イングランド トレンド
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2025.11.28
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ウィリアム征服王から現在のチャールズ3世までのイングランドの王🏴🇬🇧の系譜まとめてみた!
みんなはどの王朝、人物が好き?リプで教えて! https://t.co/AozDYYAkbR November 11, 2025
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この本すごいな。絶対読まないと。福祉史を語る時、時間制約もあるけど、どうしてもイングランド救貧法、ナショナルミニマム、ビスマルク三部作、べヴァリッジ報告書、以下現代に続く、だけでまとまってしまう。もっと多様な視点が欲しかった。
福祉の世界史 | 有斐閣 https://t.co/srgPG9oABK November 11, 2025
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私は銀行の信用創造について説明しました。
まず最初に必要なのは、実体経済のための銀行信用創造を拡大することです。その方法として、政府には基本的に三つの手段があり、分かりやすく言えば第一の方法を
QE1、第二をQE2、そして第三の措置と呼ぶことにしましょう。
QE1とは、銀行システムが不良債権まみれで機能不全に陥っている時
中央銀行がそれらを額面どおり、つまり100として
買い取ることです。
当然、銀行は大喜びします。
彼らのバランスシートは極めて強固になり、史上例の
ないほど流動性が高くなります。
これで銀行危機は解決します。危機は消滅します。
すると、「問題を中央銀行に移しただけではないのか?」と疑問を呈する人が出てきます。しかし違います。中央銀行は時価評価(mark-to-market)をする必要がなく、これらの保有資産については「忘れてしまってよい」のです。
では、「中央銀行が貨幣を生み出したのでは?
その結果、インフレや通貨安という形で私達が負担しているのでは?」という疑問も出ます。
しかし、いいえ、それは貨幣創造ではありません。
貨幣創造とは、銀行システムが新しい信用を生み
それを非銀行部門に注入したときに起こるものだからです。
ここで起きているのは、銀行と中央銀行という銀行システム内部の取引であり、中央銀行が銀行から不良資産を買い取っても貨幣創造にはなりません。これは単に銀行のバランスシートを社会的コストゼロで浄化しているだけであり、税金を使う必要もありません。
そして、なぜこれをやらないのか?
まさにそこが重要です。中央銀行が銀行危機を深刻な
事態や不況に発展させたくない時には、いつもこれを行うのです。
その例を二つ挙げましょう。
1914年8月、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国は
ドイツとその同盟国(オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国)に宣戦布告しました。
これが第一次世界大戦の始まりです。
しかし問題はその翌日に起きました。
財務省、イングランド銀行、政府のもとに英国の銀行家たちが駆け込み、帳簿や書類を手にこう言ったのです。
「申し訳ないが、あなたが戦争を宣言したせいで、私達は破綻状態です」
なぜそうなったのか?
当時ロンドンは文字通り世界の金融センターであり、
オスマン帝国とハンガリーの間の手形決済でさえロンドンを経由していました。また、それらの取引の多くはポンド建てで、ポンドは最も流動性の高い国際通貨でした。
ところが、これらの主要国(ドイツ、オスマン帝国、オーストリア=ハンガリー帝国)が一夜にして敵国となったため、英国の銀行が保有していた敵国関連の全ての手形は回収不能、不良資産と見なされました。
銀行の自己資本比率は10%以下であるため
一定割合の資産が毀損すればすぐに債務超過に陥ります。
英国は戦争を宣言したばかりで、銀行危機や不況
経済恐慌を抱える余裕はありません。
このため中央銀行は、この問題が重大危機へ発展することを望まず、QE1、つまりイングランド銀行がそれらの資産を額面で買い取る対応をとりました。さらに、財務省は信認維持のために紙幣を発行する措置もとりました。
しかし実際の核心は、イングランド銀行がこれらの資産を額面で買い取ったことにあります。これによって問題は消え、銀行危機は起きませんでした。
ここで質問が
「第一次世界大戦の話が出たので、今まさに大規模戦争の瀬戸際にあるこの状況で、銀行は戦争をどのように見ているのか?」
あなたは銀行を「社会における人間行動を最も強力に支配するメカニズム」と表現しました。私も、とくに中央銀行はその中でも特に強大な力を持っていると考えています。
銀行が巨大であればあるほど力は大きく、その力は他の銀行との関係をはるかに超えて、国家の内部で起こる多くの出来事を左右します。しかも中央銀行は有権者の統制を受けません。
つまり、最も強力でありながら、完全に民主主義の
外側に存在する機関なのです。これは異常です。
私も、その経緯を知りたいと思っています。
では、彼らは戦争についてどう感じているのか?
中央銀行と戦争は極めて密接に結びついています。
先ほど話したように、近代的な大銀行、つまり最初の
近代的中央銀行はイングランド銀行ですが、
その設立を定めた議会法には、抵抗を避けるために
イングランド銀行という名前は明記されていないものの、
政府に多額の資金を貸し付けるためのメカニズムを
創設するという形で書かれています。
実際には、投資家が政府に貸し付けるための会社
つまりイングランド銀行を設立することを認める法でした。
そしてその目的は何か?
戦争遂行のためです。
イングランド銀行の設立文書には、まさにその点が
書かれているのです。
では、なぜアメリカの連邦準備制度(FRB)が設立されたのか?
なぜ1914年、第一次世界大戦が始まった年を目前に、急いで設立されたのか?
これも同じ構造です。
FRBは1913年12月23日
議会がほとんど休会状態の時に成立しました。
同時に連邦所得税も導入されました。
これらは同じ法律の中で導入されたもので
中央銀行が設立されるときには、いつも税制が
変更され、新しい税が課されるのです。
理由は簡単で、政府が借金を返済するために
確実な税収が必要になるからです。
民間が所有する中央銀行を設立する時に使われる
常套手段は「政府が自ら通貨を発行したくないなら、
我々があなたに代わって通貨を発行します。その代わり、政府は我々から借りればよい」というものです。
そして政府は借金をする側になる。
では彼らはどうやってそのお金を回収するのか?
政府が税を課すからです。
FRB創設以前、連邦所得税は存在しませんでした。
両者は切り離せない関係です。中央銀行が設立される時には、何らかの新税が導入されるのが常です。
そしてアメリカの中央銀行であるFRBは、第一次世界大戦の直前、まさに数か月前に創設されました。
では、その戦争、過去千年で最も重要だったとも言われる戦争の中で中央銀行はどのような役割を果たしたのか?
