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生業
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2025.12.08 04:00
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44才の誕生日にあたり多くの皆さまからメッセージをいただきありがとうございました。
期せずして3月に父を見送り、これで両親両祖父母は全員あちらの国へ旅立って行かれました。
大体、母への感謝を言う誕生日ですが。
今年の誕生日は少し父のことについて思い返してみようと思います。
昭和21年終戦直後の広島で生まれた父は4人兄弟の末っ子でした。私はあの時代にしては晩婚だった父が35才の時の長男ですから、父に置き換えれば44才は9才7才3才の子育てをしながらこれから家も買って子供を学校にやり育て上げしていく真っ只中だったことでしょう。
広島の名門のひとつ広島修道中高を卒業。
水球部だった父は吉川晃司が後輩だと会ったこともないのに誇っていました。
鹿児島大学農学部に進学したものの、ヨットと演劇に明け暮れ気付けば8年満期退学という名誉を携えて最強の高卒として社会人人生をスタート。
(その時の思い出が強かったのか、死んだら錦江湾に骨を撒いてくれという唯一の遺言は果たされました。)
広島の祖父が三井生命で働いていた縁で三井観光開発という三井グループとしては傍流のホテル会社に就職し広島県福山市へ。
その時に母と見合いで結婚して私たち兄弟が生まれました。その後、25年近く勤めたホテルは平成のリストラ期に入り見事にリストラ。その後、東京で運送会社の営業所長の職を見つけて定年まで勤めあげてくれました。
お酒は強い方ではありませんでしたが、読書、カメラ、油絵、釣り、登山、ヨット、クラシック、JAZZ、文楽、競馬、麻雀と趣味の人でありました。タバコは両切りのピースをこよなく愛し、ブラックコーヒーとタバコを燻らす朝のルーティーンは病気で入院する直前まで続いていました。
ホテルを生業にしたおかげかグルメでもあり、色々な美味しいものを教えてくれました。
そんな父も、晩年は球脊髄性筋萎縮症という遺伝性の難病が発覚し徐々に筋肉が衰え78年の生涯に幕を閉じました。
組織に馴染むこともなく、それでも私たちを育て上げるため会社員を勤め上げ老後は晴耕雨読で暮らしたいと家庭菜園と孫の守をしながら、たまに息子の選挙に駆り出されて黙々と事務をこなしてくれた父。
不器用ながら決まったルートではなくても生きていけるという手本を示してくれたような人生でした。
そんな父ももういませんが、きっとあちらからみんなで見守っていてくれていることでしょう。
ありがとう。
無理せず頑張れよという声が聞こえる気がする。
そんな44才をスタートします。 December 12, 2025
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「会記のよみかた」
茶の湯に関して全くの素人であった私が写真を通してこの世界に飛び込み、右も左もわからない中何とか25年も続けてこられたのは、やはり裏千家公式行事の撮影を通じて御家元の所作や言葉を間近に見聞できたことが大きい。
例えば。
茶道の雑誌である「月刊淡交」誌には、各地で懸けられたお茶席の記録「会記」を載せている頁がある。
昔、何かの折、御家元が「なんといっても淡交誌は会記欄がいちばん面白い、真っ先に開いている」とおっしゃったのを記憶している。
会記欄なんて、道具や作家の名前が羅列されている文字だけの記録である。当時、まだ茶の湯の世界に慣れていなかった私にはその面白さがまったく分からなかったが・・・、
少しづつ道具を覚え、作家さんを知り、季節ごとの設えなどの理解ができはじめると、会記が読めるようになってくる。
すると、あら不思議。
会記欄を毎月眺めるのが楽しくなってくる。
席主の意図、想い。
季節感やそれぞれの地方の特色。
それらが会記の文字から滲むように感じられ、
そして、茶席の撮影がさらに楽しくなってくるのだ。
会記は、ただの文字による「記録」。
しかしその記録の行間に潜む意味や思いは計り知れない。
私の生業である写真は比して即物的ではあるけれども、
会記に負けないように意味や思いを滲ませたい、と日々格闘している。 December 12, 2025
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