明治時代 トレンド
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2025.11.27
:0% :0% (40代/男性)
明治時代に関するポスト数は前日に比べ33%減少しました。女性の比率は3%増加し、本日も40代男性の皆さんからのポストが最も多いです。前日は「時代」に関する評判が話題でしたが、本日話題になっているキーワードは「倭国」です。
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
#ばけばけ
#NHK朝ドラ
#NHK大阪局
島根県知事、江藤は英語教育のため、西洋文化を知らしめるため、そうして島根を、松江を、倭国で一目置かれるような県にしようと、ヘブン先生を松江に繋ぎ止めようと必死です。
そうして、倭国の良さを知ってもらおうと、松江藩主、松平家の菩提寺、月照寺を案内します。
この月照寺にある七代藩主、茶人としても知られ、松江に茶、和菓子の文化を広めた松平治郷〜不昧公の墓を案内しました。
この墓が、なんと夜中になると町中を徘徊し、人を喰らうという伝説の残る大亀の石碑!!
月照寺に隣接する松江第一中学は、以前、島根大学教育学部附属中学校で、我が母校。
月照寺は時折、覗いておりましたし、大人になってからも何度も訪ねております。
お隣の東林寺の本堂でも、「小泉八雲 朗読のしらべ」を行なっておりましたし、何かとご縁があります。
で、通っていた頃の附属中学は、明治時代からの木造校舎で、師範学校だったと、聞いていました。
趣のある校舎でした。
「ばけばけ」に出てくる松江中学の校舎と同じような佇まいで、校舎の板塀は鼠色に近い塗装だったかな?
ヘブン・・いや、へるん先生は、松江中学と師範学校でも教鞭を取っていたので、中学時代には「この教壇に小泉八雲も立っていたのか・・・」なんて思っていました。
けれど、当時の師範学校は、現在の松江警察署のあたりだったそうなので、移築したのかどうなのか・・・?
検索してみても、なかなかよくわからずで・・・師範学校が学部によっていろいろなところに分かれてたのかな?
僕が卒業後は、移転してコンクリートの校舎となり、現在は島根大学内に統合されているとのこと。
なので、ドラマとはいえ、月照寺で撮影中は、本当にへルンさんと出会えたようで、テンション上がってたかもです^^”
ところが、娘が出てきて、ヘブン先生に恋心・・・一気にドラマの世界に引き戻されてしまいました。
現実とフィクションとを行ったり来たりは、本望ではあるのですが、10代の頃と現在とをも行き来するようで、なんとも不思議な感覚に襲われておりました。
さて、月照寺に登場する化け亀ですが、以前、イタリアのボマルツォにある「怪物庭園」を訪れた時、イタリアにも似たような亀の石像があったので、びっくり!!
その後、韓国のお寺を訪ねた時にも。
亀趺墓(きふぼ)といって、中国から伝わったもののようですが、倭国では江戸時代の大名のお墓で使われるようになったとも言われているようです。
踏みつけられても、大きな重し、負荷をかけられてもそれに耐え、あの世へと旅立った後も、災いに耐え、幸多かれと願う想いが込められているのでしょうか?
果たして、ヨーロッパやインドから渡ってきたものなのか、中国から欧州へと渡っていったのか・・・?
何千年にも渡る謎、浦島太郎に似た話は、洋の東西を問わずにありますし、亀が浦島から運んできたのかな? November 11, 2025
198RP
観音崎要塞 軍用トロッコの廃線跡(横須賀市)
【“廃線だけ” 未掲載作品】突堤に遺る、線路の痕跡。明治時代、観音崎が軍の要塞となり、砲台や弾薬庫などの施設が造られた折、物資や弾薬の運搬に供された軍用トロッコの名残り。100年以上前に敷設されたものだそうです。
この写真は『廃線だけ―平成・令和の棄景』用に撮影したものですが、レイアウトの都合等で未掲載となった写真です。撮影は2018年の初夏。
■この夏発売『廃線だけ―平成・令和の棄景』 https://t.co/iw4a78nMki
実業之倭国社のこの紹介ページ。こちらからオンライン書店にも飛べます。Amazonでも再び入手可能となりました。重版分の印刷も最高レベルの仕上がりです。現在、三刷り(二度目の重版)も決定しております。この機会にぜひ、お手に取って頂けましたら幸いです。
■この秋発売の続刊『廃線だけ―昭和の棄景』 https://t.co/qiinoqIvj4昭和の懐かしい廃線風景をまとめた『廃線だけ―昭和の棄景』は10月に発売されました。先日、印刷に立ち会いましたが、素晴らしいクオリティでした。製本も凝った仕上げで、最高の一冊です。紹介ページからAmazonにも飛べますので、ご注文頂けましたら幸いです。
街歩き好き、写真好き、廃墟・廃線好き、鉄道好きの皆さま、ご高覧頂けましたら嬉しく存じます。
#廃線跡 #廃線 November 11, 2025
39RP
@hirohomma4 イザベラバードの旅行記で倭国は明治時代で文化的な生活だった時、韓国ソウルは悪臭漂う街で文化的な物がほとんど無いと記しています。
その後倭国が韓国のインフラ等を整備した。
https://t.co/5VbX6dCVzX November 11, 2025
13RP
『書楼弔堂』シリーズは明治時代を舞台に、
実在する著名人が1冊の本と出会う物語です
京極ファンはもちろんですが、
本好き・歴史好きの皆さんは『書楼弔堂』のみならず、
京極作品を読んで、ご持参いただき、
館長ステッカーをゲットしてください
ご来場をお待ちしております!
#京極夏彦 #書楼弔堂 November 11, 2025
10RP
朝ドラ「ばけばけ」の主人公 小泉八雲が倭国について記した本を知る動画。八雲の「倭国の全てが繊細で美しく見える」は今も田舎に残っている。倭国を、大切に守っていきたい。
小泉八雲が見た明治時代 130年前の倭国人の姿と外国人が驚いた倭国の生活【なるためJAPAN】 https://t.co/2PTdxRmMVD November 11, 2025
5RP
【天川工法】
軍艦島の「天川工法」とは、セメントが普及する前の明治時代に、石灰と赤土を混ぜた「天川(あまかわ)」という凝固剤を使って自然石を積み上げた、伝統的な護岸工法です。
#軍艦島 #端島 #長崎 #世界遺産 #軍艦島デジタルミュージアム #軍艦島コンシェルジュ #旅行 #長崎観光 https://t.co/djeJc6tbNj November 11, 2025
4RP
倭国の「パターン(型紙)」って実はすごい。
服を作るときに使う 「パターン(型紙)」
これは、簡単に言うと 服の設計図 のようなものです。
でも実は
倭国のパターン作りの技術は 世界でもトップレベル!
