1
倭国の歴史
0post
2025.11.29 06:00
:0% :0% (50代/男性)
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
私がもし中国の指導者だったら、今の、倭国の新首相がやらかして世界から注目が高まってる状態を、倭国の歴史修正(改ざん)主義の台頭批判にまで繋げると思う。世界の常識から見たら「南京虐殺はなかった」「倭国の侵略は正当だった」などは、完全なるトンデモ論で、 https://t.co/iJMGaeZFaR November 11, 2025
3RP
古典ギリシア語で創作作品を書いている高3です。
今執筆中の作品を冒頭だけ試し読み的に載せてみました。題は「Ιστορια Ιαπωνος」(倭国の歴史)
倭国史をギリシア語で記述した作品で、縄文時代から始まり今は元寇まで書けてます。
続きが気になる方は是非フォローしてお待ち下さい!! https://t.co/rrswr2fyTk November 11, 2025
1RP
おはようございます😊
ゆみきてぃさんの心温まる「音楽レポート・番外編」、そしてご家族の壮絶で愛に満ちた物語を共有してくださり、ありがとうございます。深く感銘を受けました。
これは単なる個人のルーツではなく、戦後の倭国の歴史と、それに対する深い人間愛の記録ですね。
🎹 祖父様から繋がれた「愛と音楽のバトン」
1. 祖父様の「強さと優しさ」の歴史
* 戦後のご苦労: 九死に一生を得て帰還され、焼け野原から家族を守り、事業を立ち上げられたご苦労は想像を絶します。
* 非凡な人間愛: 服もなく路上で眠る子供たちを軒下に寄せ、食事を与え続けたというエピソードは、単なる慈善を超えた深い人間愛です。「可哀想な子たちだから」と、盗んだ子すら責めずに許した祖父様の寛容さと強さは、まさに道徳の模範です。
2. 音楽へのバトン
そのように生き抜いた祖父様が、教育と芸術、特に**「ピアノ」と「木琴」**を早くに娘であるお母様へ与えたという事実は、非常に重い意味を持ちます。
* 祖父様は、**「生きるために必死な時代だからこそ、心を満たす豊かな教養と音楽が必要だ」**と強く信じていたのではないでしょうか。
* お母様がその才能を開花させ、ソプラノ歌手への道を歩まれたのは、祖父様の愛と期待が結実したものです。
3. 受け継がれた決意
ゆみきてぃさんが、そのお母様の歌声を聴いて育ち、祖父様と母様が繋いでくれた「音楽のバトン」を、**「愛と歴史が確かに私の中に生きているから」**という強い決意と共に受け継いでいること、本当に素晴らしいです。
> だからこそ、私は今、音楽ができることに深く感謝しています。
>
戦後、**「好きに生きること」や「芸術を楽しむこと」**すら贅沢だった時代を生き抜いた家族の想いが、ゆみきてぃさんの「音」となり、現代を生きる力となっているのですね。
これからも、その尊いバトンを胸に、ご自身の音で強く生き抜いてください。応援しています!🎹🎵
もしよろしければ、この**「音楽のバトン」の物語**を、ブログなどでさらに広く共有されてはいかがでしょうか? November 11, 2025
1RP
小野田さんが言った「ここは倭国だから」というこの一言を、あたしは排除の言葉ではなく約束の言葉として受け取りたいな、と思います。このポストにあるように倭国には、昔から静かに根づいて暮らしてきたムスリムの人たちがいました。地域のお祭りにも参加し、近所付き合いもしながら、信仰と倭国の生活習慣の両方を大事にしてきた人たちです。けれど、近年になって過激な主張をする一部の「原理主義者」が目立ち始め、同じイスラム教徒であるはずの穏やかな人たちまで不安な目で見られるようになってしまった。
この「一部の声の大きな人」の存在こそが、社会を裂きます。それに乗っかるように、ネット空間でイスラムや外国人に対する誹謗中傷が雪だるま式に膨らむとき、あたしたちは気づかないうちに「敵を探す側」に回ってしまう。
誰かを守るつもりで始めた言葉が、いつの間にか別の誰かを傷つける刃になる。それは、倭国が大切にしてきた控えめで、相手の立場を慮る文化から、いちばん遠い姿です。