それは戦争経済の頂点に立つ存在でした。
これは疑いようのない事実であり
ドイツ側でも事情は同じでした。
1917年、アメリカとドイツは正式に交戦状態になり、多くのドイツ系アメリカ人やドイツ人が戦争を望んでいなかったにもかかわらず、兵士たちは塹壕で戦い、両国経済は完全な戦時体制へ移行しました。
その頂点に位置していたのが中央銀行でした。
ここで重要なのは、ドイツ帝国の中央銀行である
ライヒスバンク(Reichsbank)の中心人物が
Max Warburg(マックス・ヴァールブルク)であり
アメリカ側のFRBの創設者であり主要人物が
Paul Warburg(ポール・ヴァールブルク)であったことです。
この二人は実の兄弟です。
形式上の総裁ではありませんでしたが
政策決定において極めて重要な地位にいました。
Paul Warburgは1911年までドイツ国籍で、
FRBを整備するためにアメリカへ渡ってきた人物でした。
彼は英語を話すときも半分ドイツ語混じりで
少し調べればすぐわかる事実です。
では戦争中、彼ら兄弟の地位はどうなったのか?
失われたのか?
いいえ。Max Warburgはその後もライヒスバンク
(ドイツ帝国銀行)内で力を持ち続け
1930年代にはヒトラーが提示した中央銀行総裁案に
署名する立場にもありました。
彼は依然として中枢にいました。
ただし、特定の家系だけを責める意図はありません。
JPモルガンをはじめ、多様な背景の銀行家一族が同様に
中央銀行と結びつき、国際金融ネットワークを形成しています。
ポイントは、これはインサイドゲーム(内輪のゲーム)
であるということです。
そして次の例が1945年の倭国です。
倭国の銀行は国家敗戦の時点で実質的に破綻していました。
戦時国債は敗戦でほぼ無価値となり、軍需産業向けの
強制貸付先は破綻し、満洲や台湾、朝鮮の喪失により
担保も消失しました。
大都市は焼夷弾で壊滅していました。
銀行危機や不況を抱える余裕はありません。
この時、日銀は不良資産を額面で買い取り問題を処理しました。QE1です。
私は1995年の段階で、不良債権比率は銀行資産の
約25%に達すると考えていました。
1980年代の不動産融資の増加率を見れば合理的でした。
実際その通りになりました。
たとえ日銀が額面で買い取って不良債権を一掃しても、
貸出担当者たちは経験した損失により恐怖から
貸し出しを再開しないだろうと考えていました。
救済されても、すぐに貸出を増やすわけではありません
そこで私はQE2を考えました。
QE1が銀行からの不良資産買い取りなら、QE2は
中央銀行が非銀行部門から正常資産を買い取る仕組みです。
当時私は「中央銀行は東京の不動産を買い取るべきだ」と提案しました。
将来の不良債権化を防ぎ、公園化して都市環境を
改善でき、同時に銀行に信用創造を強制できるからです。
なぜ強制できるのか?
土地所有者は中央銀行に口座を持ちません。
中央銀行が土地を買うと、代金は商業銀行の口座に振り込まれます。
中央銀行は商業銀行に支払いを指示し、商業銀行は
中央銀行から準備預金を受け取り、顧客の口座に預金を記帳します。
これが預金創造、つまり信用創造です。
これにより中央銀行は、銀行の貸出(信用)を
確実に増やすことができます
Richard Werner Exposes the Evils of the Fed & the Link Between Banking, ... https://t.co/23xCA13OVw @YouTubeより November 11, 2025
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イングランドのノーフォーク州にあるハイイロアザラシのコロニーを映すライブカメラ🦭
凄い数のハイイロさん達❗️
そして大きい❗️
チャンネルはこちら↓
https://t.co/6RVOaMqGOx https://t.co/qGfcweXGpq November 11, 2025
36RP
イギリスに住む高齢の女性が、かつてイングランドと現在のイングランドを比べて言った。『同じ世界だとは信じられないわ。』グレート・リプレイスメントは存在した。
https://t.co/56DXNgRZRI November 11, 2025
25RP
📍イギリス・イングランド『ウィンザー城』ほぼ年中無休開館(クリスマスと特別行事日を除く)
料金:大人約30ポンド(約6,000円)オンライン事前予約がおすすめ(当日券は行列必須)
王様が実際に住んでいるお城の中に、普通の観光客が堂々と入れるという世界でも珍しい場所
https://t.co/5Q1rZnHchQ November 11, 2025
25RP
民族・文化的多様性に富む北ロンドンを本拠地とするアーセナルが、特に1980-2000年代にかけて、いかにしてイギリスで最も先進的なクラブとして英サッカー界・社会全体に影響を与え、黒人のサッカーファンが自らのアイデンティティを重ねられる拠り所、そしてサッカー界における反人種差別の砦となったかに迫る書籍『ブラックアーセナル』が来月発売となります!