もし、パターン作りのオリンピックがあったら
倭国はたぶん メダル独り占め しちゃうんじゃない?
と言いたくなるくらい凄いと思っています。
でも、どうして倭国はそんなにパターン作りが上手なんでしょうか?
その理由のひとつは、
人の体を「立体」で見る力がめちゃくちゃ高いから。
平らな布を扱いながら
人の体の立体に合わせてデザインして
美しい形へと導いていく技術が驚くほど発達しています。
これは
倭国の職人さんたちが 明治時代からコツコツ努力して磨いてきた技術 です。
背景には
倭国人が「着心地のプロ」でもあると言うこと。
着たときの気持ちよさ に超敏感な民族だからです。
「動きやすいかな?」
「チクチクしない?」
「形はきれい?」
「座ったら変なシワできない?」
パターンもそうですが、生地や縫製なども同じです。
着る人への細かな着心地へのこだわりを大切にする
文化がずっと根付いています。
倭国の服は
「ラインがきれい!」
「形がととのってる!」
といった精度の高い仕上がりになり
世界でも高い評価を得ているのですね。
見えない所で職人さんたちがコツコツ努力して磨いてきた技術。
そういう文化が倭国の仕事には宿っていると思います。
夜のコラム ちょっとした気づきをお伝えしています。
今日もお疲れ様でした。 November 11, 2025
4RP
“反・科学のカルト教団”共産党の嘘八百で止められた柏崎刈羽原発の第六・七号機がようやく再稼働へ──2011年から十四年間、関東の消費者が負担した追加電気料金八兆円(仮値)を共産党は支払え!
倭国人が知を喪失してすでに久しい。科学に一定以上の敬意を持っていた1950〜60年代の倭国人を文明人だとすれば、1990年代以降の倭国人は、ほぼ全員が“科学否定/科学排除の野蛮人”に再び成り下がってしまった。
大東亜戦争の八年間とは倭国人の蛮族化の八年間だが、GHQの進駐によって倭国は野蛮から文明へと反転することができ、倭国は《倭国》を取り戻し、あるべき倭国が回復した。倭国はGHQによって救国された。即ち、GHQにより倭国人は明治時代と同じ“科学との共生”に国家路線を正常化した。この正常化は(GHQが去って十五年ほどの)1968年まで続いた。
この“科学との共生”時代の再来は、倭国の高度成長をもたらした。科学との共生とは、反科学/非科学の奇論暴説を排撃する、“倫理から逸脱しない”ことだから、1950〜60年代の倭国人とは、倫理的な人間に再生したことになる。経済発展の基盤は技術革新。技術革新は、正しい科学への尊崇という倫理なしには生まれない。
しかし、ルソーを崇拝して未開・野蛮をユートピアと考える“黒魔教的な暗黒政党”共産党は、経済発展を阻止してそれを逆流させ、暗く陰湿な貧困社会に倭国を退化させる革命をなさんと、あらん限りに反・科学/非・科学の奇論狂説を倭国人に刷り込んできた。反・科学/非・科学に洗脳されれば、それは倭国人を未開・野蛮に回帰させるから、倭国は経済成長を反転させ衰退に向かう。
反科学/非科学は倫理喪失において発生するので、反科学/非科学を刷り込まれた倭国人は、倫理なき人間すなわち夢遊病者型の人間へと必然的に改造される。倭国人の倫理が薄弱化し、限りなくゼロ化すれば、それは夢遊病型の倭国人(引きこもりやニート)を急増させていく。当然、倭国国の全体の活力が衰え、倭国人の精神が腐食する。経済は縮小のスパイラルを一気に駆け降りる。
共産党が国民に反科学を刷り込む目的は、革命の基盤「倭国経済の衰落」「国民の貧困化」が狙い
“悪魔の反科学カルト宗教団体”共産党は、1950年代に発生した メチル水銀農薬 (稲の「いもち病」殺菌剤)の井戸水への投下で発生した、大規模な“殺人未遂事件”の水俣病から、福島第一原発事故を悪用した2011年の「 人畜無害のセシウム での強制避難/土壌除染」“大騒動”に至るまで、《反科学/非科学を国の行政》にする破壊的な国家蚕食を続けて、今も過激にそれを遂行。
倭国の朝日新聞・毎日新聞・東京新聞やNHK・TBS・テレビ朝日などは、共産党の宣伝機関であって、報道機関ではない。実際にも、上記の事例のように、共産党発の真赤な大嘘を濃縮・増幅して倭国人に徹底的に刷り込むカルト教宣の嘘情報を垂れ流すことしかしない。倭国の新聞TVは一つの例外なく、共産党と朝鮮総連の支配下にある共産革命団体。これ以外ではない。
このように、共産党の命令に唯々諾々の新聞TVの反科学カルト教宣が、1955年頃から大々的にキャンペーンされてきたため、一億倭国人は今では正しい科学を思考することができない。科学に適う思考をする倭国人は、今では絶滅危惧種。私など僅かが残るに過ぎない。
水俣で猫“狂死”(1953〜4年)→脳性麻痺の乳児(1955年)→原因不明で死亡者多数(1956年)
戦後倭国での反科学キャンペーンの嚆矢は、台風の夜に相当数の何者かが秘かに井戸に投入したメチル水銀 農薬 を飲んだ熊本県水俣村の妊婦を含めた住民の水銀農薬“中毒”事件(1955年)。これを、「水俣湾の魚介類を食した結果だ」「非医学の大嘘《胎児性水俣病》だ!」など、馬鹿馬鹿しいデッチアゲ大嘘オンパレードに擦り替えた、共産党員の原田正純医師とグルの朝日新聞など多くの新聞は、トンデモ報道を一斉に放った。なお、非医学の大嘘《胎児性水俣病》とは、1955年にかなり多数生まれた脳性麻痺の乳児を指す言葉。1955年に妊婦が井戸水に投入されたメチル水銀農薬をがぶがぶと飲んだゆえに起きたことは、1957年以降には一件も発生していないことで明白。
また、井戸水への水銀農薬“投入”二年前の1953年から、誰かが水俣で野良猫に水銀農薬を混入した餌を与え、大量に狂死させていた(100匹以上)。これ、地元では相当な騒ぎになったが、熊本県の隣の福岡県ではほとんど報道されなかった。
福岡県に住む私は、小学生五年生だった1955年。「水俣病が発生!」と騒がれると同時に、学校で「水俣病はメチル水銀 農薬 中毒のようよ」と女性教師が叫ぶように語った。そして、(水銀農薬が海へと流される)台風が来るまで川で泳いではいけないと厳しく注意。男児童にとって、7月20日の夏休みと同時に川遊びをするのが楽しいのであって、台風が過ぎた8月に入ってからの川遊びはドっ白け。
