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旭川市
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2025.11.28 15:00
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旭川市永山にある
餃子屋 来さんとのコラボ決定です😁
二代目鉄人たかはしの「餃子屋来 専用特製限定ラーメン」が
餃子屋来さんで食べる事が出来ます🍜
予定は12月の日曜日☀
・7日・14日・21日・28日
11時〜14時(スープ売切次第終了)を予定してます! https://t.co/ccPkfqf6rC November 11, 2025
アジアン・タイニー・キッチン今週のランチは
インドネシアの甘辛エビチャーハン・ナシゴレンと倭国でも人気のピリ辛濃厚・担々麺です
担々麺は誰でも食べやすいように辛味はかなり抑えてますが、辛いのが好きな方はお申し付けください。
#アジアンタイニーキッチン
#旭川市台場東1丁目392の51 https://t.co/PleBjAQdHa November 11, 2025
昭和天皇と同い年の祖父は貧しい農家に生まれましたが、自分の力で学び、芝居、俳句などの趣味を持っていました。富良野の木材会社に入り、一番下から始めて工事長、そして木のバイヤーになりました。木を買うと言っても山ごと買うので、数ヶ月は山の中だったそうです。祖父の遺した蓄音機、たくさんのSPレコード、芝居の本などがありましたね。文学青年だったのは祖父ですね。新聞記者や警察などにも俳句を通じての知り合いがいたそうです。俳句ではそれなりに有名だったようです。私には俳句の才はありません。
昔は和服にはインバネスコート(トンビとか二重マント)は冬の男性の普通のスタイルだったようです。この写真のように襟元には毛皮がついていたらしいのですが、毛皮は虫に喰われたらしくなかったです。戦前ですのでボタンは貝製でした。あとウールですが生地が重かったですね。叔母の話では家には京都に注文した能面がいくつか飾ってあったそうです。当時としてはけっこうな高給をもらっていたようですが、祖母がそういうことに全く興味がなく、祖父が旭川市まで行って骨董品を買ってくるとケンカになっていたそうです。私は祖父が作った色紙などを貼り付けた屏風を持っています。引越しのたびに持ち歩いてますが、これも当時のお金で半年分の給料だったそうです。なので祖父母で大げんかしたそうです。祖父は私が産まれた翌年に能卒中で倒れ、11月に亡くなりました。60歳でした。せめてあと10年長生きしてくれれば色々なことを教えてもらえただろうなぁと思っています。一人息子の父は全く興味がなかったので。 November 11, 2025
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