安全地帯 芸能人
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2025.12.07 14:00
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炎寿郎 ~歌編~ 炎の歌
5の手2曲 安全地帯 『悲しみにさよなら』
※字幕入りショートバージョン
1985年6月25日発売。9枚目のシングル。
オリコンシングルチャートは最高1位。1985年度年間9位。
過去の痛みを忘れ新たな旅立ちを励ます。
『第36回NHK紅白歌合戦』 初出場曲。
キリンビール「秋味」CMソング。
フルバージョンはこちらです。
https://t.co/8WPRQnAb1t
#悲しみにさよなら #玉置浩二 #安全地帯 December 12, 2025
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国立国会図書館デジタルコレクション( @NDLJP )を検索していたところ、1933年頃(戦前)に道路業界の専門誌に掲載された、祖父・林盛四郎のインタビュー記事を見つけました。当時、祖父は東京瓦ス(東京ガス)の技師であり、専務取締役を務めていました。
今のLAの交通事情を知ったらショックを受けそう 笑
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祖父は道路の専門家ではありませんでしたが、ガス会社のエンジニアとしての視点から、スエズからカイロ、欧州、米国を経て帰国する旅程で見聞した道路事情について詳しく語っています。
まずエジプトのカイロでは、簡易なアスファルト舗装がなされていました。特に印象に残ったのは、道路の並木の地上3尺(約90cm)ほどの高さに白ペンキが塗られていたことです。これは街灯が十分でない場所でも、夜間に自動車のライトを反射して道幅を示し、危険を防止するための工夫でした。
イタリアでは「ヴィア」と呼ばれる道路網が整備されていました。ローマなどでは遺跡として保存すべき道はそのまま残し、別に立派な新道を作っているのが特徴です。また、イギリス人などが5人程度のグループで自動車を共同購入して旅行し、帰国時に売却するという合理的で盛んな自動車旅行のスタイルが見られました。パリに入ると、コンコルド広場などは立派なアスファルト舗装でしたが、とにかく交通量が多く、激しい混雑(ヘビートラフィック)でした。
特に興味深いのはイギリスの舗装事情です。祖父によると、イギリスでは「アスファルト」よりも「ターマック(タール舗装)」が主流でした。これはイギリスで石炭乾留工業(ガス製造など)が非常に発達しており、副産物であるタールが豊富にあるためです。高価な輸入アスファルトを使わずとも、自国のタールと鉱滓や石を混ぜて舗装材にする方が経済的であり、実際に田舎の山道に至るまで自動車道路が完全に舗装・維持されていました。また、バスを待つ人々が整然と列を作り、定員を超えて立って乗ることを許さない交通道徳の高さや、地下鉄の区間制運賃システムにも感銘を受けています。
中央ヨーロッパに移動すると、交通ルールの違いに気づきます。倭国とイギリスは左側通行ですが、欧米の多くの国は右側通行です。しかし、当時のチェコスロバキア(プラハ)は左側通行でした。プラハの道路は石畳が多く、自動車には振動が激しいものでした。一方、オーストリアのウィーンは建物が優美で、リンク(環状道路)の並木も美しく整備されていました。
アメリカに渡ると、ニューヨークでは摩天楼や地下鉄など立体的な都市利用が進んでいましたが、その分、街路は暗く感じられ、交通道徳も悪く交通事故が多いという印象を持ちました。対照的にワシントンD.C.は官庁街らしく静かで、並木が多くアスファルト舗装も完璧でした。
シカゴを経て西部へ向かうと、砂漠地帯であっても自動車道路が完全に舗装されていることに驚かされます。
ロサンゼルスは道路事情が良く住宅も立派で、サンフランシスコは坂道が多いためケーブルカーが活躍していました。
また、アメリカ全体の特徴として、倭国のような警察官による手信号ではなく、自動信号機(シグナル)が発達しており、電車の乗降時には安全地帯が設けられている点などを挙げています。
祖父は結論として、アメリカの物質文明の凄さ、生活水準の高さ(家庭の電化や自動車の普及)には圧倒されたとしつつも、個人的な好みとしては「都の感じ」がするヨーロッパの方が情緒があって好きだと述べています。
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第二次世界大戦直前の世界のインフラ事情を伝える、貴重な歴史的スナップショットの1つではないかと思いシェアしました。 December 12, 2025
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