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新書
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2025.12.08 05:00
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鈴木エイトが見苦しい言い訳をしているようだけど、日頃、鈴木エイトが主張している安倍元総理の「放置」と「加担」は↓の意味だからね
> 本来であれば規制されるべき悪質な教団が野放しとなるなか、教団を「放置」することに「加担」した政治家
> 一国の総理大臣として、本来であれば取り締まるべき悪質な団体を「放置」しただけではなく、裏では数々のバーター取引を行っていた疑惑もあり、教団の体制保護に寄与していた
> そんな悪質な教団を「放置」したばかりかお墨付きを与え体制保護を行っていた政治家
> 安倍晋三のことも統一教会に「加担」する人物であると見ていたのは明らかだ
(鈴木エイト『「◯◯◯◯」とは何者だったのか』講談社+α新書)
> 自分の夫の言動や行動について統一教会の被害者を傷付けてしまっていたとしたら
貴方がこれまで主張してきた安倍元総理の「放置」と「加担」が、いきなり「言動」「行動」に軌道修正、矮小化していませんか?
古谷経衡さんのYouTube番組全編を見て、第三者の方々に判断して貰えばいいじゃないですか?
> 謝意を示したうえで
「謝意を示す」とは、「感謝の気持ちを言葉や態度で表す」ことなんですよ。なぜ、安倍昭恵さんがテロリストに「謝意」、「感謝」を示さなければならないのですか?
被害者遺族である安倍昭恵さんが、夫を暗殺したテロリストに「謝罪」し、「謝意」を示すのですか?
どんなに言葉を取り繕っても貴方の本心は透けて見えているのですよ December 12, 2025
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@sig1246 有り難うございます!いえいえ!選書ですから「一般向け」となります。ただし註もつきますので、新書に比べるとより学術性は高くなりますが。お楽しみいただけますと幸甚です。 https://t.co/tzSS997Ns6 December 12, 2025
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1941年12月8日、真珠湾攻撃。当時を論じる中公新書は多くあります。たとえば、児島襄『太平洋戦争』(上・下)、安達宏昭『大東亜共栄圏』などをご一読ください。髙杉洋平『帝国陸軍』の第8章「日中戦争から対米開戦へ」や、貴志俊彦『帝国倭国のプロパガンダ』の第7章「アジア太平洋戦争期」なども。 https://t.co/04qrDHuGFx December 12, 2025
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🎊🎊 11冠御礼 🎊🎊
二宮和也による初の新書『独断と偏見』が数々の年間ブックランキングで1位を獲得し、11冠の大記録を達成いたしました!!
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本書をお読みくださった皆様に、あらためて心より感謝申し上げます。
#独断と偏見
#二宮和也11冠
https://t.co/Swoajgm5wv December 12, 2025
ちょうど『考察する若者たち』を読み終えたところだったので、3コマの直後に大川ぶくぶタッチの #三宅香帆 さんがブチ割り込み、「考察」も良いけど「批評」してもええんやで!とPHP新書を手渡すところまで見えた
ポプ子…あんた2コマ目で「報われた」顔してたじゃねぇか… https://t.co/2zlBUGgiin December 12, 2025
『三国志演義 (岩波新書 新赤版 348)』井波 律子
現在読んでいる『三国志演義』の訳者による解説書ということで手に取ったが、想定外の面白さプラス、これまで読んできた『演義』の振り返りと予習として非常に有効だった。個人的には劉備の敵役として悪者扱
#読書メーター
https://t.co/qNiYHa5Rnc December 12, 2025
ローマ帝国の歴史を人物を軸にドラマチックに解説。5つの時代区分で流れがつかみやすく、歴史初心者でも楽しめる一冊。読みやすさと深さのバランスが絶妙です。 #ローマ帝国 #歴史入門 #新書
https://t.co/UzjxIOeemJ December 12, 2025
丸善岡山シンフォニービル店、検索機で残り一冊と出ていたので確保しといて誰かにあげようかなと思い新書の棚に行ったら無くなってた笑 岡山でこれなのでマジで売れてるっぽい。
#陰謀論と排外主義 https://t.co/IrdDZ680of December 12, 2025
ついに新書1位…!
「陰謀論と排外主義」を購入してくださった全ての皆さんと、あらかじめ大量入荷してくれていた丸善ラゾーナ川崎店さんに大感謝です。
全国の本屋さん、いま一番売れている本ですよ!
https://t.co/zhoxKNgtzt https://t.co/nSZjZdZzQg December 12, 2025
じつは「関ヶ原の戦い」にまつわる多くの通説は「間違い」か「フィクション」だった!…最新の研究が明かす「新しい関ヶ原」
誰もが知る「関ヶ原の戦い」。
しかし現在語られる「通説」の多くは間違いや創作だった!
