搾取 トレンド
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2025.12.10 10:00
:0% :0% (30代/男性)
人気のポスト ※表示されているRP数は特定時点のものです
この的外れなポストのせいで、本来なら断固として根絶すべき児童性虐待や人身売買という最悪の犯罪の重さが、ネット上で希釈されてしまっている。
架空表現への嫌悪と、現実の加害・搾取を同列に扱うことは、問題の本質をぼかし被害当事者への視線を遠ざけるだけだ。彼の炎上商法はその点でも罪深い。 https://t.co/Wf1I1pE120 December 12, 2025
27RP
・倭国は性搾取に甘い国
→ 倭国は性犯罪が国際的にみて少ない。実態とずれている
・12歳の少女に性的な行為をさせた事件→倭国は…
→ インパクトの大きい1つの事件を国全体の傾向に一般化するのは飛躍
・50代男性の強調
→ 中年男性一般に対する世間の嫌悪感を利用しようとする不誠実な印象操作 https://t.co/OfTpK7reO1 December 12, 2025
20RP
なぜアメリカは国際孤立しているのか?
まず、世界中の国はアメリカの覇権が終わったことを理解してます。
そして、今までの搾取の歴史があるから
グローバルサウスの国々は米国から離れて中露やBRICSのサイドに付いています。 December 12, 2025
11RP
これがイスラム教徒の人々の本音です。
もちろん、フランスはアフリカや東南アジアなどに植民地を持っていて、そこから多くのものを搾取してきた歴史があるので、自業自得の面もあるのですが、彼女らは世界全体をイスラム教国に変えることを考えています。
欧州はもう手遅れで、米国もひどい状況になっています。
倭国も例外ではないでしょう。
そうなると、いずれ最終決戦はイスラムVSチャイナの争いになるのかも知れません。 December 12, 2025
7RP
「リアルで誰かをいじめてた男が立場や顔で許される事はまずない」について。
性加害や搾取をしてきた有名人が、相当年数が経つまで事が露見しなかったのは、顔はともかく立場が強かったからです。
「悪い奴は立場に依らず裁かれる」なんて理想、創作とリアルの区別をつけて捨てた方が良いですよ。 https://t.co/Dl4ijWSs3z December 12, 2025
5RP
自分の身体が女性化していく事に嫌悪感がある女子は多い。それは今も昔も変わらない。なぜそうなるか?社会が「若い女性は消費して良い」「若い女性を搾取して良い」「若い女性は愚かな方が可愛い」という状態であるから。そうなりたくないと強く思う女子が、社会が決めた「若い女性」の枠から出ようとする。その枠にいる人を見下し、そうでない自分に価値を見出そうとする。
時間をかけて、その変化に折り合いをなんとかしてつけていく前に、劇的に変われる「胸の切除」があればそれはかなりの部分解決できる画期的な方法と思えるだろう。若いというのはそういうこと。
少し歳を重ねたら、膨らんだ胸は女性の特徴ではあるけれどそれを切ったところで「胸を切った女性」としか見られない事を痛感するだろう。
性別は変えられないのだから。 December 12, 2025
4RP
恋愛において女性は
オスとしての強さ>>>人としての優しさ
で男を選ぶ。
そして残念な事に「オスとして弱そうな男の優しさ」を女性は全く評価しない。それどころか搾取を試みたり、警戒したり、迷惑に思う事もしばしば。
恋愛という戦場では「優しさ」という武器はあまりにも無力なんよね。 December 12, 2025
4RP
境界知能や発達障害の人がいることについて、近代的自我を想定した民主主義システムや資本主義システムはどのような矛盾をはらむでしょうか?