様々な点で興味深い一冊ですが個人的には、まだ黒人選手への差別が公然と行われていた時代に、イアン・ライトがそのプレイとカリスマ性、強固な信念でその全てを打ち破り、イングランドサッカー界どころかイギリス社会全体を変えてしまうほどの影響を与えた経緯(本人執筆による章も収録されています)が特に印象に残っています。また、恐らくどちらかというと政治的・社会的信条に基づいてというよりも(もちろん、実際のところはわからないので動機などは想像にすぎませんが)、その究極まで強く美しいサッカーを求める姿勢・哲学からアーセン・ベンゲルが当時のイングランドの常識などまったく気にせず、結果的にイギリス中のファンを勇気づけ、サッカー界を完全に変えてしまうようなチームを組み上げたのもボスらしいな、と思いました。
オンライン上にはほとんど記録に残っていないような、昔のアーセナルの選手たち、ハイバリースタジアムやユースチームの様子についてのエピソードなども多く語られています。 November 11, 2025
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ロンドン、コッツウォルズ、湖水地方──おなじみの人気エリアを巡ったその先、「次はどこへ行こう?」と考える人にこそ知ってほしいのが、イングランド中部のイースト・ミッドランズ。英国らしい風景と物語が凝縮されたこの地域について、広域自治体トップであるイースト・ミッドランズ広域首長のクレア・ワード氏に、観光からローカルフード、季節ごとの楽しみ方、理想の1日プランまで聞きました https://t.co/dktwAEhhS8 🇬🇧 November 11, 2025
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ジェフリー・オブ・モンマス「ブリタニア列王史」を読み始める。滅亡したトロイアからイタリア半島に渡ったアイネイアースがローマを築き、その曾孫ブルートゥスが流浪の末にアルビオンに渡りブリタニアと名付ける。ローマ人もイングランド人もルーツをトロイアに求めたのは興味深い。 https://t.co/7suGN5CTYi November 11, 2025
4RP
英国でほぼ100%が土葬されていたのは20世紀初めまでで、その後徐々に火葬が増え、今は7-8割が火葬のようです。理由は埋葬場所の不足と費用。イングランド(物価が高い)が最も火葬が多く8割ぐらい、カソリックの多い北アイルランド(物価も安い)は逆で8割ぐらいが土葬。
https://t.co/XBSb8lM8Fi November 11, 2025
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だいたい、イングランドは英語発祥の地だから、英語の多様性が1番大きいわけで、多種多様。発音もいろいろ。
よく、busy とかがなぜbisy でないか?とかあるが、綴りと発音を別の方言から採用したからとかある。
英語が文字で書かれるようになったころ、まだ、公用語はフランス語だったりしたから、標準英語も、標準綴りも、印刷屋が適当に決めて次第に共通英語ができたみたいな話で、フランス語やドイツ語のような国家による標準化はされていないわけだし。だからOxfordの辞書や、BBCが現在の標準英語をある程度統一している感じになっている。 November 11, 2025
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なでしこジャパン(倭国女子代表)メンバー
MS&ADカップ2025 カナダ女子代表戦(11.29 長崎スタジアムシティ(ピーススタジアム))
JFAアカデミー福島OGから、なんと
8名の選出。世界各国から参集。
活躍が楽しみです😊
12 平尾 知佳 ヒラオ チカ(グラナダCF/スペイン)
21 守屋 都弥 モリヤ ミヤビ(エンジェル・シティFC/アメリカ)
13 北川 ひかる キタガワ ヒカル(エバートン/イングランド)
22 石川 璃音 イシカワ リオン(エバートン/イングランド)
6 古賀 塔子 コガ トウコ(トッテナム・ホットスパー/イングランド)
24 成宮 唯 ナルミヤ ユイ(INAC神戸レオネッサ)
20 松窪 真心 マツクボ マナカ(ノースカロライナ・カレッジ/アメリカ)
19 谷川 萌々子 タニカワ モモコ(バイエルン・ミュンヘン/ドイツ)
https://t.co/lCfNOgJtQp November 11, 2025
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イングランド中部Sフェザー級王座決定戦
Ibraheem Sulaimaan(9-0-0-4) vs Nico Ogbeide(6-1-1-0)
注目のスライマンはアマ時代21年のイングランド選手権優勝してからプロ入りし9戦でまだ1Pも失ってない
前回はチェレジを一方的な展開で勝利した
1か月半前の試合だったから今年最後かな?と思ったけど初タイトルに向けもう1試合してくれるのが嬉しい
対するオグベイデはキャリアが浅い31歳だからちょっと相手にならなさそう November 11, 2025
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私は銀行の信用創造について説明しました。
まず最初に必要なのは、実体経済のための銀行信用創造を拡大することです。その方法として、政府には基本的に三つの手段があり、分かりやすく言えば第一の方法を
QE1、第二をQE2、そして第三の措置と呼ぶことにしましょう。
QE1とは、銀行システムが不良債権まみれで機能不全に陥っている時
中央銀行がそれらを額面どおり、つまり100として
買い取ることです。
当然、銀行は大喜びします。
彼らのバランスシートは極めて強固になり、史上例の
ないほど流動性が高くなります。
これで銀行危機は解決します。危機は消滅します。
すると、「問題を中央銀行に移しただけではないのか?」と疑問を呈する人が出てきます。しかし違います。中央銀行は時価評価(mark-to-market)をする必要がなく、これらの保有資産については「忘れてしまってよい」のです。
では、「中央銀行が貨幣を生み出したのでは?
その結果、インフレや通貨安という形で私達が負担しているのでは?」という疑問も出ます。
しかし、いいえ、それは貨幣創造ではありません。
貨幣創造とは、銀行システムが新しい信用を生み
それを非銀行部門に注入したときに起こるものだからです。
ここで起きているのは、銀行と中央銀行という銀行システム内部の取引であり、中央銀行が銀行から不良資産を買い取っても貨幣創造にはなりません。これは単に銀行のバランスシートを社会的コストゼロで浄化しているだけであり、税金を使う必要もありません。
そして、なぜこれをやらないのか?
まさにそこが重要です。中央銀行が銀行危機を深刻な
事態や不況に発展させたくない時には、いつもこれを行うのです。
その例を二つ挙げましょう。
1914年8月、グレートブリテンおよびアイルランド連合王国は
ドイツとその同盟国(オーストリア=ハンガリー帝国、オスマン帝国)に宣戦布告しました。
これが第一次世界大戦の始まりです。
しかし問題はその翌日に起きました。
財務省、イングランド銀行、政府のもとに英国の銀行家たちが駆け込み、帳簿や書類を手にこう言ったのです。
「申し訳ないが、あなたが戦争を宣言したせいで、私達は破綻状態です」
なぜそうなったのか?
当時ロンドンは文字通り世界の金融センターであり、
オスマン帝国とハンガリーの間の手形決済でさえロンドンを経由していました。また、それらの取引の多くはポンド建てで、ポンドは最も流動性の高い国際通貨でした。
ところが、これらの主要国(ドイツ、オスマン帝国、オーストリア=ハンガリー帝国)が一夜にして敵国となったため、英国の銀行が保有していた敵国関連の全ての手形は回収不能、不良資産と見なされました。
銀行の自己資本比率は10%以下であるため
一定割合の資産が毀損すればすぐに債務超過に陥ります。
英国は戦争を宣言したばかりで、銀行危機や不況
経済恐慌を抱える余裕はありません。
このため中央銀行は、この問題が重大危機へ発展することを望まず、QE1、つまりイングランド銀行がそれらの資産を額面で買い取る対応をとりました。さらに、財務省は信認維持のために紙幣を発行する措置もとりました。
しかし実際の核心は、イングランド銀行がこれらの資産を額面で買い取ったことにあります。これによって問題は消え、銀行危機は起きませんでした。
ここで質問が
「第一次世界大戦の話が出たので、今まさに大規模戦争の瀬戸際にあるこの状況で、銀行は戦争をどのように見ているのか?」
あなたは銀行を「社会における人間行動を最も強力に支配するメカニズム」と表現しました。私も、とくに中央銀行はその中でも特に強大な力を持っていると考えています。
銀行が巨大であればあるほど力は大きく、その力は他の銀行との関係をはるかに超えて、国家の内部で起こる多くの出来事を左右します。しかも中央銀行は有権者の統制を受けません。
つまり、最も強力でありながら、完全に民主主義の
外側に存在する機関なのです。これは異常です。
私も、その経緯を知りたいと思っています。
では、彼らは戦争についてどう感じているのか?
