成…
🇯🇵「真珠湾」「ホロコースト」に続く、倭国向け“特別演出”😤
いかにも“倭国語字幕付きプロパガンダ演説”だったわけで😮💨
しかも今になって、倭国をロシアの“敵対国”に押し込んだのはこの演説だったと報じるメディアも出てきて、腹の虫が収まりませんпe💡
🎭山東議長が涙ながらに「命をかけた祖国防衛」と称賛したその男は、今も欧州中を巻き込んで、肉のカーテンと称される民間人を前線に送り続けています。
あれを「勇敢」と呼んだ国会。
今ならわかります。脚本は用意されていた。演出も完璧だった。
でもね、
4年経った今、
拍手した人たちにそれを再び見せたい。
本当に、同じ拍手ができるのかって。 November 11, 2025
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ドクター・中松の戦後80年所感(その27)
そしてしかも山本長官がアメリカでの経験上、日曜日にはアメリカ軍人はだらけているという習慣を知っていたので、攻撃は日曜日つまり12月の凍る前の日曜日というとハワイ時間12月 7日しかなかった。倭国時間では12月8日である。
そしてその前にワシントンの野村大使に宣戦布告を、ハル国務長官またルーズベルトに渡す手はずだった。
しかしワシントンの倭国大使館は前日に退職者があって、その退職パーティーが遅くまであり、そして専門家のタイピストも翌日は出るのが遅かったので、素人がタイプを打ったので時間がかかり、山本長官が指示した時刻にワシントンに届けることができなかった。
そしてワシントンに電話で予定のアポイントをずらしてくれという電話をした。そしてその結果として倭国軍が真珠湾を攻撃した後にのこのこと野村大使がルーズベルトに宣戦布告の書類を持って行った。
ルーズベルトはこれこそ天佑なり、すなわちチャンスである。つまり倭国は非常に汚い国で、交渉も長引かされて、そして交渉をしながらスネークアタック、すなわち騙し打ちをする汚い国だと全国民に呼びかけた。
その交渉を長引かせかたというのは、倭国はいかに戦争しないかというので交渉が伸びたのだが、アメリカは逆手に取って交渉を長引かせて、それがインチキな敵を騙す手段で、宣戦布告無しに真珠湾を攻撃したという、全く倭国の意図、山本五十六の意図と全く違う宣伝をして、そして「リメンバーパールハーバー」という標語を作った。これによってリンドバークが平和平和といって、それに賛同していた人も全アメリカ人が立ち上がって兵隊に応募する。
つまりこの「リメンバーパールハーバー」は原爆を落としたB 29の機体にも書かれていた標語だ。
つまり倭国を勝たせなかった人No.5は野村大使である。
さてNo.6は誰だろうか?
(つづく) November 11, 2025
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ドクター・中松の戦後80年所感(その26)
倭国を勝たせなかった人No.5は誰だろうか?
これについて少し前置きの話をする。倭国とアメリカの雲行きが険しくなる前に、海軍兵学校のハンモックNo.1の堀中将は、倭国にマイナスの過激な発言があるとして海軍をやめさせられた。
このハンモックNo.1の堀中将とハンモックNo.5の山本五十六は無二の親友であって、山本五十六がロンドン会議の代表として倭国に帰った後、山本五十六は俺も海軍をやめようかな、と堀に相談したところ、堀は貴様は絶対に海軍に残って、そして日米開戦が起こらないようにしろと言った。そこで山本は連合艦隊司令長官になった後も、いかに日米開戦が起こらないようにするかということを考え、ルーズベルトと親しいという野村吉三郎海軍大将を倭国のアメリカ大使としてアメリカと交渉させ、日米が戦争をしないように交渉したが、なかなかうまくいかず、そうかと言ってこのままでは戦争に突入せざるを得ない。
つまり、倭国の石油はどんどん無くなっていく。この戦争したくないという気持ちと倭国がどんどん石油が無くなって戦争しないと倭国は滅びてしまうという二つの矛盾を山本長官は抱えていた。
そして山本長官は最後まで日米が戦争しない和睦の方向であることを願っており、連合艦隊が真珠湾に向けて発進した後も、もし野村大使が和睦に成功すれば、直ちに全艦隊は倭国に引き上げろという指令を出していた。
一方で山本はもし日米が開戦した場合は、単に戦術的に部分的に倭国海軍がアメリカ海軍をやっつけるだけではなく、戦略的に倭国がアメリカに勝つ。すなわちアメリカが戦意を失う方法は何かという大きな構想まで考えていた。
それは山本がアメリカに留学しアメリカの状況をよく知っていたからである。当時アメリカ大統領はルーズベルトとリンドバーグの 二人が大統領選を戦っていた。そしてルーズベルトは戦争をしたい方であるが、リンドバーグは戦争をするなと主張していた。なぜならリンドバーグは倭国など各地を訪問して各国と仲良くなっていたからである。
だから山本長官の狙いはルーズベルトの主張でなくリンドバーグの主張を強くして、日米が戦争しないようにするにはどうしたらいいかという大きな戦略を考えていた。
山本五十六はトランプカードでも非常に強くて、このようないろいろな心理作戦を考えていつも勝っていたのである。そして山本の考えた作戦というのは、アメリカの国民をして倭国と戦争しない方がいいという失望感を持たせるにはどうするか?ということである。
それには倭国がフェアにアメリカと戦って、そしてフェアにアメリカ徹底的勝利することを示すことによって、アメリカ国民は倭国には勝てないことを示すということであった。