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民主主義も資本主義も、「自律的で理性的な判断ができる個人」という近代的自我を暗黙の前提としています。しかし現実には、境界知能(IQ70-85程度)の人々は人口の14%程度、発達障害も含めれば、この前提が成り立たない人々は決して少数派ではありません。
最も深刻な矛盾は、形式的平等と実質的不平等の乖離です。民主主義は「一人一票」の平等を掲げますが、複雑化した政治情報を理解し、自分の利益を代表する候補者を選択するには、相当な認知能力が必要です。選挙公報を読んでも内容が理解できない、抽象的な政策論争についていけない人々にとって、投票権は実質的には機能していません。むしろ、理解できないがゆえに単純化されたポピュリズムに動員されやすくなるという皮肉な状況すら生まれます。
資本主義システムの矛盾はさらに直接的です。市場経済は「情報を理解し合理的に選択する消費者」を前提としていますが、悪質商法のターゲットになるのは往々にして判断能力に困難を抱える人々です。契約書の意味が理解できない、リスクを見通せない、即座の欲求を抑制できない——こうした特性を持つ人々は、自己責任論のもとで搾取されます。
そして最も残酷なのは、「自己責任」という言葉が持つ暴力性です。近代システムは「自己決定できる個人」を前提とするがゆえに、うまくいかない理由を個人の努力不足や能力不足に帰属させます。しかし認知的な制約は「頑張れば何とかなる」ものではありません。システムが前提としている能力そのものを持ち得ない人々に対して、「自律せよ」「自己決定せよ」と要求することは、泳げない人に「溺れるのは自己責任だ」と言うようなものです。
興味深いのは、近代社会が一方で「人権」という普遍主義を掲げながら、他方でその人権を実質的に行使できる能力を持った人だけを想定しているという矛盾です。福祉国家は部分的にこの矛盾を緩和しようとしましたが、それでも基本的には「一時的な支援で自立できる人」を想定しており、恒常的な認知的制約を抱える人々の存在は、システム設計の想定外に置かれ続けています。 December 12, 2025
2RP
@reo724 米山もそうなんですが、他人を搾取した奴は議員になれない様にして欲しいです。人間としての在り方が議員の精神である代表であり公僕というところからかけ離れています。 December 12, 2025
2RP
「時間を作れない男」じゃなくて「あなたのために時間作る気がない男」なんだよね。
彼女の存在を「生活のスキマ埋める便利アイテム」って認識してて、自分の暇を埋めてくれる女がいることで、
勝手に「俺って必要とされてる」って自己肯定してるだけ。
あなたはは恋人じゃなくて「無料の精神安定剤」。
愛されてるんじゃなくて、体も心も利用されてる。
女ってそれに気づいていても、「忙しいって言ってるし…」「嫌われたくないし…」って自分の価値を安売りして黙って受け入れちゃう。
でも考えてほしいのは、暇ができた瞬間に「都合のいい女と会う」って発想になる男が、本気で誰かを大切にできると思う?
彼の優先順位はいつも
「自分>仕事、趣味、友達>あなた」
この並びが変わらない限り、彼はあなたを一生大事にしない。
本気で好きな女には、男は予定をねじ曲げてでも会う。
人間って優先順位のつけ方で、本音が全部見える生き物。
それをしないってことは、あなたの優勢順位が低いだけ。
なのに「忙しいなら仕方ないよね」って自分で自分を安売りして、男のクソみたいな都合に合わせて、勝手に「尽くす=愛」だと思い込む。
あなたは時間とメンタルと自己価値を搾取されるだけなんだよ。
ここで質問なんだけど、いつまで自分を値引きして、乞食みたいに愛情をもらうつもり?
