森功 トレンド
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2025.11.24〜(48週)
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誹謗中傷や悪口は肯定しない。だから悪口は言わない。でも批判はしたい。批判は価値的な営みだからだ。ところが、批判と悪口の違いを理解している人は意外と少ない――こういったテーマに関心のある人に読んでほしい本。批判と悪口がどう違っていて、両者をどう使い分けるべきかが鮮明になっていく。→
以下は、本書に促されてぼくが出した暫定的な結論。
まず、悪口について。たとえば、大抵の悪口には「根拠」がない。嘘やデマや噂を「確からしく」騙ったものが悪口になることも多い。しかも、悪口の場合、仮に根拠があったとしても、その根拠と結論をつなぐ理路が「ひとりよがり」や「でたらめ」「妄想的」になりがちだ。あるいは、発言の目的が「相手の改善」よりも「相手を攻撃すること・傷つけること」に置かれていたりする。だから悪口を言う人は、その材料に使えると思うや否や、根も葉もない噂やデマを活用してしまう。
こういった傾向を、発言の「悪口性」と呼ぶとしよう。
次に、批判について。批判は、ものごとの良し悪しを検討するものだ。批判者は、その検討材料として「論理的にどうか」「倫理的に・道義的にどうか」「根拠はあるか」「根拠から導き出される結論やそこまでの理路は妥当か」といった視点をなるべく活用しようとする。あるいは、そこまでいかなくても、「批判にとって、そういった検討材料は大切だよね」と言われれば、その意見に賛同したいとは思うだろう。そして、批判を旨とする人は「相手を攻撃すること」よりも「相手の改善」や「問題点の指摘」にウェイトを置く。
こういった傾向を、発言の「批判性」と呼ぶとしよう。
実は、あらゆる発言には「悪口性」と「批判性」の両方が内在してしまう可能性がある。同じ発言であっても、それが悪口に聞こえる人もいれば、批判に聞こえる人もいる。そこには解釈の幅もある。この意味で、批判と悪口を明確に線引きすることはできない。
でも、発言からなるべく「悪口性」を減らして「批判性」を保持しようとすれば、その発言が「批判」となる可能性は相当に高まる。
ここを意識して、Twitter界隈、X界隈でも発言していきたい。
さて――ここまでアレコレ述べてきたけれど、上記は『世界最先端の研究が教える すごい哲学』に触発されて考えたことである。そのヒントになった議論を以下に記しておきたい。「そもそも悪口はなぜ『悪い』のか」という哲学的なテーマが、その中身だ。
悪口はなぜ悪いのか。
その悪さを説明するのに「危害説」「悪意説」「劣位化説」の3説が役に立つ。
「危害説」とは、悪口が悪いのは「それが相手に危害を加える行為だからだ」というものである。傷つけるから、よくないのだと。ただ、これだけでは悪口の悪さを円満には説明できない。なぜなら、「残念ながら、あなたは不合格です」という発言には人を傷つける側面があるものの、その告知自体を「悪口だ」と言う人はまずいないからだ。
で、次に出てくるのが「悪意説」である。この説では、悪口が悪いのは「それが『相手を傷つけてやろう』という悪意に基づく行為だからだ」と考える。確かに、これも一理ある。だが、悪意説であっても悪口の悪さを円満に説明することはできない。なぜなら、悪気がなくても発言が悪口になってしまうことがあるからだ。悪気なく相手を「イジる」ことが、結果的にイジメになっていた、なんて場面がその一例になる。
で、最後に出てくるのが「劣位化説」である。この説では、悪口が悪いのは「それが自身の優位性や相手の劣位性を確認したり証明するために行われる行為になっていて、そもそもそのように人間をランク付けする思想自体が悪いものだからだ」と考える。マウントを取るためになされる発言も、これにあたるかもしれない。この発想の肝になるのは、危害の有無や悪意の有無はあくまでも周縁的な話であって、中心的に問題視すべきは「相手の劣位を示す」「優劣関係を示す」という行為自体の悪性のほうだと考える点だ。
――脂っこい話を紹介してしまった。。。
ともあれ、ぼくは丁寧な議論を広めていきたいと思っている。
『世界最先端の研究が教える すごい哲学』
著者:稲岡大志/森功次@conchucame/長門裕介@nagatotagan/朱喜哲@hee_verm編
発行:総合法令出版@horeicom December 12, 2025
12RP
『創価学会を世に問う111』
参考とし引用した本。『池田大作と暴力団』西岡研介・乙骨正生・森功・山田直樹ほか著。宝島社。朝鮮邪教創価学会の悪質さを倭国国民は必ず知った上で、その信者だけの政党である創価学会・公明党が倭国国に必要か否か、考えてほしいのだ。 December 12, 2025
2RP
久々にストーリー考えた!😄✨
キャプチャ画像のリプにあるように先日東京で開催されていた森功至さん、逢瀬アキラさん、櫻川メグさんのトークライブで、
「次回は脚本を募集しては?」
というような話が出ていて、もしそうなったらぜひ応募したいと思っていた。
……で、今日ふと設定が浮かんだので、それを元に生成AIのCopilotとチャットしながらアイデア出しを手伝ってもらって、プロットを完成させた。
題して、
『勇者にはほど遠いオヤジ&美女?2人と魔界猫の異世界転生冒険者パーティー』(仮)
ひとまず、イマドキのラノベタイトル風にした(笑)
ちなみに、生成AIに手伝ってもらったと言っても、一部はCopilotの案を採用したが、ほとんどはそこからのインスピレーションで自分で組み立てている。
例えば、3人の中のあるキャラの職業だけど、
Copilot→双剣使いの剣士
hide~☆→忍び出身の双剣使い(短いソード)、体術(格闘術)もこなす。但し少々運動音痴。本人はダンスが得意だと思っているが客観的にみれば下手。
――というような感じで。
(さて、このキャラは誰の役柄か……?)