これが山本の基本作戦であった。だからワシントンの野村大使の和僕の話し合いがもし失敗したならば次善の策として、必ず倭国が攻撃する前に、事前の宣戦布告を正確にワシントンに届けるということが必須条件であった。
そして山本はアメリカの海軍がサンディエゴからハワイに全部移動した、ということはチャンスであると考えた。そしてこのハワイに海軍兵学校に入ったけれども、病気で途中で卒業できなかったXをハワイ島に派遣して、毎日ハワイの遊覧飛行に乗せて、上空から軍艦が何隻いるということを毎日報告させた。
そして軍艦が最も停泊する時期を狙っていた。さらに山本は真珠湾の西側は非常に警戒が厳重であり、南側も厳重であるが、北側だけが警備が薄いということを発見した。そこで連合艦隊という巨大な艦隊を、当時倭国の領土だったカムチャッカ半島という北の島に集結して、そこから北回りに静かに真珠湾に艦隊を進めることにした。
さらに山本は周到な計画として飛行機に乗せる海図、つまり図面を全部北と南を逆に書かせている。そして例え飛行機が墜落して海図がアメリカに取られたとしても、倭国の飛行機が南から来たというように錯覚させるように海図を書かせた。
そして真珠湾の入り口には当然防潜網が張られている。潜水艦が湾内に入ることを防ぐ網である。その網の直径よりも小さい潜水艦、つまり 2人乗りの超小型の潜水艦の開発を行った。
さらに真珠湾は浅いので、普通の魚雷では落とすと海の底に魚雷がぶつかって進まないので、浅い水でも深く潜らずに浅く走って行く魚雷の開発も進めた。そして外側の戦艦は魚雷で進め、内側の戦艦は急降下爆撃機で爆弾で沈めるという二重の攻撃を行うため、96式急降下爆撃隊の急降下爆撃訓練を繰り返した。これら色々な綿密な絶対に勝つという戦略を山本長官は行った。
そして攻撃の時期もさっき言ったように北回りで行くということは北の海が氷で凍結してしまうので、その限度は12月の初旬。それ以降だと全くこの作戦は実行不可能であるので、実行のおしりのタイミングは限られていた。
(つづく) November 11, 2025
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数隻の軍艦が入っていました。まさしく真珠湾は難攻不落の要塞であります。」
鈴木の報告を聞いていた軍令部の最高幹部たちは、思わず固唾を呑んだ。噂には聞いていたが、聞くまでもない万全の基地である。
しばらくして鈴木は、最も気掛かりだった哨戒の様子を報告。 https://t.co/YwIOWl7RXw November 11, 2025
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@UMEQBARO 倭国海側に原発沢山並べたまま福島の事故未収束なの忘れちゃったのかな?
食糧自給率低いまま国民食である米さえ減産するのは何故?
まさか真珠湾と同様敵基地先制攻撃なんて夢見てないよね?
しかも肝心の国民放って置いて隣国の為に何故戦争するのさ😨
いよいよ呆けたか麻生太郎🤭 November 11, 2025
8RP
国際連盟を脱退し、真珠湾に無謀な奇襲攻撃を仕掛けて暴れ回ったあげく、多数の戦死者を出しただけでなく、国民は食べ物にもことかくことになり、2発の原爆でやっと目が覚めた戦前の経験から全く学んでいないアホでんな。 https://t.co/Kwhfb3dtZF November 11, 2025
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「倭国人は、戦争に向いてない」
確かに。今でも、ルーズベルトは真珠湾を知っていた、やら、コミンテルンの陰謀、果ては、岡田が質問したのが悪い、などと、相手がズルいから負けたという、妄想がまかり通っている国だから。 https://t.co/HScsbB7thJ November 11, 2025
3RP
高市氏が条約違反の発言をしたのがシンプルに🆖なのに、なぜか中国が悪いという発想になる倭国人、さすがすぎる。逆になんかもうすごいよ。。真珠湾も納得や。 https://t.co/0bUP81aNIm November 11, 2025
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東京裁判(4) A 級戦犯の処刑
※ A級戦犯として起訴された3人の海軍軍人
●嶋田繁太郎 開戦時の海軍大臣
裁判結果は終身禁固刑
裁判での弁明は「自信なし、名案なし、外交交渉見込みなし。リスクを冒して戦争を決意する。やむを得ず」
海軍大臣就任時は、思想的には対米戦争に反対であった。しかし、海軍の伏見宮元帥に一喝されて、戦争賛成派に変心する。しかも、嶋田は軍令部所属であり、軍政面の実績が皆無であった。
裁判結果は、影響力が少なかったと評価され、一票差で死刑判決を免れた。
●永野修身 元帥海軍大将
裁判での聴取で、真珠湾攻撃をナゼ行ったのか? 回答は「戦争戦略で、真珠湾に出ては駄目だ、と言うことは海軍首脳部でも共有されていた。しかし、山本五十六連合艦隊司令長官は真珠湾攻撃を認められなければ、辞任する!との一種脅迫された状況だったので、パールハーバーを攻撃するに至った。」
判決前に肺炎で病死(巣鴨プリズンで肺炎の持病があるにも関わらず、真冬に窓のガラスは割られ、病状悪化) 生存してれば恐らく死刑判決
●岡敬純
開戦時は海軍省軍務局長 海軍中将