余り時間を渡されて「ありがとう」なんて言ってる女は、一生男からなめられて終わるよ。
スキマ時間で会われる女じゃなくて、スケジュールを崩させる女になれ。
それが無理な男は、捨てて正解。
クズは変えるより、捨てた方が早い。
余った時間に会う女で満足できるなら、そのままでどうぞ。
でも「私は優先される価値がある」って少しでもで思うなら、その男は今すぐ捨てて。
そしてもう自分の安売りしないでね。 December 12, 2025
1RP
前世紀は「免疫学の時代」だった。免疫学は「他性」に対する免疫反応によって特徴づけられる。
しかし今日では、他性は差異に取って代わられている。知的な言説は過去の言説を引きずるから、このような根本的なパラダイム・チェンジを的確に捉えることができないでいる。
ビョンチョル・ハン『疲労社会』(横山陸訳 花伝社)で著者が論じていることのコンセプトは、「他性の時代から差異の時代へ」ということであり、一見すると「モダンからポスト・モダンへ」という旧態依然とした図式に見紛うのだが、論者が企てているのはポスト・モダンの論考でありがちだった「差異との戯れの称揚」ということではない。むしろ、新しく出現した「差異を自己搾取する構造」からの脱却に焦点が絞られた議論が展開されている。
まず、「免疫学の時代」とは、どのような時代だったのか。著者が論じている件を引く。
「前世紀は免疫学の時代であった。それは、内と外、敵と友、自己と他者が明確に区別された時代であった。東西冷戦もこうした免疫学の図式に基づいていた。いやそれどころか、全盛期の免疫学的なパラダイム自体が、一貫して冷戦のボキャブラリーによって、つまり物事をまったく軍事的に考える傾向によって支配されていた。免疫学的な行為は、攻撃と防御という発想によって規定されている。免疫学的に物を考える傾向は、生物学的なものだけでなく、社会的なものにまで広がり、社会全体を規定するレベルにまで達している。それにもかかわらず、この考え方は正しく理解されていない。防御とは、あらゆる異質なものに対する防御を意味する。免疫学的な防御の対象は、異質性そのものである。たとえ異質な他者が絶対的な意図をもたず、何の危険もないとしても、この異質な他者はその<他性>のために排除されるのである。」
「異質な他者が、その<他性>のために排除される」ーこれが前世紀的な世界像を特徴づける図式だった。
<他性>への不適切なほどの恐れーファシズムも民族主義も、言わば免疫機能が暴走する自己免疫疾患として捉えられる。
先に書いたように、言説は過去の言説を参照して編集される。だから、現在の政治的言説にも、いまだ、この免疫学的な図式に基づいた言説は多い。
だが、現在の社会がはらむ真にリアルな問題は、もはやこうした図式で捉えられる問題とは、パラダイムが異なっている、と論者は主張する。「しかしこんにち、他性は差異に取って代わられている」。
「差異は、免疫反応を引き起こさない。差異はポスト免疫学的であり、それどころかポスト近代的であり、それはもはや病因ではない。免疫学的なレベルで見ると、差異とは、<同質なもの>である。差異には、激しい免疫反応を引き起こす、いわば異質性の棘が欠けている。異質性はその鋭さを失って、消費の決まり文句に変わってしまう。異質なものは、エキゾチックなものに成り下がってしまう。そして、エキゾチックなものは、観光客に旅される。観光客や消費者は、もはや[異質なものに対して激しい拒絶反応を示す]免疫学的な主体ではない。」
論者は、免疫性の根本的な特徴を「否定性の弁証法」である、と論じるー「免疫学的に他なるものとは、私の内部へと侵入し、私の固有性を否定しようとする否定的なものである。もしこのとき、私の固有性がこの他なるものの否定性を否定できなければ、私の固有性はこの他なるものの否定性によって滅ぼされてしまう。つまり、私の固有性は他なるものの否定性を否定することを通じて、この他なるものにおいて自己を主張する」。