発売即重版が決定した『シン・関ヶ原』(https://t.co/nm1ljnf8rz)では、「徳川家康は天下を取るために戦いを起こした」「西軍の首謀者は石田三成だった」「勝敗は小早川秀秋の寝返りで決まった」などのこれまでの通説を、170通余りの書状から覆します。
(※本投稿は高橋陽介『シン・関ヶ原』(講談社現代新書)より抜粋・編集したものです。)
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新しい「関ヶ原」
関ヶ原の戦いに関する研究は近年、長足の進歩をとげている。現在では、従来語られてきた通説は、ほとんどが間違いであること、もしくは後世の創作であることが判明している。もはや関ヶ原の戦いにおいて「通説は不在である」といってもいいだろう。
私たちが知っている、慶長5(1600)年9月15日に美濃(現在の岐阜県)の関ヶ原で東西両軍が合戦に至るまでの経緯は、おおむね以下のような流れであろう。
慶長3(1598)年8月、太閤豊臣秀吉が没すると、次の天下を狙う五大老の筆頭・徳川家康は、豊臣家の安泰をはかる五奉行の筆頭・石田三成との対立を深めた。武断派諸将の襲撃を受けて近江(現在の滋賀県)佐和山の居城に蟄居した三成は、会津(現在の福島県)の上杉家の家老・直江兼続(かねつぐ)と示しあわせ、東西から家康を挟撃する戦争プランを立案。これにもとづき兼続は領内の軍備を増強し、慶長5年4月、家康をおびき出すために、挑発的な書状を送りつけた。いわゆる「直江状」である。家康は自身の反対勢力をあぶり出して一網打尽にするため、あえて誘いに乗り、軍勢を率いて会津討伐に向かう。それを見るや三成は、盟友・大谷吉継の助言にしたがい毛利輝元を名目上の総大将として、上方で挙兵した。三成挙兵の報を受けた家康は、会津攻めに従軍していた諸将を下野(しもつけ)(現在の栃木県)の小山(おやま)に召集し、7月25日、軍議を開いた。この「小山評定」の席上、福島正則をはじめ豊臣恩顧の諸将がこぞって家康を支持したことで、全軍の士気は上がり、三成らを討つべく反転、西上した——。
また、関ヶ原で行われたとされている「天下分け目の戦い」について、私たちが知っている顛末は、およそ次のようなものだろう。
9月14日、関東から反転してきた東軍主力は、美濃の大柿城(現在の大垣城)に籠る西軍主力と対峙した。城攻めを不利とみた家康は、得意の野戦に持ちこむため策をめぐらし、「佐和山城を攻撃する」という風聞を流した。居城を攻められるのは阻止したい三成は、夜のうちに全軍を率いて城を出ると、東軍の進路に先回りして迎え撃つべく関ヶ原に布陣した。合戦は15日早朝に始まり、一進一退の攻防が続いたが、家康と不戦の密約をかわしていた西軍・毛利勢は、傍観したまま動かなかった。やはり家康と離反の密約をかわしていた西軍の小早川秀秋は、松尾山に陣取ったまま東軍への裏切りを躊躇していたが、業を煮やした家康が正午ごろ、大胆にも本陣を前線に移し、松尾山に威嚇射撃(いわゆる「問い鉄砲」)を仕掛けると、秀秋は驚いて山を駆け下り、大谷吉継の陣地へなだれ込んだ。これを契機に西軍は総崩れとなり、午後2時ごろ、東軍の勝利が確定した——。
しかし現在では、家康の「問い鉄砲」はなかったとする見方が、ほぼ結論となりつつある。さらには、「直江状」や「小山評定」の存在も、疑問視されている。そればかりか、関ヶ原で「天下分け目の戦い」というものが本当にあったかどうかさえ、疑われはじめているのだ。
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https://t.co/tkI1pRLs8n
引用元・高橋陽介『シン・関ヶ原』(https://t.co/nm1ljnf8rz)では、現在の関ヶ原合戦研究におけるトップランナーである著者が、1600年9月15日に美濃の関ヶ原で起こった戦闘の経緯について、当時、徳川家康をはじめとする諸将の間でかわされた170通余りの書状を読み解くことで、新説を提起しています。
ぜひお手に取ってみてください! December 12, 2025
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