強硬な対英米開戦論者であり、開戦準備の立案者 終身禁固刑
※その他、判決を受ける前に死亡した状況の人物
●大角峰生海相
●伏見宮軍令部総長
●山本五十六連合艦隊司令長官
●伊藤整一海軍大将
最後に
A級戦犯が処刑された巣鴨プリズンは、現在のサンシャイン60にあった。 November 11, 2025
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【検閲された戦記】
角川武蔵野ミュージアムの池上彰館長と太田図書部長が、戦前と戦後の発禁本を語ります。
第8弾は、第二次世界大戦中の戦記。真珠湾やマレー戦の本が発禁本となりました。敗戦を受けて軍国主義を礼賛する本は規制されましたが、同時に、資料としては貴重な本です。 https://t.co/RNeBRNTQYu November 11, 2025
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@UF_dynasty 真珠湾をやらせたいトランプ大統領と、やらないで体面を保ちたい…
中狂のせめぎ合いの局面って感じですね。
(我が国のマスゴミや媚中議員が中狂のために奔走してますが…
きっと徒労に終わる事でしょう)
オチテルヤツノ、ギャクヲイカナキャ~
😉✨ November 11, 2025
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【原爆の日】広島平和記念公園で外国人にインタビュー!祖父は真珠湾で仲間を失い、父は核兵器の研究に関わった物理学者、そんな彼女が原爆の日に広島を訪... https://t.co/TdafxdAw5N @YouTubeより
◆平和記念公園原爆資料館修学旅行で行った人多いと思うけど、行ったことない人は一度行くべき November 11, 2025
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桃香さん「仁菜の昭和マニアってどの世代あたりなんだ?」
仁菜「かつて帝国海軍航空部隊がハワイ真珠湾のアメリカ太平洋艦隊を攻撃して日米英等との開戦になったのは知ってますよね?まあ帝国陸軍のコタバル上陸は後で語りますが…」
桃香「ヤバい方の昭和マニアかよ❗もういい解ったから」 November 11, 2025
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続き 敗戦の原因は、諸説ありますが
倭国の未来と倭国国民の命をバクチにかけた指導者の責任と、真珠湾・ミッドウェの暗号(極秘情報)が、アメリカ側に分析され倭国海軍の作戦が筒抜けが敗北の原因と感じます。
高市発言の台湾有事参戦と武力介入は、
非常に危険な発言であり、倭国の未来と
続く November 11, 2025
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皆様、再び御機嫌よう!
本日11月23日は、1941年に南雲機動艦隊が単冠湾に集結、真珠湾攻撃(12月8日未明)の準備が完了した日です!
南雲機動艦隊は真珠湾攻撃を敢行した空母打撃部隊です。山本五十六は対米開戦には反対だったものの、ハルノートにより対米開戦が不可避となると、開戦と同時に一撃の痛打を加えて一気に講和に持ち込む構想を抱きます。
この時、米国は倭国に太平洋を横断して攻撃する能力があるとは思っておらず慢心がありました。しかし、一方で暗号解読で倭国が真珠湾を攻撃することは知っていたと文書が残っています。米国としては、対日開戦の口実が欲しかったので、真珠湾攻撃は恰好の口実だったのです。
こうして1941年11月23日に南雲機動艦隊が単冠湾に集結、12月8日未明に真珠湾攻撃が敢行されます。真珠湾攻撃は大戦果ではあったものの、倭国は米国の罠にはまる形で開戦へと踏み切ってしまうのです。
#倭国史
#おはようVTuber
#今日は何の日 November 11, 2025
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キレさすと日曜日で水兵たちがのんびり過ごす真珠湾を太平洋越えて燃やしに行く民族だぞ。何するかわかったもじゃない。 https://t.co/Zsxhycqib5 November 11, 2025
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@sohbunshu なんだ、ノンフィクション作家としてデビューでもしたいのか?(爆)😂
今更開戦前夜とか、真珠湾絡みのお話しても。
倭国人はドラマで散々観てるよね。🤭
「小倭国」だかなんだか知らんが?
今の日中摩擦の話に当てはめても、何の意味もない。
世間には…あなたの思考停止の人にしか見えないよ。(笑)🤣 November 11, 2025
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他方アメリカではこんなのもあります 戦時中米海軍潜水艦ボーフィンによって学童疎開船の対馬丸が攻撃(沈没)され児童を含め倭国人1400人以上が犠牲になりました
※写真はかつて私が真珠湾へ行った時に撮影したものです https://t.co/1nTYgPeiYY November 11, 2025
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