「水俣病はメチル水銀 農薬 中毒で、チッソの排水は全くのデッチアゲ」は、私が大学三年生の1965年まではインテリ界の普遍的な常識。東大航空学科での授業中、ある温厚な教授が、「水俣の裁判でメチル水銀農薬が原因でないとの判決が出た。間違いも度が過ぎる。裁判官は科学がわからない。 化学 専門家を裁判官とする特別裁判所を設置すべきだ」と怒っていた。学生のほとんどは、「ごく当たり前の常識で怒っているな」と静かに拝聴。東工大の化学工業科の教授達は、1950年代から論文「水俣病はメチル水銀 農薬 中毒」をかなりの数発表。東大工学部の学生はこれを耳にしていた(附記1)。
“ゴリゴリ共産党員医師”原田正純とは「水俣病チッソ排水説」宣伝屋の尖兵。大嘘吐き病を病む典型的な共産党活動家。原田正純が暗躍した事実だけで、水俣病が化学メーカー・チッソとは無関係だとわかる。共産党員とは殺人大好きな“ 逆さ大嘘つき ”宗教団体の信者だから、党員=信者は皆、「京都アニメーションの社員36名殺害、32名重軽症」の“殺し屋”青葉真司以上に残虐な上に、“ 逆さ大嘘つき ”に精を出す狂人。なお、原田正純の“大嘘”水俣病の教宣本はすべて、共産党直轄出版社の岩波書店/倭国評論社/フレーベル館/新曜社/立風書房/実教出版から出版されている。
なお、《「水俣“猫怪死”事件多発(1953〜4年)→脳性麻痺胎児など井戸水“メチル水銀農薬”飲食中毒(1955年)」は、1952年に火炎瓶暴力革命が粉砕された日共が、それに続く革命闘争として計画・実行した》との説は、その真偽は別として(附記2)、私の世代ではごく普通の話だった。
さて、ではなぜ、共産党は「水俣病はチッソ」という世紀の大嘘をでっちあげたのか。それはチッソが、当時の倭国では五指に入る大企業で倭国経済を支える外貨を稼いでいたからだ。「大企業つぶし→外貨減らし→倭国経済の衰落」は、共産革命の土壌に不可欠。これを共産党は、火炎瓶闘争などの暴力革命と車の両輪にしていた。要は、不幸にもチッソが共産党の攻撃対象に選ばれただけ。
これは人畜無害なセシウムで強制避難させたり強制土壌除染をしたりの、スーパー反科学のトンデモ行政をおっぱじめた共産党員・菅直人政権による、2011年に始まる「東電潰しと電力不足による倭国経済潰し」革命と同一の、共産党の中核的な革命運動。これについては、後述。
美濃部亮吉の新幹線潰しも、川勝平太(静岡県知事)のリニア潰しも、日共の倭国経済“潰し”革命
現在では世代が変わり、倭国人はすっかり忘れたが、1960年代では、共産党員と聞けば、「倭国経済潰しをする人達」が連想された。2020年を過ぎてなお、静岡県知事の川勝平太は、リニア新・新幹線をぶっ壊したく、その線路開鑿を妨害した。彼は、倭国経済の発展を憎悪する狂信的な共産主義者。党籍を持つ川勝平太の書斎には、古色蒼然とマルクス・エンゲルス全集が並んでいる。
私の世代が、原則「共産党は、倭国経済の発展を憎む」を知ったのは、東京都知事になる前の美濃部亮吉が「新幹線反対、倭国経済の発展を阻止せよ」とそれに執拗に反対し、それが新聞に大きく報道されたからだ。美濃部は東京都知事に出馬するに際し、「僕は新幹線には決して乗らない」を公約とした。
アジアのハブ空港として倭国経済を飛躍的に発展させるために建設が始まった成田空港を、逆さにもつぶす三里塚闘争は、中核派などが中心で、日共は追い出された格好だったが、この闘争目的は共産党と全く同じで、倭国経済の発展阻止。この闘争、1967年頃に始まり、二十年以上やっていたのではないか。中央大学在学時代は中核派のメンバーだった政治評論家の田崎史郎も、1970年頃、三里塚闘争で警官に火炎瓶を投げて捕まったはず。
(附記1) 職員の八割を共産党員で固めた環境庁が、1971年に設置された。その目的は、市井に根強い「水俣病は、メチル水銀農薬を飲んだのが原因」説を、国家権力でぶっ潰すこと。実際にも、公害対策を表看板とする環境庁ができてから、「水俣病は、メチル水銀農薬を飲んだのが原因」説は、巷間から次第に消えていった。
環境省が地球温暖化CO2説を絶対としたり、太陽光パネルによる環境(森林)破壊には目を瞑るのは、共産党員による共産革命が目的の官庁だからである。「公害対策庁」が環境庁の別名だったはずだが、今では太陽光パネルを規制せず、逆さにも無制限に許容している。環境省は共産革命庁の別名なのだろう。
(附記2) 巷間に言う「共産党は《殺人鬼の裁判官》」とは、絶妙な真実。メチル水銀農薬を猫に与え、井戸水に投下した大規模な殺人未遂/傷害事件の刑事犯罪者が共産党員だとの仮定だが、水俣病事件の全容は、この犯罪者が裁判官となり、不可解な奇病の原因を解明すると詐称し、無実のチッソを真犯人に仕立てていく冤罪づくりのトンデモ法廷の光景を髣髴とさせる。
らい病患者への不妊や断種手術を糾弾して、国から法外な賠償金をむしり取る共産党弁護団の法廷闘争も、《殺人鬼が裁判官の法廷》。なぜなら、戦前、らい病患者に、無差別に不妊や断種の手術を施したのは、共産主義者医師だった。当時は治安維持法があり、これら共産主義者医師は共産党に入らず、代わりにナチズムを崇拝しヒトラーを讃美していた。
優生という言葉がヒトラーの『我が闘争』から生まれているように、優生保護法の戦前の法律「国民優生法」(1940年)は、ナチの「遺伝病子孫防止法」の模倣だった。戦後の優生保護法は1948年制定だが、これは「国民優生法」をほんの少しいじっただけで殆んど同一。即ち、「ヒトラー『我が闘争』→ナチ遺伝病子孫防止法→倭国の国民優生法→倭国の優生保護法」の流れである。
昭和天皇/吉田茂/曽野明/中川八洋は、倭国の反ナチの代表。倭国では反ナチは意外と少ない。特に、私は、ダーウィンの系譜にあるヒトラー語「優生」を聞くと蕁麻疹ができるほどで蛇蝎のごとく排撃する。一方、「何でもかんでも遺伝する」は、共産党員が信仰する狂説。共産党員とは正真正銘の気狂いだから、科学に反する「放射線被曝は遺伝する」を主張し、その嘘を糊塗するために、「被曝」ならぬ「被爆」を造語し、「被爆二世」「被爆三世」などのアホ丸出し珍語を捏造。