SNSやオールドメディアでまき散らされている言葉の多くは、こうした「他なるものの否定性を否定することを通じた私の固有性の主張」であり、だから、その本質において攻撃的であり、且つ、さらにその裏には、世界や他者に対する恐れがべったり張り付いている。しかしそのすべてがどこか茶番めいた、アクチュアルさを欠いたものに感じられるのは、その免疫学的な図式自体が、前世紀的なものであり、現在の真の問題を捉えることに失敗しているからではないか。
論者は、例えばうつ病、注意欠陥多動症(ADHD)、燃え尽き症候群(BS)といった症状に現れる現代的な問題の根には、免疫学的な他性の欠如、むしろ同質的なものの過剰、肯定の過剰が関わっているという。
同質性の過剰とは、システムを脅かす外部の暴力性ではなく、システムそれ自体がはらんでいる暴力性であり、排他的な暴力性ではなく、包摂的な暴力性である。
否定性を媒介にした免疫学的な主体においては、規律(ディシプリン)が何よりも重要になる。規律社会において支配的なのは「してはならない」という禁止、そして「すべき」という当為だ。
しかし現代の社会においては、禁止、命令、規則の否定性に基づいた規範から、人はますます解放されていく。それに取って代わるのが、計画(プロジェクト)、自発性(イニシアチブ)、動機づけ(モチベーション)だ。
現在は、前世紀的な規律社会に取って代わって、現代的な「能力社会」が、問題を生み出すようになっているのである。
前世紀的な規律社会の否定性が生み出したのは、禁止や命令に従わない者としての狂人や犯罪者だった。それに対して現在の能力社会が生み出すのは、計画、自発性、動機づけを自己訓練できない者としての、うつ病患者と無能な人間なのである。
「うつ病とは、第一に、何かを為すことに疲れ、できることに疲れた状態である。うつ病の個人は、何もできないと訴える。だが、こうした訴えることができるのは、できないことは何もないと信じている社会だからこそである。
もはや何もできないということができる、こうした事態が行き着く先は、破壊的な自己批判や自虐である。能力の主体は、自分自身と戦っている。そしてこの内面化された戦いの負傷兵が、うつ病患者である。うつ病とは、肯定性の過剰に苛まれた社会の病理である。それは、自分自身と戦う人類を反映している。」
さて、本書の理路をすこしはみ出すが、私はうつ病患者とは、「現代社会の圧と誤った戦い方をした結果の負傷兵」だと捉えている。
現代社会は、主にグローバリズム化された市場の力によって、<他性>が<差異>に還元されることにより、生産=消費主体としての自己訓練を促される社会だ。
その社会が強いてくる自己訓練に対して否定性をもって対するのがうつ病患者だ。だが、本当は、この社会が強いてくる自己訓練への誘いに乗らなければいいだけなのではないか。
前世紀が「幻想に他性に対する免疫疾患」としてファシズムや狂気を生んだとすれば、今世紀は「自己による過剰な自己の搾取」が問題になっている。
今世紀のレジスタンスの形は、だから、自己訓練を否定するのではなく、自己訓練を生産性から解き放つことなのではないだろうか。
つまり、生産性の観点からは無意味なこと、無駄なことに心血を注いでいく。社会化された価値を否定するのではなく、社会化されることがない主観的な価値ーその内在性の次元に意識を向けていくこと。
この本の最後に、どちらかというと否定的なニュアンスで書かれている「この生が一切の超越を脱ぎ捨て、たんなる生の内在へと還元される」という事態を、むしろ積極的に価値づけていくことが必要とされているのではないだろうか。 December 12, 2025
1RP
🌲🎅 X 民 さん 🎅🌲
愛を搾取する人に言いたい
あなたの目の前の人
その人も人には言えない苦しみを
抱えている
抱えてきた
誰でも
抱えてきた
苦しみ悲しみの分
その人は優しくなった
深い心になったんだよ
真実の愛が生まれた
苦しみ・悲しみを抱きしめれば
愛になる。その愛を ↓↓続 December 12, 2025
1RP
【映画『最初の年 -民意が生んだ、社会主義アジェンデ政権
- 』上映とアフタートークのご案内】
アップリンク吉祥寺で上映中の映画『最初の年』。
12月14日(日)11:30の回上映終了後、いつも選挙で応援頂いている、私が信頼し敬愛する哲学者の西谷修さんと登壇させて頂きます!