中央銀行と戦争は極めて密接に結びついています。
先ほど話したように、近代的な大銀行、つまり最初の
近代的中央銀行はイングランド銀行ですが、
その設立を定めた議会法には、抵抗を避けるために
イングランド銀行という名前は明記されていないものの、
政府に多額の資金を貸し付けるためのメカニズムを
創設するという形で書かれています。
実際には、投資家が政府に貸し付けるための会社
つまりイングランド銀行を設立することを認める法でした。
そしてその目的は何か?
戦争遂行のためです。
イングランド銀行の設立文書には、まさにその点が
書かれているのです。
では、なぜアメリカの連邦準備制度(FRB)が設立されたのか?
なぜ1914年、第一次世界大戦が始まった年を目前に、急いで設立されたのか?
これも同じ構造です。
FRBは1913年12月23日
議会がほとんど休会状態の時に成立しました。
同時に連邦所得税も導入されました。
これらは同じ法律の中で導入されたもので
中央銀行が設立されるときには、いつも税制が
変更され、新しい税が課されるのです。
理由は簡単で、政府が借金を返済するために
確実な税収が必要になるからです。
民間が所有する中央銀行を設立する時に使われる
常套手段は「政府が自ら通貨を発行したくないなら、
我々があなたに代わって通貨を発行します。その代わり、政府は我々から借りればよい」というものです。
そして政府は借金をする側になる。
では彼らはどうやってそのお金を回収するのか?
政府が税を課すからです。
FRB創設以前、連邦所得税は存在しませんでした。
両者は切り離せない関係です。中央銀行が設立される時には、何らかの新税が導入されるのが常です。
そしてアメリカの中央銀行であるFRBは、第一次世界大戦の直前、まさに数か月前に創設されました。
では、その戦争、過去千年で最も重要だったとも言われる戦争の中で中央銀行はどのような役割を果たしたのか?
それは戦争経済の頂点に立つ存在でした。
これは疑いようのない事実であり
ドイツ側でも事情は同じでした。
1917年、アメリカとドイツは正式に交戦状態になり、多くのドイツ系アメリカ人やドイツ人が戦争を望んでいなかったにもかかわらず、兵士たちは塹壕で戦い、両国経済は完全な戦時体制へ移行しました。
その頂点に位置していたのが中央銀行でした。
ここで重要なのは、ドイツ帝国の中央銀行である
ライヒスバンク(Reichsbank)の中心人物が
Max Warburg(マックス・ヴァールブルク)であり
アメリカ側のFRBの創設者であり主要人物が
Paul Warburg(ポール・ヴァールブルク)であったことです。
この二人は実の兄弟です。
形式上の総裁ではありませんでしたが
政策決定において極めて重要な地位にいました。
Paul Warburgは1911年までドイツ国籍で、
FRBを整備するためにアメリカへ渡ってきた人物でした。
彼は英語を話すときも半分ドイツ語混じりで
少し調べればすぐわかる事実です。
では戦争中、彼ら兄弟の地位はどうなったのか?
失われたのか?
いいえ。Max Warburgはその後もライヒスバンク
(ドイツ帝国銀行)内で力を持ち続け
1930年代にはヒトラーが提示した中央銀行総裁案に
署名する立場にもありました。
彼は依然として中枢にいました。
ただし、特定の家系だけを責める意図はありません。
JPモルガンをはじめ、多様な背景の銀行家一族が同様に
中央銀行と結びつき、国際金融ネットワークを形成しています。
ポイントは、これはインサイドゲーム(内輪のゲーム)
であるということです。
そして次の例が1945年の倭国です。
倭国の銀行は国家敗戦の時点で実質的に破綻していました。
戦時国債は敗戦でほぼ無価値となり、軍需産業向けの
強制貸付先は破綻し、満洲や台湾、朝鮮の喪失により
担保も消失しました。
大都市は焼夷弾で壊滅していました。
銀行危機や不況を抱える余裕はありません。
この時、日銀は不良資産を額面で買い取り問題を処理しました。QE1です。
私は1995年の段階で、不良債権比率は銀行資産の
約25%に達すると考えていました。
1980年代の不動産融資の増加率を見れば合理的でした。
実際その通りになりました。
たとえ日銀が額面で買い取って不良債権を一掃しても、
貸出担当者たちは経験した損失により恐怖から
貸し出しを再開しないだろうと考えていました。
救済されても、すぐに貸出を増やすわけではありません
そこで私はQE2を考えました。
QE1が銀行からの不良資産買い取りなら、QE2は
中央銀行が非銀行部門から正常資産を買い取る仕組みです。
当時私は「中央銀行は東京の不動産を買い取るべきだ」と提案しました。
将来の不良債権化を防ぎ、公園化して都市環境を
改善でき、同時に銀行に信用創造を強制できるからです。
なぜ強制できるのか?