不妊や断種の手術は、 何でも遺伝すると考える共産主義者の狂気 から生まれた。私のように、遺伝する病気は極めて稀と考える正常な医学を心得ていれば、不妊や断種の手術など安易になされることはない。それはともかく、ライ病患者に不必要な不妊や断種の手術をしたのは共産主義者・共産党員医師。なのに、戦前と戦後直ぐの共産主義者・共産党員医師の責任を、数十年が経った2020年頃、共産党員弁護士たちが国の責任だと、国を冤罪的に断罪している。正常な倭国国民なら、「ライ病患者に不必要な不妊や断種の手術をした共産主義者・共産党員医師」の賠償責任を肩代わりすべきは、志位和夫の倭国共産党だと考える。倭国共産党こそ、その損害賠償の全額を支払う義務を負うている。
人畜無害のセシウムしか漏洩しなかった、あれほどの事故で軽微な被害で済んだ福島第一原発
福島第一原発事故を、“共産党の機関紙”朝日新聞その他の新聞やNHK等は、来る日も来る日も飽きもせず、白髪三千丈のスーパー大げさに報道した。国民を原発離れさせる「原発怖い」「原発危険」を刷り込むためである。が、 誰一人死んでもいない 。 誰一人ケガすらしていない 。
この白髪三千丈のスーパー大げさ描写/記録は、十四年間が経つ現在も続いている。例えば、共産党が簒奪して好き放題に編集しているwikipediaは、結果は軽微な被害で済んだ福島第一原発をチェルノブイリ事故に次ぐかのように描写している。悪意の改竄と言ってよい。チェルノブイリ原発は、その爆発事故で、すぐに数十名が死亡した。原子炉を石棺で固める作業に動員された“防護服なしの囚人”その他の数千人が死んだ(推定)。チェルノブイリ原子炉は軍事炉の転用である黒鉛炉で、そもそも安全第一の軽水炉とは異なる。
要は、チェルノブイリ事故からは人体に有害な放射性物質、プルトニウムやストロンチウムも大量に排出された。一方、福島第一からは、人体に無害なセシウムの他は、ヨウ素131しか放出されていない。半減期が8.04日のため、ヨウ素131はあっという間に消えた。しかも、風が基本的に南東に向いて吹いたため、海に流れた。ヨウ素による障害(甲状腺がん)が一件も発見されなかった。ヨウ素131は何らの問題も起こさなかった。
すなわち、 人体にいっさい害を及ぼさない (=避難も土壌除染も全く不必要な) セシウム134とセシウム137 が建屋爆発によって外部に放出された唯一の放射性物質と考えればよい。つまり、3・11福島原発は、軽微な事故ではなかったが、重大事故でもなかった。要は、2011・3・11福島事故は、原子炉の喪失で済んだ。
そこで、凶悪な犯罪政党の共産党は、どうしても自分たちの狂気のドグマ「電力不足を倭国国に来し、電気料金を暴騰させ、倭国経済を崩壊的に下降させ、国民生活を貧困化する」が具現するよう、福島第一原発事故をチェルノブイリ級にデッチアゲることにし、それを菅直人・首相に命令した。
一、「セシウム」という言葉を使うな。「放射性物質」を使え。そうすれば、その人畜無害を隠せる。
二、健康被害ゼロを「健康に多大なる影響をもたらす」に誤解させるには、目に見える策を行政命令すればいい。強制連行と同じ強制避難を長期にさせることが一番効果的だと。これには、「帰還困難区域」など大嘘の「人体に危険な地域」をでっちあげればいい。
三、「セシウム」は人畜無害な上に、土壌との親和性が高く、野菜や稲の毛根は吸いあげないから、野菜や稲のベクレル数には何の変化もしない。そこで、国民が危険かに勝手に妄想させるべく、野菜や稲の放射線量を決して測定するな! さらに、十兆円になるよう、大規模な(電力料金を鰻登りに上げる目的の全く無駄な)汚染土壌引き剥がしを環境省にさせること。環境省の官僚の八割は共産産党員だから、これをうまくやるはず。
情報戦の専門家(トップ秀才の東大卒)を有してなければならない電力会社に、それが一人もいない
私は2011年、菅直人首相が、帰還困難区域などを設定しているのを聞き、東電本社にかなりの数の課長や部次長クラスを集めてもらい、「(1)経産省との全面対決と(2)一般国民への啓蒙の情報戦をしなくては、東電は避難で十兆円、土壌除染で十兆円の計二十兆円を支払う羽目になる。私が暫く、後任が社員の中から誕生するまで、それをやる。そこで、私を直ぐ臨時の対外交渉宣伝部長に雇え」と提案した。が、誰も興味を持たなかった。
電力会社は、経産省や環境省あるいは原子力規制委員会について全く無知。いや、殆んど関心がないのだ。経産省は私からすれば、太陽光パネル発電に買収された赤い劣等生の東大卒しかおらず一蹴するのは容易い。が、電力会社の社長/副社長は東大卒でない。慶大卒などなどで経産省の赤い官僚とは戦えない。が、こんなことも知らないのが電力会社。
電力会社とは、形式的には私企業でも、トヨタなどの完全な私企業とは異なる。法律的には準・国営企業の会社なのだ。このため、経産省の官僚と対抗できる圧倒的に優秀なトップ東大卒を同期の三倍の月給を出して雇っていなくてはやっていけないのが電力会社なのだが、このことを意識すらしていない。東大卒の霞が関官僚は、本郷のIQ/成績の高順位者には頭を下げる。これを活用しない電力会社など馬鹿以下のドアホ。
特に今では経産省官僚の三割以上が共産党員、環境省の八割が共産党員、原子力規制委員会の五名はむろん原子力規制庁の九割は共産党員。こういう情況下で原発を推進しなければならないのが電力会社。だから電力会社ほど、反共の東大卒の社員を毎年数名雇用するのが絶対に不可欠。東大のトップ秀才でない限り、例えば、「原子炉事故と放射線医学」「原子炉と活断層」等の分野で、日共党員の東大教授達とやり合うことはできない。