西谷さんはれいわ新選組に応援メッセージをくださったり、また、伊勢崎賢治参議院議員の盟友でもあります。なかなかないこの機会、お時間ある皆さまぜひご来場ください!
<<アフタートーク開催!>>
★12月14日(日)
11:30の回上映終了後
★登壇者:
西谷修(哲学者・東京外国語大学名誉教授)
ミサオ・レッドウルフ(れいわ新選組・参議院政策委員)
https://t.co/DOKwWf1BJa
映画『最初の年』は、アメリカ資本が牛耳る資本主義体制から、労働者や農民など国民と共に海外からの搾取を断ち切り社会主義国家を樹立した、アジェンデ政権の1年目を描いた作品です。革命のダイナミックな伊吹は、アジェンデと共に国家を作っていった国民が作り上げたもの。このアジェンデ政権の姿は、まさにれいわ新選組が歩んでいる「党と支持者、ボランティアとの協働活動」と言えます。ぜひ、れいわ新選組支持者の皆さんにも観て頂きたい。
映画のシーズンの後、失脚した右派(映画では帝国主義者と呼ばれてます)とアメリカ勢力が巻き返し、最終的にはアジェンデ政権はクーデターで潰されて、アジェンデは大統領府で亡くなります。
この経緯を描いた他の映画も観たのですが、社会がどう分担されたか、アメリカの内政干渉など、いまの倭国の現状にも重なります。過去に、歴史に学ぶ事はとても大切です。
ゲバラ、カストロ、アジェンデ…ラテンアメリカの尊い軌跡を皆さまにもぜひ感じて頂きたいです。
ミサオ・レッドウルフ 拝 December 12, 2025
1RP
前世紀は「免疫学の時代」だった。免疫学は「他性」に対する免疫反応によって特徴づけられる。
しかし今日では、他性は差異に取って代わられている。知的な言説は過去の言説を引きずるから、このような根本的なパラダイム・チェンジを的確に捉えることができないでいる。
ビョンチョル・ハン『疲労社会』(横山陸訳 花伝社)で著者が論じていることのコンセプトは、「他性の時代から差異の時代へ」ということであり、一見すると「モダンからポスト・モダンへ」という旧態依然とした図式に見紛うのだが、論者が企てているのはポスト・モダンの論考でありがちだった「差異との戯れの称揚」ということではない。むしろ、新しく出現した「差異を自己搾取する構造」からの脱却に焦点が絞られた議論が展開されている。
まず、「免疫学の時代」とは、どのような時代だったのか。著者が論じている件を引く。
「前世紀は免疫学の時代であった。それは、内と外、敵と友、自己と他者が明確に区別された時代であった。東西冷戦もこうした免疫学の図式に基づいていた。いやそれどころか、全盛期の免疫学的なパラダイム自体が、一貫して冷戦のボキャブラリーによって、つまり物事をまったく軍事的に考える傾向によって支配されていた。免疫学的な行為は、攻撃と防御という発想によって規定されている。免疫学的に物を考える傾向は、生物学的なものだけでなく、社会的なものにまで広がり、社会全体を規定するレベルにまで達している。それにもかかわらず、この考え方は正しく理解されていない。防御とは、あらゆる異質なものに対する防御を意味する。免疫学的な防御の対象は、異質性そのものである。たとえ異質な他者が絶対的な意図をもたず、何の危険もないとしても、この異質な他者はその<他性>のために排除されるのである。」
「異質な他者が、その<他性>のために排除される」ーこれが前世紀的な世界像を特徴づける図式だった。
<他性>への不適切なほどの恐れーファシズムも民族主義も、言わば免疫機能が暴走する自己免疫疾患として捉えられる。
先に書いたように、言説は過去の言説を参照して編集される。だから、現在の政治的言説にも、いまだ、この免疫学的な図式に基づいた言説は多い。