いや、まあ、本当に募集があるかどうかもまだわからないので、誰にも読まれないままボツかもしれないのだけど、久々にストーリー考えてみるの楽しかった!
いいトレーニングになった!🙃
キャラ設定からプロット完成まで2時間かかってないくらいかな。
ほぼオリジナルではあるけど、生成AIと会話せず一人で考えてたら、こうも早くは進まなかっただろうなあ……。
プロット考えてる間にセリフも幾つかは浮かんだ。
シナリオにするための肉付けをして10~15分程度の朗読劇にするつもりなのだけど、たぶん1日あれば書き上げられるかな。
3人の冒険の一部を切り取ったショートストーリー仕立てで。。🙂 December 12, 2025
@ohtsubakiyuko @kobeshinbun 森功さんの日大の黒歴史本を読みましたが、その系譜は倭国会議、統一、世耕の近代、日大と関大の創立に携わった山田-児島のラインなど 現在の倭国を危険に晒している勢力が同じ潮流にあるという恐ろしい歴史でした。 斎藤は初等教育現場にも行きましたねー やめてほしいわ、ホンマに December 12, 2025
いま銭清弘さんの博士論文「Categorizing Art」を読んでいるが、冒頭ウォルトンのCategories of Artの話が出てきており、こちら未読なので翻訳がないか探してたところ、森功次さんがnoteで全訳を売っていたので買った。Laetzの論文も面白そうなので後で読みたい(このページを参考にしたhttps://t.co/ZP1KWDnowQ )。 December 12, 2025
@nao2049 きゃーー!!( ⸝⸝⸝˃ ̫ ˂⸝⸝⸝)💕💕💕
藤堂さんだー‼️😭
ありがとうございます🙇♀️😂😂
古代君と並んであの頃
本当に好きでした!
森功至さんのお声がまた大好きで😭😭💕
私が銀英伝でミッターマイヤー様のファンなのもきっと藤堂さんから来てるのではないのかと🤔😅😅 December 12, 2025
地面師
森功 著 #読了
Netflixで流行ったあの、地面師たちかと思って購入したら、こちらはルポでした。
なので私には少し難しかった。笑
#読書好きな人と繋がりたい https://t.co/xnaYesqUYn December 12, 2025
【昨日の話題記事】
第3位:安倍外交団で見た世界一悲惨な建設現場・ウラジオストク
第2回
大成建設の天皇、大いに語る|森功
記事はこちら↓
https://t.co/Bj367yf2DS
#大成建設 #文藝春秋PLUS December 12, 2025
#名配役だと思うアニメを挙げる
【宇宙の騎士テッカマン】
森功至さん演じる南城二(テッカマン)、山田康雄さん演じるアンドロー・梅田が見事にマッチしていると思う。 https://t.co/VBI7hgVmLE December 12, 2025
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安倍外交団で見た世界一悲惨な建設現場・ウラジオストク
第2回
大成建設の天皇、大いに語る|森功
記事はこちら↓
https://t.co/ChGBuS9UX4
#大成建設 #文藝春秋PLUS December 12, 2025
誹謗中傷や悪口は肯定しない。だから悪口は言わない。でも批判はしたい。批判は価値的な営みだからだ。ところが、批判と悪口の違いを理解している人は意外と少ない――こういったテーマに関心のある人に読んでほしい本。批判と悪口がどう違っていて、両者をどう使い分けるべきかが鮮明になっていく。→
以下は、本書に促されてぼくが出した暫定的な結論。
まず、悪口について。たとえば、大抵の悪口には「根拠」がない。嘘やデマや噂を「確からしく」騙ったものが悪口になることも多い。しかも、悪口の場合、仮に根拠があったとしても、その根拠と結論をつなぐ理路が「ひとりよがり」や「でたらめ」「妄想的」になりがちだ。あるいは、発言の目的が「相手の改善」よりも「相手を攻撃すること・傷つけること」に置かれていたりする。だから悪口を言う人は、その材料に使えると思うや否や、根も葉もない噂やデマを活用してしまう。
こういった傾向を、発言の「悪口性」と呼ぶとしよう。