土地所有者は中央銀行に口座を持ちません。
中央銀行が土地を買うと、代金は商業銀行の口座に振り込まれます。
中央銀行は商業銀行に支払いを指示し、商業銀行は
中央銀行から準備預金を受け取り、顧客の口座に預金を記帳します。
これが預金創造、つまり信用創造です。
これにより中央銀行は、銀行の貸出(信用)を
確実に増やすことができます
Richard Werner Exposes the Evils of the Fed & the Link Between Banking, ... https://t.co/23xCA13OVw @YouTubeより November 11, 2025
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📰記事翻訳
『タブリーギー・ジャマート ( Tablighi Jamaat ) を無視すれば危険にさらされる』- Islamist Watch -
2020年5月3日
Abhinav Pandya, Sam Westrop
Sunday Guardian (India)
https://t.co/EMXg4RfLaX
📄記事全文 (Google倭国語訳) ※一部誤翻訳修正
📝は編集者注釈
インドでは、ジハード主義テロに関する学術的・ジャーナリズム的な議論は、主に国際テロ組織やパキスタンのテロ組織を中心に展開されている。
一方、ジャマーアト・エ・イスラミのような非暴力的・半暴力的なイスラム主義組織、そして米国、英国、カナダにおけるその代理慈善団体、そしてインド人民戦線やインド社会民主党といった組織は、これまでのところ、多かれ少なかれ情報機関や治安機関の監視を逃れてきた。
しかし、最近行われた数々の重要な調査で、ジャマート・エ・イスラミがカシミールの社会を過激化し、テロ組織を支援していたことが明らかになり、内務省が同組織を禁止に追い込んだことを受けて、平和的な社会組織を装う他の合法的なイスラム主義団体も、ついにインドの諜報機関の捜査対象となった。
注目すべき例の一つがタブリーギー・ジャマート(TJ)である。
同組織は数十年にわたりインド全土で活動し、数百万人を声高に勧誘しながらも、[ジハード主義]📝イデオロギーの拡散に肥沃な土壌を築き上げてきたにもかかわらず、法執行機関の監視を何とか逃れてきた。
📝[ジハード主義]…主にサラフィー・ジハード主義を指し、イスラームの教義を武力によって達成しようとする思想
皮肉なことに、TJ はより慎重に、より秘密裏に活動するよう注意を払っていたにもかかわらず、西側諸国では、過去 20 年間、テロとのつながりを認識している法執行機関によって TJ は注意深く監視されてきました。
TJは、イスラム教原理主義と強硬路線を掲げる[デオバンド派]📝から分派した組織です。
📝❓デオバンド派については以下のリンク⬇️
https://t.co/uiw6awm3gx
世界的な布教活動を行うTJは、世界最大のイスラムネットワークを運営しており、150カ国以上に7,000万~ 8,000万人もの会員を擁しています。
インド、パキスタン、バングラデシュで開催されるイジュテマ(宗教集会)には、ハッジに次いで多くのイスラム教徒が集まります。
TJは静穏主義的で非政治的な組織であると主張している。
一般的には、TJは単なる戸別訪問の移動バンドによるイスラム教の布教活動を行う、純真な伝道組織と認識されている。
しかし実際には、TJは退行的で極端な宗教観を説いている。
既存のイスラム教徒コミュニティをイスラム化させ、イスラム教徒に、より禁欲的なデオバンド派のイスラム教を受け入れるよう促している。
デオバンド派では、イスラム教徒の生活のあらゆる側面がTJの規則によって規定されている。
TJ哲学の真髄は、TJ独自のイスラム教への深い信仰と忠誠心を通して、外界の試練(フィトナ)から身を守ることの重要性にある。
TJは、ウンマ(共同体)が「自己の浄化」を経た場合にのみ、ジハードその他の手段を通じて非ムスリムへのイスラム教の伝播が可能になると信じている。
本質的に、TJの活動は非イスラム世界との不可避的な衝突という考えに基づいている。
フランスのTJ専門家マルク・ガボリューはさらに踏み込み、TJの究極の目標は「ジハード精神に基づく計画的な世界征服」に他ならないと示唆している。
TJの影響は広く感じられます。
バングラデシュでは、TJはイスラム教徒コミュニティからヒンドゥー教の伝統と影響力を排除しようと活動しており、ハドソン研究所はこれがバングラデシュ社会のイスラム化を著しく悪化させていると主張しています。
北カシミールでは、テロ組織ヒズブル・ムジャヒディンがTJの潜在的なメンバーを40日間の宗教研修プログラムに送り込み、研修終了後に組織への入隊を許可していると、現地の警察幹部が私たちに語りました。
インド北部および東部からカシミールを訪問したTJ幹部は、ジャマーアト・エ・イスラミや暴力的なイスラム教徒などの地元組織からの抵抗や反対に遭いません。
これは、特にカシミールで頻繁にインターネットが遮断される中で、TJが資金やメッセージのやり取りを支援してきたためだと伝えられています。
さらに、TJはカシミールのデオバンド派神学校における若者の過激化にも関与しているとの報道もある。
過去には、テロリスト訓練のために学生を送り出していたことが判明し、複数の神学校が禁止されたことがある。
プルワマ自爆テロの陰謀が企てられたアナントナグ県マルハマ村には、影響力のあるデオバンド派のマドラサがあり、その教員にはTJの説教師も含まれている。
元イスラム主義者のバシール・アフマド氏が指摘するように、この地域はデオバンド派テロ組織「ジャイシュ=エ=モハメッド」の拠点となっている。
ウッタル・プラデーシュ州出身の著名なバーレルヴィ派スンニ派イスラム教指導者は、過去25年間、TJの活動を現地で研究してきたが、TJの新入会員は、[一定期間の義務的な巡回伝道活動(世界中のTJ会員に共通する慣習)]📝に参加した後、インド人民戦線、インド社会民主党、ジャマーアト・エ・イスラミなどの著名なイスラム主義組織に加わるよう派遣されることが多いと語った。
📝[一定期間の義務的な巡回伝道活動]…3日間、40日間、4カ月間のいずれかの旅。TJ会員の義務であり、一生に一度は行う事を強く推奨されるが、実態はかなりの回数が行われている。