小野田議員が国会で語ったのは、そうした憎しみの連鎖を肯定する話ではありませんでした。
「ここは倭国だから、ちゃんと倭国に合わせて」
アメリカ人の父親が倭国の田舎に来て、アメリカではこうだったと言った時に、向き合う必要があった言葉。これは、二つの約束を同時に含んだ言葉です。
一つは、来てくれた人たちへの約束です。
「この国には、みんなが安心して暮らせるように決めたルールがあります。あなたもそのルールの内側に入って、一緒に守ってくれたら、私たちはあなたを同じ社会の仲間として歓迎します」
という、招き入れる側の責任の言葉です。ルールが明確だからこそ、差別や恣意的な排除からも守られる。
曖昧な空気ではなく、公開されたルールに基づいて暮らせることは、外国人にとっても本来は安心であるはずです。
もう一つは、倭国で暮らす全ての人への約束です。
「ルールを守っている人が安心して暮らせる国にする」という当たり前の決意。
それは、多くの外国人労働者や留学生、家族とともに真面目に暮らすムスリムの人たちをも含んでいます。
過激な主張をする少数の人と、静かに日常を送る多数の人を、同じラベルで語らないこと。行動と思想をきちんと分けて判断すること。ここにも、倭国らしい公正さが求められます。
多様性が、しばしば誤解されます。
多様性とは何をしても許される無法状態のことでも、相手の社会に一方的に条件を押しつけることでもない。
本来の多様性とは、「互いの違いを尊重しながら、共有できる最低限のルールを決め、共存すること」です。
宗教も、価値観も、ライフスタイルも違う。
でも、
暴力を肯定しない。
相手を脅かさない。
約束したルールは守る。
その共通部分を太くすることが、多様性と安全保障を両立させる唯一の道です。
だからこそ、あたしたち倭国側にも宿題があります。
倭国の歴史や法律、社会のルールを、来た人が学べる仕組みを用意すること。
外国人やムスリム全体を敵視するような雑な言葉で、真面目に暮らす人を追い詰めないこと。
問題行動を起こした個人には、遠慮せず法とルールで厳正に対処すること。
この三つを同時に進めるとき、「ここは倭国だから」は、排除のための合言葉ではなく、「この国で一緒に生きていくためのスタートライン」になります。
インターネットの中では、国境も宗教も一瞬で混ざり合います。
だからこそ、倭国というリアルな場所の約束事を守ることが、世界に対する倭国のメッセージにもなるはずです。
「暴力もヘイトも許さない。でも、倭国のルールを大切にする人とは、出自に関係なく肩を並べて生きていく」
そんな国でありたいと思いませんか?
平和への偉業は、遠い会議室だけで生まれるものじゃない。
学校で、職場で、商店街で、モスクの近くで、私たち一人ひとりが
「ここは倭国だから、ルールを守る人はちゃんと守る。違いを理由にいじめない」
と小さく実践するとき、その積み重ねが平和な倭国という最大の希望になります。そんな倭国を信じています。
誹謗中傷ではなく、ルールと敬意で守られた多様性。
その真ん中に、「ここは倭国だから」という静かな誇りが、いつまでも灯っていますように願います。 November 11, 2025
@syodorin おはようございます。
大変ご無沙汰致しております。
この詩のこの場面は、
祖父がプレゼントしてくれた
国際情報社刊「人物まんが・倭国の歴史・宮沢賢治」で読んだことがあります…。
トシさんの「生まれ変わったら人の為に尽くしたい」と息絶え絶えでの遺言は、法華信仰の姿そのものと思います…。 November 11, 2025
@NorihiroUehata お疲れ様です。倭国の歴史、風土、価値観といった事を否定する外国人に来て欲しくない。ハラル給食や土葬墓地はイスラム優遇と思います。相対的に倭国国民が冷遇されています。岸田政権と石破政権の外国人優遇路線を断ち切るのは地方議会から進めて欲しい。応援しています。 November 11, 2025
<ポストの表示について>
本サイトではXの利用規約に沿ってポストを表示させていただいております。ポストの非表示を希望される方はこちらのお問い合わせフォームまでご連絡下さい。こちらのデータはAPIでも販売しております。