だが、現在の社会がはらむ真にリアルな問題は、もはやこうした図式で捉えられる問題とは、パラダイムが異なっている、と論者は主張する。「しかしこんにち、他性は差異に取って代わられている」。
「差異は、免疫反応を引き起こさない。差異はポスト免疫学的であり、それどころかポスト近代的であり、それはもはや病因ではない。免疫学的なレベルで見ると、差異とは、<同質なもの>である。差異には、激しい免疫反応を引き起こす、いわば異質性の棘が欠けている。異質性はその鋭さを失って、消費の決まり文句に変わってしまう。異質なものは、エキゾチックなものに成り下がってしまう。そして、エキゾチックなものは、観光客に旅される。観光客や消費者は、もはや[異質なものに対して激しい拒絶反応を示す]免疫学的な主体ではない。」
論者は、免疫性の根本的な特徴を「否定性の弁証法」である、と論じるー「免疫学的に他なるものとは、私の内部へと侵入し、私の固有性を否定しようとする否定的なものである。もしこのとき、私の固有性がこの他なるものの否定性を否定できなければ、私の固有性はこの他なるものの否定性によって滅ぼされてしまう。つまり、私の固有性は他なるものの否定性を否定することを通じて、この他なるものにおいて自己を主張する」。
SNSやオールドメディアでまき散らされている言葉の多くは、こうした「他なるものの否定性を否定することを通じた私の固有性の主張」であり、だから、その本質において攻撃的であり、且つ、さらにその裏には、世界や他者に対する恐れがべったり張り付いている。しかしそのすべてがどこか茶番めいた、アクチュアルさを欠いたものに感じられるのは、その免疫学的な図式自体が、前世紀的なものであり、現在の真の問題を捉えることに失敗しているからではないか。
論者は、例えばうつ病、注意欠陥多動症(ADHD)、燃え尽き症候群(BS)といった症状に現れる現代的な問題の根には、免疫学的な他性の欠如、むしろ同質的なものの過剰、肯定の過剰が関わっているという。
同質性の過剰とは、システムを脅かす外部の暴力性ではなく、システムそれ自体がはらんでいる暴力性であり、排他的な暴力性ではなく、包摂的な暴力性である。
否定性を媒介にした免疫学的な主体においては、規律(ディシプリン)が何よりも重要になる。規律社会において支配的なのは「してはならない」という禁止、そして「すべき」という当為だ。
しかし現代の社会においては、禁止、命令、規則の否定性に基づいた規範から、人はますます解放されていく。それに取って代わるのが、計画(プロジェクト)、自発性(イニシアチブ)、動機づけ(モチベーション)だ。
現在は、前世紀的な規律社会に取って代わって、現代的な「能力社会」が、問題を生み出すようになっているのである。
前世紀的な規律社会の否定性が生み出したのは、禁止や命令に従わない者としての狂人や犯罪者だった。それに対して現在の能力社会が生み出すのは、計画、自発性、動機づけを自己訓練できない者としての、うつ病患者と無能な人間なのである。
「うつ病とは、第一に、何かを為すことに疲れ、できることに疲れた状態である。うつ病の個人は、何もできないと訴える。だが、こうした訴えることができるのは、できないことは何もないと信じている社会だからこそである。
もはや何もできないということができる、こうした事態が行き着く先は、破壊的な自己批判や自虐である。能力の主体は、自分自身と戦っている。そしてこの内面化された戦いの負傷兵が、うつ病患者である。うつ病とは、肯定性の過剰に苛まれた社会の病理である。それは、自分自身と戦う人類を反映している。」
さて、本書の理路をすこしはみ出すが、私はうつ病患者とは、「現代社会の圧と誤った戦い方をした結果の負傷兵」だと捉えている。
現代社会は、主にグローバリズム化された市場の力によって、<他性>が<差異>に還元されることにより、生産=消費主体としての自己訓練を促される社会だ。