バーレルヴィー派が、ライバルであるデオバンド派の布教活動を懸念するのももっともだ。
TJ幹部は長年、インド全土の村や都市にあるバーレルヴィー派のモスク占拠と乗っ取りに深く関与してきた。
TJはまず、メンバーと共に地元のモスク委員会への潜入を試みる。
成功すれば、デオバンド派が大部分を掌握するワクフ委員会の承認を得て、モスクをデオバンド派として再登録する。
それができない場合、TJはライバルとして独自の匿名のモスク委員会を設立し、再びワクフ委員会の承認を得て、既存の委員会を乗っ取ろうとする。📝
📝運営委員会等のメンバーが徐々にデオバンド派多数になっていき、最終的にデオバンド系モスクとなる乗っ取り行為
いずれにせよ、バーレルヴィー派のイマームと経営陣は排除され、両グループの間で暴力的な衝突が頻繁に発生する。
首都圏では、TJ幹部がデオバンド派に150~200のバレルウィ・モスクを占拠させました。
グジャラート州では、TJとデオバンド派がモスクの80%以上を占拠しました。
ジャイプールでは、TJ幹部がカルバラー・モスクを暴力的に占拠した事件があり、刑事捜査が開始されました。
しかし、法執行機関は捜査を怠りました。
これは、TJが正式に登録された組織ではないことが原因のようです。
デオバンド派は原理主義的で排他的なイスラム教を説き、実践しており、これは過激主義やテロリズムと容易に融合します。
TJによるモスク占拠が続くにつれ、デオバンド派の影響の脅威も増大しています。
そして、この脅威はインドだけの問題ではありません。
TJと強硬派のデオバンド派は世界的な問題なのです。
西洋のイスラム化
TJは1945年、最初の宣教師がイギリス領インドからイギリスへ派遣されて以来、ヨーロッパで活動してきました。
非イスラム教の環境で活動するTJの活動は、南アジアでの活動よりも静かに、そして慎重に行われてきました。
そのため、多くの西洋のイスラム教コミュニティは、何十年もの間、TJの存在すら知りませんでした。
しかし、TJにとって西洋のイスラム教コミュニティは特に重要なターゲットでした。
特に1960年代と70年代における世俗世界の表向きの罪は、音楽、ダンス、男女混合のイベントを楽しむ穏健派のイスラム教コミュニティに恐怖を覚える宗教保守派にとって、あまりにも明白でした。
TJによるイスラム教コミュニティのイスラム化活動は、特にこの地で重要だと考えられたのです。
ジャーナリストのイネス・ボーエンは、英国におけるTJの活動について執筆し、初期の宣教師の言葉を引用している。
「不道徳の市場が栄え、サタンはここに広くて強固な罠を仕掛けている」。
それからずっと後の1990年代、別のTJ関係者は次のように宣言した。
「タブリーギーの主目的は、ユダヤ教徒、キリスト教徒、そして(その他の)イスラムの敵の文化と文明からウンマ(イスラム教国家)を救い出し、人間の尿や排泄物に対する憎悪のように、彼らのやり方に対する憎悪を生み出すことである」
インドや他の南アジア諸国と同様に、TJはヨーロッパにおいて、主にデオバンド派のネットワークを通じて活動しようとしました。
実際、学者フィリップ・ルイスが指摘するように、ヨーロッパで最も重要なデオバンド派の組織であるダルル・ウルーム・ベリーは、TJのインドの指導者ムハンマド・ザカリヤの命令で設立されました。
ザカリヤは、TJの重要な文献『ファイザイル・エ・アマール』を著しました。
1970年代後半、イングランド北部の町デューズベリーに2つ目のダルル・ウルームが設立され、インドとパキスタン以外におけるTJの主要機関の一つとなった。
実際、ここはTJのヨーロッパ本部と呼ばれることもしばしばある。
デューズベリーを拠点として、TJ派の宣教師たちはヨーロッパや世界各地を巡り、信者を募り、イスラム教徒コミュニティをイスラム化しました。
新しい都市に到着すると、宣教師たちは「すぐに市、州、そして国中のモスクに散らばり、通常はホストとなるイスラム教センターの床に寝袋を敷いて寝泊まりしました」。
いくつかの研究によると、西洋でよく見られる手口は、TJ派の宣教師が「最近モスクに姿を見せていないイスラム教徒の自宅に、突然少人数のグループで現れる」ことです。
場合によっては、TJ宣教師がヨーロッパの南アジアコミュニティへのデオバンド派の進出の先鋒を務めた。
これは賢明な投資だった。
TJがデオバンド派の勢力拡大を支援したことで、デオバンド派のモスクの広範なネットワークが構築され、数十年後にはその多くがTJ宣教活動の重要な拠点となることを喜んで受け入れた。
TJがインドで行ったように、西洋のモスクを占拠するデオバンド派を支援したかどうかは不明である。
しかし、英国において、デオバンド派は英国のイスラム教徒300万人のうちわずか20%を占めるに過ぎないにもかかわらず、モスクの40%以上を支配していることは注目に値する。
フランスでは、TJは南アジア系の人口に頼ることができなかったため、北アフリカ出身のムスリムを大量に獲得しました。
TJのモスクが複数設立されたことに加え、この運動は今や「フランスのムスリムの日常生活の一部」となっていると、ある学者は述べています。
ヨーロッパのTJ集会には数千人もの参加者が集まりますが、イネス・ボーエン氏が指摘するように、ウェブサイトやプレスリリース、その他の宣伝資料を使わずに開催されています。
TJは依然として秘密主義的な勢力であり、その影響力が散発的に明らかになった時に初めて世間の注目を集めます。
アメリカにおけるTJのアプローチは、少々異なっています。
1950年代に初めて登場したTJは、デオバンド派の存在が比較的少なかったため、新たなイスラム教徒コミュニティのパートナーを見つけ、独自のモスクを設立する必要に迫られました。
そのターゲットは、ネーション・オブ・イスラム(準イスラム的な黒人民族主義運動)から大量に離脱し、新たなイデオロギーの拠り所を求めていた黒人アメリカ人でした。
実際、今日、アメリカのTJモスクは、世界中から集まった多様なイスラム教改宗者や移民を受け入れています。
アメリカ国内には推定1万5000人のTJ会員が活動しており、そのうち南アジア出身者はわずか60%に過ぎないと報告されています。