次に、批判について。批判は、ものごとの良し悪しを検討するものだ。批判者は、その検討材料として「論理的にどうか」「倫理的に・道義的にどうか」「根拠はあるか」「根拠から導き出される結論やそこまでの理路は妥当か」といった視点をなるべく活用しようとする。あるいは、そこまでいかなくても、「批判にとって、そういった検討材料は大切だよね」と言われれば、その意見に賛同したいとは思うだろう。そして、批判を旨とする人は「相手を攻撃すること」よりも「相手の改善」や「問題点の指摘」にウェイトを置く。
こういった傾向を、発言の「批判性」と呼ぶとしよう。
実は、あらゆる発言には「悪口性」と「批判性」の両方が内在してしまう可能性がある。同じ発言であっても、それが悪口に聞こえる人もいれば、批判に聞こえる人もいる。そこには解釈の幅もある。この意味で、批判と悪口を明確に線引きすることはできない。
でも、発言からなるべく「悪口性」を減らして「批判性」を保持しようとすれば、その発言が「批判」となる可能性は相当に高まる。
ここを意識して、Twitter界隈、X界隈でも発言していきたい。
さて――ここまでアレコレ述べてきたけれど、上記は『世界最先端の研究が教える すごい哲学』に触発されて考えたことである。そのヒントになった議論を以下に記しておきたい。「そもそも悪口はなぜ『悪い』のか」という哲学的なテーマが、その中身だ。
悪口はなぜ悪いのか。
その悪さを説明するのに「危害説」「悪意説」「劣位化説」の3説が役に立つ。
「危害説」とは、悪口が悪いのは「それが相手に危害を加える行為だからだ」というものである。傷つけるから、よくないのだと。ただ、これだけでは悪口の悪さを円満には説明できない。なぜなら、「残念ながら、あなたは不合格です」という発言には人を傷つける側面があるものの、その告知自体を「悪口だ」と言う人はまずいないからだ。
で、次に出てくるのが「悪意説」である。この説では、悪口が悪いのは「それが『相手を傷つけてやろう』という悪意に基づく行為だからだ」と考える。確かに、これも一理ある。だが、悪意説であっても悪口の悪さを円満に説明することはできない。なぜなら、悪気がなくても発言が悪口になってしまうことがあるからだ。悪気なく相手を「イジる」ことが、結果的にイジメになっていた、なんて場面がその一例になる。
で、最後に出てくるのが「劣位化説」である。この説では、悪口が悪いのは「それが自身の優位性や相手の劣位性を確認したり証明するために行われる行為になっていて、そもそもそのように人間をランク付けする思想自体が悪いものだからだ」と考える。マウントを取るためになされる発言も、これにあたるかもしれない。この発想の肝になるのは、危害の有無や悪意の有無はあくまでも周縁的な話であって、中心的に問題視すべきは「相手の劣位を示す」「優劣関係を示す」という行為自体の悪性のほうだと考える点だ。
――新年から脂っこい話を紹介してしまった。
ともあれ、ぼくは丁寧な議論を広めていきたいと思っている。
『世界最先端の研究が教える すごい哲学』
著者:稲岡大志/森功次@conchucame/長門裕介@nagatotagan/朱喜哲@hee_verm編
発行:総合法令出版@horeicom December 12, 2025
誹謗中傷や悪口は肯定しない。だから悪口は言わない。でも批判はしたい。批判は価値的な営みだからだ。ところが、批判と悪口の違いを理解している人は意外と少ない――こういったテーマに関心のある人に読んでほしい本。批判と悪口がどう違っていて、両者をどう使い分けるべきかが鮮明になっていく。→
以下は、本書に促されてぼくが出した暫定的な結論。
まず、悪口について。たとえば、大抵の悪口には「根拠」がない。嘘やデマや噂を「確からしく」騙ったものが悪口になることも多い。しかも、悪口の場合、仮に根拠があったとしても、その根拠と結論をつなぐ理路が「ひとりよがり」や「でたらめ」「妄想的」になりがちだ。あるいは、発言の目的が「相手の改善」よりも「相手を攻撃すること・傷つけること」に置かれていたりする。だから悪口を言う人は、その材料に使えると思や否や、根も葉もない噂やデマを活用してしまう。