ちなみに私は、「原子炉事故と放射線医学」「原子炉と活断層」の分野で、学的に倭国の五指に入る。が、電力会社には、東大地球物理学科の地震専門の教授に対して「活断層があっても原子炉の安全は地震時に影響しない」と反駁できる社員が一人もいない。共産党が西尾幹二に命令して2200万円の名誉毀損訴訟を提起させたのは(2013年10月)、私の『セシウム避難・除染は有害な反科学』の出版阻止が狙い。共産党は、私が医学部教授と対等なレベルで(原子炉事故に関する)放射線医学に精通していることを熟知。なお、西尾裁判で私は時間をとられ、この本の執筆も出版も共産党の思惑通りぶっ飛んだ。
私が専門書『セシウム避難・除染は、有害な反科学』の代わりに発表した論文の一つが、拙著 『核廃絶は倭国民族“絶滅”』 第?部第五章に収録されている。なお、丸川珠代・環境大臣は科学的に全くナンセンスなセシウム除染を止めさせようとした。この時、総理の安倍晋三が丸川を脅迫し、それを撤回させた。安倍晋三は志位和夫以上の反・原発屋。その本性はメンギスツやカストロ大好きのテロリスト暴力団。が、“白痴”倭国人は、安倍晋三が空前の残虐コミュニストなのを知らない。
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原子力規制委員会を廃止し、原子力規制庁の共産党員職員を追放し、全原発を再稼働しよう
2011・3・11の福島原発事故は、一人の死者もおらず一人のけが人もいない。有害な放射性物質も放出しなかった。実態では、原子炉をお釈迦にした劇場型のド派手な事故だが、実質は非・重大といえるものだった。しかも、この事故の改善は、外部電源喪失時のディーゼル発電機の津波対策をすれば、すべてOKという実に簡単なもの。これ以外、すべきことは何もない。 航空機墜落事故 に準えれば、同種の事故の再発防止の改善としては、これで十分となる。
しかし、共産党とその党員・菅直人は、朝日新聞その他のマスメディアを総動員して、「倭国から原発を奪い、倭国経済を破綻させる」“脱原発”革命に、この事故を活用することにした。脱原発とは、原発事故の再発から逃避するのではなく、脱原発で倭国経済の破滅や大衰退を目指す革命。
だから、全く非科学的な長期のセシウム大規模避難や、全く非科学的なセシウム土壌除染を行った。原発の再稼働を阻止する目的で、一般国民の原発嫌いを醸成する策なのだ。これらは無駄の中の無駄で、そのコストは二十兆円にのぼる。それは、共産党のカルト「脱原発お祭り」の費用ともいえるものだから、これをエンジョイした共産党が全額支払うのが筋。共産党は三十兆円ほど貯め込んでおり、二十兆円など何でもない。
共産党が脱原発というカルト宗教の司令塔として原子力規制委員会を創った。カルト宗教は、憲法の政教分離に違反するから、厳しく排斥すべきである。倭国は、 原子力規制委員会の廃止 を避けられない。原子力規制委員会のカルト性/狂気性は、原発立地の安全に一切関係しない活断層(地震の痕跡。地震を起こすわけではない)を持ち出して「危険だ」「危険だ」と踊りくるうことだけでも一目瞭前。
また、原子力規制庁の職員の九割は、狂人の共産党員。国家公務員に狂人は勤務してはならず、国家公務員法の分限処分の規定に従って、彼らを即刻、分限免職しなくてはならない。そして、非・日共党員の普通の公務員で補充するが、現在の三分の一もいれば十分。活断層部門やテロ対策部門などナンセンス部局を次から次に大鉈でリストラすること。テロ対策は警察の仕事で、民間の電力会社が行うものではない。 原子力規制庁の職員三分の一 化こそ、正常の回復。
共産党は十四年間、カルト宗教「脱原発祭り」に踊った。その費用三十兆円は、共産党が支払え
2011年から2025年までは十四年間。自国に叛逆する狂人集団・共産党は、この十四年間、黒魔教カルトの「脱原発祭り」に踊り狂った。電力の消費者は、電気料金と税金で、この共産党が踊り狂った「脱原発祭り」の総費用を支払わされ、また元来は不必要な火力発電用の輸入石油代金も電気料金で支払った。これらは総計すると、三十兆円を大幅に上回る。これらを共産党が支払い、肩代わりした国民に還元すべきである。
今後、この追加石油代金から一般国民の負担を軽減するためにも、原発は全て稼働させねばならない。このためにも、共産党員学者に絶大な権力を与える原子力規制委員会は早急には廃止せねばならない。そうしなければ、倭国経済の未来は暗く、ひたすら絶望の淵へと追いやられる。 November 11, 2025
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埼玉県小川町 女郎うなぎ福助
安政二年創業の元割烹旅館。現在の店舗は明治時代に建てられたものです。
念願叶って初入店。玄関の格天井から驚きました。
まずはお食事を楽した。ふわふわの鰻重、何年ぶりだろう。とても美味しかったです! https://t.co/HFb5viP4Ca November 11, 2025
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盗難で行方不明の香薬師。とても貴重な仏像と説明する際に「現存すれば国宝」としか言えないのは悲しい。国宝であれば素晴らしく、そうでなければ‥という誤った考えをまき散らすな。明治時代の新聞に学べ。「白鳳時代屈指の逸品で古美術行脚者の渇仰の的」「常に眼病に霊験ありとて、万人に渇仰され」 https://t.co/iGWIQfIlQr November 11, 2025
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大阪商業大学で開催中の大囲碁史展、行って来ました‼️
江戸時代の資料、明治時代に作られた英語の囲碁入門書、囲碁繋がり⁉️川端康成先生の雪国、自筆原稿😳😵💫
見所満載‼️
囲碁ファンならずとも必見です‼️‼️ https://t.co/N9BzBKGR9p November 11, 2025
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明治時代初期が舞台の
