平将門 トレンド
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2025.12.05 21:00
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筑土八幡神社。新宿区筑土八幡町。
牛込東部鎮守の八幡様。
かなり久しぶりの参拝。いつ以来だろうなと思って履歴を辿ったら平成28年(2016)以来でした。約9年ぶりの参拝です。
御朱印は社務所前に由緒書きの中に挟んでいる形になっていました。書き置きのみのセルフ式です。お代は頂いていないとの案内がありましたがお気持ちを賽銭箱へ。(9年前は宮司さんに書き置きを頂きましたがその時もお代はいらないと言われた記憶があります)現在の御朱印は社殿が印刷された用紙を使ったもの。
そんな筑土八幡神社は嵯峨天皇の御代(809年-823年)に創建と伝わる古社です。
その後、伝教大師(最澄)がこの地を訪れた時に神像を彫刻して祠に祀りました。その時に筑紫の宇佐の宮土を取り寄せて礎としたので「筑土八幡神社」と名づけたと言います。
江戸時代になると当社に並ぶように神社が遷ってきます。遷ってきた神社が平将門公を祀る現在の「築土神社」(現・千代田区九段北)です。
これは江戸城外堀拡張によって遷座してきたものでそれ以来は両社が並ぶようにして鎮座していました。
江戸時代の地誌『江戸名所図会』にも両社が並び立っている境内が描かれています。「筑土八幡宮」「同明神社」として描かれていて二社が並び立つ様子が実に分かりやすく描かれています。(境内にその様子の案内板が立っているのでチェックしてみて下さい)
そちらでは同じ境内にありながらもあくまで別々の神社として機能していた様子も窺えます。その証拠にそれぞれ別々に参道、鳥居、神門などが設けられている事が挙げられ実際に氏子地域も違っていました。
そうした両社が並び立つ姿は昭和二十年(1945)の東京大空襲まで続きます。同年の戦災により社殿など多くが焼失。お隣の築土神社も悉く焼失してしまいます。
戦後になると昭和二十一年(1946)に築土神社は再建にあたり千代田区富士見へ遷座。その後、昭和二十九年(1954)に氏子地域である九段中坂の途中にある現在地は遷りました。こうして戦後の復興の中で、300年以上続く隣に並ぶ形での鎮座の形は終わる事となります。
当社は昭和三十八年(1963)に氏子による寄進もあり再建。当社の氏子地域(新宿区津久戸町)に本社を置く建設会社・熊谷組によって社殿が造営されました。
戦火に遭った当社ですが境内には古い石造物は多く残ります。石段途中の鳥居は新宿区最古。享保十一年(1726)に常陸国下館藩主であった黒田直邦によって奉納されたものです。
更に大変珍しい形の庚申塔も。寛文四年(1664)に作られた古い庚申塔で新宿区指定有形文化財。最上部に太陽と月をあしらい桃の木・桃の実・そして二匹の猿をあしらった珍しいもの。庚申塔というと三猿や青面金剛をあしらったものが一般的。こうした姿の庚申塔は自分も見た事がなくとても珍しいです。
拝殿前の一対の狛犬もは文化七年(1810)に奉納と古いです。江戸尾立て、彫りの深い凛々しい狛犬で首筋のラインが力強く実に良い表情。
ぜひ参拝してみて下さい。
#御朱印 December 12, 2025
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