TJのアメリカ本部は、ニューヨーク市のアルファラー・モスクであると考える人もいます。
アルファラー・モスクは、異例なことに、自社のウェブサイトでTJであることを公に認めています。
一方、英国のダルル・ウルーム・デューズベリーは、南アジア以外ではTJにとって最も重要なセンターであるにもかかわらず、TJとのつながりを一切公に認めていません。
アメリカには、シカゴ、サンディエゴ、ロサンゼルスなどの著名なTJセンターもあります。
1980年代から90年代にかけて、TJは北米でより公然と活動しており、これは今日のインドにおける活動に類似したものでした。
シカゴやトロントでは公開会議を開催し、数千人が参加しました。
しかし、9.11以降、TJの活動はより慎重になり、目立たなくなりました。
一部のアナリストは、TJが今日比較的目立たない存在となっていることは、影響力とメンバーを失ったことを示唆していると結論付けています。
しかし、TJの宣教師が全米各地のモスクで活動を続けていることや、近年の多くのジハード主義者がTJのプログラムに参加しているという事実と、この主張を一致させることは困難です。
実際、多くの西側諸国のジハード主義者が過激化の過程でTJと何らかの形で関わってきたことは疑いようがない。
インドの諜報機関とはやや対照的に、西側諸国の当局者はTJの危険な影響力を数十年にわたって認識していた。
米国当局は2003年、「米国にはタブリーギー・ジャマートが相当数存在しており、アルカイダが現在も過去も彼らを勧誘に利用していたことが判明している」と述べた。
2000年代初頭、パキスタンの情報筋は、パキスタンまたはアフガニスタンで400人のアメリカ人テロリストがアメリカのタブリーギー・ジャマート・ネットワークによって育成されたと主張した。
一方、フランス情報機関は、自国のイスラム過激派の80%がかつてタブリーギー・ジャマートの一員であった可能性があると主張し、タブリーギー・ジャマートを「原理主義者の控えの間」と呼んでいる。
TJと関係のある西側諸国のテロリストには、大西洋横断の「靴爆弾犯」リチャード・リードや、7月7日のロンドン同時多発テロの首謀者モハメド・シディク・カーンなどがいます。
ヨルダンの著名なジハード主義の説教者であり、アルカイダとの接触もあったアブ・カタダでさえ、TJの活動に関与していたと報じられています。
TJは欧米ではやや慎重な活動を展開しているものの、南アジアにおけるTJ支部へのイデオロギー的支持は明確です。
実際、インドとパキスタンにおけるTJ支部の分裂は、欧米のTJネットワークにも反映されていました。
2017年には、ロンドンのTJ施設前で両陣営の支持者が殴り合いに発展しました。
米国では、「間違った」TJ派閥に属していたTJメンバーがTJのモスクから追放されたと報じられています。
西側のTJメンバー全員がTJのインド派を支持する意思があったわけではないことは驚くべきことではない。
パキスタンのTJ機関は長年にわたり世界中のTJメンバーの忠誠心を集めてきた。
TJとパキスタンのイスラム主義
パキスタンでは、ジアウルハク将軍の政権がデオバンド派とタブリーギ派の過激派活動を支援しました。
それ以来、タブリーギ派の幹部はパキスタンで影響力のある役割を担い続け、パキスタンの悪名高いテロ組織と結びついた諜報機関ISIの長官に就任するなど、強力な地位を占めています。
複数の報道によると、パキスタンのTJ幹部はバングラデシュでインドの幹部と会合し、1971年のバングラデシュ独立戦争中にパキスタン軍と共謀して民間人を大量虐殺したジャマート・エ・イスラミと緊密に連携しているとのことです。
今日。TJのパキスタン人幹部はバングラデシュ経由でインドに入国しているとの報道があり、そこでISIの利益に資する可能性があると考える者もいます。
パキスタンにおいて、TJがテロ組織とさらに明白なつながりを持っていることも特筆に値します。
テロ組織のトップクラスのリクルーターがライウィンドのTJ幹部を訪問し、タブリーギのメンバーにテロ組織への参加を勧めています。
伝えられるところによると、1995年には、TJの軍事分派であるジハード・ビ・アル・サイフが、パキスタンの元首相ベナジル・ブットの暗殺を企てたとして告発されました。
1980年に結成された恐るべきテロ組織ハルカット・ウル・ムジャヒディン(HuM)は、その創設メンバー全員がタブリーギー・ジャマートから引き抜かれた。
HuMは、1998年にインド航空IC814便をハイジャックし、2002年にカラチでフランス人エンジニアを残忍に殺害した。
その後、6000人のタブリーギーがHuMのキャンプで訓練を受け、その多くがアフガニスタンで戦い、ソ連の敗北後にアルカイダに加わった。
TJの別の暴力的な分派であるハルカット・ウル・ジハード・アル・イスラミ(HuJI)は、カシミールとグジャラートで活動している。
HuJIは、2002年のアメリカ文化センター攻撃、および2004年の当時穏健派アワミ連盟の指導者で現在はバングラデシュの現首相であるシェイク・ハシナ・ワジド暗殺未遂事件に関与している。
さらに、TJ のインド人メンバーがイジュテマや伝道活動のためにパキスタンに渡航する際、アルカイダ、ラシュカル、ハルカト・ウル・ムジャヒディンなどのテロ組織に誘い込まれるとも伝えられている。
脅威を認識する
もちろん、TJとイスラム主義やテロとのより明白な繋がりは、既に述べた国々に限ったことではありません。
アレックス・アレクシエフは、フィリピン政府がTJ(フィリピン国内に少なくとも1万1000人のメンバーを擁する)を、サウジアラビアの資金を南部のテロリストに送り込むパイプ役、そしてパキスタンのジハード主義義勇兵の隠れ蓑として機能していると非難していると記しています。
チュニジアでは、チュニジアのアンナハダ党の共同創設者であり、世界で最も著名なイスラム主義イデオローグの一人であるラシド・アル・ガンヌーシが、若い頃にパリで運動に参加したTJの卒業生です。
一方、アルジェリアのイスラム武装集団(GIA)のテロリストもTJと密接な関係を持っていました。こうした例は枚挙にいとまがありません。
TJは有害な勢力だ。
そして、証拠を突きつけられた今、誰がそれを静穏主義運動だと本気で考えられるだろうか?