その社会が強いてくる自己訓練に対して否定性をもって対するのがうつ病患者だ。だが、本当は、この社会が強いてくる自己訓練への誘いに乗らなければいいだけなのではないか。
前世紀が「幻想の他性に対する免疫疾患」としてファシズムや狂気を生んだとすれば、今世紀は「自己による過剰な自己の搾取」が問題になっている。
今世紀のレジスタンスの形は、だから、自己訓練を否定するのではなく、自己訓練を生産性から解き放つことなのではないだろうか。
つまり、生産性の観点からは無意味なこと、無駄なことに心血を注いでいく。社会化された価値を否定するのではなく、社会化されることがない主観的な価値ーその内在性の次元に意識を向けていくこと。
この本の最後に、どちらかというと否定的なニュアンスで書かれている「この生が一切の超越を脱ぎ捨て、たんなる生の内在へと還元される」という事態を、むしろ積極的に価値づけていくことが必要とされているのではないだろうか。 December 12, 2025
1RP
倭国は戦後ずっと親米路線を歩んできました。
そして多くの人が「今の暮らしはそのお陰だ」と思っています。
ただ──ここに大きな誤解があると自分は感じています。
アメリカが本気で倭国の経済発展を支えたのは、実は“高度成長期まで”です。
なぜならその時期の倭国は、ソ連・中国に対抗するための “反共の砦” であり、
アメリカにとって資本主義の成功例である見本の「豊かで安定した倭国」が必要不可欠だったからです。
しかし、プラザ合意以降、バブル崩壊、外資流入……。
その後の倭国の経済発展や財産は、国民のためというより
むしろ“アメリカの戦略の中に組み込まれていった”のが実態です。
だからこそ、倭国は世界有数の経済大国でありながら、
国民の所得だけは下がり続けている。
さらに国内には、
「安全保障」という大義名分の下で治外法権的な基地が置かれ、
倭国の外交の自由ですら常に制限される構造が続いている。
その中で、多くの倭国人が
“仕方ないこと”として目を逸らしてきた結果、
言うべきことを言えず、
倭国自身が搾取ルートの中に固定化されつつある。
そして政治家のほとんどはその事に意義を唱えずに言いやすい相手にだけ強気に批判する。
これこそが、
自分が考える“倭国の本当の姿”です。 December 12, 2025
1RP
エピローグ 窓辺で読む別の教科書
窓辺の光の中で、私は一冊の別の教科書をそっと閉じる。そこにはアメリカ南部の綿花畑の写真、オスマンの宮廷の絵、アジアの港の航路図、アフリカの町の市場図が混ざっている。ひとつの線でつながるのは、人々が移動し、労働し、搾取されたという事実だ。だが同時に、それに抵抗し、文化を育み、再生してきた人々の足跡もある。
私が願うのは、子どもたちが一つの物語に閉じ込められない教育だ。多声的に、比較的に、そして倫理的に過去を読む習慣を育てること。それが、世界を偏りなく理解する第一歩になると信じる。
読んでくれてありがとう。 December 12, 2025
第10章 地図を書き直す — 私たちが子どもに伝えること
最後に私は、子どもたちにどんな地図を渡すのかを考える。単一の罪を強調する狭い地図か、世界の多層的な搾取と抵抗の関係を示す広い地図か。私は後者を選びたい。地図を書き直すとは、単に事実を追加することではない。それは問いの立て方を変えることだ。誰が力を持っていたのか、誰がその力によって傷ついたのか、そして私たちはその記憶をどのように修復し、将来に生かすのか——これらを同時に教える教育こそが、持続的で勇気ある学びになる。
世界の奴隷制の歴史を学ぶことは、どの国が「より悪い」かを競うためではない。人類が犯した搾取の構図を理解し、それを二度と繰り返さないための視座を育てることにある。私は子どもたちに、地図の余白も読む目を教えたい。余白には忘れられた声が潜んでいるのだから。 December 12, 2025