連続テレビ小説「ばけばけ」のあるシーン。
「ウグイスです」って言われて差し出された小鳥が
「いやどう見てもメジロでは??」と思ったけど
ググってみると江戸時代あたりは
ウグイスとメジロは勘違いされてた、そうなので
時代考証としては間違ってない
という知見を得た。 November 11, 2025
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@sachi_park1979 @marguerite_gaut 脚本家が、ハーンを題材に、現代のコント的な手法で作ろうとしてるので、いつまでたっても明治の風は吹かなそう😆
黒澤明も小津安二郎も溝口健二も明治生まれ、小津も溝口もハーンが生きてた時には生まれてる
明治を知ってる監督が明治時代を描いた映画だって普通にあるのになぁ〜
#ばけばけ茶話会 https://t.co/AB7BZkeq03 November 11, 2025
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正統派和風ユニット紅月のままじゃアリスとクリスマス無理に論破します
・アリス→5年前に和風アリスが流行ったので難しいが可能
・クリスマス→明治時代から「三太九郎」というクリスマス文化がある+倭国のイルミネーションは世界1位&世界絶景5位があり倭国絶景がテーマなので組み合わせ表現が可能 November 11, 2025
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@slothforall1208 人材不足は嘘だ
倭国人労働者を解雇して人材不足とは言わせない
外国人優遇制度を行っておいて倭国人の労働者が居ないとは言わせない
なんなら明治時代みたいに人口が1/3になっても
倭国は倭国成りにやっていく
それが嫌な大企業、器だけ膨らませたかったら
海外にでも行けばいい November 11, 2025
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コレ読むと判るよ。信州の学校教員が「いただきます」で生命の大切さを教えた明治時代の実話だから。 https://t.co/eOXQetAEyA https://t.co/woIC2poEP1 November 11, 2025
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「東宮も秋篠宮も孫として昭和天皇のおそばで過ごす機会をたびたびにいただき、また成人となってからは、陛下をお助けするなかでそのお考えに触れ、日々のお過ごしようをつぶさに拝見し、それぞれの立場への自覚を深めてきたことと思います。これからも二人がお互いを尊重しつつ、補い合って道を歩み、家族も心を合わせてそれを支えていってくれることを信じ、皇室の将来を、これからの世代の人々の手にゆだねたいと思います」 - 2009年(平成21年)11月11日、天皇即位20年に際する記者会見にて[121]
「80年前、私に生を与えてくれた両親はすでに世を去り、私は母の生きた齢(とし)を越えました。嫁ぐ朝の母の無言の抱擁の思い出とともに、同じ朝『陛下と殿下の御心に添って生きるように』と諭してくれた父の言葉は、私にとり常に励ましであり指針でした。これからもそうあり続けることと思います」 - 2014年(平成26年)10月20日、皇后誕生日に際し、80年の傘寿を迎えて[122]
譲位(上皇明仁の退位)に関して
「8月に陛下の御放送があり、現在のお気持ちのにじむ内容のお話が伝えられました。私は以前より、皇室の重大な決断が行われる場合、これに関わられるのは皇位の継承に連なる方々であり、その配偶者や親族であってはならないとの思いをずっと持ち続けておりましたので、皇太子や秋篠宮ともよく御相談の上でなされたこの度の陛下の御表明も、謹んでこれを承りました。ただ、新聞の一面に『生前退位』という大きな活字を見た時の衝撃は大きなものでした。それまで私は、歴史の書物の中でもこうした表現に接したことが一度もなかったので、一瞬驚きと共に痛みを覚えたのかもしれません。私の感じ過ぎであったかもしれません。」- 2016年(平成28年)10月20日、82歳の皇后誕生日に際しての宮内記者会の質問に対する文書回答[123]より。
「陛下の御譲位については、多くの人々の議論を経て、この6月9日、国会で特例法が成立しました。長い年月、ひたすら象徴のあるべき姿を求めてここまで歩まれた陛下が、御高齢となられた今、しばらくの安息の日々をお持ちになれるということに計りしれぬ大きな安らぎを覚え、これを可能にして下さった多くの方々に深く感謝しております。」 - 2017年(平成29年)10月20日、83歳の皇后誕生日に際しての宮内記者会の質問に対する文書回答[124]より。
「約30年にわたる、陛下の『天皇』としてのお仕事への献身も、あと半年程で一つの区切りの時を迎えます。これまで『全身』と『全霊』双方をもって務めに当たっていらっしゃいましたが、加齢と共に徐々に『全身』をもって、という部分が果たせなくなることをお感じになり、政府と国民にそのお気持ちをお伝えになりました。5月からは皇太子が、陛下のこれまでと変わらず、心を込めてお役を果たしていくことを確信しています。」
「陛下は御譲位と共に、これまでなさって来た全ての公務から御身を引かれますが、以後もきっと、それまでと変わらず、国と人々のために祈り続けていらっしゃるのではないでしょうか。私も陛下のおそばで、これまで通り国と人々の上によき事を祈りつつ、これから皇太子と皇太子妃が築いてゆく新しい御代の安泰を祈り続けていきたいと思います。」