確かに、カシミール、パキスタン、アフガニスタンのテロリスト集団、そして西側諸国をはじめとするジハード主義の説教師やリクルーターは、長年にわたりTJを有利に利用してきたが、TJは彼らを拒否しようとした様子は見られない。
1990年代にアルカイダに潜入したスパイ、オマール・ナシリは、アルカイダが潜在的なリクルーターに対し、まずTJに入隊するよう促していたことを明らかにしている。
これは、TJの伝道活動が旅するジハード主義者にとって重要な隠れ蓑となるためだった。
実際、アルカイダと繋がりのある英国人ジハード主義者ジーシャン・シディキは、TJの会議に出席すると主張しながら、アルカイダの関係者と会うためと称してパキスタンに渡航した。
これらの事実にもかかわらず、米国とは異なり、TJとテロ組織との疑惑のつながり、イスラム過激派の活動、その他の違法行為は、インドの諜報機関や対テロ機関、ジャーナリスト、そしてテロ研究に携わるインドの学者からほとんど注目されていないことを指摘しておく必要がある。
TJは非公式かつ非法人組織であり、その採用プロセスは曖昧で、財務状況は秘密かつ不透明であるため、法執行機関や金融監視機関にとってその活動を追跡することは特に困難である。
しかし、直接的なテロとのつながりがなくても、TJが世界中のコミュニティ全体を過激化させてきたことは疑いようがありません。
かつて穏健派だったコミュニティも、TJによって定期的に再教育の標的にされています。
ヨギンダー・シカンドが1998年に英国におけるTJに関する研究で指摘したように、この運動は「非イスラム社会に対するパラノイア、さらには嫌悪感を煽る」ことを目的としているのです。
ティルト・ジャナラティは、南アジアのコミュニティ内においても、デオバンド派イスラム教だけに限定されているわけではない。
BBCは、多くのムスリムがやや穏健なバレルヴィ派に属しているにもかかわらず、依然としてTJのサークルに引き込まれていると指摘している。
TJは世界中のムスリムの間で純粋な敬虔さで知られているため、宗派の垣根を越える行為をしばしば許されているように見える一方で、世界中のデオバンド派のモスクを拠点としている。
元TJメンバーの一人はBBCにこう語った。「10代の少年たちがモスクへ行き、家に帰って家族に説教するのを見ました。
6ヶ月後には、家族の女性全員がニカブをかぶるようになり、二度と彼らの顔を見ることはなくなりました。
タリブギ・ジャマートを通して、家族全体が変わるのを目の当たりにしました。」
しかし、たとえTJとジハード主義者や過激派グループを結びつける南アジアの証拠を軽視し、また、あまりにも多くの西洋のジハード主義者がTJの組織を通過し、あまりにも多くのTJメンバーが暴力的な思想を抱いているという十分に裏付けられた事実を無視したとしても、重要な点が1つ残る。
もしTJがすべての政治的議論を避けるという主張が本物であるならば、特定の政治問題について議論することを拒否することによって、TJは過激主義を教えられないと保証しているのではなく、TJが説き、強制している教義の明らかな帰結である暴力を阻止するためにTJが何もしないことを保証しているのです。
イスラム主義は単なる暴力ではない。根本的には、絶対主義的な神学を受け入れ、押し付けることである。
TJは、おそらく世界の他のどの過激派宗派よりも広範囲に、その絶対主義を説き、主張している。
インド国民は、たとえインドの諜報機関がなかなか気付かなかったとしても、こうした過激派が何の罰も受けずに活動した場合に何が起こるかを知っている。
一方、西側諸国の諜報機関は、テロリズムの危険性を認識していたにもかかわらず、その影響力に対抗できなかった。
西側諸国のイスラム教徒がテロリズムを利用して南アジアに渡り、テロ組織に加わるケースが多数あったにもかかわらずである。
強硬派デオバンド派とその伝道組織TJの脅威は世界的かつ明白である。
TJの資金源、パキスタンおよびカシミールのテロ組織との関係、ジハード主義過激化の温床としての役割に関する国際調査を始めとして、インドと西側諸国が協力し、世界的かつ強硬な対応をとる必要がある。
#デーオバンド #デオバンド #デオバンディ #Deoband #Deobandi #タブリーグ #タブリーギー #ジャマート #Tablighi #Jamaat #スリランカ #ダル・ウッサラーム #海老名 #藤沢 #モスク November 11, 2025
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@May_Roma 三笠の艦橋に登り東郷提督が立ったところに立ってみて下さい。目の前には今は米軍基地が見えますが、東郷提督はロシア艦隊を見ていたわけです。東郷さんが負ければ今の倭国はロシア領になっていたわけです。これほど歴史が迫ってくる場所はありません。ちなみに三笠はイングランド製です🤗 November 11, 2025
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昨日古着屋でイングランド製のトグルコートが安かったので購入。最近のものはトグルボタンが木製風でも角風でも樹脂製の物が多いので、ちゃんと角が使われているのが良い雰囲気。
革ベルトは縫い目部分が傷み気味なので材料買ってきてリペアしたい。 https://t.co/q1ro13byqo November 11, 2025
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📰マヌ・トゥイランギさん、サモア代表転向に含みも慎重な姿勢。
https://t.co/LMj3m7vPIw
✍️イングランド代表として60キャップを重ねたマヌ・トゥイランギさん(34)が、自身の身体がそこまで持つのであれば、ワールドカップでサモア代表にスイッチする可能性をわずかに残しているようです。
ツイランギさんは2024年シックス・ネイションズ最終戦を最後にイングランド代表から遠ざかっていますが、ワールドラグビーの規定により3年の待機期間を経て、豪州大会までにはサモア代表としての出場資格を得ることになります。今月、サモアがベルギーとの引き分けで大会出場権を手にしたことで、バイヨンヌ所属のベテランセンター合流への期待も一気に高まりました。
しかし本人は「サモアが出場権を獲ったときはSNS中がその話でいっぱいだったけれど、自分にとってはまだ先の話。そこまで自分の身体が持つかどうか分からない」と冷静にコメント。「興味があることと、実際にワールドカップで“競争できる状態”でいることは別。行くなら“雰囲気を楽しみに”ではなく、本気で戦いに行きたい」として、単なる話題づくりではなく、パフォーマンス面を基準に判断する考えを強調しました。
どうやら彼の忠誠心は、イングランドにあるとの事ですが、サモア生まれで12歳まで同国で育ったツイランギさんは、これまで2011年と2019年のワールドカップでイングランド代表としてプレー。サモア代表に切り替えれば、フレディさん、ヘンリーさん、アレサナさん、アニテレアさん、サネレ・ヴァヴァエさんに続く「6人目のツイランギ兄弟」として同国ジャージーに袖を通すことになります。 November 11, 2025
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The Athleticで面白い記事が掲載されています
アストン・ヴィラとポルトガル代表でセットプレーを担当するオースティン・マクフィーはトラックマンを初めてイングランドのフットボールクラブに応用した人物です
ネヴェス、ブエンディア、ロジャーズが決めた得点はいずれも再現性のあるものでした https://t.co/hsDuNr6LXL November 11, 2025
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トニー・レヴィン🙂アメリカの凄いプログレべーシスト🌕キングクリムゾンのメンバーとして知られる・同じイングランドのピーターガブリエルにはソロ・デビューから今日に至るまで・アルバム制作とツアーに起用され続けています🙋 https://t.co/RMA2u4SWBF November 11, 2025
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