こういった傾向を、発言の「悪口性」と呼ぶとしよう。
次に、批判について。批判は、ものごとの良し悪しを検討するものだ。批判者は、その検討材料として「論理的にどうか」「倫理的に・道義的にどうか」「根拠はあるか」「根拠から導き出される結論やそこまでの理路は妥当か」といった視点をなるべく活用しようとする。あるいは、そこまでいかなくても、「批判にとって、そういった検討材料は大切だよね」と言われれば、その意見に賛同したいとは思うだろう。そして、批判を旨とする人は「相手を攻撃すること」よりも「相手の改善」や「問題点の指摘」にウェイトを置く。
こういった傾向を、発言の「批判性」と呼ぶとしよう。
実は、あらゆる発言には「悪口性」と「批判性」の両方が内在してしまう可能性がある。同じ発言であっても、それが悪口に聞こえる人もいれば、批判に聞こえる人もいる。そこには解釈の幅もある。この意味で、批判と悪口を明確に線引きすることはできない。
でも、発言からなるべく「悪口性」を減らして「批判性」を保持しようとすれば、その発言が「批判」となる可能性は相当に高まる。
ここを意識して、Twitter界隈、X界隈でも発言していきたい。
さて――ここまでアレコレ述べてきたけれど、上記は『世界最先端の研究が教える すごい哲学』に触発されて考えたことである。そのヒントになった議論を以下に記しておきたい。「そもそも悪口はなぜ『悪い』のか」という哲学的なテーマが、その中身だ。
悪口はなぜ悪いのか。
その悪さを説明するのに「危害説」「悪意説」「劣位化説」の3説が役に立つ。
「危害説」とは、悪口が悪いのは「それが相手に危害を加える行為だからだ」というものである。傷つけるから、よくないのだと。ただ、これだけでは悪口の悪さを円満には説明できない。なぜなら、「残念ながら、あなたは不合格です」という発言には人を傷つける側面があるものの、その告知自体を「悪口だ」と言う人はまずいないからだ。
で、次に出てくるのが「悪意説」である。この説では、悪口が悪いのは「それが『相手を傷つけてやろう』という悪意に基づく行為だからだ」と考える。確かに、これも一理ある。だが、悪意説であっても悪口の悪さを円満に説明することはできない。なぜなら、悪気がなくても発言が悪口になってしまうことがあるからだ。悪気なく相手を「イジる」ことが、結果的にイジメになっていた、なんて場面がその一例になる。
で、最後に出てくるのが「劣位化説」である。この説では、悪口が悪いのは「それが自身の優位性や相手の劣位性を確認したり証明するために行われる行為になっていて、そもそもそのように人間をランク付けする思想自体が悪いものだからだ」と考える。マウントを取るためになされる発言も、これにあたるかもしれない。この発想の肝になるのは、危害の有無や悪意の有無はあくまでも周縁的な話であって、中心的に問題視すべきは「相手の劣位を示す」「優劣関係を示す」という行為自体の悪性のほうだと考える点だ。
――新年から脂っこい話を紹介してしまった。
ともあれ、ぼくは丁寧な議論を広めていきたいと思っている。
『世界最先端の研究が教える すごい哲学』
著者:稲岡大志/森功次@conchucame/長門裕介@nagatotagan/朱喜哲@hee_verm編
発行:総合法令出版@horeicom December 12, 2025
⬆️…も兄弟もガールフレンドもいる明るい人。アンジェキャラでいうならアリオスとランディ様って感じ? 声はカムイが中田浩二さんで剛が森功至さん。中田さんは『名探偵コナン』で小田切敏郎(警視庁刑事部部長)などをされており、森さんは『はいからさんが通る』で伊集院忍などをされてるんだよね♡ December 12, 2025
#japancomicartexpo
ジャパコミいきましたぜ!
ガルマの森功至さん、
初代アトム声優の清水マリさん!
トークショーでアフレコ始まったが、凄かった。
あんな元気な感じに歳をとりたい。
まじでガルマだった。
まじで謀ったなシャア!!だった。
そしてレクシーレイブ!
超良い子でした!
#3000回愛してる December 12, 2025
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