「24歳の時、想像すら出来なかったこの道に招かれ、大きな不安の中で、ただ陛下の御自身のお立場に対するゆるぎない御覚悟に深く心を打たれ、おそばに上がりました。そして振り返りますとあの御成婚の日以来今日まで、どのような時にもお立場としての義務は最優先であり、私事はそれに次ぐもの、というその時に伺ったお言葉のままに、陛下はこの60年に近い年月を過ごしていらっしゃいました。義務を一つ一つ果たしつつ、次第に国と国民への信頼と敬愛を深めていかれる御様子をお近くで感じとると共に、新憲法で定められた『象徴』(皇太子時代は将来の『象徴』)のお立場をいかに生きるかを模索し続ける御姿を見上げつつ過ごした日々を、今深い感慨と共に思い起こしています。」
「皇太子妃、皇后という立場を生きることは、私にとり決して易しいことではありませんでした。与えられた義務を果たしつつ、その都度新たに気付かされたことを心にとどめていく - そうした日々を重ねて、60年という歳月が流れたように思います。学生時代よく学長が『経験するだけでは足りない。経験したことに思いをめぐらすように』と云われたことを、幾度となく自分に云い聞かせてまいりました。その間、昭和天皇と香淳皇后の御姿からは計り知れぬお教えを賜り、陛下には時に厳しく、しかし限りなく優しく寛容にお導き頂きました。3人の子ども達は、誰も本当に可愛く、育児は眠さとの戦いでしたが、大きな喜びでした。これまで私の成長を助けて下さった全ての方々に深く感謝しております。」
「陛下の御譲位後は、陛下の御健康をお見守りしつつ、御一緒に穏やかな日々を過ごしていかれればと願っています。そうした中で、これまでと同じく倭国や世界の出来事に目を向け、心を寄せ続けていければと思っています。例えば、陛下や私の若い日と重なって始まる拉致被害者の問題などは、平成の時代の終焉と共に急に私どもの脳裏から離れてしまうというものではありません。これからも家族の方たちの気持ちに陰ながら寄り添っていきたいと思います。」
「先々には、仙洞御所となる今の東宮御所に移ることになりますが、かつて30年程住まったあちらの御所には、入り陽の見える窓を持つ一室があり、若い頃、よくその窓から夕焼けを見ていました。3人の子ども達も皆この御所で育ち、戻りましたらどんなに懐かしく当時を思い起こす事と思います。」
「赤坂に移る前に、ひとまず高輪の旧高松宮邸であったところに移居いたします。昨年、何年ぶりかに宮邸を見に参りましたが、両殿下の薨去よりかなりの年月が経ちますのに、お住居の隅々まできれいで、管理を任されていた旧奉仕者が、夫妻2人して懸命にお守りして来たことを知り、深く心を打たれました。出来るだけ手を入れず、宮邸であった当時の姿を保ったままで住みたいと、陛下とお話しし合っております。」
「公務を離れたら何かすることを考えているかとこの頃よく尋ねられるのですが、これまでにいつか読みたいと思って求めたまま、手つかずになっていた本を、これからは1冊ずつ時間をかけ読めるのではないかと楽しみにしています。読み出すとつい夢中になるため、これまで出来るだけ遠ざけていた探偵小説も、もう安心して手許に置けます。ジーヴス[125]も2、3冊待機しています。」
「また赤坂の広い庭のどこかによい土地を見つけ、マクワウリを作ってみたいと思っています。こちらの御所に移居してすぐ、陛下の御田の近くに1畳にも満たない広さの畠があり、そこにマクワウリが幾つかなっているのを見、大層懐かしく思いました。頂いてもよろしいか陛下に伺うと、大変に真面目なお顔で、これはいけない、神様に差し上げる物だからと仰せで、6月の大祓の日に用いられることを教えて下さいました。大変な瓜田に踏み入るところでした[注釈 9]。それ以来、いつかあの懐かしいマクワウリを自分でも作ってみたいと思っていました。」
「皇太子、天皇としての長いお務めを全うされ、やがて85歳におなりの陛下が、これまでのお疲れをいやされるためにも、これからの日々を赤坂の恵まれた自然の中でお過ごしになれることに、心の安らぎを覚えています。」
「しばらく離れていた懐かしい御用地が、今どのようになっているか。倭国タンポポはどのくらい残っているか、その増減がいつも気になっている倭国蜜蜂は無事に生息し続けているか等を見廻り、陛下が関心をお持ちの狸の好きなイヌビワの木なども御一緒に植えながら、残された日々を、静かに心豊かに過ごしていけるよう願っています。」 - 2018年(平成30年)10月20日、84歳の皇后として最後の誕生日に際しての宮内記者会の質問に対する文書回答[126]より。
上皇后美智子を取り上げた主な作品
以下、主に「平成」から「令和」への改元(代替わり)に際して放送されたテレビ特番。
NHKドキュメンタリー
『天皇 運命の物語 第2話「いつもふたりで」』 - 【語り】山根基世、【朗読】原康義、坂口芳貞(NHK総合、2018年12月24日放送)
『天皇 運命の物語 第4話「皇后 美智子さま」』 - 【語り】山根基世(NHK総合、2019年3月30日放送)
『皇后四代〜思いは時を超えて〜』 - 【語り】羽田美智子、濱中博久(NHKBSプレミアム、2019年4月29日放送)
明治時代の昭憲皇太后、大正時代の貞明皇后、昭和時代の香淳皇后、そして平成時代の上皇后美智子と、近代・現代史上において皇后四代がどう役割を果たしてきたのかを描いたNHK製作のドキュメンタリー特番。
テレビドラマ
『プリンセス美智子さま物語 知られざる愛と苦悩の軌跡』
2019年4月30日18時30分から5月1日0時55分にフジテレビ(FNN系列)で放送された報道特別番組『FNN報道スペシャル 平成の大晦日 令和につなぐテレビ 知られざる皇室10の物語』内で放送された、上皇后美智子が自身で手記していたノートの内容を元にフジテレビが製作したドキュメントドラマ。
歌集 ゆふすげ 美智子
岩波書店が出版
目次
昭和192首
平成274首
解説 永田和宏
装画 安野光雅「ゆふすげ」 (宮内庁所蔵)
美智子. 歌集 ゆふすげ (p.6)
口絵表 ゆうすげに囲まれて 平成二十五年撮影
裏 御所のゆうすげ(いずれも宮内庁提供)
https://t.co/MrKcmjcj7q
ユウスゲ