※だらだら文章なので、あまりお気になさらず😂
(最初にゆーとくw)
チャネル見えてれば止まるところは
まぁ予測はつくわけやけど今日はFOMCやし
あとここで短期勝負以外で全力ショートって
基本的にはあまりおらんと思うわけやよ。
・・・
いや、おるからまたあがる時はガソリンになって
更なる上昇に繋がるわけやけども😂
ただあまり戦略無く
盲目的に損切り浅くロングしたりしてる場合は
こういうタイミングは危ない(*゚∀゚)*。_。)*゚∀゚)*。_。)
100pips以上押し込まれてからの
ライトセーバーとかいくらでもあるし
ここで押し目買い狙ってるトレーダーの多くは
156.181とかそこいらで待ち伏せしてるわけやけど
投機ってのは、その大衆の待ち伏せを騙し討ち
することにより大きな利益をあげているわけで
やからこそ対局を見据えた戦略や
MTFもそう。
シナリオの構築が大切なわけですφ(ФωФ=)📚
ただトランプさんが
👦『悪いFRB議長がいる』と発言してみたり
FOMC通過したとて日銀会合まで
円安容認して素直に動くかなぁ🧱|ωФ)ジー
そして日銀会合終わった次の週からは
市場がさすがに本格的に手仕舞と閑散としてくるので
上も下もぶち破るならそのタイミングではあるが
上ぶち抜いたらいよいよ介入カウントダウンやよなw
結局介入意味ないって声もわからんでもないけども
介入があったから執行猶予が出来たこともあり
少なからずとも介入がなければそれこそ
1ドル200円間近!なーんてこともあった可能性は
否めないわけで(*゚∀゚)*。_。)*゚∀゚)*。_。)
一年でも一年半でも円安進行を鈍化出来た事により
時間稼ぎはできたから、後はその時間稼ぎできた
その間にどれだけの戦略と戦術が練られたのかは
これから分かる事⚔️🥷
円安容認して輸出企業や一部の人間の増加した税金を搾取し、中小企業や大衆は生殺与奪の権利を国に握られながら
少しずつ疲弊して、まぁお祈りトレードになるのか
NISA含め円高に進行するための壁は分厚いが
それを攻略する一手が準備されているのか。
まぁどないにしても物価高に対しての所得増加ペースは
壊滅的に追い付いておらず、中小企業が救われる政策を
継続的に打ち出し続けないと結局はゼンモどころか
騙しの後はよく伸びるというわけで
更に悪い方向に急速に進行していく
可能性もまたなきにしもあらず。
もし改善策が打ち出されたとて
ここまで疲弊した中小企業がその流れに乗れるまで
3年~5年くらいは最低でもかかる。
そして流れに乗るってのはいままでの負の遺産を
クリアに出来る可能性という意味であって
軌道に乗るともまた少しニュアンスが違う。
さてさてさーて。
我が子👦満腹太郎(3歳♂)👦が
社会に出陣する頃に我が国は
どうなってるんでしょうか(。・´_`・。) December 12, 2025
爆発的に売れたけど 当時はどこか「搾取される女の子たち」という見られ方がつきまとっていて、でもこの20周年で元メンバーそれぞれが時間をかけて出してくれた答えは秋元康さんにとっても すごく救いになったんじゃないかなと思えて。 December 12, 2025
吉村さん
過去から搾取する万博なら
なんの黒字
なんの効果やねん
万博の会場建設費、企業の寄付金「42億円」不足…1970年大阪万博の収益で設立の基金取り崩しへ(読売新聞オンライン) - Yahoo!ニュース https://t.co/bNokVJVLFl December 12, 2025
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