ユウスゲ(夕菅、学名:Hemerocallis citrina Baroni var. vespertina (H.Hara) M.Hotta[1])は、ワスレグサ属に分類される多年草の1種[4][5]。
属名(Hemerocallis)は、hemera(1日)とcallos(美しく)の2語に由来する[6]。
和名は花が夕方に開き翌日の午前中にしぼみ[4]、葉がスゲに似ていること[7]に由来する。
別名が、キスゲ[4][8]。
特徴
茎の高さは100-150 cm[8]。根は黄色いひも状で塊にならない[4]。
根生葉は線形で、長さ40-50 cm、幅5-15 cm[7][8]、2列に出て扇状に開き上部だけわずかに下垂する[4]。
1本の茎の先端が花序が枝分かれして[8]、レモン色[9]のラッパ状の花を上向きに次々と咲かせる[7]。
ハマカンゾウと異なり花ではアントシアニンは合成されず、花弁は赤味を帯びない[10]。
花弁は6つに深く裂け、やや芳香がある[5][7]。
花被片の長さや幅は個体によりいろいろで、花被片の長さは6.5-7.5 cm、花筒の長さは2.5-3 cm[5]。
雄蕊は花被片より短く、葯は黒紫色、花柱は雄蕊よりやや長い[5]。
花期は7-9月[7][8]。
夕方に花を開き、翌日の午前中にしぼみ[8]、スズメガ媒花である[10]。
蒴果は広楕円形で長さ約20 mmで先端がへこむ[5]。
種子は長さ約5 mm、黒色の卵形で光沢がある[5]。
分布と生育環境
シベリア、中国東北部、朝鮮半島、倭国の温帯から暖帯の地域に分布する[4]。
倭国では本州、四国、九州に分布する[8][5]。
田中澄江による『新・花の百名山』で榛名山を代表する花の一つとして紹介されている[11]。
兵庫県美方郡香美町では町花に指定されている[12]。
山地の草原[4]や林縁[8]などのやや乾いた場所に生育する[5]。
中部地方の山地にあるものは葉が広く大型になり、アズマキスゲと呼ばれる[5]。
本州南西部から九州のものは葉が狭く、ユウスゲまたはキスゲと呼ばれる[5]。
山野草として利用されている。
分類
Hemerocallis citrina ウコンカンゾウ
クロンキスト体系・新エングラー体系などの分類ではユリ科に分類されていたが[5]、APG IVではワスレグサ科に含められる[1]。
学名はHemerocallis thunbergii auct. non Baker[3]とする説、独立種とする説、中国原産のウコンカンゾウの変種(Hemerocallis citrina Baroni var. vespertina (H.Hara) M.Hotta)とする説がある[5]。
種の保全状況評価
倭国では以下の多数の都道府県で、レッドリストの指定を受けている。
千葉県では絶滅したものと考えられている[13]。
海岸開発[14]、道路工事[14]、草地開発[14][15]、自然遷移[14][16][17][15]、園芸採集[15][17]などにより、個体数が減少している地域がある。
長野県の霧ヶ峰[18]や滋賀県の伊吹山3合目のユウスゲ群落などでは[19]、ニホンジカの食害により植生の衰退が危惧されている[20]。
静岡県賀茂郡南伊豆町の奥石廊ユウスゲ公園周辺には、ユウスゲ群落があり、富士箱根伊豆国立公園の指定植物の一つとされている[21]。
南伊豆町は希少価値の高いユウスゲを保護・育成して地域資源として活用するため、奥石廊・池の原(静岡県道16号下田石廊松崎線沿い)にある倭国でも数少ない群生地を整備し、雑草の刈り取りや人工繁殖したユウスゲの苗の移植などを行った[22]。
→詳細は「奥石廊ユウスゲ公園」を参照
岐阜県大垣市赤坂町の金生山にある「ユウスゲ自生地」は、2013年(平成25年)2月21日に市の天然記念物に指定された[23]。
【写真】伊吹山(滋賀県米原市)の自生地ではニホンジカなどによる食害対策として、ネットで保護されている。
→
長野県諏訪市四賀にある霧ヶ峰と、霧ケ峰高原植物群落車山湿原と、これら周辺一帯広めで。
滋賀県米原市上野にそびえる伊吹山の山頂と、三合目にあるユウスゲ群落自生地(滋賀県米原市にある)と、これら周辺一帯広めで。
岐阜県大垣市赤坂町の金生山にある「ユウスゲ自生地」(=大垣市の天然記念物)と、周辺一帯。
静岡県賀茂郡南伊豆町にある奥石廊ユウスゲ公園周辺のユウスゲ群落と、奥石廊・池の原(静岡県道16号下田石廊松崎線沿い)にある倭国でも数少ない群生地と、富士箱根伊豆国立公園の全体と、これら周辺一帯。
新・花の百名山一覧の全ての山頂と、花の自生地と、それ等周辺の聖地群史跡群水辺群山岳群山頂と、それ等周辺一帯が、今の危険予想地点です。 November 11, 2025
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倭国の技術は、まだ世界トップレベルです。
安いものを追いかけて、ファストファッションが悪いわけではありませんが
倭国の衣類産業は明治時代から続く超長寿産業。
長い年月で育てた技術は、今でも世界に誇れます。
事実、シャネルなどのハイブランドは今でも倭国製生地を採用しています。
倭国製のクオリティは、世界トップクラス。
かつては、今では考えられないほど丁寧で質の高い服を
“普通に”作っていました。 November 11, 2025
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@marguerite_gaut @sachi_park1979 映画「この世界の片隅に」
原作・こうの史代1968年生まれ
監督・片渕須直1960年生まれ
戦争を全く経験してない世代
当時の事を真摯に調べればあれだけのものが作れる
明治時代なんて文章も写真も雑誌も残ってる
美術スタッフは頑張っている
脚本も本気でやれや!
#ばけばけ反省会
#ばけばけ茶話会 November 11, 2025
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